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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2008年05月22日(木)
Vol.720 不器用なセールスマン

おはようございます。りょうちんです。

5月半ばというのは、店は閑散期だ。たいていの人はゴールデンウィークに出費がかさみ、次の給料日までは財布の紐が固くなる谷間の時期なのかもしれない。少し暇をもてあましていたある日、彼は店にやってきた。首に某生命保険会社のネームプレートを下げて、簡単なアンケートに協力してほしいと言う。普段なら軽く断ってしまうところだが、保険にはまったく入るつもりはないという俺の意志を強く主張した上で、時間があることも手伝ってからかい半分で相手をすることにした。
それにしても、彼の口ぶりや動作はこちらが心配になるくらいひどくぎこちなかった。たった数問のアンケートなのに、彼の不慣れな作業がもたつき予想以上に手間がかかる。会話に間が空くと、取って付けたような敬語で話題を繋げようとする。しかも言葉使いがたまにおかしかったりして、彼がすでにいっぱいいっぱいなのが手に取るようにわかった。聞くと、東北出身の彼はこの春大学を卒業したばかりの新入社員で、研修の一環としてまさにその日からアンケートを取りに外回りをはじめたという。なるほど。それでこんなにぎこちないのか。それでも彼のその一生懸命さに好感を持った俺は、最後まで丁寧にアンケートに答え笑顔で彼を見送った。
それがきっかけで、たびたび彼は店に顔を出すようになった。最初はたまたま通り掛かりに立ち寄るというセールスマンらしい理由で来店していたのだが、やがてうちの店のお客様として来ていただけるようになった。交わす会話は相変わらずぎこちなくて、他でもいろいろ苦労しているのが良くわかる。嫌味なくらい愛想良く流暢な説明でまくし立てる保険のおばさんは山ほどいるが、いくらキャリアがまだないとは言えこんなにぎこちなくて不器用なセールスマンは見たことない。それでもひたむきにがんばる一生懸命さが、今の彼の武器なのかもしれないと思った。
そんな彼は2週間の研修を終えて、来週新しい研修のために新潟へ向かうんだそうだ。お世辞にも彼は保険のセールスをするのに向いているとは思えないが、彼の武器を活かしてがんばって欲しいなぁと、素直に応援したい気持ちになった。



2008年05月01日(木)
Vol.719 春の空は好きですか?

おはようございます。りょうちんです。

日本には明確な四季があって、季節が少しずつ移ろいゆくのを感じることができるのは本当に恵まれていると思う。季節が変わるごとに外の風景も変わり、旬のごちそうをいちばんおいしい時にいただく。ちびっこだった頃はそんなありがたみなんて全然わからなかったけど、今はそういった些細なよろこびを幸せに思えるのだ。だからこそ、人それぞれに最も好きな季節というのが存在するのかもしれない。
着眼点を「空」に限って考えてみたい。春夏秋冬、空はそれぞれ違った顔を持っている。春の空、夏の空、秋の空、冬の空。それぞれを頭の中で良く思い浮かべた上で。あなたはどの季節の空がいちばん好きですか? こんな質問をすると、春の空がいちばん好きだと答える人はほとんどいないんだそうだ。四択なんだから、4人に1人は春の空がいちばん好きだと答えても良さそうなものだが。それはなぜか?
あくまでも俺の推測だが。俺が思うに、春の空は他の季節の空に比べるとあまり特徴がない気がする。例えば、夏の空といえば鋭い太陽の光ともくもくとした入道雲が思い浮かぶし、秋の空といえばきれいな秋晴れの夕焼け空といわし雲が想像できるし、冬の空といえば張り詰めた空気に雲ひとつない透き通るような澄んだ淡い青空がイメージされる。しかし春の空と言われても、なんだか想像するのがなかなか難しいのだ。強いて言えば、春霞と言われるようなぼんやりとしたはっきりしない空を思い浮かべてしまう。これじゃむしろ悪いイメージだ。
野球観戦に行った。天気はこの上なく良くて、雲ひとつない快晴。観戦の合間、空を見上げてみた。するとやっぱりどことなく霞みがかかっていて、雲はないのにどこまでも晴れ渡るきれいな空とは言えなかった。5月の紫外線は強くて、日焼けはすっかりしたのに。今年のゴールデンウィークは、後半もこのまま良いお天気が続くらしい。これを機に、春の空を改めて眺めてみるのはどうだろうか。じっくり空を見上げた上で、あなたは春の空は好きですか?



2008年04月24日(木)
Vol.718 ドクロの呪い

おはようございます。りょうちんです。

科学で解明できないことは世の中にたくさんある。だがそれを簡単に霊現象だのスピリチュアルだので片付けるのもどうかと思う。いつだったか、4人に3人が前世の存在を信じているなんてデータを知って、相方とともにひどく驚いたが。よく考えてみたら、夜中に口笛を吹くと蛇が来るとか、霊柩車を見たら親指を隠さないと親の死に目に会えないとか、赤で自分の名前を書くと悪いことが起こるとか、そんな根拠のないくだらない迷信を俺も疑いながらも信じて守っていたりするのだ。
パートのSさんが、店にたくさんのボールペンを寄贈してくれた。なんでも知り合いにボールペン集めが趣味だという人がいるんだそうで、いただいたボールペンは宇宙人の形をしていたりノックするところが妖精だったり、そのすべてがちょっと変わったキャラクターボールペンなのだ。たしかに実用的なものばかりではないのだが、善意で持ってきてくれたものなのでありがたく使わせてもらうことにした。
その中のひとつに、グリップの部分がミイラのものがあった。首から上の顔の部分がガイコツになっていて見るからに気持ちの良い代物ではなかったが、転がりにくく書き味も良かったので俺はミイラのボールペンをかなり気に入って使っていた。ところが先日、そのボールペンをうっかり床に落としてしまった。すると首から上の部分だけ、つまりガイコツの部分だけがきれいにぽっきり折れてしまったのだ。もっと簡単に折れそうな部分は他にもあるのに、どうして首の部分だけがこんなにきれいに折れてしまったのか。手のひらに乗せたガイコツを一生懸命首につなごうと努力したが、一度折れてしまったガイコツはもう元には戻らなかった。
首から先がないミイラと不気味に微笑むガイコツを見たMさんは、「なんか良くないことが起こるんじゃないですか〜?」なんて笑いながら言う。たしかにものがものだけに、やっぱり縁起が悪いよなぁと俺も思う。もしも俺が事故に巻き込まれたり不吉なことが身に降りかかってきたら、このドクロの呪いだと確信しよう。そんなことを考えつつ、今日も俺は幸せな一日を終えようとしている。



2008年04月18日(金)
Vol.717 ひと肌脱ごう

おはようございます。りょうちんです。

俺は父のあとを継いで床屋になるという道を選ばなかった。でももしも資格と技術を持っていたならば、今すぐにでも転職して理容師として父と同じ仕事をして生きていきたい。去年、我が家の店の歴史を調べていくにつれて、俺はそんな思いがどんどん強くなっていった。俺が床屋ならこんなアイデアを取り入れたいとかこんなやり方で店を繁盛させたいとかさまざまな夢が膨らむ一方で、だがそんな簡単な話でないことは百も承知だった。まったくの素人が理容師の資格と一人前の技術を手にするだけでも少なくとも数年間という時間が必要で、「まだ遅くはないよ!」なんて助言してくれる人もいたが、今の俺にはすでに厳しい選択肢に違いなかった。
この春、離れて暮らしていたすぐ下の弟が戻ってきて、実家を拠点に新しいビジネスを始めることになった。そう言うと聞こえは良いが、簡単に言えば理容師として新たな事業をスタートしたのだ。元来弟は、父の背中を追って実家の跡取りとなる予定だった。理容師の資格もとっくの昔に持っているし、専門学校卒業後は修行の身として何年も他の店で働いていた。しかし、過疎が進み高齢者ばかり集まる田舎の実家に戻ってきてしまうと、自分の腕も上達しなければ将来的に商売として見通しが明るいとは思えない。そんな理由から弟は理容師の道は選んだが、実家であとを継ぐことは頑なに拒んでいたのだ。残念だが、弟の言い分はわかる。俺が弟でも同じ考え方だろう。だからこそ弟の代わりに長男である俺が父のあとを継いで、実家で床屋をやっていかなきゃという使命感を感じていたのだ。
ところがひょんなことに、その弟が戻ってきて実家で床屋を営むことになった。話を聞くと、俺が漠然と考えていたさまざまなアイデアを100倍も緻密に練りこんだプランをすでに持っていて、徐々に実行もしている。自分なりのやり方で新しいビジネスとしてこの仕事をしていきたいと、熱く信念を語った。これは本気だ。想像だけで夢を描いていた俺と違い、弟は生きていく手段としてこの道を選んだのだ。
気がつけば、なんだか怖いくらい上手く話が進んでいる。これからいくつも壁が待ち受けているに違いないが、弟の一念発起に俺もひと肌脱ごうとココロに決めた。



2008年04月17日(木)
Vol.716 72歳の未来予想図

おはようございます。りょうちんです。

今月の初め、俺は誕生日を迎えた。おめでとう、俺。36歳なんてもう手放しで喜べる歳じゃないけど。俺の誕生日を忘れないでちゃんとお祝いのメールをくれた人たちも、誕生会をサプライズで開いて俺を驚かせてくれた人たちも。みんなみんな、ココロからどうもありがとう! この場を借りて感謝します。だから誕生日って、やっぱりいくつになってもうれしいんだよな。
さて、俺、36歳になったわけだが。来年も今年と同じように穏やかな誕生日を迎えられているかどうかは、正直わからない。世の中はめまぐるしく変わっているし、俺自身も常に変化をし続けている。明日の自分さえどういう状況か予測不可能なのに、来年の自分なんてどうなっていることやら。将来のビジョンが全然ないわけじゃないが、例えば10年前の俺が今の俺をまったく想像できなかったように、10年先の未来ともなるとほとんど絵空事なのだ。だったら。今の歳の倍、もう36年たった72歳になった俺を無理やり想像してみよう思う。2044年、72歳の俺はどんな俺か?
まず、思ったよりも結構元気だろうな。ちょっと前までは俺は早死にしちゃうだろうなんて考えてたけど、高齢化社会がさらに進み元気なお年寄りがたくさん存在する中で、俺もそこそこ丈夫なカラダで元気でやってると思う。ひとつふたつの持病くらいはあるかもしれないけど。さすがに仕事はもうやってないかな。でも家でじっとしてはいないと思うので、何かボランティア的なことをやって活動しているかも。趣味は今以上に増えちゃうのは仕方ない。この性格はもう直せないだろうからね。今はまったく興味ないことに熱中している可能性は大だな。相方とのふたり暮らしは続けているとは思うけど、今住んでいるこの家にはいないな。でも地元の千葉は離れたくないからこの近くにはいたいけど、相方の実家ってことも考えられるなぁ。まぁなんだかんだ言っても、ハッピーな72歳であってほしいと願いたい。
さぁ、36歳の俺が描いた72歳の未来予想図は、どれだけ実現しているのだろうか。72歳になった俺が笑いながらこのひとりごとを眺めている姿が、目に浮かぶ。



2008年04月16日(水)
Vol.715 はじまりの季節

おはようございます。りょうちんです。

なんだか最近、俺のまわりがざわついている。それはけして悪い意味ではなく、いろんなことやものや人がそれぞれ何かを新しく始めつつあるのを、なんとなく感じるのだ。冬の間は寒さをこらえてじっとしていた木々が、春の暖かなひざしを浴びて一気に芽吹き花が咲くように。俺のまわりでも、あらゆることがここ最近で急激に変わりつつあるように思えてしまう。そうだ、春ははじまりの季節なのだ。
考えてみれば、今月に入ってから俺は一時的に仕事が忙しくなった。おまけに寒い時には引かなかった風邪を、桜が咲く頃に見事に引いてしまった。自分自身があわただしかったせいで、本来は外に目を向ける余裕なんてなかったかもしれないのに。気がつけば、いろんな変化が俺のココロを刺激した。
学生生活にピリオドを打ち、新社会人として働き出した人。生まれて初めての本当の恋に出会い、毎日ドキドキが止まらない人。新たな資格を取るために、問題集を買って勉強し始めた人。専業主婦を卒業して、久しぶりにパートとして働くことを決めた人。新しいビジネスをスタートするために、休みなく奔走する人。カタチや方法は違っても、彼ら全部が俺の身近に存在するこの春に何かを始めようとしている人たちだ。ベランダのドアを開けると、プランターにはイチゴの新芽がところ狭しと風に揺れている。高校野球も春季大会がスタートした。俺のまわりに訪れているいろんな変化に影響されて、俺も何かをはじめたくてどうしようもない。そんな衝動に今、俺はかられている。
やりたいことは山のようにある。以前に比べれば、時間的にも余裕が持てるようになった。モチベーションの高さは問題ない。あとは何をはじめるかを良く吟味して、タイミングを見極めるだけのことだ。不安や心配がないわけじゃないけれど、そんなこと今は考えなくていい。この春に蒔いた種がどんなふうに大きく育ちどんな花が咲き実を結ぶのか、今はまだわからないが。その答えがいつかわかる時まで、この胸のざわめきは止まらないのだ。



2008年03月06日(木)
Vol.714 おしゃれももひき

おはようございます。りょうちんです。

極度に寒がりな父は、昔からももひきを愛用している。ラクダ色のそれは見た目はひどくカッコ悪いが保温機能にはかなり長けているようで、冬の間はももひきをはかないとどうにもならないと言っている。そんな父を見て、俺も昔はおじさん臭いなぁと良く思っていなかったが、還暦を迎えた今はそれはそれで味のあるファッションなのかもしれないと思うようになってきた。
古くなった衣類をリサイクルしようと実家を訪ねたところ、母が手渡してくれた包みの中に真新しいももひきが2つあった。だがそれはいつも父がはいているものとは違い、ラクダ色ではなくグレーと紺色。カタチもいくぶんカッコ良く作られていて、おしゃれなももひきだ。しかし父はいつものラクダ色のももひきじゃなきゃイヤだと言って、はくのを頑なに拒んだのだという。「もったいないけど誰もはかないからね。なんならお前がはけば良いし、イヤならリサイクルに出しちゃって!」と母は言って、俺はおしゃれももひきを2つ手に入れた。
ももひきなんて。そんな固定観念がココロにはあったが、父があれほど愛用している代物だ。けしてカッコは良くないけれど、このももひきはラクダ色ではないしずいぶんおしゃれに作られている。最近じゃ若いサラリーマンがスーツの下にこっそりはいているのが流行っているなんてニュースも聞いたことがあるし。寒さが凍みる冬の夜、俺は騙されたつもりで手にしたおしゃれももひきに足を通してみた。おやまぁ、これがなんてあったかいこと。底冷えのする職場でも、このももひきさえあればきっと快適に仕事がはかどるに違いない。寒さにはかなわない。すぐにこのももひきを俺も愛用しようと即決した。カッコなんて二の次と思っていたが、はいてみると思ったよりも見てくれは悪くない。そんな気がする。
そういうわけでこの冬、俺はおしゃれももひきを手放せなくなった。もう俺は、このももひきなしでは冬は越せない。こうしてまたひとつ俺もおじさんになっていくんだよなぁ。もう少し暖かくなれば、ももひきの季節も終わる。春が待ち遠しい。



2008年03月04日(火)
Vol.713 遠出の季節

おはようございます。りょうちんです。

先月末、相方とふたりで鹿児島に観光旅行に行ってきた。あいにくの天気で桜島はすっかり雲の中だったけど。西郷どんの銅像と一緒に写真を撮ったり、霧島はえびの高原の遊歩道を散策したり、駅前の朝市で買い物したり、雨の桜島を車で一周したり、指宿で砂風呂に埋もれたり、開聞岳を登ったり。おいしいものもたくさんあって、黒豚に黒毛牛に地鶏に白熊にさつま揚げにさつまいもにきびなごにぢゃんぼ餅などなど、常におなかは満腹だった。うん、ホント楽しい旅行だったなぁ。
俺と相方のふたりで飛行機に乗って大きな旅行に一緒に行くのはだいたい年に1回のペースなのだが、それが決まってこの冬の季節だ。今年の鹿児島も、去年の北京も、3年前の知床も、いちばん最初の沖縄も、全部1月か2月だった。一度だけ11月の終わりに長崎に行ったことがあったが、それも含めて俺らにとって冬は遠出の季節になっている。冬に遠出をする理由は特別にこれといってないのだが、俺のスケジュールが比較的空けやすいことと、冬はツアー代金が最も下がるのを知っているからかもしれない。とにかく、どこに行ってもシーズンオフだったりすることが多いが、それはそれで俺らは十分に満喫してこれるのだ。
俺らの旅は、ゆっくり骨休めするためのものではない。普段できないことを特別に体験したり、珍しいものを見に行ったり、おいしいものをたらふく食べたり、日常では味わえない非日常を思う存分堪能することが俺らの旅のスタイルである。朝いちばんの飛行機で現地に到着し、滞在期間中は朝から晩まで予定をぎゅうぎゅうに詰め込み、最終日も最も遅い飛行機で帰ってくる。それでも毎回やり残すことがまだあって、そのたびにいつかまた必ず行こうとココロに誓うのだ。だから旅行から帰ってくると俺のカラダはいつも疲労困憊で、翌日の仕事も大変なのだ。それでもやっぱり旅行は楽しくて、冬になると旅行の計画を立てはじめてしまう。
さて、次の遠出はどこにしよう? 来年の冬の遠出が、今から楽しみで仕方ない。



2008年02月05日(火)
Vol.712 渦中の冷凍食品

おはようございます。りょうちんです。

実家に帰り、いつものように母とくだらない話で盛り上がっていると。突然思い出したように、母が台所から何やらごそごそ持って来た。見ると、今ニュースで持ち切りの渦中の冷凍食品。ギョウザではないが、まさに猛毒が検出されたと報道されているメーカーのレンコンのはさみ揚げで、パッケージには中国で作られたと表記されている。しかも、4個入りのうちの2個はすでに少し前に弟のお弁当に持たせてしまったそうで、「食べてもなんでもなかったようだし大丈夫と思うんだけど、心配だから残りは取っておいてあるの…」なんて呑気なことを言っている。
そういや店で働くパートさんたちも、「あの冷凍食品、前に食べたことがあるかも…」なんて話していた人もいたが、まさかこんな身近に現物があったなんて。TVでさんざん食べるなと注意を促しているのも、理解できるわけだ。
最近、食品偽装の問題が相次いでいる。仮にそれが100%信頼できる品質のものであっても、我が家にある食品は消費期限が過ぎていたり管理方法が間違っていたりするものもかなりある。食べられるかそうじゃないかの最終判断は結局は自分の感覚で、相当頑丈にできている俺のおなかは多少悪くなったものを入れてもびくともしないのが現状だ。だが、それに毒が入っているかもしれないとなると話は別だ。いくら消化機能に長けている俺のおなかでも、毒までは分解できない。だから、回収され廃棄処分されていく冷凍食品をニュースで見ても、捨ててしまうなら俺が代わりにもらいたいとは間違っても思わないのだ。
さて、母の手にある渦中の冷凍食品だが。すぐにパッケージの裏に記されているお客様相談室に電話をして確認すると、問題になっている工場で作られたものではないことが判明した。しかし念のため回収させてもらいたいとのことなので、着払いの宅配便で至急送り返すこととなった。我が家の騒動はこうしてひとまず落ちついたが、世間を騒がすこの大事件の謎は今もなお深まるばかりである。



2008年02月03日(日)
Vol.711 恵方ロール

おはようございます。りょうちんです。

今日は節分。昔から俺の実家でも「福は内、鬼は外」と言いながら豆をまく習慣があり、豆まきが済むと年齢の数だけ豆を食べた。しかしその豆は大豆ではなくピーナッツ。調べてみると、落花生が名産の千葉では節分の日に大豆ではなくピーナッツをまいたり食べたりするところもたくさんあるようで、なんだかおもしろい。
しかし、関西で発祥したと言われる恵方巻きの習慣は、俺も数年前まで知らなかった。その年の恵方を向きながら太巻き寿司を食べると幸運が訪れ願いが叶うとされる恵方巻きは、メディアの力によりここ数年で一気に関西以外の地域でもメジャーになった気がする。コンビニやスーパーでは太巻き寿司の特設コーナーが作られ、節分豆のスペースを越える広さで売り場が設けられていたりする。
さて、恵方巻きはなぜ太巻き寿司じゃなきゃいけないのだろうか? ぐるぐる巻いた長い形のものなら他にもいろいろあるし、似たような食べ物なら太巻き寿司以外にもナルト巻きや伊達巻など巻物の類はたくさんある。そこで俺は思いついた。甘いものが大好きな俺らは、太巻き寿司じゃなくロールケーキにしよう、と。大好物なロールケーキが食べられるなんて、節分とはなんてステキなイベントなんだ。今から3年前の節分の日、俺らはまたもやそんなバカなことで盛り上がっていた。
ちょうど遠出をしたついでに、少しお高級なロールケーキを買いこんでさっそく食べることにした。願い事を思い浮かべながら恵方とされる方角を向き、一気にロールケーキを食べる。食べ終わるまで水を飲んだり何かをしゃべると、福が逃げてしまうらしい。俺らは無言のまま黙々とロールケーキを食べ続けた。口いっぱいに含んだロールケーキのせいで咳き込みながらも、至福のひとときを俺らは楽しんだ。
先日、スーパーで買い物をしていると。デザート売り場に「恵方ロール」と称したロールケーキが売られていた。むむ、これは以前俺が試したことがあるぞ。やっぱり考えることはみんな同じなのかもしれない。今年の節分も我が家は太巻き寿司ではなく、この「恵方ロール」で福を呼んでみようかなんてちょっと考えている。