Deckard's Movie Diary index|past|will
予告編からけっこうそそられていた『ブロークン・フラワーズ』です。実はジャームッシュの映画って嫌いじゃないんですよ。映像も音楽も、何処かユルい感じが心地よいかも?みたいに感じてしまって、間違っても「これは傑作!」だとかも無いんですけど、嫌いじゃないんですよね。というワケでシャンテ・シネなんぞ向かったワケですが、混んでましたねぇ・・・ジャームッシュの映画に老若男女を問わず観客が!時代は変わりましたねぇ(苦笑)。で、映画ですが・・・今回はユル過ぎましたね。突然、遠い昔にワケ有りだった女性(誰だか分からない)から送られた来た手紙に振り回される年老いたドンファン・・・。簡単に言ってしまえば“家族”とか“孤独”とかの話なんですが、哀愁ばっかり漂っちゃって、淋しいだけの映画になっちゃってます。ビル・マーレーは、例によって良い味を出していて、彼じゃなかったら、すっげぇ詰まらなかったんじゃないの?と危惧してしまいますが、最初から枯れていて、枯れたままで終わってしまうので、孤独な中年男の悲哀ばっかりが印象に残ってしまいました。ジャームッシュ演出が持っている惚けたニュアンスが、もっと溢れていた方が良かったんじゃないでしょうか?今回はちょっと辛いな・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...。
あのミヒャエル・ハネケ(笑)の新作『隠された記憶』です。な〜にがぁ、衝撃のラストカットだよ!いやぁ、今回もやってくれました!『ファニーゲーム』で“暴力”を、『ピアニスト』で“男女の愛”を偉そうに語ってくれましたが、今回は誰もが持っているちょっとした悪意がテーマです。マジでこの人は、ある意味凄いすよ!つまり、中身がな〜んも無いくせに、すっげぇ有りそうに見せるテクニックは凄いすよ(苦笑)だから、学生とかに見せて「みんなぁ、来週までにこの映画についてレポートを提出しろよぉ!」とか言うには調度良い、まるで教材ビデオです。結局は、な〜んでも有りで、な〜んも無い映画なんですが、色々ウラ読みして語りだすと際限なく続くような気もします。例えば、もの凄く映画好きで、実際にたくさんの映画を観ている仲間たちと、この映画を肴にして語りだしたらアッチヘコッチへ話の方向が脱線しながら一晩中語り明かせそうです(笑)。それにしても、ヨーロッパの人々はこういう映画が好きですねぇ。論争好きなフランス人にとっては、猫にとってのマタタビみたいなモンなんかなぁ・・・キョロ(・_・ ))(( ・_・)キョロ 当然、あーだこーだ言いたがる評論家にもウケが良いのも間違いありません。論争のネタになるような映画という意味では、脚本が上手いし、演出も言う事無いです。この映画を真面目に捉えて、真面目に論争する人々をとやかく言う気持ちはありませんが、個人的には内容に意味は無いと思っています。ハネケはコレを観た人々が色々語り合うのが楽しくてしょうがないんでしょう。しかし、映画と言うのは本当に奥深いなぁ・・・・。ある意味、ハネケの次回作が楽しみになりました。彼との付き合い方がようやく分かって来ましたよ。
ジョージ・クルーニー初監督作『グッドナイト&グッドラック』。かなり期待していたんですけどねぇ・・・何だか、置いてけぼりを喰ったような印象が残りました、これは、オイラの知識の無さも影響しているんだとは思いますが、作り手たちだけで勝手に盛り上がって先に行っちゃってる?感じです。主役のエド・マローはそりゃ大したコトをなさった人物なんでしょうけど、かっこ良く描き過ぎでしょ!映画は、マローを中心とした報道チームの仕事ぶりを淡々と描いてくのですが、結果的にチームから離脱してしまう人物や、ワケありカップル等のエピソードが取ってつけたようで、ピンと来ません。で、斜に構えて「グッドナイト&グッドラック!」と言われても、何をかっこつけてるんだか!っつー感じです。ことさらに英雄然と描かれても興冷めですが、かと言って、暖かい血が流れているような印象もありません。クールに、硬派に描いたんでしょうけど、個人的にはこういう人物像に魅力を感じません。だって、強くてかっこ良いだけなんだもの・・・批判を覚悟で言えば、まるでキムタクみたいな映画でしたキョロ(・_・ ))(( ・_・)キョロ ダッシュ!((( 三( -_-) 。健全な印象を前面に出しているのも、ちょっと鬱陶しいかな・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ
『8人の女たち』、『スイミングプール』で、その才能を存分に知らしめたフランスの若き俊才フランソワ・オゾン!だと、勝手に思っていたのですが、その後の作品にはどうにも釈然としません。前作の『二人の五つの別れ路』も、新作の『ぼくを葬る』も、だから、なんだって言うんだろう・・・。全く魅力を感じません。『二人の〜』に関して興味ある人はインデックスから捜して読んで下さい。で、『ぼくを葬る』です。観終わって第一印象は「なんて、勝手な奴なんだろ・・・」でした。まぁ、相当なナルシス野郎なのは間違いないですね。誰だって自分の為に生きているけど、一人で生きているワケじゃないでしょ!そりゃ、普段は勝手していても最後くらい落とし前をつけましょうよ。やっぱり、恩とか礼儀とか大事なコトを忘れちゃいけないでしょう。この映画の主人公の親が一生後悔するのは間違いありません。親にとって、自分より先に子供が亡くなるコトくらい辛いことないですからね。親の写真も撮ってやれよ!どうして、そのくらいのコトが出来ないんでしょうか?まぁ、オイラが言ってるコトはこの映画に関しては的外れな意見なんでしょうけど、言わずに居られません!「理想の死に方を映画にしたっていいなじゃないですか!」という意見も分かりますが、そんな歪な理想なんて観たくも無いです!
カンヌ映画祭国際批評家連盟賞(どういう賞なの?)受賞作品『クライングフィスト』。ボクシングというのは、金持ちも貧乏人も、聖職者も犯罪者も、孤児も大家族も、一度リングに上がってしまえば、単に赤と青にだけ色分けされた世界がソコにあるだけです。ただ、彼らだって一人で生まれて一人で育って来たわけじゃない!親も居れば家族も居る。それぞれの人生を背負って生きているわけです。間違いなく、リングに至る道程は万の色を使っても描き切れないモノなのでしょう。この映画は、何の因果か、同じリングに上がった二人のボクサーのバックボーンを丁寧に描くコトによって、不条理な人生を浮き上がらせます。そう、勝者はたった一人です!そこにどれだけの思いがあり、願いがあったとしても勝者は一人!それでも、負ける可能性のある“勝負”というモノに挑むことのない人間の多い中、負けたとしても、それは賞賛に値するチャレンジなのは間違いありません!この作品のテーマは好きですし、狙いも悪くないです・・・ただ、あまりにも作り方が稚拙なのが惜しまれます。不良少年・サンファン・サイドの描き方は無駄に長く底が浅いし、逆にテシク・サイドは明・u桙轤ゥに説明不足の印象が残ります。無駄なパンチが多く、勝つには勝ったが、次戦に課題が残る試合のようです。それにしても、チェ・ミンシクの出演する映画は汚いなぁ・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ
友人が是非!と言うので観に行った『力道山』です。確かに力のこもった映画でした。力道山を演じる主演のソル・ギョングは素晴らしいですねぇ!こんな役者は今の日本には居ないでしょ!こういった作品を見ると、つくづく、韓国映画界の熱さを感じますね。韓国映画が日本の昔を映像にするなんて・・・美術(デザイナーは日本人!って、当たり前だろ)も素晴らしいっす!昔の邦画には、こういう熱さはあったんですけどねぇ・・・(苦笑)。力道山は小生(54年生)の子供時代のヒーローでした。街頭TVの前で多くの庶民が口角泡を飛ばし、翌日には興奮し過ぎて心臓麻痺で亡くなった老人の記事が新聞に載ったりするほどの、大騒ぎ状態でした。ただ、力道山本人の存在感というは、小生が子供だったからでしょうか、あまり感じられませんでした。何処か、距離があるような印象でしたし、彼の本音が見えるようなコトは無かったように記憶しています。力道山が刺された時も、なんだかキツネにつままれたような事件で、直後のニュースでも、まさか死に至るとは想像も出来ませんでした。後に、力道山が朝鮮人だったコトを知ったのですが、その時は、まだまだ発展途上だった日本の暗い闇の部分に触れたような気がしました。個人的な力道山に関しての印象はそんなモノなんですが、この映画で彼の苦悩の部分も多少は分かったような気がします。ただ・・・力道山はプロレスを立ち上げる時に、本当にあんなコトを言ったんでしょうか?「オレは朝鮮人でも、日本人でも無い!世界人だ!」という彼の主張は分かりますが、この映画にはその発言裏付ける部分が希薄です。それは、力道山と力道山の後見人、藤竜也演じる菅野武雄との関係の描き方がイマイチ中途半端ですし、彼が朝鮮から日本に渡ってきた部分も描くべきだったんじゃないでしょうか?個人的には、力道山と菅野武雄、そして中谷美紀扮する綾の3人の確執にギュっと焦点を当てた方が良かったと思います。全体的にボヤけてしまった印象が残りました。また、『キル・ビル』の時にも思ったのですが、日本語で演技が行われるのなら、その部分だけは日本の録音技師を使った方が良いと思われます。『キル・ビル』の時と同じように、この映画も日本人の役者が発する言葉が聞き取り辛いです。誰か教えてやれよ!
今年のアカデミー賞作品賞の有力候補だった『ブロークバック・マウンテン』は、とても美しい映画でした。この作品はゲイの二人を描いていますが、そんなコトは関係ありません。人が人を好きになるのに理屈は要りませんし、相手を求める狂おしい気持ちは異性だろうと同姓だろうと変わりません。その狂おしい心の発露がストレートに伝わって来ました。人を好きになるのは心だけじゃないですし、ましてや身体だけでも無い!でも、そのどちらかが欠けても満足は出来ません。主人公の二人は道ならぬ恋に身を委ね、そんな自分を受け入れていいのか?受け入れたいのか?既に受け入れているのか?心と身体の葛藤が切ないくらいに迫ってきて、涙がこぼれそうになりました。もちろん、オイラは全くのノンケですから、これからもそんな状況に出会うことは無いでしょう。それでも、二人の関係が切なくて・・・そこには、純粋に人を愛する姿があり、それはやっぱり美しいモノなのでしょう。
本年度アカデミー賞作品賞受賞『クラッシュ』。これは紛れも無い傑作です!誰が何と言おうと傑作です。この脚本は素晴らしいし、演出も素晴らしい!何が素晴らしい!って、この映画を観た後、人間というモノを信じたくなるような気分にさせてくれるのが最高に素晴らしいです。人間って言うのは自分勝手だし、だらしないし、いい加減だし、出来損ないのくせにプライドだけは高く、そのプライドが傷つくようなコトがあれば、逆切れだってしかねない、まるでオダギリ・ジョーの可愛い後輩のような生き物です。それでも、人間は愛すべき存在だと信じたいです。何故なら、出来損ないの人間は助け合わないと生きていけません。だから、不器用ながらも、その時がくれば何とかしたい!と思うのではないでしょうか?まぁ、甘っちょろい性善説かもしれないですけど、たまには良いコトもしたいじゃないですか!先日、息子と話した時に彼が言った言葉は「人助けすると、良い気分になるよ・・・」でした。彼の発した言葉は、ある意味、自分を優位に置いた言葉かもしれません。だけど、彼の言葉はオイラの耳に心地よかったです。だから、「だったら、気持ち良くなるコトはたく・u桙ウんしようぜ!」と言ったのですが、「まぁ、余力があったらね」と返されてしまいました(苦笑)。話しが逸れましたが、一番好きなシーンはマット・ディロンとサンディー・ニュートンが二度目に絡む場面です。あの場面は忘れられないシーンになりそうです。凄いシーンを観た!という印象が残りました。生死を前にして、個人的な感情なんて取るに足らないモノなんだよ!というコトを現代社会の中で如実に表現したシーンでした。言い方を変えれば、普段あーでもない!こーでもない!と不満ばっかりこぼしていても、そんなモノはある程度の生活基盤があるから言える愚痴なんですよ。そして、この映画の辛らつなシーン・・・例え、良い人でも、良い行いをしていても、不幸な出来事は突然襲って来るという理不尽さ!です。何一つ良いコトが無く死んでいく人間が居るように、命の値段はピンきりですし、天は人の上にも下にも人を作ったのです。だからこそ!多少なりとも余裕があるなら人間同士、垣根を越えて仲良くしたいですね。で、チンピラ警官役のマット・ディロンですが、アカデミー助演男優賞に匹敵する存在感を放っていました。
クローネンバーグの新作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』。およそ、クローネンバーグらしくない?分かり易い作りです。出だしのシークエンスから、静かな演出で“暴力”という行為を淡々とスクリーンに映し出し、弱肉強食の世界を端的に描いていきます。そして、出会い頭の交通事故のように、暴力が支配する世界に否応無く巻き込まれる一般市民・・・その結果、新たな、暴力が支配する世界が生まれ・・・、ここまでは実に明快に暴力が暴力を生み出す過程が的確に表現されています。傑作を予感させるに十分な展開です。ところが、物語は「おいおい、そっちに行くのかよ!」と突っ込みを入れたくなるような安直な方向へ進みます。そっちに行っちゃったら、もう、何でもありでしょ!個人的には正当防衛とは言え、図らずも暴力で英雄になってしまった悲劇を描いて欲しかったと思います。暴力は憎むべき行為ですが、キレイごとは言ってられません。とにかくアッチ方面に行ってしまった展開にガッカリでした。ただ、もう少し深く考えてみると、これはある意味「暴力をふるう人間とふるえない人間との違いは、その因子にある!」というコトなのかもしれません。つまり、ヴィゴ・モーテンセン扮するトムにはその因子があり、当然その息子にもあり、逆に、その息子の母親には無いのでしょう。暴力をふるうことが出来る人間は、多少の躊躇はあったとしても、暴力を肯定的(前向き?)に受け入れるワケです。片や、暴力をふるえない人間にとっては、暴力なんて憎むべきモノでしかありません。しかし、その両者がこの世に存在する限り、お互いを受け入れなければならないのでしょう。この映画のラストがそれを暗示しています。まぁ、いろいろ考えさせられる映画であるのは間違いないでしょう。
最終日に観てきました。予告編から相当気になっていた『ジャーヘッド』です。う〜ん、ちょっと肩透かしでしたね(苦笑)。戦争の狂気を描いた今までの映画とは一線を画していると思っていたのですが、結局は同じでした。まぁ、同じだからと言って、悪いってワケじゃないんですが、今回は今までで一番不可解な戦争が舞台だっただけに、その狂気の描き方も違うのかなぁ・・・と、思っていたものですから。つまり、殺人マシーンとして鍛えられ、戦地に赴いたはいいが、殺す相手が居ない・・・となったら、そりゃ、どーなっちゃうの?おれ?って感じでしょ!そして、結局は最後まで敵を殺すコトが出来なかった・・・せいぜいラクダを撃った程度で、イきそうでイけなかった・・・半立ち人生なワケですよ。個人的には、敵とは言え、生身の人間を殺すことが出来なくて良かったのか?悪かったのか?という観点も加味して欲しかったんですよね。「おれ達に殺させてくれ!」と叫んだトロイは最後までジャーヘッドのまま、自分を殺すコトになってしまうんですが、この内容では今までの戦争の狂気と大して変わらないような気もします。結局は、殺しても殺さなくても、とてつもない狂気の塊である戦争の前では大同小異ってコトなのかもしれません。ただねぇ・・・殺すことが無かった幸せってのは無いんでしょうか?幸せってのはオカシイか・・・なんだろ、「殺す気満々だったけど、そういう状況にならなくて良かったよ・・」みたいなね。まぁ、こんなことを言ってるオイラが理解出来てないんだろうな。
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