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2006年03月02日(木) ■ |
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Vol.640 真夜中の開放 |
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おはようございます。りょうちんです。
おととしの夏は、アテネオリンピックのせいでTVに釘づけになった俺だったが。今年の冬はあの時と同じように、トリノオリンピックのせいで毎晩TVに夢中になった俺だった。真夜中の放送が多かったにもかかわらず、仕事から帰ってくるとすぐにTVのスイッチを入れ、スキージャンプだカーリングだフィギュアだと連日連夜繰り広げられる熱い戦いにのめりこんでいた。眠気と戦いつつ観戦していると、いつのまにか遅い夜明けが近づいて空が白みかける頃になっていて、あわてて布団にもぐりこむこともあった。冬の大会でも、やっぱりオリンピックはおもしろい。 しかし俺が冬季オリンピックをこれほどまでしっかり見入ったのは、実は今回がはじめてである。長野でオリンピックが開かれて日本中が非常に盛り上がった時でさえ、俺は仕事が抜け出せなくてその波に乗りそこなっている。今思えばとてももったいない話だ。仮に今日本でオリンピックがおこなわれるとしたら、俺は仕事を休んででも観戦に行きたい。2016年、東京か福岡でオリンピックやらないかな。 ところで、出場する選手を見ているとやっぱり日本の選手たちを応援したくなるのは当たり前だが、今回俺と相方は名前がおもしろいからとか友達に似ているからとか、そんなくだらない理由で日本の選手だけじゃなく他国の選手も応援したりしていた。白熱する戦いそのものがおもしろいのはもちろんだが、そういう視点から応援する選手を決めて大騒ぎしながら観戦するのも楽しかった。 トリノオリンピックが閉幕してからすでに数日が過ぎた。真夜中のTV中継がなくなり、これでやっと睡眠不足に悩まされなくなると思っていたのだが、実のところ真夜中の開放が今はなんだかとても寂しく感じる。今までみたいに仕事から帰ってきてTVのスイッチを入れても、もうオリンピックは何もやっていない。知らないうちに真夜中のTV観戦が日課になっていて、それをとても楽しみにしていた俺になってしまっていたようだ。次のオリンピックが、とても待ち遠しい。
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2006年02月23日(木) ■ |
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Vol.639 ホドリを探して |
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おはようございます。りょうちんです。
ホドリとは何か、覚えている人はいるだろうか? 今まさにトリノでオリンピックが開かれているが、今から18年前に韓国のソウルでオリンピックが開催された時、そのマスコットキャラクターだったのがホドリである。虎がモチーフになっていてお世辞にもけしてかわいいとは言えないキャラクターだったためか、ロス五輪のイーグルサムやモスクワ五輪の小熊のミーシャに比べると認知度も低くどうしてもメジャーにはなれなかった気がする。 ソウル五輪の直前に父がソウルに旅行に行った際、まだ赤ん坊だったいちばん下の弟にホドリのぬいぐるみをおみやげに買ってきた。弟はそのぬいぐるみをとても気に入ったようで、いつも「ホドリ、ホドリ」と言って肌身離さず抱いていた。大きくなるにつれてさすがにずっと抱いていることはなくなったが、小学生の頃にはまだ部屋の隅に飾ってあって、弟の宝物だったようだ。しかし大切にしていたそのぬいぐるみも、実家が火災に見舞われた時に焼失してしまった。 それから。今度は社会人になった俺が、ソウルに旅行に行くことになった。今からもう7年も前のことだ。ソウルに行くにあたって、おみやげは何が欲しいか弟に聞いてみると、弟は「ホドリが欲しい!」と即答した。火事で焼いてしまったぬいぐるみは、やっぱり彼の中で思い出深いものだったのだ。できることならもう一度あのホドリのぬいぐるみを手にしたいという弟の気持ちは、痛いほどわかった。 ソウルにて、俺は時間の許す限りホドリを探した。しかし、デパートに行ってもソウルでいちばん大きな玩具店に行っても、ホドリはもう置いてなかった。そりゃそうだ。ソウルオリンピックが終わってすでに10年以上たち、それほど人気も出なかったキャラクター商品をずっと扱っているはずがない。今長野に行ってスノーレッツを探しても、簡単に出会えないのと同じだ。俺は仕方なくホドリをあきらめた。 だけど今でも、俺はホドリを探している。どこかにホドリのぬいぐるみがあるのなら、ぜひ手に入れたい。幼い頃の思い出の宝物を、もう一度弟に見せてあげたい。
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2006年02月21日(火) ■ |
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Vol.638 ヘルシー強化 |
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おはようございます。りょうちんです。
1月は、ヘルシー強化月間と決めていた俺。なぜならば、1月末に恒例の健康診断があったからである。去年の健康診断でコレステロール値が異常なため「要精密検査」と診断され、その後病院で栄養相談を受けてから、俺の食生活は以前と比べるとかなり変化した。食欲のない朝も牛乳を口に含んでから仕事に向かうようになったり、脂っこいものや甘いデザートや卵を極力控えたり。それでも忙しさに紛れて1日1食になってしまうことや、おいしそうなデザートの誘惑に惑わされたこともなかったとは言いきれないけれど。とにかく俺は、健康な食生活を心がける気持ちは常に忘れずにいて、食べるものにはずいぶん気を遣うようになったのだ。 特に先月は、今まで以上に気を遣っていた。野菜の高騰にも負けず野菜中心のおかずをできる限り作って食べたし、隣で相方がおいしそうにエクレアなんかを食べていても、健康診断が終わるまでとココロに言い聞かせデザートは我慢してきた。そしてついにやってきた健康診断。ずっとがんばってきた努力が、この診断によって数字となって現れるのだ。俺は満を持して健康診断に挑んだ。 そしてその結果が、先日俺の元に返ってきた。緊張しながら封を開ける。こんなにどきどきしながら開封するのは、受験の合格発表の時以来かもしれない。で、結果は…。前回の「要精密検査」よりは2つランクの低い、「要注意」。前回よりも大幅に数値は正常値に近づいてはいるが、それでもまだほんの少しだけ正常値より高い値が記されていて、そのため「要注意」の診断がされたようだ。以前よりも健康なカラダになってきているのは確かだし、「要精密検査」の最悪な結果じゃなかったから良かったとちょっとだけ安心して胸をなでおろした反面、結構がんばったのにまだ「要注意」かよと、正直がっかりした気持ちにもなった俺。 健康診断が終わり結果が出るまでの間、引き締めていた気持ちが少しだけ緩んで、ここんとこちょっと不健康な食生活になりがちだったけど。「要注意」の結果に、満足なんかしていられない。俺のヘルシー強化は、まだまだ続く。
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2006年02月13日(月) ■ |
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Vol.637 このままでいいのだろうか? |
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おはようございます。りょうちんです。
俺はこのままでいいのだろうか? なんだかわからないけれど、突然自分の将来にとてつもない不安を感じてしまった。自分の今の環境や仕事に、けして不満を持っているわけではない。毎日がすごく忙しく充実していて、とても楽しく暮らしている。でも、今のようなただ楽しく過ぎてゆく毎日が永遠に続くわけがない。少しでもより幸せな日々が長く続くように、今すべきことが他にあるのではないか。 今日まで俺は、自分の信じてきた道を歩いてきた。就職も転職も相方と一緒に生きていこうと決めたことも、すべてが自分で決めたことで、今でもそれが間違っていたとは絶対に思ってない。でも、俺が歩んできた道だけが正しいとは限らない。俺の選ばなかった道が間違いではなかった可能性だって、十分にあるのだ。 就職活動をしていた時、希望の大手企業から内定が出ていたにもかかわらず、突然公務員になると寝返った友人がいる。「親がうるさいからね」と彼は言っていたのだが、俺は内心「どうしちゃったんだよ?」と不思議でたまらなかった。だが今になって考えてみれば、あの時寝返った本当の理由はわからないけれど、彼の選んだ道もけして間違いではなかったと確信している。今では市役所で立派に働く彼を見ていると、そう思わずにはいられない。 将来のことを考えるのが、とても苦手な俺である。10年後の自分なんて、見当すらつかない。だけど10年後も今以上に幸せに充実した日々が過ごせていられるように、今こそ何かをすべき時なのかもしれない。毎日の忙しさの中で何もできないでいると、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないのだ。そんなどうしようもない不安が、どこからともなく闇雲に突然押し寄せてきたのだ。 かと言って、すぐに答えが見つかるわけでもない。何かをはじめようと焦ったって、何からはじめていいのかもまだわからないのだ。明日になればまた毎日の忙しさに紛れて、不安は霞んでしまうだろう。でも、見えないふりをして不安から目を背けてごまかしてばかりいても、永遠に動き出すことはできないのだ。
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2006年02月09日(木) ■ |
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Vol.636 推理小説を読むように |
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おはようございます。りょうちんです。
電気屋さんに行くと、最新式の電化製品の数々に驚かされる。水蒸気で食材を加熱するウォーターオーブンとか、野菜の発育を促したり鮮度を長期に保てる冷蔵庫とか。科学の進歩が早過ぎるのか、俺がその流れについていけてないだけなのか。 先日、仕事をしながら何気にFMを聞いていると、ケータイの機能をちゃんと使いこなせているかどうかについて話していた。恥ずかしい話、俺は自分のケータイを10%も使いこなせていないと思う。おさいふケータイやデコメールなんて名前しか聞いたことないし、写真を撮って大喜びしているくらいじゃまだまだ青いに違いない。ケータイ自体にそもそも興味があるわけじゃないけれど、電話とメールができれば十分という考え方は、もう捨てるべき時なのかもしれない。ケータイについているさまざまな機能の使い方をちゃんと理解した上で、自分には必要ないと判断して使わないのならまだしも、使い方が良くわからないから自分には必要ないと判断するのは単なる逃げである。せっかく毎日手に触れているケータイ、使える機能をちゃんと使わないともったいない。 そこで、ケータイの機能をフルに使いこなすにはどうしたらいいか、FMでは話が進んでいた。いくつか紹介された方法のうち、俺が気になったやり方。それは、ケータイ購入時に一緒についてくる分厚い取扱い説明書を、推理小説を読むように最初から最後までじっくり読んでみるというやり方。わからないところにぶつかったら、犯人の謎を解くようにケータイを片手に実際にやってみるというのだ。これで40代のとある主婦はケータイの使い方を完全にマスターし、今や友達の主婦仲間からちやほやされているとまで言っていた。 取扱い説明書なんてはなっから読む気がなかった俺にしてみれば画期的な荒業ではあるが、推理小説を読む気になれば分厚い取扱い説明書も読破できそうな気がする。よし、次の愛読書はケータイの取扱い説明書に決めて、しっかり使いこなせるようにがんばってみるか。
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2006年02月08日(水) ■ |
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Vol.635 インフルエンザか知恵熱か |
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おはようございます。りょうちんです。
俺も相方もけして流行に敏感なわけではないのに、毎年この季節になると必ずちまたで流行り出すインフルエンザのウイルスを、相方がどこからともなく頂いてきた。38.5℃の熱が出たと病院に連れていくと、検査の結果インフルエンザA型にかかっていることが判明。特効薬とされるタミフルを処方されて服用するも、その夜には40℃の大台に手が届くほどにまで熱が上がり、一昼夜うなされ続けていた。 プリンとヨーグルトが食べたいと言うので仕事帰りに調達し、りんごは小さく切ってほしいと言うのでスズムシのエサよりも小さく刻み、数々の看病の甲斐もあって翌日には熱も37℃台まで下がる。でもまだ節々が痛んだり咳や鼻水が止まらなかったり食欲もなかったりとその他の症状が深刻で、当分は仕事もできないようだ。 ところが、相方の発病から3日後。今度は俺のカラダに異変が起きた。なんだかちょっとぞくぞくすると思ったら、徐々に熱っぽい感覚に。激しい寒気と戦いながらどうにか仕事を終えて家に着くと、急いで熱を計ってみた。39.2℃。やられた。相方のウイルスに、俺も感染したのだ。そりゃ無理もない。この部屋にはウイルスが大量に存在する。しかも、インフルエンザに感染した病人と密室の中でともに数日間過ごしてきたのだ。俺が感染し病に倒れるのも、時間の問題だったのかもしれない。あわてて俺は解熱剤を飲み、すぐに横になったのだが。 翌朝、熱は一向に下がらず、相方に病院に行けと促された。しかし俺は、どうしても病院には行きたくなかった。だってインフルエンザの検査は、鼻の奥の粘液を採取するらしく、これが痛みを伴うと聞いていたからだ。痛いくらいなら、自力で治すのが俺のやり方。とりあえず俺は再度解熱剤を飲み、もう一度眠ることにした。 起きてみると、俺の熱はウソのように下がっていた。すっかり元気だ。もしかしたら、いつもの知恵熱だったのかもしれない。良く考えてみると、相方と違って高熱以外の症状は何もなかったし。インフルエンザか知恵熱か、あの時の高熱の原因は良くわからないけれど、今ではすっかり元気になった俺なのである。
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2006年01月28日(土) ■ |
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Vol.634 雪とビーフジャーキー |
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おはようございます。りょうちんです。
弟が、会社の研修でグアムに行ってきた。おととしはサイパンに行ってるし、その前はハワイだったし。不景気だというのに仕事とはいえ数年に一度は海外に行けるなんて、海外旅行には最近すっかり無縁な俺からしてみればうらやましいことこの上ない。でも今回ばかりは、ちょっとだけそうとも言い切れない旅だったようだ。 出発当日。関東では朝から本格的な雪が降り始めた。雪はみるみる積もりだし、あたり一面を真っ白な世界に変える。成田空港まではどうにか辿り着けた弟たちだったが、容赦なく降り積もる雪は飛行機のダイヤを完全に乱し、弟たちが乗り込んで成田を発つ予定だった便も足止めを食らってしまった。待っても待っても雪は一向に止む気配がなく、流れるのはダイヤの乱れを知らせるアナウンスばかり。やがてすっかり待ちくたびれた弟たちは、空港での8時間もの缶詰状態からやっとのことで開放されて、どうにかこうにかグアムへと向かうことができたんだそうだ。 さて。思わぬ雪のせいで予定が大幅に遅れ、グアムでの自由時間がその分減ってしまった弟たち。それでもなんとかスケジュールをこなし、おみやげを買うことになった。弟は、大好物であるビーフジャーキーを大量に買い込む。知人や俺らへのおみやげにもしようと考えていたらしく、日本円で6000円ほどのビーフジャーキーを手に入れたんだそうだ。しかし、予想だにしなかったアメリカ産牛肉全面輸入禁止のニュース。まさか手にしたビーフジャーキーがこれに引っかかるなんて、ツイてないったらありゃしない。だが、現実は現実。日本に持ち込むことのできないビーフージャーキーにどうしてもあきらめがつかなかった弟は、飛行機が発つ直前まで買い込んだビーフジャーキーを食べ続けたという。それでも半分ちょっと食べたところでギブアップ。食べ切れなかった残りは、泣く泣く置いてきたらしい。 そして高カロリーなビーフジャーキーを食べ過ぎたせいで、今は顔のあちこちにできたふきでものに悩まされている弟。気の毒だが、雪とビーフジャーキーのせいで、弟にとっては散々なグアム旅行になってしまったのかもしれない。
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2006年01月27日(金) ■ |
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Vol.633 氷点下の世界 |
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おはようございます。りょうちんです。
千葉というところは、どちらかといえば暖かなところだと印象を持っている人が多い。まわりを海に囲まれている影響で、温暖な気候に恵まれひと足先に春の花が咲き乱れるなんてイメージを思い浮かべるのかもしれないが。それは房総半島、特に南房総に限ってのことで、冬はやっぱり寒いことに違いないのだ。 特に俺の住んでいるこの街は、千葉県内でも最も寒く冷え込みが厳しいと言われる街である。理由は簡単、九十九里に行くにも東京湾へ出るにも同じくらい距離があるので、まったく海の影響を受けない。熱しやすく冷え込みやすい内陸性の気候なのだ。夏は暑いが冬は寒い。ちょっと住みやすいとは言えない街かもしれない。 それじゃ冬はどのくらい寒いのかというと。最低気温が0℃を下回る日を「冬日」と言うが、この冬日になることは当たり前で、マイナス5℃以下になることもしょっちゅうある。今年の冬は、とびきり寒い。20年ぶりに寒さが厳しい冬だとニュースになり、日本海側の各地では豪雪で深刻な被害が続出している。わが街でも今年は特段に寒く、先日の水曜の早朝には氷点下7.7℃にまで下がってこの冬いちばんの寒さを記録した。また12月の初旬から1月の半ばにかけて、43日間にも渡って連続で冬日だった。しかし都心では、ひと冬に数えるほどしか冬日を観測しない。いくらヒートアイランドが深刻になっているとはいえ、そこから少し郊外にあるだけなのに、けして標高が高いわけではないこの街がこんなにまで冷え込むところだったなんて、数字を目の当たりにして我ながらちょっとびっくりした。 これらのデータは、すべて気象庁のアメダスによるもの。実は最近、アメダスのデータをチェックするのが密かな楽しみになってしまった。お天気にはちょっとうるさい、俺の小さなマイブームである。今朝はどのくらい冷え込んだのか、今はどのくらい寒いのか。本当は寒いのはあんまり好きじゃないけれど、記録が出るとうれしくもある。目下の目標は、1984年に観測した氷点下12.7℃にどれだけ近づけるかということ。窓の外では、今夜も氷点下の世界が広がっている。
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2006年01月25日(水) ■ |
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Vol.632 贅沢を楽しむ |
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おはようございます。りょうちんです。
今年の新年会は、みんなでフグを食べようと約束していた。北風が強く吹く中、待ち合わせの場所に集まる俺ら。久しぶりに会う友達は、みんな変わっていない。予約済みの店に移動すると、2階の座敷に案内された。まずは乾杯。冷たい木枯らしの世界から一気に暖かな部屋に通されて、口にしたアルコールが身にしみてくる。 今夜は奮発して、フグのコースだ。フグ刺、フグちり、フグ雑炊。次々とやってくるフグ料理に、お酒も進み話も弾む。それにしても、こんなふうに贅沢ができるようになったのは俺らが少し大人になったからなのかもしれない。誰かが言ったひとことに、俺は大きくうなずいた。確かに学生だった頃や社会人になったばかりの頃は、フグをつつきながら優雅にお酒を飲むなんて俺らには早過ぎたと思う。大学を卒業して少しだけ時が過ぎ、経済的にもココロのゆとりも少しだけ余裕が出てきて、今だからこそこんな贅沢を楽しむことができるようになったのかもしれない。 昔のように相変わらずバカみたいに笑っているみんなは、つらいことなんてまったく知らないように見えるけれど。俺の知らないところでそれなりにそれぞれ苦労も経験してきたし、明日になればまた日常へと戻り厳しい社会の中に帰っていく。今だけが特別なみんななのだ。楽しいばかりじゃない、つらい時もあるんだってことを誰もがみんな知っている。そういうことも全部わかった上で、人間的にも大きくなった証拠に、こんな贅沢が楽しめるようになったと言えるのだろう。 あれっ? 似たような話、軽井沢でそば懐石を食べた時も、江ノ島で生しらすを食べた時も話した気がする。お酒が回っているせいとはいえ、同じ話を毎回するなんて、やっぱりそれも俺らが歳を取ったからなのか。 気がつけば、電車の時間が迫っていた。それぞれの家では愛するダンナさんやかわいい子どもが待っていたり、俺だって翌日には仕事が待っている。あの頃のように、夜通し飲んで騒ぐこともできなくなった。駅でみんなに手を振った俺は再び冷たい北風の中を歩き始めたが、ココロはなんだかとても暖かい気持ちだった。
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2006年01月21日(土) ■ |
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Vol.631 カンなんてはずれてしまえ |
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おはようございます。りょうちんです。
ひとつの目標を達成し終えた俺らは、もはや有頂天だった。達成感と満足感を胸いっぱいに充満させて、大はしゃぎで笑っていた。でも、いつも冷静な彼だけは違っていた。新たな目標をすでに定め、次はどうすべきかを考え動き始めていた。それは、彼の決めた新しい目標の入り口となる扉に辿り着くまで、俺らとは会わないと決めたこと。自分自身に厳しい試練を与えた、彼の決心だった。 俺は寂しかった。同じ目標をめざしてそれを一緒に達成した仲間なのに。困難を乗り越えて喜びを分かち合った友達なのに。当分の間は彼と会えないなんて。だが彼の決意は強く、それまでバカみたいに浮かれていた俺も涙をこらえ彼の旅立ちを応援することにした。彼の、「いつか必ず戻ってきます!」というコトバを信じて。 次の一歩を進み出した彼に刺激されて、俺も負けてられないと思うようになった。うかうかしてたら、俺が負けてしまうと焦るようになった。そしていつかはわからないが、再会した時は俺も胸を張っていられるようがんばろうと思った。でも、彼にエールを送り再会の約束をした時、こんなことが頭をかすめたのも事実なのだ。 人は、時とともに変わっていくもの。彼も、俺も。だから、こんなふうに同じように笑い合える日がまた来るとは限らない。彼との約束は絶対に守りたいけれど、時間や目に見えないチカラがきっとそれを不可能にしてしまうだろう。俺がいくら待っても彼は戻ってこないかもしれないし、彼が戻ってきても俺が待っていないかもしれない。仮に約束通りお互いが再会できたとしても、こんなふうに笑い合うことはできないような気がする。確信できる理由なんてまったくないのだけれど、直感的に俺はそんなことを思ってしまったのだ。 あの約束を交わした夏の日から、もうすぐ半年がたつ。あの日以来、俺は彼とはまだ会っていない。俺の頭に浮かんだ根拠のないカンなんてはずれてしまえと、今は強く祈るばかりなのだが。早く彼に会いたい。あの日のように、大切な友達としてお互い笑い合える再会ができる時を、今でも俺はずっと信じて待っている。
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