Deckard's Movie Diary
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2004年09月10日(金)  風音

スルーにしようと思っていたのですが、モントリオール映画祭でイノベーション賞(“詩的で、現代的な、非常に美しい革新的映画のための賞”・・・わかんねぇ〜(苦笑))を受賞したので最終日に観てきました。東陽一監督作品『風音』。沖縄の美しい海を臨む崖の中腹に鎮座するこめかみに穴が開いた頭蓋骨。“風音”とは、その穴を風が通る時に鳴る音のことで、“泣き御頭(なきうんかみ)”と呼ばれるその頭蓋骨を巡って3つの話が交差します。DVから逃げ故郷・沖縄に戻ってきた母と子。戦争で行方不明になった初恋の人を毎年沖縄へ捜しに来ている老婆。子供の頃に島に流れ着いた特攻隊員を埋葬したことのある漁師。もちろん、それぞれは微妙に絡んでいるのですが、3つの話が作品としての大きな塊になっているとは思えませんでした。少しずつジグソーパズルのピースがズレている印象です。無理やりハメていると言うよりも、スカスカな感じでしょうか。面白い展開の脚本だとは思うんですけどねぇ・・・もう少し上手にまとめて欲しかったです。おそらく東陽一向きじゃなかったんでしょう。基本的には群像劇ですからねぇ・・・。それにしても何故に背景に流れる音楽がジプシー音楽なんですかねぇ?特にハマっているとは思いませんでした。場違い!とも感じませんでしたけどね(苦笑)。


2004年09月09日(木)  コウノトリの歌

『コウノトリの歌』はベトナム人が作ったベトナム戦争をモチーフにした映画です。ベトナム映画と言えば『青いパパイヤの香り』『夏至』等で有名なトラン・アン・ユン監督作品が有名ですが、ベトナム戦争を扱った映画は初めて観ました。他にも74年(ベトナム戦争終わってないじゃん)に作られた『ハノイの少女』とか97年『サイゴンからの旅人』00年『朝よ、来ないで』03年『ハノイの12日間』とかあるそうですが、全く知りません。この映画はベトナム軍(当時は“ベトコン”って呼んでました)に帯同していた元従軍カメラマンの証言を元にしたドラマ部分と現在の彼を捉えるドキュメンタリー部分の二つのパートから成り立っています。完成度は高くありませんが(二つのパートの絡みがチグハグですし・・・)、興味深い作品ではありました。つまり、当然のコトなんですが、全てのエピソードはベトコン側から描いています。それが、どうにも新鮮に感じてしまいました(大汗)。内容は戦争映画では良く描かれるストーリーで、もっと“勝利”を意識した部分があるのかなぁ・・・と思っていたので、それも良い意味で肩透かしでした。結局、戦争なんて勝っても負けても人々の苦しみは同じなんですよ。この映画に触れたコトでベトナム側から描いたベトナム戦争映画をもっと観たくなりましたね。特に『ハノイの12日間』ってのは観てみたいです。


2004年09月08日(水)  ミラーを拭く男

♪よ〜く考えよう〜 お金は大事だよ〜 あ、失礼しました。
『ミラーを拭く男』・・・定年直前のサラリーマン・皆川勤(緒形拳)は交通事故を起こしコトがキッカケで、いつのまにか家族に内緒で仕事を辞め、全国のカーブミラーを拭く旅に出る・・・要約すると以上のような話なんですが、全く分かりませんでした(苦笑)。旅に出た後の展開はそれなりに惹かれる部分もあるのですが、ナンと言ってもこの話の発端、つまり皆川がミラーを拭くようになる原因の部分が全く理解出来ませんでした。何故に、莫大な退職金(一流企業の課長職らしい)を捨て、家族に内緒にしてまで全国のカーブミラーを拭く旅に出るのか?それまでの皆川の人生や夫婦の在り方はそれなりに推測出来るのですが、だからと言ってコレだけの無謀な行為に取りつかれる皆川の心模様が全く分かりませんでした。また、皆川が起こした交通事故シーンのモンタージュが稚拙で、分かり辛いです。というワケで、この映画の根幹の部分で疑問を感じてしまったので、観賞中はその不信感から抜け出せず、トホホな印象のままエンドマークを向えてしまいました(笑)。ほとんど台詞の無い緒形拳は表情だけで驚異的な演技を見せるのですが、最後のほうでは「アンタねぇ!いい加減、ハッキリしろよ〜!」と心の中で叫んでましたよ(苦笑)。映画は全編ハイビジョンで撮影されているので自然を背景にしたロケは本当に美しいのですが、セット撮影のライティングにはもう少し慣れが必要かもしれません。グラデュエーションが綺麗に写る分、全体的に妙に明るくなってしまっています。一番可愛そうだったのは14年ぶりの映画出演だった栗原小巻です。もちろん、魅力的に見えるシーンもあるのですが、女優の皺をそんなに鮮明に映さなくてもいいだろ!と言いたくなりました。ハイビジョンは鮮明なのが長所でもあり短所でもありますからねぇ・・・。まぁ、往年のコマキスト(古いよ)が観たら卒倒するんじゃないでしょうか(苦笑)。


2004年09月07日(火)  誰も知らない 丹下左膳餘話・百萬両の壷

<ネタバレしています>
カンヌ映画祭で主演の柳楽優弥が史上最年少で主演男優賞を獲得して話題になった『誰も知らない』。監督は自分のスタイルを模索しながら映画作りをしてきたTVドキュメンタリー出身の是枝裕和。デビュー作『幻の光』を脚本通りに撮り上げた時に、予定調和として完成する映画文法に疑問を感じ、『ワンダフルライフ』では予測不可能な素人のインタビューを挿入し、『ディスタンス』では、役者には役柄と大雑把な流れだけを与え、細かい台詞はほとんど想定せず、その場の空気感から役者が自然と発した言葉・アドリブだけで映画を作った。おそらく、是枝監督の目指しているモノは“映画”というメディアで描かれるフィクションが何処までリアルなモノとしてスクリーンに映し出す事が出来るのか?観客がリアルに感じる事が出来れば出来るほど、観ている人間により多くの影響を与えるはず!という信念に基づいているのだと思います。そして『ディスタンス』では現実の事件であったオウム真理教を、今回は“巣鴨子供置き去り事件”をモチーフにリアルなドラマとして再構築したのでしょう。

カンヌで受賞する以前に何も知らずに予告編と遭遇した時に感じたのは、「是枝の新作は子供かぁ・・・でも、コレって、何年か前にあった置き去り事件?でもあの事件って、けっこう悲惨だったような気がしたけど・・・でも、そんな感じじゃないなぁ・・・母親がYOUだしなぁ(笑)・・・けっこう良い雰囲気じゃん!こりゃ、楽しみだ・・・子供だったら元々“素”だしなぁ・・・いよいよ今までの試行錯誤が実ったかなぁ・・・」というような期待に胸が膨らんだモノでした。

さて本編です。多くの皆さんが指摘しているように驚異的な演出力です。ここまで自然な子供の表情を引き出し、それをカメラに収めた手腕は驚くべきモノがあります。子供の演出って体力が要るんですよねぇ・・・(苦笑)。髪の毛の伸び具合や顔つき、体つきなど、現象としての変化でキッチリと時間の経過を表現し、また“スライス・オブ・置き去り!”とでも呼ぶのでしょうか(笑)、塵や埃、疵や滲みのどれひとつとして無駄にしない細かな描写も的確で、明らかに“傑作!”と呼ぶに相応しい作品でした・・・中盤までは。

胸をワクワクさせながら自分の心の内に芽生えた不安・・・それは、このような映画でありがちな結末、つまり「誰か死ぬんじゃないか?」という安易とも言える結末。『GO』でも『まぶだち』でも描かれてきた「誰かが死ねば、それなりに決着する・・・」というストーリー、嫌いです。そして、映画が終わって・・・悪い予感が当たってしまった結末にはガッカリ!即、友人に「ラストでどっちらけ!」という携帯メールを入れ、嫌な気分のまま皆さんの感想を読んで、同じように感じた方もいらっしゃったので、「そうだよなぁ!冗談じゃねーよ!」と怒りに任せて、友人のHPに書き込みしたりもしました(苦笑)。

ところが、『丹下左膳餘話・百萬両の壷』を観る為に渋谷のユーロ・スペースへ向かっている時に、ゆっくりとぼんやりと映画を反芻していたら、自分の“怒り”は本当に二女のゆきが死んだからなんだろうか?と疑問を感じ始めていたのです。あの状況でゆきが死ぬ可能性は十分考えられた・・・では、明(柳楽優弥)の行動なのかな?父親、母親、そして以前に接した福祉関係の人々、また“紗希”という女子中学生が大人の顔を見せた時の拒否反応等・・・明の大人に対する不信感はゆきを放置するには十分な背景だったのかもしれない・・・だから、誰にも届け出なかった・・・明にとって、あの部屋は彼が統治した世界であり、国であり、城でもあった。あの部屋に自分が許した人間以外のよそ者(大人)を招待する気はなかった。そしてそれはある意味、それまで自分が彼ら(長女・京子、二男・茂、二女・ゆき)を守ってきたという明のプライドだったのかもしれない。このコミューンのリーダーとしての判断が二女のゆきを放置させた・・・という解釈をして、ゆきが事故で亡くなったところまでは意外と簡単に納得出来たのです。

では、何故に自分はアレだけ不愉快な気分になったのだろう・・・?それまでに描かれた世界が自分にとってはあまりにもリアルでした。完全に『誰も知らない』の世界に埋没していて、自分もあの商店街で暮らしている人間になったような感じでした。それは是枝監督が目指していた“観客がリアルに感じる事が出来れば出来るほど、観ている人間により多くの影響を与えるはず!”という狙いが完璧に演出されていたのだと思います。作品としても彼の思惑通りに完成しつつあったんじゃないでしょうか。ところが!それまで、彼の狙い通りに完成しつつあった映画が最後の最後で破綻したような気がします。二女のゆきが死んだ、トランクに入れて約束だった飛行機を見せる為に羽田まで運んだ。ここまでは上手く進んでいたと思います・・・そして、二人(明と紗希)で“掘って埋める”・・・このシーンが自分にとっては問題でした!このシーンだけに異常に違和感を覚えます。映画の全編を通してこのシーンだけが事前に用意された脚本通りに演じるように柳楽優弥と紗希役の韓英恵に要求しているようにしか見えませんでした。例えば万引きシーン等はこの年代では十分考えられる場面ですし、鉢植え遊びとかは子供が自然に遊んでいるように見えれば問題無いと思います。しかし、地面を掘って土をトランクにかけて埋める・・・このような行為は普段しませんし、日常茶飯事の中の出来事ではなく一般的に考えても特別な行動です。是枝監督は最後の最後に彼が避けてきた映画的ファンタジーに帰結したんじゃないでしょうか。それまで排除してきた脚本通りのシーンがいきなり描かれたので違和感を覚えたのだと思います。ラスト・シークエンスまでのこの映画の完成度は群を抜いていますが、観終わった後に妙にちぐはぐな印象が残りました。この映画がいまいち絶賛されないのはラスト・シークエンスの描き方だったような気がします。

例えば、顛末はこのままでも“掘って埋める”という場面を全てカットしただけでもかなり印象は変わったんじゃないでしょうか?例えば、二人(明と紗希)で羽田に行き、トランクを囲んで二人(明と紗希)で夜の空を飛来する飛行機を見る・・・そのまま画面暗転。次のシーンで明と紗希はモノレールの中。服は汚れている・・・そして、再び新たな日常が始まる。というような描き方でも十分だったような気がします。オイラの場合は明らかに“掘って埋める”という行為を見せられたコトによって、いきなり暗い劇場内でスクリーンを観ている現実に引き戻され、シラケてしまったんです。それよりも、最後まで“誰も知らない”・・・つまり「ゆきが入っていたトランクはどうしたの?埋めたのかなぁ・・・海に流したのかなぁ・・・」と、観客の推測に任せたほうが良かったような気がしてなりません。そして新たな日常の始まる・・・その流れの方が“誰も知らない”という問題提議が出来たような気がします。

どちらにせよ、観る価値のある映画なのは間違いないですが、個人的にはこのような結末が良かったとは思えません。まぁ、好みの問題ですけどね。だって、本当にシラケちゃったんだよなぁ・・・・ボソ。


小さい頃、こんな謎々がありました。「目が3つ、手が1本、足が6本!さて、な〜んだ?」答えは丹下左膳が馬に乗ってるトコ!でした(苦笑)。というワケで、26本の作品を残して、若干28歳で中国戦線で病死した天才・山中貞雄の傑作『丹下左膳餘話・百萬両の壷』です。とにかく、観たこと無い人は観て下さい。なにせ70年前の作品ですから、映像も音声も状態が良くありませんが、間違いなく邦画の傑作です。竹を割ったようなコメディとでも言うのでしょうか(言わないよ!(笑))、この作品に流れているテンポの気持ち良さは絶品です。言い方を変えると「タバコ!」と言ったらライターと灰皿が一緒に出てくるような、「お茶が怖い」と言う前にお茶が出てくるような感じでしょうか(笑)。不思議なのは、今はこういうオーソドックスなコメディの邦画って作られないんですよねぇ・・・どうしてでしょうか?誰か教えて下さい!ところで、途中で流れてくる♪この子の七つのお祝い がレゲエのリズムだったような気がするンですが・・・さて、来週は16歳の原節子でも観てくるかぁ〜♪


2004年09月06日(月)  ヴァン・ヘルシング

『ハムナプトラ』シリーズで名を売ったスティーヴン・ソマーズが監督、脚本、製作を兼ねる『ヴァン・ヘルシング』。ブラッカイマーより、さらにお馬鹿なブラッカイマーっぽい映画でした(って、なんじゃそりゃ!)。お寒い限りのストーリーは全く意に介さず、ひたすらCGで作った映像を「どや、オモロイやろ!」って見せられてもねぇ・・・(苦笑)。つまんねーよ!どうせ荒唐無稽なら、もっとハチャメチャなストーリーにすればいいのに!例えばドラちゃんとヴァンちゃんが異母兄弟で、アナ王女はヴァンちゃんと生き別れた双子の片割れで、フランケンの脳はドラちゃんの親父のモノで、心臓はヴァンちゃんの母親のモノで、でもってフランケンはドラちゃんに「I’m your father」とか言っちゃったりして、オマケにフランケン博士とヴァンちゃんの助手Qちゃんは親子で・・・みたいな感じでいかがでしょう(笑)。ところで、いつ頃から人間のキャラも不死身になっちゃったんですか?チャリエンでは既に全員が不死身でしたが・・・(苦笑)。


2004年09月03日(金)  LOVERS

『HERO』に続くチャン・イーモウの新作『LOVERS』は<チャン・イーモウ展“featuring Zhang Ziyi”>みたいな展覧会を観に行ったと思えば問題ないでしょう(苦笑)。ストーリーは驚くほど投げやりですし、グラフィカルな様式美を追求する演出は、格闘シーンはともかく“LOVERS”な場面になると、コッ恥ずかしいモノがあります(笑)。特にラストは「これが笑わずに居られよか!」っつーくらい、口あ〜んぐりモノです。それでも観る価値は十分あると思いますよ。何せ、世にも美しい展覧会ですから(笑)。ワダエミの衣装も綺麗ですよぉ〜♪コンテ通りと思われるシーンの連続なので、ちょっとボーっと観ているとゲームのCGムーヴィーのような趣きもあり、なんだかなぁ・・・という印象も無きにしも非ずです(一体、どっちなんだよ(笑))。でも、チャン・ツィイーはマジで美しいですし(この人は成長してますねぇ!)、金城は下手くそですがそれなりにハマってます。で、友人も指摘していますが、アンディ・ラウがちょっとズレてるかなぁ・・・だって、この人ってルックスがグラフィカルじゃないじゃん!個人的にはもっと冷たい美形が良かったです。金城にチビっと無骨系が入ってるので・・・往年の田村正和とか近藤正臣(古いよ!)、最近だったら京本正樹(オイオイ…( ;・_・)ッ( ゚ー゚)ウキ…)とか、最近だったら北村一輝とか・・・どちらにせよ、切れ長系の美形が良かったかな(笑)。


2004年09月01日(水)  MASK DE 41 16歳の合衆国 茶の味

「由井正雪のような長髪を振りかざしながら、長州力率いる維新軍の登場です!」あの古館一郎を一躍有名にしたプロレス第二期黄金期・・・アレからもう24〜5年が経つんですねぇ・・・(遠い目)。『マスク・ド・41』は猪木や長州力、タイガーマスクの登場に一喜一憂していた高校生が中年になった時の話です。リストラがきっかけで家庭崩壊した41歳の中年男・倉持(田口トモロヲ)は、何を血迷ったか趣味のプロレスに全てを注ぎこんでしまいます。オイラは少女やゲイの心の内なんて、ほとんど理解出来ないボンクラですが、妻子持ちで生活に疲れている中年男の気持ちは十分理解出来ると自負しております(笑)。まぁ、家庭なんて多かれ少なかれ問題を抱えているワケで、どうにか踏み止まっていられるのは収入があり、それなりに生活出来ているからで、その支えが無くなった時に色んな問題が噴出し一気に崩壊へ向かうってコトは良くあることです。この作品は崩壊家庭の描写と蛯脇(松尾スズキ)が絡んだプロレス部分の描写がいまいち噛みあわないので、映画としてのまとまりに欠けていますが、美味いけど形の悪いオニギリみたいな味わいがあります(苦笑)。オイラにはドタバタ風味の味付けがちょっと濃かったですが・・・それでもこの映画が好きです。情けない中年男が昔から好きだったしょーもない趣味で一念発起して、なんとか立ち直るというストーリーが自分的にはツボなんですねぇ(苦笑)。だって多くの男性って、毎日たいして好きでもない仕事(昔は好きだったのかもしれないけど、いつのまにか“好き”だけじゃすまなくなってしまいます)をこなしながら、チビチビと趣味の世界でストレス解消したりしてるワケですよ(って、勝手に決め付けてます)。で、何も無くなって四面楚歌状態になった時に、開き直ってその若かりし日々に燃えた趣味の世界で一旗揚げよう!ってのは、楽しいじゃないですかぁ!応援したくなります。現実では、抱えているモノが多ければ多いほど守りに入って無難に生きていくしかないのですが、そんな中年オッサンの溜飲を少しでも下げてくれる映画だと思います。倉持の妻を演じた筒井真理子が120%そんじょそこらに居そうな主婦を熱演していて好感触(笑)。ラストでの決着の仕方がまたまた痛快で、最後に来てさらにメートルが上がっちゃいました(ろぶさん的表現から引用)。また、切羽詰ってもヌル〜い親子関係とか、妙に力が抜けててリアルに感じました。まぁ、実際に大変なのはこれからですからね。特にお薦めはしませんが、オイラはこの映画は好きです!蛇足ですが、この映画の中で度々登場するプロレス仲間が集まる飲み屋ですが、以前オフ会の二次会で使った店です。花園神社横にある『唯唯』でした。オイラが学生の頃から出入りしていた店で本来は映画と音楽好きが集まる場所です。入り口に通じる階段には松田優作のポスターが貼ってあるんですよね。また皆で行きたいモンです。


『16歳の合衆国』・・・悪い映画では無いんですけどねぇ・・・どうにも散文的過ぎて、作品としてはまとまりがありません。ただ、それが観ている者に様々なコトを考えさせる要因になっており、観る人によっては深い印象を残す人も居るでしょう。結局はリーランドもアレンも良くも悪くもこの世界を生きていくバランスに欠けている(というかセンシティヴ過ぎる)人間としては同類です。一見平和に見える世界でも人は様々な罪を犯していますが、些細なモノだからと言って自分で免罪符を発行しています。そして多くの人間は人が犯した些細な罪に寛容に接して節度ある態度で対処します。それがある意味、この世界を潤滑に動かしているのですが、敏感過ぎる人には辛い暗黙の了解事項だったりします。もっと分かり易い過酷な状況、例えば人間としてのプライドを剥奪され殺人機械になるようにシゴかれても、多くの人間はジョーカーやカウボーイのように、いつのまにか慣れてしまい(麻痺とも言う)生きていく術を身につけていくのですが、中にはパイルのような結末を向かえる人間も居るワケです。話が逸れましたが、こういう内容の映画を作る意義はもちろんあるのですが(オイラも含めて、あまりに脳天気に生きている人間が多いですからね)、なかなか難しいモンがあります。今回は周りの人間にとらわれ過ぎたような気がします。結果的に、とても読解力を必要とする仕上がりになってしまい、いまいち釈然としませんでした。個人的にはラストの決着の仕方があまりに唐突な印象です。この落とし前では、リーランドが知的障害者のライアンを殺した話が曖昧になってしまったような気がします。つまりリーランドもアレンもヤバイ人達、こういう人って危険なのよねぇ・・・って感じでしょうか。まぁ、好みでしょうけど、もっと前向きな方向で終わって欲しかったです。


『茶の味』です。『鮫肌男と桃尻女』でデビューした石井克人はどんどん詰まらなくなってます。これは映画では無く、単に一発芸の羅列商品です。それぞれのエピソードが全くリンクしないので、いつまで経っても終わらないし、おじいちゃん(我修院達也)の残した物だけでまとめようとしたって無理!って、モンです。映画はそんなに甘くありません!今一度原点に戻ったらどうですか?小手先のセンスだけで映画が作れると思ったら大間違いです!そんな姿勢で騙されるのは、せいぜい上映中にメールをやってるような輩だったり、元々勘違い(なにを?)している人間だけです(苦笑)。センスの良い映像や魅力的なシーン、上手なセリフもあったりするので、もったいないと思うんですよねぇ・・・次回はキチンとストーリーのあるモノを演出して欲しいモンです。無理なのかなぁ・・・・ボソ。


2004年08月31日(火)  華氏911

数々の話題を巻き起こしている『華氏911』。この映画はジョージ・W・ブッシュに対して真正面から片手に敵意を、片手に侮蔑を掲げて作られています。もちろんジョージ・ブッシュとそれを取り巻くカネの亡者達は完璧なる戦争犯罪人(っつーか、悪魔だろ!)ですから、当然のお仕置きです!ただ、ブッシュ批判だけの作品だったらカンヌでパルムドールは取れないでしょう。裕福と狡猾、貧困と無知、クソくだらねぇ選民意識・・・真のメッセージはそこにあります。映画としての完成度は『ボウリング・フォー・コロンバイン』には及びませんが、それは、おそらくマイケル・ムーアの拳が怒りに震えていたからでしょう。描かれているコトのほとんどは公になっている事実(怪しいモノもありますが・・・ボソ)ばかりですが、観る価値は十分にあります!ドキュメンタリーだろうと、創作だろうと、そんなジャンル分けはどーでもイイんです。要は、作者が何を伝えたかったのか?マイケル・ムーアのメッセージは多くの人々に間違いなく伝わるでしょう。しかし、世の中には『スターシップ・トゥルーパーズ』を反戦映画と受け取る人も居るように(苦笑)、悲しいかな、これほどまでに明快なメッセージさえも伝わらない人が居るんですよねぇ・・・。


2004年08月30日(月)  父と暮せば

『TOMORROW/明日』『美しい夏キリシマ』に続く黒木和雄監督の戦争レクイエム三部作の完結篇『父と暮せば』。今回は前二作と打って変わって戦争の悲惨さをストレートに訴える台詞劇になっています。原作が井上ひさしの戯曲というコトもあり、ほとんどのシーンは原爆で焼かれた家(旅館)の一角で演じられ、さながら舞台劇を観ているように原田芳雄と宮沢りえの二人劇として進んでいきます。広島弁で交わされる二人のやりとりは時にあたたかく、そして切なく、時に微笑ましく、そして悲しくもあります。テーマは分かりやすく、演出にも不足はありませんが、例によって地味すぎてモノ足りません。被爆というトラウマからの脱出、生きていく糧になる出会い、その為の父の役割等・・・もっと映画的手法を使ってドラマティックに描いた方が良かったんじゃないでしょうか。もちろん悪い映画ではありませんが、ベタな話だけにあざとく描いてくれた方が観ている方としては、安心してドップリ浸かれるというモンです(苦笑)。どうにも作りが真摯過ぎて固いんですよねぇ。魅力的な話だけに惜しいなぁ・・・ボソ。さて、宮沢りえです。確かに上手くなりましたし、広島弁の長台詞もしっかりと自分のモノにしています。それでも、演技だけで人を感動させるほどの力量にはまだ足りません(だからと言って、この役を宮沢以上に上手く演じられる若手の役者が居るとも思えませんが(⌒o⌒;A) すっかり“女優”という仕事が板についてきた宮沢ですが、この映画は彼女にとって“素晴らしい女優”になる可能性を感じさせる作品でした。


2004年08月27日(金)  IZO

見終わった帰り道、「プレデターが自爆した時の爆発って大きかったようなぁ・・・キノコ雲上がってたし・・・アレでシュワちゃんが生きてるってオカシイよなぁ・・・そう言えば、先日観た『プレデターvsエイリアン』の予告編・・・アレはヤバそうだなぁ・・・」な〜んて、考えながら歩いてました。真相は・・・『IZO』を観ると言っていた友人に携帯メールを送ろうと思い、その文章を考えていたワケです。え、わからない?(当たり前やがなぁ(笑))つまりですねぇ!この映画は近年最強の地雷映画なんじゃないかと思い、その強力な地雷の威力をどう表現しようか考えていたんです(バカですねぇ)。というワケで『IZO』は“プレデター自爆級”の超ヤバい地雷映画です。武知鎮典+三池崇史はこれまで『許されざる者』『荒ぶる魂たち』『新・仁義の墓場』等で一緒に仕事をしていますが、この作品は全くの異質の映画になっており、救いようの無い駄作として仕上がっています。70年代に道端に転がっていた出来損ないの前衛映画のような、しょーもない描写に終始します。あの頃は三上寛でしたけど、今回は友川かずきですか・・・なんだかなぁ(苦笑)。今どきこんな時代錯誤な映画を作る人が居るんですねぇ。観客の半分は上映中に昏睡状態ですし、場内から出ると次の回を期待に目を輝かせて並んでいる人々と目を合わすことすら出来ない・・・っつーか、うなだれていたからか!(爆)しっかし、この時代に“天誅”するつもりなら相手を曖昧にしないで、もっとキッチリ落とし前をつけろ!てんだぁ〜。空前の豪華キャストの皆さんも、くだらねぇ仕事を受けたモンですねぇ!“オールスター・スーパー・カルト・ムービー”ですってぁ?・・・アホか!ところで桃井かおりって外反母趾ですか?


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