ふうこの英国留学日記-その後

2002年04月29日(月) またまたエッセイ締め切り前


というわけで、かなりやつれております。
もう、会う人、会う人に、疲れてるねー。と言われる始末。

週末の二日間で3000word書きました。しかし、今回のエッセイは5000wordなのでまだ山の6合目。しかも、書いた分も大幅に訂正しなくちゃいけないし・・・、要するに、とほほの状態でございます。

しかし、サンドイッチや他の食べ物を差し入れてくれたK、中国のお土産のお茶を私のフラットまで届けてくれたのに、忙しそうだからと話もせずに帰ったJ。
本当にありがとうね。 夜はKの持ってきてくれた、トマトを食べ、Jのお茶を飲みながら勉強しました。。。
あと、宇多田ヒカルのCDと江国香織の新刊を日本から送ってくれたM、本当にありがとう。ちゃんと息抜きに楽しんでますよお。

私が、一番生産的になっている状態の時って、あまり時間を意識しなくなるので、おなかが減ってどうしようもなくなるまで食べず、眠くて頭が回らなくなるまで寝ない。。という状態になります。
そして、集中がふっと途切れると、ものすごーく疲れている自分を発見します。

英語で書いていて思うのは、いっぱい読めば書ける!!ということ。
子供のとき、国語の先生が読書こそ国語力をつける一番の近道。。。と言っていて、何まどろっこしいこと言ってるのよ! と思ったけど、外国語に置き換えてみると、まさに、その通り。と実感します。

問題は、英語の読解力がなくて、十分な量を読みこなせないこと。読んでも、複雑なところは意味がわかんないこと。言葉って本当に難しい。。。
エッセイを書くときは、資料の論文を要約したり、書き換えたりしないといけないのできちんと意味をつかんでないと、それが出来ないのです。ひえー
論文の要約なんてさー、私の頭脳だと日本語でも難しいのに・・・

イギリスで8ヶ月勉強したら、英語がすらすら読めるようになる・・・なんてことは私にはまったく起こっていません。「もう、辞書なんかひかないでだいたいなんでも読めるんでしょ」などと簡単に言う人は、言葉を真剣に勉強したことがないでしょう?って思ってしまう。

果報は寝て待て
あとは野となれ山となれ   というフレーズが頭をかすめる今日、

でも、その前にもう少し 千里の道も一歩から ということで、
がんばらな あかんわ。 



2002年04月26日(金) 相性とは?


人間同士相性というのもがどうしようもなくあると思う。

私は最近、ある特定の人物と一緒にいると自分が非常に疲弊することに気がついた。そして、その人物の欠点ばかりが目につくのだ。

人のことを嫌に思ったりするそういう自分が嫌で、どうにかそういう人とも仲良くやって行こうと努力をしてきたが、一緒にいると相手はどんどん元気になり、私はなんか倦怠感すら感じるようになっていく。

人間の体は自分が思っている以上に恐ろしく正直なものだ。。。その人物と会わなければ、一緒にいなければ、肩の荷が降りたような気分になり、一緒にいるとどんどん自分のエネルギーが吸い取られていく感じがする。

以前、やってみた東洋の占いで人をいくつかの型に分ける方法で、睡穴という型があった、私は悟穴タイプで、人と話したりして、エネルギーを外に出せば出すほど、元気になるらしい。しかし、睡穴タイプの人間というのは一見、のんびり無害に見えながら、人からエネルギーを奪うばかりらしい。悟穴の人間は睡穴タイプの人間に気をつけましょうと、書いてあったのを思い出した。

きっと、彼女は私にとっての睡穴の人間なのだろう。 限られたエネルギーを奪われないよう気をつけなければ。。。 自分の身を守るためには苦手な相手と距離をおくことも必要よと言ってくれた年上の友人のアドバイスが身に沁みる今日でした。。



2002年04月25日(木) イライラは美容の敵


今日は久しぶりにイライラしてしまった。
というのも、わけあって、イギリスで普段つかっている携帯電話が繋がらなくなり、こういうときに限って、急いでしなけらばならない連絡があったりして、
非常に不便している・・・・

それも、もう一週間前に携帯のショップ手続きに行って、つなげてくれるよう頼んだのに、その日の夜にも使えるようになるかもしれないと、担当者は言っていたのに、それにもかかわらずまだ、つながらない。。。

しかも、エッセイを来週までに2本5000word以上書かねばならず、バスで30分もかかる携帯ショップのある町まで行っている暇もない。

家族や、彼からは早く直すようにといわれているのだが、どうしようもなく・・・

イライラしている自分は余裕がなくてぎすぎすしていて、嫌。

なんていいながら、晩御飯も食べずに勉強し、9時過ぎに空腹に耐えかねて
キチンへ行ったら、友達のカップルがちょうどカレーを作っていて、今から作るなら一緒に食べる?と誘ってくれた。。。。
こういうときは、無理しないで、ありがとう、喜んで食べさせてもらうわと素直な私。
もちろん、彼らとの食事を楽しんでいる間にイライラはふっとび、元気になった。そして、食事を終えるともう夜の11時。好きな人たちと食べる食事は美味しくて
こういう時間が私のエネルギーになっていると思う。

好きな人と一緒にご飯をたべることは、私にとってはとても大事なこと。
そして、それはとても贅沢なことなのだと思う。

あなたが今食事をしていて楽しい相手は誰ですか?それがもしかしたら一番大事な人かも知れません。



2002年04月24日(水) 合格通知

私は今は美術史を専攻しているのだが、今年の秋から来年にかけて、専攻を変更して翻訳学を勉強しようと思って、いくつかの大学院の翻訳学の修士課程に申し込みをしていた。
一昨日、今いる大学の翻訳学科からとても満たせないような高い条件がついた仮合格通知をもらい。。。これじゃ専攻変更はやっぱり無理かも・・・
とかなり落ち込んでいたのが、本日の夜、第一希望だったほかの大学の大学院からコースディレクターがあなたの願書に興味を持ち、今年の秋からのコースに受け入れることを決まりました、近いうちに正式な通知がとどくはずです。というメールがもらいました。

最初は、びっくりしたけど、すごく嬉しかった。その大学Warick大学は一般的にイギリスではもっとも研究成果の高い大学の一つで、今日、メールを受け取ってからタイムズの文科系大学ランキングで調べてみたら、全英第6位の大学だった。

今いる大学には友達も大勢いるし、環境にも慣れているので離れるの淋しいが、私は他のところに行く運命なのかなー?

まあ、まだ最終的にwarick大学に行くと決めたわけではありませんが、ほぼ今後の進路は決まったということで、心からほっとしております。

ああ、いまや合格通知もメールの時代・・・以前に仕事していたとき、「すべてはその一通のメールから始まった・・・」というキャッチコピーを使ったけど、まさにその通り。私の人生も一通のメールで左右されてしまうことを実感した、今日でした。



2002年04月23日(火) 個人に対する社会における評価

私は今年の秋から大学院の違う科目のMA(修士課程)で勉強をしたいと思っていて、その願書をベニスに行く前に提出しておいたら、戻るなり昨日返事を受け取った。

基本的にはそのコースのディレクターは私を受け入れてくれる方向にあるのだが、それに付けてある条件が厳しく、今の私の英語力と成績ではかなりおぼつかない。

学校の成績なんて・・と思ってきたが、自分の成績が低くて自分の望むコースに入れないというのはなんとも、つらく落ち込んでしまう。
きっと、残りのテストとエッセイですべて、すごくいい成績をとれば無理な基準ではないのだが、今の私にはとてもそれを成し遂げられる自信がない。

どうしたらいいんだろう?

そんなことを言っている間にも勉強したほうがいいのはわかってる。

私たちは本当に数値に置き換えた価値基準の中で生きている。
学校では点数が数点も上下するだけで、大騒ぎし、会社では給料やボーナス、今月の業績を気にし、様々なことが数値に置き換えて測られている。

私がどんなに試験に出ないアートの本を読んでいたって、アートヒストリーの授業でいい点はとれない。試験という局面ではその人がいかに、普段から努力してその分野の知識をつけているか?というより、その時間内で満足いく答えを提出することが求められる。

試験に落ちて自殺するなんてばかげている。。。と思ういっぽう、試験を前にして
きわめてナーバスになってしまう自分がいる。

「大切なことは目に見えない」と星の王子様は言う。
数字で人を測るのは悲しい、ばかげていると思う。

でも、私の成績が悪くて希望するコースに入れなかったら、それはどうしようもなく私自身の責任だ。そして、今私の生きている環境では大学の成績は未来を左右する大事な指標になっている。

いやだと思いつつも、こういう近代的な社会で生きて勉強することを選択している私は、その価値観から逃れることが難しい・・・・実際は今すぐにでも逃げ出したいくらいなのに。この重圧から、すべてが数値化されてしまう世界から

ふうちゃんに会いたい、彼女だけはいつも私を社会の価値観から切り離して、私そのものを感じてくれる。そして、彼女のぬくもりを感じながら今はただただ眠りたい。
(追記:ふうちゃんというのは、私の実家で飼っている雌猫のことです。10年前に私が井の頭公園で拾いました。私のふうこというHNはもちろん彼女から拝借)

受験生のみなさん、がんばってくださいね! 大学受験の時にあんまり頑張らなかった私は、今ごろイギリスで試験のプレッシャーに悩んでおります。。。



2002年04月19日(金) アリヴェデルチ ベニス

朝はゆっくり9時近くに起きた。Mはもうとっくに起きて朝ごはんを済ませていた。
私は起きて、シャワーを浴びて、朝食を終えるとサン・ジョルジョ・マッジョーレへ。
先日、団体で来た時に見逃した、カルパッチョの絵が気になっていたにで、それを観るのと鐘楼に登りたかったのだ。カルパッチョの絵はどこにあるのかわからなかったので、係員に聞くと、個人的にその絵の飾っている部屋まで連れて行ってくれた。
部屋の中には私1人で、絵と静かに向かいあう。この絵も竜を退治するサン・ジョルジョを描いたもの。同じ画題でもスコーラにあったのと構図などがかなり違う。私が見ている間にフランス人のおじさんが1人入ってきて、私にスコーラのカルッパチョは観たかと聞いて来たので、昨日行きました、比べると面白いですね。と答えると、「私はあっちの方が好みだなあ」と言ってさっさと出て行った。
その後、鐘楼に登ると天気が良いせいか日本人のカップルが何組もいた。新婚旅行かな?などと思いつつ、日本にいる彼のことを思ってちょっと淋しくなった。
天気がとても良いので鐘楼の上はとても気持ちよく、眺めも素晴らしいものだった。
ああ、この美しい島々から成り立つ国を後にするんだと思うと少し淋しいと同時に、遠く離れた東の果ての日本からこんな場所に来て17日間も過ごした自分を不思議に思った。

鐘楼を降りると教会を出て、ベニス本島に渡り、サン・ザッカ―リアの前からサン・マルコ広場を横切り、そこからトラゲッタという渡し舟でサルーテ教会の近くへ渡った。途中、友達へのみやげ物を少し買ったり、ブラブラ太陽と海のまぶしさを楽しみながら歩く。
サルーテの方から、ペギー・グッゲンハイムのミュージアムショップにより、ここオリジナルのペンをまたお土産用に追加で買う。書き味を試したり、色を選んでいる間、店員と話が弾む。「そのペンはいいわよ、ベニスならではのゴンドラとペギーグッゲンハイム美術館の建物が両方モチーフになってるし、しかもペギーの笑顔までついてるんだから」
そして、水上バスの乗り場へ行き、ジュデッカ島のアパートへ。
ルームメイトのMはまだ戻っておらず、1人で台所やトイレ、片付け、ゴミの始末などをする。1時過ぎにMが戻ってきて、家具の位置を元にもどして出発。

空港からHさんと日本にいる彼に電話。Hさんは留守でご主人にお礼を言う、彼のほうはミラノの事件で少し私のことを心配していたところだと言っていた。

バイバイベニス。と眠っている間にアムステルダムのスキポール空港へ。
空港からタクシーに乗って、夜10時ころに大学の寮に帰宅。ほっとしたところでメールをチェックするとこの大学にいる一番仲の良い友達の誕生日パーティーが夜の12時から開かれるというので来るようにというメールが。というわけで休む間もなくベニスで買った誕生日プレゼントとカードを持って、彼女の部屋へ。12時前につくともう10人近くの人が集まっていてみんなで12時になるのをカウントダウンして彼女の誕生日を祝う。そして、イタリア人の友達の作ったティラミスを皆で食べる。

みんなで一時半くらいまで彼女にプレゼントをあげたり、カードを紹介したり、おしゃべりしたり。2時近くに友達に送ってもらって部屋に戻り、爆睡。



2002年04月18日(木) ユダヤ人の歴史とイタリア人よりイタリア料理のうまい日本人

フィールドワークも授業がある日は今日で終わり。長かったような短かったような。。。しかし、なんだか疲れが溜まっていて、団体行動をするのは二週間が限度かも?と思う。

今朝はベニスに新ゲットーにあるユダヤ美術館(Jewish Museum)へ。ちょっと遅刻した私たちは走りに走って、汗をかきかきゲットーの広場に到着。今日も良い天気で暖かい。
ユダヤ美術館はとても小さく、観るものは私にははじめてのものばかりで、正直よく理解できなかったけれど、係員による英語のガイドツアーがとてもわかりやすく、興味をそそられた。Synagoguesと呼ばれる、ユダヤの教会がビルのなかにいくつもあって、ユダヤ人の信仰の厚さと、彼らの迫害されつづけた歴史を感じた。
ベニスは中世ヨーロッパで信教の自由を認める数少ない場所だったが、ユダヤ人はゲットーに住むことを強制され、夜間はゲットーの門は閉ざされ、外部に出ることを禁止されていた。その限られた居住区の中に彼らはビル中ににSynagogues(シナゴーグ)を作り、彼らの信仰生活とコミュニティー築き、守ってきたのだ。
第二次世界大戦の時には、ナチスにより200人以上のユダヤ人がベニスのゲットーから連れさられ、戻って来たのはたった4人しかいなかったという。新ゲットーの広場の壁には、その二度とベニスの地を踏むことの出来なかった犠牲者の名前が刻まれた記念碑が建っていた。
お昼は天気が良いし、最終日でもあるので、ここは観光客っぽくサン・マルコ広場のカフェ・フローリアンで過ごすことにする。このカフェはカサノバも、バイロンも、プルーストもここでコーヒーを楽しんだというベニスで一番老舗。カフェでのクラシックの生演奏を聞きながらゆったり、のんびり。
午後は、イコン美術館へ。ここで、ビザンチン美術のイコンをいっぱい見る。イコンはコピーして同じものを作ろうとするのでマリアのおんなじ顔がいっぱいあってなんだかおかしかった。
午後3時、今度はスコーラ・サン・ジョルジョへ行き、カルパッチョの聖人の生涯のシリーズを見る。私はドラゴン退治をする聖人、サン・ジョルジョの絵がお気に入り。姫を助けるためにドラゴンを殺すというのも、中世騎士物語りのようで見ていて楽しい。
しかし、実際はドラゴンは異郷の象徴で、姫はその町の象徴だというので、異教を信じる町をキリスト教が武力によって支配し、キリスト教に改宗させたというキリスト教の勝利を勝利を象徴的に描いた話だという。
とにかく、カルパッチョはお気に入りの画家なので、ここは面白かった。
ここを見終わってまとめの話を先生から聞くともう5時過ぎ。
最終日だということもあって、みんなでバーに行くことに。先生を囲んで話をする、イギリス人のクラスメイトからは日本のことを聞かれたりしてとても楽しかった。ビアズリ―が好きだというクラスメイトが、ビアズリーにおけるジャポニスムの影響を語ってくれたり、雑誌で見たけど日本のスクールガールはすごく不思議なファッションをしてるねと言われたり。
男のクラスメートがワインをおごってくれて、二杯も飲んだら、疲れと空腹のせいかかなり酔っ払ってしまった。6時半過ぎに解散し、Hさんに電話。今から行くと連絡をする。
7時過ぎにHさんの住むリド島に着き、手土産に閉店間際のジェラートショップに立ち寄り、ジェラート二種4人分を詰めてもらう。溶けないようにと早歩きで彼女の家に向かい呼び鈴を押すと、窓から顔を出して迎えてくれた。ひとまずジェラートを冷凍庫にしまうと、彼女と散歩がてら彼女のイタリア人のご主人を近所のバーまで迎えに行く。
ご主人はジェラートが大好物で、私がジェラートをお土産に持ってきたことを彼女がイタリア語で話すと、「それはでかした」と言っていた。
もどって三人で食事、今日は来ることがわかっていたのでフルコース用意したのよという。ああ、彼女の料理は素晴らしかった。まず、前菜に茹でたカリフラワーにナスとピーマンの塩漬けを合えたもの。からすみのスライスとにんにくのパスタ。次にルッコラとトマトのサラダ。そして白身魚にトマト、パセリ、セロリのソースのかかったものをポテトで囲んでおーぶんで焼いたメイン。そしてデザートは焼き洋ナシと私のお土産のジェラート。美味しいので、これ以上は食べられないというところまで食べてしまった。シンプルだけど、塩かげん・茹で加減、バランスがとても良い料理ばかり。正直言って、Hさん連れて行ってくれたレストランよりも美味しいと言うと、「イタリア料理はシンプルだからちゃんと作れば、家庭料理の方が美味しいのは当たり前」と言っていた。

この夕方、ミラノにて小型飛行機がビルに突っ込んだ事件が起こり、三人でテレビに釘付け。第二のNYかとイタリアのマスコミも最初は驚愕していたようだった。

夕食のあとは、リビングに移ってコーヒーを飲みながら女同士で日本語のおしゃべり。話題はHさんのパソコンの話、私のプレゼンの話、キリスト教についての話。人生についての話。外国に住むということなど。あっという間に時間は経ち、11時半となったのでHさんが水上バスに時刻表をチェックしてくれたところ、なんと11時40分のリド島発が終バスということに気づき、慌しく別れのハグをして彼女の家を後にする。

アパートに戻ると、Mもさっき帰ってきたばかりでシャワーを浴びている最中だった。ベッドに入ってから夜中の3時までかかって塩野七生の「海の都の物語下巻」を読み終え満足して眠りにつく。



2002年04月17日(水) ラブラブ・カップルin ベニス

今日は、サン・ジョルジョ・マッジョーレで10時集合だったので朝はこれまでで一番ゆっくりできた。この教会はその小さな島に独立してあり、しかも、私たちのアパートから水上バスで三つ目だったので行くのも楽。ここはリアの解説。彼女は私たちのクラスでももっとも勉強熱心な学生。私は前回のプレゼンで少しこの教会について勉強していたので普段よりは彼女のプレゼンに対しては理解度が上だったと思う。
私は基本的にこの教会が好きだ。ファサードも内壁も同じパターンの白亜のイストニア石でできており、その後ろの外壁一般は赤く塗ってある。修道院も併設していて、教会の後ろには美しい回廊が二つあり、その周りを修道院の庭と畑(?)が取り囲んでいて、なんとも平和な美しい風景。ベネディクト派の修道教会だが、なんとも修道士の禁欲的な美しい生活が連想できるような島の風景だ。
午後はアブリルによるカ・ドーロとハリーによるグリマーニ邸のプレゼンテーション。
まず、カ・ドーロの運河をはさんで向かい側に集合し、そのファサードを眺めながらアブリルの発表を聞く。天気が良く、みんなサングラスをして運河沿いに腰掛けながらのプレゼン。
ハリーのプレゼンもなかなか長くて内容があった。そんな一生懸命勉強しているように普段は見えない彼だけど、やることはやってるのね。という感じ。フィオナとハリーのカップルはベニスに来てからもうラブラブで、移動の時にハリーがお姫様だっこでフィオナを運ぶ始末。ベニスにはカップルが似合うので二人も盛り上がったみたい。フィオナは私にまで、「Harry is so sweet!」ってのろけてくるし・・・

夕方、Hさんに電話して、明日の晩の晩御飯にまたおよばれすることに。
今日は、真面目に帰って家でツナとズッキーニのパスタを作って食べた。



2002年04月16日(火) レオナルド再び

今日はサン・ジョパンニ・エパウロの前のコレオーニ将軍の騎馬像の前で集合。ジョパンニ・エ・パウロ教会については金髪のほうのケイト(このクラスには二人のケイトがいるので)が担当。最初照れていたがなかなかしっかりまとめていた・・・ようだった。というのも、とても静かな教会のなか説明の声も小さくならざるを得ず、よく聞こえなかった。隣にいた人ぐらいしかよく聞き取っていなかったのでは?と思うくらい。あと、やはりイギリス人の普通の若い女の子の話は聞き取りにくい、声が高くて細いうえ、早口。
これはつらかった。そして、あまりのわからなさにケイトが参考資料にしていた、この教会の内部で売っているこの教会についての解説書を購入。これで彼女が発表した4つの記念碑について読めば内容がわかるだろう。
そのご、午後にプレゼンを控えちょっとピリピリしたMと一緒にカフェで勉強。お昼は先日行った、リアルト橋の近くの天津という中華レストランへまた行きアジアの味を堪能。(ラーメンと餃子を食べた)そして、食後もうろうろせずまたMの発表するフラーリ教会の近くのカフェで勉強・・・していたのはMだけで私はこのとき眠たくてうとうとしていただけだった。3時から5時くらいまでじっくりフラーリのMと先生による解説が入り、終わるともうぐったり。しかし、風邪がだいぶ治ってきた私としては母に頼まれたお土産の買い物がしたくて、またリアルト橋のほうまで行った。いいものが見つかったが一つに絞るのに最後、色で悩んだので母に電話で聞いてみることにして、買わずに今日はアパートに帰る。

つかれてぐったりしてしまい、Mが作った晩ご飯に便乗させてもらう。なかなか美味しいパスタだった。
ふたりとも疲れきっていたのにもかかわらず、やっと両方のプレゼンが終わった開放感からくだらないイタリアのオーディション番組を夜中まで見続ける。Mはレオナルドというダンサー志望の十代の男の子に惚れこんで、「綺麗な顔だねー」とうっとりしていた。
しまいには、画家になって彼をモデルにしたい。。。写真よりもながく彼を見ていられるから・・・とかなり妄想が入っていたが。
しかし、Mのこれ以前の一番のお気に入りはベッリーニの受胎告知の天使ガブリエルの横顔か、フラーリ教会にあるティッツィアーノが描いたレオナルドという中世の貴族の少年だったので、それに比べればだいぶ生身の男性に近づいてきたので、まだ、良くなったのかもとも思う。
12時までその番組を見て、寝た。



2002年04月15日(月) 私のプレゼン―ミラクルその2

今日から、フィールドワークも第二週。
朝、昨日の疲れか眠くて仕方がないが、7時半過ぎに起きて、着替えて軽く朝ごはんをたべるとすぐに出発。集合場所のサルーテ教会には9時15分前に着いてしまった。
サルーテについては自分のプレゼンの準備とダブったため、予習していなかったせいで、マギーの説明もよく分からなかった。熱と眠気のせいで、いつもより集中力がないせいかもしれない。
サルーテの後は、アカデミア美術館へ。キリスト教絵画の図像解釈についてのマギーの質問にいくつか答えたら「あやこは図像解釈が得意ね」というようなことを言われて照れた。イギリス人のクラスメイトたちは、「へえー」という感じでちょっと恥ずかしかった。
しかし、アカデミアでの後半の話は、天上界の階級についての話などになりかなりついていけなかったので、先ほどの恥ずかしさどころか理解できなくて落ち込んでしまった。
そんなうちに、12時を過ぎ解散。午後は私がプレゼンをする某教会に3時集合となった。
Mといきつけのバールにてランチをし、その後インターネットカフェでメールをチェック。
そしてカフェで原稿を広げてプレゼンの準備。最後の10分で読んでいたところに使えそうな情報が見つかり、あわてて付け加える。プレゼンの会場に行く途中でランチタイムにワインを飲んで酔っ払ったらしいクラスメイトたちに出くわす。私がプレゼンをすると聞くと、「それは楽しみ・・・うふふ」という感じ。マギーは「Disgusting people」
とランチタイムのワインで酔っ払った生徒たちをしょうがない生徒たちね、という感じで苦笑していた。
みんなはランチタイムのアルコールのせいもあって、乗りのりの雰囲気。私のプレゼンもみんなの好奇心旺盛な視線の中で、(中には私の原稿を後ろから覗き込み私が言葉につまったり発音を間違えたりすると小声で教えてくれた人もいた)あっという間に終わった。
私は、ほっとしながらも、イギリス人の生徒たちのこの興味深々の雰囲気は、結局は私を馬鹿にしてるんだな、と感じて落ち込んでしまった。所詮、さるまわしの猿か。猿が上手に発表できたら、お上手とほめているようなものか。猿でなかったら子供お遊戯か・・・
まあ、発表が終わると落ち込むのは仕方がないことかも知れない。。。
まあ、1人でも質問をしてくれたのが救いかな、それに対してなんとなく答えられたし。
私の発表の教会を見学し終えると、その後サンタ・マリア・フォルモーザに見学に行った。
ここについてはよく覚えていない・・・

その後、食料が足りなくなっていたので、Mと一緒にスーパーで食料を買い込んでアパートに戻る。Mは疲れて仮眠。私はプレゼンが終わって多少ほっとしていたので、パスタを作ってMが起きたあと、一緒に食べた。食後、明日プレゼンのMは一時まで勉強。私はシャワーを浴びて、イタリア語版の「ジョー・ブラックによろしく」をTVで見て、12時くらいに眠った。


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