一日後記

2009年12月30日(水) よいお年を。

今年もたくさん、笑ったり泣いたり
悩んだり毒を吐いたりしましたけれど
総じて悪い一年ではなかったように思います。

けれどそれは愛すべき近しい友人や、
このサイトを通じて見守って下さった方々のお蔭です。


本当にありがとうございました。


来年もまたグダグダな後記を綴るとは思いますが
お手隙の時にでもお付き合いいただければ幸いです。


来る年が皆様にとって良い年になりますよう
心から願いつつ、今年最後の“一日後記”といたします。





2009年12月29日(火) 洗車待ち。

一昨日降った雨のせいで、車がひどく汚れていて
スタンドへと行ってみれば洗車機には5台の車が列を作っている。
灯油の場所では2台待ち。
ほとんどがもう正月休みに入った“お父さん方”だったので
そんなところに年末を感じた。

ついでにタイヤの空気圧を見ると、だいぶ数値が低い。
昨日実家でも同じような話をしていたが
ウチも最近、妙にガソリンの減りが早いと思ったのは
そのせいだったようだ。


ほぼ毎年31日まで相方が仕事のため
ちょこちょことしたことに“年の暮れ”は感じるものの
どこか他人事のような気がする。





2009年12月28日(月) 慣習。

急用で、昼間は実家にいた。
ちょうどお昼時だったので、両親と話しながらお昼を食べていたのだが
その時聞いて驚いたのは“お葬式の時の撒き銭”の慣習。
(ちなみにそれは母方の方)

今はセレモニーホールなどで行うことが多くなったせいか
殆ど見られることはなくなったらしいけれど
昔、まだそれぞれの家で葬儀をやることが普通だった頃は
出棺の際に100円以下の小銭をばらまいていたそうだ。
それが(亡くなった方が)お若ければあまり大人は拾わず
近所の子供達ばかりが拾い
お年を召した方であればあるほど、その長命にあやかろうと
大人が一生懸命になって拾っていたそうである。

現在90の祖父の母―つまりは私の曾祖母―も
また95歳まで長生きしたため、亡くなった時は
そんな感じだったそうだ。

ただ、母がその話をする中でどうしても理解できなかったことがある。

その大往生の曾祖母が亡くなった時の葬儀は
半ば“お祭り”だったということ。
身内もしくは親しい方が亡くなって、何がお祭りなんだろうと。


ウィキペで“往生”を見てみたら
“老衰やそれに伴う多臓器不全などの自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い”
とあるが、別にそれは若かろうがそうでなかろうが
関係ないように思うわけで。


たぶん私は撒き銭には、飛びつけそうにないと思う。




2009年12月26日(土) あーあぁ。

今朝は喉と鼻の奥がヒリヒリ痛くて目が覚めた。
なるべく首を冷さないように、家ではずっとネックウォーマーをつけたり
加湿器代わりの濡れタオルやらその他諸々
なるべく風邪をひかないように気をつけていたつもりでも
ひく時はひいてしまうもののようだ。

実は明日、急に決まったmixiの登山イベントに相方と参加する予定で
私がとても楽しみにしていたこともあり
その時はまだ正直言って行くつもりでいた。
が、段々熱っぽい症状が感じられてくると
さすがに『無理かも』と思ってしまう。

結局、明日のイベントはキャンセルさせてもらった。
その旨を主催者の方に伝えたところ、温かいお返事をいただいたが
前日キャンセルなんて、申し訳ないやら悔しいやら。

年明け早々にもまた別のイベントがあるから
早く治さなくちゃ。



2009年12月23日(水) 年賀状。

こういうのって、勢いが必要で

何かに似ていると思ったら

サイトをリニューアルしている時のそれだった。



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