愛用ノートのパソコン(VAIOPCG)がいよいよ壊れかかっている。
Enterキーの反応が悪くなってしまったのだ。 充電もできなくなってしまった。 キーボードを剥がして、中の肉球のようなシリコンを直接触ってみるが やはり反応が悪い。こうして日本語を打っていると変換を固定するために Enterを使うので、Enterが3回に一度、しかもゆっくリ深く押さないと反応しない。これははとても効率が悪い。
IBMを使ってる友達はもう3年以上も同じコンピュータをずっと使い続けているのに。。。このパソコンはまだ、前回修理して、キーボードを取り替えてからから まだ1年半しか使っていない。VAIOはなんて脆いのかしら。 私がパソコンのハードユーザーのせいもあると思うが、VAIOの特にB5以下のものは衝撃にも弱いし、キーボードの耐久性も低いと思う。 もうすでに、真ん中のあたりのキーボードは文字が薄れて消えてきてしまっているし、Enter以外の他の文字キーもかなりガタがきていて、斜めになってしまったりしている。
このパソコンを使い続ける方法としてはUSBの外付けキーボードを買うしかないのだが、どうしたものか・・・ 夏までと割り切って、こちらで中古のパソコンを買うという手もある。 でも、日本語キーボードに慣れている私にとっては、OSからキーボードまですべて 英語のパソコンと言うのは操作性の面で、効率がわるい。
パソコンのトラブルにはいつも非常に悩まされる。それくらい、パソコンに依存しているという証拠なのだろう。私はパソコン無しでは暮らせなくなってしまっていると気付く。どんなものでも、それがないと辛いというものを持ってしまうと、人は不安にかられる。それが無くなったらどうしようと思うからだ。
きっと、それは思い過ごしで、私はパソコンが無くても生きていける。 でも、私は、コミュニケ−ションと自分思いを表現するWritingの道具として自分のパソコンがあるとほっとする。自分専用のパソコンが無いと落ち着かない。
それは昔の人にとって、愛用の万年筆のようなものかもしれない。 このパソコンのキーボ−ドからこの日記のすべての記述は生まれたし、 英語の論文も書いてきたのだ。。。。
2003年03月15日(土) |
戦争回避の可能性関して |
経済的展望に基づく戦争回避の可能性を考えていたところ、とても共感できる記事をネットで見つけたので紹介します。
イラク侵攻とドル暴落の潜在危機 by 田中宇 http://tanakanews.com/d0311iraq.htm
特にこの記事の中の
「アメリカが世界から見放され始めたら、ドル暴落は空想小説の世界から出て現実の問題となり、時間の問題になる。アメリカの中枢部は、この危険に気づいているはずだ。私が「アメリカは開戦できない」と思うのは、そのような理由による。」
というところには励まされた。私もそう思いたい。アメリカの中枢部は国連の決議案なしに開戦することは、アメリカにとって経済的な面ばかりか、国際的な信用面での損失が大きすぎるということを気付いているだろうし、その圧力が軍部にストップをかけると信じたい。
彼がこの記事の中で述べているように、アメリカという国にとって利益をもたらさない戦争を、アメリカのごく一部の人々の権益のためにするのは、馬鹿げているとしか思えない。パパブッシュでさえ、アメリカ単独でのイラク侵攻に反対を表明しており、すでに多くの人がこのことに気付いている中で、国連の決議を無視して開戦したあかつきには、ブッシュは歴代の大統領の中でもアメリカン・パワーを失墜させた大統領として歴史に名を残すことになるだろう。
ブッシュ大統領へ、歴史に汚名を残したくなかったら、今回の戦争は勇気をもって開戦をとどまるべきだと思います。今イラクを侵攻することはアメリカの信用の失墜と、経済的損失と、世界情勢に混乱を生むだけです。
99%の人が開戦は不可避だと言っても、私はまだ戦争回避の可能性を信じてる。 世の中は不条理なことばかりだとわかっていても、個人として、基本的に馬鹿げた不条理にまかりとおって欲しくはないから。 これで、近いうちに英・米が開戦したら私は落ち込むだろうなあ。
2003年03月14日(金) |
世界経済は脆弱にして。。。戦争は。。 |
今日の授業の後で、昨日間違った情報をくれた先生に、先生の言った本にはその論文が掲載されていないこと、図書館にあるこのアカデミックジャーナルのこの年のこの号に掲載してあったのでコピーして手に入れました。と報告し、メモを見せるとすると、私以外の何人かの生徒にも間違った情報を話していたらしく、あら!と私のメモを。。。ちょっと貸して。。。とメモっていました。 こういう指摘って、嫌がる人もいるけど、私の担当教官は気のいい人で、変なプライドも誇示せず、ありがとう。間違った本を教えた他の学生にはメールしておくわ。と喜んでいた。
さて、最近、エッセイでニュースのことを取り上げることもあって、ニュース分析の本や、ウェブのニュースをよくチェックしている。
今日、最も目を引いたのは 「アメリカが国連決議案の採決をまたずに攻撃をする可能性がある」というニュースと、欧州委員会による「世界経済は現在、戦争に対する脆弱さが非常に高まっている。原油の供給状況も、金融システムのストレスも、前回も湾岸戦争当時より厳しい状況で、戦争による政治的不透明が景気の回復を遅らせるだろう」という経済に関する見通しである。 前者のニュースに関しては、そこまできたかアメリカ!!という感じ。 後者に関しては、私でも、現在と湾岸戦争当時では経済状況が違いすぎるということを理解できるのに!!と思った。 回復が遅れるだろうというのはまだ希望的観測でどころか、今大きな戦争が起これば、その政治的・社会的影響から、中東の国々・米・英・日本はもちろん、様々な国の経済が壊滅的な打撃を受けるだろう。 環境保全を訴えるとき、倫理では無理!経済的視点から語らないと。。。と言うが、戦争を回避すべきだというのも、経済的理由が一番有効な気がする。 米・英は戦争の準備に莫大な費用を使ってしまっているので、戦争をすることでしかそれがペイする可能性はないので、もうするしかない。というのは簡単に予想できる理由だが、長期的な見通しの上で、ロスが大きいと判断すれば、ある程度の損は覚悟で手を引いたほうが賢いことも多いと思うのだが。 企業経営でも、これだけ予算を使ったのだからと儲からない事業を続けるより、さっさと撤退したほうが痛手がすくなく、損を回復をしやすいこともあるだろう。
政治の世界は目に見えない利益と権力が結びついていて、非常に理解するのが難しい。このただでさえ、世界情勢が経済的にも政治的にも不安定なところに、アメリカは今までと同じような自国のやり方をつらぬいて、無理に開戦することで、何を得られるのだろう? フランスはアメリカにストップをかけようとすることで何を得るのだろう? 文化国家としての存在感の明示。EUでのリーダ―シップ? 曖昧な態度でアメリカ側につくしかない日本は、得ることはなしにただ何か失っていくだけな気がする。。。。
何かもかもが、失われていくばかりね。。。。と虚しく感じていたところに、クラスメイトのマリアから5月に結婚することになったとおめでたい話が。彼女はアルベルトとも仲のいいイタリア人で、相手はイギリス国籍。でも挙式は彼女故郷、ピサの近くの街でするという。ウェディングドレスはもう注文してあるんだけど、イタリアに行って試着して、寸法合わせなくちゃと嬉しそうだった。 でも、政情が不安定なのでハネムーンの行き先に悩んでいるらしい。 結局、アンチアメリカのカップルの新婚旅行は遠出はやめてパリということになりそうだと言っていた。
2003年03月13日(木) |
歯痛とカリフラワーのパスタ |
数日前、いやーな感じがして目が覚めると左の奥歯の周りの歯肉が腫れあがり、痛くなっていた。歯を力いれてかむと痛いし・・・と思っていたら、何をしなくても、つばを飲み込むだけでズキッと痛くなってきた。。。。
イギリスは歯医者はやばいと聞いていたので、あせったが、よく歯を磨いて イソジンで口を何度もうがいした。。。しかし、痛くて、ご飯が食べられないので 痛み止めを飲むことに。去年、日本で風邪をひいたときに医者でもらった、喉の痛み・炎症止めを発見。試しに飲んでみたら、数時間で痛みは鈍いものにかわり、 次の日には薬を飲まないでも平気になった。 今日、授業でクラスメイトに会ったら、やつれてるねー、勉強のしすぎじゃないの?と言われた。歯のせいかな? 睡眠不足のせいか? たしかに、ここのところ不規則な生活と、課題に追われて、疲れ気味で、歯痛も体全体の不調から来てるのかも。。。
といいつつ、歯の痛みもどうにか治まったので、今日は9時まで図書館で奮闘。だって、先生が、「そのテーマで書くならこの論文を読めばいいわ」といいながら、間違った情報をくれたおかげで、論文を探し出すのに2時間もかかってしまった。というのも、今日先学期の成績をもらい、その後、先生と修論のチュートリアルで会ったときに、エッセイの点数の話になって、私の先学期のエッセイは論文の構成を改善すればDistinction(成績最優賞)をとれるくらいの内容はあったから、今度はちゃんとアウトラインとドラフトをもっと早めに私に見せて、そこを改善できるようにがんばってと言われて嬉しかったので、ついはりきってしまったのだった。
図書館でウロウロしてたら、アルベルトとばったり。 次の課題で、私とたまたま同じトピックを選んだそうで、一緒に資料を探したり、コピーしたりしていたが、9時過ぎに、おなかも減って、疲れきったので、寮へ帰ってパスタを食べることに。同じく腹減りを訴える彼に、 私「今日は、昨日作ったパスタソースの残りを食べるんだー。」 彼「何ソース?」 私「トマト、オリーブ、にんにく、玉ねぎ、海老、バジル。。。のソースだよー」 彼「ああ、信じられない、君は日本人なのにどうしてそんなのが作れるんだー」 私「食べたい?」 彼「そんな、どんなソースか散々話しておいて、食べたくないって言うわけないよ」 私「はは。じゃあ、食べにおいでよ。どうせ、パスタ茹でて混ぜるだけだから。。。」
というわけで、パスタを一緒に食べました。イタリア人の彼曰く、パスタはとてもパーソナルな料理で、それぞれの家庭や人によって好みがあるそう。彼は、君の料理は、僕の姉料理みたい!とても喜んでくれて、春はカリフラワーのパスタをが美味しいから作るといいよと提案してくれました。
2003年03月12日(水) |
The Hours 美しい瞬間 |
アカデミー賞ノミネート・作品「The Hours」(邦題 めぐりあう時たち) を観た。 久々に心を打たれるアメリカ映画を見たという感じがした。 映像も音楽も美しい映画だが、そこに溢れる女性たちが語る言葉が何よりも素晴らしい。 この映画はヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」をモチーフに イメージをひろげて、異なる時代と場所に生きる三人の女性の1日を描いた物語。
それぞれの人生の時、誰でも何度かは経験するような美しい朝。 まばゆい、愛する家族、咲き誇る花の香り。 これから素晴らしい時がはじまるという予感を感じることの幸福。 そして、その日常生活の中に潜む死の影。人生は常にドラマチックだ。 自分は何のために生きているのか? 生きていて欲しいと思ってくれる相手が いるから生きているわけではない。 愛は人を幸福にするがどこまでも 人は孤独で、その精神の、肉体の病は誰にも救えない。
傍からは、何の変化もないように見える日常の中で、登場する女性たちの精神は 葛藤し、生と死のはざまで揺れ動き、二度とない今日1日を送る。
死を選んでも、生を選んでも、精神の暗闇で1人孤独感じて苦しんでも、それは私の権利。と劇中のヴァージニア・ウルフは言う。
すべてのものは過ぎ去って、失われていくが、人生には美しい瞬間があるということ。死や喪失は悲しいことだけれど、人生のその時にあった幸福や愛は不変のもの。安易な感傷ではなく、人の生の事実として豊かに深くそのことを感じさせてくれる映画だった。
ある程度の年齢以上の多くの女性なら、こんな風に自分の人生に惑い、精神的にギリギリのところでどうにか生きることを選択した経験があるのではないか?と思う。
BBCニュースでブッシュの昨日ワシントンでおこなれた会見を見た。
一言で感想をいうと、「胸くそわるい」。 戦争をしたくて仕方が無いんだな。どうころんでも、アメリカとしては戦争するつもりなんだな、というのが伝わってきた。 その理由としてSeptember 11を挙げているのが気に食わない。
BBCのレポーターは、ホワイトハウスは孤立しているように見える、と言っていた。アメリカは仏・独・露、そして中国の反対を押し切ってまで戦争を始める気なのか。。。大国が国連の決議を無視することができるなら、国連の決議に意味がなくなってしまうのではないか?
などと、ぶつぶつ心に思う。私にできるのは、武力行使反対の署名やデモをする友達を応援することくらい。どうしようもなさに何か落ち着かない気分になる。 戦争が始まるのは恐ろしい。嫌な気分だ。
2003年03月06日(木) |
Shoah ショアー 想像力についての考察 |
先週ショアーを観たと書いたが、今日の授業でショアーについてのディスカッションがあって、いろいろなるほどと思ったことがあった。
ショアーがドキュメンタリーの手法として優れている理由として、 ナレショーン、音楽、古い写真、映像などが一切加えられず、 実際に監督のランズマン彼自身がが会った生存者たちの証言を淡々と 記録しているということが挙げられる。
証言者に対するインタビューの仕方や質問、そして彼ら証言を引き出すための、記憶の扉を開ける引き金となる何か、例えば場所や状況などの 与え方が、自然な流れに見えながらも、話し手の証言者と聞き手の観客を想像の中の過去へと引き戻す。残酷な写真や、実証証拠無しに、装飾なしに語られる証言者の言葉は私たちの頭の中でイメージを結んでいく。
歴史の本に語られているホロコーストの、いつ、どこで、だれが、どれくらいの人を殺したか?というような情報は、この映画が与えてくれるような現実感を私たちに呼び起こさない。フォーマルに語られる「歴史」ではなく、個人の経験の語りとしての真実性がここにあるように感じた。それは私たち個人の生の経験と結びつき、安易に感情に訴えることを避けながらも、そのイメージは心に深く沁みこんでくる。
ショアーのエンディングにはアウシュビッツのゲートの白黒写真が映し出されるが、カメラはその中には入らない。ただ、そのゲートの中で何が実際にあったか?その写真は想像を促すだけだ。これが私にとってはとても恐ろしかった。
彼のこの手法は人間の想像力と記憶力よってはじめて効果を発揮する。 想像力を喚起させるということほど、強いメッセージを伝える手法は無いのかもしれない。
私が子供の頃、一番恐れていたのはは、「ナルニア国ものがたり」に出てくる、想像した恐ろしいものが実際に現れるという逸話だった。挿絵に描かれたどんなおそろしげな怪物よりも、自分が想像しうる限りの恐ろしいものが目に見える形になってしまうというのは、逃げることができない。想像してはいけないと思うほど、頭は働き、どんどん考えてしまう。人は想像することを制御することはなかなかできないものだ。
想像力は人が世界を認識し、生存しようとするために必要な、人類がもちうる偉大な能力のひとつだと思う。誰でも自分が経験していないことはわからない。ただ想像することができるだけだ。と同時に、想像力は諸刃の剣で、それによって人は救われもするが、苦しみつづけることもある。 事実と想像というのは、一見正反対のことのように見えるので、ドキュメンタリーのもちえる事実性アピールするために想像力にたよるというのは、矛盾しているようにみえるかもしれない。しかし、事実を理解するために想像力は不可欠なのだ。 想像力の介在しないところで、何かを伝えるということ、理解するということは不可能なのだと思う。 こういう意味で、翻訳作業というのは想像力に頼ることが大きい、プロセスなのだなと。。。自然と頭の中で翻訳のことに結びついた。
ちなみにショアーの監督のランズマンはこう言っている。 「ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅政策は 今日伝説的・神話的次元の知識の対象になってしまっている 伝説に思い出を対置しても、伝説を打ち破ることはできない 伝説に止めを刺すためにはただ伝説を、 できるならば、想像を超える現在と伝説の源泉ともなっている現在とを 突き合わせる方法しかない そして、そこに至る唯一のやり方とは、過去を現在としてよみがえらせ、 過去を非時間的なアクチュアリテ(現代性)の中に復元することである」
2003年03月05日(水) |
ニュース分析と出版事情 |
次のエッセイでとりあげるトピックを決めて、本格的に取り組み始めた。 お題は「ニュース翻訳における客観性の分析」。 イラン関係のニュースを英・米・日の7,8のメディアのウェブサイトからプリントアウトしたり、図書館でコピーしたりして、比較する資料を集めている。 イラクにおいて、すでにアメリカの空爆によって市民が6人死んだらしい。とのニュースを見つけた(発信元はイラク国営通信またはイラク軍)。昨日の時点で、ロイター通信とガーディアン(イギリスの左派新聞)でしかこのニュースを見つけられなかった。米と日本のメディアでは一切これについての報道はなし。 これについて、日・英・米のニュースを比べたいと思ったのに、日本のメディアは報道さえしないんだから、翻訳文にみれれる客観性を分析する以前の問題。何が翻訳され、何が翻訳されていないのかということ考えさせられる。
余談。メディア関係の書籍はなぜかおしゃれだが値段が高い。専門書は日本でも高いが、ペーパーバックで一冊20ポンド(4000円弱)は高すぎ!!でも、図書館になくて必要なものは買うしかないとあきらめ。。。もう、6冊の本を購入。今月はもう100ポンド以上本代に消えた。。。今月は本と食べ物以外一切の買い物を断とうと思う。
まあ、本は学生には何よりも必要なものなのでしかたないが。。。イギリスに住みたくない理由の一つに本が高いということをあげてもいいと思う。 小説のペーパーバックで1冊1000円以上というのは納得がいかない。思うように本が買えないのはストレス。日本の本は安いし、軽いし、きれいだし、読みやすいし、紙も印刷もいいし、本好きにとっては日本っていい国かも。 まあ、こちらでも、古本屋はあるので、探せば安く買えるのだろうけど。。。。よく事情がわからないので、欲しい本が見つけられないのです。。。
2003年03月04日(火) |
春眠暁をおぼえずとも映画を観る |
眠い。最近非常に眠い。 でも、ふとんに入ると眠れない。 昼夜逆転してしまっているのね。。。
眠くても相変わらず映画漬けの日々。 映画を観ていると眠くないし、勉強から逃避できるし。。。 でも、今映画の字幕翻訳の課題にチャレンジしていて 今まで数多くの映画を字幕で観てきたのが感覚として 役にたっていると感じる。
さて、この10日間でみた映画はなんと。。。6本
一本目 「戦場のピアニスト」 期待が大きすぎたのか、思っていた以上の感動はなかったが、 ドイツ軍に侵略されたときのワルシャワのゲットーの実体が描かれていて それがなんともショッキングだった。想像を絶する。 ちなみにこの映画はドイツ語の部分だけが字幕。ポーランドの人たちは皆 英語を話しています。
二本目「Nine Queens」(アルゼンチン映画) 詐欺師の男2人組みが繰り広げるドラマ。最後のどんでん返しには笑った。 映画としてはとても面白いが、こんなにアルゼンチンは犯罪だらけなのか? 一瞬もウカウカしてられないのね?と思った。 でも、出演者も魅力的だし、ストーリーもテンポがよく、思わぬ佳作。
三本目「Shoha(ショアー)」 これは授業の一環で観た。ナチスによるホロコーストについての有名なドキュメンタリー映画。9時間半の長編だが、授業の参考資料として最初の二時間だけを観た。 ドキュメンタリーの手法としてはとても優れていると思う。 ホロコーストについての映画を一週間に二本も観ると、知識がリンクするので 理解は深まるのだが。。。。極めて暗い気持ちになる。 アウシュビッツの生き残りの1人が語った。。。 今となっては自分がここに昔いたことが信じられないと。 映画をみる私は、そんなことがあったとは信じられないと思うのは当たり前だろうなと思った。私も信じたくはない。
4本目「ロスト イン ラ・マンチャ」 私の好きな監督テリ−・ギリアムの「ドンキホーテを殺した男の」のメイキング・ドキュメンタリー。この本作はいろいろな事情が重なり50億円という制作費をつかいながらも製作中止に。その撮影準備から製作中止にいたるまでの過程が描かれたドキュメンタリー映画。本作がないメイキングムービーというのも珍しいだろう。 偉大な監督は大いなる夢見人間で現代のドンキホーテなのかもしれない。 彼の初期の出世作は「嘘つき男爵」の話だったしね。 でも、もしこの「ギリアム版ドンキホーテ」の映画が完成してたら面白いモノになっていたであろうことは、間違いなく、ギリアムファンとしては痛々しい思いでいっぱい。
五本目「ジョイ・ラック・クラブ」 これはTVでやっていたので観た。女性には評判の高い映画だと思うが、うーん、私にはイマイチはまりきれなかった。ただ思ったのはいつの時代も女性の悩みは変わらないなあと。結婚や出産、子育てはいつも女の物語なのか?母から娘たちへ、その痛みと愛は受け継がれる。この映画に出てくる男たちの影の薄いこと。
6本目「CHICAGO」 これは大学のアートセンターまで観にいきました。といっても3ポンド(600円)なんだけど。楽しみにしてたし、やっぱり楽しめた。 キャストもレニーがロキシーはミスキャストなんじゃないの?ロキシーはもっと悪女っぽい美人じゃないと。。。と思っていたが、彼女の奮闘ぶりにほぼ満足。。。とはいいつつ、やっぱりちょっと不満かな。 以前、NYのブロードウェイでCHICAGOのミュージカルを観たときも、ヴァルマ役には大満足だったのだけれど、ロキシー役はあんまりかっこいい女性じゃなかった。いつか。。。素敵なロキシーのキャストでもう一度このミュージカルを見てみたいと思う。 ミュージカル映画としてはすごく良く出来てるし、場面の変換や挿入の仕方もかっこ良かったと思う。でも、フォッシーの映画としてはやはり「キャバレー」のほうがずっと魅力的で、彼の舞台を映画化したものは、彼が直接監督をしたあの映画を超えることは難しいのかも。。。と思った。
2003年02月23日(日) |
風邪をひきながら映画漬け |
今週の月曜日から風邪をひいている。。。頭がぼおっとし、くしゃみと鼻水が。 もしかしたら、これは花粉症か? いや、イギリスの花粉症はもっと春から 夏にかけての期間のはず。やはり風邪かと自分に自問自答している。
部屋で休んでいると具合がよくなり、木・金と忙しくしていたら今日はまた 少し調子が悪い。
低空飛行を続けながら、なぜか今週に見たかった映画が大学内で上映され、 一日おきに三本の映画を観た。
まず一本目は、フィンランドの監督アキ・カウリスマキの新作「過去のない男」: 公園で親父狩りにあって記憶をなくした溶接工が、ホームレスや救世軍の人々に 助けられながら、名前をもたずに人生を再び取り戻すという話。 フィンランド人の女友達と一緒に観にいったので、よく意味がわからなかったところや、社会背景、出てくるミュージシャンのことなどを見終わったあとに説明してもらえたのが良かった。 劇中に救世軍の歌手として出てくる女性は、かの国では往年の有名歌手で、そのバックバンドの男の子たちは、国では人気のあるロックバンドのメンバーだという。 どおりで、甘いマスクと甘い声なわけだ。
二本目はケン・ローチの「Sweet Sixteen」これは日本でも今年の冬公開していたので、観た人も多いと思う。 期待を裏切らない素晴らしい作品。グラスゴー訛りが聞き取れなくて、細かいセリフがわからなくても十分味わえた。何より、主人公の少年リアムの顔がいい。 もう、本当に、なんなんだよ。やってられないよ。っていう時の、せつない痛々しい表情。時折みせるはっとするほどあどけない表情。そして、暴力と麻薬の売買を通して、したたかにワルになっていく大人びた表情。 麻薬の売人の母の恋人、麻薬中毒で恋人の罪をかぶって服役中の母親、未婚の母で将来のために市民大学に通う姉。母の恋人から暴行を受け、憎しみながらも、その麻薬を売ることしか、リアムに金を稼ぐ手段はなかった。そして。。。 ラスト海辺にたたずむシーンは「大人はわかってくれない」を思い出せせる。 やり場の無い苦しさを抱えてたどり着いた海辺で、彼は何を思ったのか。 携帯電話から聞こえる姉の優しい声。 どんなに強がっても、どんなにタフでも、彼はまだ16歳で、彼が置かれた環境の中で、他に何ができただろう。彼は自分の才覚と身体を駆使して、闘った。母親と、姉と一緒に暮らすことを夢見て、走り続けた。誰が彼を責められるだろう?
主人公のリアム役の少年は、オーディションに選ばれた当時、17歳のプロサッカー選手だったそうだが、(どおりで劇中に甥っ子とふざけてするサッカーが妙に上手かったわけだ)今は、退団して、本格的に俳優をめざすそう。 彼だけでなく、他の俳優たちもみな自然な演技で、リアリティーを感じさせた。 とてもシンプルに見えて、とてつもない傑作。ケン・ローチの力量をはっきりと見せられた感じである。
三本目は、「ロード・オブ・ザ・リング(ス) 二つの塔」。 うーん、これは別にコメントする必要もないと思うのだけれど、この物語が好きなので、私にとっては必見の映画。私的には観て損はないとおもうけれど、ファンタジーが好きじゃない人にとっては、単にニュージーランドの自然が美しいだけという意見も。
11'09'でも思ったけれどやっぱり、ケン・ローチは圧倒的。 イギリスではすごい新人映画監督が出てくるたびに、ケン・ローチ以来の、とか、ケン・ローチの再来といった形容詞がつけられるけれど、それも無理ないのかも。 彼の人々に対する目にはなんの偏りも感じられない。映画を通して、真剣に、耳を傾け、目を凝らし、この世界で起こっていることを真摯に見つめ続ける彼の姿が浮かんでくるようだ。ケン・ローチという知性をもつイギリスの映画界はまだまだ力を持ち続けるんじゃないかと思う。
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