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2005年09月23日(金) ■ |
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Vol.610 前途多難な旅 |
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おはようございます。りょうちんです。
この前の「ひとりごと」で、もしも自由にできる長期の時間が俺にあったら四国で霊場巡りをしたいと書いた。でも、俺にはそんな長い自由な時間を確保できないことも書いた。しかし俺のそばに、この条件をクリアできる人がいた。相方である。 夏が終わる頃から、相方は自由な時間を確保できる状態にあった。まぁそれなりにやらなきゃならないことはたくさんあったようだが、こんなにも長い時間を自由にできる状態にある相方に、俺は「せっかくなんだからどこか遠いところでも行けばいいのに!」と、他人事のように話していた。しかし、なかなか重い腰を上げそうもなかったので、「こりゃきっとどこにも行かないな…」と内心思っていた矢先。「明日から旅行に行く!」と、相方は突如旅立っていった。行き先は、ペルー。 ペルーという国をご存知だろうか? 正直言って、俺はよく知らない。知っているのは南米にあるアンデスの高地で、「コンドルは飛んでいく」が有名なことくらいか。でも、知らないからこそ行ってみたい国ではある。相方がペルーのどこに魅力を感じ、ペルーに何を求めて旅立ったのかはわからないが、ナスカの地上絵を見たりマチュピチュの遺跡を訪れたりすると話していた。そんな相方を見て、できることなら俺も一緒にペルーへ行きたいとうらやましく思った。 昨日の午後に成田を出発した相方は、アトランタを経由してリマ国際空港に着いたはずだ。きっと今頃は、アンデスの空の下でこの旅のスタートを切る頃かもしれない。潔く大胆に出た相方ではあるが、30代も半ばにして初めてのひとりぼっちの海外旅行らしい。そのアクティブな決断と行動に、自分の相方ながらすごいと思う。前途多難な旅だからこそ、きっとたくましくなって帰ってくることだろう。心配ではあるが、相方ならなんとかなるに違いない。気をつけて、旅を楽しんできてね。 さて。ひとり取り残された俺。相方のことをうらやましがってばかりいてもはじまらない。俺は俺で、久しぶりのひとりの時間を満喫しようと思う。
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2005年09月20日(火) ■ |
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Vol.609 墓参りに行く |
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おはようございます。りょうちんです。
今日は彼岸の入り。実家の墓参りはお盆や彼岸のたびに行くように心がけているのだが、母方の田舎の墓参りにはもう何年も行ってないことがずっと気がかりだった俺。特別信仰深いわけじゃないけれど、両親を誘って久しぶりに母の生まれた田舎へと墓参りに行くことにした。 母の田舎と言っても、同じ市内にある。車で20分ほどの隣の市との境にある辺鄙な場所なのだが、こっちに来る用事があまりないため最近はずっと訪れることはなかった。稲刈りも終わった田んぼの中のカーブの多い農道を進むと、昔とまったく変わっていないのどかな集落がそこにはあった。T字路を曲がり緩い坂を上ると、畑の中に墓地が見えてくる。久しぶりに来た、祖父と祖母が眠っている場所。 夏の間ずっと放置しっぱなしだった墓地は、鋭いひざしを十分に浴びた雑草が見事に茂っていた。俺と父は持ってきた鎌を使って、片っ端からきれいに刈っていく。使い慣れない鎌ではちゃんときれいにならないところは、手で引っこ抜いた方が早い。学生時代は校庭の草むしりなんて大嫌いだったけど、なんだか今日は楽しかった。夏に取り残された遠くの蝉の声と秋の虫の声しか聞こえない中で、気がつけば夢中で草むしりをして汗をかいている俺がいた。 俺と父が草むしりをしている間、母は線香や仏花の準備をしていた。ひととおりきれいになったあと、花を飾りお供えをして線香に火をつける。手を合わせ、俺は今は亡き祖父と祖母に向かってココロの中でつぶやいた。「ずっと会いに来てあげられなくて、ごめんね…」。 どんな宗教も俺は信じない。でも時々こうやって亡くなった人を思い出し、偲ぶことは忘れないでいたい。それがお盆やお彼岸に墓参りをしたり、仏壇に手を合わせることがきっかけでもかまわないと思う。懐かしい風景の中で大好きだった祖父と祖母のことを思い出した俺は、なんだか少しだけ優しい気持ちになれた気がした。
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2005年09月19日(月) ■ |
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Vol.608 お遍路さんになって |
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おはようございます。りょうちんです。
大学4年の冬、就職を目前に控え卒業旅行と称して俺が友人たちと訪れたのは、オーストラリアだった。俺にとっては初の海外旅行だったし、異国文化を経験できたり日本語が通じない非日常を過ごせたりで、今になってみればすべてがとても楽しかった思い出なのだが。友人のひとりが持ちかけてくれたこの企画に、最初俺は全然乗り気じゃなかった。今でこそ海外旅行も楽しいものだとココロから思えるけれど、当時の俺は日本国内にも行ったことがない場所がたくさんあるのに、海外なんてもってのほかだという固定観念にとらわれていた。 胸の奥で密かに企んでいた俺だけの卒業旅行は、四国八十八ヶ所霊場巡り。別に悟りを開きたかったわけでも宗教に目覚めたわけでもなかったのだけれど、1200kmもの長い道のりを2ヶ月かけて歩きながら、これからはじまる新しい世界に向けて俺は自分自身を改めて見つめてみたいと思ったのだ。結局、どうしてもはずせないアルバイトや大学の卒業式とかもあって日程的にも厳しかったり、貧乏学生の俺が長期の旅費を工面することもなかなか難しかったりで、友人から誘われたオーストラリアに行くことにしちゃったんだけれど。その時から、四国霊場巡りはいつの日か実現したい夢へと変わった。 そして俺は社会人になり、もうずいぶんたった。しかし今になってわかったのは、四国霊場巡りができるほどの時間が今の俺にはないということである。健脚な人でも40日はかかると言われるが、3連休を取ることさえままならない今の俺が、どうして40日間も休めよう。何度かに分けて霊場を巡る方法もあるのだが、せっかくやるならここは一気にすべてを回りたいと思うのだ。しかも早いうちに夢を実現させないと、年を取ってからだと体力的にも厳しくなってきてしまう。 もしも。今の俺に40日以上もの自由な時間が確保できたとしたら。すぐにでも四国へ向かってしまうかもしれない。いつかはお遍路さんになって四国を制覇することが、俺の捨てきれない遥かな夢のひとつなのだ。
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2005年09月17日(土) ■ |
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Vol.607 したたかに生きる彼女 |
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おはようございます。りょうちんです。
「えー、わたしですか? 実は、付き合ってからもうすぐ1年になる彼氏がいるんですよ!」。ひょんなことから彼女の恋愛話になった。普段はそんな素振りを見せない彼女の口から、彼氏がいた事実を教えられてびっくりした俺。「へぇ、知らなかったよ。で、彼氏はいくつ? どんな人?」。俺の質問に、彼女は涼しい顔で答える。「同い年なんですけど、見た目は最悪。全然かっこよくないし。デブでキモいし。性格もあんまり…」。「でも、ルックスや性格を上回る魅力が彼には何かあるんでしょ?」。そしてこの会話のあと、俺は驚愕の事実を知ることになる。 「彼の魅力? 実は彼、すごくお金持ちなんですよ!」。そう言って彼女は急に目を輝かせた。なんでもその彼はすごく羽振りが良く、彼女のためにいろんなものを買ったりおごったりしてくれるんだそうだ。この前はブランドもののバッグを買ってくれたし、今度は彼のおごりでディズニーランドにも行くと言う。 「でもさぁ、ほら、一応お付き合いしてるんだから、ラブラブな雰囲気になったり彼からそういうオーラを感じたりとか、しないの?」。俺は男としての素朴な疑問を彼女にぶつけてみた。すると彼女は、「そのへんは上手くかわしますよ。手を握られそうになっても何気に拒んだり、チュウなんてもってのほかですよ!」とあっけらかんと答えてくれた。驚きを隠せない俺に、「これって、良くないですか?」と最後にちょっとだけ不安げな表情を見せた彼女が、せめてもの救いだった。 いや、良くないとは言わない。人の価値観なんてそれぞれだし、ルックスや性格よりもお金持ちだということを重視する人がいてもいいと思う。でも、彼女はまだ高校生なのだ。この先、人をココロから本当に好きになったら、彼女にももっと大切なものが見えてくるに違いない。彼女はまだそれを知らないだけだ。 そうやって、今はまだしたたかに生きる彼女ではあるが。もう10年もしたら、きっと彼女もそんなにお金持ちではないごく普通の人と、ごく普通に結婚していくんだろうな、と俺は思った。
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2005年09月12日(月) ■ |
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Vol.606 俺と高校野球 |
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おはようございます。りょうちんです。
この夏、やっぱり俺は高校野球に盛り上がった。7月の地区予選にはじまり、8月の甲子園。熱戦が繰り広げられる中、何度も球場へ足を運びTV中継にかじりついた。しかし、そんなヒートアップした俺の高校野球熱に水を差した不祥事事件。今だってそのことについて言いたいことは山ほどあるし、問題を起こした関係者に非があるのは当然のことだが、これほどまでに暴力だ喫煙だと騒ぎ立てて大事になってしまった事実に、俺はココロから幻滅した。渦中、あんなに熱を上げていた高校野球の話題をするのもいやだったし、考えたくもなかった。しらけてしまった気持ちは、甲子園が終わったら見ようと録画しておいたビデオもそのままにさせた。俺の今まで考えていた高校野球の誠実さが、音も立てずに崩れた瞬間だった。 重い気持ちのまま、9月。秋季大会の地区予選がはじまった。観戦に行こうか行くまいか、ちょっと躊躇をしたのだが。母校の応援も含めて、俺は球場へ向かった。そこには、新チームでがんばる球児くんが試合をしていた。試合慣れしていない球児くんは荒削りなプレーが目立ち、何度もエラーをしていたけれど。一生懸命野球をする姿に、いつのまにか俺は夢中になっていた。偶然にも俺のうしろに座って応援していたのは、この夏に引退したばかりの3年生。彼らは後輩たちに声援をあげながら、突然思い出したかのように負けてしまった引退試合のことを話し始めた。 みんな野球が大好きなんだな、と俺は思った。暴力だ喫煙だ不祥事だとマスコミに踊らされて勝手に幻滅していた俺が、なんだかバカらしく思えてきた。事実から目をそむけるのは良くないけれど、問題を起こしたのはごく一部であって、高校野球そのものは相変わらずおもしろいってことは何も変わってないのだ。 実は、ずっと前から俺は「ひとりごと」では高校野球のネタは書かないよう意識していた。理由はいろいろあるのだが、でもそんなのもうやめた。俺と高校野球は切っても切れないものだし、こんなにも執着している俺がそのことに触れないなんて不自然だからだ。俺はやっぱり、高校野球に魅せられてしまった人間なのだ。
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2005年09月08日(木) ■ |
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Vol.605 社会科な一日 |
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おはようございます。りょうちんです。
台風一過の青空の下、早起きして車を出した。今日のテーマは「社会科な一日」。 1時限目、地図と測量の科学館。地図の歴史年表や測量に使う機材が展示される中、地形図を取り出して俺の住む街を探したり、パソコンを使って地図や測量に関するクイズをしたり。俺、一応大学時代に地図の勉強もしていたのでそれなりに予備知識もあったつもりだったんだけど、でもやっぱりどれもこれもが新鮮で興味を惹きつけられるものばかりだった。特に20万分の1地勢図をたくさん並べて作った球体模型には、ひどく感動。地球が丸いってことがすごく良くわかった。 2時限目、キューピー株式会社五霞工場。工場見学が大好きな俺ら。今回はマヨネーズとドレッシングを作る工場を見学した。材料の酢まで独自で作っているこだわりや、毎分600個の卵を割る機械を見てびっくり。徹底された衛生管理の中で作られる工場では、いろいろな工程を重ね完成した製品が次々と袋詰めされ梱包されていく。最後には十数種類のドレッシングを味見できるサラダバーがあり、絶品のドレッシングとサラダが食べ放題。おみやげと記念写真も撮ってもらって、大満足。 3時限目、株式会社ヤクルト本社茨城工場。工場見学第2弾は、誰もが一度は飲んだことのあるヤクルト。ぞくぞくとコンベアに乗せられできあがっていく製品を見ていると、おもしろくて全然飽きない。ヤクルトって何が原料でできてるのかとかなぜ小さな容器でしか売られていないのかとか、ガイドのお姉さんに質問ばかりしていた俺ら。ここでもおみやげまでしっかりもらって、笑顔で工場をあとにした。 4時限目、明々後日の選挙について大討論。帰りの車の中では、楽しかった思い出も振り返りつつ、間近に迫った選挙はどうするかの討論会。郵政民営化の問題点や賛否について考えたり、それぞれの政党の打ち出す政策について意見を言い合ったり。最後まで投票する政党や候補者は絞りきれなかったけれど、これからの日本をリードする政治家を決める大切な選挙と真剣に向き合う良い機会になった。 俺の過ごした「社会科な一日」、少しは賢くなったかな。
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2005年09月01日(木) ■ |
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Vol.604 竹林へ逃げろ |
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おはようございます。りょうちんです。
実家の向かいのAちゃんの家は、裏手に広い竹林がある。小学生だった時、「地震が来たらここに逃げれば大丈夫だね!」と言った俺のコトバの意味を、Aちゃんは理解していたのだろうか。 関東大震災が起こったのは1923年。もちろん俺は生まれてないが、俺の祖母はこの大地震に遭遇した。残暑が厳しかったその日、祖母は台所で昼食に食べる予定の天ぷらを揚げていた。そこへ前兆もなく突然襲った激しい揺れ。グラッと来た瞬間、祖母はいちもくさんに勝手口から外へ出て、すぐ裏の竹林に逃げ込んだ。いちばん手前の太い竹の幹につかまりながら揺れが収まるのを待つ間に、祖母は勝手口から見える火にかけたままの天ぷら油が激しい揺れのせいでばしゃばしゃこぼれているのを見ていたんだそうだ。「暑い日だったしね、天ぷらの火のそばにいたからなおさら暑くて、だから勝手口を開けっ放しにしておいたのが良かったんだよ。あのまま火のそばにいたら天ぷらの熱い油がカラダに飛び散って、大ヤケドするところだったよ。」と、今は亡き祖母はちょっと大きな地震が来るたびにその話をした。 そして、「地震が来たら竹林に逃げるんだよ。竹の根っこは見えないけれど、地面の中ではあっちこっちに網の目のようにびっしりと生え渡っているから、地震が来てどんなに激しく揺れても大丈夫なんだよ。わたしがあの時ケガひとつせずに済んだのも、竹林に逃げ込んだおかげなんだから!」と、祖母の体験した関東大震災の話は毎回こうして締めくくられるのだった。年老いた祖母の話がどこまで本当で信憑性があるものなのかはわからないが、子どもの頃から地震が来たら竹林へ逃げろというのが俺の中では常識だったし、だから家の裏が竹林だったAちゃんがちょっとだけうらやましかったりもしたのだった。 今年の夏が本番を迎えた頃、震度5弱を記録する地震があった。電信柱がメトロノームみたいに揺れているのを見て、ついに大地震がやってきたとその時俺は思ったのだが。考えてみたら、この家の近くには竹林がないことに気がついた。
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2005年08月30日(火) ■ |
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Vol.603 小包みの行方 |
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おはようございます。りょうちんです。
仕事帰りに真夜中の郵便局に立ち寄った。書類を郵送するだけだったからポストでも良かったのに、夜間窓口の開いている郵便局の前をたまたま通ったので、気がつけば足が勝手に向かっていた。夜遅くに誰もいないだろうと中に入ると、先客がいた。20歳くらいの若いカップル。どういうわけか彼らは、局員と激しくもめている最中だった。こんな時間になぜ激しく言い争っているか俺はわからなかったが、本人たちは相当熱くなっている。なんだかおもしろそうな展開になってきたので、俺は郵便番号を調べるふりなんかをしながらコトの行方を観察することにした。 話を聞いていると、もめているいきさつが少しずつ見えてきた。彼と同居している彼女の元に小包みが来た。しかし彼女はまだ転居届を出してないようで、小包みの宛て先は彼の住所なのに、宛名は彼女のものになっている。不在通知があったので引き取りに来たが、彼女は住所変更の済んだ身分証明ができるものを持ってない。宛名は彼女だが自分の住所の元に来た小包みだから引き取りたいと主張する彼。でも本人だと確認できる身分を証明するものがないと渡せない決まりだと言う局員。 決まりは決まりだからそう簡単に例外を出せないと言う局員の言い分もわかるし、自分の元へ来た小包みがすぐそばにあるのに渡してもらえないのが納得いかないと言い張る彼らの気持ちもわかる。話は堂々巡りでどちらとも一歩もひかず、お互いの主張は平行線のままだった。 局面に変化があったのは、突然彼女が泣き出したのがきっかけだった。「もう小包みなんかいらない、こんな思いをするくらいならそんなのどうでもいい!」、と涙を流したのだ。「これがないと困るのは君なんだよ、あきらめないで!」、と彼。それまでの昂ぶった声を一転させて彼女をたしなめるように彼は優しく声をかけたのだが、そんな彼を振り切って彼女は外へと出ていってしまった。 静けさが戻った真夜中の郵便局で、俺は無事に窓口で書類を郵送した。しかしあの小包みの行方がどうなったのか、彼と彼女はその後どうしたのか、俺は知らない。
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2005年08月29日(月) ■ |
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Vol.602 双子の姉妹 |
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おはようございます。りょうちんです。
俺の幼なじみに、JちゃんとMちゃんという双子の姉妹がいる。俺よりもたった数日彼女たちの方が早く生まれただけなのに、俺が4月の初め、彼女たちが3月の終わりが誕生日ということで、学年でいえば彼女たちの方がひとつ年上だった。 小学生の頃、良く遊ぶ友達の中に彼女たちも含まれていた。ドッヂボールや缶蹴りをして、俺もJちゃんやMちゃんも日が暮れるまで夢中で遊んでいた。さすがに双子だけあって、ふたりともとても良く似ていた。顔つきはもちろんのこと、髪型も背格好もそっくりで、ふたりがおそろいの服を着ている時もしょっちゅうだった。双子なんてそうそういるもんでもないから、JちゃんやMちゃんと呼ぶよりも「双子ちゃん」とひと括りに呼ばれる方がみんなにはピンと来たし、たまにしか遊ばなかったちょっと遠くの友達は、ふたりの見分けがなかなかつかなかったようだ。 でも当時、いつも一緒に遊んでいた俺は、ふたりを見分けることなんてたやすかった。Jちゃんに比べると、Mちゃんの方が少しだけ目が細いし、走り方にもちょっとだけクセがある。しかしそんな具体的な違いを例にあげなくても、子どもの俺は彼女たちの放つ雰囲気から、直感的にふたりを見分けることができたのだった。それは俺だけに言えることではなく、当時遊んでいた友達のほとんどがほぼ間違いなく見分けることができた気がする。 先日お盆で実家に帰った時、お墓参りに行って久しぶりにJちゃんとMちゃんに会った。ふいに俺の名前が呼ばれて振り返ると、そこにはちょうちんをぶら下げたJちゃんとMちゃんが、あの頃と同じようにふたり並んで笑顔で立っていた。コトバを交わしたのは、もう20年以上も昔だったかもしれない。それでも俺のことがすぐにわかったのは、俺はあの頃と全然変わっていないということなのだろうか。そして俺は、どっちがJちゃんでどっちがMちゃんだったのか最後まで見分けられなかったのだが、それは夕闇の中でぼんやりと揺れるちょうちんの灯りが弱かったからだということにしておこう。
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2005年08月25日(木) ■ |
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Vol.601 育てていくということ |
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おはようございます。りょうちんです。
高校時代の友人Yさんから、久しぶりにメールが来た。彼女はいつのまにか結婚して、なんと先日女の子を出産したとのこと。これで高校時代の仲良しグループのうち、まだ結婚してないのは俺だけになった。ま、ひとり暮らしじゃなくなった今の俺の生活が、実質結婚しちゃってるようなもんだから別にいいんだけど。そういう意味では、前ほど結婚そのものに憧れなくなったような気がする。 今回の彼女の出産も含めて、俺の友人たちは今、続々と出産ラッシュだ。30歳を過ぎると、結婚という段階を経て、そろそろ家族を増やすという段階に入るのが普通なのかもしれない。男女関係なく、俺の友人たちは今まさに親になってきている。ホントは俺ももう、そういう年頃なのだ。 しかし、親になるということはものすごく大変なことだと思う。かわいいだけじゃ親にはなれない。自分のことよりも、まず第一に生まれてきた子どものことを考えなくちゃならないのだ。どんなに疲れていてもどんなに眠たくても、たとえ自分がどんな過酷な状態にあっても、そんな自分よりもまず子どものことを考えて動かなくてはならないのだ。しかも、それが子どもが大人になってちゃんと責任を取れるようになるまでずっと続く。そうやって自分の身を投げ打ってまで子どもを見守ること、それが育てていくということなのだと俺は考えている。 正直言って、自分のことも全部やりきれていない俺が、親になる自信なんて今は全然ない。自分のことさえろくにできない現状なのに、それを差し置いて子どものことを考えるなんて、今の俺にはそこまでまだ余裕がないのだ。だから、俺は当分親にはなれない。というか、万が一俺の子どもが生まれてきたとしても、俺みたいな親に育てられた子どもは絶対にろくな大人にならないだろう。もっと俺がしっかりして、自分の子どもを最優先で考えられるくらいになったら、俺は初めて自分の子どもを本気で育ててみたいと思う。 さて、しっかりもののYさんだから、ママになる前から親になる覚悟は十分できてたんだろうな。ご出産、おめでとう!
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