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2010年05月02日(日) ■ |
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Vol.760 おなら考 |
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おはようございます。りょうちんです。
今日のひとりごとは、思いっきりくだらないネタを真剣に書くぞ。俺の考える、おならについて。題して、りょうちん的「おなら考」。 健康面から考えて、本来おならは我慢しない方が良いと言われている。理由なんて言うまでもない。でもおならをしたくなった時、どうしてますか? 特に回りに人がいる場合はどうするべきか? 俺は、例えばパートナーや家族や親しい友人など気心の知れた仲の人と一緒であれば、恥ずかしがらずに堂々とおならをするべきだと思う。 人よりもおなかが活発に働いているからかどうか知らないが、何を隠そう俺はよくおならが出る体質だと思う。繊維質の野菜を大量に食べたあとなどは特に、四六時中出ているおならが止まらなくなる。時と場所にも寄るが、そんな時は相方や家族の前でならためらうことなく平気で俺はおならをする。 おならのデメリットは、においと音。まずにおいに関しては、個人的に俺のおならは天然ゆずの香りだから問題ないのだが、においを常に注意深く嗅いでいるとその日の健康状態がわかってくるのだ。おなかの調子が悪い時はにおいが強かったり悪臭だったり。それがわかるようになるだけでも、デメリットだったおならがメリットに感じてくる。次に音。ケータイの電話がかかってきた時に、着メロを使っている人は多いだろう。おならもそう考えればいい。健康状態を知らせてくれる時はおならの音がする、と。この時、より素敵な音になるよう、音階を上げてみるとか音を長く伸ばすとか大きな音が出せるようにするとか、いろいろ努力してみるのもおもしろい。そして音に変化がつけられるようになれば、聞いている方も楽しくなる。 さて。最も大事なのは、逆におならをされてしまった時のリアクション。けしてイヤな顔などせず、笑顔で答えてもらいたい。においや音に関しての感想を言えるくらいになれば、もう完璧だ。もはやおならを恥ずかしがる必要はない。そういう点では、俺の相方はよくできている。俺がおならをすると、「香ばしい!」とか「良い音!」とかすかざず言ってくれる。だから俺がこうやって元気でいられるのは、いつだっておならによる健康チェックができる環境にいられるからなのかもしれない。
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2010年04月30日(金) ■ |
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Vol.759 すべてのものに感謝したい |
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おはようございます。りょうちんです。
高校野球の選手宣誓で、最近流行っているコトバがある。流行っているというか、俺がよく耳にするなと思うのが「感謝」というコトバ。野球ができる環境に感謝とか、両親やチームメイトに感謝とか。野球観戦に行って出会う球児くんの持っているグラブや帽子にも、「感謝」と書かれた文字を時々見つける。人それぞれ感謝という意味の取り方に違いはあると思うが、ホントに感謝の意味を考えて使ってるのか、と思うことがある。別に彼らが本当に感謝しながら野球をやっているかもしれないのだが、少なくとも俺が高校生の頃は、感謝の意味すら真剣に考えたことはなかった。 日々の生活の中で、当たり前だなんてことはひとつもない。ありふれた日常で昨日と何も変わらないように思えても、昨日とまったく同じ今日は一度もない。小さな変化でも必ずどこかに起きていて、この世の中のすべてのものにタイムリミットがある。だから昨日まで続いていたことが今日はもう存在しないかもしれないし、逆に今日から新しく始まることもあるだろう。そう考えると、昨日と同じような今日が来るなんて当たり前なわけがない。そういった変化に気づくことこそが、喜びであり幸せなのだ。 だから俺は、すべてのものに感謝したいと思う。朝起きておいしく食事ができること。仕事に行って忙しく働くこと。相方や両親たちと話ができること。昨日ととても似ていて小さな変化を見落としてしまいそうな、そんなの当たり前だと勘違いしそうなちっぽけなことは特に、感謝をしたいと考えて生きている。そう思うことによって、すべてのものが愛しく感じてくる。そして愛しく思えば思うほど、より感謝をしたくなってくるのだ。 そういえばこんな話、以前にもひとりごとで書いたことがある。なんだかちょっと悟りを開いたみたいで、お坊さんにでもなっちゃったようだと自分でも思うのだが。でもこんなふうに考えるようになったのは35歳を過ぎたあたりからで、やっぱ高校生の頃は何かをしてもらった時に「ありがとう」と言うのが感謝だと思っていた。ていうか、高校球児の大半も、そういう意味で感謝というコトバを使っているんだろうな。
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2010年04月27日(火) ■ |
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Vol.758 ますかけの運命 |
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おはようございます。りょうちんです。
占いなんて全然信じてない俺が言うのもまったく説得力のない話なのだが。俺は相当すごい手相をしているらしい。ひょんなことから過去に2度ほど手相を見てもらったことがあるのだが、ふたりともそろってこれはすごいと言ってくれた。いわゆるますかけ線の持ち主で、頭脳線と感情線が完全に1本に繋がっちゃっている。手を握ると、てのひらの上半分と下半分がその線を境にちょうど折りたたんだカタチになる。片手だけますかけになっている人はそこそこいるらしいのだが、俺の場合は両手。しかもこんなにも鮮やかにきれいにくっきりとますかけになっている人はなかなかいないらしいのだ。両親に言わせると生まれた時から俺はこの手相だったようで、ひらがなを覚え始めた時に、「て」という字がわからなくなったら自分の手を見れば答えが書いてあると母に言われたことがある。 ますかけの手相を持った人は頭の回転が速く、とにかく幸運なんだそうだ。初めて手相を見てもらった中学生の時に、君は将来は社長になると言われたこともあった。実際には今のところ社長のイスには到底座れそうもないが、確かに自分でも強運だと思う。徳川家康と同じ手相なんて言われるとさすがに悪い気はしない俺は、実はずっと秘かに自分の手相を自慢に思っていた。 去年まで整体師として働いていたバイトのSくんは、手相を見ることができる。他のバイトくんたちの手相を見ては真剣に占っている彼を見ていると、どうも中途半端にやっているようには見えない。話の流れに乗って、知らないふりして俺も彼に手相を見てもらった。すると過去のふたりと同様に、俺のますかけを見た途端に彼はひどく驚いて案の定すごいすごいの連発。両手にこんなきれいなますかけを持った人は初めて見たとびっくりしていた。 だが良いことしか言わない彼に、少しだけ俺は意地悪をしてみたくなった。いくらますかけとはいえ、ひとつくらい悪い相も出てるはず。強引に食い下がる俺に、重い口調で彼が言ったのは、「40歳あたりから、運命線がぷっつり切れてないんですよね…」。40歳までのタイムリミットはあと2年。それ以降の俺の運命は、いったいどうなるんだろう? ますかけの運命は、幸運じゃなかったのか? いや、運命なんてわからないからおもしろいんだ。
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2010年03月30日(火) ■ |
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Vol.757 ねずみの国の魔法 |
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おはようございます。りょうちんです。
千葉在住だからって、ディズニーランドやディズニーシーに頻繁に行っているわけではない。そもそもテーマパークならファンタジーな雰囲気よりスリリングな方が好きだし、近くにあるからいつでも行けるという考えもあって、ランドもシーも両方とも開園当時に一度行っただけであとはずっと足が遠のいていた。そんな俺が相方や友人に誘われて、先月はディズニーランドへ、先週はディズニーシーへと立て続けに行ってきた。ランドは25年ぶり、シーは7年半ぶりのディズニーワールド。 さて。ディズニーリゾートを訪れるにあたって、俺にはひとつだけ心配があった。ディズニーに全然興味のない俺が、ココロから楽しめる場所なのだろうか? アトラクションやキャラクターにまったく疎い俺が、おもしろいと思えるところなのだろうか? そんな不安を、ディズニーリゾートにはデートでしょっちゅう行っているバイトくんにぶつけてみた。すると彼は、こんなふうに答えてくれた。 ある意味、ディズニーリゾートは別世界。そこにどれだけ自分のモチベーションを上げて、自ら解けこんでいけるかが重要。催眠術と同じで、舞浜駅を出た瞬間から異国に来たんだと思い、ミッキーマウスが放つねずみの国の魔法にどれだけ上手にかかれるかで楽しいかつまらないかが決まっちゃう。上手く魔法にかかればアトラクションが2時間待ちでもつまらなくないし、割高な食事やジャンクフードも楽しくないわけがない。つまり、ねずみの国の魔法にかかったもん勝ちなのだ、と。さすがバイトくん、心理学部だけあるよな。 で、俺はその助言を忠実に守り、ランドもシーも最初からモチベーション上げまくりのフルテンションで挑んできた。我ながら上手に魔法にかかったと思う。ポップコーンのバケツを胸に、目を血走らせる勢いで全力で楽しんでいる俺。今になって思えば、ミニーのカチューシャも頭にしとけば良かったな。とにかく、ランドもシーも本当に楽しくて仕方なかった。でも、よく考えてみると。結局は途中から、魔法なんかに頼らなくても楽しくなっちゃってた俺だった気がするんだよね。
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2010年02月04日(木) ■ |
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Vol.756 マレーシアは逃げていかない |
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おはようございます。りょうちんです。
去年の冬にベトナムのハノイに行った時は、帰国便の飛行機が飛ぶ数時間前にデジカメをなくした。だからハノイで撮った思い出の写真は1枚もない。北京に行った時は、出発前夜にコンタクトレンズをなくす。いつだって相方はそうだ。旅行に行く直前や最中に、大事なものを必ずなくす。肝心な時に。ここぞの時に。 今年の旅行は、マレーシアにしようと決めた。最初は国内旅行にする予定だったのだが。俺は冬休みの3連休をもらうつもりが運良く4連休取れてしまい、それなら海外に行けるとプランを練り始め、日程的にも金銭的にもちょうど良い候補地の中から魅力的なマレーシアに決定と、ここまでは怖いくらいトントン拍子だった。さっそく飛行機とホテルの手配を済ませ、クアラルンプールとマラッカの観光情報を仕入れることに全力を注いだ。簡単なマレー語も覚え、ここまでは完璧だった。 でも、完璧なのは俺だけ。歯車が狂ったのは、出発2日前のこと。相方が熱を出した。大事を取って、翌日は仕事を休ませる。出発前夜、まだ微熱はあるものの薬を飲めば何とか大丈夫だと言う相方に、更なるアクシデントが襲った。パスポートがないと言う。発熱した日の仕事からの帰り、駅か電車の中で見たのが最後で多分その時に落としてしまったかもしれないと青くなっている。あわてていろんな駅や警察にも電話して調べてもらい、念のため家中も引っ掻き回して捜したのだが。飛行機が出発する時間になっても、とうとうパスポートは出てこなかった。 冗談だろ? そもそも子どもじゃないんだから体調管理くらいちゃんとしろよ。百歩譲って熱出したとしても、いくら頭がぼんやりしてても、普通パスポートを落とすか? そう思っても、もうどうしようもない。相方は泣きながら俺に謝った。 激昂と落胆で、ふて寝するしか俺はできなかった。時間があればやりたいことは山ほどあるはずなのに、気持ちがついてこない。でも、もっと落ち込んでいるのは相方に違いないのだ。今回は仕方ない。また休みを取って、一緒にマレーシアに行けばいいんだ。いや、絶対に行く。だって、マレーシアは逃げていかないんだから。
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2010年01月30日(土) ■ |
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Vol.755 今年は当たり年 |
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おはようございます。りょうちんです。
外は冷たい冬の雨。東京で初雪が降った日は、本当に寒かった。仕事場のエアコンをガンガンつけても一向に暖かくならない。こりゃ相当冷え込んでるんだと思っていた時、「それにしてもこの部屋、暖房効き過ぎてません?」と言うバイトくんのひとことで俺は気がついた。冷え込んでるんじゃない。おかしいのは俺の体調だ。そういやなんだか熱っぽいし、胸もムカムカする。めずらしく食欲もないし、カラダの節々も痛い。さっきは急におなかの調子が悪くなってトイレにもかけ込んだ。 そんな矢先、相方からメールが来た。時を同じくして、相方も体調を崩したらしい。どうやら俺よりも芳しくなく、悪寒と吐き気が相当ひどいそうだ。あーあ、ふたりそろって風邪かよ。なんてぼんやりした頭で最初は悠長に考えていたのだが、不意に俺はあることを思い出した。あれ? これってもしや、食中毒? 話は2日前にさかのぼる。閉店間際のスーパーにて、俺らはおいしそうな牡蠣を見つけた。貝殻に乗ったままの生牡蠣ちゃんは俺らを見つめ、買ってほしいと助けを求めている。すぐさま俺らは生牡蠣ちゃんを買い物カゴへと救出し、その日の夜には食卓に並べレモンを絞ってぺろりといただいた。うまい。非常にうまかった。やっぱり牡蠣は最高だねなんて笑っていたのだが、あの時のあいつが犯人だったなんて。しかし時すでに遅し。今さらこの苦しみをどうすることもできない。 結局夕食もほとんど食べず、せっかく買って来たデザートのプリンさえも手もつけないままで、薬だけ飲んで早々と眠ることにした。翌朝、まだいくぶん体調は思わしくないが、それでもずいぶん楽になった。相方も同じようで、トイレに行くたびに元気を取り戻せるように感じる。そりゃそうだ。カラダに入った毒さえ出し切ってしまえば、元に戻れるのだから。昼過ぎにはいつも通りの体調に回復できたが、新年早々牡蠣に当たるなんてちょっとついてない。せっかく当たるなら、懸賞か宝くじの方がうれしかったのに。でも、もしかしたらいろんなものが今年は当たり年かもなんて、実は密かに期待している。
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2009年12月31日(木) ■ |
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Vol.754 さよなら、2009年 |
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おはようございます。りょうちんです。
今日で2009年もおしまい。年の瀬はめちゃくちゃ忙しくて、今年もやっぱり一年をゆっくり振り返るなんてできなかったけれど。新年を迎えるまでの残りわずかの時間を使って、急いで2009年を思い出してみようと思う。 2009年の俺のテーマは「咲き誇れ愛しさよ」。愛しいと思える気持ちを、もっともっと増やしていきたいと思っていた。愛しい人や愛しいものを、もっともっと大切にしていきたいと思っていた。今、その視点から振り返ってみると。日々の忙しさに紛れて、大切な一日一日を粗雑に過ごしてしまう時も確かにあったけれど。そういう時こそできるだけ俺は原点に戻り、それが当たり前だという概念を捨てようと努力してこれたつもりだ。去年に比べると確実に、俺の中で感じられる愛しさは咲き誇っていると思う。そしてこれからも、もっともっと愛しさを咲き誇らせたい。 さて、俺にとっての2009年は大きく変化のある年になった。仕事では夏に配置部署の変更があり、それまで10年し続けてきた業務内容ががらりと変わった。それと前後して本格始動した俺の中の新しいプロジェクト。弟や相方の力も借りながら、それを本格的に軌道に乗せるまではまだまだ時間が必要だとは思うけれど。そんなわけで、今まで以上にやることが多くなってしまっておかげさまでゆっくり休むことすらできないくらい忙しい毎日を送っている。でも、楽しいことに没頭して忙しく駆けずり回れるのは、本当はとても良いことなのだ。 春には交通事故に遭い胸を強打したり、夏には数日間40℃の高熱が下がらなかったり。健康面ではそれなりにアクシデントもあったが。見方を変えれば、そろそろ自分のカラダも少しケアしなきゃいけないということ教えてくれたのかもしれない。 悲しいことも頭に来ることもつらいことも泣きたくなることも、そりゃ少しはあったけれど。似ているようで決して同じではないちょっとした刺激のある毎日の連続で、要するに2009年はとても幸せな一年だった。さよなら、2009年。そして2010年も、2009年に負けないくらい幸せな一年になりますように!
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2009年11月25日(水) ■ |
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Vol.753 歌舞伎三昧 |
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おはようございます。りょうちんです。
歌舞伎のチケットをもらったんで一緒に行こうと相方に誘われた。手に入ったチケットの値段にびっくり。ふたりで数万円する桟敷席。しかも来春取り壊される銀座は歌舞伎座の公演。こんなチャンスめったにない。俺はふたつ返事でOKした。 しかし日本の古典芸能にまったく接点がない俺は、歌舞伎も能も浄瑠璃もさっぱり区別がつかない。歌舞伎座は新宿の歌舞伎町にあったよなと疑いもしないほどだったし、俺の頭の中で「歌舞伎」を検索すると最初にヒットするのはせんべいの歌舞伎揚げだったりする。古典芸能の歌舞伎を強引に思い浮かべても、昔TVで見たカブキロックスというバンドくらいしか出てこない。そんなレベルの俺だから、「仮名手本忠臣蔵」なんて超名作が上演されると聞いてもちんぷんかんぷんだった。それでも初心者向け歌舞伎鑑賞の本を読んだり、歌舞伎に詳しい相方の友達から話を聞いたりして予習した。まぁ肩肘張らず見れば良いとアドバイスされたものの、忠臣蔵のあらすじくらい理解しとかなきゃ。楽しみと不安が半分ずつのドキドキは相方も同じようで、俺らはいざ歌舞伎座へ向かった。 貫禄があり格調高い構えの歌舞伎座だったが、俺らは初心者でも安心なイヤホンガイドを味方に、すぐに歌舞伎のすばらしさにのめりこんだ。尺八や三味線の生演奏をバックに、大掛かりな舞台装置や見事な装飾小道具、そして何よりも演じる役者の演技に同情したり腹を立てたり感動したり笑ったり。伝統ある古典芸能は、想像よりはるかに完成度が高くけして難しくないものだと思った。幕間には売店でお弁当やおやつを買ったりお土産品を見たり、気づけば存分に歌舞伎を満喫していた。 さて。俺らの手にあるチケットは、昼前から夕方までの半日分の公演が見られる昼の部。つまり「仮名手本忠臣蔵」の後半は、夜の部のチケットを別に購入しないと見られない。しかし、俺らふたりの意見は一致した。自腹を切って夜の部のチケットも購入しよう、と。さすがに桟敷席は手が出なかったが、お手頃価格で見られる3階席にて、俺らは最後まで「仮名手本忠臣蔵」を鑑賞した。結局約10時間に渡っての歌舞伎三昧。マジ楽しかった。機会があれば、また歌舞伎を見に行きたいな。
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2009年10月31日(土) ■ |
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Vol.752 育児ごっこでかまわない |
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おはようございます。りょうちんです。
子どもの中でも、特に赤ちゃんは俺をとりこにする特別な力を持っている。例えばスーパーや電車内などで、バギーに乗せられていたりママにだっこされている生まれたばかりの赤ちゃんに出会うと、あまりのかわいさに俺はいつだって釘づけになる。赤ちゃんをあやそうと手を振ったり変な顔をしたり、昔から俺は気がつけば自然とそうなってしまうのだ。生後4ヶ月になった姪っ子も会うたびに大きくなり、さらさらな前髪やぷくぷくのほっぺやでろでろのよだれさえもかわいくて仕方ないのだが、彼女に限らず赤ちゃんにはそんな不思議な力が備わっているのだと思う。 登録している市のボランティアセンターから、育児ボランティアの依頼が来た。今回面倒を見るのは3歳の男の子が3人。少しおとなしい彼らに初めは人見知りもされたが、すぐにミニカーやブロックや絵本を次々に出してきて元気に遊び始めた。途中でひとりが転んで泣いた途端、別の子も連鎖的に泣き出し大騒ぎになりそうになった場面もあったが、気がつけばむしろ俺らの方が彼らに遊んでもらっているというカンジだった。「いつでもステキなパパになれますね!」なんてお褒めの言葉もいただいたが。うれしいやら、本当はちょっぴり悲しいやら。 たぶん。俺も相方も、一生子宝には恵まれない、だろう。自分の子どもを育てるということを経験しないまま、俺らは一生を終える可能性が高い。少子化問題をさらに深刻にさせてしまってはいるが、こういう俺らだからこそ子どもは本当に大切にしたいと考える。俺らと同じように自分の子孫を残せないとわかった段階で保育師をめざし、その夢を実現させた俺の友人はすごいと思うし、育児ノイローゼでずっと悩んでいた別の友人もいる。でも、みんな子どものために一生懸命なのだ。 今回の経験は、とても楽しく貴重だった。本当に育児で大変な思いをしている人から見れば、ほんの数時間だけの育児ごっこに過ぎないと笑われるかもしれない。しかし、育児ごっこでかまわない。少なくとも俺は、輝かしい未来を担う子どものために一生懸命になれたことが、うれしくて仕方ないのだ。
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2009年09月14日(月) ■ |
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Vol.751 見られてナンボ |
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おはようございます。りょうちんです。
先日、プロ野球観戦に行ってきた。マリーンズvsホークス戦。高校野球観戦は年間90試合とか見に行っちゃってる俺だけど、プロ野球観戦は実に3年振り。あいにく雨だったし、応援しているマリーンズにとってみればすでに消化試合だったけど、それはそれで高校野球とは違うおもしろさがあって楽しかった。たまにはプロ野球観戦も悪くないなぁ。 試合前のキャラクターイベントを楽しんだり、高校野球の時には使われないマリンスタジアムのリボンビジョンに驚いたり、HRが3本も飛び出したり。もりだくさんな内容で、最初から最後まで飽きさせない。そんなのを見ていたら、これはやっぱりひとつのショーなんだなと思った。いや、前々からずっと思っていたことなんだけど。ある意味演劇やミュージカルと同じように、注目されなければ意味がない。見られてナンボの世界なのだ。もちろん主役はそこでプレーする選手たちなのだが、だからこそ選手たちにもエンターテインメント性を持ち備えてなければおもしろくない。これは野球というスポーツに限ったことではない。アマチュアとプロのスポーツの違いは、そういうところにあるんだと思う。 だからプロのスポーツ選手は、上手いだけじゃダメなのだ。そのスポーツをしてお金を稼ぐということは、最終的にはファンを惹きつけなければどうしようもない。見られてナンボを根底に考えれば、もちろんスーパープレーで魅了させることも大事ではあるが、それ以外にもエンターテイナーとしてファンを惹きつける必要がある。イチロー選手の野球に対するストイックなところだったり、石川遼くんの律儀で賢そうなところだったり、浅田真央ちゃんのかわいくて可憐なところだったり。一流と呼べるプロスポーツ選手は、スーパープレー以外にもファンを惹きつける要素を必ずしも兼ねそろえているのだ。 そんなことを考えていたら、やっぱりスポーツは頭も使わなきゃならないし、奥が深いなぁと改めて思った。だからこそ、おもしろいんだよなぁ。
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