Deckard's Movie Diary
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今や、冬季オリンピックの花形?になりそうな勢いの女子カーリング!前回のソルトレイク五輪の時に日本代表となったシムソンズ・チーム(今回のトリノにもシムソンズのメンバーだった小野寺歩と林弓枝が出場)の実話が下敷きになっている、その名も『シムソンズ』を観て来ました。水曜1000円の日だとしてもレイトで立ち見が出る盛況ぶり(まぁ、試写室を無理やり映画館にした渋谷シネ・ラセット[ 定員50名 ]だからな)!映画は、特別に美味しいワケじゃないけど、安心出来る昔ながらの定食屋の味でした。キャラクターもストーリーも目新しいモノは全く無く、青春映画はこうあるべき!というセオリーに則って、清々しいシンプルな作品に仕上がっています。ツボを押さえた手馴れた演出は、塩梅も良く、手際も見事です。“北海道”“女子高生”“スポーツ物”“ジュディマリ”と個人的にも好みの具が満載で、とても楽しいひとときでした(苦笑)。敢えて難を言えば、TVドラマ出身の監督なので映画的なスケール感に乏しいのと、TVドラマ演出家の陥りやすいパターン、つまり、対象への迫り方が希薄なんで、軽すぎるところでしょうか。まぁ、変にストーリーを捏ね繰り回したり、妙な間の取り方されてテンポが悪くなったりするんだったら、こういう仕上がりのよっぽどマシですけどね。創作意欲を十分に感じられ、それなりに美味しかったんだけど、麺が伸びていた『スウィングガールズ』、具が大き過ぎた『リンダリンダリンダ』。比較すると、『シムソンズ』は素麺の味わいでしょうか。たまには、こういう正統派の青春映画もツルツルっとね!
不安定に揺れる湖面・・・ファーストカットから不気味な印象を漂わせながら始まる『タブロイド』は、キセルみたいな映画でした。トップシーンから、コトが起こり、物語が動き出すまでは素晴らしい緊張感に満ち溢れ、傑作を予感させるのに十分です。ところが、時間が経つにつれ最初に受けた衝撃は徐々に打ち消され、忘却の彼方へ。それにしても、ここまで見事に失速する映画も珍しいんじゃないでしょうか。話が落ち着き、新たな展開がゆっくりと始まる・・・これから面白くなるんだろうなぁ・・・と、誰でも期待するところでしょう。それなのに!ああ、それなのに!本来でしたら、レクター&クラリスに勝るとも劣らない展開が待っているはずなのに、いつまで経っても小学生並みの凡庸なヤリトリが続くし、どうでもいいハンパなストーリーは挿入されるし、期待してしまった分、物凄く損した気分です(笑)。この中盤の脚本のお粗末さには呆れてしまいました。終盤、再び活気を取り戻すんですが、時すでに遅し!っつーか、どうして中盤が、あんなにも体たらくなのか不思議としか言いようがありません。初めと終わりの部分は金を払って観る価値は十分ありますが、真ん中部分は金をいただきたいくらいです。皮肉タップリのオチが効いているだけに惜しまれる作品でした。
『パニック・ルーム』から3年、ジョディ・フォスター主演の『フライトプラン』です。予告編からヤバそうな空気が漂っていましたが、案の定でした。まぁ、宇宙人が出て来ない限り、その展開は想像出来るのですが、説明不足が甚だしいですし、無理が有りすぎです。それでも、子を守る母親を演じるジョディの演技は見応えがあります。ある意味、それだけの映画とも言えます。個人的にはラスト近辺に納得出来ない部分もありましたけどね。ピンと張り詰めた緊張感漂う前半は一級品ですが、ネタバレ以降はしょーもないです。というワケで、ジョディを観るだけの映画でした。最後に気になったシーンがあります。ジョディ!一言必要なんじゃないですか!
1994年、アフリカのルワンダで起きた大虐殺が舞台になっている『ホテル・ルワンダ』。これは、実に良く出来た作品です。ドン・チードル演じるポールは、首都・ギガリの高級ホテル“ミルコリン”の支配人。ポールは本当に何処にでもいる普通の人、ただの一般ピープルとして描かれており、彼の行動や発言は小市民のオイラと大して変わりませんし(ホントかよ!)、TRY出来る範囲です(ホントかよ!)。おそらく観客の多くの人達も、彼のその感覚を共有出来るのではないでしょうか。ポールはホテルの支配人という立場を利用しながら、ちょっとだけズルくて、少しだけいい人なんです。そんな彼が、そんな普通の人間の彼が妻に話します。襲われていよいよ危なくなった時は・・・その言葉には驚かされました。彼のその言葉が、ルワンダで行われていた残虐的な行為を如実に物語っているような気がします。普通なら逃げ道等を指示したりするものだと思うのですが、ここでは如何に確実に残虐的な行為から免れるか!に重きが置かれます。オイラと大して変わらない男の究極の選択にオイラは参りました。そんな指示は普通は出せませんよ!そして、自らのその指示に振り回され、挙句の果ての虚脱感・・・単なる小市民が振り回される様は、リアルな体感として迫って来ます。人に襲われる恐怖を、ここまで身近に感じられる映画も珍しいでしょう。観て損はありませんので、是非多くの人に観て欲しい作品です。
2006年01月22日(日) |
THE 有頂天ホテル スタンドアップ イノセント・ボイス |
朝の8時半に目覚ましをかけて、9時に家を出て9時40分に銀座に着いて、二箇所の金券ショップへ!案の定、二軒とも開店していなかったので、そのままマリオンへ!10mくらいの列の後ろに並びながら「1800円かぁ・・・とほほ」と諦めていたら、窓口に『JCBカードを持っている方1600円』と書いてあったのでラッキー♪という感じで進行した、まだ少しばかりの雪景色が残る今年の初陣でした。
今年の初観賞です!まずは邦画応援団としてチェックをしなければいけない(義務かよ!)三谷幸喜脚本監督の『THE 有頂天ホテル』です。小生の周りの映画ファンの間では異常に評判の悪い三谷幸喜なんですが、オイラは別に嫌いではありません。TVドラマでは『やっぱり猫が好き』『振り返れば奴がいる』『王様のレストラン』『古畑任三郎』、映画では『12人の優しい日本人』『ラジヲの時間』『みんなの家』『笑いの大学』等、どれもこれも十分楽しませていただきました(『古畑〜』は初期だけですが・・・この正月にオンエアされた作品も全くダメでした。イチローの演技は上手かったですけどね!)。さて、超豪華キャストが揃った今作。どうにも、ノれませんでした。そりゃ、思わず笑っちゃう部分も多少はありますし、辻褄の合わせ方や小道具の生かし方等も上手いんですけど、わざとらしい雰囲気しか感じられません。くどい!って、言うか、脂っこい!って、言うか・・・さり気無さとか、洒落とかいうニュアンスが全くありません。分かりやすく説明すると、登場人物全員が加藤武扮する等々力警部のような演技なんです。って、余計分かんねぇーよ!まぁ、普通、若い頃は濃かったけど、最近は脂っこさが抜けて、良い塩梅になってきたよね!なんて言われたりするモノですが、三谷幸喜は逆ですね。最近の作品に出てくるキャラクターはどいつもこいつも鬱陶しくて腹にもたれます。また、役者がオーバーアクションなので(まぁ、監督が舞台出身だから仕方無いのですが・・・)疲れます。どこでも声を張り上げてるんだものなぁ・・・(笑)。それと、どういうワケか彼の映画を観に来てる人の中には、茶の間で観ているのと勘違いしている人が、多くて困ります。とある登場人物の後ろ頭が禿げているの見つけると「あら、禿げてるわよ!」と隣に座る友人に話しかけ(笑)(笑)(笑)、とある小道具が巡り巡って元に戻って来ちゃうと、隣に友人が居なくても「あらら、戻って来ちゃったよ!」と独り言を言いながら(笑)(笑)(笑)。一時が万事この調子です。だいたい、何処がそんなに面白いのかサッパリ分かりません!吉本新喜劇とかが好きな人には向いてるのかなぁ・・・。映画を観ている最中、何だか、とても不思議な空間に紛れ込んでしまった時間でした。ダメだこりゃ!
続いては『モンスター』でアカデミー主演女優賞を受賞したシャーリーズ・セロンの新作『スタンドアップ』。劣悪な労働環境で女性が立ち上がる映画と言うとサリー・フィールドの『ノーマ・レイ』が思い出されますが、今回は環境が男性優位の場所だけに、女性を取り囲む状況はまさに四面男根!以前、友人の女性が「大きな男性が近づいて来るだけで恐怖を感じるし、その態度がちょっとでも粗雑だったり、大きな声で話されるだけで怖い・・・」と言ったのを聞いて、女性にとっては男性の存在そのものが大きな威圧感を与えているんだなぁ、と気づいたコトがありました。そりゃ、男だって大きな相手には多少なりとも威圧感は感じますが、スキンヘッドの大男でも無い限り、恐怖まではなぁ・・・彼女の発言は男性の自分には、なかなか把握出来ない実感でした。そうなんだぁ・・・気がついて良かった!(って、遅いよ!ジブン!)で、そういう荒くれ男根たち・・・あ、違った!男たちに囲まれて仕事をするコトになった女性@受身セクハラ三昧!さぁ、どーすんの、アタシ!っつー話です。この映画の主演はセロンですが、どっこい!(←古いよ!) ヒロインは彼女だけではありません。この映画が単純なヒロイン誕生物語にならなかったのは監督がハリウッド出身ではなく、さらに!女性だったからかもしれません。セロンをことさらにスーパーウーマンにしません。ハリウッドの男性監督だったら、セロン演じる主人公・ジョージーを逆境転じて、男勝りで、どこまでも挫けない立派な女性として描くでしょう。ところが、この作品でのジョージーは上層部とのヤリトリでは何も出来ず、壇上に上がればえげつないヤジで硬直してしまいます。そりゃ、そうでしょ!現実問題、女の細腕(そんなに細くないけど・・・)じゃ、な〜んも出来ませんよ。だけんどもしかし!彼女を援護射撃する為に、人生で初めて母は反乱を起こし、父はスタンドアップします。その行動が、あまりに劇的なので不覚にもヤラレてしまいました。おそらく、その行動を示唆するようなカットがあったのなら、ここまでヤラレなかったでしょう。この場面を唐突と受け取る人も多いと思いますが、個人的にはハマりました。映画を観ながらズーっと、「アンタ(父親のこと)、それでいいのかよ!そんな態度ばっかりとってていいのか!取り返しのつかないコトになるぞ!」と毒づいてましたので、彼のスタンドアップにヤラレてしまったんですよ。どんなに出来が悪くても、自分の子供は可愛いですし、愛おしいモノです。現実では、そうでない場合も多々見受けられますが・・・それでも、親とは子供を慈しむモノだと信じていたいんです。単なる甘ちゃんの願望ですけどね(現実にセロンは幼い時に母が父を射殺する現場に立ち会ってしまっていますから・・・)。ジョージーの父親も、彼女を疎ましく思う反面、ズーっと抱きしめる機会を心の何処かで願っていたんじゃないでしょうか。まともな父親なら、男たちに囲まれ吊るし上げられている娘を放っとくコトなんか出来ませんよ!父親の言葉は力強く説得力に溢れています。そういう部分をピックアップすれば家族の物語とも言えますが、基本的には“人間、立つときゃ、立たなきゃ!”というED系(なんじゃ、そりゃ!)の作品です。主要登場人物のほとんどが、様々な理由で自分のコトを卑下してるんですが、実際の人間なんてのも、そんなモノでしょう。でも、卑下したままじゃ、何も始まらない!ってコトです。オイラもいつかは立ちたいなぁ・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ. え、裁判シーンがいい加減?そんな場面なんて、ありましたっけ?マクドーマンドが座ったままスタンドアップ?フェイスアップ?したシーンしか覚えていませんわ!
そして、3本目・・・1980年、エルサドバドルでの内戦が舞台になっている『イノセント・ボイス』。映画が終わった時に言葉が出ませんでした。雨の中、兵士達に囲まれながら手を頭の後ろで組まされ、何処か向かって行く数人の子供達・・・。前半はインディーズ系映画の特徴とも言える、対象から一歩引いたようなカメラワークで悲惨な状況を淡々と切り取って行きます。このような演出はドキュメンタリータッチとも呼ばれ、置かれた状況をことさらに強調するようなコトはせず、事実を客観的に伝えるのに適している手法と言えます。でも、個人的には、とても居心地の悪さを感じてしまう演出で、強制的に傍観者にされてしまうような気分になってしまいます。それでも、そこに映し出されている状況は十分に見応えがあり、観客は客観的に映像を捉えるコトが出来るので、後々、自分の中で良く噛み砕き把握するコトが出来ます。ただ、それがどんなに悲惨なコトでも、結局は他人事なので、個人的には何処か居心地の悪さを感じてしまいます。ところが、この作品は冒頭で描かれた雨のシーンに戻ったところから、ガラっと演出が変わります。それは劇的とも言える演出で、それまで他人事だと思っていた客観的な気持ちが、いきなり主人公の少年に同化させられてしまいました。あの川辺のシーンは、それまでのインディーズ系演出でしたら、もっとロングショットで描いたと思うのですが、いきなりのハリウッド調演出が自分にはめちゃくちゃツボでした。映画が始まってから初めてのクローズアップショットと言っていいほど、対象に迫ったあの瞬間、周りの子供達の顔には、小学生の頃に仲が良かった同級生達の顔が浮かびました。それくらい死を自分のコトのように身近に感じてしまいました。これは思わぬ出来事でした。そこからは、自分と少年が同化したまま、エンディングまで観てしまいました。躊躇したし、早く会いたかったし、救って欲しかったです。個人的には、あの川辺のシーンから、この映画に関しては冷静な判断が出来ません。遠い昔・・・こんな質問がありました。「あなたは、この国が他国から侵略されたらどうしますか?」。当時は「自分は戦う!」と答えてました。でも、今・・・小生の言葉は「逃げて、逃げて、逃げ切れなくなったら、抵抗せずに殺されるコトを受け入れる・・・」かもしれません。1980年・・・社会人になったばかりで、覚えたての仕事の出来不出来に一喜一憂していました。もちろん、あの時の同級生もそれなりに幸せな人生を過ごしていると思います。この恵まれた人生に感謝したいと思います。
2005年12月30日(金) |
キングコング 男たちの大和/YAMATO |
前スターウォーズ3部作がLD(LDかよ!)で揃った時に、何を思ったか、この7時間を越える長尺を自分で編集して2時間半くらいの長さにしてやろうじゃないか!と、意気込んでTRYしたコトがありました。ええ、そうですとも!身の程知らずのおっちょこちょいでしたわ!まぁ、やってやれないコトは無かったんでしょうけど、膨大な時間と労力がかかりそうなので恐れをなしてしまいました。つまり、元の三分の一まで短くするなら、ちょこまかカットしてたって埒があきませんから「このシークエンスは全部要らないや!」と、ザックリとカットしなければならないんですが、何せ、相手は映画界に輝く金字塔です。当然の如く簡単にカット出来るシーンなんてありゃしません。で、この辺りかなぁ・・・と探している内に、段々と映画に引き込まれて観始めちゃうんです(苦笑)。良い映画ってのは、そういうモノなんでしょうね。で、ピーター・ジャクソンの前作の『ロード・オブ・ザ・リング』のシリーズもそういう印象でしたが、新作の『キングコング』もまた、そうなんです(苦笑)。つまり、映画としては十分魅力的ですし、見応えのある作品に仕上がっていますが、唯一の欠点は長過ぎるってコトだけです。でも、何処をカットしていいのか分かりません!だから、長くても仕方無い!それはもう諦めて、我慢して観ましょう!十分堪能出来ますし、損はありません!それにしても!ピーター・ジャクソンは凄い監督になりつつありますね。今後も目が離せませんねぇ!
あの佐藤純彌監督の『男たちの大和/YAMATO』ですが、ロングラン大ヒットで、キネマ旬報8位ですか・・・なんだかなぁ。まぁ、大ヒットは、それはそれでいい事なんでしょうけど、映画自体の完成度は疑わざるをえません。まず、テーマがぼけてるし、展開が唐突だし、それぞれのストーリーが全て中途半端だし、最大の戦艦だった大和の空間も感じられませんし、挙句に年少兵達は誰が誰だか分かりません。全体的にバラバラな印象が残る映画です。ただ、どういうワケか、この映画には昔懐かしい映画人の匂いがプンプンします。出演している役者は反町隆史や中村獅童だったりするのですが、スクリーンから漂って来る空気感は、紛れも無く“映画”が“映画屋”だけで作られていた頃の泥臭いモノです。今どきの映画に比べて体温が高く、そして、その熱は小生にとって決して居心地の悪いモノではありませんでした。おそらく、監督の佐藤純彌の演出がそういう懐かしい熱を作り出したのだと思われます。あの長島一茂でさえも、今までで最高の存在感を見せたりするのには驚きました。じんわりと感じられる緊張感ある演出は、長年を映画監督として手腕をふるってきた賜物でしょう。映画の出来は決して褒められたモノではないですが、この熱を感じられただけでも自分にとっては嬉しい作品でした。やっぱり、作る人が作ると、映画としての存在感が違いますねぇ。
「お前、作ってるやろ!」というセリフは、バラエティ番組等でタレントが実体験を披露した時に、その話があまりにワザとらしい面白さに満ちていると、司会者が突っ込む言葉ですが、この映画は、そんな印象を残す作品です。もちろん、映画ですから全編が創作です。でも、そのストーリーの中に誰もが自然と納得出来るエピソードが含まれていると、その他のウソ臭く思えるエピソードも真実味を持ってくるワケです。監督の源孝志は、きっと真面目な人なんでしょう。とにかく、遊びがありません!主要登場人物12人が交差しながら、いくつかのストーリーが描かれるのですが、その全てが“濃い”というか、重いんです。だから、ついつい「お前、作ってるやろ!」という突っ込みを入れたくなります。もっと普通の人々、な〜んも劇的なコトが無い人達も描いた方が映画としての厚みが出たんじゃないでしょうか?例えば、回転寿司屋のシーンなどは幾らでも面白くなったような気がします。個人的にはモデルと少年、やくざと主婦のカップルの話など全くピンと来ません。それでも、この映画は好きです。何故なら、誠実だからです。何処までも、誠実に人間の素敵な部分を描こうとしているからです。そんな誠実な人間像を演じる宇津井健、淡島千景、豊川悦司、田口トモロヲ、原田知世、田畑智子、井川遥等は、とても魅力的でした。
因みに、この映画のキャメラマンはフランス映画界のセザール賞・最優秀撮影賞(『将校たちの部屋<未公開>』)に輝いたこともある永田鉄男です。お気に入りの映画『うつくしい人生』でも、美しい画を撮っていました。その永田が“停電の夜”をフィルムにどう写すのか?というところに興味がありました。メインの舞台となる路地裏の画作りが、あまりにメルヘンなのがちょっと気恥ずかしいですが、ロウソクの中での宇津井健と淡島千景のシーンの美しさは特筆すべきモノでした。全編を通した深度の浅い画作りは、やはり大停電の夜に相応しい出来映えでした。
2005年11月12日(土) |
ALWAYS/三丁目の夕日 |
簡単に言ってしまえば・・・それなりに美味しい料理を食べている隣で、「美味しい?美味しいでしょ!ね、美味しいでしょ!」と何度も聞かれているような映画です。そんな状況だったら、味も落ちるってモンでしょ(笑)。冒頭から流れてくる音楽を始めとして、前面に「さぁ、皆さん!ノスタルジーにド〜ンと浸ってくださ〜い!」と、臆面も無く誘ってきます(笑)。舞台は東京タワーが出来た昭和33年の東京。今から47年前の東京が見事に再現されています。「あ、見たことあるそ・・・ああ、上野駅か!なるほどねぇ!」みたいな映像が溢れ出てきます。良くぞ再現した!と、間違いなく褒めたくなる出来です(オイラって何様(苦笑))。西岸良平の原作自体がベタですから、映画も当然の如くベタな展開で進みます。個人的にはノスタルジックな味付けが濃すぎてゲップが出なくも無いですが、それでも、子供時分に被っている時代ですから、懐かしい気分に浸れますし、決して悪い嫌いな作品ではないです。
ただねぇ・・・映像はデコレーション過多なのですが、どこか物足りない印象が残ります。監督の山崎貴は本当に優秀で勉強熱心な方なんでしょう。撮影前に、とことん煮詰められたと思われる脚本に沿って、細かく積み上げられたエピソードが全て上手く収まって行くのですが、ただただ収まって行くだけなんです。そこには、生きている人間、血が通っている人間の存在感があまり感じられません。
例えば、淳之介のアイデアを盗作したのが発覚したシーン。単純に喜んでいる淳之介を見て竜之介が、それをどう感じたか?例えば、竜之介が淳之介を叩くシーン。殴られた淳之介が、それをどう感じたか?どういうワケか、ほとんど描かれていません。そういった二人の心の機微がないがしろなので、竜之介が部屋で暴れるシーンもピンと来ませんし、その後の展開にも、いまいち入れませんでした。相対している相手が自分を見て涙を流し感動していたら・・・、自分の頬を平手打ちする相手が居たら・・・誰だって感情が動かされるはずです。老若男女を問わず、人は人と濃く触れ合えば触れ合うほど、お互いに何らかの影響を受けるワケです!片側だけの感情を描いているだけでは片手落ちです。その辺りの描写に深みが感じられません。だから、全てが絵空事に見えてしまいます。『ALWAYS/三丁目の夕日』は結局のところ、昭和33年を舞台にした絵本を見ているような映画と言えなくも無いです。
どんなに素晴らしい脚本でも、演出ひとつで傑作にも愚作にもなります。もちろん!この映画は決して愚作ではありません。観終わった後に拍手も出ていたくらいですからね(品川プリンス・シネマにてレイトショー鑑賞)。監督の山崎貴ですが、この人って、人に興味があるんですかね?その辺りを克服しない限り、いつまで経っても「技術屋出身の監督だからなぁ・・・」という、レッテルから逃れられないんじゃないでしょうか・・・。ただ、前作『リターナー』よりも成長していたので、次回作が楽しみになったも確かです。
全編にわたって東京タワーは背景として垣間見えるだけなんですが、もうちょっとフューチャーされていても良かったかも・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ…。集団就職で鈴木オートにやって来た星野六子役の堀北真希の赤い頬っぺたは良かったですねぇ(笑)
ラ・マンチャで夢破れたテリー・ギリアムはこんな映画を撮ってたんですねぇ・・・『ブラザーズ・グリム』。もちろん!童話で有名なグリム兄弟が主人公のファンタジー!なんだかギリアム節が炸裂しそうじゃないですか(笑)。ストーリーはグリム童話で有名な様々なエピソードを散りばめながら、進んで行くのですが・・・まぁ、ストレートな話ですわ!捻りも無ければ毒も無い!当然『未来世紀ブラジル』や『バロン』『12モンキーズ』で見せた圧倒的な世界感もありません。あくまでも小品、サクサクっと作った印象です。それでもテリー・ギリアム好きには、それなりに楽しめます。主演のマット・デイモンですが、整形したのかなぁ(笑)それくらい、いつもの顔と違って見えました(笑)。観終わった後の印象は・・・ティム・バートンの今年の2作品に近いかも・・・(苦笑)。おそらく、グリム童話に深い造詣がある方にはもっと楽しめるんでしょう(だからぁ?)。
2005年10月26日(水) |
スクラップ・ヘヴン ドア・イン・ザ・フロア |
『69 sixty nine』でメジャーデビューを果たした李相日の新作『スクラップ・ヘヴン』。若い観客の間で支持を得ている!という情報をキャッチしたので、50代の親父がチェック入れに行ってきました。結果は・・・つまんねぇ〜(苦笑)。前作でも、う○こネタを振りまいていたのですが、今回はさらに磨きがかかってます(笑)っつーか、う○こ磨いてどーすんだ!っつーの!まぁ、う○こネタは\(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ…(この監督は好きなんでしょうけどね)、映画は始まってバスジャックのシーンまでは緊張感が溢れていて、傑作を期待させるのですが、それ以降は、どーしようもありません。冒頭の緊張感がこの後半を描く為のモノだったと思うと、悲しくなってしまいました。小学生並みの発想の貧困さは如何ともし難いのでしょうか?シーンを作り上げる力量はあるのに、そのテーマはあまりに稚拙です。「世の中、想像力が足んねえんだよ」・・・映画の中で何度も発せられる台詞ですが、そのままこの映画に返したいと思います。役者、撮影スタッフ、ロケセットの充実さには十分想像力は感じられましたが・・・( ̄。 ̄ )ボソ…。
ジョン・アーヴィングの映画化作品『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』『サイダーハウス・ルール』・・・好きですねぇ(『サイモン・バーチ』が一番苦手かな・・・)。以前チャットで友人と『サイダーハウス・ルール』が良かった!という話しをしていたら、入室して来た人が「あの映画は何処が面白いんですか?」と聞いて来たので「上手く説明出来ません・・・」とレスしながら、心の中で「何処が面白いのか?なんて聞いてくる奴に、いくら説明したって分からねーよ!」と毒づいておりましたf(^-^; ポリポリ。というワケでアーヴィングの『未亡人の一年』を映画化した『ドア・イン・ザ・フロア』です。今回もまた、人間が持つ全ての善悪、っつーか、辻褄が合わない人生悲喜劇模様を存分に見せてくれます。どんなに美しい人でも人間である限り、ウ○コはするんです(って、そういう話じゃないだろ!)。前半は多少もたつきますが、後半からはエンジン全開でアーヴィングの世界が拡がります。綺麗事じゃ、済まされない人間の業・・・そして、それは何処までも滑稽なのに、何故か鼻の奥がツンツンしてくるのです。アーヴィングの世界に浸っていると、人間が愛おしくなってきます。ジェフ・ブリッジスのスケベェぶりも、ベイジンガーのだらしなさも、とても愛おしいです。映画館前でのベイジンガーの表情は良かったなぁ・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ…。個人的にはエディが最高傑作を書くシーンがツボです。アーヴィングは『サイダーハウス・ルール』では自身で脚本に参加していましたが、この作品『未亡人の一年』の映画化は無理だろうと思い着手しなかったんですが、新鋭の監督トッド・ウィリアムズ(前妻はファムケ・ヤンセン!マジかよ!)が脚本を持って映画化を申し出た時に「こんな描き方があったのか!」と感心して、1ドルで映画化権を売ったそうです。粋ですねぇ!こうやって、感想文を書いていると、また観たくなってくるんですよねぇ・・・アーヴィングの映画って何度観ても面白いんです。忘れた頃にまた観たくなる映画がまた増えました。
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