Deckard's Movie Diary index|past|will
『フォロウィング』で注目され、『メメント』でブレイクし、『インソムニア』でメジャーシーンにデビューし、『バットマン・ビギンズ』でプログラムピクチャーをも手がけたクリストファー・ノーランの新作『プレステージ』。やっぱり好きだなぁ・・・(苦笑)。この人のフィルムって、スマートと言うか知性が感じられるんですよ。決して天才肌ではないですけど、シーンとシーンの繋ぎになるような映像にも緊張感が溢れ、卒の無い手腕を見せてくれます。まぁ、オイラの勝手な思い込みですけどね。で、今作です。最初は「なんて、分かり辛い演出なんだ!」思っていたのですが、ストーリーが進むにつれ、それさえも周到な計算に見えて来て、エンディング近く、普通は「こんなストーリー展開はどうなん?」と、なるところなのに、そう感じさせない計算されつくした脚本が「上手いなぁ・・・」と感嘆させられてしまいました(文章長いよ!)。現実とファンタジーの融合というか、まさに映画的なマジックを見せられた気分です。荒唐無稽な展開でも、人にとって唯一確実な出来事を配すことによって、ストーリーに映画的な真実味を与えることに成功しています。この映画の評で「監督が結末は誰にも言わないで下さい!と言ってる割には、途中でオチが分かるし、期待したほどじゃないじゃん!」とか言う言葉を見聞きしますが、そんなことはどうでもいいじゃないですか!っつーか、トリックに映画の魅力を見ようとするのはオカシイんじゃないですか? アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)の確執と復讐を描いているからこそ映画だと思うんですよ。トリックの種明かしが望みなら、別に映画にする必要も無いし、そんなことが分かってしまったらボーデンのカミサンが言っていたように「意外と詰まらないのね」ってコトになるのが分からないんですかね?オイラはそんなことはナ〜ンも気になりませんでした。でも最高評価にならないのは、ノーランの映画はスマートなんですけど、言い方を変えればそれだけにしか感じられないんですね(それでも十分OK!なんですけどね(6 ̄  ̄)ポリポリ)。個人的な好みを言わせていただければ、もっとノーランの個性が観たいですね。毎回、パワーバランスの形が綺麗過ぎて物足りない印象が残ります。とにかく、今回も満足しました。次回作も期待したいと思います!
邦画のメジャーシーンを歩む平山秀幸の新作『しゃべれども しゃべれども』です。巷の評判は圧倒的に良いのですが、個人的には普通でした。そんなに面白いですかね?確かに国分太一の落語シーンは天晴れですが・・・。オイラが気になったのは、国分太一扮する今昔亭三つ葉に落語を習う3人の人物です。飛びきりの美人なのに会話が苦手な戸河五月、元野球選手で解説下手な湯河原太一、関西弁の為に苛めにあっている小学生・村林優。この3人のそれぞれのキャラクター構築がヌルいんですよ。そりゃ、口下手な人ってのは居ますから、そこに理由なんか無いんでしょうけど、どうにも曖昧な存在感の人間という印象が残りました。森永悠希扮する小学生の村林は多少なりとも納得は出来ますが(でも、なんで落語なんや?)、松重豊扮する湯河原とか、香里奈扮する戸河とか、嘘くさいです。極端過ぎるんですよ!全く想像できないキャラではないですが、ここまで極端ならば、そうなったバックボーンが無ければ説得力がありません。個人的にはもっと普通の口下手な人でも十分だったと思います。唐突ですがフジTVの『あいのり』に出ている“さんちゃん”なんて、良い例でしょ!彼を見てれば分かるけど、日本人の口下手な人って愛想笑いばかりしちゃうんですよ。話は逸れましたが、とにかくしっくり来ない作品でした。それでも、落語の面白さを再認識させられるし、悪い作品ではありません。自分を変えたい・・・悪いところは分かってる・・・でも、なかなか上手くいかない・・・頑張れ!さんちゃん!(って、そっちかよ)
松本人志は「何の映画にも毒されていませんし、誰からも影響を受けていません!」と豪語していましたが、確かにその言葉は納得出来る作品でした。個人的には松本人志という人間が持っているセンスは好きですし、彼が様々なメディアで発表して来た作品やパフォーマンスには少なからず接して来ました。そんなオイラですから、映画が始まってからは、例によって松本レトリックが展開され、クスクス、ニヤニヤの連続だったのですが、それでもやっぱりダメでした(苦笑)。元々『オジンガーZ』『ゴレンジャイ』『エキセントリック少年ボーイ』等、ヒーローをモチーフにしたコントが多い松本人志ですので、その延長線上の作品なのは間違いありません。また『頭頭(トウズ)』というビデオ作品があるのですが、その辺りも被っています。ストーリーはとても興味深く、その発想はさすが!と思わせてくれますが、結局はバラエティ番組での大掛かりなコントの域を出ていません。まぁ、風刺劇とも取れますが、ラストはもうちょっとキチンと作って欲しかったなぁ・・・そうすれば、かなりのカルト・ムービーになったような気もします。あのラストの前まではけっこう評価高かったんですけどねぇ・・・。オイラのような松本人志大好き人間が観て、この程度の反応なんですから、そうじゃない人が観たら怒るんじゃないでしょうか。とりあえず、人には勧めません(苦笑)。
前作の出来が良く、ヒットしたからと言って“パッチギ!”の名前は使わなくても良かったんじゃないでしょうか?はっきり言って「やっちゃいました!」作品です。まぁ、予想は出来ましたが、1作目とは比べ様もありません。前作は大人達が作った暗黙の了解事項や、仕方無いよ的ルールを“青春”という誰もが一度は迎える季節を背景に“一途な想い”という武器で突破するところに魅力があり、多くの人々の涙腺を刺激したとワケです(子供の無邪気さや、若者の真っ直ぐな気持ちが大人の世界を凌駕するのは文学や映画の世界では度々描かれ、それは人々の共感を得る定番だったりします)。1作目は1968年という時代背景もストーリーの中に巧みに組み入れられていたので、自然と当時の状況を感じることが出来ました。
アンソニー・ミンゲラ最新作。世間的にはダメダメな評価を受けている前作『コールド・マウンテン』でさえ、けっこう好感触のオイラですが、ジュード・ロウの現代劇での普通の男性役ってのに、どうにも観る気が起きなくて敬遠していました。でも、映画好きの友人二人が揃って好感触なので騙されたと思って(d( ̄  ̄) ヾ(^o^;オイオイ・・・)観てきました。いやぁ、良い映画でしたぁ。やっぱり、ミンゲラとは相性がいいなぁ(苦笑)。この人は本当に一言では言い表せない心模様を描くのが上手いですね。人があるコトに直面した時に起こす行動は、その時の心理状態に大きく左右され、同一人物でも毎回同じではないですし、さらに!自分が望んでいるのとは正反対の行動をとる事もままあります。まことに人間と言うのは一筋縄では行きません。そんな複雑で自分勝手な(っつーか、自分でコントロール出来ない自分)人間同士が理解するのは大変難しいことです。“届かぬ心”・・・最近、何処かで聞いた言葉ですが、この作品の方が相応しいんじゃないでしょうか。映画を観終わって思うことは・・・“勇気を持って、許す心”かな。決して上から物を言っているとかじゃなくて、他人を受け入れるというコトはそういうことなのかなぁ・・・と。それだけ、人間ってのは不完全なんでしょう。原題は『Breaking and Entering』。壊した後にそこへ入っていくこと・・・それはさらなる奥深い世界に入っていくコトであり、新たな世界を作るコトでもあるワケです。その為には過去を引きずっていては前に進みません。ドアを一発蹴って許しましょう。ラスト30分のエンディングがサクサクと行き過ぎるという批判もありますが、オイラはアレで十分だと思いました。進むべき道を見つけた人にとって、時間はサクサクと過ぎるというコトです。ジュード・ロウの現代劇での平凡な男役、捨てたモンじゃないですね(/・_・\)アチャ-・・
こちらの“ラヴソング”は“ブ”が“ヴ”になっているだけ文学的です(笑)。っつーか、この映画って南部を舞台にしたアメリカ文学の香りがプンプンするんですね。だけんどもしかし!その手の名作をホンの一瞬彷彿させるようなシーンもあったりするのですが、はっきり言って上っ面です。決して悪い映画ではありませんが、人物描写が薄っぺらくて、一癖二癖あるキャラクターが総動員しているのに生かしきれていません。2時間を費やしているのに登場人物の交通整理が上手く出来てないんですね。今は亡き人になっているママのことをやたらと引っ張り出すワリには存在感が希薄なのも、なんだかなぁ?です。ママの記憶の無いヨハンセンの話が泣かせるだけに残念です。やっぱり、こういうストーリーはマイルドセブンより、ショートピースっつー感じでズシン!と描いて欲しいですね。それにしてもヨハンセンは魅力的だなぁ・・・時折、不細工の見えるからいいんだろうな・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ…
80年代にミリオンヒットを連発し、一世を風靡したツインボーカルバンド“POP”のボーカルだったアレックス。忘れ去られた80年代のポップスターだった彼は過去の財産に縋って生きていた。それでいいと思っていた。そんな彼に、今を時めくカリスマ歌姫・コーラから新曲コンペティションの話が舞い込む。自宅の植木鉢の世話係ソフィーに、思わぬ作詞家の才能を見つけたアレックスは彼女を無理やり引き込んで、ひと悶着ありながらも素敵な新曲を完成!締め切りギリギリにコーラに聴かせるが古臭い!と一蹴されアレックスは意気消沈。そんなアレックスを献身的に励ますソフィー。紆余曲折ありながらも、二人のデュエットで曲をインディーズからリリース!コーラの新曲を尻目にチャート1位を獲得!そして、年間最優秀楽曲を決める音楽祭で、コーラと一騎打ちになるアレックス&ソフィー!運命の女神はどちらに微笑むのか?
まだです・・・
聾唖者を演じた菊池凛子がアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたことから、俄然注目を浴びている『バベル』です。う〜ん・・・やっぱりね!オイラはこの人達と間違いなく相性悪いです。この人達とは、監督のアレッハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(『アモーレス・ペロス』『21g』)と脚本家のギジェルモ・アリエガ(上記2本に『メルキアデス・エストラーダ』)の二人です。ワザとらしいと言うか、嘘くさいと言うか、とにかく、登場人物の多くが小生が理解出来ないような行動ばかりとるので、ちっとも話に入っていけません。言葉が分かっていても、血が繋がっていても、相手の心を理解出来ない現代人・・・っつーことなんでしょうけど・・・1発の銃弾から〜という発想にはとても興味をそそられたのですが、ディス・コミュニケーションから産まれる悲劇や出来事はあまりにも短絡的です。イニャリトゥの演出も、アリエガの脚本も丁寧なので見応えは十分にありますが、個人的には例によって「なんだかなぁ〜」という印象が残りました。ブラッド・ピットは何故にあんなにキレているのでしょうか?ガエル・ガルシア・ベルナルは何故に足に力を入れてしまうのでしょうか?モロッコの警察はこんな描き方をされて抗議はしないんでしょうか?菊池凛子の役が聾唖者だったのは、どういう狙いがあったのでしょうか?誰か教えて下さい。ファレリー兄弟だったら分かるかなd( ̄  ̄) ヾ(^o^;オイオイ・・・で、話しは変わりますが、映画が終わった後、40代のカップルが「全ては繋がっているというコトよね?」「うん」というような会話をしていたのですが、思わず「それだけかーい!」とツッコミを入れてしまいそうでした。
アカデミー外国映画賞受賞・・・
デッカード
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