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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2009年08月30日(日)
Vol.750 メロンの祟り

おはようございます。りょうちんです。

弟は最近、釣りにはまっている。お盆が明けたその日、弟から釣りに行こうと誘われた。でも俺は昔から釣りは好きじゃない。魚が釣れるまでの時間がどうも退屈なのだ。しかし両親も一緒だというので、俺もドライブがてら同行することにした。
真夏の九十九里浜は海水浴客やサーファーたちで、平日とはいえさすがにそこそこ混み合っていた。海岸線に車を止めて、ビーチのいちばん端の防波堤のところに俺らは陣取る。家から持ってきたパイプ椅子に母が座り、その横に俺が腰掛けて、あとは弟と父が釣り糸を垂らすのをのんびりと見ていた。潮風に吹かれながら翳った太陽のひざしを浴びて。まもなく弟が釣り上げた魚は、フグ。しかもクサフグというとても小さな種類のフグで、持って帰ってさばいて食べるなんて代物では決してない。それからも弟も父も釣り上げる魚はフグばかりで、夕食に新鮮なお刺身が食べられると思い描いていた俺らの夢は、夕方までには見事に崩れ去った。
今日の収穫はゼロかと思い始めた頃。用を足しに防波堤の向こうに行った弟が、あっちにメロンが落ちているとあわてて帰って来た。母と一緒に見に行くと、それはまぎれもなくメロン。海岸に打ち上げられた網目模様の緑色の果実は、寄せては返す波に静かに揺れていた。きっと海水浴客の誰かが冷やして食べようと海の中に置いておいたものが、いつのまにか流されてしまったのだろう。それがこの場所に漂着したのだ。そう確信した俺はメロンを拾い上げ、家に持って帰ることにした。釣りに行ってメロンを収穫してくるなんて、今まで聞いたことがない。
夕食のあとにメロンを堪能した俺は、ふと考えた。お盆にお供えしたものを、お盆が明けたら近くの川に流すという風習がこのあたりにはある。もしかしたらこのメロンも、元々は海の近くに住む人が川に流した仏様へのお供え物だったのではないか。だとしたら、俺はお供え物を勝手に拾って食べたことになるわけで、ばちあたりもはなはだしい。そしてその夜から、俺は原因不明の高熱が1週間続いた。やっぱりあれは、メロンの祟りだったのだろうか。



2009年07月04日(土)
Vol.749 母の勘違い

おはようございます。りょうちんです。

最近でこそ風当たりは以前ほど強くなくなったが。何年か前までは、母から「お前はまだ結婚しないのか?」というような質問をよくされていた。俺の年齢もまだ30代に入ったばかりだったし、正直ちゃんと質問に答えるのすら面倒だったので、適当に上手くかわしていたつもりだったのだが。弟の結婚が先に決まり初孫が誕生することがわかっても、母はずっと俺の結婚を気にかけていたようだ。
去年の12月、母が検査入院をした時。母の付き添いで病室を訪れた俺は、何度か母とふたりきりで話をする時間があった。ある時、母は久しぶりに「お前はまだ結婚しないのか?」という質問をためらうように投げかけた。俺はあまりに突然で驚いてしまったが、母は静かに話を続けた。「お前が結婚しない理由は、私のせいなんじゃない?」、と。
母は、昔から気の強い女だった。口も達者で負けず嫌いで白黒はっきりしないと気が済まない性格だ。そんなだから、長男である俺の選んだ人が、自分のせいで辛い思いをするかもしれない。それを懸念して俺がなかなか結婚しないと、母は長らく思っていたらしい。
「違うよ、違う。それは考え過ぎだよ。俺が結婚しないのは、そんな理由なんかじゃない。そもそも結婚してなくても、今の俺は十分に幸せだし。結婚することになっても、もっと気が強くて口が達者な人を連れてくるから心配いらないよ!」。そう言って、母の勘違いに必死で俺は弁明をした。しかし、結局最後まで俺が結婚をしない本当の理由を母には告げられなかった。母は「それならいいんだけどね…」と口では言っていたものの、やっぱり納得しているようには見えなかった。
いつか近い将来、俺が結婚をしない本当の理由を母に話そうと思う。ひょっとすると、勘の良い母はうすうす感づいているかもしれないが。それでも事実を話した時はきっと驚くに違いないが、俺が結婚しないのは母のせいだという勘違いを、やっぱりどうしても気づかせてあげたいのだ。



2009年07月03日(金)
Vol.748 俺が結婚をしない本当の理由

おはようございます。りょうちんです。

付き合ってから6年半。同棲生活も5年目に突入。お互いに結婚暦はなく、ふたりとも年齢は30代後半。そんな恋人同士がいたら、なぜ結婚しないのかという疑問を誰もが抱くだろう。きっと事情があるんだろうと思いながらも、俺だって同じ疑問をぶつけてしまうに違いない。そんな恋人同士が、まさに俺らである。
先日、10年ぶりに訪れた前の職場があった街で、当時のパートさんたちと会った。しかし懐かしい話や近況報告は最初の30分だけで、残りの2時間は「なぜ俺が結婚しないのか?」という質問責めと、「今すぐ結婚をしなさい!」というお説教を4人がかりでこんこんとされた。年齢的にも今を逃すと一生結婚できないとご忠告。しまいには、七夕にプロポーズ、お盆にはご両親に正式なごあいさつ、そして9月の相方の誕生日に籍を入れる、という見事なシナリオまで完成させてくれた。親身になって話を聞いていただけるのは、本当にありがたくうれしいことである、が。
「いやいやいや。俺はまだまだいろんな意味で未熟だから、結婚なんて俺にはもう少しあとでもちょうど良いくらいなんですよ。実際、自分が結婚するなんて想像もできないですし。ましてもしも自分のこどもが生まれることになったら、今でさえ自分自身の世話もろくにできてないのに、まず奥さんやこどもを守ってなんてできるかどうかまったく自信がないんですよね。身勝手ですが、優先順位が自分を超えるなんて今は考えられないですもん。それに同棲をはじめてから5年目になりますからね、今さら婚姻届を出したところで何も変わらないと思うんですよ…」。
なぜ結婚しないのかという質問をされた時、俺はいつも決まってこんなふうに説明する。その時も例外でなく、こんなカンジで結婚しない理由を述べた。だが。ぶっちゃけた話、こんな理由はあくまでもタテマエだ。確かに全部ウソではなく、こんな理由も俺が結婚しない理由に含まれてはいるのだが。俺が結婚をしない本当の理由は、もっと別にあるのだ。ごく限られた人しか、その事実は知らないが。そういうことも全部胸にしまって、俺は密かにそんなシチュエーションを楽しんでいる。



2009年06月27日(土)
Vol.747 次のステップ

おはようございます。りょうちんです。

俺が転職してから、今月で丸10年がたった。当時は県外でひとり暮らし。仕事に追われる毎日で、ほとんど職場と家を往復するだけの生活だったのだが。あれから、俺が住んでいたあの街はどんなふうに変わってしまったか知りたい、なんて当時アルバイトだったNくんに冗談半分で話すと、イベント好きなNくんは「じゃあ僕が懐かしい場所を案内します!」と俺のための企画をあっという間に練ってくれた。
あの頃、正直言ってあの街は好きじゃなかった。社会人として最初の2年間を過ごしたあの街で、いろんな人に出会いたくさんの優しさを感じることができたのに。どことなく俺だけがよそ者の気がして、いつだってなじめない自分でいた。そんな中で決めた俺の転職。居心地の悪いこの街から逃げるんじゃない、次のステップを踏むために俺はこの街から飛び立つんだ。そうココロに誓って、俺は故郷に帰って今の仕事に就いた。Nくんをはじめ、今でもあの頃にお世話になった人たちとつながりがあるのは、俺が逃げてきたわけではないからだという証拠なのだ。
久しぶりに降り立った駅は、ずいぶん変わってしまったけれどやっぱりすごく懐かくて、少し涙が出そうになった。Nくんの計らいで、当時一緒に働いていたパートさんたちも集まってくれた。社会人になりたてで右も左もわからない俺を、母親のように一から面倒見てくれたパートさんたちは10年たっても相変わらずで。久しぶりにこんこんとお説教もされたが、それがまたなんだかうれしかった。
新しい挑戦に、実は今、俺は挑みはじめている。今年はいろんなことが俺の中で変わっていくだろうと予期していたのだが、10年前と同じようにひとつの転機が今まさに俺に訪れかけているのだ。めまぐるしく変わるこれからの生活に不安は大きく募るばかりで、さらに忙しくなりつつある毎日は気がつけばあわただしく過ぎてしまうのだが。俺があの街に10年ぶりに行ったのは、ただ思い出を懐かしむためではなくて、今と同じように人生の分岐点だったあの頃の自分の気持ちや決意を確認したかったからなのだ。新たなる次のステップに向けて、俺は進む。



2009年06月22日(月)
Vol.746 おじさんになった日

おはようございます。りょうちんです。

19歳から見れば、27歳の男はすでにおじさんの部類に入ってしまうらしい。27歳の彼のことを時々おじさん扱いする恋人同士を見ていたら、それよりも10歳も年上な俺はどうなっちゃうんだろうと半ば本気で落ち込んでしまった。仕事帰りの電車の中で、ふと窓に映ったくたびれたおじさんの姿にはっとした。よく見ると、そのおじさんはまさに俺。いくら仕事のあとで疲れているとはいえ、つり革につかまりくたびれ果てた姿に若さはまったく感じられない。今の俺って客観的にはこんなにもおじさんとして見られていたのかと思うと、なんだか悲しくなってきた。
そういや、最近風邪を引いても熱を出しても治るのが前より遅くなった気がする。口内炎だってなかなか完治しないし、筋肉痛だってすぐには出てこない。これもすべて、おじさんになってしまったからなのか。相方からはたまにおじさん臭いなんて言われることもあるし、勢いが増した加齢のスピードを俺はもう止めることはできないのか。俺はまだ若い若いと思っていたのに、時の流れには所詮かなわない。
真夜中にメールが来た。見ると、「女の子が生まれたよ!」と弟から。結婚して4年、ずっと待ち望んでいた赤ちゃんがついに生まれたらしい。翌朝早々、初孫誕生に大喜びする両親からも俺にメールがあり、お祝いのぼた餅はどうするだとかさっそくてんやわんやしている様子だ。非常におめでたいことなのだが、ひとつだけ俺は気づいてしまった。俺にとっての姪が誕生したということは、彼女にとって俺は伯父にあたるわけで。俺は紛れもなく、正真正銘のおじさんになったことになる。彼女がこの世に生まれた日は、俺が本当のおじさんになった日でもあるのだ。
もう逃げられない。すべてを認め、おじさんとしてこれからは生きていこう。機嫌が悪い時に知らないちびっこから「お兄さん」ではなく「おじさん」と声をかけられても、もうシカトなんかしないで微笑んであげよう。おじさんになったことに正直まだ抵抗はあるが、少しずつ現実を受け入れていかなくちゃいけないんだな。



2009年06月03日(水)
Vol.745 人見知り大作戦

おはようございます。りょうちんです。

「俺ってホントは人見知りなんですよ…」なんて言うと、俺のことを知っている人は何をぬけぬけとそんなウソをつきやがって、と思うに違いない。ぶっちゃけ、俺は自分でも人見知りだなんてけして思わない。ちびっこの頃はそりゃ人並みに初対面の人といきなり話をするなんていささか抵抗があったこともあるが、気がつけばいつのまにかそんなこともなくなり、今では初対面の人でもむしろ自分から気軽に話しかてしまう傾向にある。どちらかと言えば社交的だろうと自分でも思う俺が人見知りだなんて言ったら、本当に人見知りに人はひどくご立腹されるに違いない。
それでも初対面の人には、「俺ってホントは人見知りなんですよ…」と言うようにしている。特に一対一で会わなければならない場合はなおさらだ。俺がいったいどんな性格でどんな人物なのかを知らない相手に、最初に人見知りだという情報を与えておけば、万一そのあとで話が弾まなかっとしても「この人は人見知りだって言ってたからなぁ…」と思ってくれるだろうし、話が弾んだら弾んだで「人見知りだって言ってたのにココロを開いてくれた!」と思ってくれるだろう。つまり、ウソでも良いから最初に人見知りだと言っておけば、そのあとで話に花が咲こうが咲くまいが自分への印象は良くなるはずなのだ。
実はこの人見知り大作戦、ずいぶん昔に何かのトーク番組でタレントのYOUさんが話していたやり方なのだ。彼女もまたけして人見知りではないキャラクターなのだが、とりあえず初対面の人には人見知りだと告げるのだそうだ。彼女らしいと言えば彼女らしいのだが、スタート地点を自らマイナスに持っていくことでプラスの効果が出た時により強いインパクトを与えることができるという、よく考えてみると実に賢い作戦だと俺は思う。
今週末に会う約束をした人がいる。彼とは初対面なのだが、もう俺のことを何年も前から知っていて、メールや電話のやり取りも経験済みだ。会えるのが今からとても楽しみなのだが、残念ながら彼には俺の人見知り大作戦は効き目がないと思う。



2009年05月28日(木)
Vol.744 新型インフルエンザ疑惑

おはようございます。りょうちんです。

金曜日。パートのTさんの娘さんの修学旅行がなくなりそうだと情報が入る。新型インフルエンザが蔓延しはじめたせいで、行き先は海外でも関西でもないのだが、週末のうちに県内から感染者が出たと確認された段階で見合わせになると決定したらしい。ダンナさんの出張も重なり久々にひとりきりの自由時間を堪能できると企んでいたTさんは、是が非でも娘さんを修学旅行に行かせたいと言う。
日曜日。たまたま実家にいた俺は、夕食時に悪寒を感じる。朝から涼しかったのにずっと半袖でいたせいだと思っていたのに、念のため熱を測ってみると発熱していることが判明。37.8℃。その瞬間、家族からは保菌者扱いされる。母は嫌がる俺にマスクを強制させ、「今はマスクが品薄でなかなか手に入らないんだから!」とご立腹。夕食の麻婆茄子には直接口をつけた俺の箸が何度も入っているので、すでに家族全員にウイルスが感染しちゃったかもと思いつつ、おとなしくしている。
月曜日。県内から感染者が出たと確認がないまま週が明け、Tさんの娘さんは無事に修学旅行へ出発。しかし俺はさらに熱が上がり、38.7℃。もしやと思い、保健所に相談の電話を入れる。症状や最近の渡航暦などいくつかの質問のあと、俺の場合は新型インフルエンザの可能性は低いので一般外来でも大丈夫と言われちょっと安心する。解熱剤を飲むと熱も少し下がったので、やっぱり病院に行くのはやめる。
火曜日。朝から高熱。39.4℃。全然熱が引かないことに、再度不安が募る。相方の強制で近くの診療所に。受付ですでに保健所に相談済みだと申し出るも、診察まで待合室では待たせてもらえず車の中で待機させられる。車中にて、新型インフルエンザの検査を実施。鼻の奥まで容赦なくグリグリやられ、泣く。やがて診察室に呼ばれ検査結果を聞く。陰性。これで俺の新型インフルエンザ疑惑はやっと晴れたものの、熱が高すぎるという理由でおそらく人生初の点滴が俺のカラダに施される。
水曜日。微熱はあるものの、仕事復帰。「県内初感染者かと思いました!」とみんなに言われる。こんな時に熱を出すなんて、俺ってタイミング悪すぎ。



2009年05月20日(水)
Vol.743 ねむいねむい病

おはようございます。りょうちんです。

今まで公表してなかったが、実は俺、不治の病を患っている。病名は、重度の慢性的ねむいねむい病。もちろんねむいねむい病なんて俺が勝手につけた名前で、病理学的には認められていない病気ではあるが、俺の中ではれっきとした難病なのだ。
症状は、睡眠不足ではないのに、常に眠たくて眠たくて仕方ない。比較的眠気を感じない時にも突然強力な睡魔がやってくることもめずらしくなく、ちょっとでも眠れる場合はすぐに眠るのだが、そうはいかない時はただひたすらに睡魔と戦わなくてはならない。仕事中や運転中でもそんな発作は時を選ばずやってきて、いつでも俺を苦しめるのだ。布団があればどこでも眠れる、そう確信できることがねむいねむい病にかかってしまった証拠なのだ。特に、暑くもなく寒くもない今くらいの快適な季節は、この病気の発作が頻繁に起こってしまう。特効薬もなく、治療法はただ眠れる時にできるだけ眠っておくことなのだが、それでもやっぱり眠気はやってきてしまうのだから、ねむいねむい病は本当に恐ろしい病気である。
ではいつから、俺はねむいねむい病にかかってしまったのか? 俺はこどもの頃からとても宵っ張りだった。夜が更けても、こどものクセになかなか眠くならなかった。両親が店を営んでいたせいで夕食はいつも夜の8時過ぎだったし、11PMのシャバダバシャバダバというセクシーな音楽を聴いてからあわてて布団に入ることもざらだった。小学校に上がる前のちびっこがそんな夜遅くまで起きていたら、やっぱり睡眠不足になる。だから決まって朝は起きるのがつらかったし、保育園の昼寝の時間はいつも熟睡していた。両親は夜になってもなかなか寝つかない俺を見て、そんな生活だからごはんをいっぱい食べても身長が伸びないんだと怒った。
あの時のツケが、きっと回ってきたのだ。生物学上、人間は夜は眠ってカラダを休めるものなのに、俺はそのコントロールが上手にできなくなってしまったのだ。今夜もこんな真夜中にパソコンに向かってないで、本来一刻も早く眠りにつくべきなのだが。あえてそうしない俺は、今後もねむいねむい病と戦っていくのである。



2009年05月19日(火)
Vol.742 すばらしい日々

おはようございます。りょうちんです。

「幸せ過ぎて怖いくらい!」だなんてセリフ、いつかどこかで見た安いドラマのストーリーでしか聞いたことがない気がする。だが俺は今、ココロの底から幸せ過ぎて怖いくらいだと思う。そんなすばらしい日々を、俺は最近過ごしている。
振り返ってみると、俺は生まれてから今まで不幸だったことなんてなかったように思う。そりゃ悲しい出来事が俺の身を襲ったり突然のアクシデントでツイてないなぁと思うことはあっても、それはほんの一過性のもので、トータルで見ればやっぱり俺は常に幸せの中に埋もれて生きてこれたんだと思えるのだ。特にここ1〜2年は、俺の37年間の人生の中でも最も幸せだと言っても過言ではない。
今の俺を取り巻く物事がすべて順風満帆だ、とは言い切れない。もちろん悩みもあるし不安もあるし問題もいくつかあるけれど、それでも8割くらいは順調に進んでいる。簡単に言えば、窮屈を感じない居心地の良い毎日を過ごせているのだ。残りの2割ももっと順調に進めば本当は良いのだろうけど、努力はしつつもあえてそれを強くは望まない。悩みや不安や問題があれば向上心が生まれるし、100%が上手くいってしまうと刺激がなくなりつまらない毎日になってしまうだろう。そう俺は考えるからだ。よりステキで幸せな生活を送りたいという欲望がないわけではないが、今くらい満足できるすばらしい日々を送るためには、今くらいの割合で順調に物事が進んでいればそれで良いのだ。それ以上もそれ以下も望まないことが、この幸せなすばらしい日々をより長く続けていくコツなのかもしれない。
とはいえ、自分の力だけではどうにもならないことがある。それによって今の生活をもっと続けたいと思っても、余儀なく変わってしまうことだってあるのだ。永遠なんてどこにもない。時代は変化をし続けている。だから、このすばらしい日々もいつかは終わってしまうに違いない。その日がやって来るのが、俺は少し怖いと思う。でも仕方がない。そうなった時は、俺は別のカタチで幸せだと思えるすばらしい日々を見出していかなくちゃいけないんだ。



2009年04月29日(水)
Vol.741 とんだ災難

おはようございます。りょうちんです。

誕生日が1週間後にせまった3月末、俺は交通事故に巻き込まれた。直進中の俺の車に対向車がセンターラインをはみ出して逆走し、見事に正面衝突。俺の軽自動車のボンネットはくの字に歪み、運転席側のドアもすんなり開かないほどの衝撃で、愛車は大破した。そんな話をすると、誰もが「とんだ災難だったね!」とか言われるのだが。事故から1ヶ月たった今、災難に遭ってしまったなんて全然思っていない。むしろ、あれから毎日が楽しくて仕方ないくらいなのだ。
そう思える理由は多々あるのだが。まず、あれだけの事故だったのに、強運な俺はほとんど無傷だった。事故直後は救急車で病院へと運ばれたが、救急車の中でこりゃそこまでのケガじゃないななんて自分でもわかるくらいだった。そのためめったに乗れない救急車内をじっくり観察できた。翌日からいつもどおりばりばり仕事をしちゃったものの、それでも数日間は強打した胸が痛み、何より右肩には鮮やかにシートベルトの痕がアザになって残ってしまったため、通院が必要になった。病気で病院に行くのは大嫌いだが、こんなふうにケガで病院に行くのは楽しいから不思議だ。CTスキャンや上半身のレントゲンを撮って医師が説明してくれたり、胸を触診された時は大げさに痛がって見せた。大量のシップ薬もおみやげにいただく。
さらに今回の事故は、100対0で相手側に全部過失があると判断された。だから金銭的にも俺には何の負担もなく、事故後のサポートも全部保険会社にやってもらうことにした。使えなくなった車の代わりに手配してもらった代車は乗り心地バツグンだし、事故の時に飛ばされてなくなったコンタクトレンズも新品になった。前の愛車が廃車になったのは残念だが、まもなく車検だったし、この際車を買い換えるのが少し早くなったと思えば何てことない。むしろポンコツだったあの車に予想以上の値がついた上に、迷惑料や慰謝料までいただけるのでもう何も文句はない。
とにかく、たいしたケガもなく元気だからこんなことが言えるのかもしれないが。俺にとって今回の事故が、とんだ災難ではけしてなかったのは事実なのである。