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艦長日誌 西暦2007年5月9日
艦長日誌 西暦2007年5月8日
艦長日誌 西暦2007年5月7日
艦長日誌 西暦2007年5月6日
艦長日誌 西暦2007年5月5日
艦長日誌 西暦2007年5月4日 本堂の奥には毛利氏の廟所がある。萩藩主三代、五代、七代、九代、十一代とその夫人近親者などの墓がある。石灯籠約500基が立ち並ぶ様は圧巻。各墓所の前には鳥居があったり、神道石碑があったりするのは神仏習合の名残か。周囲は樹木に覆われ、厳かな雰囲気が漂う。 自転車を走らせ松蔭神社へ。江戸末期、松下村塾から多くの門下生を輩出し倒幕の礎となった吉田松陰を祀る。敷地内には松蔭の旧宅や松下村塾がある。本殿拝殿は改修中で摂社の松門神社に合祀中。一組のカップルが結婚式を挙げていた。 さらに足を伸ばし、城下町の国指定史跡となっている地区へ。円政寺は高杉晋作、伊藤博文らが学問を学んだという。境内には金毘羅社が残り、神仏分離を免れた珍しい例。拝殿は十二支の彫刻がある欄間を持ち、入母屋作りの二重屋根に唐破風の立派な造り。 次に菊屋家住宅へ。全国でも最古に属する町家として重要文化財。萩藩御用達を勤め、幕府巡見使の宿として本陣にあてられたとか。2000坪の敷地には主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵などが残り、庭園も綺麗に整備されていて見ごたえあり。 道路を挟んで向かいにある旧久保田家住宅も見事。江戸後期の呉服商で後に酒造業に転じた。萩市が買い取って保存修復し一般公開している。端午の節句にちなみ武者よろいや兜、節句の人形などが飾られていた。 その後高杉晋作の生家などを訪問して、今回の萩散策は終了。萩も広くて見るべき場所はまだまだ沢山ある。また来よう。 国道191号を走り下関を目指す。途中海に沈む夕日を見ようと海岸で陣取るが、残念ながら水平線上に雲があり、夕日は雲に消えていった。 川棚温泉に立ち寄って湯に浸かり、下関で夕食。たまたま立ち寄った回転寿司「すし遊館」だが、ここが中々良い。全皿126円ながら、新鮮なネタと一工夫入れたメニューで大満足。我が家の回転寿司ランキングでは別府の亀正を超えました。冬になったらスキー帰りに立ち寄ろう。 大分に向けてひた走り、帰宅は深夜0時過ぎ。5日間の長旅で疲れたが、充実のゴールデンウィークとなった。
艦長日誌 西暦2007年5月3日 坂を登りきると峠にさしかかりベンチや案内板がある。1940年代までは茶屋がありお地蔵様が祀られていた。今は地蔵の基部だけが残っている。ここでクッキーとコーヒーで一服。 峠を過ぎると急な下り坂。ここは街道の難所降路坂。たしかにかなりの勾配で、ここを銀を乗せた馬を引いて行き来したのかと思うと苦労がしのばれる。銀山を巡る尼子氏、毛利氏の戦の舞台ともなった。往時を偲びつつ、石垣や石段の残る坂を下っていく。 勾配が緩くなりしばらくすると樹間から西田の集落が見えてくる。西田の集落は銀山道の中継地であり宿場町として栄えた。立派な石垣を持つ古い造りの家が多い。道路から結構高い位置にある民家の縁側から、お年寄りが手を振って歓迎してくれた。こちらも軽く会釈して手を振る。 集落内にある瑞泉寺に立ち寄る。二重屋根の山門を持ちなかなか立派。 集落の棚田の背後の斜面に神社が建っているのが見える。水上神社。 「ヨズクハデ」と呼ばれるこの地区特有の稲藁を干す方法を伝えたと云われる上津綿津美命と上筒男命を祀る。山の中で海の神様が祭られているのは興味深い。ヨズクハデは魚網の干し方を取り入れたものだそうで、効率的かつ風にも倒れない優れた方法なのだとか。ちなみにヨズクとはフクロウのことで、稲が掛かった姿がヨズク(フクロウ)に似ているので、ヨズクハデと呼ばれるようになった。この地区の秋の風物詩だ。神社の境内で草刈をしていた方と少しお話した。また秋に来てぜひヨズクハデを見てくださいとのこと。 西田の集落を離れ中村の題目塔を過ぎると再び山道へ。往来する馬子たちが転石に線を刻み将棋を指して休んだという将棋岩を過ぎ、一旦舗装路に出ると清水の集落。ここに金柄杓井戸がある。金柄杓井戸はその昔、ここの水の美味しさに感動した大森の代官が当時高価だった金柄杓を奉納したことによる。島根の名水百選にも選ばれ、今も大切にされている。 再び山道へ。ここから松山の集落までの区間は比較的石畳が多く残っている。福光石(凝灰岩)の石切場や石垣などもあり、銀山街道の中でももっとも往時の雰囲気が残る場所のようだ。 清水トンネルの上を通過し車道に出る。ここからは車道歩き。松山の集落では窯元がいくつかある。江戸時代から生産が始まった温泉津焼の産地。やきものの里では復元された大きな登り窯が見られる。 車道をテクテクと歩き温泉津駅まで。約5時間半の街道歩きでした。その後車で沖泊集落まで足を伸ばす。ここが銀山街道の終点で銀が積み出された港。集落内へは行かなかったが、岬の岸壁に続く道を歩いてみた。船をつなぎとめた鼻ぐり岩が多く残っている。歩いてぐるりと櫛島のほうまで。櫛島に櫛島城、対岸には鵜の丸城が築かれ防備を固めていた。往時の港の賑わいは如何ほどだったろうか。 3日間、石見銀山遺跡と温泉津温泉を満喫して大満足。まだまだ行っていない場所も沢山あるので、また機会があればぜひ訪れてみたい。 さて大分へむけて車を走らせる。途中で温泉に入ろうと思い立ち寄ったのが有福温泉。知らなかったのだが、結構有名な温泉街のようで、西暦650年頃に起源を持つ歴史ある名湯。狭い谷あいに所狭しと旅館が立ち並ぶ。3つある共同浴場のうち御前湯へ。若干白濁したお湯はぬめりがあり美肌効果抜群だとか。 夜のうちに車を走らせて国道9号から国道191号へ。山口県に入り道の駅ゆとりパークたまがわで車中泊。
艦長日誌 西暦2007年5月2日 龍源寺間歩は観光用に別の坑道を掘って裏の谷へ通り抜け可能なようになっている。坑道を抜け下っていくと、佐毘売山神社がある。長い石段を登ると立派な社殿が現れる。鉱山の守り神である金山彦命を祀る。永享六年(1434)美濃郡益田(益田市)にある佐毘賣山神社からご分霊を移し祀った。拝殿の重層屋根は天領特有の形式だそうだ。 佐毘売山神社の横から奥に伸びる山道を歩いていくと、新横相間歩がある。江戸中期に開発され、五か山の一つ。立ち入り禁止だが入口から中をのぞくことができる。 大森の街並みへ戻るのに、銀山遊歩道を通ってみる。銀山川沿いの緑に囲まれた気持ちいい小道だ。道沿いに寺社跡やお墓、間歩跡、精錬所跡など見所多数。一つ一つ見て歩くととにかく時間がかかる。寺社は各宗派のものがいくつもあったようで、今では跡地のみで墓石や石塔だけが残っている場所が多いが、往時は日蓮宗だけでも五か寺あったそうだ。 ようやく大森の町並みまで戻ってくる。すでに昼を大きく過ぎている。腹は減ったがこの町では食事できる場所が少ない。焼きたてのパンを買って食べて誤魔化し、ギャラリーや町並みを見て回る。 主要な見所はある程度見て回ったので今日は早めに切り上げ。まだ見ようと思えば仙の山や山吹城跡、間歩跡などいろいろあるのだが、今日はちょっと贅沢して温泉津温泉の旅館泊まりなので、そちらへ向かう。今日泊まったのは「もりもと旅館」。インターネットで1室だけ開いていたのをなんとか予約できたのだが、思っていた以上に雰囲気の良い旅館だった。岩石狸湯と名づけられた内湯は薬師湯からの引き湯。奥の壁が自然の岩石で雰囲気良し、泉質ももちろん良し。食事も近海の海産物を中心に、豪華ではないが品数も多く美味しかった。写真のほかにも鯛のホイル焼きやサラダ、鯛のお吸い物にデザートと、おなかいっぱい大満足。 旅館の温泉とは別に温泉街を散策して元湯と薬師湯にも入り、温泉街の楽しみを満喫。いやはや贅沢な時間です。マッタリほっこり過ごし、明日は街道を歩く予定なので早めに就寝。
艦長日誌 西暦2007年5月1日 銀山川沿いに自転車を走らせる。大森の街並みの裏側を通る感じ。新緑と石垣、大森の古い町並みが調和して美しい。 道路沿いに井戸神社がある。大森代官所の第19代である井戸平左衛門を祀る。享保大飢饉の際、西日本各地で餓死者が出る中、井戸平左衛門が私財や裕福な領民から募った資金で米を買い集めると共に幕府の許可を待たずに代官所の蔵を開いて領民に米を与え一人の餓死者も出さなかったことによる。また当時は薩摩藩から持ち出し禁止のサツマイモを苦労して取り寄せ栽培成功し、芋代官様と慕われた。代官職にあったのはたったの2年だが、領民に慕われた良い代官だったようだ。 大森代官所跡は現在、石見銀山資料館として銀山に関する歴史資料、鉱物標本などを公開している。最盛期は世界の三分の一の銀を産出したといわれる銀山の採掘の様子や鉱山を巡る歴史を見て回る。さほど大きいわけではないが結構時間がかかった。 昼食は代官所跡前にあるお店で「代官そば」をいただく。かけそばと割子そば、天ぷらがセットになっててお得です。 代官所跡のすぐ横にある城上神社へ。重層式入母屋造の拝殿が見事。内部の鏡天井には「鳴き竜」が描かれていて、この下で拍手を打つと反響して聞こえる。境内は緑が多くて清清しく、樹齢三百年の相生の松や亀石などあり。 天気が怪しくなり肌寒くなった。龍源寺をお参りしているときに雨が振り出すがすぐに止んだ。雨が止んだ隙に向かったのは熊谷家住宅。鉱山業、酒造業、掛屋、郷宿、代官所御用達などを勤めた石見銀山御料でもっとも有力な商家のひとつで、修復復元された広い屋敷とそこに収められた家財が当時の暮らしぶりを想像させてくれてとても興味深い。ここはかなり長い時間掛けてみて回った。写真は2階からの小蔵と庭の景色。 江戸時代の雰囲気を今に伝える町並みを見て回る。郵便局ですらこの町の景観に合うような造り。西性寺、観世音寺、妙蓮寺などを見て周り、町並み交流センターでは石見銀山の歴史などを伝えるビデオを鑑賞。武家屋敷の河島家住宅を見終わるころには16時を回っていた。今日は時間切れでここまで。 駐車場に戻り、温泉津温泉へ向かう。もちろん温泉目当てだが、その前に温泉津の町も散策。こちらも重要伝統的建造物群保存地区で、石見銀山遺跡の周辺ゾーンにも入っている。古き良き温泉街の雰囲気。龍御前神社裏の岸壁上にある祠から町を見渡すと、瓦屋根が立ち並ぶ素敵な景色。 町の中に点在する寺社を見て周った後はお目当ての温泉へ。今日は二つある共同温泉のひとつ薬師湯へ。明治5年の浜田大地震の時に地殻変動で大量に噴出し始めたため「震湯」の別名を持つ。若干茶褐色がかったが湯いかにも効きそうで気持ちいい。 今日は温泉津の「ゆうゆう館」駐車場で車中泊。
艦長日誌 西暦2007年4月30日
ぐん
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