うなごと
nyauko



 【9/5 NEWS 23】のコト。

また アナタの声が 聴けて嬉しい
其の声を 其の姿を 待っていたのよ ずっと

相変わらず飾らない 真っ直ぐさで
誰も汚せない 純粋さで 照れ笑いする

ただ普通の状態で アナタを
見つめたり 出来ないんだ もう

「嘘付いたりしないように 頑張るから」
「皆に恥ずかしくないように 頑張るからさ」

・・・涙が 出てくる

アナタの声を 掻き集めて
アナタの言葉を 探し続けて

もう 2年半も経ってしまったよ

ねぇ 届いたよ? 届いてるよ?
ねぇ 届くかな? 伝わるかな?

アナタに逢いたい人が 沢山居ること

また 皆の前で歌ってくれる日を
待っています 心から 

キスを込めて


・・・アナタを 忘れたりしないんだから

2003年09月05日(金)



 【デモとエゴ】のコト。

「反戦デモってさ どうしてあるんだろうね」
不意に 言われた言葉に きょとんとした

TVに映るのは 世界各国でのデモの様子
様々な国の言葉で 叫び 行進する人達
時折 警官と衝突したりして 痛々しい

私は 鍋にお湯を沸かしていたりして
普通に 夕飯の支度中

「うーん・・・」少し 黙り込む

その言葉は 純粋に「どうしてだろうね」
というコト だったんだろう
他意は 微塵もなくて

反戦デモに参加する人々を 非難する訳では無く
私達に 反戦意識が無いという訳でも無い

ただ
形にして表すのと 表さないとの違いだと 思うんだよ
道頓堀に 飛び込むか 橋で見てるかの違いの様な
(不謹慎だけど)

戦争はイヤだ 痛いの辛いのイヤだ
沢山の人が殺されるの 殺し合うの絶対イヤ

だけど 戦争という現実は
あくまでも歴史上にあった惨劇で
物心付いた昨今での「戦争」という二文字が
酷く薄い気がするのは なにゆえ?
(全くもって不謹慎)

其の晩 夢を見た
トイレットペーパー 買わないといけないね
誰かが言う
オイルショックみたいになるよ きっと
歴史で習ったよね
違う 違うよ トイレットペーパーが高いのはね
古紙が 中国に輸出されてるからだよ
TVでみたよ
中国で 段ボールの需要が 高まっているから
そうか
段ボールのバリケードじゃ かなわないよね
違うって そうじゃないよ だからね

・・・解らない 混乱してるな 私

ドウシテ 武器ガ 必要ナンデスカ
ドウシテ 攻メル国ガ アルンデスカ
ドウシテ 争イハ 起コルノデスカ

自分ノ国ヲ 守ル為デスカ
自分ダケ良ケレバ 良インデスカ
誰ガ 傷ツケテ良イト 言ッタノデスカ
誰ガ 殺シテ良イト 思ッテイルノデスカ

そんな権利は 誰にも無いよ 誰にも

それでも どうしようもないのなら

出来る限り 被害が小さくて済みます様に
出来る限り 人々が苦しまずに済みます様に
出来る限り 早く家族の元へ帰れます様に
穏やかな会話を 暖かな食事を 全ての人に

たとえ其れがエゴでも

2003年03月23日(日)



 【ライヴ】のコト(其の二)

(其の一 からお読み頂けると嬉しいです)


ライヴってなんなんでしょう。

何処かで 私
アーティストによって 区別していたかも 知れない
「観る」モノと「参加する」モノと

私にとって UAは 間違いなく後者だ

後席の人に怒られてから 色んなコトを考えた
コレを書くまでもずっと でも 答えは出ない か

友人が 前に言ってた
「ライヴで皆が 腕を振り上げたからって
 皆が 立ち上がったからって
ソレを誰かに 強制しては いけないんだよ
 喜びの表現や 感じ方は 皆違うから」

解ってる解ってるつもり だけどだけど

「誰かがやらないから やらない」とか
「誰かの反応を 伺ってじゃないと 動かない」とか
つまんない 集団心理 都会的な 気取ったカンジが

大嫌いなんだよ ホント

ステージ上の アーティストだって
やりづらいだろう とか思うんだけど な

私達には 不完全燃焼なライヴでも
「良かったねー」って笑顔で
帰る人達も 居る訳ですね はぁ

・・・皆様 お疲れさまでした

でもね UAは偉いよ スゴイよ ホントに
あの客席の盛上りで 最後まで唄いきったからね
~~~~
「客席のノリが悪い」って ライヴを中断した
若き日のCharaを 思い出したりして
アレはアレで 正直で好きだ(笑)

客席から立ち上がって 一曲だけ踊った私を
UAがちょっと 見ててくれた
・・・気がした?
目が合ったのは 気のせいじゃないと 思いたいな

私は 次のライヴを 待っている


※私の主観で、書いています。
 もしあのライヴに行った方で、コレをお読み頂いた場合の
 中傷・苦情などはご遠慮下さい。

2003年01月30日(木)



 【ライヴ】のコト(其の一)

「やっぱ 納得行かないんだケド」
「まぁ、ね」「納得いかん どう考えても」

あのライヴから 一週間が経とうとしている
UA−空の小屋−ツアー最終日@渋谷公会堂

UAは格好良かった 最高だった

でも 客席は?

楽しみにしたライヴ 始まる前から とても
鳥肌が落ち着かない 涙ぐむ程の嬉しさ
始まってからも ずっと

でも 客席は 誰も 立ち上がらなかった

DVD発売の為 カメラが入っていた
穏やかな曲からのスタートで タイミングを逃した
MCをほとんど挟まずに 曲が続いた
ライヴハウスではない 椅子付きのホール公演

理由を 幾つも探す どんどん進むライヴ
−スタンディング禁止?− そんな訳ナイよ

UA本人も 少しだけ
戸惑っているカンジが 伝わる

大好きな曲の 前奏が始まった時 私達は
耐えきれず立ち上がった 踊りたくて
嬉しさを 全身で 噛み締めたくて

「見えないんですけど」
後席の人に そう言われた時 ガッカリした
「あーそうですか」みたいな ね

悔しい想いを抑えて 椅子に座り込む
コレで 周りの静寂の仲間入り

結局 ホール全体を 見渡してみて
立ち上がって 踊っていたのは 10人も居なかった


【ライヴ】のコト(其の二)へ続きます。

2003年01月29日(水)



 【弟】のコト。

彼は 小さくて 真っ黒で お腹が白く
3本の足に 白い靴下を 履いていた。

私が中学3年の時 親戚の家から やって来た。
手のひらに乗る程 小さい頃
3兄弟の中から 私が選んだ。
名前も 私が付けた。幾つかの技も 教えた。

他の兄弟が人を咬んで
何処か遠くへ 遣られても
彼は 穏やかに 私達の側にいた。

高校を卒業し 短大に進学し
季節毎にしか帰らない 私でも
彼は大騒ぎで 迎えてくれた。
覚えていてくれるコトが 嬉しかった。

嫁いだ姉と 上京した妹に代わって
彼の存在は どれだけ両親を 元気づけただろう。

昨年 心臓にフィラリアが入り 手術を受けた。
−もうダメかもしれない−
家族皆で 覚悟を決めた。一命を取り留めたものの
体力は それから急激に 落ちていった。

9月に会った時は 私が彼と 毎日散歩に行った。
嬉しそうに 飛び跳ねた後 息切れが酷かった。

全身を 撫でる。話しかける。
髭が 増えたね。いつの間にか お爺ちゃんだね。

家族になってもう 13年経っていた。
人間に換算すると 68〜73歳だった。

覚悟してねと 母から連絡が有った時
どうして私は 帰らなかったんだろう。何を置いても。

平成14年12月2日午後13時15分。彼は もう 動かない。

「とても頑張ったから 褒めてやってね。
 可愛がってくれて ありがとう」と 母は 言った。

実家の 海の近くの 松林に弔ったと 聞いた。

次に帰って 庭を見渡しても 彼は居ない。
私の足音に 気付いて喜ぶ 彼の声は 聞けないのだ。

叱ってばかりで ごめん。あまり逢えなくて ごめん。
優しくなくて ごめん。 涙腺が ゆるい。

私は 良い姉では無かったケド 彼は立派に 私の弟でした。

2002年12月03日(火)
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