今、イギリスのニュースはイラク情勢に関する情報(といっても主にアメリカの動向だが)で溢れています。。。
私はは、チョムスキーのMedia Controlという本を読んでいる途中で、いろいろ考えさせられることが。 今学期のレポートでは、ニュースを素材にして、マスメディアにおける翻訳が異文化コミュニケーションの媒体になっているということを書こうかと思っています。 アメリカのメディアがいかにアメリカが国外で行っている殺戮について 語らないか。。。いかにアメリカ人は知らされていないか。。。 情報操作と一言でいうと簡単だけれど、今のように、メディアが増えて情報が氾濫している中では、その実体は複雑に入り組んでいるようです。
日本の外務省の「国益のためにイラク攻撃への賛否は表明しない」は 情けないと思いました。国益って。。。アメリカが実際は一枚岩でないように、 日本も一枚岩ではない。国益が意味する利益ってなんなんだろう。 賛否は表明しないということは、日本としての意見を表明することができないほど 日本はアメリカに対して弱い立場にあるということを明らかにしているだけじゃないの。イギリスはアメリカと一緒になって戦争をしようとしている側だけれど、先の土曜日にロンドンでは大規模な反戦デモが行なわれた。 私は行かなかったけれど、私のいる大学からもバスが何台もチャーターされ、デモに参加する学生を運んでいた。私の友人の何人かも土曜の早朝に大学からバスに乗ってロンドンへ向かった。
私がこちらで友人になったアメリカ人は、アメリカのイラク攻撃に対して皆批判的なので、ブッシュに心から賛成している人は実際どこにいるんだろうと感じる。行くところに行けば、いっぱいいるのだろうが。
自分が国籍をもつ国が、自分の帰属する国が、自分個人の思想や意向とはまったく異なる方向にどんどん過激に進んでいくとき、個人はどう対処したらいいのだろう?それも異国にいたら、その国に属するものとして周囲からは見られ、居心地の悪さを感じながら、言い訳をしてもむなしく、葛藤を感じ続けるだろう。 国家の行為を個人の責任に置き換えることは難しい。 韓国人の友達が、ある日本人男性と知り合いになったとき、彼は彼女が韓国人だと知るや、謝罪を始めたそうだ。「日本人が韓国人に対して過去に行なってきたことに対して、いち日本人として心から謝罪したい」と頭を下げたという。 彼女は現代的な人なので、驚いて、なんかそこまでする彼に違和感を感じたと言っていた。 私は日本人である。けれど、日本政府の発表する意向は私のもとのは一致しない。 国民はそれぞれ、個人として意見や思想をもつ権利が許されている(はず)。 しかし、もし日本において多勢の個人が、「自分の利益のために、ことの賛否については表明しない」となってしまったらどうなるのだろう。 中国人の友人に言われた。 「中国では日本がいかに中国を残忍なやり方で侵略したかについて学校で習う。僕は、日本人の友達も多いし、日本のドラマやゲームも大好きだだ。なんで、こんなに穏やかで優しい国民性をもつ日本人が、戦争の時にあんなにも極端に過激になれたのか不思議に思う」
私もそう思う。大勢の外国人に、日本人は穏やかで優しく、礼儀正しく、思いやりがあるというようなことを言われる。でも、その一方、完ぺき主義で、容赦なく、 計算高く、規則に厳格なところもあると私は思う。 1人の人間の中に美徳と欠点が相反しながら共存するように、国家もひとつの人格のようなもので、短所と長所を矛盾しながら内包しているのではないか。そして、その欠点と美点はもっともっと複雑な形で影響しあい、お互いを変化させていく。
私は私という一つの意志を持った有機体で、自分が何をしているのかを自覚し、コントロールしようとすることができる(難しいこともあるが)。 国家が一つの有機体のようなものだとしたら、一体何が国家をうごかしているのだろう。ブッシュを動かしているものは何なんだろう? 利益? 誰のための? 彼のための? 次回の選挙で勝つため? 中東でのアメリカの権力と利益を守るため?
私にはわからない。でも、アメリカが戦争を起こすことで利益をえる人間がいることは確かだろう。誰かの利益のために、大勢の人間の人生が、幸福が、命が犠牲とされる。そうやって、歴史は繰り返されてきたんだろう。
私はとても欲張りな人間だと自分で思う。時にそれを疎ましく思う。 人間というものが欲張りである限り、戦争はなくならないのかもしれない。
2003年02月13日(木) |
かつて愛したあなた - ロシア詩人 プーシキンの詩より |
今日は特別ゲストの講義で、ロシアの詩人プーシキンの翻訳についての講義を聴いた。その講義のなかで、翻訳家でも、研究者でもある講師のアントニー・ウッドが 読んだ詩が気に入ったのでここに掲載する。日本語訳は私の訳。
プーシキンについて知りたい方は以下を参照してください。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/poet19/pushkin/pushkin.html
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I love you once
I loved you once. If love is fire, then embers smoulder in the ashes of this heart. Don't be afraid. Don't worry. Don't remember. I do not want you sad now we're apart.
I loved you without language, without hope, now mad with jealousy, now insecure. I loved you once so purely, so completely, I know who loves you next can't love you more.
かつて愛したあなた
私はかつてあなたを愛した 愛が炎だとしたら、そのおき火はこの心の灰の中でくすぶっている 恐れないで 心配しないで 憶えていようとしないで 今、私たちが別れようしているとき あなたに悲しんで欲しくない
言葉も、希望もなしに私はあなたを愛した 今は嫉妬で気が狂いそう とても不安 私はかつてあなたを本当に純粋に、完全に愛した 私にはわかる 次にあなたを愛する人も 私以上に愛することはできないと
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今はニュース言語の翻訳について勉強中なのだが、詩の翻訳の方がやっぱりロマンチックかつ、情緒的で魅力的。正直こっちに惹かれる。
といいつつ、今晩は明日のプレゼンに備えて、イラク関連のニュースの翻訳に取り組まねば。。。
私が子供だったころ、空は高く、海は青く、山は大きかった。
私が子供だったころ、川は澄み、森は深く、木々はそびえていた。
私が子供だったころ、私は自分は特別な存在だと思っていた。
私が子供だったころ、一日の終わりを世界の終わりのように感じた。
私が子供だったころ、21世紀は期待と不安を抱かせる未来だった。
いつからか、世界は美しいばかりでなく、私は平凡な人間で、 明日はまた同じような一日として、劇的に変化することは滅多になく、 何もなかったように続いていくのだと認識するようになり、 21世紀は現代の世紀になった。
どうして、何に対して私はこんなに苛立っているのか? この焦りはいったいなんなのか?
大事な人が体の具合が悪いということは私をとてもつらい気分にさせる。
私の愛する人々に愛と祝福を。。。そして健康を祈る
2003年02月03日(月) |
Red Dragon |
エッセイが終わったばかりということで、映画を観まくっています。
昨日はトマス・ハリス原作のレクター博士シリーズ第一作「Red Dragon」を やっと観てきました。 うーん、なで肩ナヨナヨ男のエドワード・ノートン大好き。頭もいいのに、情けない感じのFBI捜査官ぶりが、観客やレクターのS(サディズム)を刺激する。 一緒に行った友人は、犯人役のレイフ・ファインズの裸体にうっとりだったらしいが、確かに刺青をした身体は立派だったが、彼がかっこいいとかハンサムだとか全く気付かなかった私。でも、脇役もそれぞれいい味出してるし、面白い映画だったと思います。
それにしても、やっぱり、アンソニー・ホプキンスのレクター博士は最高。 ハンニバルよりも良かったんじゃないかと思うような出来。 目つきや口元だけで、人を喰いそうな色気と狂気を感じさせるのはすごい。 人間の魅力と善良さが比例しないということを彼は体現している。 食欲と性欲というのは切り離せないものなんだろう。
いい夢を見れているかい?と、ニヤリと笑うレクター博士の言葉が脳裏に残る。
「11'09"01 September 11」というタイトルの映画を観た。
これはSeptember 11にNYで起きたことに対して、 世界11カ国の名だたる映画監督11人が11分9秒という限られた時間の中で それぞれの見方でこの事件を描いたオムニバス映画である。 日本からは今村昌平、アメリカからはショーン・ペン、イギリスは からは、ケン・ローチが監督として参加している。 たった、11分とはいえ、とても中身の濃いものもあり、ショッキングなくらいの感動を受けた。この事件に関して、これだけいろいろな受け止めかたがあるということを肌で感じさせてくれるとても意味のある映画だと思った。 日本で公開されたら、見ることをオススメしたい。
2001年9月11日の事件があったころ、世界の各地ではどんなことが起きていたのだろうか?()内は監督の国
イラクの女教師は、アメリカの爆撃に備えてシェルター作りに借り出される子供たちを集めて、アメリカで何が起こったかを理解させようとし、子供たちに黙祷をさせようとした。(イラクの)
NYに在住する聾唖のフランス人女性は彼との愛の終わりに世界の終わりを予感していたが、彼は埃にまみれて命からがら彼女のところに帰ってくる。ニュースを聞いていない彼女は何が起きたかわかっていない。(フランス)
映画監督は、事件の翌日の記者会見で話すことを断わる。 そして、悩める彼は、アメリカとの紛争で死んだ若者が見えるようになり、彼との対話を通して何かを掴んでいく。(エジプト)
アメリカ在住のイスラム教徒の母親は事件後行方不明になった息子を心配する。彼が、周囲からロに加わっていたのではないかととの疑いをかけられる。息子は現場で救助のために死んだとわかり、容疑者から、一挙にヒーロー扱いをされる。(インド)
病気の母を抱えて、学校に行く余裕もなくなった少年は、ビン・ラディンらしき人物を見かけ、賞金を稼ぐために彼を捕まえようとするが。。。。(アフリカ)
1973年の9月11日、チリで何が起きていたか? アメリカは我々をテロリストを呼んだ。多くの仲間が虐殺され、拷問を受けた。ロンドン在住のチリ移民が9月11日にNYで起きた事件から、故国で起きたこと、死んだ自分の両親に思いをはせる。(イギリス)
飛行機の飛ぶ音。爆音。世界中の言葉で流れるそのニュース。ビルから降ってくる人々。無音の中で、崩れ落ちるビル。 Does God's light guide us, or blid us? 神の光は我々を導くのか、盲目にするのか?(メキシコ)
イスラエルの繁華街。爆音、血みどろになって倒れる女性。燃え上がる車。路上に置かれた鞄の中に残された時限爆弾を処理する男。現場に群がるカメラマン、TVレポーター。しかし、中継はされない。NYで大きな事件が起こったから。。。(イスラエル)
太った白人の老人の孤独な生活。部屋が暗いと、死んだ妻の洋服に向かって話し掛ける。ある朝、ビルが消えて、彼の暗かった部屋に光が差し込む。。。(アメリカ)
故郷を離れて暮らす少女と母、紛争で足を失った隣人の青年。少女は今日も不眠症で眠れずに、故郷に帰る日を待ちわびる。街にデモに出かけた彼女は、集会所のTVでNYのニュースを目にする。いてもいられなくなった彼女は、車椅子の彼とたった2人のデモ行進を始めるが。。。(ボスニア)
太平洋戦争当時、戦争から帰ってきたユウキチは口も聞けず、地べたをはいずる、蛇になってしまった。人間を止めた方がいいと思うようなことが戦地であったのだろうか?(日本)
私は特に、イラク、エジプト、インド、アフリカ、の監督の作品に心を強く揺さぶられた。中でも、ケン・ローチの11分は素晴らしかった。改めて、この監督の視点のするどさと力量に感心させられた。 それぞれの国で、それぞれの立場で、個人として、September 11をどう解釈するのか?その表現は、それぞれ違うし、立場のとり方も複雑だし、でも、とても私には教えられることが多かった。世界の多様性、多重構造を一本の映画でこれだけ、描けるというのはオムニバスならではだと思う。たった11分でも、力のある監督達はそれぞれの世界観をそこに浮き彫りにすることに成功している。ただ、日本人として、残念だったのが、今村昌平だけが、現在を描かなかったことだった。私は彼の監督作品も好きだし、期待していたのだが、September 11をテーマとして、現在を描いていなかったのは彼だけだった。
アメリカとこれだけ深いつながりを持つ日本として、September 11を現代日本としてはどう捉えているのかを描いて欲しかった。太平洋戦争の時の復員軍人を描くのは、反戦メッセージにはなっているが、他の国の監督たちが描いた、現在も進行中であるSeptember 11が世界に投げかけている波紋についてのシリアスな状況と比べていると何かズレている印象は否めなかった。
2003年01月30日(木) |
言語とコミュニケーション |
昨日の授業でアイルランドの言語学者であり、作家であり、脚本家であるBrian Frielの著作ととそのコンセプトについて学んだ。
彼の戯曲の中で、言葉の通じないもの男女が恋に落ち、そこにいた第三者が通訳をして恋の仲介をしようとするのだが、彼の通訳能力は著しく低く、コミュニケーションはブロークダウン、しかし、恋する2人は言語にたよらずなんとかコミュニケーションとるというシーンがあった。
これは、翻訳・通訳の限界、言葉に頼りすぎることの危険性、そして、人間のコミュニケーションは言語でないことによって伝わることが大きいという可能性を示唆 しているという。
私のその戯曲のシーンを読んだ印象としては、コミュニケーションにおいて必要なものは、動機と必要性だと思う。恋する2人は、とにかく相手のことが気になって仕方がないし、わずかな情報でも、逃さない、それに好意に基づいているので、相手への評価が非常にポジティウなので、問題があっても、深刻になりにくい。
これは一般的なコミュニケーションにも当てはまることが多いと思う。 仕事の面では、どうしても、正確、詳細なコミュニケーションを必要性に迫られることが多いだろうし、そうして初めて、人は、正確な詳細な情報を伝えようと努力するのだろうし、ましてや、恋愛中においてや。。。相手のことを知ろうとする2人には強い動機があるので、コミュニケーションにかける熱意が違うだろう。
人は言語を作り出したが、いったん、言語を手にした人間はその言語によって、またはその人の置かれた言語環境によって、人間性を形成されてしまうようなところがある。
小説が映画化されるとき起こる問題の中で、特に脚本家が考慮しなくてはいけない問題とはなにか?
というのが私の今書いている論文のタイトルである。ここでは、映画は記号学を多用していて、視覚や音声といった非言語情報が、言語情報(セリフや画中の文字、ナレーション)を補うので、小説どおりのセリフや、ナレショーンはどうしても過剰になってしまう。 そこで、映画のスト−リーや登場人物の感情をうまく表現するには、ある程度セリフや説明をカットすること、その一方で、視覚や、音楽によって、その原作の持つ言葉からイメージされる世界をを創りだすことが求められる。
ここで気付くのは、我々の使っている言葉というものは、想像以上に、個人によって解釈の違うもので、日常のコミュニケーションの中で、言語の果たしている役割というのは、現代の人が信じているほど高くなく、非言語における意識・無意識でのコミュニケーションが人間の生活にとっていかに影響の大きいものかということである。
うーん、日本語で書くと、すごく簡単なことなんだけど、これを英語で、しかも学術用語で書くのは大変です。。。。
エッセイの締め切りは明日の3時。今日は2時から授業で発表。
2003年01月12日(日) |
Japanese New Year Party |
昨日の土曜の夜は私が主催したはじめてのパーティー。 ちらし寿司、おでん、チキンの照り焼き、キャベツの浅漬け、さつまいもの甘露煮、出汁巻卵、お汁粉、手巻き寿司。。。。計20人分近いの料理の準備を一日半かかってほぼ1人でおこなった。
パーティーの盛り付けと、後片付けは友人たちが手伝ってくれたので とても助かったのだけれど、これだけの料理を1人で準備するのは結構大変だった。 それでも、あまり負担に感じないのは自分ではそう思っていなかったけれど、 やはり料理するのがかなり好きなのかもしれない。と改めて思った。
大根の面取りをきちっとしたり、キレイに卵焼きが巻けるとなんだか 小さな満足感がある。
他にも、日本人の友人が持ち寄ってくれた料理の 切干大根の煮物、高野豆腐の煮物、和風サラダなどが加わって、さらに多彩な食卓に。デザートは餅いり汁粉(圧力釜で前日から小豆を煮ておいた)。
結局、招待した友達がそれぞれの彼女や彼氏を連れてきたりで、計25人以上の人が集まったパーティーとなった。顔ぶれは日本人6人、中国人7人、ドイツ人2人、イギリス人3人、イタリア人2人、アメリカ人2人、カザフスタン1人、ポルトガル人1人、アイルランド1人、南アフリカ1人、フィンランド1人、と私のフラットメイトのインド人3人とギリシャ人2人。
人が多すぎて、全員と個人的に話す時間がなかったけれど、私自身もパーティーを 楽しむことが出来たし、みんなそれぞれ素敵なワインや、シャンパンやチョコレートを持参してくれてとても有難かった。 帰り際、多くの人が料理が美味しかったと言ってくれて、とても嬉しかったのだけれど、私が料理ができるということに驚いている人もかなりいた。 普段の私はあまり、料理ができそうなイメージではないらしい。
普段は30分以内でできて、食材が安いイタリアンか中華料理しか作らないからなあ。。。
たぶん、もうこんな大きなパーティーはもう開かないと思うけれど、良い経験だったと思う。予想外に大勢が来ることになり、私の器では、まかないきれないのではとかなり心配していたけれど、何人かの友達がとても助けてくれてどうにか上手くいったのでとてもホッとしている。
何か、料理ぐせがついてしまったのだけれど、パーティーのあとはさっぱりしたものが良いなと、今日はおそばときゅうりとわかめの酢の物でさっぱりとした晩御飯。
やっぱり、日本食は美味しくて、一度味を思い出すと抜け出せなくなります。
2003年01月07日(火) |
淋しさとその先にあるもの |
今日はとてもとても寒くて、夜映画に行くのを止めにした。 レイクサイドという名のとおり、私の住む寮の周りには池がめぐらされているのだが、夕方5時の時点で、池の表面が全部完全に凍っていた。 一体朝と夜はマイナス何度になるのだろう?
今週末、私は日本食のニューイヤーパーティーを主催する。 いろいろな知人に声をかけていたら、招待した人とフラットメイトを あわせたら20人近い人が集まるパーティになってしまった。
シンガポリアンのダニエルが買い出しに車を出してくれることになって ホッとしている。こんなふうにパーティーを開くのは初めてなので ちょっと心配。私らしく、気取らずにやりたいと思うのだが、 パーティーを何度も主催した経験者の澄子などはいろいろアドバイスをくれて そっか。。。そういうところも準備しなくちゃいけないんだ。。。 と気付くたびに、ちょっと心配になってしまう。
あとは、もう急いで勉強モードに戻らねばならず、かなり焦っている。 Joyからもらったコメントをじっくり読んだら落ち込んできた。 彼女のアドバイスはもっともなことばかりなのだが、 そのレベルまで行かないのが問題なのよね。 果たしてあと二週間で求められてることが書けるのかしら?
はあ、でも頑張るしかないよなあ。。。とため息。
そんな中、1人で晩御飯を食べていたら、ふと不思議な感覚に襲われた。 数日前まで、実家で母の手料理たべていたんだよなあと。 もう、こちらに戻ってからは、毎日自炊でパスタとかジャガイモの日々だもの。
私はお正月の間、実は落ち込んで泣いてばかりいたのだが、それも家族がそばにいたから気持ちに甘えがでたのだろう。 イギリスに戻ると、孤独でも、辛くても泣く気にならない。そんな暇などないし、泣き顔見せられる相手もいないし、そんな場合ではないという感じだ。
ふと、窓の外のイギリスの早い夕焼けを見ていたら、日本の家族や友達をとても愛しく思った。数日前までとても近くにいたのに、もう、しばらく会えないという事実がまるで嘘のようだ。私の大好きな親しい人たち。元気でいて欲しいと心から願う。会えなくて淋しいと思う人たちがいるということが、私にとっては幸せなことなんだろう。会いたいという思いがなければ、淋しく思うこともないのだろうから。
去年は、知人の多くが結婚したり、恋人と住み始めたり、パートナーを見つけたりして、未だに精神的にも現実にも独り者の私には淋しさが身に沁みることも多かった。羨ましく思うと同時に、心から良かったね、友人や知人の幸せな顔を見ながら何度も思った。私に好きな人たちが幸せそうなのを見るのは本当に嬉しいことだ。
そうそう、年末に「ヘドウィグ・アングリー・インチ」という映画を観た。 感動した。求めよさらば与えられんと言うように、求め続けるしかないのかなと思った。裏切られても、蔑まれても、毅然として愛を探し続けるヘドウィグはとても美しかった。おこがましいけれど、見習わなくちゃと思った。少しでもあんなふうになれたらと思った。本気の人間にしかない迫力のようなものが彼にはある。
私は、馬鹿だし、弱いし、怠けものだけど、時々、本気になって何かをやった時もあった。それは無計画だったり、非能率的だったり、はたから見たら道化みたいなものにしか見えなかったかもしれないけれど、私は時々は、本気になって怒ったり、闘ったり、悲しんだり、愛したり、勉強したり、仕事したりしてきたと思う。
私は今まで、何も成し遂げられなかったし、何のプロにもなっていないけれど、本気の人間がもつ迫力のようなものが身につけられたらと思う。 かっこ悪くなることを恐れないで、みじめでも真剣でいつづけたいと思う。
こんなことを書くのも、真剣に真面目に生きている友人や家族と会ったり、久々に メールをもらったり、したからだと思う。みんなが真剣に、真面目に生きているのを目の当たりにして、自分ももっとがんばらなくちゃと思わされた。ありがたいことだ。
土曜日の深夜到着し、今日からいきなりもう新学期。。。 体がついていかないよ。。。
でも、フラットメイトはとてもいい感じで迎えてくれたし 何人かのコースメイトにも会えたし、こちらでの知り合いとの再会を楽しんだ。
シンガポリアンのダニエルからはエジプト旅行のお土産ということで クレオパトラという香水をもらった。いい香り。。。嬉しかった。 お土産だから深い意味はないのかもしれないけれど、男性から香水を もらったのは初めてだ。
ペルー人ダニエルからはペルーのお土産として ナスカの地上絵の模様の入った皮製のコインケースをもらう。 これもいかにも南米ぽくていい感じ。
お礼に二人には、千代紙で飾ったNew Year Cardをあげた。
大学のメールアドレスをチェックすると、案の定学部の秘書から12月に提出した エッセイドラフトのコメントがJoyから届いてるから取りに来るようにとのめーるが。
受け取りにいってきて、コメントを読んだけれど。。。 うーん、とても参考になるコメントで、面白い点もあると褒めてくれいているのだが、。。。弱点は自分が薄々思っていたとおり 翻訳のセオリーに関する記述をもっと正確に、明確にしないとダメだということ。。ちゃんとセオリーを理解して、利用して、論を展開しないとねー。
やっぱり、いいかげんな理解で書いているところは明らかにわかられてしまうし 逃げられないな。。。最後の追い込みでがんばらないと!! やっぱり物事は詰めが大事だよね。
JoyのFInal Versionを読むのを楽しみにしている。。という言葉に頑張って 応えなければ!
2003年01月04日(土) |
おめでとうございます。 |
本日、怒涛のごとくの一時帰国から無事イギリスへ戻りました。
今回、はじめてイギリスに到着してホッとしている自分に気がつく。 ロンドンの街の明かりに見慣れた懐かしさを感じた。
9月まで、私はここで精一杯生きていこう。
去年はいろいろなことがありすぎて、自分でもよくわからないまま 1年が過ぎていってしまった気がする。
今年はもっと自覚的に。。。自分の目的意識をはっきりさせて 時間を大事にしたい。
アメリカはまた戦争をはじめるのだろうか?
世界人類が平和でありますように。。。。 と祈るべきなのかも知れないが、私にはとても手におえない悲しい現実。
今まで私と関わってくれて本当にありがとう。 そしてこれからも、年ばかり重ねてまだまだ未熟者の 私を、よろしくお願いいたします。
私の愛する人々が少しでも充実した時を いつもとはいかなくても、笑顔を携えて無事に生きられますように。
と心から新年に祈る。
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