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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2010年12月29日(水)
Vol.770 同窓会の案内状

おはようございます。りょうちんです。

先月の半ば、高校時代の同窓会の案内状が届いた。良く読んでみると、クラス同窓会ではなくて学年での同窓会らしい。つまり今回の同窓会は、俺と一緒に高校を卒業した同級生全員に声がかかっているみたいだ。来年の春で、俺らは高校を卒業してから丸20年が経とうとしている。それを機に、ホテルの宴会場を借り切って大々的に企画された学年同窓会なのだ。日時は明日30日の夕方。何もこんなに年の瀬が迫ったあわただしい時期にやらなくてもと最初は思っていたのだが、考えてみるとこの時期だからこそ、大掛かりな同窓会が企画されたのだろう。
中学時代の同級生とは、今でも年に何度も会っている。相変わらず地元に住んでいるヤツも多く良い友達ばかりで、お花見だのバーベキューだのしょっちゅう飲み会を開いている。先日も忘年会の席で顔を合わせたばかりだ。でも、高校時代の友達とは今ではめったに会うことはない。結婚や就職や転勤で千葉を離れた友達の方が多いし、住所やアドレスなどは知っていてもなかなか連絡なんて取らないものだ。だから今回の同窓会には絶対に出席して、近況報告やすっかり年を重ねたみんなと懐かしい話で盛り上がりたいと思っていた。
槙原敬之さんの「遠く遠く」という曲を思い出した。故郷から遠く離れた街で夢を叶えるまでがんばっているから、同窓会の案内状は欠席に丸をつけたという内容の歌詞だ。俺はこの曲の歌詞のように、どんなに高いタワーからも見えないふるさとから離れて暮らしているわけではないけれど、同窓会の案内状は欠席に丸をつけて返信した。さんざん迷って、期限ぎりぎりまで悩んだ末に決めた。仕方がない、この時期は仕事が忙しくてどうしようもない、と自分に言い聞かせながら。誰よりも今はみんなの顔を、見たい気持ちではいるのだが。
卒業して20年、きっとみんなそれぞれ努力と苦労を重ねてがんばってきたと思う。俺もがんばってきたつもりだが、もっと力いっぱい輝ける日まで会わないでおこうと思う。だから「次の同窓会には必ず出席します!」と、メッセージを送った。



2010年11月28日(日)
Vol.769 最後の親孝行

おはようございます。りょうちんです。

幼なじみの彼は、昔からそんなだった。引っ込み思案でおとなしくて、自分から積極的に何か始めるタイプではけしてなくて、ましてリーダーシップを取ることが大の苦手で、優柔不断で要領も悪くて、どこかどん臭くて。だから大げさに言えば、いつも昔から少し気が強く口も立つ俺がいじめっ子で、彼がいじめられっ子という図式だった。でもずっと仲が良かったのは、彼はすごく優しいから。誰よりも優しいココロの持ち主だったから、ケンカしてもずっと俺は彼のことが大好きだった。
彼のお母さんが体調を崩したのは、今年の春。桜が咲いていた頃にたまたま彼のお母さんを見かけた時は、あんなに元気そうにしていたのに。夏の終わりに末期のガンと診断され、それはすぐに隣県に住む彼の耳にも届いた。彼は週末になると必ず車を走らせて、彼のお母さんの入院する病院までお見舞いに来るようになった。
彼のお母さんも、残された時間は残りわずかだと薄々感じ取っていたのかもしれない。病院のベッドの上で、自分が生まれ育った生家に帰りたいと時々言っていたそうだ。それを知った彼は、一大決心をする。体調の良い時を見計らって彼のお母さんを一時退院させ、北関東のはずれにある生家まで家族で旅行する計画を立てたのだ。どんなこともすべて彼の考えで、何があってもすべて彼の責任で。病院も彼の強い意志と彼のお母さんの体調を考慮して、最後の親孝行は無事に実行された。自分から旅行の計画を立てるなんて昔の彼じゃ考えられないのに、母親を想う優しさが行動に移させたんだろう。彼のお母さんも、きっとうれしかったに違いない。
今年いっぱいだという宣告よりもずいぶん早い今月初め、良く晴れた朝に彼のお母さんは帰らぬ人となった。昔はあんなに泣き虫な彼だったのに、告別式の日に久しぶりに会った彼はもう俺の知っている弱っちい彼ではなかった。「りょうちんのお母さんも体調悪いんだろ? 何かあれば力になるよ!」。久しぶりな上にどんなコトバで励まそうか迷っている俺に、逆にそう言って微笑んだ彼がすごくカッコ良く見えた。そうだ、俺は知っている。昔から彼はすごく優しいんだ。



2010年10月20日(水)
Vol.768 母の新幹線

おはようございます。りょうちんです。

高校の修学旅行は、定番の京都だった。東京駅から京都までの往復は新幹線。俺が初めて新幹線に乗ったのもその時で、新幹線に一度も乗ったことがない母はとてもうらやましがっていた。
今年還暦を迎えた母は、まさに高度成長期に青春時代を迎えた。東京オリンピックに向けて東海道新幹線が開通した時は中学生だったはずで、光のごとくものすごいスピードで走る新幹線は夢の乗り物だったに違いない。しかし母はその後も新幹線に乗る機会はなく、やがて車が大好きな父と結婚して車中心の生活を送ってきた。どこへ行くにも父の運転する車の助手席にいつも母は座り、だから俺の中では母と一緒に電車に乗った記憶がほとんどないのだ。遠くへ旅行する時も車での移動だったため、新幹線とはずっと無縁のまま。そしてそれは父にも言えることで、俺の両親はそろって今に至るまで新幹線には乗ったことがなく、新幹線開通からもうじき半世紀が経とうとしている今でも、新幹線は夢の乗り物として憧れているのだ。
そんな母の夢が、まもなく叶う。来週紅葉を見に、奥入瀬〜十和田湖〜八甲田山に行ってくる。父や弟たちと一緒の久しぶりの家族旅行だ。きれいな紅葉を見て、新幹線にも乗りたい。そんなふたつの母の願いが一遍に叶うよう、目的地と季節をじっくり吟味して決めた今回の家族旅行。八戸まで東北新幹線はやてに乗って、そこからレンタカーを借りて紅葉の奥入瀬を巡る。十和田湖では遊覧船に、八甲田山ではロープウェイに乗り、青森市内の浅虫温泉で温泉を堪能したあと八戸に戻り、再び新幹線はやてで戻ってくるという2泊3日のプランだ。見どころ満載で、おいしいものもたらふく食べる予定である。ただ、紅葉シーズン真っ最中の観光地に突入するので、混雑は覚悟なのだが。
それでも母は今回の旅行をずっと楽しみにしている。初めての新幹線も、きれいに色づいた紅葉も。北東北の山間部はすでに冷え込みが厳しく、母の体調が少し気がかりではあるが。母の新幹線に乗るという長年の夢は、まもなく動き出すのだ。



2010年10月14日(木)
Vol.767 面倒くさいなんて

おはようございます。りょうちんです。

「面倒くさいはクソくさいよりたちが悪い!」とは、今は亡き祖母がよく言っていた口癖。けして上品なコトバではないが、億劫がってズルをしてしまったり面倒だと言ってやらなかったりすると、決まって祖母はこの口癖を言って俺を叱った。面倒くさいなんて理由は、自分が怠けたいだけの勝手な言い訳。やるべきことはちゃんと手間と時間をかけてきっちりやらないと、ろくな結果にならない。38年間生きてきて、今は祖母の言っていたことは正しかったと胸を張って言える。そして祖母は俺を叱ったあと、必ず俺をフォローしてくれた。「本当はお前はやれば何でもできる子なんだから、面倒くさいと言ってやらないのはもったいないよ!」と。
しかし残念ながら俺は、元来生まれながらに面倒くさがり屋だと自分でも思う。ズルができるならズルしたいし、楽ができるなら楽したいし、面倒くさいことは省けるなら省けた方が良いと思って今日までやってきた。結果よりも過程が大切な時もあるってことは知っているけど、やっぱり面倒くさいことが少ない方を選んでしまう。祖母が生きていたら、きっとこんな俺を叱責するに違いない。
秋が深まってきたせいか、なんだかこの頃すべてにおいて面倒くさくて仕方ない。朝起きるのも食事の支度をするのも、極端な話、仕事に向かうのさえ億劫だと思うことがある。やらなきゃならないことは山ほどあるのに、できれば何もせずぼーっと一日を過ごしていたいと思ってしまう。要するに気持ちの問題で、こういうのって良くないなとは思いながらも、実はこんな気分は今までにも何度かあったのだ。
だからこそ、こんな時の打開策を俺は知っている。面倒くさいなんて理屈を頭で考える前に、とりあえず先にカラダを動かしてしまえば良いのだ。効率なんてどうでもいい。面倒くさいと考える隙も頭に与えないくらい、とにかく無駄なことでも良いから無理矢理カラダを動かすことで、面倒くさいことも忘れられる。結構無謀だが、そうやって俺は今までを乗り越えてきた。だから今回も大丈夫。祖母はもう叱ってはくれないが、本当は俺はやれば何でもできる子なんだから。



2010年09月30日(木)
Vol.766 父の禁煙

おはようございます。りょうちんです。

父は大の愛煙家だ。タバコを覚えたのは40年以上も前で、それから一日ひと箱以上のタバコを灰にする日々を送っている。風邪を引いてもタバコだけは止めない父にまったくタバコを吸わない俺は、昔から何度もタバコを控えるよう忠告してきた。まだ俺が中学生の頃は父のタバコで大ゲンカになったこともあったし、タバコがいかに有害かを保健の授業で学んだとおり懇々と説明したこともあった。しかしどんなに俺が言っても、むしろ言えば言うほど父はタバコを止めようとしなかった。
弟が禁煙に成功してからは、弟も俺と一緒になって忠告するようになったのだが。それでも「タバコを吸えない方がストレスが溜まってカラダに悪い」だとか、「死ぬ時はタバコを一遍に十数本吸いながら死にたい」だとか豪語する父に、マナーさえ守ってタバコを吸うのならもうこれ以上何も言うまいと俺はココロに誓った。
ところが夏の終わり、父の通う病院の定期健康診断で。父は肺に小さな影があると診断された。まだ8mmほどのほんの小さな影で精密検査をしてみなければ何とも言えないが、仮に最悪それが悪性の腫瘍だとしても本当に初期の状態で、カラダを傷をつけることなく簡単な手術で治せるらしい。特にあわてて心配することもないがこれを機にタバコは控えたほうが良いと主治医に言われた。
その日から、父はタバコを止めている。俺が今まで長い間何万回と言ってきたことを、たったひとことの医者からのコトバですんなり受け入れるなんて。家族の誰もが驚きを隠せない。当の本人は「俺はタバコを止めたわけじゃなく休憩しているだけだ」と言って、いつだってタバコが吸えるようポケットにライターを忍ばせている。しかし涼しくなっても父はまだアイスを一日5本も食べていると母は言っていたし、ガムを大量に購入したことも俺は知っているが。父はそれでもそんなに苦労もせず、むしろ楽しんで禁煙ライフを送っているようだ。
明日からタバコの値段が上がる。だが、父の健康にとっても我が家の家計にとっても、父の禁煙はうれしいことには違いない。



2010年08月05日(木)
Vol.765 朝型生活改造計画

おはようございます。りょうちんです。

我が家の時間軸は、世間一般の時間軸とちょっとずれている。俺の起床は午前10時頃でそれから仕事に向かうし、俺が家を出てから起き出す相方の仕事は午後3時半に始まる。仕事が終わって家に帰ってくるのは俺は日付が変わる頃だし、相方は終電より1つ前の電車に乗って帰宅する。それから夕食の支度を始め、食事をしてから布団に潜り込むのがすでに午前4時頃。すでに夜は明け始め、ちょっと前の季節ならもう空が白みかけてきていたし、TVでは「おはようございます!」を連発するお天気番組がスタートする頃に俺らは眠りについていた。
つまり、世間の時間軸よりもだいたい4時間程の時差が俺らにはある。睡眠は一日6時間くらい取っているし、そもそも宵っ張りなふたりだから明け方まで起きているこの生活サイクルで特に問題はないのだが。でも極端な話、パキスタンやモルディブにいるのと同じくらいの時間のずれの中で暮らしていることになる。日の出とともに活動を始め日没とともに床につく。そんな生活を理想と考え夢見ている俺にしてみれば、これはちょっとずれ過ぎだ。早朝の明るい時間に深い眠りについて何も活動せずにいるなんて、なんともったいないことか。
そこで俺は考えた。俺らの時間軸を、できる限り世間一般の時間軸に近づけよう。なるべく早寝早起きをする。基本的なことだがこれを目標にしよう。そうすれば、明るい朝の時間をもっと有効に使えるはずだ。しかし、ふたりともさすがに仕事の時間までは動かせないので、どんなに遅くとも深夜2時までには布団に入ろうと決めた。食事は朝起きてから。6時間寝て午前8時に起きれば、それから朝食を作ってゆっくり食べても俺の仕事にはまだ間に合う。計算上では、無理な話ではない。
こんな俺の提案が採用され、実は今月から我が家の朝型生活改造計画は始まった。数日続けてみて、正直今までよりも朝早く起きるのはちょっとつらいが、そこそこ好調に滑り出せていると思う。今後予期せぬいろんなメリットやデメリットが出てくるかもしれないが、この生活に慣れるまでもうちょっとがんばろうと思う。



2010年07月31日(土)
Vol.764 野球観戦のお膳立て

おはようございます。りょうちんです。

夏と言えば高校野球。やっぱり俺にとって、この図式は切っても切り離せない。7月に入れば梅雨明け前から夏の選手権大会の地方予選が始まるし、どこかの球場で試合の予定があれば見に行きたくてうずうずしてしまうのは毎年恒例なのだ。でもそれを邪魔するのが、仕事。許されるものならば大会期間中は毎日でも野球観戦に行きたいのだけれど、そうは問屋が卸さない。仕事を放り出して思う存分野球観戦なんて、実は夢のまた夢なのだ。
今年もそんなジレンマを感じつつ、7月を迎えた。職場では俺の高校野球好きはもうすでに誰もが承知で、中には「今年はどこが強いんですか?」とか「今年注目のチームは?」なんて聞いてくるバイトくんもいる。そうなると俺も忙しささえ忘れて熱く語り始め、止まらなくなることも多々ある。
そんなやり取りが功を奏した。千葉大会の予選が始まると、俺が優先的に休みを取れるように職場のみんなが計らってくれたのだ。ずっと心待ちにしている年に一度のイベントならと、バイトくんも含めてみんなが協力をしてくれた。ホントに感謝感激である。それでもずっと仕事しないわけにはいかないのでたまに仕事に行くと、「今日は野球観戦に行かないんですか?」と驚かれる始末。マジでありがたい。
ここまで高校野球観戦のお膳立てをされると、逆に行かないわけにはいかない。ちょっと体調や気分がすぐれなかったり思い入れのあるチームが出る試合じゃなかったり、今日は観戦を休んじゃおうかなんて思う時があっても、せっかく俺のためにお膳立てしてくれたのなら、無理にでも行かなくちゃという使命感みたいなものを感じてしまうようになったのだ。その結果、今年は天候にも恵まれ雨天順延になった試合もなかったせいで、地元の千葉大会だけに留まらず、東東京大会、西東京大会、埼玉大会も含めた全29試合をわずか3週間足らずで観戦するというハードスケジュールを決行することになった。久しぶりに千葉大会は決勝戦も見たし、正直言って大満足である。
いよいよ1週間後には甲子園で全国大会が始まる。ここまでテンションが上がると、俺も甲子園に行きたくて仕方ないのだが。こればっかりはまだどうなることやら。でも、俺の気持ちは熱くなるばかり。夏はこれからだ!



2010年06月07日(月)
Vol.763 俺の履歴書

おはようございます。りょうちんです。

実家の引き出しの奥から、俺が大学時代の就職活動の時に書いた履歴書が出てきた。以下、その抜粋である。
【研究課題】方言の分布に注目し、その中でも私の生まれ育った千葉県において、現在でも使われている方言の地理的分布図を作成する研究を行っております。方法は、千葉に住むさまざまな人に方言に関するアンケートや実験をして、どの程度の人がどのような方言を使用しているのかを調査し、そのデータを元に地図化を行います。
【授業以外に力を注いだこと】コンビニエンスストアとピザの宅配のアルバイトに力を注いでいます。どちらとも基本はスマイル。どんなお客さまに対してもさわやかな笑顔だけは忘れないよう、日頃から心がけています。また、チームワークもとても大切なので、他の人のミスも的確な判断によってカバーし協力しあう力も培ってきました。
【趣味】旅行することを以前からの趣味としていますが、特に温泉巡りをすることが大好きです。大学に入ってからは、全国約30ヵ所の温泉地を巡りました。
【私の長所】誰に対しても裏表がなくとても親しみやすいという性格を、今までのアルバイト活動やサークル活動などを通して活かしてきました。そのため、多くの友人に恵まれています。また、自分の意見をしっかりと持ち、イエスかノーかをはっきりと表すことができます。そして何事にもプラス志向で物事を考えることを、常に心がけています。
そうだそうだ、思い出した。大学4年生のちょうど今頃、俺は毎日就職活動のために奔走していたっけ。紺色のリクルートスーツに身を包み、初夏の風を切りながら就職活動で忙しく走り回っていた。万年筆で丁寧に書かれた履歴書が、あの頃の懐かしい記憶をよみがえらせる。
就職氷河期と叫ばれて久しい。先日も就活中のバイトのOさんが、履歴書の書き方で頭を痛めていた。参考になるかどうかはわからないが、今度俺の履歴書を見せてもいい。でも、履歴書と一緒に出てきた未開封の成績証明書は、見せない方が良いと思う。



2010年05月30日(日)
Vol.762 母の還暦

おはようございます。りょうちんです。

近くの紳士服専門店で、礼服を購入した。礼服をすぐに着る予定なんて今のところないのだが、この歳になれば突然そういった状況になることもあるかもしれない。そんな話を母にすると、必要ないものは必要になった時に手に入れればいいんだと言う。以前、香典袋をまとめ買いしたら、立て続けに不幸の連絡が入ったことがあったそうで、それからは香典袋は毎回ひとつずつ買うようにしているんだそうだ。だから使う予定もない礼服を購入したら、近いうちに使うことになってしまうかもしれないと心配したのかもしれない。ひょっとしたら、自分のために。
桜が咲いた頃から、母の体調がどうも思わしくない。食欲がなく、カラダのむくみも取れないようで、顔色もなんとなく良くない。春から変えた薬があまり合わないせいだと母は言っていたが、それだけではない気がする。母は今月半ば、誕生日を迎えた。満60歳。還暦である。父の時と同様、母の還暦祝いなんて特別に何もしなかったが。病に倒れた時は還暦を迎えられるなんて母は思っていなかったようで、実は秘かに60歳の誕生日が来ることを待ち望んでいたようだ。誕生日の朝に「新しい礼服は当分着る必要ないよ!」なんてうれしそうなメールが届いて、最近は体調も落ち着いたのかななんて俺もちょっと安心していたのだが。
おととい、母が入院した。還暦祝いに何もしなかった代わりでもないが、新しいパジャマを母にプレゼントした。さっそくお見舞いに行くと、そのパジャマを着ている母が笑顔で俺を出迎えてくれた。ちょっと丈は長いが、母の好きなピンク色がよく似合う。家にいた時よりも全然元気そうで、1ヵ月ほどで退院できるとのこと。いろいろと心配していた俺も、内心ほっとした。母は3年振りの病室で相変わらず看護師さんと楽しそうに話をしていたが、でも来月に予定してた家族旅行が延期になってしまったことが残念で仕方ないと思っているに違いない。
母のために、俺の礼服はまだ着たくない。ピンク色のパジャマも、本当は家で着ている方が母には似合っている。でも母なら大丈夫、還暦を迎えた母が次にめざしているのは、あと10年先の古希なのだから。



2010年05月04日(火)
Vol.761 銚子には行かない

おはようございます。りょうちんです。

今日は忙しくなりそうだ。朝は早起きして高校野球観戦に行きたいし、試合が終わり次第ダッシュで帰ってきて夕方からは仕事に行かなきゃ。
寝不足だけど7時起き。まずは洗濯物を外に。空は快晴、暑くなりそうな予感。予定通り7時半に家を出た俺が向かうのは、銚子。今秋に開催される千葉国体のリハーサルを兼ねて、高校野球春季大会準決勝は例年の千葉県野球場でなく先日改築されたばかりの銚子市野球場でおこなわれるのだ。銚子は千葉県の東端にある港町で、我が家からはどんなに急いでも1時間半はかかる。途中で食料を調達して、予定通り9時半前には銚子市内に着いた。あとは車を停めて、10時開始の第一試合からじっくり観戦、するはずだった。
しかしこの野球場、駐車場がほとんどない。すでに満車だったので、臨時駐車場に車を回せとのこと。指示に従い、立て看板の矢印を道標に車を走らせたのだが。行けども行けどもなかなか臨時駐車場にはたどり着けない。ゴールデンウィークの観光地、混雑している市街地を通り抜けて、15分かけて着いた臨時駐車場は町はずれの海岸にあった。ここから野球場まで歩くのは到底無理だ。だが近くまでシャトルバスがピストン輸送してくれるそうだ。バスが来るまで10分待って、さらに15分かけて今来た道をバスは走る。バスが着いたのは、銚子漁港の駐車場。ここから野球場までは徒歩15分。やっとの思いで到着した野球場のチケット売り場には、長蛇の列ができていた。
すでに時間は10時半を過ぎた。試合はとっくに始まっている。だけど中にはまだまだ入れない。野球場を前に、俺はしばし考えた。今から中に入っても第一試合は後半しか見られない。帰りもこんなカンジなら、第二試合を最後まで見ていたら仕事には絶対間に合わなくなる。それならいっそ今日は観戦せずに、潔く帰ろう。悔しさを胸に、俺は野球場をしぶしぶあとにした。
はるばる銚子まで出向いて何もしないで帰るのはしゃくなので、銚子漁港の魚市場でアジの開きとさつま揚げを買った。連休中どこにも行けなかったから、銚子までドライブがてら魚を買いにきたと割り切らなきゃ腹の虫も収まらない。明日は決勝戦。習志野vs銚子商業。両校とも人気校なので、今日以上に混雑するに違いない。だけど、明日はもう銚子には行かない。