久しぶりに完全に1人の時間を持つ。 日本にいたときはなかなかじっくりと考える時間がなかったので いいことだと思う。 しかし、これからの新しい生活のことを考えるとなんだかブルーになる。 去年イギリスに来たときはあんなに希望に胸をふくらませていたのに。。。
日本に一ヶ月以上もいたせいだろうか? イギリスの新しい環境でやっていかなければならないことに緊張を感じる。 しかも、この先の慣れない分野の勉強とその先のキャリアのことまで 考えてしまうとそれだけで疲れてしまうようなところがある。
そして、何より私を精神的に落ち込ませているのは 親しい人間との別離だと思う。
新しい出会いがあれば、別れもあってそれは前にも書いたけど 本当に仕方のないこと。 しかし、親しい人間と別れること、自分の中の一部のようになっていた その人と完全に離れることは、自分が想像していた以上のダメージを 私にもたらしているようだ。
私ができることはとても限られていて、たとえばイギリスで勉強するという ことで私は他のことをする機会を失っている。何かを得ようとするためには、 何かを諦めなければならない。
人生は取り返しがつかないとわかっているから、私はいつも戸惑い迷う。 自分はどこへ向かって歩いているんだろう? どこへ辿りつくんだろう?
すべてが不透明で曖昧だ。何を信じればいいんだろう? たぶん自分を信じないとだめなんだと思うのだが 私は自分を信じられないから、こんなに不安にかられるのだ。
人間の自意識というのはなぜあるんだろう。 孤独や劣等感ばかりにさいなまれるとき自意識なんかなかったら どんなに楽だろうかと思う。
どんなに誰かを愛しても、孤独は深まるばかりに思う。
明日は笑えるようになるとといいな。
2002年08月23日(金) |
safely come back |
本日、無事イギリスの田舎町ノリッジへ戻ってきました。
帰るなり明日ノリッジを離れるという友達のお別れパーティーに 顔を出すことになり。。。しかし、11時前には眠いし、気分悪いしで 先に帰らせてもらった。。。
でも、なんだか戻ってきて誰とも会わないのも淋しかったので 戻ってくるなり、友人に何人か会えたのは嬉しかった。
しかし。。。月曜に引越しの予定なのだが、まだレンタカーの手配ができていない。。。ううう、どうするべきか?
しかも、運びきれない荷物を預かってもらおうと思っていた友達が 明日からニースに遊びに行くことになったといって、頼れなくなってしまった。
うーん、どうにかこうにかするしかないのだが、どの方法をとるかが問題だ。 こういうときは、どこまで友達に頼っていいものか、どこまでお金払って 会社とかのサービスに頼むべきか、そこが悩みどころ。。。 時間もなく、しかも4連休窓口がしまっているので、溢れた荷物を 自分で郵送することもできず。 まあ、金曜日の夜に戻ってきた私が考え甘すぎたとしかいえない。
ない頭つかって考えます。。。
8月11日から14日まで生まれて初めて、父の故郷秋田へ行ってきました。 久々の家族旅行、ふうちゃんの世話を母の友人にお願いして 家族四人で三泊四日の秋田の旅。 もう、父の両親はとうに亡くなっており、大曲にあった父の実家ももうすでにない。そんななか、父の従弟が住んでいるという、父の家の本家があった村に 行ってみることになった。
初日は武家屋敷と桜で有名だと言う、角館を散策。 武家屋敷の見事な黒塀に沿って歩き、武家屋敷の中を三軒ほど見学した後で 名物の工芸品樺細工の小箱を買ったりする。 晩は田沢湖のそばのホテル。お盆ということでめぼしい温泉は混雑していて この日の宿だけは私がネットで予約しました。リーズナブルな ホテルでも、家族揃っての旅行というのはにぎやかでなんだか楽しい。 田沢湖は水深日本一のカルデラ湖で本当に木々に囲まれた透明感のある水が美しい神秘的な湖でした。
二日目は父が子供時代をすごした大曲を父の幼馴染のトラさんに案内していただく。トラさんは父の母校である大曲高校の教員だった方で、そのつてで大曲高校の 中を見学。文武両道をめざす学校で、この十数年進学率があがる一方で 部活動でも優秀な成績をおさめているらしく、校内にはトロフィーや優勝旗が 数多く飾られていた。 お盆の真っ最中だというのに、図書館に勉強しにきたり部活の練習にきている生徒が大勢いて、見知らぬ私たち家族に、こんにちは!と元気に挨拶をしてくる。校則で禁止しているそうだが、茶髪やパーマヘアの生徒、ルーズソックスの 生徒は皆無、東京で茶髪の女子高生を見慣れている私には、なんとも新鮮に映る。
知らない人でも会ったら、気持ちよく挨拶をする。。。 そういう文化が生きているだな、と私自身もそういう行動に慣れていないことに 気づかされた。
大曲から秋田経由で電車で奥羽本線の森岳へ。二日目の夜は森岳温泉に泊まる。 三日目森岳から車で父の従弟の住む某村へ。親戚宅はお盆の真っ最中で、到着するなり仏壇におまいり。その後、近所にあるお墓におまいり。 家に戻ると、親戚のおばさんが用意してくれた、山菜尽くしの昼食に舌鼓を打った。
最後の夜は、電車で秋田まで戻り秋田温泉さとみに宿泊。ここはすばらしい宿で、ぜひ人にもすすめたい。 サービスがすばらしく。従業員の教育がすみずみまで行き届いているのを感じた。 温泉もとても清潔でひろびろとしていて、肌の上でとろっとすべるようなあたりのやわらかい良質泉。
東京で生まれ育っていると、まるで日本には東京しかないようなものの見方をして しまうことがある。私にとって、日本の地方を旅するということは、時に外国 を旅する以上の発見がある。自分の中に流れる秋田の血・・・それを実感することのできる旅だった。
あと、秋田はお米が美味しくて毎日ごはんおかわりしてたら太ってしまったよ。
今日は麻布十番の隠れ家的カフェで女友達と夕方の4時から夜の11時まで 三人で7時間存分に語り合った。 三人とも独身で、友人二人は東京で働きながら一人暮らしをしている。
この一年、仕事を辞めたり、恋人と別れたり、仕事でも人間関係でもまた新たな出会いがあったりと私たちの状況は変化してきた。いろいろあって、大変な年齢なのかもしれない。
私たちは、自分で何かを決断し、選択し、実行していくことを常に迫られているように感じるし、その一方、納得できる結果を得るためには自分で選び取っていったほうが、周囲の状況に単に流されるよりはいいと思って、あえて、自分で決断することをよしとしているところもあるように思う。
この年齢になると、自分の思うようにいかないこと、自分で思うようにできること、そういうことがだんだんわかってきていて、無駄に空回りすることが少なくなってきたように思う。その分、悲しいけど、あきらめを知り、妥協を知り、それでも自分にできるベストは尽くしたいよなあ、と思う。
私のためを思って、厳しいことを、本人も気がつかなかった本当のことを言ってくれる友人。私の傷口を理解しつつ、触れないようにそっと見守ってくれる友人。そういう友人たちほどありがたいものはない。
ありがとう。私は今も不安で、悩んでいるけれど、悩み続けている私を見放すこともなく、時間やエネルギーを使って相手をしてくれて、本当にありがとう。
と、彼らに言いたい。
今日は大学の先輩二人に会った。。。。と言っても、一人は私の元彼のFで もう一人はその親友のT。大学時代から、社会人になった最初の数年間。私たちはよく三人で飲みに行った。たまに、その親友が女の子を連れてきて、四人で飲むこともあったけど、三人で飲むことが圧倒的に多かったし、三人で飲むのが私はとても好きだった。
もう、10年近い付き合いになる私たち。私と彼が別れたあとも、一年に一度くらい こうして会っては飲んでいる。
二人とも今年30才を超えた。TV制作会社に勤めるTは今年の春昇進してディレクターになった。 「おめでとうございます。」というと、「まあな」。 付き合ってる彼女とそろそろ結婚をするかもという彼に、「結婚したら教えてくださいね。おめでとうぐらいは言いたいので。」と言うと、「そりゃ知らせるよ。」と。
別れ際、「まあ、適当にがんばれよ」とFが言い、 「まあ、(イギリスから)無事に帰って来いよ」とTに言われて、ジーンときた。
彼らは暖かくそして時に厳しい。。。きっと、いくつになっても、二人は私の先輩なんだと思う。と同時に、いつまでも彼らと友人でいられたらと切に願った。
今日から二泊三日。大阪の祖母の顔を見に行ってきます。 ぐふふ。食い倒れるかな・・・・
昨日の夜は下北沢で広島風お好み焼きを食べたがイマイチだった。 やっぱ、お好み焼きは大阪でっしゃろ。
というわけで、行ってきます。
本日は日曜日。 午後、両親と一緒に世田谷・上野毛にある五島美術館へ中国陶磁器展を見に行き、 夕方、高校時代からの友人とその彼氏(最近彼からプロポーズされたそうな)と 表参道で待ち合わせて、何軒かショップをのぞいた後に、青山の家具ショップが経営するカフェで晩御飯プラス飲み。
友人の彼はとてものんびりした人で、私とは初対面なのに、気取らずにおしゃべり。人見知りすると聞いていたけど、お酒がはいるとますます楽しい人で、 ああ、楽しくなってきた。家にいるみたい。。。 とそのカフェのリラックス系空間も手伝って三人でダラダラ飲みながら話しながらくつろいでいた。彼は友人がトイレに行っている間に、いい彼女だから嬉しい。 と私にぼそっと言っていて、それを聞いたら私まで嬉しくなった。 それに、アボガドの前菜が美味しかったー。
そのカフェで働いている女性もかわいらしくて、私が「で。。シマシマのね、シャツを・・・」と話していたところに追加のオーダーを取りに来て、「はい、シマシマ?・・・ですか(笑)」。
地図を見ないでもわかっている場所で、お店の人に言葉が通じて、10年来の友人と一緒に、隣の座席に置いたバッグのことを気にせずに深夜まで飲める。 母国語・なじみの場所・友人・安全性。 東京のこういうところは最高だね。 まあ、東京で暮らすことの大変さはもちろんあるけれど、やっぱり生まれ育った 都市というのはなんて居心地がいいのだろうと実感する。
今日で私は29歳になりました。
今までいろんな人に支えられ、助けられてどうにか30歳近くまで 生きてこれて、それは本当にラッキーなことだと思っています。。。 私とかかわった多くの人たちに、両親に、姉に心から感謝。
今日、夜、外出から帰ると両親がハッピーバースデイの歌を歌ってくれ 丸ごとのケーキには「誕生日おめでとう**」と私の名前が。。。 こんなの何年ぶりだろうと、すごく嬉しくて、うふふふふと笑っていたら、 母に変な笑い方と言われた。 しかも、そのケーキ自体もすごく美味しくて(オレンジとチョコレートのムース をスポンジではさんだもの)東京のケーキはやっぱり最高!!と思った。
私の精神状態や周囲の状況はいつも変化していて なんだか毎年脱皮を繰り返しているように感じている。
薄い膜がはがれてそこから抜け出していくように、この10年変わらないね。と 言われ続ける私も、少しずつ変化しているのだと思いたい。
我々はどこから来て、どこへ行くのか。。。
ゴーギャンの絵のタイトルにもなっているこのフレーズが頭に浮かんで ふっと考えさせられることがある。
私の大好きな漫画に吉田秋生の「河よりも長くゆるやかに」というのがある。 まるで河が上流から下流にしたがってゆるやかになっていくように、人は人生の中で、少しずつ汚れていきながら、いろんなものを許容して、流れて、生きていくのかな。
今日の誕生日は私にとって良き一日でした。
今日は雨の中、下北沢まで行って、髪を切って来ました。 半年ぶりに、背中の真ん中まで伸びた髪をばっさりと肩につくかつかないか、 くらいまで短く切った。 鏡の中には見慣れない自分、切ったあと会った人には大人っぽくなったと言われた。
7ヶ月ぶりに訪れた行きつけの美容院では、ここ3年くらい切ってもらっていた女性がちょうど、独立のため先月退社したということで、前回来たときに彼女のアシスタントをしていたIくんが私の担当をすることになった。 辞めてしまったAさんは20代の女性で初めて店長に抜擢された人物だったらしい。私は彼女が店長であったことすら知らないで通っていたし、そのIくんも、あんな店長らしくない店長は他にいませんね。と言っていた。 彼女の退職の日はスタッフほぼ全員70名が集まり、彼女は号泣していたそうだ。 彼女はとても気さくでサバサバした、明るい人柄で、申し合わせてもいないのに、退職パーティーに送られた花束はひまわりばかりだったそう。 周囲の人はみな、彼女のことをひまわりのような人だと印象をもっていたのだろう。
私は彼女のセンスや考え方がとても好きだったし、とても実力のある人だし 独立しても彼女ならやっていけると信じているが、東京の都心で店舗を構えて一人でやっていくのは並大抵のことではないと思う。彼女の独立が成功をすることを心から祈りたい。
日本に帰ってそうそう、もう数年出ていなかった喘息が起きかけた。 息も絶え絶え、友人の車で区役所に行き、保険証の更新を受け、 その足で近所の病院に行った。
薬を飲むと呼吸は楽になり、急に元気になったら眠気が襲ってきた。 家に帰って床に横になり、本を手にとる。すると眠気は醒め、しばし本を読んだ。
着いた早々から、須賀敦子全集を読み始めた。 須賀敦子の全集は去年、誕生日プレゼントに誰か買ってくれないかしら? と思っていたほど、私が欲しかったものであり。 今年の春に、母が買ったと聞いて、家に帰って読むのを楽しみにしていたものだ。
この一ヶ月くらい、自分の存在意義をどこに置けばいいのかとずっと悩んでいたこと、日本に帰って、日本はどうなってしまっているのだろう? と不安を感じたこと、そんな私の気持ちに対して、心に響く一節を彼女の文章にみたのでそれをここに紹介したい。
(中略)日本人は、自分たちの国が、世界のなかで確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、何を忘れてきたのだろう、なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答えは、たぶん、簡単にはみつからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答えをみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。 人が生きるのは、答えをみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどではけっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向に向けて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。
(須賀敦子全集第4巻 砂のように眠る−むかし「戦後」という時代があった 解説より)
私が、あいまいに考えていたこと、イメージ的には持っていたけれど、うまく言語化できなかったことがここに、シンプルな文章で、まさにそのとおり!という感じに書かれている。
答えは簡単には見つからない。悩んでもがいていくこと自体が人生の時なのだと思う。
|