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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2009年04月23日(木)
Vol.740 咲き誇れ愛しさよ

おはようございます。りょうちんです。

桜の花はもうすっかり散ってしまった。それでも今年は開花宣言が出されてから寒の戻りがあったせいで満開になるまでずいぶん時間がかかり、例年よりも長い期間花を愛でることができたらしいのだが。はらはらと舞い散る桜吹雪を目にすると、やっぱりなんだか切ない気持ちでいっぱいになってしまう。
韓国人の知り合いから、なぜ日本人はそんなに桜が好きなのかと質問された。いくつか理由はあるだろうが、俺は彼に桜の花ははかないからだと説明した。そう、桜の花ははかないのだ。冬の間はずっと寒さに耐えながら枯れ枝を風に震わせていた桜の木は、春になるとまるで声を合わせたかのように一斉にきれいな花を開花させる。でも豪快に咲き乱れるのはほんの一瞬で、そのあとは潔く散ってゆくから美しい。桜の花がはかない命だからこそ、愛しいと思えるのだ。
俺はこの「愛しい」という気持ちを、もっと大事にしたいと考える。愛しいものを増やしていきたい。愛しい気持ちをもっと強くしたい。そう思う。愛しいものは、桜の花だけじゃない。大切な家族や相方も。かけがえのない友達も。長年住み続けているこの街も。ちょっとした波乱万丈がどこかに隠れている毎日の暮らしも。そのすべてが愛しくて、大好きで、なくしたくないと思うものばかりだ。でも、このまま永遠に変わらないものなんて何ひとつないってことをわかっているから、なおのこと愛しいという想いがますます募ってゆくのだ。
この恵まれた環境を当たり前だと、けして思ってはいけない。そう思った瞬間に、愛しいものが見えなくなる。そして大切なものを失ってからはじめて、その存在の大きさに気がつき後悔するのだ。だから。すべてのものに感謝したい。すべてのものを愛しく思いたい。そして俺の中でもっともっと咲き誇れ愛しさよ、と願わずにいられないのだ。
桜は散ってしまったけれど、今はつつじの花が沿道を鮮やかに彩っている。俺はこのつつじの花が、とても愛しいと思う今日この頃である。



2009年03月22日(日)
Vol.739 たくさんの友達に

おはようございます。りょうちんです。

いつだったか昔、俺の最高の宝物は友達だと本気で思ったことがある。それくらい俺は、本当に友達に恵まれていると思う。例えば去年の忘年会。学生時代の同級生や昔の仕事仲間など各方面の友達からの誘いで、たしか6つか7つの忘年会にお呼ばれをされた。もちろん仕事などの都合で参加できなかったものや、中には忘年会の日程がかぶってしまいやむなく日にちをずらして新年会に代えてもらったものもあったりしたが。お酒もろくに飲めない俺がこんなにもたくさんの忘年会のお誘いを受けるということは、やっぱり友達に恵まれているとしか俺には考えられない。
俺の友達のほとんどが、知り合ってからもう何年にもなる。友達とは、長く付き合うがこそ友達であるのかもしれない。当たり前なのだが、知り合った直後はあくまでも「知り合い」の関係なのであって、何度か会ったり話をしたりしていくうちにやがて「友達」と呼べる関係になるのである。そして一度友達になってしまえばたとえ何年も会えない時間が続いたとしても、再び会った時にはいつだってすぐに昔と同じような関係に戻れるはずなのだ。だから俺には中学生や小学生や中には保育園の頃に一緒だった友達もたくさんいて、その後ずいぶんと疎遠になった時期もたしかにあったが、みんな引っ越ししたり就職したり結婚したりして今では年に一度会うか会わないかの関係ではあっても、彼らはれっきとした俺の友達なのだ。
では、どこからが「友達」なのだろうか? 「知り合い」と「友達」の境界線は、どこにあるのだろうか? 俺は、気持ちの共有ができるかできないかの違いだと考える。友達に喜ばしいことが起これば俺もうれしくなるし、友達に不幸なことが降りかかれば俺も悲しくなる。同じ気持ちを共有できるからこそ、祝福したり励ましたり心配したりできるのだ。うれしいことに、そんな友達が俺にはたくさんいる。
前の職場でアルバイトとして働いていた友達が、わざわざ会いに来てくれた。あれから10年もたつが、彼とは良い友達としてずっと関係は続いている。こんなふうに俺を慕ってくれるたくさんの友達に、俺は感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。



2009年02月26日(木)
Vol.738 新しくするタイミング

おはようございます。りょうちんです。

ケチなのか、貧乏性なのか。そんな俺の性格だから、物持ちの良い方だと自分でも思う。世の中がめまぐるしく変わりゆく中で、さまざまなものがモデルチェンジを繰り返し便利な機能も次々に加えられ、気づけばひと昔もふた昔も前のものを何の抵抗もなく使っている俺。特別大切に使おうなんて心がけはほとんどしてないが、こんな時代にできたものだからたいていはそう簡単に壊れたりしないし、エコが叫ばれている今ではむしろ長持ちさせて使っている方が良いに決まっている。
なんて理屈を並べてみたが。正直なところ、新しいものに代えるタイミングが俺には良くわからないのだ。よっぽど壊れてしまって使えなくなったとかでない限り、それを処分して新しいものを手に入れるというきっかけがつかめない。例えば、このパソコン。購入して8年半になる。すっかりポンコツでしょっちゅう解読不可能な文字が羅列された画面が出ちゃうが、それでもなんとか今日まで使えている。例えば、財布。転職した10年前、前の職場のみんなから記念にいただいたもの。皮はすっかりくたびれてしシミだらけだけど、今でも毎日肌身離さず持っている。
さてそんな中。俺が中学生の時から、かれこれ20年以上ほぼ毎日使用しているものがある。布団である。もはやせんべい布団とさえ呼ぶにももったいないくらい薄く敷き潰された俺の布団は、20年分の俺のエキスをこれでもかというほどに吸い込んで、なおも毎日酷使され続けていた。長年寝続けた自分の布団がいちばん寝心地が良く、安眠できると疑わなかった俺だったが。粗大ゴミとして捨てられている誰かの布団が俺のに比べてあまりにもふかふかなのを見て、俺の布団のくたびれ加減にやっと気づき、先日ついに真新しい布団を購入する決心をした。
さっそく手に入れた新しい布団に寝てみると。まぁなんと寝心地の良いこと! 今までの布団が板だったのかと思えるくらい、新しい布団はふっくらしていて温かかった。こんなことなら早く布団を新しく変えれば良かったのにと思いながら、これからもやっぱり何かを新しくするタイミングはなかなか難しいと考える俺なのだ。



2009年01月13日(火)
Vol.737 偶然の確立

おはようございます。りょうちんです。

母が病に倒れてから、この春で丸6年。順調に回復していたように見える母のカラダも、老化とともに少しずつ弱ってしまうのは仕方のないことだ。今日、母が再び入院した。そして明日、手術をする。最近はずっと調子が良く元気そうに見えていた母ではあったが、先月の初めの定期検診でそろそろ再手術が必要かもしれないとの診断を受けてしまったのだ。母の希望であわただしい年末を避けて年明けに入院し手術をすることは、だからもう去年のうちにわかっていた。ただ、手術と言ってもそんなに大掛かりなものではなく、ほんの数日で退院できるそうで。久しぶりに病室を訪れた母は、あの頃の長い入院生活を思い出して少しだけ懐かしんでいた。
今回の手術を受けるにあたり、事前に担当医からいろいろ説明をされたのだが。手術後に合併症を併発してしまう可能性も、まれにあるんだそうだ。最悪の場合、命を落としてしまう場合もあるらしく、その確立は1000人に1人。0.1%の確立だ。それを聞いて、「私は運が良いからなぁ…」なんて笑っていた母ではあるが。やっぱりそんな偶然の確立がいくら低くても、不安にならないわけはない。
しかし手術が決まった年末に、担当医が言っていた言葉を俺はあとから思い出した。あくまでも統計上のデータだが、今の母と同じような病状の人の8年後の生存率は20%にも満たないんだそうだ。つまり、8割以上の確立で8年後に母はこの世にはもういないわけで。東京だかどこだかわからないが、ロンドンの次のオリンピックを母は見ることができない可能性が大きいのだ。計算をすると、8年は約3000日。3000分の1の確立で、母がこの世からいなくなる「その日」が訪れるに違いない。なにげなく暮らしている毎日なのに、「その日」は0.03%という確立なのだ。0.1%とか0.03%とか、数字だけ見るとなんだかものすごく小さな数にも見える。だが母は確実に、そんな偶然の確立を背負いながら今を生きているのだ。
明日、俺はずっと病院で母の付き添いをする。「その日」がなるだけ遠い遠い未来になるように祈りながら、母の手術を待つつもりである。



2009年01月05日(月)
Vol.736 罪は罪、罰は罰

おはようございます。りょうちんです。

酒気帯び運転でパトカーに捕まってしまった彼が、その罰則に頭を悩ませていた。罰則の選択は2つ。30万円の反則金を支払うか、2ヵ月間の懲役をすること。反則金を支払ってできるだけ早く解決したいのが本音だが、まだ20代前半の彼は今すぐ大金を自分ひとりで工面するのが難しいようで、それで俺に相談してきたのだ。
調べてみると。同じようなケースの場合、ほとんどの割合で反則金を支払って解決している。その方が時間もかからず手続きも簡単に済むという理由で、捕まった方だけじゃなく警察など手続きをする側も半強制的にその流れで話が進んでいくらしい。しかし彼から相談を受けた時、「そんなの懲役を選ぶのが当たり前でしょ!」と俺は即答した。
いつもお世話になっている彼のために、俺は力になりたかった。だから彼にお金を渡すのが惜しいなんて、まったく思っていない。だが、何でもお金で解決しようとすることが、俺には間違っていると思ったのだ。お金さえあればすべてがまかり通るなんて、明らかにおかしな話である。悪いことをしたと反省するのなら、お金で片付けるのではなくしっかり懲役をして、そのあとは胸を張って生きれば良い。それが本当に反省をするということなのだと思う。
飲酒してから8時間以上たたないと完全にアルコールが抜けないということを知らなかった彼には気の毒だが、知らなかったことも含めて罪なのだ。仮に今回の件が彼ではなく相方や両親だとしても、俺は同じことを言っていたに違いない。まして俺が彼の立場だったら、迷うまでもなく懲役の罰則を選択をする自信がある。かなり厳しくかなり偏った考え方だと俺自身も思うが、罪を犯したのならそれに見合った罰で償うのが正しいことだと俺は思う。つまり、罪は罪、罰は罰なのだ。
結局、彼の力になれたかどうか俺にはわからないが。どんなカタチであれ、彼がココロから反省をして、二度と同じ罪を犯さないことを祈るばかりである。



2009年01月03日(土)
Vol.735 炊飯器を買いに

おはようございます。りょうちんです。

少し前から、実家の炊飯器の調子が良くない。保温機能が上手く働かないことがあるようで、時々だましだまし使っている。弟も帰ってきたことだし、この際ひとまわり大きいサイズの炊飯器に買い換えたい。そんな話を母から聞いた。それなら俺がお金を出す。俺が実家に帰った時もそれで炊いたおいしいごはんが食べられるなら、喜んで俺が買う。そう言って俺はパンフレットを集めて母に渡し、年が明けたら一緒に買いに行くからどんなのが良いかよく調べておいて、と約束した。
だが、駅伝が終わるとすぐに向かった家電売り場で、今年初めての親子ゲンカをしてしまった。優柔不断な母に、俺がしびれを切らしたのだ。炊飯器と言ってもいろいろある。機械音痴の母は、あまりの種類の多さに目移りしてしまったのだろう。俺が渡したパンフレットじゃよくわからなかったと言う母は店員を呼びつけて、勧められるがままに手に取り眺めている。そんな高機能過ぎても使いこなせないと俺が横から何度口出ししても、母はあっちを見たりこっちを見たりなかなか決められない。そして母と俺の押し問答がしばらく続いた末。ついに母は、「そんなにお前がとやかく言うならもういらない。今のだってまだ十分使えるんだから!」と、少女のように瞳に涙をいっぱい浮かべて俺に言い放ち、出口へと向かってしまった。
結局何も買わず店を出た俺らは、そのまま帰路についた。炊飯器を使うのは母なのに、なぜ母の好きなものを素直に選ばせなかったのだろう。なぜ俺はもう少し黙っていられなかったのだろう。母も自分のためじゃなく、家族のためによりおいしいごはんを炊いてあげたいと考えていたはずだ。何よりも、俺は母に気持ち良く買い物をしてもらいたいと思っていたのに。母の喜ぶ顔が見たかっただけなのに。確かに俺、ちょっと言い過ぎた。そう思ってもすでにあとの祭りで、いつもより口数の少ない車の中でも、母に似て強情な俺は謝ることもできないまま家に着いた。
弟の彼女も来て6人の大所帯になった我が家の夕食は、案の定ごはんが足りなくなった。ほとぼりが冷めた頃、また母を連れて炊飯器を買いに行かなくちゃな。



2008年12月31日(水)
Vol.734 新年のユウウツ

おはようございます。りょうちんです。

今日まであった仕事も無事に終え、今年も静かに暮れようとしている。例年どおり俺は今年中には帰省して、三が日はゆっくり実家で正月を過ごす予定だ。しょっちゅう帰省している俺ではあるが、3日間を丸々実家でのんびりと過ごすは一年のうちでも正月以外にはないかもしれない。まぁそうやって仕事のこともすっかり忘れてゆっくりできるのが正月の醍醐味だし、実は俺も密かに楽しみだったりする。だがそんな中、たったひとつだけ小さなユウウツが俺を待っているのも事実なのだ。
母は、無類のマラソン好きだ。もちろん母が走るわけではなく、マラソン観戦が大好きなのである。男女問わずどこかのマラソン大会のTV中継がある時はいつも、最初から最後までTVの前から離れずにずっと観戦している。だからこの選手はどの大会でどれだけの記録を出しただとかあの選手はこんな走りが特徴的だとか、かなりマニアックのことまでも知っているのだ。母がまだ病に倒れる前は一度も本人が走っているところなんて見たことないから、きっと自分が走るのは俺と同じで好きじゃないのだと思うが。昔からマラソン観戦には人一倍興味があるようで、いわば母は十分にマラソンおたくなのだ。
そんな母が毎年心待ちにしているのが、年明けの駅伝である。元日にはニューイヤー駅伝、2日と3日には箱根駅伝がそれぞれ催され、ばっちりTVで中継される。もちろん母は居間のTVでずっと観戦していて、同じ部屋にいる俺は必然的にそれを見ることになってしまうのだ。俺はけしてマラソン観戦が嫌いなのではないが、駅伝なのでスタートからゴールまで6時間以上、それを朝から昼過ぎまで3日連続で続けられるとさすがにちょっとうんざりする。新聞を読んだり年賀状を見たり犬の散歩に行ったりして多少の刺激を求めても、特別に何もすることのない正月だからこそむしろそんな時間が俺にはなんとなくもったいなく感じられてしまうのだ。
俺にとってはそんな些細な新年のユウウツだが、実家で過ごす正月はやっぱり良いものだ。だから駅伝地獄に悩まされても、やっぱり毎年帰省してしまうのだ。



2008年12月21日(日)
Vol.733 太陽の光に包まれたい

おはようございます。りょうちんです。

仕事が終わり、家に帰ってくる頃にはもう日付が変わっている。それから夕食を取ったりなんだかんだしていたらすぐに時間は過ぎて、布団に入るのはもはや深夜なのか早朝なのか。俺も相方も、そんな生活でほとんど毎日を過ごしている。考えるまでもなく、こんなのカラダに良いはずがない。だから俺の慢性的なねむいねむい病も、一向に良くならないのだ。今は元気でも長い目で見ればそのうちきっとガタが来てやがて健康じゃいられなくなるのは、火を見るより明らかなのだ。
本来、人間は昼行性の生き物である。だから日の出ているうちにできる限り活動をして、日の沈んだあとは極力カラダを休めるのが正しい生活スタイルなのかもしれない。文明の発達した現代だからこそ夜だってスイッチひとつで部屋の中は昼のように簡単に明るくできるが、電気が広く普及されるほんの100年程前までは、日が暮れたら真っ暗な闇に包まれるのが当たり前の世界だったのだ。それゆえに人は明るいうちに活動をし、暗くなれば床に入るという生活を長い間普通にしてきたのだ。
今の俺の生活は、まさにその正反対をしていると言っても過言ではない。すがすがしい朝日の光のすばらしさも知らないで、布団の中で深い眠りについてしまっている。限られた太陽からの自然光を、ありがたみを感じることもなく見事に無駄にしてしまっている。あぁ、なんともったいないことか。もっと太陽の光に包まれたい。そう思うのは、今日が最も昼の短い冬至だからなのではないはずだ。
日の出とともに目を覚まし、日中は太陽の元で思う存分活動し、日没とともに眠りにつく。極端だが、そんな生活に憧れる。昔の人がそうであったように、それを自然なライフスタイルにしたい。そうすればたとえ夏至の日でさえ10時間近くも睡眠時間が確保できるわけだし、さわやかな青空の下で太陽の光も十分に有効活用できるのだ。カラダばかりかココロまでも健康にならないわけがない。
そうは思いながらも、今夜も真夜中にパソコンに向かってこのひとりごとを記している。俺の仕事柄、こんな理想を現実に変えることは100%無理な話なのだ。



2008年12月14日(日)
Vol.732 見えない敵

おはようございます。りょうちんです。

相方が俺のうしろで寝込んでいる。どうやら見事に風邪を引いてしまったようで、今朝から高熱にうなされているのだ。おととい喉がイガイガすると言っていたのだが、昨日の夜に寒い中無理して外出してしまったのがいけなかったのだろう。今日は日曜日。あいにく病院も休診だ。薬を飲んで安静にしているしかない。
病に倒れた時は、誰でもいいからそばにいてほしいと思う。俺も今年の秋、40℃の高熱が出て久しぶりに仕事を休むくらいの風邪を引いた。立ち上がることも困難なくらいフラフラだった俺は朦朧とする意識の中で、ひとり暮らしじゃなくて本当に良かったとココロから思った。たとえ特別な手厚い看病をしてもらうわけじゃなくても、ひとりきりじゃないというだけで安心感が生まれ自然と気持ちも落ち着くものだ。だからたまたま仕事が休みだった俺は実家に帰る予定を急遽変更して、布団から出られない相方のために今日はなるべく家にいることにした。
さて、いつものことなのだが。俺か相方のどちらかが風邪を引くと、きまって数日後にもう片方も同じように風邪を引いてしまう。最初に風邪を引いていた方が治りかけたとたん、今度はそれまで看病していた方が同じ症状で病に倒れてしまうことが過去に何度もあるのだ。どちらかが持ち込んだ風邪のウイルスがこの狭い部屋中に充満して、同じ空間で過ごしているもう片方も必然的に感染してしまうのだろう。この連鎖反応はまったくもって喜ばしくない。おそるべし、風邪のウイルス。
そしてまさに今、相方がもらってきた無数の風邪のウイルスがこの部屋には充満していることだろう。今のところいつもと変わらずいたって健康体の俺ではあるが、もしかしたら俺が風邪で寝込んでしまうのも時間の問題なのかもしれない。だが、年末のあわただしい中で風邪など引いていられない。本音を言うと、今はこの部屋で過ごす時間をなるべく避けて極力ウイルスから遠のいていたいのだが。さすがに苦しそうな相方を放っておくわけにはいかないのだ。仕方がない、塩水で何度もうがいをして、厳戒態勢の中でウイルスという見えない敵から身を守ってやる。



2008年11月16日(日)
Vol.731 猫のいる生活

おはようございます。りょうちんです。

思い返してみれば、俺の実家では俺が生まれる前からずっと猫を飼っていた。だから俺が物心ついた時にはすでに猫は家族として我が家の一員だったし、その猫の子孫やら俺とか弟が拾ってきた捨て猫がさらに加わったりして、常に生活の中に猫が存在していた。おかげで猫が爪をといだ柱だけじゃなく、じゃれて引っかかれた俺らの腕にも傷がつけられた。それでも猫はかわいくて、いつでも俺らの遊び相手だった。猫のいる生活が当たり前だったあの頃。
猫が我が家からいなくなったのは、母の病気がきっかけだった。入院してしまった母の看病で、猫の面倒まで手が回らなくなった。母の病状が少しずつ良くなってきて退院の見通しがついても、猫とともに生活するのは不都合なこともたくさんあると病院から告げられた。それを知ってか知らずか、当時飼っていた我が家の猫は自ら姿を消す。そして猫がいなくなった代わりに、病院から母が戻ってきた。
だから。俺だけじゃなく我が家の誰もが、どこかで猫を見かけるたびに声をかけて呼んだり近づいたりしてしまう。猫は警戒心の強い動物だから逃げてしまうことが多いのだが、人懐っこいのがたまにいたりするとこれでもかというほど撫で回し癒しを求めるのだ。そんなことを繰り返すたびもう一度猫を飼いたいという気持ちは強くなるばかりなのに、病院からの忠告を信じてずっと我慢の日々は続いた。
しかし先日、弟がまだ生まれて半年足らずの仔猫を知り合いから譲り受けてきた。愛くるしい猫を目の前にすると、それまで頑なに信じてきた病院からの忠告は一瞬で消え去り、新たに我が家の一員となることが満場一致で即決した。白地に茶色のブチ模様、まだまだやんちゃ盛りの男の子が一躍我が家のアイドルになり、猫のいる生活が再び我が家に戻ってきたのだ。「手がかかって大変!」なんて言っている母が、実はいちばんうれしそうにしている。俺からしてみると少し過保護にしすぎているように見えるが、仕方のないことなのかもしれない。だって俺も、猫と遊ぶためなんて理由で最近は実家に帰る回数が増えてしまったのだから。