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2008年01月31日(木) ■ |
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Vol.710 手話を学びたい |
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おはようございます。りょうちんです。
去年の秋、市で刊行されている広報誌を眺めていると、初心者向けの手話講座が開設されるという記事が目に止まった。そうか、この手があったか。日本語と拙い英語だけじゃなく新しいコトバを身につけたいと常々思っていた俺は、去年の北京への旅行をきっかけに中国語もかじってみた。独学ではそれさえままならない現状だが、さらに新しいコトバとして手話を覚えるのはとてもいい考えだと思う。なにより、手話ってなんだかおもしろそうだ。俺はさっそく手話講座の申し込みをした。 先生は髪の長い女性の聾者で、20人ほどの受講者のほとんどが母親くらいのおばさんたち。みんな手話なんてまったくわからない人たちばかりだった。最初は手話って難しくて大変かと思っていたが、やってみるとこれが結構楽しいもので。毎週の早起きはちょっとつらかったが、少しずついろんな手話表現を身につけていった。そしてなんにもわからなかった俺が、最後には「手話を覚えてこれからできること」をテーマにみんなの前で発表できるまでになり、全10回の講座が終了した。 大切なのは、伝えたい気持ち。今まで学んできた英語や中国語みたいに単語や文法から覚えるのではなく、手話表現がわからなくてもジェスチャーや空文字などあらゆる手段を使って相手に気持ちを伝えることが最も大事だと、この講座に参加して改めて痛感した。てか本来、英語や中国語もそういうことが大切なんだろうな。 手話講座は終了したけれど、俺はこれからももっと手話を学んでいきたいと思う。幸いにも、ここで知り合った人に勧められて毎週おこなわれている手話サークルに顔を出すことにした。街で聾者が困っている時に手助けしたいとか、災害時に聾者の役に立ちたいとか、聾者のためにボランティアをしたいとか、そんな大げさなことは考えていない。俺は趣味として、自分のために手話を学びたいのだ。でももしも俺の手話が何かの時に役立つのなら、それはとてもうれしいことだと俺は思う。せっかく覚え始めた手話を忘れないように、楽しみながらがんばらなくちゃね。
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2008年01月24日(木) ■ |
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Vol.709 いい人になりたい |
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おはようございます。りょうちんです。
いい人になりたい。世の中にはいろんな人がいるけれど、良いか悪いかのふたつにわけるとしたならば、俺はいい人の部類に属したいと思う。だがひとくちにいい人と言っても、いろいろなタイプがある。 性格のいい人になりたい。いつでもどんな時でも誰にでも優しく、常に穏やかな気持ちを保ち、清らかなココロで人に接したい。損得よりも善悪を第一に考えて行動し、誰からも好かれる俺でいたい。 マナーのいい人になりたい。どんな場所でもどういう状況でも気配りをするという心がけを忘れずに、他人にも地球にも今以上にもっと優しい俺でありたい。 頭がいい人になりたい。好奇心や向上心をより高め、興味や関心のあることにはすすんで首を突っ込み、知識の量をもっと増やしていきたい。本や新聞やありとあらゆるメディアからもたくさんの情報を仕入れ、その中で自分には何が必要かを選別し、もっと賢い俺になっていきたい。 かっこいい人になりたい。ルックスは今更どうすることもできない部分もあるが、少しでも若さをキープできるよう努力したい。かといって年齢を重ねていくことを恐れずに、むしろそれをプラスに考えて、外見だけじゃなく内面的にもかっこいい生き方ができるように心がけたい。 愛想のいい人になりたい。スマイルは常に忘れない俺でいたい。たとえどんなに悲しくてもたとえどんなにつらくても、俺が愛想良くにこやかでいることによって、まわりの人たちを少しでも明るい気持ちに変えていきたい。 フットワークのいい人になりたい。例えば何か大切な事柄を決めなくてはならない時でも、後先のことを考えて躊躇するのではなく、正しい決断を速やかに下しすぐに潔く行動に移せるようにしたい。 いい人になりたい。今年の俺の目標は、これでいこうと思う。今年が終わる頃、俺は今よりももっといい人になることができているだろうか?
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2008年01月03日(木) ■ |
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Vol.708 一家団欒のお正月 |
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おはようございます。りょうちんです。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 この年末年始は実家に帰って、家族でのんびりと一家団欒のお正月を過ごした人も多いと思う。何年か前までは正月返上で仕事をしていたこともあったが、俺もここ数年は人並みに三が日は休みを取って実家に帰るようにしている。実家と言っても俺の場合は同じ市内にあるし、正月じゃなくたってしょっちゅう帰省しているのだから、特別に何かをするわけではないのだが。仕事から解放されてぼんやりTVで駅伝なんかを見てるのも、けして悪くないと思うのだ。 しかしそれにも限度がある。毎年そんなゆるゆるな時間ばかり続くと、さすがに退屈だと感じてしまう時もあるのだ。弟たちも同じように感じているらしく、彼女と初詣に行くだとか友達と遊びに行くだとかで年明け早々家にいないことも多い。昔はお正月と言えば家族全員がそろってのんびり過ごすのが当たり前だった我が家も、いつのまにか全員そろって過ごすお正月がめずらしくなってしまっていた。 ところが。今年の元日は、どういうわけか全員がそろったのだ。俺ら兄弟が全員集まるなんて両親にしてみればうれしい誤算だったようで、母は「みんなが集まるならもっとおせち料理を用意しとけば良かったよ〜」と笑っていた。せっかくだからと、夕食はみんなで外食をすることに。正月だからやってないかもと懸念した中華料理店も、年中無休の看板を掲げているだけあって営業している様子。さっそく予約を入れて、家族総出で乗り込んだ。「元日から中華かよ!」なんてツッコミも聞こえたが、我が家は今年も食欲旺盛でみんなぺろりとたいらげていた。バーゲンで買った母のマフラーの話とか今度の旅行はどこに行こうかとか、盛り上がる話題は尽きることがなかった。家族が集まって楽しく過ごすということは、ホントに良いことだ。誰もがこぞってお正月に帰省する理由も、わかった気がする。 結局。退屈な時間はなかなか読めなかった本を一気に読んでしまおうと、かばんに4冊も本を忍ばせて実家に帰ったのに。そんな作戦は失敗に終わったみたいだ。
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2007年12月31日(月) ■ |
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Vol.707 流れゆく時間の中で |
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おはようございます。りょうちんです。
今年も1年間を振り返ってみると、ものすごい速さで過ぎていった気がする。くしくも、年の初めに俺が掲げた今年のキーワードは「TIME」。時間を意識しながら過ごしていきたいと誓った。さて、俺は今年、本当にそれができたのだろうか? 仕事において、秋に俺は大きな変化を迎えた。タイムリミットが迫ってくるにつれて、残された時間がすごく貴重に思えていった。今まではなんてことなかった日常も、そのひとつひとつが妙に大切に感じた。9月が終わり、そしてやってきた新しいライフスタイル。10月は少しだけ不安を抱えたスタートだったけれど、結論から言うと結果として時間的にはすごく楽になった。自由に使える時間が増えたことによって、今までできなかったことも今は少しずつはじめている。 限られた休日を使って、今年はいろいろと旅行にも行った。相方と北京にも、家族と沼津にも行ったけど。たった一日しかない休みと青春18きっぷを上手に使って、どこまで遠くにおいしいものを食べに行けるかなんてゲームみたいなことも楽しんだ。先日はその第3弾、へぎそばを求めて新潟は小千谷へ。楽しい時間ほど早く過ぎてしまうから、非日常ほどその一瞬一瞬を大切にしなきゃと胸に焼きつけた。 5年ぶり、10年ぶりに会う友達もいた。でも、彼らとの時間の空白がウソのように昔みたいに話が弾む。時は流れても、前と同じくふざけ合えたのがうれしかった。 また今年は、自分の先祖を辿ることにも力を入れた。今は亡き祖父や曽祖父やもっと昔の先祖たちが残していった謎は、まだまだ解明されない部分もたくさんあるけれど。ずっと昔から続く先祖たちのことを知っていくたびに、時の流れとその重みを感じずにはいられなかった。それゆえに、代々の先祖たちから受け継いだものは、今は確実に俺の中にあるんだと強く思えるのだ。 こんなふうに振り返ってみると、まぁそれなりに今年は時間を意識して過ごせたんじゃないかなぁなんて思える。そして、止まることはけしてない流れゆく時間の中で、俺は来年からもより良い方向へ変わり続けていきたいと思うのだ。
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2007年12月06日(木) ■ |
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Vol.706 父の医者嫌い |
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おはようございます。りょうちんです。
驚いたことに、父は今まで一度も健康診断を受けたことがないそうだ。自分で床屋を営んでいる父は、会社勤めの経験がない。ゆえに定期的に俺が強制させられている健康診断を、父は今まで受けなくて良かったのだ。理容組合で企画された集団健康診断はあくまでも任意だから、お墨付きの医者嫌いを通している父がそんなもの受診するはずがない。とても元気そうに見える父だが、カラダのどこかに病の影が潜んでいるかもしれないのだ。考えてみれば、今は奇跡的に回復した母が倒れた時も突然だった。これは一刻も早く父にちゃんとした検査を受けさせる必要がある。 調べてみると、俺が住んでいる場所でも市がおこなっている市民健康診断なるものがあった。医療機関で個人的に受ける人間ドッグとほぼ同じ内容の検査項目が実施され、かつ料金は格段に安い。タイミングの良いことに、近くの保健センターで企画されるのが半月後の予定である。さっそく俺は父に市民健康診断を受診してくるよう、話を持ちかけた。大の医者嫌いの父である。最初は激しく拒んでいたが、俺と母の懇願により最後はどうにか診断を受ける約束をすることに成功した。 だが。健康診断当日の朝、心配になって実家に電話すると。案の定、父はやっぱり行かないとごねていた。休みだった俺は急いで実家に帰り父を説得する。結局母の提案で、母の通院する病院で検査という口実で人間ドッグをすることで父は納得してくれた。費用はかかるが何もしないより良い。さっそく母が病院へ連絡するとその日のうちに検査ができるとのことなので、すぐに父を車に乗せ病院へ向かった。 付き添いふたりに連れられて、父は渋々診察室の扉を開けた。ここまでお膳立てされればさすがに観念したようで、あれだけ嫌がっていた採血もすんなり終わる。思ったより痛くなかったと父は笑った。そして2週間後に出た検査結果は、中性脂肪値がやや高めだが特に異常は認められないというもので、気休め程度の薬を処方されただけだった。父の医者嫌いには本当に苦労させられたが、これでようやくひと安心だ。でも実は、来週還暦を迎える父がいちばんほっとしているに違いない。
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2007年11月22日(木) ■ |
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Vol.705 ばちあたりな俺ができること |
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おはようございます。りょうちんです。
俺のルーツを探るシリーズ・その6。 以前にも記したことはあるが。俺の実家では、父が床屋を営んでいる。父は3代目で、俺の曽祖父にあたる人が俺が生まれ育ったあの場所で理容業を始めたらしい。俺がちびっこだった時にはまだあった、「明治40年」と記された大きな鏡。それは店が開業した時に作られたものと聞かされてきた。その話が事実ならば、俺の曽祖父が床屋を始めてから今年がまさに100年目という節目になる計算だ。 市内には今やたくさんの理容店があって、競合もかなり激しいのだが。100年も代々続いている歴史ある床屋は、ほんの数軒しかないだろうと父は言う。でもそれは本当なのだろうか? 実家のあの店が開業したのは、本当に100年も前なのだろうか? そんな疑問をどうしても明らかにしたくて、いろんなことを調べる日々が俺にはもう1ヶ月も続いている。 図書館や市役所に行って資料を手に入れたり、昔の店のことや曽祖父のことを少しでも知っている人に話を聞いたり。それでも決定的な確証はつかめないどころか、調べれば調べるほど父さえ知らなかった事実が徐々に明らかになっていく上、次々と新たな謎が浮上してきて想像以上に簡単には解けない難題なのだと感じずにはいられないのだ。なぜ俺が今、こんなにも躍起になって先祖のことを調べる気になっているのか、正直自分でもわからない。でも何かに憑りつかれたように、この謎を解明したいという衝動に駆られてどうしようもないのだ。 俺は父の跡を継がなかった。父の代までずっと続いていた、長男が家業を継ぎ店を守っていくという流れを、俺は自分の意志で断ち切ってしまった。今になって、父にも祖父にも曽祖父にも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。先祖のためにこんなばちあたりな俺ができることと言えば、唯一この謎を解いて店の歴史を明らかにすることくらいなのかもしれない。謎が解けるまでもう少し努力が必要だが、そんな償いの気持ちを込めて奔走している毎日なのだ。
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2007年10月04日(木) ■ |
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Vol.704 守るものがある強さ |
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おはようございます。りょうちんです。
今の俺には絶対に失いたくないものがある。それがなければどんなことも怖れずにチャレンジすることができて、最強になれる。でも俺には守りたいものがあるから、そこまで強くはなれない。だから、守るものがない強さに俺は憧れる。そんなことを、昨日のひとりごとで記した。 考えてみれば、俺はいつだって強い自分でありたいと願っている。生きていく上でどんな出来事が俺に起ころうとも、それを乗り越えるだけの強いココロを持っていたい。強くなればなっただけ、つらさや苦しみを喜びや楽しみに変えていけるはずなのだ。そう信じて、俺は生きている。さらなる幸せな生き方をしていく手段として、俺はもっと強くなりたいと願うのだ。 だが、喜びや楽しみを少しでも多く手に入れるためには、必要なものがある。俺にとってそれは、家族や相方であったり仕事や趣味だったりする。家族や相方がいるからこそ喜びや楽しみがより一層深いものになるのであり、仕事や趣味を通して喜びも楽しみも味わえるのである。つまり、俺が守りたいものこそが、幸せに生きていく上で必要なものなのだ。守りたいものがなければもっともっと強くはなれるが、その強ささえも敵わない壁に万一ぶち当たった時は、支えてくれるものもフォローしてくれるものもない。強い分だけ、脆くなる。そういう意味では、守るものがない強さよりも守るものがある強さの方が、本当は無敵なのかもしれない。 そんな矛盾が、いつまでも俺の中で堂々巡りしている。守りに入らない生き方で、どんなことにもアグレッシブで積極的に取り組んでいきたいと思えば思うほど、答えがこんがらがってしまう。ただ確実に言えるのは、今の俺にはいくつもの守りたいものがあるということ。失いたくないものに囲まれて、とても恵まれているということ。だが、チャンスは待っていてくれない。決断をするタイミングは逃したくない。守るものがある強さを武器にして、決断をしなければならない時が近づいているのかもしれない。
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2007年10月03日(水) ■ |
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Vol.703 守るものがない強さ |
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おはようございます。りょうちんです。
最近、思うことがある。以前に比べると、ずいぶん守りに入った生き方をしているんじゃないかと。10代や20代の頃は思い立ったらすぐに行動に移していて、理由や理屈はあとから自分の都合の良いように勝手に付けていたと言っても過言ではなかった。タイミングに身を任せて、結果がどう転がってもそれがベストだったと信じることで解決させてきた。でも最近は、何かを決断する時に一瞬立ち止まってしまう自分がいる。 30代も半ばになれば。結婚をして子どもが生まれ、家や車を手にしてある程度の財産を築き、そこそこ出世して社会での地位を確保している人も多い。昔は一緒にバカばっかりやってた学生時代の友達も、いつのまにかそんな道を歩みつつあって、気がつけば昔みたいに無茶ができない彼らに変わっていた。でもそれは当たり前のことなのだ。時代の流れとともに守るべきものが彼らにはできた。最愛のパートナーや子どもたちも、手にした家や車やその他の財産も、社会で認められる地位も。昔みたいにバカなままじゃ、守っていくことはできないのだ。決断はちゃんと考えてから下さないと、手にした大切なものを失ってしまうリスクを背負うことになるかもしれないということを、ちゃんとわきまえるようになったのだ。 幸せなことに、今の俺にもどうしても失いたくないものがある。家族も相方も仕事も趣味も、守らなければならないものがこんなにもあるなんて、俺は本当に恵まれている。だから何か決断をしなければならない時は、真っ先にこれらを犠牲にしてまで手にすべきものなのかを考えなくてはならないと考えるようになった。このことが、昔よりも行動に移すまでのフットワークが悪くなった原因なのだ。 だが、もしも守らなければならないものが俺にひとつもなかったら。何かを犠牲にすることをまったく考えずに、どんな無茶なことでもすぐに行動に移せるはずだ。怖いものなんて何もない。無敵になれるのだ。そんな強さに、俺は憧れる。今の俺にはありえないことだけれど、守るものがない強さは最強なのかもしれない。
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2007年09月21日(金) ■ |
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Vol.702 悲劇のヒーローは似合わない |
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おはようございます。りょうちんです。
彼が自分のHPの日記で、ガンに侵されていると公表したのはまだつい先日のことだ。以前から体調は思わしくなかったようだったが、この夏は特に具合の悪い日が続き、病院の検査ではじめてガンだと判明したらしい。余命を宣告された彼の日記は衝撃的だったが、それでも彼は事実をしっかり受け止め、「やりたいことがまだたくさんあるから俺は病気に負けない!」と、力強いコトバを残していた。 まったく彼らしいと、俺は思った。彼はナイーブで繊細だけど強いココロの持ち主だから、そういう答えを自ら導き出したのだろう。ガンを公表したのは、みんなに哀れんでほしいからじゃない。同情してもらいたいからじゃない。これから直面する病魔との戦いに真正面から立ち向かう決意を、コトバとしてカタチに表しただけだ。それが俺には痛いほどわかったから、日記を読んですごくショックだったけど、すぐには連絡せずにわざと数日遅れでメールを送った。 思えば、彼とは友達としてずいぶん長い付き合いになる。梅雨が始まった頃にも一緒に食事して、俺のくだらない相談に乗ってくれた。クセのあるヤツだが、俺にはかけがえのない良い友達だ。あの時、すでに病魔に襲われつつあったんだよな。 早朝、彼から突然メールが来た。今日、手術をするのだという。いつもの彼らしくないかなり弱々しい悲観的な内容で、大げさに言えば遺言とも取れるようなことが書かれていた。きっと彼は死を意識した大手術を前に、ひどく不安になったに違いない。急に心配になった俺は、あわてて彼に電話をかけた。だが何度呼び出しても繋がらなかった。当たり前だ。病院にいる彼に電話が繋がるはずもない。でも俺の気持ちをどうしても伝えたくて、わずかな望みをかけて何度も電話をかけた。日が暮れて、彼からメールが来た。無事手術は終わったそうだ。そして「俺はまだ死ぬ気はないから!」と、いつもと同じ力強いコトバで締めくくられていた。 そうだよ、そうこなくちゃ! 悲劇のヒーローは似合わないぞ。病状が落ちついたら、顔を見に行くからね。早く元気になって、また一緒に野球観戦に行くぞ!
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2007年09月19日(水) ■ |
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Vol.701 駐車場の朝顔 |
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おはようございます。りょうちんです。
4月におこなわれた選挙の投票に行った時、帰り際にもらってきた朝顔の種。我が家のベランダはすでに他の家庭菜園で満席の状態なので、どこか別の場所で育てられないかと考えていた。そこで目をつけたのが、店の駐車場。ここなら日当たりは文句ないし、フェンスがあるので育ちゆく朝顔のツルが絡んでちょうど良い。俺は即席の鉢をいくつか作り、そこに家庭菜園であまっていた土と肥料を入れて、駐車場の片隅に朝顔の種を蒔いた。 すぐに芽を出した朝顔は順調に育ち、日に日に大きくなった。朝顔を育てるのは小学生の時以来だ。おいしい果実が実らないものなんて育ててもつまらないと思っていたのに、けなげに成長していく朝顔を見ているとだんだん愛しくなってきたから不思議だ。やがてまだ夏がやってくる前の6月の終わりの梅雨空の下で、最初の花を咲かせた。そしてそれからは毎日淡いピンクや濃い紫などいろんな色の花をいくつも咲かせて、俺らの目を楽しませてくれた。俺の予想以上に伸びていくツルはフェンスを越え、さらに太陽に向かって行き場を探しているようだった。 あと数日後にはもう俺はこの店にいないなんて、切羽詰った今になっても全然実感が湧かない。片付けとか整理とかやらなくちゃならないことは山ほどあるのに、いつもと同じ気持ちで仕事をする俺がいる。駐車場の朝顔は9月になっても相変わらず毎日いくつも花を咲かせ、まだ夏の衰えを知らないでいる。それは最後まで手を抜かずにがんばれと俺に言っているようで、なんだか勇気づけられるのだ。 はじめの頃に咲いた花はもうしっかり種になり、十数粒ほど蒔いた種は季節を越えて両手ですくい切れないほどの量に増えた。一緒に仕事をしてきたみんなとは永遠の別れじゃないけれど、サヨナラをする前に俺はこの朝顔の種を配りたいと思っている。いつかどこかでこの朝顔が芽を出し、今と同じきれいな花が咲いたら。その時は、俺と一緒に仕事をした日々を思い出してほしいと思う。 残り時間はあとわずか。朝顔に笑われないよう、最後までがんばらなくちゃね。
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