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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年12月31日(日)
Vol.680 大みそかの夜

おはようございます。りょうちんです。

本当はいつもの夜とまったく変わらないのに、大みそかの夜だけはなんだか特別なカンジがするのは俺だけじゃないはずだ。例えばクリスマスは12月に入る頃から少しずつ少しずつにぎやかに街も気持ちも変わっていくのに対して、大みそかの夜は午前0時を過ぎると一気にすべてがお正月モードに突入する。まるで打ち上げ花火の前にじっと息を潜めて見守っているあの瞬間のように、いきなりはじまるお正月に備えて待っている時間だからなのかもしれない。そんな特別な夜が、ちびっこだった頃から俺はなんとなく好きだった。
実家の床屋は年末こそが掻き入れ時なので、父も母も毎年のように大みそかの夜は年が明ける時間まで仕事をしていた。レコード大賞や紅白歌合戦を見ながらそんな両親を待つ俺と弟たち。やがてTVにも飽きはじめた頃、仕事の合間を縫って母が年越しそばを作ってくれる。食べ終わって風呂に入ったら先に寝てなさいと言われるのも守らずに、俺らは夜更かしは続いた。そしてゆく年くる年がはじまり、画面からは各地のお寺の除夜の鐘が聞こえ出すと、「もうすぐ来年がやってくるよ!」なんて言いながら、俺らのドキドキはクライマックスを迎えるのだ。
時計とにらめっこしつつカウントダウンをして、いよいよ午前0時。静まり返り緊迫していたTVの画面は、それを境に一気に華々しく騒ぎ出す。つられて俺らもバンザイなんかしたあとで、両親の元へ駆けていって「あけましておめでとう」を叫ぶのだ。ずっと待っていたお祭りがやっとはじまったかのように、こんなふうに新年を迎えるのが我が家の恒例で、俺は年に一度のこの瞬間が好きだった。
今年もあと数時間で終わる。このあと俺は実家に帰って、今年も両親とともに年を越す予定だ。昔のように大みそかの夜だからってはしゃぐことはしないけれど、特別な夜には変わりない。そして三が日は実家でゆっくり休んで、正月気分をたっぷり満喫してこようと思う。
今年も一年、いろいろとありがとうございました。来年も、どうぞよろしくです!



2006年12月30日(土)
Vol.679 お気に入りのレストラン

おはようございます。りょうちんです。

俺と相方が、ふたりしてとても気に入っているパスタ屋さんがある。定番メニューはもちろんのこと、季節ごとに変わる限定パスタもはずれたことなんてひとつもなく、いつ行っても何を注文してもすごくおいしいのだ。おまけにパスタと同じくらいおいしいのが、2種類のバターでいただく食べ放題の焼きたてパン。コースセットにすると、必然的にパスタにはパンとスープとドリンクとアイスクリームまでついてくる。それでいて料金はとてもリーズナブルなため、いつも賑わっている。
魅力的なのはそれだけではない。店の雰囲気も、文句なくステキなのだ。ちょっと昔のアメリカンスタイルで、店内はゆったりしていてかなり広い。フロアには今は使われなくなったレトロな電車の車両がそのまま1台置いてあって、その中にもテーブルがあり希望すればそこで食事をすることもできる。カーペンターズがここちよくBGMで流れていて、それにとても良く合ったシックな内装で落ちついて食事ができる。その割には敷居が高いわけでもなく、良い意味で上品なカンジなのだ。
従業員も本当によくやってくれる。こまめにテーブルチェックに来てくれて、時には「今日のパスタのお味はいかがですか?」なんて聞きにきてくれることもある。誕生日は申告すれば従業員一同でお祝いもしてくれるし、実際に俺らも何度かここでささやかな誕生会をした。味、料金、サービス、雰囲気のどれをとってもすべてが最高で、この店を越えるレストランは今のところないと俺らは考えている。だから、車で30分もかかる場所にあるにも関わらず頻繁にその店を訪れていたし、友達に勧めるなら真っ先にこの店を紹介するほどお気に入りのレストランだったのに。
なのに。昨日その店の前を通ると、ドアに「CLOSED」の札がぶら下がっていた。どうやら、先月半ばで閉店してしまったらしい。俺らが最後に訪れたのが10月下旬。あれからわずか半月後に店を閉めてたなんて。突然すぎて、俺も相方もショックを隠せない。姉妹店は川越や名古屋や神戸にあるが、今度はそこまで行くしかないのか。年末に飛びこんできた残念なニュースに、俺らは途方に暮れてしまった。



2006年12月20日(水)
Vol.678 まちがい電話にご用心

おはようございます。りょうちんです。

仕事のあとケータイを見ると、着信履歴が残っている。だが見覚えのない番号。入っていた留守電には、「本日はご訪問ありがとうございました。ご見学されたマンションですが…」と、どうやらマンション購入を勧める不動産屋さんからのメッセージだった。もちろん俺はマンションを買いたいとも思ってないし、ましてやどこだか知らないが物件を見に行った記憶もない。あきらかにこれはまちがい電話だ。
その時はそんな伝言は放っておいたが、そのあとも同じ番号から頻繁に電話が入るようになった。マンションなんてまったく興味のない俺はケータイが鳴るたびに無視を決め込んだが、留守電に残されるメッセージも、違う物件もご覧いただきたいだの新しいパンフレットを郵送しましただの不動産屋さんの方もかなり必死なようで、むしろ俺はそんな状況をちょっとだけ楽しんでいた。しかし、「自宅の方にもお電話したのですが番号違いのようで繋がりません。もう一度直接お話させていただきたいと思いまして…」という伝言を聞いた時、さすがに俺も気の毒に思った。おそらく犯人は冷やかし半分でマンションの見学に行ったのだろう。その際記入する書類に適当な連絡先を書き、それが偶然俺のケータイ番号だったに違いない。今の不動産業界もけして明るくはないはずだ。一方的なまちがい電話とはいえ、それを少しでも楽しんでいたことに反省しなくては。そう思い、次にケータイが鳴った時、ついに自分が別人であることを告げた。電話の向こうの相手は少し驚いていたが、それ以来俺のケータイにまちがい電話はかかってこなくなった。
昨日、自宅の留守電に伝言が残っていた。とある法律事務所からで、明日の10時に裁判所へ来てくださいとのこと。聞き取りにくかったが、あきらかにこれもまちがい電話だ。すると今日になって今度はFAXが届いた。「本日は裁判所へ来ていただかなくてはなりませんでしたが欠席でした。次回は必ず来てください!」と、某弁護士から。今回はなんだか内容がかなり深刻なだけに、おもしろがってばかりいてはいけないのかもしれないが。くれぐれも、まちがい電話にご用心を。



2006年12月15日(金)
Vol.677 サヨナラまでのカウントダウン

おはようございます。りょうちんです。

相方には、都内でひとり暮らしをしている91歳になる祖母がいる。だがそんな歳にはとても思えないほど元気で、バスツアーに参加したり地下鉄に乗ってお芝居を見に行ったりかなりアクティブに過ごされているようだ。俺もお会いしたことがあるが、おみやげのプリンをおいしそうに食べながら野球の話で大いに盛りあがった。
秋のある日、彼女は決心する。それまで60年以上も住んできた都内の家を離れ、伊豆にある高齢者専用のケアセンターへと身を移すことを決めたのだ。相方にとってそのニュースはかなり衝撃的だったようで、その知らせを聞いた日から、わがまま言って取りやめてもらおうかと本気で考えていた。身寄りがないわけでもないし、今の生活が不自由なわけでもない。元は旅館で窓から富士山の眺めがとてもいい施設だといっても、わざわざ高いお金を払って遠い伊豆なんぞになぜ行く必要があるのか。相方はそんな疑問をやっとの思いでぶつけたのだが、彼女は「元気なうちに入っとかないと入れてもらえなくなっちゃうからね…」と答えるだけだった。しかし本当の気持ちは最後までよくわからなかったらしく、引っ越す直前まで荷造りをためらっていたみたいだったと相方は言っていた。相方はせめてもと彼女にケータイ電話をプレゼントして、そして彼女は伊豆へと旅立っていった。
その夜、相方は声をあげて泣いた。祖母が伊豆に行ったのは自分のせいだと攻めた。相方が都内に住んでいた頃は祖母の家がすぐそばにあってしょっちゅう顔を出せていたのに、俺と一緒に千葉に住むようになってからなかなか足を運ばなくなったのが原因だと思ったのだろう。まして彼女が喜んで伊豆に向かったのならともかく、真相はわからないままだ。相方が自分を攻めるのは、痛いほどよくわかる。
すべてのものにタイムリミットがあって、いつだってサヨナラまでのカウントダウンをしながら生きている。そんな当たり前なこと、すぐに忘れちゃうけれど。今回は彼女がそれを教えてくれた。相方は渡したケータイへ、今は時々電話やメールをしているようだ。大丈夫、また会いに行けばいい。今度は伊豆まで遊びに行こう。



2006年12月11日(月)
Vol.676 過ぎてしまえば

おはようございます。りょうちんです。

ちょうど去年の今頃、俺は絶望の中を夢中でもがき歩いていた。クリスマスが近づくにつれて街中がイルミネーションで飾られにぎやかな音楽が聞こえてくるのに反比例して、それがさらなるプレッシャーとなって俺のココロを押し潰していった。希望なんてもう手には届かないところに存在する雲のように思えて、必然的にやってくる単調な毎日の繰り返しをひどく苦痛に感じながらただ生きていくしか方法はなかった。負け犬でもいい、すべてを投げ出してこの世界から逃げることができるのならばどんなに楽になれるだろうか。そんなことを考えてみても、結局は何も変わらない現実の中にいる自分に気がついて、闇はどこまでも限りなく続いているように感じた。
ココロに余裕がまったくなかった。たとえ目の前に倒れて苦しんでいる人がいようとも、手を差し伸べることすらしない俺に違いなかった。なぜなら手を差し伸べてほしいのはむしろ俺の方であり、誰よりも今は俺の方が苦しいんだと疑わない俺だった。持ち前の前向きな考えなんて微塵もなく、無理して強がってみてもそれは明らかに空回りばかりで、本当の気持ちは完全に閉ざしていた。
春になり、ようやく闇を抜け出すことのできた俺は少しずつ自分を取り戻していく。そして1年たった今、あれも自分の越えてきた険しい道だったんだなぁとしみじみと思えるまでになった。打ちのめされそうな絶望感と戦っていたあの頃に比べると、今の気持ちのなんとすがすがしいことか! そう思えるようになったことが、俺にとっての前進なんだと思う。またひとつ俺は成長したのだ。
どんなにつらくて苦しくて、その時は死にそうなほど痛みを感じていても、それを過ぎてしまえばもう痛みは感じない。傷痕を確認することで、どれだけ大きな試練を越えてきたのか改めて胸に刻めばいい。むしろそれが勲章となり、自信や希望へとつながっていく。今の俺がそうであるように。クリスマスが近づき、また街がにぎやかになってきた。でももう俺は去年の俺じゃない。闇は光へと変わったのだ。



2006年12月08日(金)
Vol.675 野菜が大豊作

おはようございます。りょうちんです。

「たくさんトマトをもらったから暇な時に取りにおいで!」。電話越しの父のコトバに甘えて実家に戻ると、台所には大きな箱いっぱいに数十個ものトマトが無造作に入っていた。想像以上の多さに驚く俺。多少見てくれは悪いが、どれもおいしそうな真っ赤なトマトだった。とりあえず食べられる分だけと俺はそのうちの6個をいただき、サラダやスープにして我が家の食卓には連日トマト料理が並んだ。
今年の夏から秋にかけては大きな台風の被害もなく天候に恵まれたため、野菜が大豊作らしい。特にキャベツや白菜などの葉ものの野菜が大量に採れすぎて、減価割れを起こしているそうだ。見事に実ったキャベツ畑を、トラクターが無残に潰している映像がニュースでも流れていた。農家の人にしてみれば出荷すればしただけ赤字になってしまうため仕方のないことなのだろうが、消費者である俺らにしてみればもったいないなぁと思わずにはいられない。そういやスーパーで見かけるいろいろな野菜も、去年の冬の高騰に比べると軒並み安くなった。ベジタリアンの俺にはとてもうれしいことなのだが、手放しでは喜べない人もいるんだよな。
実際、実家にあった大量のトマトもそれが原因だった。「どうせ潰しちゃうだから、好きなだけ持ってっていいだよ〜!」と、専業農家をしているおじさんが父の元へ持ってきてくれたらしい。しかもキャベツや白菜や大根など、トマト以外の野菜もどっさりいただいたんだそうだ。弟やご近所にもおすそ分けしたものの、それでも実家の冷蔵庫の野菜室は満員御礼状態になってしまった。あいにく母は入院中。調理担当の母がいなければ料理のレパートリーも限られるし、そもそも母の食べる分は減っていかないので、野菜はなかなか消費できないままだった。
そこで今日俺は再び実家に行き、すべていただきものの野菜たちを大量にもらってきた。キャベツ、白菜、きゅうり、ブロッコリー、トマト、チンゲンサイ、りんごなどなど。俺と相方で、このすべてを食べ切れるかどうかは微妙だが。明日からは今以上に、野菜中心のヘルシーな食卓になることはまちがいない。



2006年12月01日(金)
Vol.674 脳天直撃

おはようございます。りょうちんです。

12月になると、高校野球はオフシーズンに入る。来年の3月までは他校との対外試合が禁止になり、球児くんたちは地道に体力づくりに励む期間になるのだ。振り返ってみれば、今年も俺はたくさん高校野球の試合を生で観戦してきた。その数、25試合。去年の半分以下に減ったとはいえ、当初今年は高校野球から少し距離を置いた年にしようと考えていた俺にしてみれば、思ったよりもかなり多くの試合をわざわざ球場まで足を運んで見に行っていたことになる。さて、スタンドから生で野球を観戦していると、いろいろと危険な場面に出くわすのだが。思わず息を飲んでしまうこんな場面に、俺は今年遭遇した。
秋季地区大会の時。打者の打った球がファウルになったあと主審が投手に新しい球を返し、ちょっとの間ブレイクが入ったその時だった。打者が素振りをしているにも関わらず、主審がホームベースの砂を払おうとバッターボックスに入ってしまったのだ。打者の思いきり振ったバットが、主審の頭を直撃。主審はその場にうずくまり、救護を受けるタオルからは血がにじんでいた。そしてまもなくやってきた救急車に乗って、主審はそのまま運ばれていってしまった。
また、これは夏にプロ野球のマリーンズ戦を見に行った時のこと。外野席で観戦している俺らの少し前の方向に、高々と打者の打ったホームランボールが飛んできた。ボールをキャッチしようとざわめく観客たち。その中心、空へと手を伸ばしたおじさんの頭に、飛んできたボールが命中したのだ。おじさんは頭を抑えながら、ふらふらした足取りで救護室へ運ばれていった。
クロスプレーや打者の打った球が直撃してケガするなど、野球は危険がともなう球技である。でも危ないのは選手だけではなく、観客者も含めて野球に関わる人すべてが危険にさらされているのかもしれない。ちなみに前例であげた主審はその後頭に包帯を巻いて球場に帰ってきて「もう大丈夫です」と言っていたが、ホームランボールが脳天直撃したおじさんはどうなったか、俺は知らない。



2006年11月23日(木)
Vol.673 本物の歌い手

おはようございます。りょうちんです。

歌声を聴いて、感動したことがありますか?
先月俺は、「のど自慢」という視聴者参加型番組の予選会に出場することになった。この番組は知っての通り、歌の上手い下手に関わらず老若男女いろんな人が出場して歌を歌うのだが。歌番組と言うよりはヒューマンドラマとでも言うべきこの番組にどうすれば俺も本選まで出場できるのかとか、もしも出場した時のこととかを研究するため、放送をビデオに録画してあとでじっくり相方とああだこうだ言いながら見るという習慣になっていた。
確か、群馬県藤岡市大会の放送だった。いつものように遅い食事を取りつつ、俺は昼間に録画した「のど自慢」のビデオを見ていた時、その少年は登場した。盲学校に通う高校1年生だと紹介があったあと、盲目の彼は付き添いの人に導かれて舞台の中央に立った。「6番、雪簾」。そう言って演歌調のイントロが流れ彼が歌いはじめた途端、俺は思わず箸を止めて彼の歌声に耳を奪われた。上手いのだ。いや、ただ上手いだけではない。これでもかというほど感情を込めて、それがけして大げさではなく、飾り気など微塵もなく直球で歌い上げるその歌声が、切々と俺の胸にまっすぐに響いてきた。いやらしい言い方だが、この番組では同情を求めるために障害者や高齢の方がよく出場するが、仮に彼が盲目じゃなくても歌唱力で十分に出場できる上手さだった。会場からは割れんばかりの拍手。当然、合格の鐘。
今までにも、歌を聴いて感動したことはある。でもそれは聴いた歌詞に共感したとかメロディーが胸に響いたとかで、歌声を聴いて感動したことなんてないに等しかった。プロの歌手でさえ人のココロを感動させることが難しいのに、普段は演歌なんて聴かない俺がタイトルさえ知らなかった彼の歌う演歌を聴いて、感動して鳥肌が立ったのだ。彼を置いて、誰が本物の歌い手と言えようか。
文句なくチャンピオンに選ばれた彼は、まだ高校1年生。最近低迷している日本の演歌界で彼が将来すばらしい花を咲かせることを、実は密かに俺は期待している。



2006年11月22日(水)
Vol.672 交通事故のメッカ

おはようございます。りょうちんです。

日曜日の真夜中、降り続くどしゃぶりの雨。実家に帰省中だった俺は、母のベッドの横でやっと眠りにつこうと布団に入った直後だった。突然外から聞こえてきた、激しい衝突音。交通事故だ、瞬間的にそう思い飛び起きた。父もあわててやってくる。俺は玄関にあった傘を手に、外へ飛び出した。すると家の前の道路には、大きなトラックがライトを照らしたまま不自然な位置に停まっている。そして少し離れた交差点では、別のトラックが見るも無残に押し潰されて停車していた。
国道沿いにある実家からわずか50メートルしか離れていないところに、県道と交わる大きな交差点がある。この交差点、実は昔から死亡事故が何度も起きている交通事故のメッカなのだ。道幅が狭いことや国道と県道が直角に交わっていないことなど、事故が頻繁に起こってしまう原因はいくつかあると言われているのだが、最近は迂回路ができたために以前より交通量も減ったし、工事が入り見通しも前よりは良くなったためか交通事故も激減した気がする。
俺がちびっこだった頃、近くの商店におやつを買いに行く時も通学のためバス停を利用する時も、この交差点を越えなければ辿り着けなかった。それだけ生活に密着した交差点だったから、親からも祖母からもいつだって必要以上に交通安全について注意されてきた。実際にこの交差点で交通事故に遭って友人がケガをするたびに「今度はあの子か…」なんて話になったし、道路の向こう側に行きたい時は面倒でも横断歩道まで歩くことや横断歩道を渡る時も車が来ないか何度も確認することなど、いくつものルールを耳にタコができるまで聞かされてきたのだ。
強くなる雨足の中、すぐに救急車がやってきた。大きくひしゃげた運転席が事故の激しさを物語る。ただ幸いなことに、事故を起こした運転手さんは大したケガもないようで自分の足で救急車に乗りこんだ。割れたフロントガラスなどの細かく砕けたトラックの部品が、雨で濡れた交差点のあちこちに散乱している。こういう悲惨な現場を目撃するたびに、交通事故を起こさないように気を引き締める俺なのだ。



2006年11月21日(火)
Vol.671 有名人に出会う

おはようございます。りょうちんです。

芸能人やスポーツ選手や著名人など、偶然有名人に出会うことがある。都内在住ならそんな機会も珍しくないのだろうが、千葉の辺鄙な片田舎に住んでいると、それほど有名でもない人に会っただけで友人に自慢できるほどのネタになる。いつもはTVのブラウン管越しに見ていた見慣れた顔をふいに生で見かけて、まさかこんな場所にいるわけないなんて思いながら、やっぱりそれが本人だと確信できた時。隠しきれない動揺を極力抑えつつも、ミーハーな気持ちで胸が高鳴ってしまう。
成田空港で飛び立つ飛行機を見送っている落語家の桂小金治さんに会った時も、地元の駅でスーツ姿で改札口に向かって走っているマラソン選手の有森裕子さんに会った時も、渋谷でロケをしていたお笑いのロンドンブーツ1号2号のふたりに会った時も、必要以上に胸がときめいてしまった俺だったのだが。先日、それらを大いに上回るかなりビッグな大物有名人に偶然出会ってしまった。
平日の午後8時。都内某所の人もまばらな電気店。偶然出会ったその人とは、今やお笑い界の大御所、ダウンタウンの松本人志さん。相方とふらっと立ち寄ったその場所の家電売り場で、偶然彼を見かけたのだ。何をご購入されたのかまではわからなかったが、彼のお付きの人がテーブルで店員さんと契約を交わしているらしく、彼はその横にちょこんと座り店内をキョロキョロされていた。明らかにプライベートな時間を過ごしている最中のようで、上下黒のジャージに黒い帽子をかぶり全身黒づくめの姿で、TVで見るような芸能人オーラはほとんど感じられなかったが、あの顔はまちがいなくダウンタウンのまっちゃんだった。
ずっと前から彼のファンである俺は、案の定声をかけてみようかななんて一瞬思ったのだが、すぐにやめた。そういや彼が書いた著書の中で、芸能人だからといって仕事以外の場にも関わらず失礼極まりない態度を取る輩がたくさんいると嘆いていた気がする。そんな彼のコトバを思い出し、結局俺らは遠くから彼を見ているだけだったのだが。ホントは握手くらいしてもらいたかったなぁ。