DiaryINDEX|past|will
艦長日誌 西暦2007年4月9日
艦長日誌 西暦2007年4月8日 スミレは種類が多くて分からん!
艦長日誌 西暦2007年4月7日 二の丸駐車場に車を停めて散策開始。熊本城は小学校の修学旅行以来だろうか。あまり覚えてないなぁ。まず差し掛かったのが西大手門と元太鼓櫓。こんな立派な門があったんだっけ・・・? 熊本城は、昔の姿を取り戻すべく現在熊本城復元整備計画が進行中。すでにいくつかの門や櫓が復元されています。復元の方法も昔の資料などを基に工法まで忠実に再現する徹底振り。素晴らしいですな。どうりで石垣も古い部分と新しい部分が混在しているわけだ。 西大手門を過ぎると右手にこれも復元された南大手門。行幸坂を横切り500円を払って本丸へと進む。お〜大小の天守閣が見えてきました。 天守閣に入る前に宇土櫓へ。こちらは昔のまま現存する建物で国の重要文化財。並みの城なら天守閣に匹敵する3層5階で、三の天守とも呼ばれる。 天守閣の石垣は、大天守と小天守で勾配や組み方が異なる。大天守は角が重ね積み、平面は乱れ積みだが、小天守は角は算木積み、平面は布積みです。小天守の石垣は大天守の石垣が完成した後に組まれているのが分かる。 いよいよ天守閣へ。こちらは明治時代のの西南戦争の直前、薩軍が鎮西鎮台の置かれていた熊本城を攻める2日前に謎の出火で焼け落ちたが、昭和35年に鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。内部は資料館になってます。西南戦争が起きるまで、この天守閣と本丸御殿、大小の櫓や櫓門など、ほとんどの構造物が残っていたそうだ。瓦屋根の並ぶ熊本の街並みも西南戦争で9割が焼けたとのこと。例によって長々と見学してしまい、気がついてみれば散策開始から3時間が経過。時間かけすぎです。 本丸では、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能を担っていた本丸御殿の復元工事が進行中。今年12月に完成予定。 その後、地図石、数奇屋丸二階御広間、二様の石垣、飯田丸五階櫓、重要文化財櫓群、不開門などを見学。観光客でごった返す本丸と違い、櫓群や不開門のある東竹の丸周辺は静かで歴史を感じながら思いを巡らすことができる。 須戸口門から一度場外に出て、熊本城稲荷神社や熊本大神宮におまいりした後、ぐるっと熊本城周辺を歩いてみる。広い、とにかく広い。これだけ広大な面積の城郭が残っているということが素晴らしい。さすがは国の特別史跡。三の丸に平成になって子飼地区から移築された旧細川刑部邸も見学。上級武家屋敷の様子が良く分かります。 二の丸駐車場に戻ってきたのは17時前。結局熊本城散策に一日費やしてしまいました。歩き疲れた・・・。でも良いものを見れたのでホクホクです。 その後、用事を終えた嫁様と合流。車を走らせ、夜は小国の岳の湯温泉「豊礼の郷」で温泉に入り車中泊。 <おまけ> 熊本民謡「あんたがたどこさ」に出てくる船場(せんば)。そのゆかりの船場橋の前にある熊本中央郵便局には、こんなユニークな狸の像が乗った郵便ポストがあります。歌の中に出てくる「船場山の狸」なんでしょうねぇ。 【 熊本城 公式ホームページ 】 : http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
艦長日誌 西暦2007年4月6日
艦長日誌 西暦2007年4月5日 夜は嫁様の姪の誕生日祝い(実際の誕生日は昨日)ということで、我が家に嫁様の一族(嫁様の姉家族とおじいちゃんおばあちゃん)集まってみんなでお祝いです。みんなに祝って貰えたことで、姪御もうれしそう。俺としても、我が家で大人数集まってパーティするのは初めてのことでうれしい。みんなで楽しい時間を過ごせました。準備をほぼ一人でこなした嫁様、お疲れ様♪
艦長日誌 西暦2007年4月4日
艦長日誌 西暦2007年4月3日
艦長日誌 西暦2007年4月2日
艦長日誌 西暦2007年4月1日
艦長日誌 西暦2007年3月31日 さて車を走らせて佐賀関ダム方面へ。道中の田んぼの脇に石の道標発見。「右 白木村 左 さがのせき」 かつての伊予街道の道標だそうです。 周辺には色とりどりの春の花。色んな花が咲いてます。 佐賀関ダムは、この時期はダム湖周辺のソメイヨシノと山の斜面のヤマザクラが見事です。今年も素晴らしい景色。空き地でコーヒー入れて一休みです。 その後は津久見まで足を伸ばし、夕飯にひゅうが丼&ブリ丼を食べて大分に戻る。
ぐん
|HomePage
|