2003年09月07日(日) |
ビートルズの街 Liverpool |
あと数日で日本に帰るというビートルズマニアの友人と一緒にリバプールへ日帰り強行ツアーに行ってきました。朝8時に出発し、戻ったのは夜中の12時。
リバプールまでバーミンガムから電車で2時間。ビートルズの博物館Beatles Storyを見終わったあと、彼らが出演していたライブハウスの近くの古いパブでランチをし、その後バスでストロベリーフィールドとペニーレーンに向かう。バスの運転手さんにストロベリーフィールドに行きたいと話すと、近くになったら教えてあげるからというのだが。。。地図も路線図も持たない(日曜でバス会社のインフォメーションは閉まっていた)私たちは不安にかられ、周囲の人にどこで降りればいいのか聞き始めた。すると人によって言うことが違う。リバプールのおじさんたちは親切で訛りの強い英語で、いや、あそこから言ったほうがいい! いや、ここで降りてあとはタクシーで行くべきだ!とか話し合いが始まってしまった。結局、私はバス運転手のいうことにしたがって彼がここが一番近いといったところまで乗ったのだが、もう1人のおじさんは降りるとき。。。バスの運転手に「おれは**から行ったほうがいいと思うんだがね!」とまだ言っていた。旅して思ったのは本当に北イングランドの人たちは親切で、話しやすくて道を聞いてもすごく親身になってくれる。。。ここには南イングランドとはまた別のイングランドの顔がある。
このストロベリーフィールズという歌に歌われている場所はジョンが母を亡くしたとしばらく預けられていた救世軍の孤児院で、その後ジョンの資金援助により再建され、今もオノ・ヨーコによる寄付よって存続し孤児院として機能しているらしい。リバプールもこのあたりの郊外の住宅地になると街路樹は古く大きな木が多く緑に溢れ、レンガ作りの塀や大きめの家が並びのどかで美しい光景が広がっていた。その後、ペニーレーンに行ったが、そこも木々に囲まれた美しい坂道でこの歌が好きな私には、この郊外の美しい自然の中でポールも、ジョンも 幼くして母を亡くし多感な少年時代を送ったのだなあ。。。それが彼らの音楽を生んだのかと思うと感慨が深かった。
スティングもビートルズもアメリカでは決して生まれない。このリバプールの曇った空の下、湿った港町特有の空気の中のさびれた町並み。大きな木々に囲まれた古いレンガ造りの住宅街。腕に刺青を入れた男たちが夜な夜な集まる薄暗いパブで飲む苦くて重いエール。Warwickのキャンパスでは味わえないリアルなビートルズのイギリスを垣間見ることができたように感じた。
街に戻ってから電車の時間までのひとときをビートルズの出演していたライブハウスThe Cavern で過ごす。暗い階段を地下に下りていくと親しみのあるメロディが-、というのはちょうどビートルズのコピーバンドが演奏していたのだ。 二曲目はちょうど、Strawberry Fields Foreverだった。
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see. It's getting hard to be someone but it all works out, it doesn't matter much to me. Let me take you down, 'cause i'm going to strawberry fields. Nothing is real and nothing to get hungabout. Strawberry fields forever.
目を閉じてさえいれば人生は楽さ 目に目えるものすべてを取り違えてしまう 何者かになるのはむずかしいね でも全部うまくいくさ そんなことは僕には問題じゃない 僕を行かせてくれ、僕はストロベリーフィールドに行くんだ なにもかもがリアルじゃない 何もぐずぐずすることはない ストロベリーフィールドは僕の中にずっとある
ビートルズの歌詞は翻訳するのが本当に難しいと思う。 歌詞を読むと彼らの知性とセンスに圧倒される。 シンプルな英語なのに様々メタファー、イメージの創生の連続がそこにあり、 どう解釈するかは難しい。
一日ビートルズを口ずさみながらリバプールを回って、ここの街でみるような さびれた古いイギリスの雰囲気を自分がとても愛していること、そして音楽の 力を改めて思い知らされた気がした。この街の小さな家で生まれた4人がメロディを 通して世界を熱狂させる存在になった。彼らの影響は今も強く受け継がれている。 これは一つの奇跡の物語だという気がした。
帰国の準備を進める中で、ロンドンとノリッジに行ってTOEICを受けたり、古い友達に会ったり、人に会って就職の話をしたりして。。。いろいろ考えさせられた。
もう、丸二年以上まったく働いていないの就職のことではどうしたものか、不安がよぎる。 こちらに友人には、英語力アップのためにも、こっちでしばらく働いてみるべきだ。。としきりに薦められたが、とにかく日本に帰ろうとやっと心を決めて少し楽になった。
あとつらいのは友達との別れである。アルベルトPhDを続けると言っていたのに、彩子が日本へ帰ってしまったら、淋しくなるから僕もしばらくイタリアに帰ろうかなと言い出すし、他にもお別れを言わなくてはいけない人がいっぱいいて辛い。
東京に帰ったらどんな生活が待っているのか。。。 何が私にとって一番大事なのか。。。
自分のことを自分で決めるのが一番難しい。
2003年08月25日(月) |
イギリス生活の終わり |
無事修士論文を提出し、もぬけの殻状態の週末を過ごしました。 心配してくれて、励ましてくれた方ありがとうございました。 あとは、日本へ帰る便の予約。 運送会社の手配。
ノリッジにいる友達に連絡をとって会える日を決めたり。。。 うーん、もう、本当に今回はいろんな人とお別れなんだと思うと悲しい。
ヨーロッパ内にいればまた会えるよね。。。と思っていたけど もう、日本に帰ってしまうと本当に二度と会えないかもしれないんだな。。
って思ったり。
留学生活はディズニーランドみたいなものなのかな? 現実の社会に戻ってショックを受けるのが怖い。 イギリス留学から帰って日本で働きはじめた人たちはどんな気持ちがしたんだろう。
私がこの1年で一番学んだことは「孤独感」だったと思う。 そして、またここで培った人間関係を離れて孤独を抱えて、日本に帰る。 どこへ行っても、人は孤独から逃れられないのかもしれない。
孤独感がどうの。。。と言っていられないほど、慌しい日々が待っているかも しれない。そうだといいな。それもきっと、自分次第だろう。
2003年08月18日(月) |
大丈夫 マイフレンド |
ああ、あと提出まで3日なのにまだ論文が完成していない。 泣きたくなる。
パニックの神様が降臨しそうなのだが、パニックに陥っても 時間を無駄にするだけなので落ち着かなければと言い聞かす。
たぶん、提出が終わったら、1週間くらい寝こむかも、というか 寝ていたい。
大丈夫、マイフレンド どうにかなる。 君はこれを切り抜けられる。。。。
と不安の中で自分に言い聞かせる。
ありがとう。マイフレンド いつも助けてくれて。。。やってみるわ。 そうね。きっとできるわね。
不安と、精神的、体力的疲れがごちゃまぜになって何がなんだか わからなくなってくる。
でも、きっと大丈夫 マイフレンド
2003年08月05日(火) |
Life is beautiful |
小沢健二のシングルを集めたCDが発売されるという情報をネットで見つけた。 私は彼の曲が大好きだった。とくに「Life」と今度CDに収録されるという 全盛期のラブソングが。
「いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく」(愛し、愛されて生きるのさ より)
そうであって欲しいと思う。
昨日は、親しい友人の誕生日だったのだが、カードにこう書いた。
「自分の人生を、あなたがこれから出会う人たちを愛し、彼らからも愛されますように。そして、美しい人生を生きてください。」
これは、私の大叔母が母の結婚の時に手紙に書いていたセリフをもじったものだ。 美しい人生を。。。というのは私も母へのカードに書いていた言葉だったので、 世代が変わっても、私たちは同じようなことをいつも願っているのだなと感じた。
私の友人のイギリスでの友人の1人に、先天性の心臓疾患で、17歳の時に心臓の大手術をして助かったという人がいる。彼はその手術が成功するまで人並みに運動もできず、自分が何歳まで生きられるのか、と常に考えていたそうだ。そして、18歳手術が成功し、人並みの運動を許されるようになった彼の生活は一変し、死を近くに感じ続けていた彼は哲学とバイオテクノロジーを専攻に選んだ。 大学に入ってからは今までの分を取り戻すかのように人一倍活動的な人間になったと言っていた。
中国人の友達が言っていた。。僕があと半年生まれるのが遅かったら、一人っ子政策が厳しくなったときだったから、僕の親は僕を中絶してたと思う。そしたら、ここにいて、君に会うことはなかったね。
生きていることは当たり前ではなくて、私たちは様々な危険や障害、不運をすり抜けてここにいる。そして、誰かと出会って、友達になったり、愛し合ったりする。 そんなことをふと実感する。
生きてさえいてくれればいい。。。と誰かのことを思う。 でも、人の生活は単に生きていればそれでいいというものではない。 死んでしまいたいと思うほど、辛いことって人生にあると思う。 でも、絶望に近づいた人間ほど逆に生きたいという自分の意志に気付かされる ことが多いのではないか。
ときどき、生きて自分でこうして、行動して、感じて、考えることができることが とてつもなく貴重な瞬間であることに気付く。当たり前のことが当たり前でない。 すべては過ぎていってしまうけど、その何かと触れ合って感じることができた瞬間の喜び。それはとてつもない。
やっぱり、「愛し、愛されて生きる」しかないんだと思う。
2003年08月01日(金) |
Grapevineな女 |
最近、ベトナム系アメリカ人の友達ができて、何人かで男女関係について はなしていたところ。。。彼が Grapevineな女の子という言い方をしたので えっつ?と思って。どういう意味と聞いてみると、グレイプバインはぶどうのつるという意味で、彼は男に依存してしまう女性のことをそれ自体では立つことのできないぶどうのつるにたとえていたのであった。
うーん、これはなるほどと思った。 他の大きな木の幹にからみついてしか、高いところにいけないぶどうのつる。 女性の人生は相手の男性次第で変わってしまうのだろうか?彼は、お金持ちや社会的ステイタスの高い男性を得て、いい暮らしを得ようとする女性もある意味Grapevineな女かもと言っていた。彼はそういう女性もいてもいいし、現にそうして 幸せになっている人はいっぱいいると言っていたが、私は自分はGrapeivineな女にはなりたくないと思った。
たぶん、妬みもあるのだろう。世の中には良いパートナーを得、それをきっかけに 人生をステップアップする女性も大勢いる。私のイメージではそういう女性は才色兼備で、育ちもよく、(簡単にいうとエレガントな美人?)自分がそれに値すると信じているタイプの女性だと思えて仕方がない。自分が、そういうタイプではないこととを踏まえて、まず、楽はできないだろうというところから始まっているので、簡単にはいえない。美しく着飾って、地位も資産もあるような男性の伴侶をするのもそれなりに大変だろうし、そういうふうに生きられる人はそうすればいいんだと思う。
きっと何も思い決める必要はないんだろう。ただ、自分の幹で立たない、つるであることは何だか不安で、たよりなくて、細くてもいいから、フラフラしてもいいから、自分の幹を持つ女性になりたいと思うのだ。 台風が来たら、大木にからみつくつるは無事でも、細い苗木はすぐに倒れてしまうかもしれない。つるをうらやましく思うこともあるだろう。でも、自分で根をはって、幹を立つことができたら。。。どんなに心強く感じることだろう。
私は怖い。1人で立とうとしたときに、嵐がきて立ち上がれなくなることが。 1人で立とうとすることと、誰かを強く求めることは矛盾していると思っていたが きっとそうではないのだ。私は嵐の時に、踏ん張れる強さを持つために誰かが必要なのだと今は思う。
こうやって、考えてみると、私は今まで何度倒れそうになったときに、家族、友人に助けられてきたことだろう!と改めて思う。 この場を借りて、お礼を言いたいです。実際的なことから、すごく精神的なことまで、私は本当に支えられてきたと思う。願わくば、せっかく支えてもらってきたのだから、この私の細い幹が、無事根を張って生きていけますように。。。
2003年07月28日(月) |
理由はいくらでも。。 |
勉強が進まない! 体調の悪さを理由にしていたが、今は体調もJoyと会う最後の日が目前にせまってきてそうも言ってられなくなった。 それでも、4日で2000wordは書いたから、1日500wordは書いている計算だ。 しかし、それじゃあ、君、全然間に合わんのだよ。トホホ。
でも、一日1000wordも書けば、頭痛くなるし、ちょっと疲れると喘息気味になってゼーゼー言うし。なんでいきなり、こんなに弱くなった?と思っていたが、わかった。これがストレスというものか。土曜の夜はアルベルトの家に晩御飯を食べに行く約束も。。。具合が悪くて行けないと断わったものの、日曜の午後、私がつまづいている「詩的散文の翻訳」について、彼が本をまるまる一冊コピーして大学まで持ってきてくれたので、図書館で会うことになった。 彼も苦い顔をしていた。。。どうしたの? 大丈夫? 昨日、来なくて良かったよ。僕も具合悪くて、熱があって、口内炎がひどくてパスタも食べられなかったから。今も口内炎が痛くて食べられないし、熱っぽいし。 これは、ストレスだよ。去年彼女と別れときも、ひどい口内炎になったんだ。 うーむ、私だけではないのだ。彼も苦しんでいる。
彼も今年の夏、30歳を迎え、自分のキャリア、PhDを続けるか仕事を探すか、についてとても悩んでいる。
私たちは、確認しあった、そうだよね。要するに論文だけじゃなくて、今、考えなくちゃいけないことがたくさんあって、ストレスになってるんだよね。と。
猫好きで占い好きの時々除く楽しみにしているミャ−ミャ-占い http://www.blvc.net/msn/
を何気にのぞいてみたら、今週の私の占いのタイトルが 「からだがもつ範囲でがんばって」とあるではないか? なるほど。。。 「自己の体力の限界を承知してがんばれば、いろいろと結果出る。寒い場所は凶。」だって。。。うむむ。 私の体調の悪さは、ストレスを除けばこの急激に寒くなったイギリスの気候に原因するのは明らかなのだ。(日中の気温18度)寒い場所は凶って言われても、寒いところに住んでる場合はどうすりゃいいのよ。
というわけで、今日も、生姜にネギを食し、首と腰には温湿布。 体を温めることに躍起になるワタクシでした。
ソクーロフ監督の「エルミタージュ幻想」(原題 Russian Ark)を観た。
豪華絢爛な衣装や舞台装置が目をひく映画だが、この映画の面白さは案内役の 二人の掛け合いと映し出される名画たちにある。19世紀のフランス人外交官、キュースチンという設定の白髪の案内役の男性と、キャメラを目とする姿無き声(ソクーロフ監督自身の声)のやりとりはヨーロッパとロシアのインテリのロシア文化に対する批判と、愛情に満ちている。
キュースチンはエルミタージュ美術館の回廊でつぶやく。 それに姿無き声が応える。
素晴らしい。。。ここはバチカンか? ここにはイタリアンアートの素晴らしいコレクションがある。 だが、ラファエロはロシアにふさわしくはない。 ラファエロはイタリアのものだ。もっと温かい国のものだ。 ロシア人はコピーする才には長けている。
素晴らしいオーケストラだ。演奏しているのはヨーロッパ人だろう。 -いや彼らはロシア人だ。
美しいメロディーだ。作曲家は誰だ。 -XXだ。 ドイツ人か? -ロシア人だ。 音楽家はすべてドイツ人のはずだ。 -すべての音楽がドイツ人だって?
エル・グレコの名画「聖ペテロと聖パウロ」の絵にとりつかれたように 見入る青年にキュースチンが話しかける。 君はクリスチャンか? いいえ。 青年はいつか人々が彼らのようになれる日が来ると言う。 キュースチンは彼に詰めよる。 どうしてそんなことがわかるののだ? 福音書も読まない君に、彼らの苦悩がわかるといえるのか? 人々がどうなっていくか、どうして君にわかる? 青年はおびえる。。。だって、彼らの手を見て。。 彼らの手が美しいからか?
映画の終盤、19世紀ロシア帝国の宮廷舞踏会は終わりを告げ、 宮殿の出口に向かった姿泣き声は、エルミタージュ宮殿の ドアの外にグレーにけぶる荒れた海を見る。 我々はここからどこへもいけないのか? 私たちの見ていたのはエルミタージュの 中だけしか見れない失われた夢だったのか? ロシア帝国の幻影は永遠にこの宮殿に取り残され、現実の私たちは、ロシアの箱舟がどこへ向かっていくのか見えないでいる。
誕生日おめでとうメールをくれた方々ありがとう。 おかげさまで、体調不良にも関わらず嬉しい気分を満喫しました。 イギリスにいる友人たちからは本、CD、ウェジウッドのネックレス、シャンペン、箱入りのチョコレート、箱入りの紅茶、写真たてなどをプレゼントにもらいました。ウキキ。
誕生日の日に着ていた、「素敵な洋服」というのも日本にいる母からの プレゼントで、普段ジーパン・Tシャツの私がそのワンピースを着ているだけで 「どこにおでかけ?」と顔見知りに聞かれたので、 「ちょっとそこまで。。。」 「なんか、おしゃれしてー。」 「いやー、今日誕生日でー実は」 「あ、そうなんだ。。。おめでとう(とハッピーバースデーの歌を道端で歌いだす彼ら)ちょうど、デジカメ持ってるから、写真撮ろう!」 とそこで、いきなりパシャ!という展開に。
週末と週明け、微熱があったものの、本日、水曜日ようやく回復し、 今日から再び勉強するぞモードへ。
明日、法律を勉強してたドイツ人の友人がドイツへ帰ってしまう。 彼はなんと、この8月からドイツ南部地域の地方裁判所の裁判官になることに 決まった。黒いガウンを着て、判決を下すんだって。
9月末には彼のホームタウン、ミュンスターでビール祭りがあるから 良かったらおいでと言っていたが(彼の実家は大邸宅らしい。客室が何個もあるそうな)、そのころ私はどこでどうしているのやら?
今晩は、ソクーロフの映画、「エルミタージュ幻想」を観に行く予定。 ああ、映画が観たい。狂うほど観たい、でも、勉強しなくっちゃ。
昨日、悶々とPCに向かいながら、プレゼントにもらったチョコを半箱一気に食べてしまったら、今朝ほっぺに大きなニキビ。30歳になっても、この子供っぽい行動パターンは変わりそうもない。。。
2003年07月19日(土) |
希望と、そして。。。 |
私は自分は現実的で、悲観的な人間だと思っていたが。。。 今日友達から私から、希望というか、世界を肯定的に信じることへの エネルギーをを感じたというようなことを言われて驚いた。
この数日、急激な気温差により、久々に体調を崩し、 自分の誕生日(今日はなんと私の30歳の誕生日なのです。)を祝って あつまってくれた友達にもいまいち、フルパワーで応えることができなかった。 そんな弱っていたときに、私よりもずっと逞しく、頼もしく思っていた友達が 私に見えないところで、支えられているといってくれた。 意外に思うと同時に、とても嬉しかった。 体に力が入らず、頭痛に苦しむ中でそんなことを言われて不思議に思った。 そして、自分をもっと信じられるような気がした。
私は単にお人よしなのかもしれないが、人の悪い噂を聞くと、 やっぱりと思うよりも、そんな悪い人じゃないはずという思いが先立つことが多いい。そんなに汚いはずはない、そんなに悪意に満ちているはずはないと思う。 信じたくないのだ。
恐ろしいことや、嫌なことは探さなくてもいっぱいあるだろう、 できるだけ物事の良い面に目を向けて、やっていくことしか 私たちにはできない気がする。
私にとって、私という人間がどう生きるかというのは とんでもない大問題だけど、世界の中で私は本当にちっぽけな存在で、 私がどうするかなど、どうでもいいことなのだ。 でも、その世界の中ではどうでもいい自分の行動の一つ一つに対して、私は苦しんだり、眠れぬ夜を過ごしたりする。この落差。
こんなに脆弱な肉体の中で、人はどうしてこんなに様々な感情や思いを抱えるのだろう。世界の果てに思いをめぐらせたりするのだろう。それに何の意味があるというのだろう。 それでも、私は信じているのだと思った。友達の言うように、私は信じているのだ。生きていくもののひたむきなエネルギーを、世界の美しさを、そして自分が生きていくことを。
私は幸せだと思う。素敵な洋服を着て、気心のしれた友達と笑いあう夜。 今まで出会って、私にいろいろな影響を与えてくれた人々みんな感謝したい。 きっと、これからもいろんな人と出会うだろう。 そして、いろんなことがあるだろう。辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、楽しいことも。
この夜の中で思う。 たとえ短くても、この夜が多くの人にとって安らぎをもたらしますように。
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