ふうこの英国留学日記-その後

2002年03月09日(土) 魅力的な人間でありつづけること


相変わらず、エッセイを書かなければいけないというプレッシャーのもとで
もがいています。

金曜日の夕方に、マギー(私のゼミの先生)に会って、アウトラインを見せて、こういうことを書こうと思っている・・・と話したら、
「そこはポイントね。まさに、そういう議論をもとめているの」
、と言われでも安心。しかし、
「この問題に関して述べている文献が見当たらないのですが」
というと、
「そこは、あなた自身の認識や、考えを述べていいのよ」
「えっつ?私の考えを書いていいんですか?でも、証拠がないとだめですよね」「ええ、そこはきちっと背景になる資料を押さえてね」

はあ、自分の考えを述べていいと言われ、嬉しいような、余計大変なような。
まあ、結論に導くための論理として、自分で考えたことを書かなくてはいけないのは当たり前なんだけど、専門家が明言していないことを指摘するのは・・・・
私にできるのだろうか。

まあ、こんなマギーとのセッションのあと、日本人学生と一緒に、いかに、中世ヨーロッパを勉強することが日本人である私たちにとって、難しいか?
ということを話あった。出てくる、ラテン語、イタリア語は意味わかんないし、地名や人物名も知らないものが多く、日本語では知っていても日本語の知識と結びつくまで時間がかかる。

しかし、そんな中で、マギーと話すことは私たちにとって、数日分の勉強量に匹敵する。ただ、彼女は、単に情報量が多いということを超えて、話していて本当に面白い人間なのである。膨大な知識と柔軟な思考、いつも人のことを受容しようとする態度。的確なアドバイス。そして、そのユーモアと笑顔。

一緒にいて、面白い、得るものがなにかしらあるという人のところに、他人は集まってくる。なので、マギーを論文のアドバイザーに選びたがる学生は多く、彼女は非常に忙しい。

しかし、魅力的な人物でいつづけることは、大変なことだ。
それは、自分の思考に安住を許さない、生きることに対して貪欲であると同時に緊張感をもち続けること、常に多角的にものごとを見ようとすること、そういった姿勢が要求されるのだ。それを、才能と努力で成し遂げている人間がいる。
マギーに出会えたことは、この大学にきたことの私の大きな収穫の一つだと思う。






2002年03月06日(水) 面白いんだけど、よくわらない・・・

今日はレクチャーのテーマがアートのFunctionだった。
面白いんだなー、これが。正直言ってよくわからないんだけど、ビジュアルや、形ではなく、Functionでアートを分類してみよう。というようなことを言っていたり、制作において、しばしば、Functionは意図されるが、役割というのは社会の中で必然的に決まり、意図されたものとは、また違っていく。なんとなく、イメージとしてはわかる。

この講義のシリーズは、私は単に聴講しているだけなのだが、アートに関するエッセイを書くのに役立つこと必須。

この講義で得られたヒントが、なんか、今週中に書かなければならにエッセイとうまく結びつきそうで、頭の中にまだ曖昧な定義やアイデアが浮遊している・・・

しかし、まだくっきりとした像を結ばない・・・それができれば、書けると思うんだけど・・・

今日は、母が日本から送ってくれた「札幌一番塩ラーメン」にきくらげとネギと海老をいためたのをのっけて食べました。美味しかったー。やっぱ、「札幌一番塩ラーメン」は傑作だなあ。きくらげと海老と良くマッチするよ。



2002年03月05日(火) 忙しいけれど


来週の月曜までに3000wordのゼミのエッセイを書かなくてはならないのに、来週の月曜にまた、短いけどまたプレゼンがあって、金曜日までには400wordのショートエッセイがある。
うーん、その他にも細かい宿題もあって、いくら学期末とはいえ、かなりテンパってきました。でも、春休みのスペイン旅行(たった5日だけど)のために、頑張るぞー。

なんだか、圧迫感はありつつも、なんとなく余裕感がまだある・・・なぜか?
まあ、パニクってもしょうがないし、とりあえず、ショートエッセイだけでも
片付けるかと、晩御飯も食べないで、部屋に帰って勢いで書き始めたら、なんと今400word書き終わりました。人間やれば出来るもんねー。
だらだらしてると、たった、400wordでも何時間もかかるんだけど・・・ね。

この勢いで今晩は、エッセイのためのreadingと思ったけど、まず、明日までの宿題をやらねば、その前にお腹減ったのでご飯たべてきまーす。

今日は、またパスタ。先週は鍋焼きうどんとか作っていたのに、どんどんメニューがシンプルになってきている。。。



2002年03月03日(日) エッセイ=小論文 が進まないひえー

ああ、この週末全然勉強が進まなかった。
資料はけっこう集めたのだけれど、全然読んでいない。
エッセイの骨組みも決まっていない。。。。

なんで、こんなに勉強に集中できないのだろう?
プレゼンの準備は結構がんばれたのに・・・・

プレゼン終わってまだ、数日だから、脳みそに休憩が必要なのかなあ?
ああー、なんで・・・かなりやばい。
しかも、人付き合いにばかり忙しい。たとえば、人のコンサートに顔出したり、
人に人を紹介したり、人の旅行の計画にアドバイスしたり、そんなことばかりで、時間を潰してしまっている。。。

友達は大事だけど、自分の生活のペースが乱れている。
今日はさすがに、友達と会う約束を一件断わった。
今から一週間、めりはりつけて勉強しなくっちゃ。

はあ、本気でやばい。今からがんばります。



2002年02月28日(木) 付和雷同―ふわらいどう


小さい頃、母から付和雷同はよくないと教えられた気がする。
辞書で調べてみると、

付和雷同=自分に一定の見識がなく、ただ他の説にわけもなく賛成すること。
例 「多数派に付和雷同する」

この言葉の由来を知らないのだが、私の中では根拠なく多数派に依拠すること、は良くないとする思考傾向がごく幼いころに、培われた気がする。

まあ、実際の私は人の意見に左右され、流されることも多々ありますが、かなり頑固に自分の意見を曲げないところもかなりある。

要するに、人と人の間は、こういう態度がいいというより、バランスが大事だと思う。人の意見を受け入れることも、自分の意見を貫くこともどちらも時には必要。

さて、日本人は付和雷同だとよく言われるが、そうなのだろうか?
集団主義的なところがあるのだろうか?
私がイギリスに来て、日本人のいないフラットに住んで、楽だと思ったのは、
ここでは、個人主義が徹底しているからだと思う。

困っていたら助け合う、しかし、一切干渉しない。
誰が何をしようと、何をどう食べようと、誰を連れてこようと、それはその人の勝手。まあ、私がフラットメイトに恵まれたせいもあるんだろうが、フラットメイトに対する多少の不満、いらだちは皆個人で解決し、誰かのキッチンの使い方が悪かったりしたら、本人にちゃんとそこは困ると個人的に言う。台所の使い方は、こうしましょう。なんてルールは何一つない。後は寛容になることが肝要。

ここでは、暗黙にこうするのがルール。ということが、日本では結構あった気がする。それを知らないと恥をかいたりして、どうして、そうするの?と聞くと、別に特別な理由もない。
みんながそれをやっているから、という理由ほど、空しいものはないと思う。

まあ実際、10人の人間がいて、その内の9人が、当たり前のようにしていることを拒否するというのはかなり難しいけどね。

何事も、いい面と悪い面があり、個人主義にもマイナスはいっぱいある。
しかし、他人にことを気にせず、迷惑をかけない範囲で、個人の価値・判断基準に徹するというのは、私たちが外国にいて、学ぶことのできる、人生に対する態度だと思う。




2002年02月27日(水) プレゼン終了

おお、今日ようやくベニスのアートのゼミのプレゼンが終わった。

なんか、日記見たら一週間書いてなかった。
忙しくなると、あっという間に日が過ぎていく。

先週の木曜以降、飲みに行ったり、教会のイベントに行ったり、
いろいろあったんだけど、書く余裕がなかったなあ。

イギリス人ばかりのクラスで、1人、壇上にたって、40分も話してしまった。
みんなわかったなのかなー?
一番、前にいた子に、長くて、退屈だったでしょ?と聞いたら、一応
おせじでも、そんなことないよと言ってくれたし。

それに、教授が"well done!" と言ってくれたので、よしとしよう。
一応、盛り込めと言われたポイントは盛り込んだつもりだし。
昨日の、2時にやっと読み上げる決定稿があがったのはちょっと無理があったね。
でも、どんなに面倒くさくても仕事と違って、自分の勉強なので、やはり充実感がある。人にやらされることと、自分がやることの違いは大きい。

やはり、アートを勉強することは、私にとって、楽しいこと。
問題は、役立たない勉強ばかりが好きなこと。

しかし、今日は疲労しきった頭でなんだか、大勢の知り合いに会い、いろいろなことを考えさせられた。
友達と話してばかりではいけないのだけれど、やっぱり、人は人から一番学ぶことができるのだと思う。
留学生活は楽しいことばかりではない・・・、大変な状態をどうやって、やりすごしたらいいのか?

ただ、自分のできる限りのことをするしかないのかな?

まあ、今日は眠いのでもう寝ます・・・・



2002年02月21日(木) Good circle

日本語に悪循環という言葉はあるのに、いい循環をあらわす名詞はないのだろう?

今日は、プレゼンの中身について、先生に聞きに行ってきました。
夢中で、汗をかきかき話して、6時過ぎに先生の部屋を出ると外は、もう真っ暗になっていた。彼女とベニスの建築について話すことは、私をひどく興奮させ、時間を忘れさせていた。何より、彼女自身がベニスという街にとてもひきつけられている、その熱情のようなものが私に伝わり、また、ベニスに魅せられている人間の1人である私はそれに心から共感し揺さぶられた。

ふと、担当教授以外誰1人人残っていない学校を出て、暗い雨の中を1人歩き始めたとき、どこかで、こんな情景を知っていた気がした。

思い出してみれば、それは以前にNHKで見た、ドナルド・キーン氏のインタビューの中で彼が話していた情景だ。
彼がコロンビア大学の角田柳作先生のもとで日本について学んでいたとき、毎晩のように、二人きりで講義をうけ議論をし、気がつくといつも外は真っ暗になっていた。

実際は、5−6人の学生がいたようだが、ドナルド・キーンは中でも特に優秀かつ熱心で、先生とふたりで語りあうことも多かったのだろう。

現在、ドナルド・キーンの研究成果を知ることのできる私たちにとっては、素晴らしい日本人教授が彼の日本研究に対する、道先案内人であったことは、誇らしいことであり、日本人学者としてやりがいのある仕事だと判断できるが、戦後すぐのアメリカで、たった、1人の学生のために、膨大な時間とエネルギーをさき、熱心に日本について教え続けるというのは、まさに、とほうもない情熱がないとなせることではなかったと思う。

私は、先月、浮世絵のセミナーで、ジョンという日本の書を専門に勉強している学者の講義に出席した。その日の彼のテーマは浮世絵の中にある文章(主に俳句、短歌、漢文)が絵と関連して何を表しているのか?というようなことだったが、彼はほぼすべての江戸時代の草書体や漢文を読むことができ、私は非常に感嘆してしまった。しかも、彼の講義は日本の美術や文学、書の美しさに対する、情熱と賛嘆にあふれていて、聞いているこちらまで、うっとりと体が熱くなるような感じがした。講義のあとで、パーティーがあったので話をしてみると、彼はドナルド・キーン氏の直々の教え子だったらしい。

ああ、ここに情熱のよき循環があると思った。
そのときは、こんなことして、何になるんだろうと思うかもしれない。でも、どうしてもそれに対する情熱があるならば、やってみたほうがいい。それは無駄なことではない。

まっすぐな情熱は、眼には見えなくとも、連鎖して、また情熱を生むだろうから。



2002年02月20日(水) Hi,how's it going?−イギリス挨拶考

“How's it going?"って、顔を合わせると伯爵ハリーに聞かれるようになった今日このごろ。ああ、私たち、やっとクラスメイトらしくなってきたじゃない・・・
今日なんて、バレンタインの日のハリーが出なかった授業のハンドアウト(先生が配る授業の資料)コピーして渡してあげたりして。

しかし、私の英語力は相変わらずで、ハリーが言う、“How's it going?"を辞書でひいてしまう程度です。まあ、たんに「最近どうよ?」ってぐらいの意味なんだけど。

以前、私が作っているHPで“What's Up?”と使っていたところ、ロンドンの名門コースでPhDをとった方から、文法的に正しくないという指摘を受け、アメリカンイングリッシュを使う友達が多かった私には、かなり、???(あなたが知らないだけでこれは良く使われる会話表現でしょ?)だったのですが、正直私はここイギリスに来て、“Hey guys, What's Up?”というような言い方を聞いたことがない。

ハリーのごとく、“Hi,how's it going?”顔を合わせた友達に聞くのは一般的で、もっと簡単な挨拶としては、“Hi”または“Hi,How are you?”というのが普通みたい。

そして、次には、だいたい天気の話、そして、勉強または仕事の話。
イギリスは冗談でなく、一日の間に四季があると言われるとおり、天気が変わりやすいので(今日なんて一日の間に5回ぐらい雨がふ降ったりやんだり)、本当に天気の話をしていれば、話題には困らない。

あとは、仕事も勉強も“Work”で済んでしまうので、、“How's your work? Busy?" とかね。

あー、ゼミのプレゼンまであと正味5日、明日の午後はは教授に相談に行くことになっています。それまでに、頑張ってドラフト仕上げなくちゃ。といいつつ、本日何も進んでいないのに11時。昨日3時半にベッドに行き、朝7時半に起きて、9時からの授業に出て、6時に帰ってきたら、チョー眠たくて、思わず今まで寝てしまった。ああ、ヨガにも行かずこんな変な時間に爆睡してしまう私って? というか、ヨガをサボってしまったのが悔やまれる。

しかし、睡眠欲と食欲にはぜんぜん勝てないんだなあ。というわけで、今から夜食食べて、ひと頑張りします。



2002年02月19日(火) 不可知論


今日からは勉強するぞと思って、夜二時間映画観にいった以外は学校が終わってからずっと部屋にいて、しかも机に向かっていたのに、ぜんぜんすすまない。
ネットしたり、家計簿つけたり、書類の整理したり、スケジュールのチェックしたり、いろいろやることはあるものねー。たんに集中できてないという話もあるが、
一日でプレゼンの原稿を200文字しか書けなかった。

資料をあちらこちら読みながらやっているので、なんだか、あたまがこんがらがるのよねー。私の脳みそってなんてキャパが狭いのかしら・・トホホ。

夜観た映画というのは、またまた大学の映画上映会で観た、タイのおかまのバレーボールチームの話(実話に基づいてるんだよね、これが)。これはかなり面白かった。ゲイの人たちの映画というのは、いつもなんだかせつないのよね。

まあ、それより、先日見た、デビッド・リンチの映画について考えていたのだ。
なんかの記事で、彼は不可知論者だというようなことを言っていて、おお、そうかと納得した。不可知論者とは世の中には目にみえないものや、把握しきれない世界があるということを認識している人のこと。このことに気がついていたら、人は謙虚にならざるをえないように思う。デビッド・リンチと謙虚さなんていうのは、結びつかないように見えるけれど、彼の描く男の主人公の多くは恐れを知っている。

たとえば、女性に対して、女性のことを理解できる、しているとは思っていない。
彼の映画では、多くの場合、女性は謎と矛盾に満ち、理解しがたい存在である。
それは、私からみると、どんなに女をえげつなく映そうが、好感の持てる態度。
わからないものにたいしてのリスペクトを感じる。

わからないことを排除するのでもなく、無視するのでもなく、リスペクトできたらいいと思う。

自分にはわからない、理解できないことがいっぱいあるということを意識するのはとても重要なことだと思う。

科学や技術の発展によって説明できることが増えたからといって、わからないことがなくなるなんてことはない。

私は、他人を理解したいと思うけれど、理解できるとはまったく思わない。
だから、あなたも私を理解できるなんて簡単に言わないで。



2002年02月18日(月) 寿司パーティー


今日は、なんだか慌しい一日でした。
寮から大学までを4往復したし、夜はまた女同士のパーティー第二弾が
あったので、料理を作るのに忙しかった。

パーティーのメンツは、またまた、イギリス、香港、日本、イタリア。
テーブルの上には中国風チキン、のり巻き(みんなで作った、まるでのり巻き寿司の講習会。のり巻きなんて手作りしたの小学生以来?)、チーズとトマトのパスタ、マッシュポテトにチーズ焼き、あとは私が作った、ラタトゥーユとシーザーズサラダが並んだ。ゴージャス!!
ラタトゥーユは単に昨日間違えて、トマト缶を空けてしまったので作ることにしたのだが、メニューのバランスとしては良かったみたいでほっ。

10時すぎにパーティーを終えると、そのあと大学のパブに行き、他大学の面接試験を受けてきた友達をお疲れと祝う。スーツ着ていた彼を散々からかい、結構楽しかった。

しかし・・・・なんだか、すっきりしないこの気持ち・・・
パーティがいまいち盛り上がらなかったからか?
それとも明日の9時までの宿題がまだ終わっていないからか?

まあ、こういう日もあるさ・・・と思って、宿題にとりくみませう。



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