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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2007年04月30日(月)
Vol.690 あの頃のように

おはようございます。りょうちんです。

毎年来る友人Rちゃんからの年賀状が、今年は遅れて届いたのには理由があった。彼女は昨年末、交通事故を起こして入院中だったのだ。思い返してみればもう彼女とは12年も会っていない。今年こそは会いたいねなんていつも言いながら年賀状やメールのやり取りはするものの、月日だけがどんどん流れて気づけば12年が過ぎていた。今こそ彼女に会いに行こう。思い立った俺はさっそく彼女に連絡すると、ちょうど10日ほど前に退院をしたばかりだそうで、俺と会うことを快諾してくれた。
春のひざしの中で俺は電車に揺られて、12年という時間をゆっくりと埋めていく。窓の外の風景が少しずつ変わる緩やかなスピードは、長い月日を振り返るのにちょうど良かった。最後に会ったあの日から、俺は就職して引っ越しをした。そして彼女は結婚して子どもも生まれた。12年間で、お互いいろんなことが変わったのだ。
彼女の住む街の駅の改札口で、待ち合わせ時間より少し早く着いた俺は、人ごみの中で彼女を探した。やがて杖をついた彼女がやってくるのを見つけると、俺は手を振り駆け寄った。お互い、満面の笑顔。そして「久しぶり!」のすぐあとにふたりの口から出たのは、「変わってないね!」だった。俺らは近くの喫茶店に入り、12年のブランクがあったなんてウソみたいにあの頃のように夢中で話し始めた。思い出が堰を切ったようにあふれてきて、止められなかった。彼女の交通事故の傷あとは痛々しかったけど、内臓破裂や何ヵ所もの骨折による3ヶ月以上の入院生活から出てきたばかりの割にはすこぶる元気に見えた。12年分の話したいことがありすぎてどうしようもないのに、今は死語になった12年前のギャグを連発したりくだらない話でバカみたいに盛り上がったりして、昼時の混み合う喫茶店の中でいちばん弾けていたの明らかに俺らだった。気づけば、あっという間の2時間。話し足りないことはまだあったのに、時間切れのため俺らは再会を約束してサヨナラをした。
Rちゃん、早く元気になってね。残ってしまう後遺症に負けないで。子育てもがんばれ。今度は12年後とは言わず、近いうちにまた会いましょう!



2007年03月17日(土)
Vol.689 サラダ革命

おはようございます。りょうちんです。

中国から帰って来てすぐ、俺は風邪を引いた。北京のひどく乾燥した空気と寒さ、それに旅行での極度の疲労が原因だったのだろう。幸い一日ゆっくり休んだら仕事には差し支えない程度に回復したのだが、相当しつこいウイルスだったようで1ヶ月たっても乾いた咳だけはなかなか止まらなかった。中国で変な病気をもらってきちゃったかもなんて心配しはじめた頃、タイミングよく年に一度の健康診断。2週間後に返ってきた結果では、胸のレントゲンにあやしい影は認められずいたって良好、ただ去年同様に中性脂肪値がやや高めと診断されてしまった。
それがきっかけでもないのだが、再度改めて自分の食生活を見直してみようと思った俺。以前に比べて甘いデザートをバカみたいに食べなくはなったのだが、それでもまだあまり効果が出てないのならさらに他の手段を考える必要がある。そこで目をつけたのが、ごはんと野菜のバランスである。ごはんが大好きな俺はいただきますのあと、まずはすぐにごはんを立て続けに食べてからやっとおかずに走るのがいつものパターンだ。またひと口あたりで食べるおかずの量に比べてごはんの量がとても多いので、結果としてごはんを大量に食べている。ごはんは炭水化物、ゆえに必然的に摂取カロリーが多くなってしまうのも納得できる。
そこで。いただきますのあと、まずは野菜を大量に食べてからごはんに手をつける作戦を考えた。幸い我が家の食卓にはほぼ毎回野菜サラダが登場する。この野菜サラダをアペタイザーとして大量に食べることによって、極力ごはんの量を減らすのだ。主食をごはんから野菜へと変える、いわば「サラダ革命」である。
その日から、どんぶり一杯の野菜サラダを食べてからごはんとおかずに箸をつけるようになった。野菜ばかりで野菜嫌いになっちゃうかもなんて当初の心配はどこへやら、毎日おいしく野菜を大量に摂取できている。サラダでおなかが満たされるせいで、ごはんのおかわりもしなくなった。お通じも1日1回から2回に増え、すこぶる快調だ。順調にスタートを切ったこの作戦を、俺は当分続けてみたいと思う。



2007年03月14日(水)
Vol.688 こぶし通りが色づく頃に

おはようございます。りょうちんです。

記録的な暖冬だったそうだ。思い返してみれば、この冬は骨身にしみるほどの厳しい冷え込みは一度もなかった気がする。去年のとびきり寒かった冬に比べると、今年の冬のなんと暖かかったことか。東京では氷点下になることもなく、観測史上初めて雪が観測されないまま冬が終わってしまった。身に堪えない暖かな冬はそれはそれでうれしいものだが、なければないでなんだか物足りなくも思えてしまう。「冬はつとめて」と昔の人はよく言ったものだ。真冬の早朝に感じるキーンと張り詰めた凍りつく空気もけして悪いものではないと、暖かくなった今だから言えるのかもしれない。人間ってやっぱりわがままな生き物だ。
ひと足早くやってきた春の訪れは、いろんなところで目にすることができる。仕事に行く途中、こぶしの花が咲き始めたことに気がついた。桜が咲くよりもちょっとだけ早く蕾が開くこぶしの花が、今年は例年より半月以上も早く白い色で咲き始めた。家のそばにはこぶしの木々が街路樹として立ち並ぶ道があり、「こぶし通り」と記された小さな立て札が立っている。このこぶし通りが色づく頃になると、本当の春がやってきたんだなぁと俺は思う。しかし俺がここに引っ越してきてしばらくの間、この木々をずっとモクレンだと思っていた。最初の春がやってきてこのこぶしの街路樹が満開に花を咲かせた時、その花の影に隠れるように申し訳なさそうにひっそりと立っている立て札を発見して、俺は初めてこの木々がこぶしなんだと理解できたのだ。こぶしとモクレンは本当によく似ている。花を咲かせる時期も色も形も、そして木そのものも。だからまちがえるのは仕方ないのだが、最近じゃモクレンの方が大木でこぶしよりも花もたくさんつけるなどという微妙な相違点を見つけて、なんとか区別できるようになったと思う。自信は全然ないのだが。
菜の花が咲き、梅が咲き、水仙が咲き、桃が咲き、沈丁花が咲き、そしてこぶしが咲いた。季節は確実に流れて、そして今年も春がやってきた。次は桜の花を待つだけだ。桜が咲いたら、今年はのんびりお花見に行きたいなぁ。



2007年03月03日(土)
Vol.687 突然の訃報

おはようございます。りょうちんです。

パートのTさんが亡くなられてから、もうじき2ヶ月がたつ。たまたま休日だったあの日、俺は本屋で立ち読みをしていた。ふいに鳴り出したケータイは店からで、電話に出ると深刻そうな声でMさんが話し出した。「先ほどTさんのお宅から電話があって、Tさんが今朝亡くなられたそうです…」。最初、俺は状況がよく飲みこめなかった。Tさんの身内の誰かに不幸が遭って、葬儀やら何やらでTさんが数日間出勤できなくなるんだと勘違いした。のんきに構えていた俺は、「で、誰が亡くなったの? 旦那さん?」なんて聞き返したのだが、「いや、亡くなったのはTさんですよ。だからもうお仕事には行けませんって…」という答えに、次のコトバを失った。
そんなはずはない。そんなのウソだ。だって3日前にはいつもと変わらない元気なTさんと一緒に、俺は仕事をしたのだから。今年もよろしくお願いしますなんて律儀に頭を下げて、新年のあいさつもしたばかりなのだから。年末年始も三が日しか休まず、働き者のTさんだったのだから。以前はひどかった肩こりも最近はずいぶん楽になって、ここんとこ調子がいいと喜んでいたのだから。亡くなったなんて、全部ウソに決まってる。
しかしコトバをなくしたままの俺に構うことなく、電話越しのMさんは事実だけを話し続けた。どうやらお風呂に入っていて突然倒れてしまったらしい。2世帯住宅で隣に住む息子さんが気づくのが遅れ、病院に駆けつけた時にはすでに遅く、そのまま帰らぬ人となってしまったんだそうだ。元気だった人が突然亡くなるという話は、よく耳にする。だけどそれが自分のすぐそばで起こると、信じられないという気持ちが先に立って動揺を隠し切れない。
突然の訃報を聞いたあの日からも時間は止まることなくただ淡々と流れて、彼女がいない現実も今じゃ少しずつ普通だと感じてしまえるほどになった。でも時々俺はTさんを思い出す。「おつかれさま!」と言って帰っていった、最期の笑顔を。



2007年02月18日(日)
Vol.686 北京的回想・後編

おはようございます。りょうちんです。

前回の続き、北京的回想・後編。
第三日的回想。午前6時の朝ごはん。再びの早朝日壇公園。太極拳・ダンス・中国コマ・剣術・遊具・ポンポン・卓球・羽蹴り・カンフーなどをする健康的な集団。福引で当てたキーホルダー。琉璃廠で買った書道グッズ。つららの下がった洗濯物。胡同の商店で買った調味料とあやしいポコちゃんソーセージ。羽蹴りの羽を買う時に通じた日本語がうれしそうだった店のおばさん。偶然発見して挑んだ混雑したニーハオトイレ。やっぱり広くて感動した天安門広場。北京五輪まであと560日とカウントダウン表示された国家博物館前の塔。青空に映える風になびく赤い中国国旗。巨大な毛沢東の肖像画。天安門に登るのに食品は持ちこめないと促され渋々預けたらたった2元だった俺の荷物。中ではなかったことになっていた天安門事件。大きすぎて到底見切れないと知っていた故宮博物院。改修工事のため幕で覆われちょっとがっかりした宮殿。故宮の中に隠れてあったスタバ。長い階段を上り雄大な故宮を見下ろした景山公園。不安ながらも飛び乗った初めてのバス。前海で見た中国式スケート。ステキな茶芸の茶家傳。筆談で一生懸命会話しようとしてくれた店員のお兄さん。若いのにすばらしかった茶芸の腕前。めちゃくちゃおいしかったウーロン茶。年に一度の臘八粥。動く広告に見とれた地下鉄の壁。食べ方が微妙にわからなかった羊肉しゃぶしゃぶ。満腹でまたもや断念した屋台街。10元に値切ったパンダのマトリョーシカ。がんばって応対してくれた天福茗茶の店員さん。疲れた足を引きずって辿り着いた漢方洲。「正好!」の連発だった全身マッサージ。
最后日的回想。3度目の早朝日壇公園。やってみると結構難しくて結局最後まで仲間に入れなかったダンスの集団。鳥かごをぶら下げたおじさん。おみやげ探しに苦労した王府井のデパート。意外と高かった五輪グッズ。出発ギリギリで頼んだホテルのウェルカムドリンク。ごはんを食べようとしても外に出られなくなっちゃった北京空港。離陸渋滞で出発が遅れた飛行機。帰りたくなかった日本の日常。
北京は広すぎて3泊4日じゃ足りなかった。謝謝北京。再見北京。我想又去北京!



2007年02月08日(木)
Vol.685 北京的回想・前編

おはようございます。りょうちんです。

第一天的回想。飛行機の窓から見えた広大な砂色の大地。もやのかかった真冬の北京空港。天壇公園の回廊でいろんなことをして楽しむ地元の人たち。鮮やかな色使いの祈念殿。平坦な道だと錯覚した丹陛橋。柵があって試せなかった回音壁。何度も手を叩いた三音石。他の観光客と写真のポジションバトルをした圜丘。偽物の時計を売りにきた現地人に初めて通じた中国語の「不要!」。荒い運転が普通だった自動車と違和感がある右側通行。夕食のために素通りで我慢した王府井の屋台街。ジャニーズが好きな清さん。たらふく食べたうますぎる北京ダック。舐めただけで舌がしびれた56度の白酒。行ってみたら高級過ぎたスーパー。壊れていた部屋の洗面台。会話本を見ながら中国語で呼んだフロントへの電話。調子に乗って再度中国語で電話したのに最後はうっかり英語を話しちゃったモーニングコール。
第二日的回想。迷って北口から入った早朝の日壇公園。すぐに見つけられた太極拳の集団。紛れて一緒にやってみた体操。トレーニングマシンになっている遊具で鍛える健康的な中国人。大使館の前に立つりりしい軍人さん。建設中で近くで見れなかった国家体育場と五輪選手村。マイナス7℃の八達嶺。目立っていたオリンピックの看板。それでも壮大な万里の長城。暇そうなラクダとロバ。下手な日本語で話しかける露天商。北八楼を越えると急勾配が続き人が激減した北十二楼まで。そこで仲良くなった中国人の女の子2人。女坂の最終地点で感動的に舞い出した雪。乗ろうかどうか躊躇したスライダー。大笑いした俺のひざ。平気な顔でゴミを投げ捨てた韓国人。南七楼で食べた凍ったみかん。帰りは気を利かせて胡同を回ってくれた梁さん。朝陽劇場裏の店で見つけた超級毛毛虫パン。獅子舞や13人乗り自転車で驚きの連発だった雑技団。耳から離れない閉幕の軽快な音楽。相方とはぐれた夜の三里屯。初めて乗った地下鉄。ケンタッキーで買った桃タルト。わからない中国語でオーダーに四苦八苦した王府井の餃子屋さん。ひと粒多かったおいしい水餃子。22時で閉まっちゃった屋台街。終電を気にして急いで食べた藍&白。
北京的回想・前編はここまで。続きは次回、後編へ続く。



2007年02月03日(土)
Vol.684 見えない壁

おはようございます。りょうちんです。

念願の万里の長城は、北京市街から最も近い八達嶺に挑んだ俺ら。北八楼を過ぎるとさらに急勾配のアップダウンが続き、手すりもなく部分的に凍っている急坂はもはや登山だった。途中まで混雑していた観光客も極端に減り、そんな中で俺らはいつのまにか抜き抜かれする彼女たちと仲良くなった。最初に声をかけてきたのは彼女たち。聞き慣れない会話をする異国人に興味を持ったのか、「Korean?」という質問に俺は「No,I'm from Japan!」と答え、それからはすれ違うたびにお互い簡単な英語で話すようになった。「Are you tired?」とか「It's so great!」とか中学生レベルの英語だったが、中国人の彼女たちと日本人の俺らをつなぐコミュニケーションはそれで十分だった。ひと足先に北十二楼に着いた俺らは、彼女たちを待って小雪舞う中4人で写真を撮りまくる。それぞれが違う公用語を話すにも関わらず、英語で通じ合えた俺らと彼女たちの間に、見えない壁は存在しなかった。
琉璃廠から大柵欄へ抜ける途中で胡同に入りこんだ俺らは、偶然にもそこでニーハオトイレを発見した。市街地では見つけるのが困難との情報だったが、観光客が入ってこない胡同には、昔ながらのものもまだ結構残ってるようだ。レンガ造りの建物の中は、手前が小さい方用、奥が大きい方用。もちろん仕切りの壁や扉はなく、穴だけが4ヵ所あいている。先客は2名いたが、彼らにまじってさっそく俺も挑戦してみた。だがやってみると、開放的過ぎて安心して用が足せるかという当初の心配はどこへやら、とても快適にコトを成し終えた。なぜならそこには、見えない壁があったから。ほんの数十センチ横には尻を出した見ず知らずの人がいるのだが、それをわざわざ見てやろうと考える人なんているわけもなく、仮に目が合ったとしても「ニーハオ!」なんて声をかける空気ではないのだ。用を足している最中の各個人は座禅を組む僧のごとく無の境地に入り、ひとりの世界に閉じこもるものだ。拍子抜けするくらい普通に体験したニーハオトイレに、見えない壁は存在した。
飛行機に乗れば4時間で行ける北京。想像以上に楽しくステキな場所だった。国境という見えない壁を越えて、いつかまた絶対に北京を訪れたい。



2007年01月22日(月)
Vol.683 ニーハオトイレに出会いたい

おはようございます。りょうちんです。

いつだったか昔、修学旅行でお風呂に入る際に海水パンツをはいて入るこどもがいるというニュースを聞いた時、飽きれてものも言えなくなってしまったのを覚えている。第二次性徴が現れはじめた思春期の少年が人前で裸になるのが恥ずかしいというのはわかるが、みんなと一緒にお風呂に入るのに海水パンツまではいてしまうというのは絶対におかしい。お風呂で裸になるのは当たり前であって、むしろその場で海水パンツなんぞをはいている方が恥ずかしいと思う。だから俺は昔からスーパー銭湯などに行って知らない人と一緒にお風呂に入ることがあっても、けしてタオルで前を隠したりなんかはしない。
しかしお風呂の時に人前で裸になるのは全然平気でも、人前で排便の姿を見られるほど屈辱的なことはない。そういや以前とある居酒屋で、うっかり個室の鍵をかけ忘れて見ず知らずの人にばっちりと俺の排便している姿を見られてしまったことがあるが、その時はこの上なく恥ずかしかった。四方を囲まれている狭い空間なのがトイレであって、だからこそ快適に用が足せる。仮にそんな恥ずかしい姿が筒抜けの状態だったら、落ちつかなくて快適に用が足せるはずはない。
だが、中国には昔から通称「ニーハオトイレ」と呼ばれる公衆トイレがある。個室を仕切る壁がなく、扉さえもない、まさにオープンスタイルのトイレである。用を足しながら、隣の人と「ニーハオ!」と挨拶もできるというところからこの名がついたらしいのだが、これもれっきとした中国のひとつの文化だと思う。オリンピックを間近に控えた北京では、最近都市の近代化で急速に工事が進み、このニーハオトイレを見つけることが難しくなってしまったそうだ。だけどせっかく北京に行くからには、ぜひ昔ながらのニーハオトイレに出会いたい。郷に入りては郷に従え。恥ずかしいなんて言ってられない。とっても開放的なニーハオトイレで用を足すというすばらしい体験を、実は密かに夢見ている。
出発は水曜日。ニーハオトイレだけじゃないステキな北京が、俺を待っている。



2007年01月19日(金)
Vol.682 おおBEIJING

おはようございます。りょうちんです。

特に決めているわけでもないのだが。毎年今くらいの季節になると、だいたい1年に1回のペースで、俺と相方はふたりでそろって飛行機に乗ってどこか遠くへと旅行に出かけている。3年前の1月は沖縄、おととしの2月は知床、同じ年の11月は長崎。そして今年も冬がやってきて、俺と相方の間で旅行の話が持ち上がった。
さぁ、どこに行こうか。手にしたパンフレットをにらみながら、候補地を考える。俺の仕事上、どんなに連休が取れても4日間。観光スポットや名産品や体験できることなどありとあらゆる魅力的な要素を検討し、それに予算の問題も絡めて、俺らの悩める日々は続いた。屋久島もいいけど、能登半島にも行きたい。石垣島も魅力的だけど、札幌も捨てがたい。候補に上がる場所はどこだってステキなところに違いないだろうけれど、でもなんとなく決め手に欠けるのだ。だって思い返してみれば、沖縄の時は琉球の文化や歴史や自然を実感するのが目的だったし、知床の時は流氷を見るのが目的だったし、長崎の時は引っ越していった友達に再会するのが目的だった。今回の旅も、何か目的がなければ行き先は決まらないのだ。
さんざん悩んだあげく、俺らはここで発想の転換を図った。国内で決められないなら、海外でもいいじゃないか。休暇の4日間をフルに使えば、場所によっては行ける海外だってある。そう思い、今度は海外のパンフレットを見てみたのだが。ハワイもグアムもソウルも香港も、どうもやっぱり決め手に欠けるのだった。
だがあきらめかけた時、俺はある都市に目が止まった。中国・北京。ここだ、ここしかない。だって、来年にはオリンピックがこの地で開かれる。活気に満ちた北京を今こそ一緒に感じたい。歴史ある古い街でもある。昔からの街並みや寺院、それに万里の長城などの世界遺産をこの目で見ておきたい。おいしい中華料理もたくさんあるし、太極拳や書道も本場で体験してみたい。おおBEIJING、待ってろ中国!
そういうわけで、期限切れのパスポートも取り直し、来週俺らは3泊4日で北京を訪れる。すでに頭の中ではドラが鳴り響き、テンションは最高潮に達している。



2007年01月18日(木)
Vol.681 TIME

おはようございます。りょうちんです。

今年の俺のキーワードは「TIME」に決定。去年、俺は漠然と、でも真剣に考えてしまったことが2つある。なぜこんなことを考えはじめたのか、そのきっかけはいくつもあってそれが複雑に絡み合っているため、簡単には説明できないのだが。
俺が去年考えたこと、その1。歴史は常に作られ続けていて、その長い歴史があるからこそ今の俺がここにいるんだということ。この「ひとりごと」でも『俺のルーツを探るシリーズ』と題して全4作、俺の祖先のことも含めてなぜ俺がこの場所に存在しているのかを記したりもした。昨日や今日といったレベルじゃなく、何十年や何百年といった単位で歴史が作られていて、そして俺も今まさにこの歴史を作っていっているうちのひとりなんだということに、初めて気がついたのだ。
俺が去年考えていたこと、その2。すべての物事には終わりがあって、そのタイムリミットまでをカウントダウンしながら生きているということ。去年の冬にへこみ続けていた日々も、相方が祖母に会いに都内へ足を運ぶことも、しょっちゅう訪れていた大好きなパスタ屋さんも、終わりの時が来るなんてその時は思いもしなかったけれど。楽しいこともステキなことも悲しいこともつらいことも良いことも悪いこともすべてひっくるめて、全部がいつかは終わってしまうということにも俺は改めて気がついたのだ。
これら2つを、今年はもっと突き詰めたいと思う。そしてこの2つに共通するキーワードが「TIME」なのだ。今年は、時間という概念をもっと意識したい。こんなふうに書くとすごく哲学的に取られてしまいそうだが、そうじゃない。そんな難しいことじゃなく、気楽な気持ちでこういうことや時間というものを、日常の中で今よりも少しだけ意識しながら過ごしていこうと思っている。そのためにも、俺にとって有意義な時間が過ごせる2007年になるように、日々努力していきたい。
すでに1月も半分が過ぎてしまった。うっかりしていると、あっという間に今年も終わってしまうだろう。なぜなら、時間は確実に流れ続けているのだから。