初日 最新 目次 MAIL


HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年10月18日(金)
そもそもの凹みの原因

歯医者のジィちゃん先生から、

「ダンヒルのパイプ用タバコを買ってきて。黄色の缶で、アロマなんとかという名前・・・。」と電話があった。

そういう特殊なのは、繁華街まで出向かないと売ってない。
今時の京都の河原町は修学旅行生で身動きできないほど、ごった返している。

ほうほうの呈で強烈に愛想の悪いタバコ屋の店主からゲット。
それを持って、歯医者へ行った。
片思いのアッシー君や貢君の気持ちが良くわかるなぁ。
どんな無理難題でも聞いてしまう。惚れた弱みと言うヤツか・・・。(笑)

今日は、もう患者さんは来ないらしくしばらくお話しをしてくださった。

ここしばらくの悩みの種、「転職したい理由」を初めて明らかにした。

インドネシア人のファ○マさんが辞めた後、ナ○ちゃんの標的は、(正確にはナ○ちゃんとふみ枝の標的は、)なんと私に移ってしまったようです。

ナ○ちゃんというヒトは元来さぼりぐせがあって、(そんなにひどくはないが)時々、朝、急に電話してきて欠勤するという暴挙にでる。
どんなに忙しくても人手が足りないときでも、関係ない。
スマップのコンサート行きたさに、締め切り前で猫の手も借りたいときにでもきっちりと休みを取る。

だいたいファ○マさんを追い込んで辞めさせた割にはファ○マさんの2分の1も仕事ができない。
所属長のファ○マさんが居てたころ、ファ○マさんが何かの事由で欠勤した1,2日あと、代わりを勤めたナ○ちゃんは疲れて必ず休んでしまう。

ちょっと困るんだよね。
私が最終的に発行するその部署の大元となる書類は、ファテマさんとナ○ちゃんしかかけない。たまに双方休みの時なんかは、社長が書くんだけどさ、社長が一番間違えるのよ。(苦笑)

不況の影響でひまなせいか、得意先は年々重箱の隅をつつくようになってきた。

たとえ1個でも数量間違い等あると電話してきて、30分ほど責められる。

あげくの果てには、京都から鹿児島まで失敗の原因の申し開きと説明をしに来いなんて無茶まで言われてしまう。

『帳票類に関するミスはゼロ』というのが基本原則である。

今のところ、哀しいことに書類はナ○ちゃんと社長しかかけない。
間違いをする社長は数に入れてはイケナイ。

「風邪をひいて休みたい。」という電話がナ○ちゃんからあった朝、私は、

「誰が書類を書くの?」と尋ねた。確かにしんどそうにはしていたが、咳もしてないし熱もなさげだったのに、急な欠勤は困ります。

だいたい、あなたが所属長であり大先輩のファ○マさんを追い込んだのではありませぬか?
自業自得なのです、自分のお尻は自分で拭いなさい。(心の声)

「そんな無責任なことをされては困るなぁ。」と伝えた。

所詮、そんなところか・・・。ナ○ちゃんに何か期待する方が間違ってる。社外的に恥をかくのはいやだし、そんな些細な帳票類のミスで信用をなくしてもかなわい。だけど、私一人の力ではどないしようもないしなぁ。

しかし、数時間後、彼女が出勤してきたことを又聞きした私は、誉めてあげなくちゃ・・・(ちょっと見直していた。)と、内線電話することに。。。

私:「来てくれたんやぁ。エライ・エライ・・・」の言葉を遮って彼女は怒鳴った。

「あんな言われ方をしたら誰でも来るわっ!!(▼▼)」

(おい、ほんとうにしんどかったら布団から出られないよ。仮病はばれているのだぞ。)

少しまぁ、鼻白みましたが、

帳票類は他に誰も書けないので、ちゃんと書けるように後継を育ててから、休んで欲しいこと。半日有休も使えるので、午後から来ても良いし、午後から帰っても良いけれど帳票類だけはちゃんと責任を持って書いてほしいこと・・・を伝えた。
医者に行ったか?と聞くと、行ってないという。(仮病だからね。)
お医者に行ってくださいねと念を押して、電話を切った。
まぁ、逆上しているので何をゆっても馬耳東風のようであった。

さて、私が社長から呼び出されて怒られたのは次の日。

なんか、私がナ○ちゃんを、いじめている風なことを言われたのね。

それは遺憾ですな。
私は、書類を書くヒトが他に居ないので、急な欠勤は困ると伝えただけですし、誰も来るなとも来いとも言っていませんよ。
彼女が来て逆上して怒ってるだけです。(心の声)

勿論被害者意識の強いナ○ちゃんなので、想像するにフルフル震え、泣きながら社長に訴えたんだと思う。
今は分裂病とかゆってはいけないそうだけど、自分のイジメは完全に分離して忘れ去り、「○○さんがナ○ちゃんの事を傷つける。」というのは、彼女の以前からの常套句なので、驚くことはないが、

まさか、社長が真に受けるとは思っていなかった。

「アルバイトのあっちゃんが泣きながら社長に訴えて辞めて行ったよね。
 ファ○マさんも、旦那さんのことを口実にしてるけど、ナ○ちゃんが追い込んだのは社長も知ってるでしょう?追い込んで辞めさした以上は責任を持ってその人の分まで仕事してもらわなきゃ。」

そう、訴えてみたが、聞く耳を持ってくれなかった。
そんなに、ナ○ちゃんが可愛いか?

ここまでが、私がむなしゅう日々を過ごして、当分のあいだ日記にもかけずにいたことの概要です。

つづく









2002年10月16日(水)
さよならなんて言わないで <Never say good bye >

小学生の頃、通っていた英語塾では、元来教師だった人がリタイヤしたあと、自宅で小中学生を相手に、細々と教えていた。

そこは(今は亡き)父も通っていたところで、武田先生と仰る先生は、私が通う頃にはもう正真正銘のおじいちゃん先生になられていた。

ちょっとした文法や英会話を習っていたはずだが、ほとんど憶えていない。^^;
印象に残っているのはただひとつ、「単語当てゲーム」だ。

麻雀パイぐらいの大きさのブロックに各々アルファベットの頭文字が一つずつ書いてある。

先生のご自宅は古きゆかしい日本家屋で、室内もやたら木の柱が多く、教わっていた部屋も時代劇の寺子屋のような風情であった。

武田先生は、ニワトリの足のような節くれ立った細い指先で、裏向きにしたブロックを丹念にかき混ぜる・・・。

おもむろに一つを取り上げひっくり返し、そのアルファベット一文字で始まる単語を仰るのだ。

例えば、“A”なら、「Apple」。

すると、すかさず解る生徒が「りんごっ!」と応える。

息詰まる瞬間、真剣勝負だ。

先生は、「コレクト!」だか、「ブラボー!」だか、詳細は忘れてしまったが、生徒の自尊心をくすぐってくださる。

...が、その恩恵に預かることのできるのは、学習能力のついている小学生高学年から中学生の一握の生徒に限られている。

低学年の私は、頭のなかで英語→日本語への変換のシナプスがまだ発達していなかったせいか、ぼぉとしているうちに、次の勝負がはじまってしまっていることの繰り返し・・・。出遅れてばっかりだった。

可哀相に思った心優しき先生は、ときどき、唯一、私が即答できる単語を仰ってくださった。

「Green」 

これは、先生の、くちびるがトリのくちばしのようにきゅーぅとすぼまり、「さぁ、今から“G”を発音しますよ。」の形になるから、視覚でわかるんだ。

小学生数年間、あまりにも『ミドリ』を言い過ぎたので、随分長い間、緑色の物を持つのも着るのもいやだった。

緑色は元来安定を示す色、波風立たぬ穏やかな家庭に憧れていた幼少時だったが、長ずるにつれ、アグレッシブに生きたいと思うようになってきた。

無い物ねだりをするのは人間の常であろうが、わがままも入っているのでは?とも思う。未だに、緑色が苦手だけれども、少しずつでも取り入れられるようになってきた。


武田先生は痩せて鶏ガラのような風情で丹前の背筋をいつも凛と伸ばされていた。
どの生徒にも公平で、叱るときは叱り、ただし愛情をもって接してくださっていたせいか、不快な思い出は何一つ無い。

中学生になって本格的にY○CA英語学院に通うようになって、そこの寺子屋風英語塾は卒業したが、その頃から、老師は衰弱していかれたようだ。

ときおり、ご自宅周辺を杖をつきつき散歩される姿をお見受けした。
わたしも、子供から大人の身体へ変わっていく途上だったし、もう、こちらの姿を認めても私だと言うことを認識してくださらないようになってきた。

先生の眼は、いつでもどこかうつろで遠くを見ていらっしゃった。

川沿いの桜並木に、かげろうのようにユラユラ後ろ姿が吸い込まれていく。

毎年浮き足だってそわそわとした気持ちになれる桜の木なのに、その時の桜だけは、やけに哀しく記憶に残ってしまった。
あれから何回あの桜並木を見ただろう、もう、武田先生はこの世には居ない・・・。

遅かれ早かれ人間は確実に死ぬ・・・。

武田先生のように、この世に居ながらにして意識はあの世を往復しだんだんとこの世の我々との意思の疎通ができなくなってくるのならあきらめもつくのだろうか・・・。

先週末、歯医者のジィちゃん先生から、いよいよ引退して東京のご子息と同居すると連絡があった。予定日は、この10月の20日。

転居届の宛名書きを、最後の仕事を、この私にしろと残酷なことを電話で言ってよこした。

しぶしぶ出向いて、

・転居があまりにも急過ぎること
・淋しくていたたまれないこと
・これから先、誰に哲学を教わったらいいのか

ぐずぐずと、恨み辛みを述べていたら、

「引っ越しな、もうちょっと先や。(∂∂)ケロッ」と仰るの。

(; ̄Д ̄)なんじゃと!?


喜んでいいのか?怒っていいのか?

引っ越しが延期になった理由は、

・二世帯住宅が(精神的に)難しそうであること
・アルカイダの攻撃がだんだん日本に近づいてきていること
(日本ならまず東京をやられるだろうとの予測。)

アルカイダの攻撃は、平和ボケしている私にとっては、全然実感は湧かないけれど、

ジィちゃん先生の奥様が「東京には友達が一人も居ない。」
って仰っていらっしゃるので、まず、奥様の方が先に逝かれてしまうかもしれない。病気なのでそうそう出歩けないしね・・・。

かと言って、いつまでも老夫婦二人だけで、京都に残っているわけにはいかない。

「わしの歳から(82歳)やったら、もう、10年くらいしか生きられへんやろう・・・。」

それが現実だね。

そうすると、この10年の間に、永遠にお別れの日が来る。

10年というと、長いようできっと短いんだろうなぁ。

このままジィちゃん先生が京都に居て、私のことを認識できなくなるのを目の当たりにしていくことと、

達者なうちの姿だけを残して、東京に転居されることと、

どちらが私にとって辛くないか・・・なんて、自分本位にずっと思い煩っている。

それほどまでに私の思想に色濃く影響を残してしまった。

政治・経済・哲学・古典・・・カセットテープから、あるいは新聞の切り抜きから、指示されるまま文書をワープロで清書した。
清書のコピーは全て持っているから、今、慌てて読み返している。

何か教わり『漏れ』は、無いのか・・・?

方位磁石の欠損を何で埋めようか、焦りだけが募ってくる。

月日はいやおうなく流れていくし、「今という時を大切に過ごさないと、後になって後悔しますよ。」と先人はくどくひつこく仰ってくださる。

そうだなぁ。
もっと、明るく前向きに・・・ということで、

履歴書を作ってみた。

インターネットのWEBサイトには、データを入力して更新すると、あっけなく履歴書が作成できてしまうところがあるのです。勿論、画像の貼り付けも可能だ。

今日、歯医者のジィちゃん先生に持っていく。

この履歴書がジィちゃん先生の手から、誰の手に渡るのか、実は知らない。

医者には守秘義務があるからね。(教えてくれない。)

戻ってきても来なくても、それはそれで運命でしょうと思う。






















2002年10月08日(火)
ブルーザー・ブロディ

先週の土曜日に、実に半年ぶりに美容室へ行った。

女失格かなぁ。。。(まあ、半分おっさんだからエエか。)

この頃、髪の毛の痛みが激しい・・・。

女性も加齢による抜け毛があるのよ。(i_i)

髪の毛がキシキシ言う。

ロングは重さで地肌に負担がかかるから、ちょっと軽くカットして負担を軽減しよう。

カットのみか、せいぜい部分パーマ・・・。

そう、決めたけれども、肝心なスタイルのイメージが全然湧かない・・・。

私は、今、流行のシャギーのいっぱい入った寝癖のような頭には食指が動きませんのだ。

顔にツンツン毛先が当たるのもかゆいしな・・・。

悩みに悩んで、ヘアスタイルの本を2冊も買ったけれど、決めあぐねたまま予約日を迎えた。

そこは路地の奥地にあり、母子で細々と経営されている美容室です。
母は離婚したあと、子供二人を引き取り、40歳過ぎてから、美容師の学校へ行った。

バスに乗って桂川リバーを渡るとき、川面に映る夕日に泣けたと彼女は語った。

さて、そんな子供達も大きくなり、息子は3年前に結婚、娘と二人で美容室は続いている。

主導権もだんだん母から子にうつり、私のヘアスタイルは殆ど娘が決める。

お母さまの方はセンスが古くなったのだろうか、せっかく娘が決めたヘアスタイルを母の方が、ださくブローしてしまったと実家のオカンがゆうていたことがあった。

娘は今年齢的に一番良い時だね。

パワーがみなぎる感じ。。。

そんなわけで、伸ばし伸ばしてアゴまできた私の前髪にはストレートパーマが施され・・・

「パーマがあたると短くなるので、先にあててから様子を見てカットしましょう。」と、サイドから後ろの前髪以外のパーツは、細かいロットのパーマがあてられた。

「夏の紫外線でだいぶ痛んでいます。」という頭髪は思った以上にパーマ液を受け入れてくれ、

そして、ブルーザー・ブロディが蘇ってしまった。

(ブルーザ・ブロディ往年のプロレスラー、パンツのなかに凶器を隠し持つ。余談だが世の女は、パンツのなかに武器がある。勿論、使わない武器もある。)

「思ったよりもキレイにカールがはいったので、カットしないでおきましょう。(^^ )ルン♪」

と、お姉ちゃんは言った。(まじすかー?)

「また、飽きてきたらカットしましょうね。(o・・o)/~マタネェ」と送り出されたが、まぁ、カールがキレイだからまぁ、エエか。。。

パーマ液で化学反応を起こし、せっかく金髪から黒髪に染め直したヘアが、栗色に変化した。

それはそれでまぁ、エエか・・・。

螺旋に輝くヘアー、心の中にも、うねうねと続く煩悩の螺旋がある。。。




2002年09月30日(月)
親子医院(O崎医院)

ベランダの猫草は、芝生のように青々と、ツンドラ地帯のようにつんつんと密生してきた。

ゆうべ、伊藤嬢に2鉢あるほうの一方を差し上げた。

ベランダから室内に持ってはいった段階で、そわそわ「にゃーにゃー」うるさい。
エサ場まで行って、床に猫草を置いてやると、「はぐはぐはぐはぐ・・・。」さんざん食い散らかし、そして彼女は黙って寝室へ消えて行った。

この頃、オトナになってきたせいかあまり遊んでくれなくて淋しい。
人の顔を見て、エサをねだるだけねだっていざ、満腹するととっと寝に行ってしまう。薄情な女です。T^T)

私の風邪は、順調に悪化の一途を辿っている・・・かのように思えるが、そうは、いかの筋肉質。

朝な夕なに“のどぬーる”でガンガン喉を消毒してやっているのだが、滲みて滲みて転げ回るくらい痛い!!

頭もときどき頭巾頭巾と(しゃれ)痛む。

心なしか、体温があがっているような気がする。

「風邪に負けそうな気がする。(-"-;) 」

そーいやー、試験から、ここ一ヶ月、帰宅後のうがいを時々サボっていた。。。

9月半ばのピアノ発表会でうつされたのか?
会社の元祖ネットアイドル○理ちゃんからもらったか?
はたまた通勤電車のなか?

とりあえず、痛いのと痒いのと眠いのは辛抱たまらん。

今週金曜日にビタミン剤等を貰いに行く予定だったのを早めて、O崎医院へ行く。

鼻ピアスのヤンママとその子供(3歳くらい)が診察室に入っていった。

おそらく子供にアレルギーが出たのであろう。
診察室から、O崎先生の声が聞こえる。

先生:「自宅で猫は飼っていますか?」

ヤンママ:「今も昔も飼っていません。」

先生:「野良猫がはいってきたりしませんか。」

(^▽^笑) 今時、野良猫が入ってきて遊ぶ家はめづらしいのでは?笑いそうになった。猫アレルギーより、

先生、今の時期、疑うなら稲科の植物とあとハウスダスト・・・。

それでも、先生は未練たらしそうに猫に結びつけたがり、うんちくうんちくおたれになられている。

20分ぐらいまって、やっと私の番が来た。

私:「先生、風邪をひいたみたいなのですが・・・。」

先生:「寝るときは窓を閉めていますか?」

私:「はい、閉めています。」

先生:「窓は、一度もあけませんか?」

そら、帰宅後は換気しますで。

私:「帰宅後は換気のため開けます。けれど、寝るときは閉めます。」

先生:「ということは、寝るときまで開けっ放しですか。」

先生は、どうしても、風邪と“窓を開けて寝る”ことを結びつけたいらしい。

本当の原因は、早朝のベランダでの水やりだと思う。

けれど、診察が長くなるので、話さないでおいた。

過去の原因はどうあれ、風邪ひきサンは事実なのだから、これからの対処法を論じようではないか!
「頭痛にはじまって、胸焼け、そして今、喉が一番痛いです。」なんて、

人の説明は聞いてない。(笑)

「ビタミン剤はどうしますか?」なんて聞いている。

ビタミン剤は、受付でもう頼んできたから(いつも通り)、エエねん。

風邪やねんから、うがい薬やトローチもおくれ!と心のなかでまごまご思っているうちに、診察はうち切られた。

先生:「抗生物質を出しておきます。5日分で良いですか?」

5日分は多いやろ?薬漬けにする気かえ?(笑)

私:「風邪が治るのに、5日かかりますか?多くないですか?」

先生はムッとして、

「少ないよりは、多い方が良いでしょ?!」とのたまわれた。

おそらく先の、ヤンママ親子でエネルギーを使い果たしたのだ。

すこぶる機嫌が悪い。

まぁ、喉は多少炎症はおこしているが、腫れてはいない−らしいので、そんなに大事では無いのだろう。

受付で、レーザーのN村診療所とお薬がだぶるビタミンEは省いて貰った。

血管を運動しなくても肝臓に訴えかけてキレイにするという“水溶性たんぱく”(買い取り2week¥560)を付加してもらう。

受付には、奥さんと娘さんがいたのだが、

娘さんは、可哀相に(?)O崎先生クリソツだ。

少し赤ら顔だが、まこと似ている。O崎先生と同じちょび髭をつけたなら、同一人物と見間違うだろう。

その娘さんが私に尋ねた。

「止血剤(トラネキサム酸)も要るんですか?」

そりゃ!要るとも!!目的の中心的な薬やで。

「あのね、トラネキサム酸は止血剤として一般的やが、最近はシミ治療に有効であることが認められていて、赤ら顔にも治療効果が顕れているのよ。あなたも、飲んだ方がいいわよ。(大きなお世話やが。)でも、血液が凝固するおそれがあるから、血栓の人や重い高血圧、心臓病、それから、○○薬を飲んでいる人も気をつけた方が良いのよ。私は、それらの病気はないから大丈夫なんです。」

なんてことは、他に2人ほど、おばさん患者連が居たから言うのを止めた。

オバサン患者連が「え?!シミに効くの?ちょうだい、私も頂戴!!」なんて、騒ぎ出して、無理矢理ゲットしたあと、

血栓が固まったり、心臓病が悪化したりして死亡したらコトだ!

我々がお薬を貰えなくなる。。
(そう、くるかーい?!(笑))

今度、トラネキサム酸の効用をネットで調べたので、それを持って行ってあげよう、先生の機嫌を見てから。



2002年09月29日(日)

朝の早くから(6時)車を出し、今年も行って参りました、梨を買いに鳥取へ・・・。

国道9号線をひたすら、西へ延々と西へ・・・。

京都からだいたい4時間弱・・・。
今日は、亀岡や福知山付近で少し混んでいた。

「しまった!出遅れた!!梨が買い占めされて、売り切れちゃう〜。
(○。●;A アセアセ」

(そんなワケはない・・・。)

そして、国道沿いの去年と同じ店で購入・・・。

去年は、二十世紀梨がワンパレットだいたい20個くらいはいっていて、¥600〜¥700だった。

今年は、¥1000。
不作だったとか、農薬がどうのこうの・・・梨についてあまり良い情報は入って来ていない。。。

それでも、

去年おみやげに買っていったこの店の梨が、すこぶる好評だったこと・・・
うちとこの母殿なんぞは、鳥取産の高価ならっきょう漬けを「要らん!」とはねのけ、「梨をもっと買って来て!」と我が儘をお抜かしあそばしたのです。
この山ザルめ。(心の声)

その年のうちに、ふたたび買いに来たかったのだが梨の売っている期間がわからず、調べようにもレシートの電話番号には市外局番が載っていず、結局、NTTの番号案内を悩ましただけになってしまったこと・・・

今年は、今年も買いにくることが出来て、良かったこと・・・

なんぞを、レジで問わず語りに語っていると、今まで、黙々と梨を袋に移していたおばちゃんが、急に詰めていた梨を選別しだし、「あ、これ柔らかいわ。これも、それも柔らかいわ。○○さん、ちょっと、この梨、痛んでいるし、交換してあげて!!」

って、おばちゃん、それ最後の袋じゃんかよーう。(/_;)

梨は合計3パレット分、買ったんですが、
最初の2パレット分は、痛んでいたのは無かったのですかい?(素朴な疑問)

でもまー、私が食べる分は1個か2個分くらいだから別にイイか〜。(おいおい)

去年は、鳥取砂丘まで足を伸ばし、駱駝のお尻を撮影したり、鳥取海岸線沿いにある、海鮮食堂で生もの三昧をしてきた。。。

今年は、風邪気味だったこともあって、早々に帰宅。
自宅で繁殖に成功しているヨーグルトに混ぜて、梨、食しました。
甘酸っぱい青春のかほりでございます。

しかし、3食きっちりと食べていると、フルーツやおやつが入り込む隙間がございませぬね?

まだ、貰い物の栗や柿があるんだよ。
中途半端な量なので、人様にお裾分けするほどでもないしな・・。

がんばらねば仕方あるめいよ。
がんばりましょう。







2002年09月28日(土)
愛しのすぅいーとバジル<My Sweet Basil>

今日は、めづらしく普通に休める公休日であります。

朝から気合いを入れて行ってきました。
  ↓↓

“スイートバジル”の種探し。。

ーバジルのご説明ー(引用抜粋♪)

☆バジルはシソ科の植物で、インドや東南アジアがその原産地で5千年以上も昔から栽培されている。熱帯では多年草だが、一般的には越冬の出来ない一年草が主流でその品種は150種以上。ギリシャ語の「王の」を意味するバジリクムにその名前を由来し、まさに「ハーブの王様」として、聖なる植物とされている。パスタで使われるバジルはスイートバジルが一般的でバジリコとはイタリア名。
スイートバジルは一年草。一年草とは、一年しか育たないもの。つまり春に種を巻き、晩秋に種子を落とす越冬できないもの。種まきは気温が20℃くらいとなる5月くらいが調度よく、早いものでは6月には収穫が可能になってくる。夏はハーブの季節といっても良い。 7月から8月に花を咲かせ、9月には採種できる。 ☆

このスィートバジルが、わたしが最近はまっているタイ風レッドカレーに、欠かせないハーブなのです。

最初は、スーパーで少量パック詰めされたバジルを購入してました。

これは、ほんとのさきっぽの数枚の葉っぱしかついてないくせに、高い!高い!!
¥198はくだりません。
レッドカレーには最低2パック使用します。

葉っぱをポチリとちぎり、くん( ̄(OO) ̄)くん( ̄(oo) ̄)くん すると、それは懐かしい、あのシソの葉と同じ香りではありませんか・・・。

食べてみても、シソ。
日本のシソをマイルドな味にした感じ。

スイートバジルは他に野菜サラダやピザやグラタンのトッピングにバッチグー♪
西洋料理やタイ料理のこってりした油分の食感をさっぱりと和らげてくれます。

植物は、温度や水分、太陽光など条件さえ合えば、確実に育つ。

最近、スーパーでスィートバジルの根つきを購入した。
長方形のプランターに植え替え、台所の窓際・特等席において、毎日、丁寧に水やりを行ったおかげで、ぐんぐん育ち、今や、タイ風カレーも充分堪能した。

だけどね、今は良いのよね、収穫のあと、またバジルが欲しくなったらどうするの?

“種”から購入することを切望。

そして、今日、朝から気合いを入れて、バジルの種があるというウワサの大型店に赴いた。

1Fの切り花専門植木店の店頭に、根つきバジルの小さいのが、¥100で売られている。
とても、そそったが、私の希望しているのは「種」なんだ。

4Fへ行きます、アデュー♪

そして、目的の4F別の植木専門店で、あったあった、ハーブの種のコーナーに、数種のバジルが!!

レモンバジルに、シナモンバジル・・・バジルってそんなに種類があったんか。
Y( ・□・ )Y

でも、私の望む「スィート」な「バジル」の種があれへんやん!T^T)

店の人に聞いた。
聞いた人は、わからなくって、別の人を連れてきた。
その別の人もわからなくって、再度、またまた別の人を連れてきた。

結論から言えば、「スィートバジルは無い。」そのわけは、こうです。

「スィートバジルの種まき期は、4月〜6月なので、種も勿論、今の季節(9月も終わろうとしている。)には、ありません。」


なんだって〜〜〜〜っ?!ウラー (ー_ー#)
朝早くから、気合いを入れて、遠くからはるばるやってきてんぞっ!
わたしの労力を返しなさいよ、ウラッ!

「あほんだれ〜!1Fの植木屋で苗のスィートバジルを見つけたぞ。
今はハウスで、年中作ってるンじゃ。
それに種やったら、栽培時期とか関係ないんとちゃうんけ?
でないと、来年の種まき期を迎えられへんぞっ!
種もないのに、どうやって来年分、栽培して売るねや?えっ?!
早く、問屋に問い合わせ、せんかいや〜っ!!」とは、勿論、淑女たるわたしくですもの、おクチに出したりしません事よ。おほほのほ

とりあえず、そんなアホな言い訳で、お客を追い返そうとする店員にもあきれはてましたし、なにはともあれ、

鼻の頭に汗をびっしりかいている彼女を見ると、これ以上、つめて質問するのは可哀相に思えてきた。

後は、自家栽培のバジルを伸ばし放題にして、種を収穫することに賭けてみるしかないのね。暖かい室内に移そうか・・・。
しかし、室内でも陽光があたる場所は限られている。
下方に置くと、伊藤さんがいたずらするに決まってるし。
う〜ん悩ましい・・・。(-"-;)

ほんとこの頃、寒いしな。
ベランダでブルブル震えながら、種まきしたての猫草に水をやっていたが、あまりの寒さ故か、なかなか発芽しなかった。私は、風邪を発症した。

ちょうど、秋の長雨も続いていた頃でもあったので、ふてくされて、2日水やりをサボってやった。

3日目に干し柿を吊そうと、ベランダに出たら、

まるで針葉樹のように、「ニョキニョッキーーーーン!!」と5cmくらいに、みっしり伸びた猫草をみた。
驚いた。
知らぬ間に、隠し子が小学生になっていた!という感じ。

スィートなバジルもがんばってみよう。




2002年09月26日(木)
言葉の壁・心の壁

以前、書いたラマダンで既出の我が社のとある部署におわしまするインドネシア夫人が、とうとう退職を決意したのは、裏日記にもかきましたが・・・。

いくら日本在住が長くとも、この独特の京都の風土に育った私を含む周囲の従業員が、肌で感じて認識し慣習化した感覚は、他県、他国籍の人間には、理解しがたいところがあると思う。

同じ部屋にいてシカトされ続けていたのが精神的に一番堪えたとインドネシア夫人は、こっそりうち明けた。

当事者のどっちもどっちに、違う種類の自分本位さがあるので、これはいくらクチを酸っぱくして説明しても、双方、馬耳東風とうとう相容れないまま終わってしまった。

その部屋に残されるのは、勝ち残った一人と、その子分(笑い茸の竹○ちー)一人、派遣社員一人、そして、ブラジル夫人が一人・・・。

若きブラジル夫人は、可愛くて聡明で、姿形は日本人そのものだし、日系3世ということもあって、性質は日本の心とはそう遠くないところに位置している。

けれど、言葉の壁というモノは、想像以上に高く、心の壁になってしまう可能性が高いことが心配です。。 
 
わたしは、米国にいたころ、カタコトどころかちんぷんかんぷんな時期の方が長かったから、言葉の壁には敏感であります。

むこうでは、日本人は黄色いお猿と蔑まれている部分があって、コリアやチャイナやベトナミンやタイランドと、じゅっぱひとからげにされていました。

ま、それはそれで別に柳眉を逆立てるほどのことでもないのですけれど、やはり、日本産としてのプライドがあるじゃないですか?(心の奥底では不本意であったりもして。)

今から思えば、白人のボーイフレンドでも作っておけば良かったと後悔しきりです、もっと英語が上達していたかも。
(余談だし、論点が、ずれてます。)

さて、話しは戻りますが、残されたブラジリアンが心配になってきた。
勝ち残ったジャパニーズトラデショナル陰湿ムスメのナ○ちゃんに、アゴでエエようにこき使われている。

様子では、年上の旦那様と仲良くやってらしているふうだし、わたしが心配するほどのことでもないとは思う。
こき使われている風に見せているけれど、猿回しのサルのほうはナ○ちゃんのような気がしてきた。
ブラジル夫人の言葉の端々や態度は、臈長けている。

ブラジルは遠い国だけれど、

インドネシア夫人は日本に居を構えたまま、インドネシアと日本を往復するそうな。
そのうち、ついて行って遊んでくるよ。
バリ島はインドネシア夫人の隣の島だしね。

インドネシア人の義理の娘はアフリカ人の大使館員と結婚してアフリカに住んでいるのだが、そこは、ブラジルと同じくらい遠いので、あきらめよう。

とりあえず、辞めたパートのおばちゃんの実家が丹後なので、まずは近場で、蟹ですな。(。・ρ・) ジュル

「伊根町の舟屋に憧れているのやが、なにかこう、淫猥な雰囲気がして、イヤ。
(* v v)。」というと、大爆笑されて、

「そんなんは、彼氏と行って〜。」と言われました。

いろいろと行きたいところがあって忙しい。

先立つものを貯めましょう。



2002年09月24日(火)
続:あやかしのO崎医院

さて、「トラネキサム酸ゲットー♪」重要度【高】のメール受信者の友の反応はいかに・・・。

とても、気持ちの優しい友人なので、変わり者で気分屋のO崎先生に気圧されてるやもしれぬ・・・。

O崎先生は、学士様ゆえ、商売下手でおべんちゃらも言わないし、研究者特有の頑固さを持っている。

ヤキモキしながら、返事を待った。

予想を良い方に裏切り、好反応の友人メールが来た。

以下、友人のメールを抜粋・・・

*********************************

O崎医院へ行ったら、先に患者さんが診察室に入ってはって、その人、なんかすごい訝しげなカオして出てきはった。

「ここ、よく来ゃはるんですか?」って私に、聞かはるねん。

「いえ。初めてです。」って応えたら、

「わたしも初めてなんですけど・・・・。なんか、怪しげな先生ですよ。気をつけて!!」って言わはった。

すーっと私の横に座って、耳打ちしはってん!!
わらけるわ。あの人!もう、2度と来ゃはらへんと思うデー。
診察券つくりましょうか?って受付の子が聞いたら、「要らん。」っていうてた。

ドキドキしながら、診療室まで入ったら、どういった具合ですにゃ?ときかはって...

「イヤ〜あのーう。Helenさんの紹介で・・・。」とモゴモゴ言ったら

「わかりました。待合室でまっててください!!」

ええー?もう終わり?
待合室で待ってたら、すんごい量のクスリがジッパーつきの袋に入れられて出てきましたわいさー。
漢方も入ってたええーー!!
しかも、トランサミン(トラネキサム酸)まで!!
話しわかるやん!!おっちゃん!!って感じ!!

今日の受付は女の子やってん。
(↑Helenの親切な注※いつもは、奥様が居てらして夫婦漫才のような夫婦喧嘩をする。)

その受付の子、「肌を若々しく保つためのお薬の処方です!!」ゆうて、ごっつい声でいいよんねん。
これで、若さを保てますよ!!とかいいよるし、もうすごい恥ずかしい。
クチに手をあてて塞いだろか思ったデー。
待っていた、他の患者さんがじろじろ見はったわいさ!!
もうええねん。説明は!!
はずかしから、早よ、よこせ!!
思ってたら、奥から先生がでてきてさー、

「あのねーーーえ。あんた肌を若々しく保ちたいにゃろーお。そしたら、ま、ビタミンも必要なんやケド、血管の若返りも必要や。
血管にたまったコレステロールやカスは、運動などをして代謝を上げて放出するねんけどねーえ、実は、もっと有用な方法があることを西ドイツの学者で○○(←わすれた)ちゅう人が 発見しはったんや。
それは、水溶性のたんぱく質をクスリのように飲用することにより、肝臓に吸収されて、肝臓の代謝が活発になる。
そうすると、血管の汚物も肝臓がきれいにする活動をしよるわけや。
それ、あんた欲しい?」って、いいよった。

今まで、すんごいぶっきらぼうな対応やったのにさ、
イキナリ饒舌になってさー、
更に「これは、保険きかへんし、買取になるんや。それでもほしい?」って。

血管の若返りがでけるんやったら、ちょっとくらいの金はおしまへん!
なんぼや!おっさん!!えー?
「1回分が40円、2週間で560円ほどやなー。」
きゃー、そんなんでええのん?そりゃ、頂戴!!頂戴!!
「Helenさんにも欲しかったら、あげるよって言っといて」って言ってはった。

それだけ、言ったら、すーーっと、
奥にひっこんでいかはったわ。
わらけるなー。
オモロイなー。

受付の女の子がトランサミン見て、「せんせ、これなんですか。止血剤ですよ!!」って大きい声で叫んどった。
ええねん!イラン事いうなーやーーあ。
って思ってたら、せんせいが、「1日1回だけ、飲んでもらって。」って言ってくれはった。
良かった。ホッツ!!

*********************************

興奮がこちらまで伝わるようだ。(^^ )ルン♪

この医院はどうも、薬を多量に排出することによって点数を上げているフシがある・・・。
我々、賢明な患者は、薬漬けにならぬよう自分で自分の身を守らねばならぬ・・・。

とはいえ、今日、ネットで検索していたら、トラネキサム酸と同じような働きをするお薬を発見した。(おいおい)

欲しいけれど、止めておこう。
血が凝固したら、しゃれになれへん。

あやしあやしのO崎医院、次回は10月の初旬に行く予定です。σ(⌒▽⌒;)




2002年09月23日(月)
あやかしのO崎医院

私には、ファッションリーダーならぬ美容リーダーのお友達が居る。
いつも美肌や健康に良いものを教えてくださるのです。

最近の牛乳は高温殺菌のせいか、カルシウムなどの成分はほとんど壊れカラダには毒で、へたをすれば骨粗鬆症の原因にもなる・・・とも教えてくれた。

スーパーでは低温殺菌の牛乳しか買わなくなった。
しかし、どこから健康フリークが発生してくるのか、私が帰社後訪れると、売り切れの時の方が多い。

がっかりして暴れたくなってしまう。バタバタ!( >o<)~ノ☆┯┯

最近、現代の食糧事情では女性のお肌の曲がり角は、だいたい40歳過ぎという発表がなされた。。。

まだ、猶予はあるのだが、それにしても細かいシミやそばかすや・・・。
オゾン層が破壊されているためとは、言い訳もしにくい年齢になってきた。

血管を強化し血流を良くするための、ビタミンE。
シミそばかすに良く効く、ビタミンCは必須だ。

いっとき、なにもかもが邪魔くさくて服用を怠っていたら、どんどん顔色がずず黒くなっていった。
やはり食材から摂取するには、微量過ぎるようだ。

さて、美容リーダーのお友達が教えてくれた、最近のおすすめは、

『トランサミン(トラネキサム酸)』

メラニン生成を抑制し、シミをできにくくするとして美容外科でのシミの内服治療として、外用薬とともによく使われます。トラネキサム酸とは、元来血管の壁を強化して出血しにくくするものですが、これが色素沈着に非常に効果をもたらします。服用を続けることによって肌のくすみ、赤みを解消することが出来ます。


ただし、血栓を固定する作用もあるので、心臓病や高血圧症の人には向かない。
ちゃんとした医師の処方の元、服用せねばなりません。


最近は薬害が多いので、そうそう簡単には望むお薬を出してくれる医者は少なくなってきた。院外に薬局を設けているところが増えた。

友:「どっか簡単にお薬をくれるところないかなぁ〜?」

私:「( ̄△ ̄) !! 思い当たるところがある!!」


それは、先の日記にも出てきましたO崎医院♪

じゃまくさがりの先生は、いつも望むままに、薬をくれる。。

疲れたらビタミン剤。
こむら返しには、カルシウム剤。

眠れない時には、『幸福の●学のテープ』(爆)

「トランサミンね、トランサミン・・・。」2度聞いても憶えられなかった名称は、3度目に手帳に書き込んだ。

どうせなら・・・

美肌に良いとされるビタミンB群をネットで調べ上げた・・・。

2週間毎の、ビタミンCとEとカルシウム剤をもらいに行ったその日。

先生は、毎度のごとく、薬だけ出して追い返そうとした。。。(笑)

私:「先生、今日はご相談があります。」

・・・・しばらくの間・・・・

先生:「じゃ、診察室へどうぞ〜。」

私:(まずは正攻法で攻めよう。)

  「先生、今、美肌のためにビタミンCとEをいただいてるんですが、ビタミンB群も良いらしいんです。ビタミンB1,B2,B6,B12...ありますか?」

先生は、いつものごとく殆ど人の話を聞いてない。(笑)

簡単に「ありますよ、じゃ。」と診察を切り上げようとする。

<( ̄> ̄||)>! ちょっと待て!!

私:「それと、トラネキサム酸が欲しいんですけど。(いよいよ確信だ。)」

先生はさすがに驚いたのか、

「それは、止血剤ですよっ!(@@;) 」

そんなもん、わかっとるわいや。

私:「はい、それが最近シミ治療に効果がでていて評判なんです。
   いかがなもんでしょう。」

ダメか?やっぱりダメか?邪道やもんなぁ。

数秒後・・・

先生:「1日1錠なら良いでしょう。」

\_|ーθー|_/ バンザーイ

あんた、良い人やー。。。

その夜、コウフンした私は、友にメッセージ重要度「高」にして、メールを打った。

打っている途中でもどかしくなって、留守電にメッセージもいれた。。

友から、「明日、さっそく行く!!」との返信が。(笑)

O崎医院の変わり者ドクター♪

ここは、母の友達が教えてくれて、母と通い始めたのだが、

あまりの気分屋で、事務を時々手伝う奥さんと夫婦げんかまでおっぱじめるので、私の母はもう行きたがらない・・・。

相性は、彼を受けつける人と受けつけない人とで二分する。(笑)

さて、友の反応はいかに・・・。

つづく。。。








2002年09月21日(土)
橋の下の生態系

最近はすっかり秋めいて来た。

会社近くの橋の下の自由人は、住処を橋の南側から、北側に移しました。

時々、土手のうっそうと生い茂った雑草が刈られて、丸刈りータになっているので、そんな時は、アナーキストも(別の意味で)狩られてはいまいか?心配がよぎります。

小さな規模の川だけれど、最近は河川を大切にする動きが出ていて(工場排水なんかのチェックはとても厳しい。)とても太い、大きな鯉なんかが泳いでいるので、
食べ物には困らないと思うな。

昨朝は、白鷺と灰色の鷺が、川を挟んで対面で丁々発止と見つめ合っておりました。
ガンを飛ばしていたのか、求愛してたのかわかりません。
あるいは、エサの取り合いかも。
1羽ずつ、じっと佇んでいたら置物のような静かな動きの鳥達です。

あとは、鴨がいて鮒がいて、ときどき、カラスが20羽ほど“カラス会議”を、しています。

夏の少し前は、カメが泳いでました。
対岸から対岸へクルクルゆらゆらと、円盤のようにのんびり泳いでいるのを見た時だけは、カメになりたいと思ってしまいましたが、一生涯カメで居るのは嫌だな。(笑)
あれはどの種類のカメだったろう。

社長が、ときどき 経理兄にむかって、

「どこウロウロとほっつき歩いとるのや、この泥亀!!」

と、言いますが、泥亀って草ガメのことかしらね?

小学生の頃、ミドリガメを飼っている同級生の男の子が居て、作文に、「ボクのミドリガメはしゃべる。」と書いていました。
あの時、笑ってないで強奪してやればよかったと今ごろ、後悔しております。
“しゃべるミドリガメ”ですよ!!
退屈しないで済むかもなの。(ちょっと、論点が違うかも。)

この川の堤防には、以前、会社の従業員の要らなくなったオンボロ自転車を草むらに優しく寝かせて来てやった思い出がある。(放置してきた、とも言います。)

堤防を清掃する皆さん、あの時は、ごめんなさい。<(_ _)>