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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年08月27日(日)
Vol.660 タオル王子

おはようございます。りょうちんです。

それにしても、今年の夏の甲子園は本当におもしろかった。激闘の連続でまさに見所満載。注目の対決や目の離せない試合ばかりで、例年になく熱い甲子園だった。そしてその最後を飾った早稲田実業vs駒大苫小牧戦。実はこの再試合、俺も予定をキャンセルして実家で両親とTVで観戦していたのだが。見終わったあと、いつになくなんともさわやかですがすがしい気持ちが残ったのは確かだった。
こんな気持ちになったのは俺だけではない。多くの人が同じように感じたからこそ、あれからずっとマスコミが大きく取り上げているのだ。甲子園が終わってもう数日たつのに、連日のようにワイドショーで報道されている。でもちょっと待った。ずっと高校野球ファンで高校野球ばかりを追い続けてきた俺にしてみたら、なんだかなぁと思わずにはいられないのだ。
確かに、マスコミが食らいつくほどの最高の決勝戦だった。でもその後、斎藤くんの持っていた青いハンカチを求めてデパートでインタビューしたり、誰が名づけたか知らないが「ハンカチ王子」だなんてセンスのない名前で斎藤くんを呼んだり、街行くおばさんたちが斎藤くんに向かってアイドルさながらの黄色い声で叫ぶのを映していたり。なんだかくだらないなぁと、俺は思ってしまう。もちろん斎藤くんはクールでかっこいいとは思うけど、彼だけが高校球児じゃない。マスコミは斎藤くんや決勝戦の試合ばかりを取り上げるけれど、甲子園にさえ出られなかったたくさんの高校球児も存在して、彼らが戦う高校野球すべてがおもしろいものなのだ。
しかしここ最近、高校野球に関しては不祥事事件などの良くない報道ばかりが続いていた。だから今のこの状況は良いことなのかもしれない。マスコミは相変わらず偏った報道しかしないけど、これを少しでも良いと思わなくちゃ。人のウワサも75日。夏が終われば、きっと誰も騒がなくなるに違いない。
でもさ、斎藤くんが持っているのは「青いハンカチ」じゃなくて、「青いフェイスタオル」だよね? 「ハンカチ王子」じゃなくて、「タオル王子」だよね?



2006年08月15日(火)
Vol.659 先祖は忍者

おはようございます。りょうちんです。

俺のルーツを探るシリーズ・その3。
いつだったか父が、「俺らの先祖は忍者だったらしい!」などと言い放ったことがある。そんなうさん臭い話、俺も弟もはなっから笑って信じなかったのだが。父は何度かそんなことを繰り返して言うものだから、コトの真相を聞いてみることにした。するとこの話、父が勝手に作ったまったくのデタラメでもなかったのだ。
以前のひとりごとにも記したが、父の祖父、つまり俺の曽祖父は山梨から千葉にやってきて床屋を開業した。父は幼少の頃、その山梨にある曽祖父の生まれた家を一度だけ訪れたことがある。その時、曽祖父の兄にあたる人からこんなことを聞いたそうだ。「おまえの先祖は、百地三太夫という偉い忍者に仕えていた人だったんだぞ。おまえがすばしっこいのは、忍者の血を受け継いだいるからなんだ!」。ちびっこの頃に聞いたそのコトバを忘れずにいた父は、それからずっと自分は忍者の末えいだと思い込んでいた。だから俺らにも、あんなことを真顔で言ったのだ。
でもちょっと待て。この話、やっぱりどこか怪しい。忍者なんて世を忍んで生きていく身分なわけで、本当の忍者が「私は忍者です!」なんて堂々と言うわけない。確かに調べてみると戦国時代に百地三太夫という伊賀忍者は存在して、弟子には有名な石川五右衛門もいたりするのだが、なぜに伊賀忍者の子孫が遠く離れた山梨にいるのだろうか。やっぱり父の聞いた話は、まゆつばな可能性が高い気がする。
しかし。百地三太夫が率いる忍者たちはその後紀州の国に定住したらしいのだが、今でも和歌山県に俺の姓がとても多かったりする。それより何より、俺の家系は父も俺も弟も小柄ですばしっこいのは確かなのだ。今となっては本当に俺らの祖先は忍者だったかなんてもうわからないけれど、この際そうしておいた方がなんだかロマンがあっておもしろい。だから俺も父のように、このまま先祖は忍者だということにしておくつもりである。お盆も仕事で実家に帰れなかった俺だけど、こんなことを勝手に思っている俺を見て、俺の先祖たちは苦笑いをしているかもしれない。



2006年08月11日(金)
Vol.658 日光男体山へ登る

おはようございます。りょうちんです。

夏の冒険第2弾の計画は、とんとん拍子で進んでいった。日本一の頂きをめざし、富士登山にチャレンジした日から早1年。今年は、日光男体山へ登ることに決定!
前日の仕事のせいで、睡眠時間はたったの45分で出発。早朝の道を北へ向かい、1時間で友達の家に着いた。ここからは友達の車に乗り換えて、いざ日光へ。マイナスイオンがあふれた杉並木を抜けると、朝日に輝く男体山が見えてきた。標高2484m。日本百名山にも数えられる偉大なる山が、目の前に座っている。いろは坂を越え中善寺湖畔に着くと、二荒山神社。ここが登山口だ。俺らが訪れたこの日はちょうど祭事がおこなわれている期間で、なんだかとてもにぎわっていた。去年の富士登山の時にも使った杖を頼りに、俺らは頂上をめざしていよいよスタート。
登る、登る、ひたすら登る。この登山道、最初から最後まで下ることなんて一度たりともなかった。道は常に急な傾斜で、ただ頂上に向かって延々と続いていた。しかも、登山道はごつごつした岩ばかりの道や滑りやすい土の道や、整備されていてもその一段がひざの高さほどもある丸太で組んだ階段で、もうとてつもなく歩きにくい道だった。一歩まちがえれば滑落してふりだしに戻ってしまう。油断をすればケガだけでは済まないかもしれないのだ。木々がある場所はひざしも遮られたが、岩肌が剥き出しのところは容赦なく直射日光が俺らを照りつける。注意深く進む俺らの息はすぐにあがり、噴き出した大量の汗はシャツを濡らした。しかし、時々麓に見える中善寺湖や戦場ヶ原の美しい景色が俺らを感動させてくれた。
登山開始から3時間。へとへとになった俺らは、標高差1200mを登り切ってついに頂上に到着。お参りをして、そのあとで食べたおにぎりの美味いこと。そして下山道は今来た道を引き返す。登りと同じ3時間、湖畔まで慎重に山を下っていった。
正直、富士登山よりもつらかった。日本一の富士山制覇で有頂天だった俺だけど、もっとつらいことはいくらでもあるんだって思い知った。でもやっぱり登山は楽しいもんだ。次はどの山をめざそうか。そして俺の夏の冒険は、まだまだ続くのだ。



2006年08月08日(火)
Vol.657 時が流れても

おはようございます。りょうちんです。

中学時代の友達とは、卒業後もずっとみんな仲が良かった。それぞれ違う高校に進学して、そのあとでさらに大学や専門学校に行ったり就職したりといろいろだったけど、何かにつけて集まって飲んだり旅行したりすることはしょっちゅうだった。
いつからだったろう、俺がそんなみんなと疎遠になってしまったのは。思い返せば俺が就職して地元の千葉を離れ、仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、週末に会うことが難しくなった10年ほど前からかもしれない。みんなからの誘いも常に断るようになっていった俺に、次第に誘いの声がかからなくなった。寂しい気持ちはココロの片隅にあったものの、仕事の忙しさにかき消されてそんな想いも忘れかけていた。
今年の春、中学時代の友達のSくんに偶然出会った。俺が地元に帰って来ていたことさえ知らなかった彼は、今でもあの頃のように時々みんなで集まっていることを教えてくれた。そして今度集まる時は俺にもまた声をかけてくれると約束をしてくれ、お互いの連絡先を教え合った。
彼から電話が来た。飲み会の約束を聞きつけた俺は、喜んで会場へと向かった。そこには、あの頃とまったく変わっていないみんながいて俺を歓迎してくれた。そしてあの頃がまるでついこの間のように、すぐに俺らはバカなことを言ったり懐かしい話で盛り上がった。俺はみんなとの間にあった10年間の空白がいとも簡単に一瞬にして埋まったことが、ココロからうれしかった。10年の間、俺はみんなの情報がわからなかったわけで。俺が知らないうちに、みんな結婚したり子どもが生まれたり新しい生活がはじまったりで、そのひとつひとつがすべて驚きだったけれど。生活が変わっても何も変わっていないみんなだったことに、心底安心した。本当の友達ってこういうものなんだなって、改めて思った。
来月、再びSくんからみんなでビール工場見学に行こうと誘いを受けた。どんなに時が流れても、見えない絆で繋がっている大切な友達がいることを、俺はココロから誇りに思う。



2006年08月07日(月)
Vol.656 歩くってすばらしい・東京編

おはようございます。りょうちんです。

歩くってすばらしい・東京編は江戸川沿いの柴又からスタート。
葛飾柴又といえば「男はつらいよ」。寅さん記念館にもぜひ寄りたいねなんて言いつつ、すでに閉館時間を過ぎていて見学はできず。柴又帝釈天で足を止めて一息入れた。夕方のおみやげ屋さんが並ぶ通りで、俺らを待つ友達に草もちを買う。
下町の街並みを通り過ぎると、地図にはまだ載ってない大きな橋にぶつかった。このあたりは川が入り組んでいて、渡るのにちょっと遠回りをしなければならないと思っていた所だ。考えた末、疲労も手伝って近道と思われる橋を渡る道を選んだ。橋を越えると汐入。建設中の高層マンションが軒を連ね、新しくきれいな街だ。しかし、向かっていたはずの日光街道がどっちにあるのか見当がつかなくなってしまった。右往左往した結果、若いおまわりさんに道を聞いて、苦労して日光街道までやっとの思いで辿り着けた。3回も前を行ったり来たりした南千住駅、嫌い。
道に迷っている間にすっかり日も暮れた。ゴールまではまだ10km以上ある。友達には予定よりも大幅に遅れるとを謝罪して、さらに前へ進む。40kmの道のりを歩き、疲労は限界だった。下半身全体に痛みが走る。立ち止まると、次に踏み出す一歩が苦しい。それでも極度の疲労からかテンションは異常に高く、つまらないことで大笑いしながら進む俺ら。西日暮里で「肉のきたじま」を発見。五輪金メダリストの北島康介選手の家だ。しかしすでに夜の8時半。店は当然閉まっていた。
時間は夜の9時半を過ぎ、出発してから約15時間かけて50km以上を歩き続けた俺らは、そしてついに友達の家にゴールした。いくつも駅を通り過ぎ、何度も電車に乗ってしまおうと躊躇したけれど。達成感に大満足。腰につけていた万歩計は89600歩。去年の富士登山よりもよっぽどつらかった。そして何より、予定よりも大幅に遅れた俺らを待っていてくれた友達に謝罪と感謝。
ゴール後の風呂とビールは最高だった。歩くってすばらしい、疲れたカラダで本気で思った。そして俺らの夏の冒険は、こうしてまだまだ続いていくのだ。



2006年07月30日(日)
Vol.655 歩くってすばらしい・千葉編

おはようございます。りょうちんです。

今年の夏の冒険第1弾は、突然はじまった。JR大塚駅のすぐそばに住んでいる友達の家へ遊びに行くこと。いや、ただ遊びに行くだけではない。彼の家まで歩いて行くという、またしても俺ららしいバカげた企画。電車では1時間半もあれば到着できる場所まで、歩いていくことで普段は見落としているいろんなことに気がつくはず。我が家からは直線距離にして約40km、道のりは50km以上もあるけれど。俺らは無事に辿り着けるのか。
朝7時、スタート。天気はくもり、それほど暑くもない。相方とくだらない話をしながら、約1時間で隣の八千代市に入った。ここからは成田街道を西へ向かう。途中、無人野菜直売所で朝取りトマトやオープンしたてのパン屋さんでベーグルを買って腹ごしらえ。10km地点に2時間ちょっとで到着し、最初のブレイクを取った。ここまではすべてが順調。
船橋市に突入。急ぐ旅ではない。船橋大神宮に参拝したり、防災センターの前を通るとたまたま月に一度の一般公開日だったため思わず立ち寄ったり。予定外の寄り道で多少時間は食ったが、友達には暗くなる前には着きたいとメールを入れた。
市川市に突入。歩行距離25Kmを越えて少し疲れてきた。出発してから7時間、ちょっと遅いランチは、冷たいうどんのディスプレイが並ぶ店に即決。国道をひたすら進み都県境の江戸川に出ると、ここから川沿いの道をさかのぼることに。向こう岸は東京都。千葉からなかなか抜け出せないじれったさを感じながら、いつのまにか松戸市に突入。めざすのは矢切の渡し。
船着場に着くと、最終便がまもなくやってくる時間。そんなこと知らなかった俺らは間一髪のセーフで船に乗りこみ、船頭さんの観光案内を聞きながらいよいよ東京都に突入した。
歩くってすばらしい・千葉編はここまで。次回は東京編。俺らの夏の冒険は、まだまだ続く。



2006年06月30日(金)
Vol.654 新しいライフスタイル

おはようございます。りょうちんです。

なんだか最近は、すごくゆっくりした時間の中を過ごしているような気がする。そりゃ相変わらず毎日があわただしくて、目の前にはやらなくちゃならないことが以前と同じく山のようにあるのだけれど、だからこそココロもカラダも安らげる時間を大切にしたいと考える俺に変わったのかもしれない。とにかく、充実している毎日だということにはまちがいないのだ。
以前の俺は。くたくたになって仕事から帰ってきたあと、夜が明ける頃になってやっと眠りにつき、昼前になってあわてて飛び起きて再び仕事に向かうなんてことはしょっちゅうだった。たまの休みの日も、どこかに出かけなくてはもったいないという性分からかめいっぱいのスケジュールを組み、カラダを休めることなんて二の次だった。そしてそんな休日でさえ、冬の間は俺にとって皆無に等しかった。だから俺は、このきつい坂を越えたら思う存分カラダを休めようとがんばったのだ。そして春になり、夏が近づいて、ようやくその夢が叶ったのだ。
あの冬の日々に比べたら、今の俺はとてもゆとりのある毎日を送っている。仕事に追われて泣きそうになる時もあるけれど、それは一時的なもので、ココロに余裕がある分じっくりと取り組むことができる気がする。仕事が比較的早く終わった日は、夜の街を走りにいって汗を流すこともよくある。休日のたびに実家に帰ってばかりいる俺は、毎回のように両親と買い物やドライブに出かけている。そしてこんな俺の新しいライフスタイルも、けして悪くはないなと思うのだ。
かといって、この状態にずっと満足している俺じゃない。今のライフスタイルになったがゆえ、手放してしまったものもあるのだ。ココロもカラダも、もうそれなりに十分に休めたと思う。そろそろ充電期間に終止符を打っても良いのかもしれない。やりたいことは増えるばかりだ。明日から7月。夏がやってくる。動き出すには絶好の季節なのだ。今年の夏は、今のライフスタイルの良いところを維持しつつ、少しずつ変わっていけるようにがんばりたいと俺は企んでいる。



2006年05月03日(水)
Vol.653 曽祖父の生まれ変わり

おはようございます。りょうちんです。

俺のルーツを探るシリーズ・その2。
俺の実家は、代々続く床屋を営んでいる。父が3代目で、俺が父の跡を継いでいたら4代目になるはずだった。本来長男である俺が跡を継がなくてはならないのだろうが、俺ははなっから父の跡を継ぐ気なんてなかった。俺が生まれた時は本家に長男が生まれたと親戚一同喜んだらしいのだが、俺は見事に期待を裏切ったわけだ。
父の祖父、つまり俺の曽祖父が俺の生まれたこの地で床屋を開業したのだが、それが明治40年のこと。火事で焼失する前、店にはまだ開業の時に記念に作った古い大きな鏡があって、そこに開業時の日付と曽祖父の名前が刻んであったのだからまちがいはない。西暦で言うと1907年。来年でちょうど開業100年になる。あんまり良く考えたことはなかったけど、歴史のある床屋なんだなぁと実感する。
さて。最近まで俺の先祖はずっと千葉の人だと思っていたのだが、床屋を開業した曽祖父は元来山梨県が出身なんだそうだ。曽祖父は僧侶をめざしていて、山梨から俺の住む市のすぐ近くにある成田山へ修行に来ていたらしい。しかし曽祖父は刺身などの生ものが大好物で、精進料理しか口にできない修行が耐えきれなくなり仏門を逃げ出してしまったんだという。今になってはその後なぜ曽祖父が床屋を開業しようとしたのか理由はわからないが、そのまま千葉の地に骨を埋めることになったのだ。父が生まれてすぐに曽祖父が亡くなったため詳細は良くわからないと父も言っていたのだが、そういう経緯で俺は千葉のこの地で生まれ育ったことになる。
ところで。実は俺も昔、僧侶になりたいと本気で思ったことがあった。大学で宗教の講義も受けていたし、法事の時はやってくる僧侶に興味津々だし、いつかは四国八十八ヶ所巡りにトライしてみたいと思っている。ずっと俺が坊主頭で通しているのと関連があるかどうかは別として、父は常々俺は曽祖父に似ていると思っていたらしい。俺が曽祖父の生まれ変わりだなんてそんなおこがましいことは考えちゃいないけど、やっぱり血は確実に受け継いでいるに違いない。



2006年04月23日(日)
Vol.652 春の青空に誘われて

おはようございます。りょうちんです。

春の青空に誘われて、昨日は今季2回目の高校野球観戦。今年はあんまり高校野球にのめりこまないぞなんて思ってたのに、大会がはじまるとやっぱり気になって仕方がない。たった1時間半の睡眠しか取らなくても、母校の応援という理由にかこつけて、俺は早朝7時半に家を出てちょっと遠くの球場まで足を運んだ。
父から先日教えてもらった裏道を抜けると、渋滞にもつかまらず快適に目的地まで行けた。試合開始10分前に到着。4月のひざしは暖かく、ベンチに腰掛けるなり着ていたフリースが邪魔に思えた。強い紫外線のせいで、今年も早々に日焼けしちゃいそう。足元に置いたかばんから取り出したのは、チケットを購入する時に一緒に買った選手名簿、お茶のペットボトル、オペラグラス、それにスコア用のバインダーとボールペン。これで観戦準備は整った。あとはトイレに行っておくことだけ。
試合がはじまった。ひとつひとつのプレーを目で追いながら、スコアを記録する。とは言っても、このスコアは本格的なものではない。俺にしかわからない記号を記していくもので、しかもいいかげんにつけるのが俺流のやり方。TV観戦とは違って解説なんて誰もしてくれないから、よくわからないプレーにも頻繁に出くわす。でもそんな時でもわからないなりに記しておく。そうやって適当にスコアをつけながら観戦していると試合にも集中でき、ココロも落ち着いてより楽しめるのだ。
しばらくして、俺の前に座ったのは翌日に試合を控えたチームの名前が入ったかばんを抱えた球児くん2人組。次の試合に備えて偵察に来たのだろう。ふたりは配球と打球の記録を取っていた。こんな風景は良く見かけるのだが、このふたりのやり取りはなんだかすごく笑えた。目の前にいるから必然的に会話が俺の耳にも入ってきてしまったのだが、彼らは誰に笑いを求めるでもなく、素で話す高校生の会話ってマジでおもしろいんだって改めて思った。
そんなこんなでたっぷり8時間、9to5で丸々3試合を観戦した俺。あいにく母校は負けちゃったけど、どっぷりと大好きな高校野球に浸った一日だった。



2006年04月21日(金)
Vol.651 恋せよ乙女

おはようございます。りょうちんです。

誰だって恋に焦がれる甘酸っぱい時代は、必ずや経験するものである。うちで働いているアルバイトの高校生の女の子たちは、毎日仕事をしながら恋の話に花を咲かせている。どこそこの店にはステキな店員さんがいただとか、なんとかという先輩はイケメンでかっこいいだとか。「もしもそんな理想的な人が自分の彼氏だったら…」なんて夢を追いかけて、きっと毎日を過ごしているに違いない。
確かに俺にも、そんなふうに恋に恋する時代があった。特に俺は妄想することが人一倍得意だったせいか、ありえないシチュエーションを頭の中で作り上げて、人には到底言えないとてつもなく恥ずかしい物語をいくつも描いていた。湖のそばの高原でデート編だとか、夜景を見ながら告白編だとか、学校帰りの公園で初めてのチュウ編だとか。あーもう、思い出すだけで恥ずかしくて顔から火が出そうになる。それと似た絶対にありえない妄想を、彼女たちも自分だけのココロの中で描いているのだろう。いつかは白馬の王子様が自分のことを迎えに来てくれるのを信じて。
さて。恋の経験がまだ浅いそんな彼女たちは、少なくとも彼女たちより恋の経験が豊富であろう俺らに、さまざまな質問をぶつけてくる。「好きな人と毎日メールしてなきゃ心配になりませんか?」とか、「一緒にいてもときめかなくなったら終わりですよね?」とか、その程度のかわいい質問なら俺も本気で答えてみるのだが。最近じゃ俺がふたり暮らしをしていることも知っているので、質問の内容も段々エスカレートしてきた。そのへんは上手にごまかしたりあしらったりして、それでもできるだけ自分の意見で相談に乗ってあげられるようにしている俺なのだ。そしてそうやって彼女たちの恋のから騒ぎに絡んでいる時間が、実はとても楽しいのだ。
先日は、パートのKさんが彼女たちの質問の集中攻撃に遭っていた。しかし彼女たちの親よりも年上のKさんは、俺が驚くくらいのきわどい質問をされてもさらりとかわしていた。さすがである。すばらしい恋を重ねると、いつかは彼女たちもKさんみたいになれるのかもしれない。さぁ、恋せよ乙女たち!