ふうこの英国留学日記-その後

2002年10月20日(日) 本が読みたい(日本語の)


うーん。今、どこでもドアがあったら、日本の紀伊国屋に行って
思う存分本を手にとって、パラパラめくって何冊か買いたい。

今、興味があるのは、

・マルキシズム(についてのわかりやすそうなやつ)
・鶴見俊輔の対談集(「未来におきたいものは」)
・言語学者 チョムスキーの本の比較的わかりやすそうなやつ
・蝿の王 ゴールディング
・プルースト(「失われた時を求めて」)
・ガルシア・マルケス
・橋本治の新刊
・コーランについて

ここらへんの本を探して、手にとって、読みやすそうでかつ、今の
気分にあったものを買いたい。
私にとっては、装丁とか字の大きさ、字体、紙の質などで、買いたいか
どうか決まるのでネットで買うのはどーもしのびない。。。。

本当は英語で読めたらいいんだけど、英語は授業で扱う論文も
読み終わらないぐらいなので、とてもこれらを英語で読んでいる
時間はないと思われる。。。
日本語だと斜め読みでもかなりポイントはつかめるので。。。

こういうのを情報に飢えるというんだろうなあー。
心も身体も、たまには飢えるのもいいことだ!!




2002年10月19日(土) Different Perspective ヨルダン女性の怒り


今日は友達の誕生日パーティーに参加。
パーティー自体は料理も美味しく、とても良い雰囲気だったのですが
途中、ドイツ人の若い学生と、ヨルダンから来た30代半ばの女性が
宗教の話から、イスラエル問題を話し合い始めてしまって激しい議論になった。
見識の違いと彼の態度にヨルダンから来た女性は、彼に対して怒りを露にしていた。

彼は、自分からは口にはしなかったが、兵役の間に、二ヶ月間ヨルダンの
に滞在していたらしい。彼とその女性の持つの宗教認識から歴史認識はことごとく食い違っていた。

歴史の教科書的には彼の語る情報は正しいもののように聞こえた。
1948年のイスラエル建国は前年の国連の決議によって認められていたのだから、と彼は言う。僕は、イスラエルにいても人を殺したくないし、殺しあうのはばかげてる。と。

彼女は言い返す。ちゃんと歴史を勉強してよ、問題は1948年に始まったわけではない。そのもっと前から、イスラエルとユダヤ人の問題は始まっていた。
部分的にはあなたの言うことは正しい、けれど、実際にヨルダンに住んで、日々爆撃におびえるような生活をしていた私たちの生活がわかる? 私は、家族を殺されるくらいなら、自分の宗教を捨ててもいい。と彼女は言った。爆撃で多くの逃げ切れない子供や年寄りが死ぬのよ。難民キャンプの路上で生きる子供たちに罪はないわ。
あなたは、自分の子供が眼の前で、殺されかかっても、相手を殺さないっていえる?ドアを開け、突然兵士が入ってきて、自分が撃たれるという状況でも?

私はパレスチナ問題に関してはよくわからないし、難しい問題だと思うので、自分の立場や意見を述べることはできない。

しかし、話しながらも怒りに震える彼女の赤いマニキュアが塗られた指を見ていたら、強く心を揺さぶられた。彼女の真剣な話し振りに、銃声や爆撃の音が聞こえる気がした。

彼は、最後まで冷静に「僕のperspective(考え方、みかた)は正しい」と言って、気まずくなったパーティーを、雰囲気を壊してすまない。。。と言って席を立った。

彼女は、「彼は私をからかっていたのかしら?」と言っていた。彼に悪気はない。
彼は、ただまっすぐに正しい知識と、自分の経験を、考え方を語っただけだ。
私は、感情的になってしまった彼女が謝って、恥ずかしがっているのを見て、とても共感を感じた。彼女の意見は多少、偏っているかもしれない。でも、それは彼女が見てきた世界に基づいている。彼女は、多くの人が彼女のように考えないことも
わかっている。でも、現実としてヨルダンの人々の多くは、恐怖・喪失・怒り・失望をこの不毛な紛争の中で体験してきたのだ。

彼は、数ヶ月、イスラエル地区にドイツ兵として滞在していた。
しかし、その視点はその地域で生まれ生きてきた人間と比べれば、表層的であることを認識してもいいのではと思った。
彼は、その滞在経験から多くのことを学びショックも受けたことだろう。
しかし、その後彼はドイツに帰ることができる。彼女にとってはイスラエルが故郷なのだ。帰る場所は他にはない。外部から干渉する者と当事者である者ではどれだけこの地域の問題の深刻さが違うことだろう。彼はそれを踏まえて、彼女の語る言葉に耳を傾けるべきだと思った。たとえ、多少それが歪んでいても、本に載っている歴史と異なっていても。

彼の退場の後、同席していたドイツ人の女性が、「性善説を信じたい」と言った。ヨルダンの彼女は「性善説ね。。。」とぽつり。





2002年10月16日(水) 自分の中にある辞書


今日、この街の最高気温は9℃。それなのに、私の部屋のヒーターは壊れたまま。
この二週間、ヒーターのことで苦情を言うのにどれだけのエネルギーを
費やしたことが。。。これは私がブルーな気持ちから抜けられない大きな原因の一つ。

今日、アコモデーションサービス(寮の管理人)のところに直談判しに行った。
前に、もう苦情は言ってあるので、私のデータは彼女のパソコンに。
しかし、修理の人は来ていない。彼女が言うには、あさってまでに来なければ
おかしいので、また来て頂戴。寒いなら、毛布を貸しますよ。とのこと。
部屋にいる間ずっと毛布に包まってるわけにもいくまいに。。。

しかも、寒さに痺れをきらして通信販売で注文したヒーターが昨日届いて
いるはずなのに、ポストルームに取りに行ったら、ヒーターなんか届いて
いないという。でも、寮の部屋に戻ると、荷物が届いているのでポストルーム
に取りに来るようにという手紙が入っている。もう、どうにかしてよ!!

しかも、極めつけは、私のイギリスの銀行からの重要書類が日本へ送られた
ていたこと。母から届いた小包に、その書類が入っていたときは、
もう、びっくりだよ。私はもう、一ヶ月も前に、住所変更届だしてるんですけど?

私は思う。イギリスのサービスは表面的には対応はいいが、実質ひどいものである。日本はやっぱり、サービスの行き届いた国だと思わざるをえない。
友達の友達は寒さ厳しい2月に、一ヶ月セントラルヒーティングが壊れて震えながら暮らしていたという。2月に暖房なしなんて、死活問題だと思うけれど、
修理されるまで一ヶ月とか平気で待たされるのがイギリスの感覚。

なんて話が愚痴になってしまったけれど、今日の本題は個人の語彙について。。。
これは授業のために読んだ論文が面白かったので。。。ちょっとここでも
触れてみようと思った。

イギリスの80年代の調査によると、5歳前後の子供の平均的語彙数は5000word、大学生になると平均的に50000word前後らしい。(私はイギリス人の平均的大学生の語彙がこんなに豊富だというのは疑わしいと思う)
成人するまでに、子供の持つ語彙は10倍に増える。一日に10個くらいの新しい言葉を知るという計算になるらしい。もちろん、その伸びからには特徴があって、13歳くらいのときに、少年の持つ語彙数は飛躍することが多い。
しかし、同じ言葉を知っていても、その意味の取り方はその個人が属する文化的背景に大きく影響される。
例えば、乗り物。。。と言ったとき、スイス人はスキーを含むという。しかし、イギリス人は乗り物といえば、車輪がついたものを普通思い浮かべる。
鳥。。。といえば、あなたはどんな鳥を思い浮かべるだろう。ヨーロッパではコマドリ(Robin)を一般的だとする人が多い。しかし、日本ではどうだろう。私はスズメ(sparrow)あたりではないかと思う。

このように、個人はその社会背景に基づく、自分の頭の中にしかない辞書を使って、言葉を日々操っており、それは、違う言語ではもちろん、同じ言語同士でも
どこまでが共通認識かということを判断するのはとても難しい。

人はは、常に個人中にある辞書を使って、コミュニケートしている、その時、自分自身がどんな語彙を持っているのか、そして持つべきなのか。。。。それは個人が物事を理解するときに、そして、何かを表現しようとするときに、根強く関わってくる。

個人のの持つ語彙はその人自身の歴史、能力、思考、嗜好、そして生き方自体の反映だと思う。




2002年10月15日(火) Rain Rain Rain

Since monday morning, it has been raining.
During the all day, the thick gray clouds covered sky.
We never see sunshine for these days.

I am recovering from the flu that I caught in the weekend.
I was happy on Sunday, because one of my friends call me to worry
about my health.

Monday to Friday, I should study very hard....I spend all my time in only library, classroom, my room and fooddtore. It is very boring, but I had much matariald to read.

Ok, I tried to find good aspects of my life in here.
Recently I got new friend. His name is Andrew and he is an American guy. He is a Ph.D students of Sociology. He is a Marxist.
I never have a American guy as my close friend.
I don't know we can be close frind or not.
Anyway, we met often accidentally, and he ask me go to movie together in this weekend.I hesitate to go movie only with him...
It sounds little bit uncomfortable...
I never date with foreigner. In Nowich, I sometime went out with Corin but, we are obviously just friend and I never hesitate to stay
with him even in his room only us.
Except Corin, I notice I am a kind of Male phobia about non-asian men.
I don't feel phobia against most men coming from east-asia.
It sounds I have a kind of biased view.
I know I should not have a preconceived idea for foreigners.
But, I could not overcome, and I think it is my natural sense.
It is ok to accept my feeling.

Actually, I am very tired listening to his speaking.
I know my English ability is still poor, but we are talking
about literature and movies, therefore the dialogue between us
sounds interesting me.
But, now I really miss Corin!! Now I notice how patient he is!
He was always patient about my poor English, and he is a only person
I don't feel tired to talk among the native speaker.

Andrew invites me to join the small group to see Independet films which come around this city. I think it is a good chance to know the people who love movie.

I hope me and Andrew can be friend like a Corin and me.

uh...mm, today I am not in the good mood.
Why? Because of the terrible weather?



2002年10月13日(日) ホメロスのオデュッセイア


ホメロスの「オデュッセイア」の映画をTVで見た。
1997年制作、コッポラ製作総指揮、アンドレイ・コンチャロフスキー監督という一大アドベンチャー。日本では劇場未公開。

すごい制作予算がかかっただろうなあという豪華な冒険映画映画だった。ホメロスの「オデュッセイア」は文系の勉強をしていると避けて通れない古典中の古典といえる文学作品。
昔で言うと、超娯楽大長編。という感じだったらしいが。。
私は読んだことも無く、例に出されるたびに、イメージがつかめなくて困っていたが、今日は、これがどういう話なのかということがわかる良い機会だった。

要するに、ギリシャ、トロイヤ戦争の時、トロイの木馬の作戦で大勝利をおさめたギリシャの英雄、オデッセイが奢りたかぶり、神々への感謝を忘れ、冒涜の言葉を吐き、その結果、神々によって様々な苦難に会い、20年もの漂流の果、神々も彼を許し、やっと故郷へ帰れるという話。
長い話の中の一つ一つのエピソードが様々な教訓に満ちている。。。。

物語というのは、本来、神話的、寓話的なものなのだと思う。古典文学の多くはそういう要素が強いと思う。そのメッセージは本質的、普遍的なので、いつの時代にも意味を持ち続け、現代にいたるまで読みつがれてきた。

うーん、ギリシャ・ローマの古典が文化の源という考えは欧米社会には
今どれだけ根強くのこっているのだろう。。。。



2002年10月12日(土) flexibility and effort

私のフラットにペルー人のダニエルがいて、(あのシンガポー
ルダニエルの隣)、経済学をディプロマからやっている。
ペルーの政府関係の組織で働いていたらしく、日本のJICAに
3ヶ月視察に来ていたそうです。私に会うと、
「ふうこさん、こんにちは」と日本語で言う。
「盛岡はいい街でした。九州も良かった」などと私の行ったこ
とのない、場所のことを良く話すので、なんとコメントして
いいのやら、自分がいかに日本の地方をを知らないかということを実感する。

そのダニエルと今日、キッチンで真面目な話をしました。
(風邪ひきで、咳ゴホゴホの私は、外に出ることもままならず、塩水と
オレンジジュースとブロッコリーで生き延びている。キッチンでTVを見るか、
部屋で本を読むしかやれることがない。)

話題は翻訳学から社会慣習の違い、経済問題に移り、彼は
「日本経済はliquidity trapにはまっている」とマクロ経済では習っ
た。と言っていました。その後、山形浩夫のサイトでクルーグ
マンのJapan'S trapの論文を読んだ。難しい。。。でも基本
的な考え方はわかったような気がした。

将来的にインフレ期待がない、給与の上昇も見込めない国では、物価の変動も
少なく、人はお金を使おうとしないから、景気は良くならない。
。日本は少子高齢化で、将来の労働生産力は上がる見込みはない、そして
需要も下がっていく。あと、この流動性資金が動かないという罠の中では、
一般的に金融政策は上手く働かないというのがポイント。

しかし、将来的に、マーケットも労働生産力もあがる見込みがない国で、
景気をよくしようというのは無理な気がする。

日本という市場が小さくなる一方、海外市場も日本にとっては厳しいものになっている。アジアの国々は、技術力を身につけ、かつては日本で作られていた精密機械
は日本人のエンジニアの手によって、設計されながら、多くはアジアの工場で作られている。いわゆる産業の空洞化だ。そして、今や、アジアの国々は日本から学び、自国で技術者や会社の運営を行なえるようになってきた。
他のアジア諸国と日本では、労働コストの賃金格差の前では、日本は圧倒的に不利だ。

私たちの世代は、今までの日本人のように、世界の経済大国ではない日本を
見ると思う。そんな中で、日本人としての誇りとしえ胸に持ち続けられるのは
なんだろう。ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏のニュースは多くの日本人を
励ましている気がする。ドイツの教授の研究だと認知度が高かった、その技術は原理は日本人技術者が以前に学会で発表していたものだった。

私は、ここイギリスにいて、多くのアジア系学生と一緒に学ぶ中、日本人の
利点というのはいろいろあると思った。多くの日本人学生に見受けられる、
自信がなげな謙虚な態度は、時に、貪欲に他から学ぼうという姿勢に繋がる。
自信満々なアジアのエリートは、人の意見に耳を傾け、吸収することが下手に見えることもある。
コミュニケーションが取りやすいこと、いいと思ったものには、抵抗無くどんどん
取り入れていくこと、こういった、日本人の柔軟性はとても優れた能力だと思う。

あとは、地道な努力を怠らないこと。。。(これが一番私にとって難しい)

ほとばしるような才気溢れた、アジアに俊才たちにないものを日本人の若者は個人の才覚として持てる可能性がある。それは、金メダルとかには換算されないかもしれないけれど、目に見えない利点こそ、大事なのかもしれない。



2002年10月11日(金) ドーバー横断断念


なんか寒気がする? と思ったら、いつのまにか風邪ひいてました。
喉の痛みとくしゃみ、鼻づまりがひどくって、頭がぼおっとする。

木曜の夜は、ドーバーに行きたい一心で、足湯して汗をかいたあとに
早めに寝たんだけど、金曜の朝起きてみたらぐったり。

授業に出て、クラスメートと資料をコピーしに行って、
もうお昼。なんだかぐったりしていたけれど、ロンドン行く準備しなくちゃ!!
と思って家に帰ったものの、身体の節々は痛いし、くしゃみと鼻詰まりは
止まらないし、熱っぽいし、というわけで、こんな状態で友達の車で
旅行するのは無理、と判断を下し、ロンドン行き中止を決め
友人のKazukoに電話をかけた。

残念だけど仕方ないねー。。。
12月に日本で会えたら、会おうということに。。。

いつも、なんか楽しい計画があると具合悪くなるんだよねー、私。
今までは、たいてい無理して行って見れば、大丈夫だったんだけど、
先日の捻挫のこともあり、イギリスでは医療を信じられないので
安全策を取ることに決めました。

やっぱり、海外で旅行するというのはかなりストレスがかかる(田舎だったら
いいけど、ロンドンやパリは特にね)ので体調はよくないと大変だと思う。
日本で行く、温泉旅行のようにのんびりーとはなかなか。

というわけで、週末は大人しく、読書。。。ネットサーフィンしてます。
気分が落ち込んでいる中で、授業が忙しくなって、睡眠不足になったら
てきめん風邪ひくなんてなんてなんて、わかりやすい私。
前向きにならねば。。。



2002年10月09日(水) ドーバー海峡


先日、着信があったロンドンの友人に電話をかけてみたら
来週、日本に帰国するとのこと。
彼女はロンドン大学で、翻訳学の修士課程をこの9月で修了し、ロンドンで
就職活動をしていたが、日本に帰ることにしたという。

彼女は私よりと同じ年で東京に旦那さまを残しての留学。
こっちで職を探してると聞いたときには、旦那的にはOKなの?
と思ったが、とりあえずは帰って一緒に暮らすことにしたようだ。

ということで、帰国前に彼女に会いにロンドンへ行こうかと思ったら
この週末、共通の友人と一緒に、車でドーバー海峡を渡る小旅行を
するという。そして、もう1人は車に乗れるから、一緒に行こうという
彼女の誘いに乗ることにした私。

海がみたい。ここしばらく海を見ていない。
ドーバーの白くきりたった海岸線がキレイらしいよと彼女は言う。

最近、落ち込み気味だったので、気分転換に古い友達と小旅行するのも
いいかもしれない。先に日本へ帰ってしまう彼女ともしばらく
会えないしね。

でも、勉強のほうもようやく忙しくなってきて、こんな中で小旅行している
場合か・・・・と思うんだけど、たぶん、今は気分を変えることのほうが
重要なことのように感じる。




2002年10月08日(火) Talk to Her

This is the title of the cinema directerd by Pedoro Almodovar.

I like his movie very much.
After I watched this film, I felt difficulty to comment on it.
It is very hard to find the words about my feelings about this movie.
I got something disagreeable about the plot, but still the movie is enough beautiful and sad, and it moved me.

I think this film is like an abstract painting…the theme is love, loneliness, friendship and life. To illustrate these themes, Almodovar inserted a comtenporary dance and the Spanish music in this film. Furtheremore, the color of his film is also very beautiful in this movie. There are plenty of aesthetic senses on the screen.

I would not like to tell the detail of the story here, but I would like to introduce some word from the film…(I am sorry it is nor sure… because it is Spanish movie and I only have English script…)

“I decided to leave here, because I do not want to live the world without her…”

“ I wish I can be hug you…”

“What is your mental problem? “
“……Loneliness…”

I think Almodovar is one of the best director who can touch our heart deeply through the film, and “All about my mother" seems to be too much dramatic events in it, but this movie is not so busy story like that.
After watching this movie, it might penetrate into people’s heart gradually without their awareness.



2002年10月06日(日) Birthday Party of my friends


本日は女友達Sの誕生日でした。彼女はたった一ヶ月間だけだったけど、私の隣の隣の部屋に住んでいて、そのころ、とてもとてもお世話になった。
私が足を怪我したとき、スーパーを探し回って、緊急用のテーピングを買ってきてくれたり、買い物に一緒に行ってくれて、重いものを運んでくれたり、邦楽のCDを部屋に持ってきてくれたり、怪我して周りの人にお世話になってばかりだったその時の私は、彼女の気さくさと笑顔に本当に助けれらた。

彼女は元TV業界で働いていた30代の女性で、今はMBAをやってる。
20代の時は、青年海外協力隊でアフリカに2年間いたという強者だ。
MBAは結構、気取った人が多いんだけど、彼女は全くそれとは逆のタイプで
どんな人にも好かれるようなタイプ。
今日のパーティーも国籍豊かに30人以上の人が来て、本当ににぎやかだった。
でも、そんな大勢の人に囲まれながら、彼女はみんなに気を使っていた。
彼女の希望のプレゼントは、料理持ってきて−ということだったので、朝から
のり巻きを作り持っていった、あとプレゼントはダマールみたいな私とお揃いの
防寒下着。

ランチタイムパーティーの後、彼女が。。。えっ、帰るの。。。いなよ〜。
というまま、ずっと片付けたり、彼女のパソコンいじったりしてたら
結局夜になって、パーティーの残り物で晩御飯を食べて、8時過ぎまで
いろいろ話していた。

MBAはかなり忙しいみたいで、遠慮してこの二週間、彼女と一度も話をしていなかった私は、彼女と話ができただけでも嬉しかった。
話してみたら、彼女もいろいろ大変で、私たち、前の寮の友達と
話したかったみたいで、ほっとした。

知り合ってまだ、たった一ヶ月ちょっとしか経っていないけれど、9月の一ヶ月を一緒に過ごした寮の友達は、新しいクラスにまだ馴染めない私たちにとって、
古い気のおけない友達のような存在になっている。
今日、中国人のLが「君たちと知り合えただけでも、英語コースに参加した価値はあった」と言っていたのがとても嬉しかった。


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