Deckard's Movie Diary
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2007年03月10日(土) |
魂萌え 善き人のためのソナタ 今宵、フィッツジェラルド劇場で BOBBY |
風吹ジュンは何をやっても素晴らしいのですが(いいじゃないですかぁ!好きなんですから!)、今回特筆すべきは三田佳子でしたね。音楽も素晴らしい。子供二人の存在感もかなり嫌らしくて良いです。監督の**は久々の佳作じゃないでしょうか。やはり営みは大事なんですね。渋谷のラブホテル前での自分を失わない描き方が好感が持てます。ひまわり?映写技師は資格がいるんですけど・・・。目覚まし時計で昼間の洋画劇場を そういうちょっとしたエピソードがその人となりの存在感を描き出し、その人の若い頃が垣間見えたりするワケです。まぁ、彼女が自分と同世代の人で同じ時代を歩んできたから言えるコトかもしれませんけどね。 夫婦という単位から個人を取り戻す さりげなく年齢を表現することも的確で ラブホやボートでの一件 ペーソス溢れる・・・ カプセルホテルでの一件も
浮ついたところが無く重厚で、いかにもドイツ映画然としています。『グッバイ・レーニン』に反発して作っただけあって、当時の状況がリアルに描かれているらしい・・・ 盗聴の緊迫感も、 二人の関係も しかし何故!、予備校の切れ者教官だった彼をそこまで変えてしまったのか? 二人の純粋な愛と言うのもイマイチだし、それがソナタの力だ!と言われても説得力が無さ過ぎです。ベートーベンの♪情熱のソナタ レーニンが「情熱のソナタを本気で聴いたら革命は出来ない」と言ったことが出典なんでしょうけど、 シュタージ局員ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)
これこそがロバート・アルトマンの中途半端なズルズル映画だ!遺作になったこの作品には“死”の影が色濃く漂っているのは偶然なのでしょうか?個人的にはこの作品の出来不出来なんてどーでも良いです。アルトマンが最後までアルトマンらしい映画を作ってくれただけで満足です。今頃はヴァージニア似の美女に誘われ心地良いカントリーを聴きながらフワフワしているに違いありません。それでいいんです。アルトマンが最後に傑作なんて残すワケはないんですよ!このコケた感じがアルトマンらしいじゃないですか!
時代を表したグランドホテルものなんですね。無駄が無く 往年の名曲が流れて来た時には柄にも無く胸が熱くなってしまいました。 時代を色濃く反映しているので観客を選ぶと思います。 個人的にはその時代の空気を吸っていた者として、懐古趣味と言われようと大事にしたい映画です。もちろん、懐古趣味だけの映画ではなくグランドホテルものの特徴である様々な人生が交差して 有頂天ホテルが恥ずかしい いつまでも愛されるカルト・ムービーになる可能性が大です。それにしてもエミリオやるじゃん!三丁目の夕日 ボビーという時代 ジェーン・フォンダ ウッド・ストック モノに溢れる中での二人 シンガーの悲しみ 人種差別 古き良きとは言うものの 今と変わらない人の営み ブッシュの共和党に対するアンチテーゼであり、民主党のプロパガンダ映画という なのかなと思っていたら、ココで描かれるその他の人々は全くの創作であり、実際に撃たれた人達は全然違う人々らしい。
話は変わりますが、初めて鷹の爪団のマナー広告を観ました!これは、マナー広告史上最高傑作ですね。それでも、オイラの隣に座っていたカップルの男の方!映画の途中で平気で携帯電話を観るんですよ!さらに、コップに残った氷を何度もガチャガチャと振って少しだけ溜まった水を飲んでるんです。映画の最中、それを何度も繰り返してるんです。はっきり言いますが、死にやがれ!腐れチンポ野郎!
2007年03月07日(水) |
パフューム/ある人殺しの物語 |
ある女性スタッフが目の前を通った時に、とても芳しい香りが漂ったので小生はすかさず「今つけている香水は何?」と聞いたら、彼女は暫く考えてから「う〜ん・・色々混ざってるから分からないわ・・・」と答えたのです。小生は彼女の受け答えに様々な妄想が膨らみ、あらぬところまで膨らませてしまいそうになりました。\(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ...その人にとって特別な“匂い”が、失われていた記憶を呼び戻すいうシーンは映画等で良く見られますが、それくらい“匂い”というのは五感の中でも特別なモノなのかもしれません。例えば、初めて肌を合わせた相手がつけていた香水の匂いなんてのは、やたらと罪深いモノで、横断歩道を歩いている時に同じ香水の匂いがしただけで、思わず振り返り、あらぬところを膨らませてしまいます(またかよ!)。
さて、『ラン・ローラ・ラン』『ヘヴン』に続くトム・ティクヴァ監督最新作です。全世界で1500万部を売り上げた小説が原作らしいですが、全く知りません。内容は、簡単に言ってしまえば大人向けのファンタジーと言えます。トム・ティクヴァを一躍有名にしたのは『ラン・ローラ・ラン』ですが、彼の作品群の中では(長編2作目の『プリンセス&ウォーリアー』は未見)、どうも『ラン・ローラ・ラン』だけが毛色が変わっているように感じます。『ラン・ローラ・ラン』はMTV的なPOPな印象が強かったのですが、他の作品では、どちらかと言うと、淡々とした時間の流れの中で背筋が凍りつくような研ぎ澄まされた感覚で対象物を捉えています。今回もまた、そのティクヴァ風の演出が冴え渡っていますが、欲を言えば物語を構築する枝葉の部分が弱いように感じました。つまり、主人公グルヌイユの不気味さを際立たせる演出は抜群なのですが、彼が内面に持つ狂気や哀しみの描写はいまいち物足りません。この辺りは脚本にもう一工夫欲しかったところじゃないでしょうか。それでも見応えのある作品であるのは間違いなく、18世紀のパリを再現した美術も、“匂い”を表現したと言われているベルリン・フィル(サイモン・ラトル指揮)が奏でる音楽も出色の出来映えで、木戸銭を払って観るに十分値します。それにしてもヒロイン役のレイチェル・ハード=ウッドは美人ですねぇ!危うくあらぬところを・・・もういいですね。しかし、こんな娘を持った親は大変だろうなぁと思いますよ。
<これ以降はネタバレです!>
グルヌイユが生を受けて旅立つまでの前半部は見事としか言いようが無く、その後の展開に期待が満ち溢れますが、自分の肉体的な欠陥に気づき、そして狂気の連鎖へと走っていく後半はストーリーが興味深いだけに盛り上がりに欠けたのは惜しまれます。人を愛に導くことは出来ても、自分は誰からも愛されないと知ってしまう彼の心模様はもっと大袈裟に描いても良かったし、その方がファンタジーとしてのエンディングもすんなり収まったような気がするのですが・・・。
2年前に『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクとオスカーを争ったアネット・ベニングの『Being Julia(華麗なる恋の舞台で)』がようやく公開されました。アネット・ベニングのように、表情に可愛らしい印象のある美人は個人的に大変好みでありまして、他にはジュリー・クリスティ(ちょっと違うんじゃない?)、ダイアン・キートン、イザベル・アジャーニとか、おりますが・・・って、全部ウォーレン・ベイティのお下がりじゃん!っつーか、ベニングもベイティ夫人でしたね。\(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ... いやぁ、さすがで御座います!素晴らしい作品であり、素晴らしい演出であり、演技であり、脇役陣でした。酸いも甘いも噛み分けた大人が作った、魅力溢れる大人の映画を十分堪能させていただきました。この作品は、古き良き娯楽映画の香りがスクリーン一杯に満ち溢れ、観る者をひと時の夢物語へと案内してくれます。ベニングの笑い声は耳に心地よく響き、その表情は熟女から少女へ、天使から悪魔へと華麗なる脱皮を何度も繰り返します(笑)。ホントにショービジネスの世界って怖いんだから!大作でも、大傑作でも、世に問うような問題作でもないですが、思わず( ^o^)ノ◇ ザブトン100マイと声をかけたくなるようなエンターテインメントがそこにはありました。話はちょっと逸れますが、先日観た『世界最速のインディアン』はもっと若い時に出会っていたなら、最高評価をしたと思うのですが、今のこの年(52歳)には眩し過ぎました。逆に、この『Being Julia』は若い時に観ていたら、ここまで堪能出来たかどうか、微妙です。今はもう酸いも甘いも好きになりましたからね。えー、そりゃもう!人生は牛飲馬食ですよ!なんじゃ、そりゃ!
2007年02月24日(土) |
世界最速のインディアン |
♪君は1000%(古いよ)という言葉が違和感なく当てはまるほどの“アンソニー・ホプキンスの映画”です。それくらい魅力的ですし、上手いです。ただねぇ・・・どう考えても太り過ぎなんですよ。え?そんなことは些細なことだろ!ですって?まぁ、そうなんでしょうけど、個人的にモータースポーツが好きなだけに、気になっちゃって・・・困りました。こんなライダーは居ませんよ(実在のバート・モンローは痩せています)。で、些細なツッコミは\(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ…映画としては普通に面白かったんですが、ぶっちゃけ、巷での評判ほどでは無かったです。とにかく話が綺麗過ぎて、っつーか、上手過ぎて、まぁ、実話なんですから仕方無いんでしょうけど・・・だんだんと近い年齢になって来ている自分としては、菅原文太を前にした田中邦衛のような気分になってしまいました(参照:北の国から '92巣立ち)。素直に受け入れられないんですねぇ・・・あまりに自分の人生が情けなさ過ぎて(/・_・\)アチャ。「ホント、アンタは凄いよ!( _ _)σ イジイジ」と、嫌味の一つでも言って、グレてしまいたくなります。監督のドナルドソンはTVドキュメンタリーでバート・モンローを取材したことがあるそうで、映画の肉付けとなる様々なエピソードも本当のことなのでしょう。でもね、自分の夢を持ち続け、皆から好かれ、応援され、その夢を果たし、最後は英雄!なんて、かっこ良過ぎるんだよなぁ・・・。結局は自分のせこさ、小ささを思い知らされた映画でした。っつーか、比べるのが100万年早いだろ!って、感じですね(自爆)。さて、かぼちゃを用意しないと(参照:北の国から '92巣立ち)。
2007年01月23日(火) |
それでもボクはやってない ディパーテッド グアンタナモ、僕達が見た真実 |
起訴されたら99%が有罪という国は先進国では日本だけで、世界の平均は80%くらいらしい。で、90%を越えると異常と言われているらしい(苦笑)
まぁ、伊丹十三に代表されるこの手の情報映画の宿命でもあるんですけど、どうしても人を描くことが希薄になりがちです。今回もまた!・・・という印象が残ります。それでも十分面白いし、いつでも痴漢の冤罪被害に合う可能性の高い男性は必見でしょ!
小学校教師の女性が殺されたのだが、26年の間その死体を隠し続けた用務員の男性は無罪放免!遺族に謝りもしないし、ただただ口を閉ざすだけ。無念の遺族は民事に損害賠償を訴えたが110万円の支払いを命じただけでした。コレは無いでしょ!狂っている・・・間違いなく日本はオカシイですよ!
『インファナル・アフェア』のリメイク、アカデミー賞監督賞受賞作品『ディパーデッド』です。監督賞を受けて大喜びだったスコセッシですが、彼はこの仕事を積極的に請けたんでしょうか?最近のスコセッシの作品と比較すると、かなり曖昧ですし、乱雑な印象が残りました。ただ、いいのか悪いのか、その乱雑さが若い頃のスコセッシを彷彿とさせる力強さに漲っているのですから、ややこしいってモンです。屋上からエレベータのシーンは本家でも見応えのある場面ですが、今回もまた緊張感に満ち溢れています。鏡の前では警察官だってマフィアだってただの人間、そして、死んでしまえばただの死体・・・というアメリカナイズされたテーマは面白いですが、デュカプリオの方はあくまで善人として描かれているのに、マット・デイモンの方が中途半端な印象です。アメリカナイズされたキャラならば、もっと徹底的にワルに徹して欲しかったですね。その辺りがちょっとねぇ・・・ああいう殺しの理由になるのならねぇ・・・。『フラガール』の李監督もそうなのですが、今までの作品で一番客観的に出来た!と言っているように、スコセッシもそうだったのかもしれません。なまじっか思い入れが無い分、冷静に作れるんでしょうね。本家は善と悪を対比させながら、善人になろうとした悪人の悲哀・・・誰でも善人になりたいんだなぁ・・・と思わせた『インファナル・アフェア』に思い入れのある人間にはイマイチでしょうが、そうでない人には結構魅力的なのかもしれません。ところで、マーク・ウォールバーグ扮するキャラは本家には無いモノですが、このキャラって何の為に出てきたんですか?ただ、落とし前をつけるだけなら、あまりにご都合主義じゃないですか?だって、肝心な時には居ないんだもん!
・・・そりゃ「そういう現実があったのか!」と思わされるけど(もちろん、様々なニュース等に接していれば想像出来ない現実では無いです。)、やっぱり“再現フィルム”の域を出てないと思うんですよ。演出された部分とニュース・フィルムを巧みに混ぜ合わせて、見応えはありますが・・・。同じウインターボトム作品の『イン・ディス・ワールド』の時にも似たような印象を持ちましたし、中東の映画にも同じような感想を持つことが時々あるのですが、個人的にはですねぇ・・・イギリスでノホホンと暮らしていた20歳前後の若者があのような過酷な状況に追い込まれて、どうして何ヶ月もの間、平常心を保っていられたのか?そういうコトに興味を感じます。っつーか、知りたい!中には気が触れてしまう人間も居るワケですし・・・でも、そういうコトは一切描かれて無いんですね。ただ一言「強くなった・・・」だけなんですよ。それとも、普通に耐えられるような程度なんですかね?そんなコトは無いでしょ!じゃ、どうして彼らは耐えられたんですか?宗教ですか?友情ですか?家族との絆ですか?それとも生への執着ですか?個人的には、そういう部分をガツン!と描いてくれないと“映画”を観た気がしないんです。とても良く出来た“再現フィルム”でしか無いんです。まぁ、観る価値は十分ありますけどね・・・それだけでいいのかなぁ・・・( ̄o ̄;)ボソッ。この手の映画を観ると、何だか腑に落ちないんだよなぁ・・・。
2007年01月20日(土) |
王の男 ラッキーナンバー7 敬愛なるベートーヴェン |
今年の観始めです。まずは『王の男』。想像していたよりは断然良かったです!途中までは傑作だと思っていたのですが、ラストがなぁ・・・ちょっと盛り上がりに欠けるというか、尻すぼみって印象が残りました。ただ、登場人物のバックボーンがしっかり描かれていて、見応えは十分です。
まぁ、よくある話ですが、それなりに楽しめます。オイラはけっこう好きですね。人がやたらと死ぬとか 話のバックボーンは直ぐに分かりますが、キレのあるスピーディな演出が効果的(フラストレーションが溜まりますが(苦笑))で飽きさせません。しかし、何故に彼は生かされたのか?その部分が描かれていないのが不満ですね。小道具が効いているだけにキチンと落とし前をつけて欲しかったかな。
ベートーヴェンと**の関係がもっと濃く描いて欲しかったですね。やはり第九のシーンは見応えがありますが、ちょっと長いです。もっと他に 彼女の曲を評価する時とか、彼氏の橋に対しての行為とか
2007年01月17日(水) |
ジェシー・ジェームズの暗殺 |
リドリーとトニーのスコット兄弟と主演のブラピが製作に名を連ねる作品です。はっきり言って、長いでしょ!前半から中盤まではストーリーがとっ散らかっていて、無駄な描写が多いです。っつーか、σ( ̄。 ̄) オイラみたいな平凡な人間にはハナシが良く分かりません。だいたい、ジェシーのカリスマ性なんて全く描かれませんし、役者のオーラだけで見せるのにはブラピでは荷が重いです。だから、何故に皆がジェシーを恐れているのかサッパリ伝わって来ませんでした。終盤になってようやくエンジンがかかりますが、時すでに遅し!もっとケイシー・アフレック演じるロバートとジェシーの関係にストーリーを凝縮した方が良かったと思うのは私だけでしょうか?
う〜ん、普通でしたね。コノ手の映画を観るといつもそうなんですが、眠たくなります。今回もまた案の定でした(6 ̄  ̄)ポリポリ 特に目新しいモノはありませんでした。
2006年12月30日(土) |
リトル・ミス・サンシャイン 鉄コン筋クリート 武士の一分 |
もちろん!悪くはないけど、大して面白いとも思いませんでした。期待が大き過ぎたのかもしれませんが、あまりにワザと過ぎると感じました。登場してくるキャラクターは、無理にヘンな連中にしている印象です。ヘンだから負け組なのか、負け組だからヘンなのか分かりませんけが、普通の人だって負け組は居るワケですよ。ここで描かれているのは「負け組の方がより人間的なんだよ」みたいな感じで、それって、どう考えても勝ち組の連中が無理やり考えている“魅力的な負け組”みたいな描き方のような気がしてなりません。結局は「上から目線かよ!」という感じです。少女のミスコンを弄っているのも悪くないんですけど、だから何?って感じでした。ラストの出し物もなぁ・・・どこまでもヘン過ぎるというか、そのヘンさが鼻についてしまいました。まぁ、オイラが捻くれているのは間違いありませんけどね。この中で普通の人っぽい(一番常識的な人という意味)のは母親なんですが、その母親目線で描いてくれた方が自分的には受け入れ易かったかもしれません。早い話、自分もヘンな人だから、どうにも納得出来ないというか、ヘンだからと言って勝手に負け組にするなよ!って叫びたいです。おそらく、この映画に好感触を抱いた人達ってのは極普通の感覚の持ち主で、それなりに勝ち組の方達なんでしょう。「いい加減、“勝ち組”とか“負け組”とか止めようよ」という人達って、絶対負け組の人達じゃないんですよ。明日の生活もままならない収入しか無い人々はそんなコト言わないと思いますよ。“勝ち組=金がある”という勝ち組になりたいと思っています。この映画はヘンな連中が最後までヘンなことをやって、♪それでいいのだぁ〜と歌っているような作品です。現実には「ボロは着れども心は錦」と思っていても「武士は食わねど、高楊枝」とは行きません。やはり、食べていかなければいけません!出来合いのフライドチキンより、閉店間際の50%オフの商品を狙っている人々にとって、こんな映画は負け組でもなんでもないでしょう!(話がズレたかも(; ̄― ̄A アセアセ・・・)っつーか、ヘンだから負け組って発想が貧困だと思うのですが・・・。
直後の印象は取り立てて良くは無かったです。 は何を喋っているのか分かり辛い、 漫画だったら気にならないのだろうけど、クロの心象風景に入っていくと、ちょっと重くなって来ちゃう。 その後観た『武士の一分』が良く聞こえるので 最初は短いシーンが多くてブツブツ切れることが多くてせっかくいい台詞があっても感情が切れちゃって入りづらかったです。 この辺原作は漫画!ってことをすごく感じました。本だったら戻れるけど映画は進むからね。 でも後半はストーリーのテンポが上がり楽しくなってきました。 追いかけられる辺りからかな。でもそれと同時にストーリーは思いもよらない展開へ・・・。 シロを取り上げられてしまったクロの精神の世界になってしまい見応えはあったんだけど・・・それが意外に重かった割には結局観終わってみて何が言いたいのかが分かりませんでした。 クロにはシロが必要でシロにはクロが必要で。 でも私の中ではそれ以上二人の関係を消化できなかったみたいです。 お互いが精神安定剤のような役割であるのは分かるけど。 何かシロの重要性があまり感じられませんでした。 シロの純粋さはもっと活躍すると思ったんですけど。 クロは結局一人で乗り切った感じだったし。 アニメなのに人間臭さを感じられて面白く見れたけど・・・って感じでした。 何か結局何も見えなかった映画でした。 開発の波が押し寄せこどもの城を作るわけですがその辺の意味なかった気が。
山田洋次の藤沢周平三部作の最後を飾るのは『武士の一分』。想像していた通りの素晴らしい出来上がりで、それはとても良いことでした。山田洋次という監督は本当に当たり外れが無く、安心して観ていられます。正統派の真っ当な映画ですね。だからぁ?と言われたら困るのですが、その質の高さは十分お金の取れる仕事だと思います。スクリーンの端々から作り手の気合が感じられますし、それこそ一分の隙も無く、映画で描かれる世界観で埋め尽くそう!という気概に溢れています。 難点は壇れいに儚さがあまり感じられなかったコトで、どちらかというと骨太な印象。倍賞美津子みたいな・・・ まぁ、身寄りの無い娘の設定だし、それはそれで悪くはないのだろうけど、犯されたって言われてもなぁ・・・みたいな・・・笹野高史が素晴らしい!
2006年12月23日(土) |
あるいは裏切りという名の犬 長い散歩 スキャナーダークリー |
コレって香港ノワールの完全なる模倣ですよね?っつーか、本家(フィルム・ノワール)が模倣してどーなの?って印象です。だからと言って、映画の出来が悪いのか?っつーと、これはこれで面白いんですよ(苦笑)。っつーか“これはこれで!”という感じではなく十分観るに値する作品なんです!だから、困っちゃう!って、別に困ることは無いか(苦笑)。
地味ですねぇ・・・長いですねぇ・・・、でも、良い映画です。昨日観た『暗いところで待ち合わせ』と同じように良い映画を作ろうと頑張っています。
やっぱり苦手です。取り止めもない永遠と続きそうな会話を交わすのにはこの手法は合っていますが、だからどーなの?って感じでした。だって、こういうセリフのやりとりが面白いとは感じられません。もっとトリップ感があるのかと思っていたら、最初のシーンくらいでした。
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