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■ 【本当の気持ち】のコト。
本当に親しい人の思い出は 降ってくるモノではなく ジワリジワリと染み出て来るモノだと思う
日常の中で ふとした場所で
祖母の引出を片付けていた時 金婚式の時に 私が出した電報や 今までに私があげた お年玉の袋が何枚も出てきて 胸が苦しくなる
大事に取っててくれたなんて 知らなかった
冷凍庫にいつも 買い置きしてくれていたアイス 小学生の頃 夏休みに毎日 祖母と見たハイジの再放送 剣道の稽古に行く前に作ってくれた 味噌のおにぎり
祖母にしてもらったことは 沢山覚えているのに
深夜の姉からの電話 祖母の訃報を告げる掠れた声 納棺の時 「こんなことしたくない」と泣き崩れる母の姿 私よりも艶やかな肌 寝顔のように綺麗な冷たい祖母
そういう全てのことも たぶんいつか薄れていく 忘れてしまう 時間の経過と共に それが一番 辛い
結局 祖母にはもう逢えないという事が 真実で
それ以外は 私自身 私の気持ち次第でしかない 残された者は 生きていかなければならないから
人の文句や愚痴を 決して言わない人だった 怒ったりした事も 見たことがない 穏和で いつも自分のことより人の心配ばかりしていた
通夜・葬儀には 570人からお悔やみを頂き 参列して下さったみんなから 惜しまれた
私は 姪や祖父や母を看ながら どうして此処にいるのか 誰の葬儀なのか はたまた葬儀ごっこなのか 違和感を感じながら
不思議な気持ちで 祖母の遺影を見つめてた
誰の死も 辛くて 良いモノなんてないけど 自宅で 誰にも迷惑を掛けずに 苦しまずに あっという間に 亡くなったのだから 良い死に方だったのかもしれないとか
81歳でしたというと 「大往生だったね」と 色んな方から言われて 言われまくって 「そうですね」なんて微笑んでも
本当の本当は そんな訳ないじゃんって おばあちゃんが死ぬ訳ないじゃんって 大往生って なんだよって 心の中で思ってた
だって元気だったんだから
痴呆もなく 病気もなく 正月に逢ったばっかりで 電話でも話して いつものおばあちゃんだったんだからさ
頭では解ったつもりでいて 心が 気持ちが拒んでいる 本当の本当は 生きていて欲しかった
祖母の80年の生涯に 私が関われたのは30年だけ もっと沢山 一緒に居たかったのに な
しつこい性格の私は たぶんずっと 祖母の死を 受け容れられないかもしれない
東京に帰ってきて 写真立てやお香や 祖母が好きそうな 綺麗なグラスを選びながら
なにやってんだろうね なんて
2006年01月25日(水)
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