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2008年10月28日(火) ■ |
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Vol.730 金色の草原 |
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おはようございます。りょうちんです。
ヒッチハイクで京都まで行った時、偶然通りかかった富士山の麓にある十里木高原。そこで見た景色はまさに絶景だった。一面に広がったススキはきれいな穂を揺らし、午後のやわらかなひざしを浴びてキラキラと輝いている。穏やかな風が吹き抜けるたびに、ススキの草原は金色の波を作っていた。遠くに見えるのは駿河湾。あの日、今まで見たこともなかったすばらしい景色に俺は声も出せずにただ見とれていた。あれからもう6年もたつんだなぁ。 あの景色を見た時から、秋が段々と深まりあちこちでススキの穂が開き出すと、一面に輝く金色の草原をまた見てみたいと思うようになった。調べてみるとススキの名所というのは結構意外とたくさんあるもので、十里木高原の他にももっと近いところでは箱根の仙石原という場所が有名らしい。「ススキ祭り」なるイベントが催されるという情報も手伝って、俺らは金色の草原を夢見て仙石原へ向かった。去年の9月末のことだ。 しかし、仙石原に着いた俺らは夢見ていた金色の草原には出会えなかった。確かにススキの草原は広がっていたのだが、見頃の季節にはまだかなり早過ぎたようで。しゃんと背筋を伸ばした、穂の開いていない緑色のススキが大半だった。しかも天気はあいにくの曇り空。時刻が夕方だったこともあり、太陽の光をさんさんと浴びて輝いていたあの日のススキには程遠かった。それでも俺らはススキの草原の中を歩いたり、写真を撮ったり、景色を見ながら茶屋で団子を食べたり、蕎麦をすすったり。それはそれでそれなりに楽しく過ごしたのだが。 今年も10月が終わりに近づき、十里木高原でも仙石原でもススキの見頃のピークはきっと過ぎてしまっただろう。そして俺は今年も金色の草原を目にすることができないまま、まもなく11月を迎える。季節が移ろいゆくのは本当に早い。いつの日か、また金色に輝く草原を見たいとココロから思う。
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2008年09月12日(金) ■ |
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Vol.729 母の阿蘇旅行 |
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おはようございます。りょうちんです。
次の家族旅行は熊本の阿蘇にしよう。いつのまにかそんなことが決まっていた。去年の夏に熊本からわざわざ母の叔父さんが来てくれた時、今度はそちらに遊びに行きますなんて社交辞令みたいな約束を、母は本気にしてしまった。飛行機での長旅は無理だという俺らの心配も、すでに母は病院の先生から大丈夫だと太鼓判をもらってきていて、俺は行く気満々の母に早く旅行に行きたいと何回も促された。 今から40年以上も昔。母がまだ中学生だった時、母は一度阿蘇に行っている。その時の旅行は本当に楽しかったようで、いろんな思い出話を聞かせてくれた。当時は新幹線がなかったから夜行列車で丸一日かけて熊本まで行ったこと。熊本駅には親戚一同がマイクロバスを借り切って大勢で出迎えてくれたこと。真夏の熊本城を観光したこと。阿蘇の草千里の広大な草原を歩いたこと。阿蘇山に登り火口から噴煙が上がるのを見たこと。帰る直前に台風がやってきて親戚の家が水害に遭ってしまったこと。母にとっては父の故郷でありながらたった一度しか訪れることのなかった阿蘇に、いつの日かまた行ってみたいとずっと思っていたのかもしれない。 そんな母の強い願いが、来週現実になる。大分空港に降りた俺ら8人は、別府にて温泉を堪能し、湯布院を抜けてくじゅう方面へ。日本一の吊橋を渡ったあと、やまなみハイウェイを通って阿蘇山に。草千里や中岳火口など阿蘇一帯を観光したら、麓の菊池温泉の叔父さんのところに寄って、熊本空港から帰ってくる。旅行ガイドやインターネットを駆使して、やっとのことで調べ抜いた結果。初めて訪れる人も十分楽しめる上、それでいて母のカラダにも無理のない、3泊4日のこんなプランを完成させた。母が以前訪れた40年前とはずいぶん変わっているに違いないが、2度目の母の阿蘇旅行が思い出に残るステキな家族旅行になればいいと思う。俺も今から阿蘇に行くのが楽しみで仕方ない。
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2008年09月08日(月) ■ |
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Vol.728 余計な詮索 |
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おはようございます。りょうちんです。
我が家のすぐ下の階の部屋には、若いご夫婦とちびっこ兄弟が住んでいる。時々アパートの前の道路で奥さんがちびっこたちを遊ばせてたり、大きなバイクを触っているダンナさんを見かけたり。話はしないが同じ建物に住む住人同士、会えば軽く会釈くらいする。去年の夏にベランダの窓を開けていると、すぐ下からちびっこの騒がしい声がよく聞こえてきた。別にそれが不快なのではなく、むしろそのくらいの子どもがいてもおかしくない俺にとってはなんだか少し微笑ましく思えた。 ちびっこと奥さんの姿が最近見えないなぁと、不信に思い始めたのは今年の春。冬の間は窓を締め切っていたためちびっこのにぎやかな声は聞こえなくて当たり前だったが、夏が近づいてきてもひっそりしたまま。そういえば家の前で遊ぶ姿も近頃見かけないし、玄関の脇には子ども用のバギーや虫かごもほこりをかぶったまま置きっぱなしになっている。晴れた日にはベランダいっぱいに干してあった洗濯物も、もうずいぶん長いこと見かけていない。でも夜になるとカーテンの隙間から灯りは漏れているので、誰かは住んでいるようだ。 あぁそうか。きっと何らかの事情で、奥さんは子どもふたりを連れて実家に帰ってしまったんだろう。残されたダンナさんは、今はひとりでさみしく住んでいるのかもな。ちびっこが遊んでいたおもちゃもそのまま置き去りだし、洗濯物も少なくなりベランダも殺風景になった。若いご夫婦だから何かと苦労があったに違いない。 お盆が過ぎたある日、窓の外から何やら聞き慣れない音が聞こえてきた。耳を澄ませると、それは赤ちゃんの声。急いでベランダに出て階下を見下ろすと、所狭しと干された洗濯物の奥から聞こえるのは小さな赤ちゃんの泣き声だった。そうか、そうだったのか。奥さんとちびっこがいなくなった理由はダンナさんに愛想を尽かせて出ていったのではなく、3人目の赤ちゃんを出産するためだったのか。俺らが勝手に推測した余計な詮索は、大きなお世話だったようだ。今では赤ちゃんの声が聞こえるたびに、去年よりももっと微笑ましく思える毎日を俺らは過ごしている。
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2008年09月01日(月) ■ |
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Vol.727 高校野球で一句詠む |
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おはようございます。りょうちんです。
今年の俺の夏は、大好きな高校野球にどっぷりと浸った夏。そういうわけで今回のひとりごとは、俺の趣味の世界を満載でお届け。題して「高校野球で一句詠む」。 「太陽の ようにまぶしい キミがいて 高校野球の 夏がはじまる」 球場でユニフォーム姿の球児くんを見かけると、毎年決まってこう思う。 「熱闘の 行方はいつも 風の中 勝つか負けるか 答えはひとつ」 一度負けたらあとがない夏の大会。だからこそ、真剣勝負をしないわけがない。 「見送った カーブは キャッチャーミットへと 主審の声は ストライクアウト」 「エラーとか ミスを後悔 するよりも 今は仲間を フォローすること」 負けないためにはミスをしないこと。でももっと大切なのは、力を合わせること。 「白球が アーチを描く 夏の空 夢の行方は 神のみぞ知る」 外野方向に飛んだボール。ヒットかアウトか。そんな緊張感がたまらない。 「満員の 観衆の中 延長戦 この一球に 願い託して」 延長戦になると、試合から目が離せなくなる。その一球一球がドキドキの連続。 「さぁうとう! 祈りを込めて 叫ぶ声 打席のキミに 届いてるかな」 「夢やぶれ 今年も夏に サクラチル はらはら舞うは 悔し涙か」 宇都宮東高校、佐倉高校の観戦をした時の一句。掛詞、気づいたかな。 「五輪にも 負けないくらい 熱い夏 闘いは今 甲子園から」 オリンピックに隠れた今年の甲子園。でも甲子園はマジで熱かったなぁ。 「3点差 でもあきらめない カクテルの 光の中で 夢よ終わるな!」 夕闇がせまり照明が灯る甲子園。そんな中で詠んだ一句。 「夢見てた あのマウンドで 投げた夏 39℃の とろけそうな日」 甲子園に行ったのは晴れた暑い日曜日。夢の舞台に立った球児くんにも特別な日。 「投手戦 願いを胸に 投げ抜いた あぁ栄冠は 君に輝く」 一生懸命な姿を見ると、がんばった球児くんすべてに本当の栄冠は輝くんだよな。
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2008年08月25日(月) ■ |
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Vol.726 ケータイがない開放感 |
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おはようございます。りょうちんです。
ケータイのない生活がはじまって、すでに今日で2週間がたつ。ケータイが故障したり紛失したりしたことは過去にもあったが、今回は盗難に遭ってしまった。悪用されなかったのは幸いだったけど、道行く人がみんな悪人に見えてしまうくらいショックだった。もしかしたら出てくるかもしれないという一縷の望みも、2週間が過ぎた今はもはやないに等しい。 さて、本来ならばすぐにでも新しいケータイを購入するべきなのだが。その後すぐにお盆の忙しさに突入したのも手伝って、余儀なくケータイのない生活をしばらく送らなければならなかった。最初の数日間はケータイがないことが不安で仕方なかったのだが。なきゃないでなんとかなるものだと気がついた。だって考えてみたら、大学を卒業するまでは俺もケータイどころかPHSやポケベルさえ持っていなかったのだし、当時はパソコンだってなかった。それでも普通に生活できていたのだから、ケータイがないくらいでどうってことあるわけがない。不便だなぁと思うことはまったくないと言ったらウソになるが、なくても全然大丈夫なのだ。 それよりも何よりも、ケータイがないことの開放感と言ったらこの上ない。一歩外に出てしまえば、俺を捕まえる連絡手段は一切なくなるのだ。たとえどんな緊急事態が店で起ころうとも、俺から連絡しない限り俺を捕まえることはできないのだ。その自由なこと。俺は今までいかにこのケータイという小さな道具に縛られて生きていたのだろうか。繋がれた鳥が鎖を外された途端に大空を自由に舞うように、俺もココロから開放された気分になれた。 だが。そろそろ本気で新しいケータイを購入しようと今は考えている。ケータイがない開放感を手放すのはちょっと惜しいのだが、俺がケータイを持っていないことは俺自身が不便なのではなく、むしろまわりの人たちが不便だと思っていることに気がついた。こんなにもケータイが普及した今は、そういう世の中に変わってしまったということなんだろうな。
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2008年07月29日(火) ■ |
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Vol.725 種を蒔く |
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おはようございます。りょうちんです。
最近の俺のマイブームは、種を蒔くこと。夕食の材料として使った野菜や、デザートとして用意した果物から出た種をそっと取り出して、ベランダにあるプランターの土の中に埋めてみる。家庭菜園を楽しんでいるベランダはいろいろな植物がすでにところ狭しと茂っているけれど、その隙間を見つけて手当たり次第に種を蒔いてみるのだ。モモとアンズは冬を越して一度寒さを経験しないと発芽しないらしいので、今はまだ土の中で静かにしているが。オレンジとゴーヤーとメロンは、さっそくかわいい芽を出した。さすがにアボカドだけは数十メートルの巨木になってしまうそうなので、実家に持っていって父に預けることにしたのだが。 芽を出したばかりの新芽は、他の植物と同じように小さいながらも肩を並べてすこぶる順調に育っている。植物は、素直で正直だ。かわいがってあげた分だけ、ちゃんと答えを返してくれる。ついこの前まではイチゴが大豊作だったし、今は食べ頃のシソやシシトウが真夏の風に揺れている。オレンジやゴーヤやメロンも、そのうちおいしい果実がたわわに実るとうれしいなぁと思う。でもきっと、果実ができる前に夏が終わっちゃうかもな。種を蒔くのに最も適している季節は春。こんな暑い盛りに種を蒔いても、大きくなる頃にはすっかり秋になっているはずだ。でもいいや、それで構わない。太陽に向かって背伸びをするように日に日に大きくなる彼らを見ていると、なんだかココロがとても癒されるのだから。 だから、ベランダに腰掛けてこのかわいい植物たちを見ていると、つい時間を忘れてしまうのだ。水をあげたり肥料をあげたり、面倒な世話も楽しくて仕方ない。仕事に行く前の午前中とか仕事が終わってからの深夜とか、ちょっとの時間を見つけては今日はどのくらい大きく成長したかをいちいち確認してしまう俺がいる。 さて。そんな俺の目下の悩みは、すでにベランダが満席だということ。プランターを増やすスペースがもうないため、種を蒔くことも限界に近づいている。ベランダの枠を越えて本格的に農作業ができる場所はないか、実は本気で考え始めている。
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2008年07月27日(日) ■ |
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Vol.724 違う、エコじゃない |
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おはようございます。りょうちんです。
最近、エコが叫ばれている。TVの番組でもエコを特集していたり、エコを心がけている企業もすごく増えた。もちろんそうやって個人個人のエコに対する意識が高まっていくのは良いことなのだが、ここまでエコがブランド化してしまうと社会のブームとして一過性のもので終わってしまうのではないかと少し心配にもなる。 さて、我が家では夏にうちわは欠かせない。どんなに暑くても、エアコンをつけないエコライフを楽しんでいるからだ。手元にあるうちわを見ると、骨のところに「e」の文字をかたどったエコマークがついている。プラスチックを再利用したものだ。貼ってある紙ももちろん再生紙で、これも地球に優しい。そんなうちわが、全部で20本近くもある。ん? よく考えてみたら、それってエコじゃない。街頭で宣伝用に配っていたものや何かのイベントでもらったうちわが、いつのまにか大量に集まってしまった。しかも結構しっかりしていて、夏の間かなり酷使してもすぐには壊れないものばかりだ。資源を再利用した環境に優しいうちわかもしれないが、それが無駄にたくさんあることはちっともエコじゃない。それを作るために、また使えなくなったそれを処分するために、費用もエネルギーもその分必要なのだ。 買い物する時は、エコバッグを持参する。そんなの我が家では何年も前から当たり前。うちの店でもこの夏はポイントを貯めるとエコバッグをプレゼントするキャンペーンをやっていて、世間でも徐々に浸透してきたようだ。しかし、まだ封を開けていない新品のエコバッグが我が家には何個もある。どれもおまけ等でもらったものだ。あれ? ちょっと待て。これもよく考えてみたら、違う、エコじゃない。「使ってないエコバッグがもう少し増えたらエコバッグを入れるためのバッグが必要になるね」、なんて言った相方のコトバがなんだかすごくおかしかった。 俺はエコを心がけて、それを楽しんでいる。でもこれからの課題は、自分に必要のないものはもらわないで断るということだ。それがクリアできれば、俺のエコライフはさらに充実したものになるに違いない。
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2008年06月29日(日) ■ |
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Vol.723 俺の腹黒い部分 |
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おはようございます。りょうちんです。
来月初め、うちの店から徒歩5分の場所にライバル店が出店する。やばい。どうしよう。困った。大ピンチ。なんて動揺する俺を想像しているライバル店かもしれないが、俺にしてみれば蚊に刺される程度にしか考えてない。それもそのはず、ライバル店の情報を知れば知るほど、向こうにとって不利な状況なのが明らかになってくる。なぜその場所に出店するかというくらい立地条件が悪く、あんな場所に店を出すなんてろくに商圏や集客力の調査もなしに出店に踏み切ったとしか思えないのだ。開店直後は多少うちの店にも影響があるかもしれないが、ビビるまでもない。 バイトのYさんがライバル店に興味を持ったようで、向こうでも働きたいと申し出た。うちは仕事の掛け持ちを認めているので、俺はこころよく送り出す。しかしライバル店の関係者との話では、うちで働いていることに対してNGだという答えが出たらしい。でもそこは要領の良いYさん、うちでのバイトはもうやめたことにして、面接をするりと通り抜けすでに何度か研修にも参加したそうだ。おかげでライバル店の情報がどんどん入ってくる。10人ちょっとしか従業員が集まらず人手不足に苦労してるとか、オープン初日にキャンペーンをやるとか。Yさんをスパイにしているつもりはけしてないが、そんな情報を知るたびにおもしろがっている。 一方、ライバル店はうちの店をかなり敵対視しているらしい。うちのデータ等をYさんから聞き出そうとしたりもしているようで、そのへんはYさんも適当にごまかしてくれている。でも個人的にはご近所さんとして仲良くしたいので、わざと人手不足とキャンペーンでドタバタしている開店直後に顔を出して様子を見てこようかと企んでいる。どんな失態や失敗やミスをするのか考えると、早く開店しないかなぁと胸がわくわくしちゃうのだ。 あーもう、そんなところが俺の腹黒い部分だなんて我ながら思ってしまうのだが。でもライバル店は2年もすれば潰れちゃう。そんなの、火を見るより明らかだ。蚊に刺されたかゆみは、遅くとも2年後には完治しているに違いないのだ。
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2008年06月26日(木) ■ |
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Vol.722 ザリガニ釣りに熱中する |
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おはようございます。りょうちんです。
実家に帰り、父と一緒に犬の散歩に出かけた。いくつか散歩のコースがあるが、今回はたけんさ山の方へ。たけんさ山と呼ばれる雑木林の中を細い小道が通り、やがて坂を下って林を抜けたところに小さな池がある。いつもはその池を気にもせず通り過ぎてしまうのだが、ふと水面をのぞき込むとなにやら動くものが見えた。 ザリガニだ。それも1匹や2匹ではない。大量のザリガニがあちこちでちょこちょこ動いている。俺は急いで水辺まで駆け寄りそばに落ちていた枯れ枝で水面に波を作ると、それまで平和に暮らしていたザリガニたちがあわてて濁り出した泥の中に姿を隠した。この池は、ザリガニの穴場だ。家に帰って弟にこの話をすると、弟も目を輝かせて興味を示した。 考えてみたら、ちびっこの頃はこんな小さな冒険が人生のすべてだった。この道はどこに続いているかとか、この林の向こうには何があるかとか、この川はどこまで流れていくんだろうとか、そんな想像をいつも胸に秘めていた。そしてそれをすでに確かめて知っている上級生がカッコよく見えた。クワガタがいっぱい採れる栗林や、ワラビがあちこちに生えている草むらや、サワガニがたくさんいる小川をどれだけ知っているかが俺らのステータスだったし、自分の足でそれらの穴場を探し出すことに命を賭けていた。こんな冒険をしながら俺らは毎日を過ごしていたのだ。 数日後、犬の散歩という口実で、さっそく弟を引き連れて例の池までやってきた。用意したのは糸とスルメ。昔と同じように、拾った枝の先にスルメをくくりつけた糸を結んで即席の釣り竿のできあがり。スルメを水面に落とすと、わずか5秒でザリガニが釣り上がった。弟とどちらが大きなザリガニが釣れるか競い合う。やっていることは30年前と何も変わりなく、それがなんだかおかしかった。昔はバケツいっぱいのザリガニを採って、家に持って帰って飼ったり食べたりしたのだが、今回は全部逃がしてやることに。年がいもなく、時間を忘れて俺らはザリガニ釣りに熱中する。坂の上では、とうに散歩の終わった父と犬がずっとこっちを眺めていた。
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2008年06月04日(水) ■ |
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Vol.721 歯医者へ行く勇気 |
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おはようございます。りょうちんです。
虫歯が痛くて仕方がない、そんな経験をした記憶が俺にはない。面倒臭がりな俺だから歯磨きなんて特別こまめに毎回丁寧にやっている訳ではないが、虫歯にはなりにくい体質なのだろう。だからおかげさまで歯科医に通ったのは生涯で数回しかなく、歯の治療となると小学生の時以来体験してないのだ。高校生の時に親不知が痛み歯医者に行ったのを最後に、俺はずっと歯医者のお世話になることはなかった。 去年の秋、相方から歯科検診をしようと誘われた。市でおこなう歯科検診なので30歳以上の市民なら誰でもたった300円で受診できるという。痛くもない歯を診てもらうのもいささか抵抗があったが、ものは試しとさっそく予約の電話を入れ、ずいぶん昔に何度かお世話になった歯医者を訪れた。 母の付き添いで数年前にここに来たのでそれほど懐かしくはなかったが、診察台の上に俺自身が横になるのはホントに久しぶりだ。小学生の頃に、ここで作られた思い出に良いものはない。あの日に味わった痛みが、無意識のうちによみがえってくる。順番待ちをしている俺の横ではしかめっ面をしたおばさんが、あの頃の俺と同じように痛みに耐えながら歯を削られていた。今日は治療じゃない、検診するだけだから痛いはずはないと自分に言い聞かせながら、やがて俺の番がやってきた。 歯が痛くないのだから、虫歯なんてまったくないと思っていた俺だったが。残念なことに診察の結果、C1と呼ばれる虫歯になりかけ程度の歯が数本あることが判明した。今は痛くないが放っとくと少しずつ悪化してやがて痛みも伴うようになるそうで、おまけに歯石も溜まっているらしい。歯磨きの時にたまに血が出るのはぎゅうぎゅう力をいれて磨き過ぎているからで、正しいブラッシングの方法も教えてもらった。検診はここまで。早めに治療した方が良いとアドバイスをもらう。 あれから半年。結局その後、治療には行かないままの俺。やっぱりあの痛みを想像すると、歯医者へ行く勇気がどうも出ないのだ。そして今年もまた歯科検診の案内が郵送されてきた。今日は虫歯予防デー。さぁ、俺、どうするべきか?
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