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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年01月17日(火)
Vol.630 カンが強い

おはようございます。りょうちんです。

これを読んでいる人の中には、正月に俺の年賀状が届いた人もいると思うが。今年の俺の年賀状には、32年前の俺、当時1歳の俺自身の写真がプリントされている。
最近、結婚式や我が子の写真をプリントした年賀状をもらうことが非常に多くなった。友達の結婚や出産のニュースを年賀状で知るのはとてもうれしいのだが、同時に少しうらやましくもあった。でも残念なことに、俺は結婚もしてなければ子どももいない。だったら自分の赤ちゃんの頃の写真を使って年賀状を作ってしまえと冗談でやってみたら、これが予想以上に良い作品に完成したのだ。案の定、「りょうちんとそっくりだから、知らないうちに子どもが生まれたかと思った!」なんて騙されかけた友達もいるほどで、俺としてはしてやったりと思わずにはいられない。
さてこの年賀状、実家の両親宛てにも出してみた。32年前の俺とはいえ、さすがに我が子のことはひと目見てすぐにわかったようで、父も母も良くできていると大笑いしていた。ところでこの俺の写真、にこにこ笑っている俺ではなくて、眉間にしわを寄せて今にも泣きそうな写真を俺はあえて選んだつもりだったのだが。そのことを父に言うと、父は笑いながらこんなことを話しはじめた。「これは別に機嫌が悪かったんじゃないんだよ。おまえはカンの強い子だったからね、すぐに眉間が険しくなってこんなしかめっ面になっちゃうんだよ!」。あれっ、俺って、ちびっこの頃は素顔が泣き顔だったのか? なんていぶかしがりながらも、意味のわからなかった「カンが強い」とはどういうことなのか、家に帰って改めて調べてみた。
「カンが強い」の「カン」は、漢字で書くと「癇」。「癇癪持ち」の「癇」である。つまり「癇が強い」とは、神経質で感情の起伏が激しく、興奮して良く泣きなかなか眠らない、といった意味だそうだ。たしかに俺は、デリケートで周囲に敏感な赤ちゃんだったと聞いたことがある。でもそれが、こんなふうに顔に出てたなんて。知らなかった自分の過去に、ちょっとびっくりした。それを知った相方のひとこと。「りょうちん、今でも十分に癇が強いよ…」。え、それって…?



2006年01月14日(土)
Vol.629 暗くなるまで待って

おはようございます。りょうちんです。

映画好きな人はたくさんいるが、俺はほとんど映画を見ない。俺が最後に映画館に行ったのは、もう5年以上も前のことになる。映画が嫌いなわけではないのだが、映画をゆっくり見るほど時間の余裕がないのが現状なのだ。だがそれよりも、高いお金を払って映画館で映画を見るより、時間があるならもっとアクティブに外で活動したいと思ってしまうのだ。だからビデオやDVDを借りてきて、家で見ることもめったにない。そんな俺が、先日ある映画のDVDを借りた。オードリーヘップバーン主演の、「WAIT UNTIL DARK」。邦題では、「暗くなるまで待って」。
今から7〜8年前になるだろうか。TVを見ていたら偶然その映画がはじまった。特に期待をするわけでもなく、最初はぼんやりとストーリーを追っていただけだったのに。気づけば話にどんどん引き寄せられ、目が離せなくなっている俺がいた。
こんなにまでこの映画に惹きつけられた理由は、単に話がおもしろかったからだけではない。ほとんど全部が部屋の一室だけで撮影されていたり、真っ暗な映像が広がり音声のみで話が進んでいったり。映画通とはまちがっても言えない俺だが、今まで見てきた映画とはまったく違うタイプの斬新さが各所にあって、思わず俺をうならせたのだった。俺はその作品のあまりに高い完成度に、数日後再びビデオをレンタルしてきて改めてじっくりと見たのを覚えている。
そんな話を相方にしたら、相方もその映画をぜひ見てみたいと言い出した。オードリーヘップバーンが主演している映画は数々あるけれど、この「暗くなるまで待って」は彼女が出ている作品の中でもマイナーな部類に入るのかもしれない。そんなわけでこのDVDを借りてきて、再び見よういうことになったわけだ。
おもしろい作品だったということはしっかり覚えていたのに、最後に見たあの時からずいぶん時がたったため俺の記憶もかなり曖昧で、どんなストーリーだったのか忘れかけていたのだけれど。数年ぶりに見る「暗くなるまで待って」は、やっぱり文句なしにおもしろかった。いつまでも名作は名作なのだ。



2006年01月11日(水)
Vol.628 小さな命

おはようございます。りょうちんです。

彼は21歳のフリーター。彼女は19歳の大学生。付き合いはじめてもうすぐ1年がたつふたりに、ある日事件は起きた。彼女のおなかの中に、小さな命が授かっていることが判明したのだ。彼は父親になる重大な決意を固め、彼女は生まれ来る命を育てていく覚悟をした。まだ若きふたりは新たに芽生えた小さな命に夢を見出し、未来に希望を託して喜びを分かち合った。
しかし、話はすんなりとは進まなかった。彼女の両親がこの話に待ったをかけたのだ。二十歳前のまだ学生の身分である娘が、突然母親になるなんて考えられない。娘はまだ苦労も知らないし世間も知らない。しかもその相手は、定職にも就いていないフリーターだ。このまま話を進めればきっと彼女はこの先苦労するだろうし、生まれ来る子どもも不幸になるに違いない。そう言って彼女の両親は強く反対し、このことはなかったことにしてほしいと懇願しているとのことだった。
話を聞いて俺はまず最初に、命が宿ったことに対してココロから祝福をした。聞けば、祝福されたのは初めてだと言う。最強の味方だと思っていた両親からも相談した知人からも反対され、誰からも祝福されなかった彼女は、俺のおめでとうのコトバに涙を流していた。
そして俺はこう続けた。親として子どもを育てていくのは、とても大変なこと。でもその決意をふたりが固めたのなら、大切な命を潰すなんて誰にもできるはずがない。あとは生まれ来る子どもをいかに幸せに育てていくか。そのためには親である君たちやまわりにいる人々が、どうすれば子どもにとって恵まれた環境にしてあげられるのか、それを努力していくことが大切。だから苦労は必ずついてくる。ふたりが親としておなかの中の子どものためにすべき最初の難関は、もしかしたら彼女の両親を説得することなのかもしれない。そういって俺は、彼と彼女を応援した。
この話の主役は彼女の両親ではなく、彼と彼女と彼女のおなかに宿った小さな命。勝手な言い分で大切な命をたやすく潰すだなんて、絶対に間違っているのだから。



2006年01月08日(日)
Vol.627 軽井沢

おはようございます。りょうちんです。

2ヵ月前。軽井沢へみんなで紅葉を見に行こうという話に俺が乗ったのは、本当は元気のない友達を励ますためだとこっそり教えられたからだった。仕事が忙しく俺の方こそいっぱいいっぱいの毎日を送り始めていた頃で、最初はそんな誘いも断るつもりでいたのだが。離婚したことをなかなか打ち明けられず、新たに出会った最愛の人が急死し、仕事でのトラブルにも悩んで、不幸続きですっかり落ち込んでしまった大切な友達を少しでも元気づけてあげたくて、俺も軽井沢へと向かった。
彼女は、思ったよりも元気だった。くだらない話で笑ったり、おいしいものを食べて喜んだり、以前の彼女と何も変わらないように見えた。しかし夜が更けてお酒の量が多くなってくると、彼女は背負った傷をぽつりぽつりとゆっくり俺らに話しはじめた。絶望の底に突き落とされてどうしていいかわからなくなったこと、今でも辛くて悲しくて時々泣いてしまうこと、その痛みもだんだん和らいで少しずつ前向きになれたこと、復帰した職場での人間関係が上手くいかずそれが新たなストレスになっていること、でも落ち込んでいる自分を誘い出してくれた俺らに感謝していること。穏やかに話す彼女のコトバに、俺らは静かに耳を傾けていた。
翌日。俺らは鮮やかに色づいた木々を見たり、自転車に乗って湖に行ったり、お土産屋さんを見て回ったり。そんな中で彼女は、本当に良く笑っていた。何かが吹っ切れたように、大笑いの連発だった。「こんなに大笑いしてばかりなのはホントに久しぶりだよ!」と、彼女は自分でも言っていた。笑っている彼女を見て、俺もうれしくなった。無理してでも軽井沢に行って良かったと思った。
軽井沢から帰ってくると一段とあわただしい日々の連続で、ココロに余裕がなくなった俺もひどく落ち込んだ毎日を過ごすようになった。それでも今日までなんとかやってこれたのは、あの日彼女の痛みを聞いたからなのかもしれない。必死でがんばる彼女を見たからなのかもしれない。ココロのどこかで、ずっと俺はそう思っていた。軽井沢で救われたのは彼女ではなく、実は俺の方だったようだ。



2006年01月06日(金)
Vol.626 Go Ahead!

おはようございます。りょうちんです。

年の初めに、その年の目標となるテーマを考えることを毎年の恒例にしている俺。去年は「CLEAN」、おととしは「Return to Myself!」、その前は「なりたい俺になってやる!」、4年前は「どきどきしよう! わくわくしよう!」。掲げたテーマどおりの年だったかどうか、年末に俺は反省しつつ振り返ることにしている。
さて、今年の俺のテーマは「Go Ahead!」。軍隊用語で「前へ進め!」の号令の合図。青信号の「進め!」の合図でもある。とにかく今年の俺は、少しでも前に進んでいきたいと考えている。
俺はよく、「がんばれ!」を口にする。いつだって俺はがんばっているし、誰かにエールを送る時は「がんばれ!」と励ましてきた。でも、がんばるだけじゃダメなこともある。極端な例をあげれば、数学のテストがあるとして、なのに英単語を一生懸命覚えたって、がんばる方向が違う。結果がすべてじゃないけれど、がんばったことがすべて無駄になるのならそれは意味がない。少しでも前に進んでいなければ、がんばっても骨を折るだけなのだ。だからどうやってがんばれば最終的に前に進むことができるか、そういうことまで考えた上でがんばっていきたい。目の前にあることだけをがんばるのではなく、どうすればより前に進むことができるのか、効率良くがんばるにはどうすべきなのかを計算しながらがんばっていきたいのだ。
そのためには、がんばって仕事もするけれど、がんばって手も抜きたい。がんばって新しいことにもチャレンジしたいけれど、がんばって今まで培ってきたことも大切にしていきたい。がんばって頭もフル稼働したいけれど、がんばってバカにもなりたい。そういう取捨選択をした上で、最終的に俺が決めたことがすべてプラスの方向になるように、がんばっていきたいと思う。そして年末に今年を振り返る時、がんばってきた俺が今より少しでも前に進んでいることを願う。
やることが多くて忙しいのは今年も変わらないだろう。でもこの勢いにブレーキをかけることなくさらに前に進むために、俺はこの目標を掲げる。さぁ、Go Ahead!



2006年01月01日(日)
Vol.625 2005年を振り返る

おはようございます。りょうちんです。

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
例年のごとく、目が回るほどにあわただしかった俺の年末。ばたついた中でゆっくり2005年を振り返るなんてできるわけもなく、おまけに気分的にもかなりへこんでいる最中だったから、今年が明けたばかりの今の段階ではじっくり考えて去年一年の総括を記すことはまだ難しいけれど。それでも毎年のように点数をつけるとすれば、2005年の俺には85点の点数をつけてあげたい。
思い出してみれば、いろんな意味で活動の範囲を広げた一年だった。思いのほかアクティブにいろいろな場所を訪れていたし。2月には流氷を見に知床へ、3月にはセンバツを観戦に甲子園へ、5月には家族旅行で福島へ、6月には愛・地球博のため愛知へ、8月には登山をしに富士山頂へ、11月には友人に会いに軽井沢と長崎へ。無理して連休を取るたびに、どこかへ遠出をしていた気がする。大好きな高校野球観戦も、センバツの甲子園からスタートを切った去年は、一年間で55もの試合を各球場にて生で観戦することができた。
今まで俺がやらなかった、新しいことをはじめた一年でもあった。大嫌いなマラソンに取り組んで大会に出場したり、年頭に目標として掲げた「CLEAN大作戦」を実行したり。これらはなかなか思うようにいかなかった部分もあるのだけれど、これからも長期的にじっくりと自分のものにしていきたいと考えている。
それにしても、仕事面もプライベートもとにかくあわただしい年だった。5月から相方と一緒に暮らしはじめたためライフスタイルがそれまでとは大きく変わったし、秋からは仕事がとてつもなく忙しくなって気分的にもかなり落ち込んでしまった。ゆっくりと休むことができず、一年中常に駆け続けていた俺だった気がする。
中身の濃い凝縮した2005年だったけれど、忙しすぎて終盤はオーバーヒートしちゃった俺だけれど、そういうことも含めて去年の俺には合格点の85点をつけたいと思う。さぁ、今日から2006年。俺の2006年は、いったいどんな一年になるのか?



2005年12月29日(木)
Vol.624 憂鬱の海の中で

おはようございます。りょうちんです。

思い出そうとしても、いったい根本的な原因は何だったのか、今になってもまったくわからない。ただ、いくつもの小さな不安やうまくいかないいらだちなどが幾重にも絡み合って、気がつけばそれがとてつもなく大きな憂鬱になり、俺のココロを苦しめていた。ひどく落ち込んでいく日々は、来る日も来る日も容赦なくやってきた。憂鬱の海の中でもがき続ける俺は、もうどうしたらいいのかわからなかった。必死で何かをつかもうとあがいてみるものの、辛さはどんどん増していくばかりだった。そして木枯らしの吹きすさぶ空が高く晴れ渡った晩秋のあの日、俺はすべてを投げ出した。
夏に立てた誓いも、日々の日課も、この「ひとりごと」も、習慣として当たり前になっていたことですら、あの日から手をつけることを拒んだ。気持ちや欲望をいっさい殺し、やらなくてはならないことだけを淡々とこなすだけの毎日が続いた。そんな生活はまるで機械の歯車のようで、もはや俺は死んだ人間だった。俺が俺ではなくなっていた。でも俺にはそうするしかなかった。それでも問題は何一つ解決するはずもなく、むしろ次から次へと新たな憂鬱が生まれてくるように思えてしまうのだった。現実から逃げ出せることができたらと口にしたりして、みっともない俺の弱さを隠すことも忘れるほどに、ブルーな気持ちに締めつけられた。
色付いた街路樹も例年より早く吹いた強い北風で葉を落とし、あっという間に季節は秋から冬に変わった。俺はなんにも変わることができないままで。それでも、いつのまにか俺のココロに少しだけ余裕が出てきたのかもしれない。最近は友達にメールをしたり、こうやって久しぶりに「ひとりごと」を書いたり、以前のような穏やかな気持ちにちょっとずつ戻っていっているような気もする。今日は年賀状だって書いた。今の俺の目標は、以前のような俺らしさを取り戻すこと。気持ちはまだまだ不安定だけど、あせらずに、一歩ずつ。ゆっくりと、少しずつ。前向きに進んでいかなくちゃ、俺じゃない。俺はまだまだ、負けたりしないもんね。



2005年11月08日(火)
Vol.623 はじめてのライブ

おはようございます。りょうちんです。

歌手の本田美奈子さんが白血病のため亡くなったというニュースには、俺も本当に驚かされた。俺は彼女の特別なファンではないのだが、彼女にはちょっとだけ思い入れがあったりする。
中学3年生の夏休み。といっても、あと数日で9月になり2学期が始まる直前だったと記憶している。俺の生まれてはじめてのライブ体験は、本田美奈子さんのコンサートだった。母がどこかから手にしたライブの招待券を、俺にくれたのだ。当時の俺は、彼女のことが特に好きだったわけではなかったのだが、いつもTVで見ているアイドルに直接会えるという理由だけで、友達を誘いライブ会場へ向かった。
大人は誰も付き添わず、友達とだけでわざわざ遠く電車に乗ってどこかに行くという冒険が、中学生だった俺には楽しくて仕方がなかった。その日だけは特別に、受験勉強からも夏休みの宿題からも開放された気分だった。蒸し暑い夏の夕暮れにライブ会場に着いた俺らは、これからはじまる未知の世界に期待でドキドキが止まらなかった。やがてライブがはじまり、俺らは大音量の彼女の歌声に圧倒される。ステージ上を縦横無尽にパワフルに動き回る彼女に、俺らはとても興奮した。そして気がつけば総立ちのオーディエンスの波の中で、知っている曲を一緒に歌い、叫び、リズムに乗って拳を突き上げている俺がいた。
「あぁ、ライブってすごく楽しいものなんだなぁ!」。熱気が冷め切れない帰り道、つくづくそう思ったのを俺は覚えている。そしてその日をきっかけに、その後の俺は現在に至るまで数々のライブへと足を運ぶことになる。そういう意味では、大げさかもしれないが、俺にライブの楽しさを教えてくれたのははじめてのライブで出会った本田美奈子さんだったと言っても過言はないのかもしれない。
まだ38歳。旅立つには早すぎる。彼女の訃報がニュースで流れるたびに、あの日に歌ってくれた「Oneway Generation」や「孤独なハリケーン」が、俺の胸でリピートする。ココロからご冥福をお祈りします。



2005年10月22日(土)
Vol.622 秘境の温泉

おはようございます。りょうちんです。

大学4年の秋、ふいに日本海が見たくなった。九十九里の海は毎年見るのに、それまで日本海を見たことが実はなかったのだ。突然の思いつきから簡単な荷物だけを車に積めこむと、俺は17号線を北へ北へと進んでいった。早朝に家を出た俺の車は途中何度かの休憩を取りながら、すっかり日も暮れた頃に新潟県の柏崎に着いた。漆黒の闇に広がる夜の日本海はその時はよくわからなかったのだが、一夜明けると朝日に照らされて眩しく輝いていた。遥か向こうには佐渡島も見える。気持ちのいい海風の中、ひとりで俺は朝の海岸で穏やかな波の音を静かに聞いていた。
さて。目標を達成した俺は、帰り道はどのルートを取ろうかと考えた。同じ道を辿るのはつまらない。時間はまだたっぷりある。急ぐ必要はないのだ。せっかくの遠出を存分に楽しみたい。それなら温泉巡りをしながら帰ることにしよう。そう決めた俺は日本海沿いの国道を離れ、次の目標を点在するいくつかの山あいの温泉地に定めて、今度はゆっくりと南下することにした。やがて山間部に進むにつれ標高が上がってくると、次第に窓の外の木々たちは色づきはじめた。まさにちょうど、秋の紅葉シーズン。車を止めて思わず見入ってしまうほど鮮やかに色づいた景色が、カーブを切るたびに目に入ってくる。来る時に通った三国峠の紅葉もすばらしかったけれど、山奥でひとり占めできる絶景にはかなわないと思った。
いくつめの温泉地だったろうか。車を止めて数十分も歩かなければ辿り着かない秘境に、その温泉はひっそりとあった。そこから見る景色は、すばらしすぎて思わずコトバを失った。見渡す限り赤や黄色に彩った木々は、遠くの麓まできれいなグラデーションで広がっている。誰もいない露天風呂はかなりぬるく、長時間絶景を眺めるのに最適だった。あとで調べると、雪が降るとそこは閉鎖してしまう温泉だそうで、俺が訪れた時は冬が来る前の最後のシーズンだったことが判明した。
またあの紅葉を見に秘境の温泉を訪れたい。10月の終わりになると、毎年そう思うのだが。今年も夢は叶わないまま、あの温泉地は雪の季節を迎えてしまうようだ。



2005年10月21日(金)
Vol.621 チケットゲット大作戦

おはようございます。りょうちんです。

先週、リーグ優勝を賭けたホークスとの決戦をパブリックビューイングで応援した俺は、その後さらにマリーンズ熱が上がってしまった。そしてまさに今、リーグ優勝を決めて千葉全体がマリーンズカラー一色に染められている中で、ヒートアップした俺の気持ちもけして冷めることを知らず、なおも熱は上がるばかりである。
ここまで来たら、日本シリーズもぜひ生で観戦したい。しかも対戦相手はタイガースなのだ。なんとも魅力的な敵陣ではないか。マリーンズもタイガースも、ともに両リーグの最弱チームなんて言われた時代もあったあの頃、誰がこの戦いを予測できただろう。ゲームの行方はもちろん、最もコアで熱狂的なファンがいると言われている両チームの応援も、絶対にはずせないところだ。しかも決戦の場所は、すぐ近くのマリンスタジアム。これはもう、仕事を放ってでも観戦する価値がある。
しかし残念なことに、チケットの先行販売はすでに終わっている。一般販売は、きっとものすごい倍率になるに違いない。でも仕方ない。相方にも手伝ってもらい、俺のパソコンとケータイ、相方のパソコンとケータイ、それに家の電話の計5つのアイテムをフルに使って、いよいよチケットゲット大作戦は繰り広げられた。
早起きして、販売開始数分前からアクセススタート。すでにパソコンは繋がりにくくなってるし、電話も回線が混み合っているとの音声が流れてくる。それでもあきらめず何度もアクセス。繋がることを祈りながら、イライラした気持ちを抑えつつ手だけは忙しく動かしていた。だけどやっぱり繋がらない。きっと数え切れない多くの人が俺らと同じことを、今同時におこなっているんだ。負けてられない。「ただ今混み合っております。しばらくたってからお掛け直しください」のアナウンスに、「しばらくたってからじゃ売りきれちゃうんだよー」なんてツッコミをいれつつも、格闘は1時間続いた。そして、「すべての販売を終了致しました…」のひとことで、俺らの敗北があえなく決定。撃沈。チケットゲット大作戦は、見事に失敗に終わった。あーもう、明日から始まる日本シリーズ、見に行きたかったのにな!