朝8時半ごろまで寝ていたが、Mが起きて朝食を食べ始めたので、私も起きることにした。 彼女は今日、トルチェッロという船で片道一時間半もかかる場所へ行く予定。私と話をしながら準備をし、9時過ぎに出て行った。私は明らかに調子が悪かったので、またベッドにもどり眠ったら今度は起きたらもう12時過ぎ。今日は、私が買い物に行くと約束していたので、熱っぽい体をひきずり、近所のスーパーへ。しかし、日曜で閉まっていたので、船に対岸のスーパーの袋を持っていた人がいたこともあり、その対岸のスーパーへ水上バスを乗り換えて行くことにする。広いスーパーをうろうろしているとクラクラしてきたので、とりあえず、最低限必要なものを買い、また水上バスでアパートのある島へ戻る。 ベニスは先週の悪天候が嘘のように、とてもいい天気で、明日のプレゼンの準備と風邪さえなければ、格好の外出日和なのに・・・とうらめしげに海を眺める。しかし、買い物に外にでただけだが、3回も水上バスに乗ったのでそれなりに海と空の美しさを味わえ、こういう日常の生活で、ベニスを感じるのも悪くはないなどと思う。 部屋に戻って、遅い昼食を作って食べるとるともう3時。今日のパスタは我ながらなかなかの出来。そして、午後はまた眠る。寝汗をかいて目を覚ましたのはMが帰宅した6時前後。 Mは好天の中のトルチェッロを満喫したが、船にすこし疲れたようだった。 夜は、食事も食べずに勉強。かなり熱っぽかったので勉強するのが辛かった。鏡を見ると顔が赤いのわかった。10時くらいに少しお腹が減ったので、パンにチーズをはさんで食べた。結局1時まで起きて、プレゼンの準備を終える。食卓しか机代わりに使えるものがなく、その食卓までも電源が届かなかったのでなんと、台所の調理台の上で、にんにくと包丁たての間にパソコンを置いての作業。 こんなリゾート用の別荘に泊まって、夜中までこんな風に仕事や勉強をする人はいないのだろうなあ、などと思う。結局1時半まで勉強して、プレゼンの準備を終える。 昼間あんなに寝たにもかかわらず、疲れきって2時ころ就寝。
朝もゆっくり8時過ぎに起きる、風邪気味で寝汗をかいたので、9時からシャワーを浴び、10時から日記を書き、12時にサンタ・マリア・フォルモーザの広場でHさんと会う約束をしていたので、11時過ぎに出かける。熱っぽいせいかなんだか頭がぼおっとしていてつらい。天気が悪く、寒かったらHさんとの約束もキャンセルさせてもらおうかと思っていたが、ひさびさの晴天に誘われて外に出たような感じ。 ヴァポレットでサン・マルコ広場に着くと、アクア・アルタ(海面上昇)により、広場は水浸し。海に近いあたりは板を渡した歩道の上しか歩くことができず、広場は大混乱。広場を抜けるのが距離的には近道と思ったが諦めて、他の道から待ち合わせの広場に向かったら少し遅れてしまった。Hさんとは無事に会えたが、私が約束を間違えたのではと心配されてしまった。 私が風邪気味で喉のいたみと熱っぽさを訴えると、彼女もこのところの冷え込みで同じように、喉をやられたという。一緒に薬やへ行って、イタリア語の通訳をしてもらって風邪薬を買う。昨日買ったトローチはめちゃめちゃまずい(舌がびりびりしびれる)くせにのどにはいまいち効いていない気がしたが、今日行った薬局は今日買った薬を飲みながらそのトローチも続けて飲めという。 とりあえず、私が座りたがったので「マスカロン」というHさんおすすめのレストランに行き、鰯のマリネ、イカの卵、グリーンピースなどの前菜と、オマール海老を丸ごと使ったなんとも豪華なパスタをごちそうになる。その間、私の将来のことなど、海外で働く上のアドバイスなど。いろんなためになる話を聞き、またまた、いろいろ考えさせられてしまった。 その後、一緒にインターネットカフェに行き、私とHさんを引き合わせてくれた姉にメールを書いたり、HPを一緒にチェックしたりした。 一時間ほど、インターネットカフェにいたら、私は熱のせいか頭がくらくらしてきたのでとりあえずカフェへ。シチリア産の赤いオレンジのしぼりたてのジュースをのんで一息。これはとても濃くて美味しかった。ビタミンも豊富そうで風邪に効きそう。 その後、サン・ジョパンニ・エ・パウロ教会にてベリーニの祭壇画(これは修復からもどってきたばかりで見れたのはとてもラッキーだった)その他の絵を見ながらキリスト教美術についての見解を語り合う。これはとても貴重な体験だった。 その後、私が月曜日にプレゼンを行なう某教会へ二人へ行き、一緒に見てもらいながら、中の彫刻や絵画をガイドを読みながら説明すべき箇所をチェックする。 Hさんは以前、イタリア内の観光ガイドをやっていただけあって、さすがにキリスト教美術に詳しく、私はとても助けられた。その上、Hさんが管理の人に交渉してくれ(「この子は学生で、この教会について調査に来ているので特別に見せてあげてくれないか?」と頼んでくれたらしい)、教会の閉まる時間まで待てば、二階のパイプオルガンのフロアと地下の聖骨堂にいれてくれることになった。 10分ほど見学しながら待つうちに閉館となり、私1人、もともと某有名画家の「受胎告知」の扉絵があったというオルガンのバルコニーに登る。そこから見る教会の内部はとても綺麗で、下から見るものとは違っていた。教会で売っている内部の絵葉書はこのバルコニーから撮影したものだということもわかった。この教会の祭壇は床から階段を10数段上った高い位置にあるので、このバルコニーから見ると、ちょうど、真正面に祭壇がくるのだ。 聖骨堂の中にも、この教会の設計者で、彫刻家でもある**のレリーフがあり、これを見ることができたのも嬉しいことだった。さらに、19世紀の大幅な修復のさいにどこに使われていたのか不明になってしまったという大理石の文様のレリーフも地下に飾ってあり、興味深かった。 その後、Hさんのイタリア語での質問と、私が英語でした質問にその係員の人はそれぞれ丁寧に答えてくれ、(返答はすべてイタリア語だったので私はHさんの通訳がなければまったくわからなかった)とても、参考になった。 教会を出ると外はにわか雨。しばらく、その教会のアーケードの下で、教会について今日聞いたことのおさらいをする。その後、雨が上がったので、サン・ザッカ―リア教会へ寄って、またまたベッリーニの他の祭壇画を見る。 晩御飯に誘ってもらい、また船に乗って、Hさんのお宅へ。疲れて自分で晩御飯を作る気力もなかったので嬉しい申し出だった。しかも、彼女はとても料理が上手い。家に戻ると、もうご主人がお腹をすかせて待っていて、二人で魚介のリゾットを作り始めた。 車えびのような立派な海老の身と白身魚をいっぱい使って、その海老の頭と魚で取ったスープで作ったリゾットはレストランで食べたものよりも数倍美味しかった。 そして、リゾットの後は、グリーンアスパラガスとポーチドエッグのパルメザンチーズとバターソースがけ。これもシンプルながらとてもいきいきとした味。 飲み物は辛口のプロセッコ(べネツィア近郊名産のスパークリングワイン、フルーツの香りが強い)。 食事を終えて、おしゃべりをしていたらもう9時。私は体調がいまいちなので早めにおいとまさせて頂く。9時半お宅をでて水上バスを乗り継いで、10時半近くに帰宅。同居人のMは私の帰りが遅いのでちょっと心配していた。 疲れたので、遅くならないうちに就寝。
やはり、朝から具合が悪い。喉が痛い。イギリスから持ってきたのどあめをなめつつ出かける。朝食もヨーグルトくらいしか食べられなかった。 今朝も横殴りの雨、悪天候のなかサンロッコへと急ぐ。9時5分前には全員集合し、マギーも喜んでいた。 アリスに解説でサン・ロッコをまわりはじめる。あとはマギーによる絵一枚一枚の解説を聞く。前よりだいぶ絵の内容が図像解釈学的にわかるようになったと思う。一階は、マリアの生涯。二階はキリストの生涯についての油絵が壁を取り囲んでいる。以前に来た時は圧倒的な絵画の量とその重圧感に負けてなんだかぐったりしてしまったが、今回はマギーの説明もあり、一つ一つの絵の意味を理解しながら読むとやはり面白い。特に、堕天使ルシファーが男性的な筋肉質の肉体に、歪な乳房をもって描かれており、両性具有の天使(普通の天使とはちがって、フリークス的に)として、明確に描かれているのが興味深かった。 ほかはベニスのポイントとして元娼婦のマグダラのマリアを書いてあるものがあり、当時ベニスでは公娼として売春が認められていたので、娼婦もキリスト教徒の信者として受け入れられる土壌があったことを表しているらしい。(日曜日ごとに教会に通う娼婦の姿を想像するとなんだか不思議だが、そのような光景が見られたようだ) サン・ロッコの教会は大理石のルネッサンス様式で、外観は美しいが内部はスコォーラに比べると簡素な作り。その後、スコォーラ・サン・ジョパンニ・エヴァンジェリスタの概観(これもルネッサンス様式)を見に行き、マギーの解説を聞いて、解散。 とても寒く、Mと中華料理を食べ、インターネットカフェに行き、メールをチェックし、Hさんに借りたベニスのアートに関する本をそのインターネットカフェで大量にコピーしているうちにもう4時近くなる。Mと別れて、コッレールに行き、また好きな絵だけを選んで観た後に、姉に頼まれたこの美術館のガイドブックを買った。そこで本屋に寄ったら、今日大量のコピーをしたばかりのHさんの貸してくれた本の新版を見つけ、悩んだあげく購入。ああ、コピーったのは無駄だったなあ。アパートに戻ろうと歩いていた、途中のカフェで体が冷えたのでカプチーノを飲んで一休み。6時すぎにアパートに戻り、7時過ぎに魚介のパスタをMと一緒に作って食べる。 そのごTVを観て、11時に就寝。
結局、昨日も遅く寝て、疲れていた私は今日は7時半過ぎまで寝ていた、今日はサンマルコ広場で9時集合。鐘楼と広場について、ヴィタが説明し、その後サマンサがヴェニスの有名建築家サンソビーノによる、広場に面する国立図書館の建物についての説明をする。 今朝はものすごく寒い。2月のイギリスかとおもうような天気。マギーも寒いので中で話そうと提案してくれ、コッレール宮の美術館のカフェでマギーの講義を聞く。 その後、コッレールの美術館に入り、最初の数部屋だけをみんなでまわって、あとは解散。自由に見て、質問があったら私に声をかけてとのこと。 3階の絵画館にはベッリーニやマンテーニャ、カルパッチョの名作があり満足。マギーとも、ベッリ―ニの間で偶然出会い、聖母子やベニスの提督ドージェの肖像画などについて質問することができた。 また、ベニスの印刷物についてのエッセイを書き終えたばかりの私にとっては、ジャコポ・バルバーリの1500年に制作された、ベニスの全景の木版の版木とプリントの両方を並べて見ることができたのがとても嬉しかった。 Mも言っていたが、美術館でエッセイで取り上げた作品を目の当たりにすることは、私たちにとっては、とてつもなく嬉しいことで、しかも、自分が書いたり、資料で読んだことを実際に自分の目で確かめられるこの上もないチャンス。こういうときは、フィールドワークって本当に意味があるなあと思う。百聞は一見にしかずというのは、体験主義的で避けたい言葉だけれど、(経験をしたくてもできない人間にとって失礼だと思う)、画集であきるほど目にしている作品も、やはり本物を目にしてみると理解できるものがあるなとどうしようもなく、感じてしまった。 特に、15世紀の画家、カルパッチョに関しては、ここコッレールにある、二人の貴婦人の絵がヴェネツィア絵画の傑作として有名だが、いままでこの作品がなぜこんなに高い評価をうけるのか納得がいっていなかった。しかし、今回改めて本物を見てみると、やはり、貴婦人の微妙な表情や犬の視線など、とても面白い味のある絵。犬や貴婦人の態度や表情、彼らの身につけている装飾品が(犬の首輪のみごとなこと!)ヴェニスの富裕さとそれゆうえの倦怠や退廃を表しているかのようで、見事だと思った。 コッレール美術館を見終えるともう1時近くだったので、またアカデミア方面に向かいながら美味しそうなバールを探す。そこで、魚介のマリネサラダとフェトチーネのお昼を食べる。こういうお店はイタリア語しか通じないし、メニューもイタリア語だけだが、安くて美味しい。来ている人もイタリア人ばかりだし、地元の人のたまり場なのだと思う。 こういうお店で、今日のパスタとかを注文して食べているとだいぶ、イタリアに慣れてきたなと思う。 しかし、今朝の寒さのせいか、睡眠不足のせいか、いまいち疲れ気味。雨も降り始めたし、私は教会を見に行くというMと別れて、スーパーで日用品と食料品を買ってアパートに戻ることにする。 アパートに帰って、日本の姉に電話してベニスについての情報を交換、また姉の知人Hさんからのことづけをつたえる。姉は数年前に仕事でベニスに三ヶ月以上滞在していたこがあり、さすがに詳しい。また、観光客にはマイナーだが見ておくべき、絵画や建築などを教えられ、メモる。 その後、本を読んでいたら眠たくなったので寝てしまい、寝汗をかいて目が覚めた。少し熱っぽい。ベッドの中で塩野七生の「海の都の物語」を読んでいるうちに、Mが帰ってきて、8時にはまたコンサートに行くと言って出かけて行った。私も行きたかったが外は雨で、まだ熱っぽかったのでやめておいて、部屋で読書。9時過ぎにお腹が減ったので、パスタ(チーズ入りのラビオリナスをズッキーニとトマトとオリーブオイルのソースで食べた)を食べテレビで音楽番組を見たあと(MTVが見れた)また読書しているうちに11時近くにMがびしょ濡れで帰ってきた。コンサートは良かったが、また横殴りの雨で傘が壊れそうになったとのこと。 私の熱っぽさもおとなしく家にいたらだいぶましになったみたい。今日はもう、寝ることにする。
昨日は疲れて早めに寝たが、イギリスの友達から携帯に電話があり、2時近くまで話してしまった。ああ、なんで私はこんなに話し好きなのだろう・・・・ また、朝、6時半にはMの目覚ましがなり、目が覚める。ベッドのなかでうだうだしながら一時間。7時40分頃起きだし、朝ごはん(パン、イチゴ、オレンジジュース、チーズ)を食べ、8時半頃出発。今日は雨もあがって、まだ曇りだが、天候は上り調子の様子で嬉しい。しかし、寝不足と疲れのせいかなんだか元気のない私・・・ 今朝はドゥカーレ宮殿の前集合で、ケイトがこの有名なファサードについて説明する。その後、皆でチケットを買って中に入り、(ここで私ははぐれてしまい皆を待たせて恥ずかしい思いをした)今度は、フィオナが中庭にある、塔や階段の装飾などについて説明。フィオナの説明はいまいち、わかりずらく、途中ケイトが何度も助け舟を出していた。 その後、みんなでパレスの中をマギーの説明で回る。ティントレットやヴェロネーゼ、ティシャンなどの傑作をベネツィアの政治的・外交的意味を踏まえて見ていくのは面白かった。外国の大使と謁見する間には、ドージェ(提督)とベニスがいかに敬虔なクリスチャンであるかを強調するためにドージェがマリアやキリストに対してひざまずいている絵を置き、選挙結果や議決を待つ大会議室には待ち時間の長い議員たちを飽きさせないために、イエスやマリアはもちろん、すべての聖人を描いた天国の図やベニスの勝利を描いた、美しいベニスを象徴する女神を囲んだ絵など、天井や、壁面全面にわたって巨大なパノラマの油絵が飾ってあったりするのは、それぞれの役割がきちんとあって面白いと思った。 午前中3時間以上ぶっ続けで説明を聞き、立ちっぱなしで疲れたところで解散。その後、ドゥカーレの牢獄を見たあと、昼食の場所を探す。サンマルコ広場からアカデミア方面へ歩き、美味しいそうなケーキやさんを見つけ、今晩のデザートにチーズケーキを買う。その近くで素敵なバールを見つけて、そこでスパゲッティボンゴレを食べる。このバールはかなりレベルの高そうなレストランに併設されていて、パスタだけはレストランの厨房で作ったものが運ばれてくるらしく、かなり美味しかった。たっぷりのぷりぷり新鮮なアサリを食べるのは日本で食べた以来。 その後、またその近くのインターネットカフェに行き、メールをチェック。UEAのいくつか大事なメールが来ていた。ここは日本語も使えたし、学割がきいて安かったので、また来たいと思った。 その後、Mと別れて、姉にメールで頼まれた財布を買うべく、某皮革ブランドに寄る、買い物の最中にベニス在住のHさんから電話。5時にお茶をしようということになる。電話のあと、姉のための財布を選び終え、その後、音楽を聞きながら休憩したかったのでサン・マルコ広場のカフェ・クアドリでエスプレッソ。のんびりしいたら、そこで日本の彼から携帯に電話がかかってきて、長電話。ちょうど、彼に葉書でも書こうかと思っていたところだったので、嬉しかった。 天気も午後はすごく良くなって、これこそベニスという感じに、サン・マルコ広場は輝いていた。待ち合わせの橋のたもとまではゆっくり歩くのを楽しみ、その場について、ぼーっとしてると、Hさんに声をかけられる。彼女はもともと私の姉の友人なのだが、遠くからでも、姉と同じようなオーラをだしているので、すぐに私だとわかったという。 彼女と一時間ちょっと話した後、彼女の仕事関係の用事で月貸しのアパートを見に行く、安いが、微妙に変なアパートだった。彼女が以前、うちの姉のために探してくれたアパート(初めてベニスに来たとき、私もそこに滞在したので)がいかによいものだったかということを改めて感じた。 7時過ぎに彼女と別れてジュデッカのアパートに戻り、晩御飯を作っていたら、Mが帰ってきた。私の晩御飯はまた、ナスとベーコンときのこのパスタ。夕食後は紅茶と一緒に買っておいたケーキを楽しむ。 その後シャワーを浴びて、Mとおしゃべりをして1時就寝。
同居人Mの目覚ましが6時半に鳴り目が覚める。 眠かったので、私は目が覚めたあともベッドでだらだら、Mは起きてさっさと朝食を作って食べていた。7時半すぎに、起き、朝食、出かける準備。信じられないくらい天気が悪い。外に出ると、横殴りの風雨。ヴァポレットに乗り、9時過ぎ今朝の集合場所ベネツィアの造船所アーセナルのゲートに着いたら、みんなもう集まっていた。 ここについては雨の中クリスチャンが説明する。雨がひどく話をじっくり聞けないので、まずゲートを実際に見ながらだいたいの説明が終わると、近くのカフェへ集まって、質問とマギーの講義の時間を持った。 その後、皆でサン・マルコへ行き、またさらにひどくなる横殴りの雨のなか、リチャードがサン・マルコ寺院の前の台にのって、演説のように傘もささずにプレゼンを行なう。 ずぶぬれになったリチャードの説明が終わると、皆でサン・マルコ寺院の中に入り、内部の装飾とモザイク、宝物館とパ・ドーロ(黄金の衝立)を見学。 見学を終えて、寺院の外へ出ると、混んでいるのとひどい雨とで、マギーもみんなに説明するのを諦め解散になった。夕方に集まったときにまとめて質問と講義をするという。 冷え切った体を温めるため、ピザの昼食をとり、その後、資料を買うためにまた、本屋へ。 その後、落ち着いたカフェを探して歩き、午後の集合時間までカフェで資料を読む。が、眠くて、全然勉強は進まなかった。 また、午後見学予定だったサン・ザッカ―リアに5分遅れで集合。ここは、ほぼ全員集まっていた。 今度はイアン(15世紀イタリア美術が専門の講師)も来ていて、彼の説明を聞いた。とてもわかりやすく、満足。サン・ザッカ―リアがもともと、尼僧のための古い教会だったのがルネッサンス期に増築して大きな教会になったというのがとても面白かった。 今日のテーマとしてはレリクアリー(Reliquary聖遺物)が いかに中世のキリスト教世界では教会や都市にとって重要なものであったかということ?があった。 教会を出て、またまた皆でカフェに入り、質問と講義の時間。テラス席の端に座っていたので私の背中はびしょ濡れで寒くなってしまい、雨と風にまみれて話しに全然集中できなかった。 解散後、クラス解散後、1人になって日本とイギリスとイタリア国内の知人に電話をかけ、その後、スーパーに日用品と食料を買って、アパートに戻る。 ズッキーニとトマトのパスタとMの作ったスープとサラダで野菜たっぷりの晩御飯。今日は早めに寝よう。
2002年04月08日(月) |
イタリアのアパート暮らし |
4月8日(月) 今日はゼミのメンバー顔合わせの日。今日から10日間大学が予約したジュデッカ島のアパートメントに住む。朝10時にホテルをチェックアウトしてヴァポレットに乗り込み、ジュデッカヘ。先生たちとの待ち合わせの場所には誰もいなかったので、近くのバールに入って、軽食をとりながら時間をつぶす。11時半過ぎに待ち合わせの場所に行くと、先生二人マギーとイアンが来ており、イアンの案内でアパートに向かう。部屋割りは4人用のアパートが二つ、と二人用が一つ。私とMは二人用の部屋を使わせてもらうことにした。他のクラスメートで同じアパートに住む人は誰もまだ到着していなかったので、早いもの勝ちという感じ。それから、Mとベッドの位置を変えたり、ブルーとグリーンのシーツで間仕切りを作ったり、へやを居心地よく整えるのに時間とエネルギーを使う。 やっと、部屋の模様替えも終わり落ち着いたところで、マギーから電話が入り、ついでに近くのスーパーの場所を教えてもらう。 そのスーパーは4時まで開いていないというので、二人とも疲れが溜まっていたのでシエスタをとることに、三時半まで寝て、その後、食料や日用品を買出しに。スーパーで偶然にも、同じゼミの女の子四人と会う、彼らはやっと先ほど到着したらしい。 Mと二人で、40ユーロも食料を買い、アパートへ戻り、軽食をとる。その後、先生たちのアパートでのゼミのメンバー顔合わせのパーティーに向かう。みんなでべネト地方特産のスパークリングワインのプロセッコで乾杯し、おしゃべりに花を咲かす。マギーは生徒全員が無事に到着したことを確認し、安心したようだった。 8時過ぎ自分たちのアパートに戻り、初めての自炊。私がトマト・ベーコン・ナス・マッシュルームのパスタとチーズのサラダを作る。食後は勉強もそこそこ、イタリアのTVドラマに目は釘付け。やたらとロマンティックで荒唐無稽なストーリーに唖然。 その後シャワーを浴びて2時近くに就寝。 明日からはフィールドトリップが本格的に始まる。どうなることやら・・・・
2002年04月07日(日) |
素敵な日本人女性とは? |
今日は日曜日、お店や教会も閉まっているところが多いので、のんびり過ごすことにする。 8時すぎ起床、8時半朝食。9時にベネツィアに住む知人Hから電話があり、今晩の食事は彼女の家で食べさせてもらうことに。 予約していたレストランをキャンセルし、10時まで朝寝。それから日本語の使えるインターネットカフェを見つけ、日本へメールを2通送る。 そのあとは、ヴァポレットに乗って、アカデミアへ行き、その裏にあるザットレから明日から泊まるジュデッカ島のアパートを下見に行くことに。最初はなかなか見つからなかったが、Mがアパートの住所表示を見つけ、中庭に入ってみたら、なかなか閑静な住宅地。素敵な雰囲気に二人ともここに10日も住むのかと喜ぶ。 なんとなく来たヴァポレットに乗って、外回りで本島のローマ広場まで戻り、ホテルに戻る道筋でトラットリアを見つけ、パスタの昼食。海老とアスパラガスのパスタと、ペンネアラビア―タの2種をMとシェアする。 その後、寒かったので、ホテルに戻って、マフラーをまいてMと別れペギーグッゲンハイムへ向かう。 カ・ドーロの乗り場を見逃してしまい、まあいいかと思ってリアルトまで行ったら、偶然にもゼミメイトのRとHが通りかかったピッツェリアのテラス席に座っているのを見つける。食後のコーヒーに加わり、雑談をしながら情報を交換、彼らはメールチェックをしておらず、先生の携帯番号と集合時間を知らなかったので伝える。 先生と一緒に、その彼氏の先生も来てるらしいと言うと、おお、と驚いていた。そこら辺で会いたくないねーと、笑っていたのだが、HとRと別れて、ペギーグッゲンハイムへ着いてまず、入った最初の展示室にその先生カップルの姿。 こんな偶然もあるものかと思って、笑ってしまったが、明日の集合場所の確認をさせてもらった。 その後、1人でゆっくり作品を見てまわり、ミュージアムショップで自分用の折りたたみ傘と友達へのお土産を買う。 そのあと、近くのトラゲット乗り場から渡し舟に乗ってアカデミア側からサンマルコ広場側へわたり、Mと待ち合わせていたサン・ザッカ―リアのヴァポレット乗り場へと急ぐ。 しかし、待ち合わせの場所にMは現れず、30分以上も会えずにずっと待つ。ようやく現れたMは待ち合わせの乗り場を間違えていたらしい。すぐ隣の逆方向の乗り場の周りでずっと待っていたという。 とりあえず、ヴァポレットに乗り、Hさんの住むリド島へ。約束の時間より早めだったのと、Mが寒いというので駅前のバールで暖かい飲み物を飲みながら暖をとる。 7時に彼女に電話し、迎えに来てもらい、彼女の家へ。イタリア人と結婚してリド島に住んでいる彼女住むのアパートはそれは素敵なところだった。大理石の上に敷かれたアンティークの絨毯。家中を飾る、ベネツィアングラスと絵画の数々。高い天井からはシャンデリアが下がり、バルコニーからはサンマルコ広場が見える。アパートの三階とは思えない広々した空間はちょっとしたお屋敷といった感じ。中でも、ベネツィアンガラスの有名職人を多く友達に持つ、ご主人のベネツィアンガラスのグラスコレクションは美術館レベル。17世紀のアンティークなどもあり、ご主人も他のものは売ってもいいが、これだけは誰にも譲れない。と言っていた。他のものは作家を知っているので、また注文できるが、阿1600年代に作られたこの器はもう、手に入らないからね、と。
Hさんの用意してくれた食事とデザート、そしてワイン!!は美味しく、大満足。中でも、太くてやわらかいこの地方特産のホワイトアスパラガスと卵を使った料理はシンプルながらも、今まで食べたことのない優しい味。ご主人のお姉さん手作りのラザニアもとても美味しかった。 ついついHさんとの話しに夢中になってしまい、気がつくと10時半。お礼を言って、ヴァポレットに乗り、ホテルに戻るともう12時。 イタリアに長く住むHさんと話すとなんだか、いろいろ考えさせられることが多く、私にとっては印象深い再会だった。初めてベネツィアに来て、彼女に会ったときは、こうしてまた長い間ベネツィアに滞在できるとは思ってもいなかったが、彼女に「よくベネツィアに戻って来たね」と言われて、なんだか、はっとするものがあった。 そういえば、前回のベネツィア滞在が私の人生に対する態度を変え、今に至る道筋をつくった基となったのかも知れない。私は様々な理由や動機、そして、自分では選ぶことのできない何かの力で今、こうしてベネツィアに戻ってきた。 それは、自分の望みがもちろん一番大きいが、なにか、縁のようなものを感じる。 人生に何が起こるか、特に未来のことは自分ではわからない。しかし、自分の欲求と計画性と、その他の要因が重なって、こうなったらいいなと思ったことが、それが普通に考えたら実現不可能なことであったとしても、そうなる可能性も無いわけではないのだなあと 不思議に思った。 人との出会いや結びつきは、人を思わぬ方向へ動かす、それは時に喜びはもちろん、悲しみも運んでくる。あとになって振り返るとすべては収まるべき方向へ結局は動いていると感じるが、私は私の人生に起こること、自分で選べるもの、選べないものに対する態度がまだ定まらない。こういう態度で人生の出来事に対していくというような、方針のようなものが定まればいろいろあっても、もっと落ち着いて人生に向かっていけるのかもしれない。そういう、自分なりの人生哲学のようなものがもてればいいと思う。
4月6日(土) 朝8時起床。8時半朝食。天気が悪いのでサン・ジョルジョ・マッジョーレへ行く計画を取りやめ。ムラーノ島とアカデミア美術館へへ行くことにする。 9時半にホテルを出、迷いながらもファンダ・メンテ・ヌォーボへ。そこからサン・ミケーレ経由でムラーノへ。ベリーニを見ることが最大の目的であったのだが、教会が閉まっていて3時からしか開かないと言われ、断念。もう一つの教会、サンタ・マリア・ドネイトを見る。12世紀に作られた床のモザイク、13世紀のアプスのモザイクが素晴らしい。 教会を出ると、お昼だったのでバールでサンドイッチとめちゃめちゃ濃厚なホットチョコレートを飲み一息。お土産を買いたいというMに付き添って、ガラス細工の店を回るうちに、実演しながら、ガラス作家が自分の作品も売っているという店を見つける。彼の名前はリヴィリオ、彼の手作りの美しいガラス細工を見ていたら、最初は何も買うつもりもなかった私も思わず一つ買ってしまった。制作者から何か買うというのは、信用することができて気持ちがよかった。Mは結局、プレゼントやお土産も含めて、四本のガラスペンを購入。どれも、美しくなかなか良い品だったと思う。 天気も回復し、美しいガラス細工を手ごろな値段で手に入れることができた私たちは満足しながら、ベネツィア本島にもどり、アカデミア美術館へ向かう。 アカデミア美術館の今回の収穫はなんといても、カルパッチョ。特に「聖ウルスラ物語」(1490−5)の連作に心を打たれた。中でも「聖ウルスラの夢」のなんとも言えない不思議な物語的空間に魅力を感じ、この作品が賞賛される理由がはじめて理解できた気がした。三時半から結局7時近くまでを美術館で過ごし、お腹が減ったのでブラブラ歩きながらレストランを探す。感じの良いレストランを見つけ、席が空くのを待ち、席についたらもう8時。温野菜のソテー、魚介のリゾットとチキンのキノコソースをMとシェアして食べる。 この店も美味しかった。 9時半に公衆電話からベニスに住む、知人に電話。ベニスに住むHさんにはいろいろと情報を聞く。とりあえず、Hさんとベニスにいるうちに会おうということになり、明日電話をもらうことに。ユーロになってから、イタリアの物価が上がったというのは、私も実感していたことだが、イタリアに住む人にとっては打撃がおおきい話だ。 そのあと、テレホンカードの残り度数で、日本のKに電話。日本は朝の4時だが大丈夫かな?と思ったが、ツーコールで元気な返事。しかも、ちょうど私に電話しようかなと思っていたそう。テレホンカードはすぐに切れたが、折り返し私の携帯に電話してくれた。イタリアで携帯に電話がかかってくるというのは、不思議な感じだが、とても嬉しい。 声を聞くと、やはり彼が恋しくなる。彼も春休みでのんびりした生活で、1人暮らしモードに戻って、少し人恋しいらしい。。。 美術館に3時間以上もいたせいか、なぜか疲れきってしまった今日。早めに寝るとするかと思いながら、もう11時半。それからシャワーを浴びて、着替えて寝る準備をして1時就寝。
2002年04月05日(金) |
フィレンツェ日帰り旅行 |
朝五時半に起きて、6時にホテルを出発し、6時半の列車でフィレンツェへ向かう。駅の売店でパニーニを買い込み、乗車後、食べるとすぐに眠ってしまった。9時半にフィレンツェに到着。ドォーモを横目で見ながら、サンマルコ美術館へ。フラ・アンジェリコのフレスコ画、特に有名な「受胎告知」を見る。サンマルコ美術館はドミニコ会の修道院だった場所を美術館として使っていて、簡素だがとても気持ちのよい美しい建物。こんなところだったら修道女生活も耐えられるかも、などとMと話す。フラ・アンジェリコの絵は静謐で優しい印象。彼はこの修道院の修道士の1人で、この修道院に数多くのフレスコ画を残した。ちなみに修道院長は宗教改革で裁判にかけられ、火あぶりになったサヴォナローラ。 12時からは電話で予約していたウフイツィへ。まず、ボッティチェリの間に行き、ひとまず鑑賞してから、お腹がペコペコになったので一時くらいにウフィツィのカフェへ。 ここは、私の中ではイタリアでもっとも食べ物が高くてまずい場所として記憶されている・・・しかし、時間のない私たちは(水は持ち込んでいたが)ここで食べるより手段がない。冷凍のチキンフライをはさんだだけのパニーニが6.5ユーロ。やはり、味もよくなかった。 カフェを出ると一緒に来たMと別れ単独行動。4時までウフィツィ見物。前回と同じく、ラファエロの「ひわの聖母」が展示しておらず、見れなかったのが残念。しかし、ボッティチェリはもちろん、ティッツィア―ノのウルビーノのビーナスはやはり美しかった。 しかし、手に持っているバラの一輪が落ちていることが、若さのはかなさを象徴しているという。 その後、ヴェッキオ橋をジェラートを食べながら渡り、ピッティ宮(もとメディチ家の宮殿だった)のパラティーナ美術館へ。 ここのメインはジョルジョーネ、ティッツィアーノの「灰色の目の男」、ラファエロの「大公の聖母子」「椅子の聖母子」など。ウフィツィでラファエロの傑作が見ることのできなかった不満をここで晴らすことができた。 その後、マトバ・グローブという老舗の手袋屋で手袋を一つ買い、ぶらぶらフィレンェの街をウィンドウショッピングしながら駅までへの道を戻る。 ピザと水を買い込み、6時半の列車でヴェニスへ。列車に乗ると同時にピザを食べ、少し寝てから車内で持ってきた論文を少し読む。9時半に到着し、ホテルへ戻る前にお腹を減らしたMと一緒にワインバーへ寄る。彼女は、サンドイッチと洋ナシのジュース、私はトスカーナの赤ワインで2000年のものをグラスで頼む。店の人のすすめに従って、なんとなく選んだが、フレッシュで香りのつよい、生命力溢れたワインだった。 お店の人もフレンドリーで、Mの頼んだサンドイッチも美味しく、私のワインもしっかりした味で、イタリアっていいね!!とイタリアのライフスタイルを賛美。 帰国後、イギリスの学食の食事に本気で耐えられなくなりそうなのが心配だ。
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