ふうこの英国留学日記-その後

2002年07月14日(日) 7ヶ月ぶりの日本

今日、無事に成田国際空港に到着。

8日間のロンドン・パリ旅行の後の帰国にて
充実しつつも疲労の色は隠せない。

30度の気温と蒸し暑さに圧倒されながらも、22キロを超えるスーツケースを
佐川急便に預けると、京成線で都内某所の実家に向かって小旅行。

結局、朝のうちに到着したものの、まっすぐ帰宅しても、家に着いたのは
1時過ぎ。到着早々、昼食に父と母とそうめんを食べる。

夕方荷物が届き、お土産やベニスやイギリスで撮った友人たちの
写真を母にみせ、近況報告。

TVでモーニング娘と某バンドによる「楽園ベイベー」のJ-popのビデオクリップを見てあまりの幼稚さに。。。!!! 彼らの歌詞には哲学も思考もまったく見られない。もう、考えることを放棄しているようにさえ見える。
日本は、子供文化の国だと思っていたけれど、この幼稚さがヒットチャートを
席巻していることに呆然。

パリを旅して、大人の女がここではなんて尊重されているのだろうと感じた。今年で29歳になろうとする私に、東京での居場所はあるのか?と疑問を感じる。
まあ、29歳にして、私の精神性が子供っぽいことは否めなく、自分も日本的幼児性を大いに保っているとわかっているのだが。。。。

うーん、日本の食べ物や美術や、技術やものづくりへの精神を私はこよなく愛するが。。。どこへ行こうとしているのか日本、この先が心配だ。。。自分がここに帰ってきて、居場所があるのかはもっと心配だけどねー





2002年07月03日(水) お餅を食べる

日本からお正月に運んできたお餅を友達と4人で食べた。
蓬もちだった、1人あたり2個食べてみんなお腹がいっぱいになったと言っていた。中国の旧正月パーティーのとき、中国のお餅を食べさせてもらったのだが、それはもう、お餅自体がとても甘くて、日本のものとはだいぶ違っていた。

今日、中国人と台湾人の友達は、私が焼いたもちを持ってくると、まず、これに味はあるのかと聞いてきて、私は味はない、と言うと、ふーんと変な顔をしていた。
日本ではこうやって食べるのだと言って、醤油をつけて、のりで巻いてお皿にのっけたら、美味しいと食べてくれたので、一安心したが、これはすぐにお腹がいっぱいになってしまうと言っていた。

ここを去るまであと二日、友達の1人に手紙をもらった、その内容はちょっと感動的なもので、言わなくても、彼女も私も同じように感じていたところがあったのだなと思って、嬉しかった。

環境の変化を前に、かなり淋しくなってきました今日この頃です。



2002年07月02日(火) テスト結果と寮の申し込み


今日こそは、秋から行くWarwick大学の寮の申込書を送らなければと思ったのが、よく読むと、申し込みと同時に数万円分、寮費を前払いしろと書いてある。
そこで、朝起きて、まずしたことが、Warwick大学の私の入るコースの秘書さんに、本当に私はWarwick大学へ入れるのかということを確認する旨のメールを送った。
私のもらった書類は条件なし、合格通知だと思っていたのだが、その前払いの寮費のところに「いかなる理由にせよ、返金はできません」とあったので、万が一のことがあっては大変、と思って、メールを朝一番で送って、
私のもらった通知は、unconditional (絶対的な)なのか?と聞いたら、昼には、その担当秘書から、あなたが受け取った通知は unconditional offer(条件なし合格)なので、心配いりません、9月に会えるのを楽しみにしています。
という、メールの返事が届いたので、ほっと胸をなでおろして、銀行に行って小切手を切り、寮の申し込み書類と一緒に大学へ送った。

そして、その昼に通知が来るまでの間に、自分の学部の秘書の成績の責任者のところへ行き、成績表をプリントアウトしてもらった。
ベニスのアートに関する、例の大変だった試験の成績は悪くなかったのだが、英語のコースのの試験の成績が悪すぎた。。。これは、どうしたものだろう。。。
あとは、趣味で取った中国語が全体の成績の平均値を下げていた。。。

ああ、やっぱり今年の夏は、Z会の参考書で、単語と文法の基礎をやらないとダメだ。うっ、また落ち込んできたよ。

英語の文法やライティングでこの本がおすすめ。。。というのがあったら教えてください。



2002年06月30日(日) ブラジルの優勝と個人の存在意義

ブラジルがワールドカップで優勝した。
ブラジルはやはり強く、ロナウドのゴールは美しく、決定的なものだった。
そこには、運が悪かったとか、惜しかったとか、もう少し・・・だったら、
と妄想を入れる余地は見られなかった。
ブラジルチームは最後まで勝つために必死だった。

私は後半戦を大学のカフェで1人で見ていたのだが、(偶然にも知り合いのインド人がブラジルのサポーターとして座っていたので、同席させてもらった)
自分が試合に興奮し、血沸き肉踊るのをひしひしと感じた。
私はサッカーのことは良くわからないが、ロナウドが二つ目のゴールを決めるまでは、一瞬の隙もないようなすごいテンションの試合だったと思う。

両国のキーパーの能力は凄まじく高く、他の国だったら決まっているであろう
数多くのシュートを押さえ、後半67分までは0−0のままだった。

最後、ロナウドが選手交代でフィールドの外に出て、監督やコーチと抱き合って
泣いているのが映った、感動的なシーンだった。それと同時にドイツはもうやる気を失くし、点をとりにいく気力も見られなかった。
負けるに違いないとわかっていても、最後の瞬間までゴールを目指してほしいと思うのは、私がおかしいのだろうか?
最後の10秒でゴールが決まることもある。勝ちが欲しいなら、最後まで諦めずに、闘うべきだと思う。
ドイツは素晴らしいチームだった、しかし、勝つことへの渇望と気迫と情熱はブラジルのほうが勝っていたと思う。

ハングリー精神ということを思い出させてくれた試合だった。
私もがんばろう。。。

もう一つ、ブラジルのプレーを見ていて、思ったのは、個人のプレーヤーの存在感だった。最近、あることによって、自分の存在意義について、考えるようになり、かなり落ち込んでいたのだが。。。

スポーツの世界ほど厳しい世界もないだろう、一つのファインプレー、一つのミスによって、社会的に抹殺されたり、英雄になったりもする。その代わり、とてもわかりやすい。。。勝利に貢献したプレーヤーは、周りからその存在を賞賛され、その人間の価値はとてつもなく高くなる。

しかし、社会的に賞賛されることもなく、日々をいきる私のような人間はどこに自分の存在価値を見出すことができるというのだろう、ボランティア活動をして、社会貢献? 仕事で周囲から認知されること? 家族や恋人に必要とされること?
社会に貢献もできず、これといって特別誰からも必要とされず、それどころか、周りの人間の助けによって支えによって、やっと生きている、そういう人間はどこに自分の存在意義をもてばいいのだろう?

就職雑誌を読んでいると、自分の市場価値とか、客観的評価とかそういうことばかりが目に飛び込んでくる。ある市場において価値がないと判断された人間はどうやって、自分のプライドを保てばいいのだろう? 人間の価値なんて、就職市場で測られる、そんな簡単なものじゃないと思いたい。
お金を稼ぐことのできる人間は価値が高くて、稼げない人間は価値が低いのだろうか? 経済活動に貢献できる人間は価値が高いというのだろうか? 

現実問題、現代の社会で生きていくには金銭が必要な場合がほとんどで、多くの場合金銭は労働に対する対価として支払われる。。。このシステムの中で、人間はその労働力で価値を判断される。。。または、持ちえる金銭の額によって。
それを、とても重苦しく感じながら、絶望的になりながら、私にはこのシステムに対するどのような反抗のすべもない。。。



2002年06月29日(土) Saturday Barbecue Party

今日は、アートヒストリーのスクールの友達パットの家に招かれて、バーベキューでした。
他の日本人のクラスメイトと三人で車で連れて行ってもらい、楽しく過ごしました。
特に、友達の友達が連れてきていたワイヤーヘアーフォックステリアのFoxyという犬ととても仲良くなりました。みんなで1時間くらい、友達の家の近くの林を散歩したのですが、その間ずっとFoxyの散歩係、(首に繋がるロープを持たせてもらって一緒に歩いた)をさせてもらってとても楽しかった。
泥に入って遊ばないよう、手綱を引き締めたり、車にひかれないよう、引っ張ったり、大きな犬とすれ違うたびに、彼女はびびって私の影に隠れて歩いたり、また大きな犬が何匹もいる家の前で吠えられると怖がって、走り出したので、一緒に走って逃げたり。
飼い主のソフィー(彼女は去年ベニスのゼミを取っていたので話がはずんだ)には、あなたはFoxyにとっても、私にとってもはじめての日本人の友達だわ。と言われ、とても嬉しかった。

あと、私はパットに、日本食を作るという約束をしていたのですが、果たせていなかったのでのり巻きを作って持っていきました。
自分で作っておきながら、お寿司用の甘い卵焼きと寿司飯の味に「ああ、日本の味」と懐かしく感じました。

食事のあとは、みんなでパット夫妻が先日行ったアフリカ旅行のビデオを鑑賞。
南アフリカのサバンナの動物たち、ダイナミックな山々や大きな滝。地元の部族のダンスや工芸品を作っている様子。。
こういうふうに、休みに夫婦で、アフリカ旅行してしまうということに、イギリスの豊かさを感じた。。。来年の夏休みは、カナダかニュージーランドに行こうかなどと話していた。
どうして、こうも、日本とお金の使い方が違うのだろう。。。。
パットの家には最新のオーディオセットも、新車もブランド品の服やかばんもみられない。自分の庭で野菜を育て、それで作るサラダやバーベキューで友達をもてなし、生活をとても楽しんでいるように見える。
普段は質素に暮らし、バカンスのためにお金を貯めて、夫婦で毎年旅行に行く。
パットの家に行く度に、ライフスタイルをいうことを考えさせられる。



2002年06月22日(土) 別れの季節


今日は、インド人のフラットメイトから習ったという本格的インドカレーを
日本人の友達が私のキッチンに作りに来てくれた。
結構、簡単なのに、お味は本格的。本当に、インド料理屋さんみたいだった。

しかし、私も彼女ももうすぐ、ここノリッジを離れて、今年の秋から他の大学に進学することが決まっているので、卒業できたのは嬉しいのだけれど、センチメンタルになっていて、ブルーなムード。

別に、お別れだねと言って、泣くわけでもないが、この大学で知り合った外国人の友達に会うことはもう、なかなかないであろうということがわかっていて、会うのが最後だからと言って、メールアドレスを交換したり、淋しくなるね、連絡してね。といわれるとジーンときてしまうシーンが増えてきた最近、楽しかったこの1年を振り返って、センチメンタルになってしまうのは避けられそうもない。

人生において、別れは避けられないものの一つだろう。
人との別れを自分の中でどのように消化していくか、そして、それを乗り越えて次に進むパワーにしていく、強さを持つことが必要なのだと思う。

どんなに楽しかった時も、二度とは戻ってこなくて、それを懐かしく思いならも、新しい一歩を踏み出していかなければいけない。時には、それを過酷に感じるけどね。






2002年06月21日(金) イングランド敗退&卒業記念飲み会

今日は、朝の7時からイングランド戦を見に出かけ、その後がっかりしながらも、旅行代理店に行き、チケットの確認をし、成績証明書の交付を頼みに、スクールに寄り、11時に友達とカフェで待ち合わせ、イングランド戦について1時間半語りあった後、ノリッジ土産のマスタードを買いに行き、その後ノリッジのフィギュアショップを三軒も回って、オタクなウィンドウショッピングをしたあと、ベジタリアンレストランでランチ(コリンはカソリックでベジタリアンなイギリス人)をして、またまた、今度は古レコード屋や、ブティックを冷やかし、夕方になるころに、知り合いがアルバイトしているというバーに行き、飲み始めた。

今日のショッピングは私の映画仲間であるコリンが相手だったのだが、二人で飲んでいると、酔っ払いがやってきて、君たちは愛し合っているのか? と聞くので、いえ、ただの友達です。と答えているのに、それになんだか満足行かなかったらしく、しつこく、本当は好きなんだろう。とか言ってきて、コリンも私も明らかにその酔っ払いをうざったく感じた。

さらに、酔っ払いに辟易して、一杯飲んだだけで、バーから引き上げると、バス停ではインド人の女性が、なぜか私たちに、イギリスのバスがなぜ、こんなに遅れるのかということを、えんえんと語ってきて、さらに私たちをぐったりさせた。

それにもめげず、また今度は大学のバーで他の友達と合流して、飲み続けることにした。というのも、私の卒業祝いという名目で、飲む約束を他の友達としていたので、そこにコリンが加わっただけなのだが。イギリス人にとっては、イングランドが負けてしまっては、もう飲むしかないだろう、という雰囲気がバーの中にただよっていたと思う。

結局、野外で、夜中の1時過ぎまで飲んで、もう、どうしようもなく疲れて家に帰って、爆睡。

ビールを一杯以上飲んだのは久しぶりで、ああ、酒を飲んだという感じがした夜だった。個人的な悩みを胸に抱えていたまま、飲み続けていたので、素直に楽しめなかった部分もあったが、後半はそれも多少忘れて楽しく飲めたので、一緒に飲んでくれた、コリンに感謝。持つべきものは友だと実感する夜でした。



2002年06月20日(木) 卒業者名発表


卒業者名発表は明日の金曜日のはずだったが、今日ふらりと学部のオフィスによってみたら、なんと張り出されていてびっくり。

無事に私の名前はListにありました。ホッ。どんなにこの日を待ち望んだことか。。これで安心して、修士コースに進めるよ。。というのも、この大学院のDipromaの資格をとることが、私が出願したコースの入学条件だったので、これをとらなとお先真っ暗になるところでした。

テストのできは万全とは遠かったけれど、無事に単位はすべて取れたということね。

あと、今日、アムステルダム行きのチケットを予約しました。この街、ノリッジからはアムステルダムには直行便がでていて、しかも、所要時間1時間で往復1万円台でいけるのだ。来週、6月25日から27日までの2泊3日、女友達と二人で旅する予定。というのも、6月末でビザが切れるので、その前に、一度海外にでてビザを取り直さないとやばいのです。
お目当てはフェルメールとゴッホ、オランダ国内のの美術館を4館回る予定。

旅行代理店でチケットとホテルをとった後は、街にでて、友達とお茶をしたあと、日本美術研究所の日本美術に関するセミナーを聞きに行った。19世紀の京都における美術書について、ということで、そこそこ面白かったけど。。。前回出席したときに聞いた、浮世絵に書かれた、文学や詩歌を読み取る、というセミナーに比べるとさほど面白くなかった。

セミナーのあとのパーティーで、この街のアート&デザイン学校の職員をやっているという、女性と話したフィレンツェのワックスミュージアムについての話のほうが面白かった。その美術館の作品についての画集を持っているというので見てみたいものだ。16世紀のイタリアで、蝋細工で人間の内臓や、器官を精巧につくっていたというのは、興味深い。彼女が言うには、グロテスクさはなく、とてもきれいなものだという。

あと、前回やろうとして告知するのを忘れてましたが、この日記のカウンターが2000人目になったときの読者に何かイギリスのものをプレゼントしようと思います。我こそは2000人目になったという人は、自己申告で私宛にメールください。



2002年06月09日(日) 日本代表の初勝利


今日、6月9日は日本のサッカー史に残る日となった。日本代表チームがWorld Cupという世界の晴れ舞台で初の勝利をおさめたのだ。

イギリス時間でロシア戦は昼の12時半からだったので、朝ごはんもそこそこ日本人の友人と待ち合わせて、街の大画面までこの対ロシア戦を観にいった。
出かける直前に村上龍氏のMMであるJMMから配信された文を読んでいて、とても共感を感じて出かけた。そのエッセイの中で、日本代表は日本国のなにかを象徴しているというようなことを言っていた。

正直、先日、韓国の試合を見て、同じアジアの共開催国として嬉しく思うと同時に、日本よりレベルが上だと感じ、危機感を覚え、なにか割り切れない焦りのような感情をもてあました。

今日の日本の試合には、私はかなり満足し、日本もサッカーの世界でここまできたのだという感慨をひとしお感じた。なぜ、人々がこんなにも自国の勝ち負けに一喜一憂するかというと、それぞれの代表が自分たちの象徴であると感じているからなのだろう。その国の代表チームはスポ−ツマナーから、人種のバラエティー、体格、言語など、多様性があり、そしてそれはどうしようもなく、時には政治よりも顕著にその国の国力を反映するのかもしれない。

それは、GDPや国債の格付けや失業率では量れない、その国の人々のバイタリティーというようなものを表しているような気がする。運に大きく左右されることの多いサッカーだが、それ以前に、そのチームのもつ戦略や積み上げてきた練習、試合経験など、普段からの実力養成の過程があってこそのラッキー・アンラッキーだろう。

日本の象徴である日本代表チームがワールドカップで勝つということは、日本人である私に、日本という国が世界の競合と同じ舞台で戦い、勝つ可能性を示唆し、それは日本人である私をどうしようもなく元気づける。
それは、日本がある意味成熟し、経済面で衰退しつつある今、その歴史の中で、経済面以外で国際競争力をつけてきたのではないか?というような可能性を提示しているからではないだろうか?

日本のサッカーファンにとっては、長い道のりだっただろう。でも、ワールドカップが本当に盛り上がるのはこれからなのだ。



2002年06月04日(火) British Trail and Warwick-イギリスの国鉄の問題点

先日、書いたとおり、女王陛下在位50周年記念の連休を利用して、この秋から進学するWarwick大学へ一泊で見学に行ってきました。

まず、休日なのでバスの本数が少ないということで、10時の電車に乗るためのに8時過ぎにロンドンに行くという友達とタクシーを相乗りして駅へ行きました。
そして、駅についてわかったことは、10時の電車がキャンセル!?で、11時の電車に乗るしかないということ。その時点で私は二時間半駅で待つことが決定。
1時間後、9時半過ぎに、一緒に10時の電車に乗るはずだった友人が駅に到着。
まだまだ時間があるので、駅から近くの川べりまで歩き、そのあたりのベンチで朝食がてら、おしゃべり、のんびり。

(つづく)


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