森林公園完走マラソン大会のため04:15起床。 最近まともに走ってないのに、10kmはちょっと無謀だったかなぁと思いながら 朝ごはんのお弁当を作ったり、着替えを準備し06:00出発。
07:30森林公園中央口駐車場着。
受付は済ませたものの、とにかくトイレが激混みで スタート5分前にやっとストレッチを済ませる始末だった。
10:00スタート。 今日の目標は、1時間を切ること。
森林公園は以前サイクリングで何度か来ていたから 何となくコースは把握していたつもりでも 自分の足で走ると思いのほか上り坂が長く感じられたのが、何より辛かった。
それでも、何とか辛うじて目標はクリア。 スタート時には冷え切っていた体もほこほこになった ・・・のはいいけれど、ゴール後30秒で汗冷え。
楽しかったけれど、とにかく、寒かった!
ゴール後“うどん引換券”を片手にテントに行けば、こんな大鍋が。
小柄な方なら、そのままバスタブになってしまいそう。
先週の土・日に祖父の通夜祭(お通夜)と葬場祭(告別式)。 移動の足がないと不便な場所ゆえ、今回も運転手役をかって出た。
その葬儀にて。
■神式での葬儀だったため、祭壇の前では“二礼二拍手一礼”をするのだが 拍手はしのび手と言って音を立てない。 一応それは祭壇の前のテーブルに3〜4枚書いて 貼ってあったのだけれど、目線が上にある遺影に向いているからか 大きい音で拍手をなさる方がいらした。 面白いもので、一人が始まると続けて数名が大きく拍手を始め 隣にいた従姉と笑いをかみ殺すのに必死。
■斎場で行ったお通夜の直会(なおらい:仏式だと通夜振舞い)も 告別式での親族控室でお茶などのお手伝いは、全部祖父宅のご近所さん。 何でも母方の実家がある辺りでは そういうご近所付き合いがまだ残っているという。 ただ、後で聞いた話だとお手伝い料もそれなりに包んでいるし 直会で残った手付かずの料理などは持ち帰れるし 葬場祭の後の直会(仏式だと精進落とし)では お疲れさまの意味を込めてもてなしてもらえるし ・・・思わず『割のいいバイトだねぇ』と口走ってしまった。
■こういうことでもなければ親戚一同集まることなどないとはいえ 顔は分かっているし会話も普通にするのに どこのどちら様で私とどういう繋がりなのかが分からない人が多い。 しかも相手は私が誰だかを分かっているから、余計タチが悪く 2日間ずっと適当に話を合わせていた。
■祭壇に飾られたお花に直会で用意して残った料理は お刺身などの生もの以外は全部お持ち帰り。 初めて母方の実家に来た妹婿は驚いていたが、捨てるよりはいいと思う。
■五十日祭(仏式だと四十九日だろうか)は葬場祭にまとめて行い 納骨は葬場祭が終わって直会の前に済ませた。 花環代わりのポスターといい、合理的といえば合理的。
■香典返しのひとつに、赤い水引に赤い文字で“天寿”と書かれた箱。 開けてみれば紅白のタオルセットが入っていて それには階下の義両親がひどく驚いていた。 前にも書いたけれど90まで長生きすれば、お祭りなのだそうだ。
■2日母方の実家で過ごすと、言葉が微妙に訛ってくる。
神式なのになぜか新盆は行うらしいので、次に行くのは8月。 この一週間少し落ち着かなかったため、やっとひと心地ついた気がする。
昨日(私は参列できなかったが)祖父を荼毘に付した。 そろそろ今日あたりに、週末執り行うお通夜と告別式の連絡が あるだろうと思っていたところ実母からの電話。
それによると、母方の実家の辺りでは お通夜にはお香典とは別に“通夜見舞い”というものがあるのだとか。
実は日曜日の納棺の時にも“お見舞い”を持って行っている。
ただ最初に持って行った“お見舞い”は 『亡くなってから24時間はまだ生きているもの』と考えられているため 入れる袋は紅白に“お見舞い”と書いてあるものを使う。 よってその風習を知らない人は普通の香典袋を使うため 祭壇には紅白と白黒の袋が並び、ちょっとチグハグな画になるわけで。
対して“通夜見舞い”は白黒の“お見舞い”と印刷された袋の横に “通夜”と書き足して渡すものらしい。 なのでお香典は、翌日の告別式に渡すものということだという。 (もっとも全部出席するのは難しいから 近親者のみの話なのかもしれない)
で、告別式が終わったら即納骨式。
そういえば確かそんな話は昔聞いたことがあったし お墓の周りにはお葬式に使う大きい花輪 (表に出す木の足がついているヤツ)が1〜2つ、並んでいたのが 小さい頃の記憶にうっすら残っている。
これって風習・・・なのだろうか。
本来ならば今日はお通夜というところなのだろうが 諸々の事情で、その後の段取りを一週間の間に分けて執り行うことになった。
というわけで今日は、湯灌と納棺の日。
自宅を車で出たのが07:00、私の実家で少し休憩した後 両親を乗せて10:10出発。 常磐道柏IC〜圏央道稲敷ICを経由し 都心からバスで来た妹と姪っ子を拾いながら祖父宅へ着いたのが13:50。 見慣れた道を運転しつつも、近づくほどにハンドルが重く感じる。
3年ぶりに訪れた祖父宅の1階は、家具類がすべて母屋に運ばれたのか 2間ある部屋は襖も障子も取り払われ、廊下にも畳が敷かれ 広くなった部屋の奥に、祖父が寝ていた。
顔を見るのは去年の3月以来である。
年に似合わず180cm近い身長とがっしりした体つきをしていたはずだが 約1年の入院生活ですっかり痩せてしまい、一目では祖父と分からない。 顔なんか、3月の時よりひと回り小さくなってしまったように見える。
妹母子がひと足早く、15時過ぎのバスで帰ることになったため駅まで送り バスに乗り込んだところまで見送り、再び祖父宅へ。
ひっきりなしに訪れる弔問客も落ちついた17:00頃 浅めのバスタブやお湯のタンクなどを持った葬儀屋さんが来て、湯灌が始まった。 納棺は父方の祖父で見たことがあったものの、湯灌に立ち会ったのは初めてだ。
遺体の肌を見せぬよう、体の上にバスタオルをかけたまま バスタブ上に張られたメッシュ上のものの上に乗せられた祖父に 親族がひとりずつ、足から胸元にかけて柄杓でお湯をかける。
それが終わるとシャンプー・髭そりをしてもらい 今度はまたひとりずつ顔を拭いていく。 つやつやで血色の良かった顔が、ひんやり冷たくなったのが 指で触れて実感した時、不意に涙がこぼれた。
結局着ることがなかった山吹色のちゃんちゃんこを着せてもらい (90の祝いの席で着ようと、祖父自身で用意していたという) 愛用していた木製の杖もお棺に納めた。 これで向こうで歩くことにも不自由しないといいなと思う。
2010年01月30日(土) |
続・目は口ほどに何を云う。 |
一昨日の後記の最後を
“おそらく知ることができないままになりそう、な、気がする。”としたが
案の定、そうなってしまった。
ただ、そうなることは予想できても
まだ1ヶ月くらい先だろうと思っていた。
そんな矢先の今朝方、実父から祖父の訃報が入る。
|