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私がホームページを開いたのは、2002年の正月。 はじめは、ジオシティの無料スペースに、ホームページソフトを使って、まず表紙(ホームページというのは、正確には表紙ページを言うのだと後で解った)を作った。 そこに連句のボードを繋げ、あとは、ジオシティのサービス日記ツールで、日記を書くくらいがやっとだった。 ソフトの使い方になれるのにも、時間が必要だった。 やがて、ページもだんだん増え、連句ボードに参加する人にも、公開していたので、顔見知りの人の中にも、見る人が少しずつ出てきた。 ところが、半年ほど経って、私のサイトをめぐって、当時入っていたグループの一部の人たちとの間に、亀裂が起こり、私は、グループをやめ、しばらくしてから、サイトのアドレスを別のサーバーに移した。 その人達は、私のサイトが、グループの趣旨に合わないから、グループページに、リンクさせられないとか何とか、理屈にならないことを言っていたらしいが、要するに言いがかりで、本音は、グループから、出て欲しかったのである。 それが解ったので、自分から退会を申し出た。 私は、小さいながら堅実に成長していたそのグループが好きだったし、メンバーの人たちも、善良なやさしい人達だった。 しかし、ほんの一人か二人であっても、私に悪意を持つ人がいるとわかった以上、そんなところにいたくなかった。 以後、その人達との交流はない。 この件については、一度もまともな形で話し合われることはなく、ほかの人たちは、正確なことは何も知らず、すべての罪は、やめていった私にあるとされて、今に至っている。 グループと関係無しに、付き合いのある人、真相はわからないままに、心を痛めて、私を気遣ってくれた人もいる。 しかし、すでに2年も経ち、私の存在は、もはや過去のことになって、新しいメンバーも増え、そんなことがあったことすらも、今は話題の範疇にないだろう。 関わった人たちにとっては、私の名前すらも、聞きたくないはずである。 サイトの方は、何の罪もないから、アドレスを移してからは、遠慮無く運営している。 私がサイトに何を書き、何を載せようが、ネットのルールを守っている限り、自由である。 どこのダレにも、とやかく言われる筋合いはない。 検索で私のサイトを探し出した人が、サイトに書かれていることを、勝手に、現実の出来事と結びつけて、私の現実の生活圏で、触れ回ることも、ヤクザのいんねんと同じ行為である。 サイト上のことに文句があるなら、サイト上で言えばいいのである。 その為に掲示板も付けてある。 のっけからつまらない話になってしまったが、私の「サイト受難」みたいなことを、書くのが本意ではなく、ブログの話をしたかったのであった。 今、私はあるブログサーバーに自分のブログを作り、せっせと書いている。 ちょうど1週間経ち、ブログの使い方も、ブログ界の様子もわかってきた。 日記プラス掲示板の機能を併せ持ち、タイムリーであることが、魅力。 今のところ私は、いくつかのカテゴリーを作り、過去の日記や、ボードに書いたことの中からも、今日的な話題を再編集したり、毎日のニュースから硬軟取り混ぜて、書いたりしている。 やがて、そちらが、メインになるだろう。 ただ、非公開的、閉鎖的な、私のサイトの性格とは、合わない点もあるので、相互リンクはしていない。 個人的な文芸作品を中心にしたものと、日記やエッセイとを、サイトとブログで使い分けすることになるだろう。
昨日、保坂尚輝の離婚会見があった。 ちょうどリアルタイムで、やっていたので、コマーシャルで中断したとき以外は、その有様を見ていた。 この人のことは、あまり知らなかったが、今回、初めて、彼の喋っているのを聞いて、その男らしさにすっかり惚れてしまった。 妻である女優が、別の男とどこかのバーで、やや親しすぎる情景を写真に撮られたことで、その前から時々出ていた離婚の噂が、一気に結論に行ったように思われていたらしいが、それは直接の原因ではないらしい。 離婚はすでに決まっていて、法的には他人になってからのことだから、そのことで彼女を責めるつもりはないし、彼女自身の口から出ていないので、コメントしないと語ったが、まあ、そんなことは、どうでもいい。 有名人というのは、つらいものである。 本来プライベートな事柄であるはずのことを、世間に晒さねばならない。 弁護士を伴って、記者会見に現れた彼は、この会見を開くについての理由をまず述べ、予め20社のマスコミ関係記者から出ていた質問事項のうち、多いものについて、答えるというやり方で始まった。 私が感心したのは、彼はこの会見中、妻に関する批判、非難めいたことを、ひとことも口にしなかったことである。 そして、二人の子どもに対する親としての気遣い、同居している妻の母や、マスコミ関係者が訪れることに依る近隣への配慮を、述べていた。 もっと感心したのは、問題写真について、相手の男が「火遊びが過ぎた」とコメントしたことについて、「自分が愛した女、子どもの母親である彼女を、そんな風に片づけたことは赦せない」と語り、妻と子どもの名誉回復を訴えたことである。 男と女が、別れるというのは、他人には計り知れないさまざまなことがある。 有名人であってもなくても、それは同じであろう。 彼は、自身が子どもの頃に両親を亡くした経験があって、家族、子ども、と言う結びつきは、ことのほか、大事に考えているように見えた。 法的には離婚という形を取って、妻と自分の、仕事人としてのこれからの人生を尊重したいと言うことのようであるが、家族としては、いまだに一緒に住んでいて、生活上の変化は、何もないと言う。 親権は彼が持ち、それと関係なく、二人で子どもを育てていく姿勢は、変わらないと言う。 アメリカなどでは、珍しいことではない、新しい形の家族像を追求しているのだろうか。 そのあとに、芸能記者団が、つぎつぎと質問したが、あまりのくだらなさと、程度の低さにあきれてしまった。 彼らの関心は、離婚の原因が何かと言うことと、彼の妻であった女優と写真の相手の男とを、彼がどう思っているか、それが離婚にどう結びついたかにあるらしかった。 彼の説明だけでは納得できないし、ニュースにならないと言うのであろうか。 自分たちの描いたドラマに、しきりに誘導しようという気持ちが見え見えで、彼の肉声を、あまり理解していないようであった。 いつものことながら、あんた達、わかっちゃいないのねえ、と、言いたい気持ちであった。 この種の会見は、後で見ると、テレビの都合のいいように編集されて、ゆがめられてしまうことが多い。 当事者達は、それが解っていながら、会見に臨まねばならない。 腹立たしく、不快なことには違いないが、その世界で生きていくからには、ある程度、サービス精神も発揮しなければならない。 でも、テレビというのは、人の生の姿をさらけ出す。 芸能記者達にとっては、解りにくかったらしいこの会見、むしろ保坂の人柄をよく写してくれて、私はいっぺんでファンになってしまった。 別れた妻を人間として認め、それを貶めた相手の男に、決然と挑む姿、それこそ男らしい男である。
ねえ、ちょっと聴いてくれる? 私はネット連句をこの3年近くやっている。 掲示板を使っての連句だけど、お仕着せの掲示板を、連句に向くようにカスタマイズして、参加者が、使いやすいように整え、4,5人のメンバーで巻いているの。 季節の花で背景を飾ったり、いろいろ工夫もしてるの。 はじめは、掲示板の書き込み方も解らずに、おそるいそる入ってきた人たちも、1年、2年と経つうちにすっかり慣れてきて、最近はほぼ常連のように、毎回参加してくれている。 もういちいち指示しなくても、みんな、要領が解ってきて、愉しくやってるわ。 ところがそうやって、折角慣れて来た人たちを、まるで攫っていくかのごとく、自分の連句サイトに持っていったヤツが居るのよ。 もともと充分すぎるくらいの、参加者を抱えているのにね。 そりゃあね、その人達は別に、私の専属メンバーじゃありませんよ。 どこで何をしようと、基本的には、その人達の自由。 出来上がったところを、攫われたからって、私が文句言う筋合いはないし、子どもじゃないんだから、攫っていったなんて人聞きが悪いと、反論されればそれまで。 デモねえ。 少しは気遣いってものも、あっていいんじゃない? 何も、こっちの興行が終わらないうちに、引き抜くことはないでしょう。 マイナーで狭い世界、そんなことは隠したって、すぐ解るのに。 イヤなヤツ。 ヤクザだって、そんなせこいコトしないよ、手持ちの人材で十分じゃないのと悔しがっても、アチラは、暖簾に腕押し、ふふんと笑って、意に介さないであろうことは、想像が付く。 どうも、ここ数日、私の連句ボードに勢いがなくなって、渋滞していると思ったら、主力メンバーに誘惑があって、そっちに靡いてたんだと解った。 甘言で誘われれば、みんな弱いもんね。 目新しくて、刺激のあるほうに靡くのは、仕方がない。 だからインターネット連句って、無責任で、薄情なのね。 管理者の思いと、参加者の気持ちに、落差があるのは、当然かも知れないわ。 今までにも、そう感じたことがあって、もうやめちゃおうかと何度も思いながら、「まだやらないんですか」なんてメールが来ると、じゃあと、すぐ興行開始しちゃう、お人好しの私。 参加者が喜んで、愉しくやってくれれば、管理者冥利に尽きると思った。 もちろん、いちばんは自分のためなんだけど。 だから、参加者は、わたしに義理立てする必要はないんだし、もともとネットというのは、そんなクールなものなんだと、解っていながら、何か空しく、寂しい。 ネットには、人格はないんだなあと、つくづく思い知らされる。 横から攫っていったからって、罪はないのよ、きっと。 イヤなヤツなんて言ってたって、始まらない。 私だって、そんな機会があれば、そうするかも知れない。 え?さっきから一人で興奮して、いったい何の話? そんなもの、さっさとやめちゃえばいいじゃないの。 アラ、ごめん。 ついつい言わずもがなのことまで、言ってしまって。 いいの、解るわよ。 今、私も、ネット連句をやってる。 でも、あなたの轍を踏みたくないから、今の興行が終わったら、しばらく休むことにするわ。 そんなイヤなヤツと、連衆を共有するなんて、まっぴらだもんね。 せめて、残りの部分を、美しく終わりたい。 あなたも、そう思って、元気出して。 ありがと。 どこにでもある話だけどね、聞いてもらってよかった。 コーヒー、美味しかった。有り難う。
都心のある在外公館の庭に、大きなミモザの木がある。 もうふた昔も前になるが、そこで、ある研修を受けていたことがあった。 2週間の研修が終わって、もうここに来ることもないと言うので、10人ほどの同期のサクラが、「喉が渇いたわね、お茶飲まない」と、話がまとまり、一緒に外に出た。 研修中は、緊張しており、まだお互いに、それ程親しくもなかったので、終わるとまっすぐ帰っていたのである。 もう季節は夏になっていた。 中庭から、門に向かって歩いていると、大きな木から、黄色い小さな花が舞い落ちていた。 まだそれ程の暑さではなかったが、西日が照り返して、折からの風が心地よく感じられた。 足元に散った花を見て、フランス帰りのA子が「アラ、これ、ミモザよ」と言った。 へえと私たちは、ちょっと木を見上げたが、そのまま門から外に出た。 しかし、「アラ、ミモザって、こんな大きな木なの」と言って、ひとり動かない人がいた。 若い頃アナウンサーをしていたY子であった。 風に吹かれながら、つば広の帽子を押さえて、木を見上げていた彼女の姿を、今でも覚えている。 「ミモザの花粉って、かぶれるかも知れないわよ」とA子が言い、「どうしたの、早くいらっしゃいよ」と私は言った。 でも彼女は、そのままジッと木を見上げたまま、動かなかった。 私たちは、しばらく待ったが、そのうちに歩き出した。 駅までの道をお喋りしながら、ゆっくりと歩いていったが、その後まっすぐ帰ったのか、どこかの喫茶店に入ったのか、その辺は覚えていない。 多分、あとから彼女は追いかけてきて、一緒に帰ったのであろう。 キラキラした日差しがミモザの黄色を際立たせていたあの日。 研修のことも、そのあとのいろいろなことも、あまり覚えていないのに、何故か、ミモザの木を見上げていた彼女の姿が、記憶から消えないのである。 何故、私はあのとき「早く」と言ったのだろうか。 彼女にとって、ミモザは、何か特別思い入れのあった木なのだろうか。 その後、10年以上経って、彼女は癌を患い、1年半後、再発して死んだ。 弔いの後で、その連れ合いから、こんな話を聞いた。 「ミモザサラダというのを、よく子どもに作ってやってました・・」。 「どんなサラダですか」というと、卵を固ゆでにして、その黄身を裏ごしにした物を、ポテトサラダの上から振りかけるのだという。 一面黄色に染まって、まるでミモザの花のようだった、そして、子どもが喜んでいたというのである。 そうか、そう言うことだったのかと、私ははじめて知った。 研修中も、小学生の子どもたちのことを、いつも気に掛けていた彼女だった。 「晩婚だから、子どもがまだ小さいの」と言いながら、時間を見計らっては、家に電話を掛けていた。 亡くなったとき、子ども達は、もう成人する年になっていた。 直前まで、仕事をしていた彼女の、最新の朗読テープがモーツァルトの鎮魂ミサと共に流れ、肩を落とした連れ合いの姿が、目にしみた。 それからまた、ずいぶん経った。 今頃の時期になると、時折蘇ってくる、ミモザの記憶である。
2年前にシベリア横断旅行をしたときのこと。 女が単身で行く場合は、しっかりしたツァーに参加するのがいいといわれ、ロシアは初めてなので、少し値は張るが、シベリア鉄道を全線乗るというプログラムに、参加した。 15人の参加者はほとんど女性、グループや姉妹もいたが、単独参加も何人かいた。 その中で、古希を迎える年頃の女性が二人いた。 そのうちのひとりとは、相部屋だったし、もうひとりもなぜか気があって、3人で行動を共にすることが多かった。 15日間のツァーなので、同室の人とは、かなり親しくなり、個人的な話もするくらいになった。 40代の初めに、夫を亡くし、娘を抱えて、悲しみにひたる間もなく生きてきたが、もう娘もお嫁に行ったし、この15年くらいは、山歩きや、海外旅行を楽しんでるのと言う話だった。 そのうちに、彼女には、ボーイフレンドがいることがわかった。 山やスキーのツァーに行くうちに、親しくなり、この何年か、恋人同士と言っていい間柄だという。 そちらも連れあいを亡くし、似た境遇と言うこともあって、付き合っているが、結婚するつもりはないのだという。 「だって、私くらいの年になると、いろいろなしがらみがありすぎて、簡単にはいかないわ。旅行したり、ときどき会って話しをするだけでいいの」と彼女はいい、旅行も、同じツァーを別々に申し込んで、偶然一緒になった形を取るのだということだった。 「主人が亡くなって、10年くらいしてからかしら。スイスで、湖を見ていたら、突然滂沱の涙が出てきたわ。傍に誰も居なかったから、思い切り泣いた。そのとき、もういいと思ったの。彼に会ったのはそのあとよ」 シベリア鉄道の車中で、真っ赤な夕日を眺めているうちに、そんな話をしたくなったのだろう。 「あなたは奥さんだけど、あまりそれクサくないわね。だから聞いてもらいたくなった」とも言った。 彼女とは、旅行が終わるまで、車中でもホテルでも、相部屋で過ごしたが、旅慣れした彼女の、つかず離れずの付き合い方は、大変有り難かった。 15日間、不快な思いをすることなく、良い関係を保ちながら過ごした。 日本に帰ってきてから、一度写真を送ってきた。 「これは私が勝手に送るのですから、どうぞお気遣いなく」と添え書きしてあったが、私は、南米時代に買ってあった、銅画の小皿を2枚送った。 それきり、どちらも音沙汰無しである。 「また、どこかのツァーで逢うかも知れないわね」と言いながら、成田で別れたが、今も、旅行を続けているだろうかと、思い出す。 そして、恋人は・・。 人生の黄昏に入って、大人の付き合いの出来る人は素晴らしい。 今頃こんな話を思い出したのは、最近、私の周りでも、似たような話があるからである。 家の近所に、5年前に奥さんを亡くした人がいる。 男1人暮らしで、70代後半、寂しいだろうな、不自由だろうなと思っていたら、そんなことはない。 市内のカラオケサークルで、活躍中である。 そして、最近、そのカラオケサークルの先生という女性が、そのうちの2階に引っ越してきた。 夫が家の前の道路を掃除していたら、引っ越しの挨拶をされたらしい。 「ビックリしたよ」と、夫は、ちょっと興奮していた。 「人生、2度ならず3度も4度もあるわけね。あなたも、私に先立たれたら、そうする?」というと、夫は、返事をするのも面倒だと思ったのか、どこかに行ってしまった。
私は、皇室を特に擁護する人間ではないが、このところ話題になっている雅子妃のことは、同じ女性として、大変心が痛む。 昨年体調を崩し、静養がもう半年に及んでいる。 その原因は、医学的なこともあろうが、精神的なストレスもあるらしいことは、先頃ヨーロッパ訪問にあたって、皇太子が記者会見で言われた言葉から伺える。 ひとつは、世継ぎ問題。 2年前、雅子妃に待望の赤ちゃんが生まれ、その後の記者会見で、感動に満ちた感想を述べたことは、記憶に新しい。 前の年、流産というつらいことがあったので、無事に女の子を得た喜びは、格別のものがあったとおもわれる。 ところが、その後、宮内庁の関係者が、皇太子の弟宮に、男子(とははっきり言っていないがそうとれるような)を望む発言をしたことが、問題になった。 結婚した女性なら、みな覚えがあるが、結婚した途端「赤ちゃんまだ?」と、周囲の人たちから、無遠慮に訊かれるときの気持ち。 そして、私の若い頃は、男尊女卑の考え方が根強くあったので、私も、お腹の大きいときに、夫の母から「男の子だといいわね」と何げなく言われて傷ついたことや、息子が生まれたとき、近所の人から「大手柄ね」と言われたときの、何ともいえない理不尽な気持ちを、今でも覚えている。 本来、誰からも、そんなことを言われねばならぬ理由はないのである。 公の立場にいる人だって、それは同じであるはずだ。 今の時代は、生まれてくる子が、男か女かと言うことは、昔ほど言われなくなった。 しかし、皇室をはじめとする一部の社会には、まだその感覚が生きている。 周囲の人間が、それに触れた発言を公にすることが、どれほど雅子妃を傷つけるか、わかっているのだろうか。 皇室典範云々という議論さえも、今の妃にとっては、心を苛まれる原因になる。 また、もうひとつ皇太子が言われた「雅子妃のキャリアと、それに伴う人格を否定する動きがあった事実」と言うこと。 それについて、具体的には述べられなかったが、周囲の関係者は、それが何を指すのか、わかっているはずだ。 それなのに、まるで思い当たることは何もないと言わんばかりの「医療体制を整えて・・」とか、「真意を訊きたい」とか、そんな言葉しか、出てこないのだろうか。 本当にお二人の気持ちになって、考えているのだろうか。 あれほどのキャリアと頭脳を持った素晴らしい女性を皇室に迎えたのに、それを取り巻く環境は、相変わらず古い体質のままであるらしい。 今の皇后が、民間から皇室に入ったとき、やはり人並みでない苦労をしたことは、語り継がれている。 その頃と、基本的に変わっていないのであろうか。 何人もの参与までいながら、その人達は、皇太子が、今回のような異例とも思える発言をするくらい、鈍感だったのだろうか。 「真意」の中身など、皇太子があらためて言わねばならぬのか。 見事なくらいバランス感覚があり、周囲の意見や考え方に心配りをするお人柄であることは、直に接したことのない人にもわかる。 そのお方が、余程の思いで口にしたことである。 ここに至るまでには、沢山の信号が送られてきたはずなのに、周囲の関係者達は、それを受け止め、考える努力を怠っていたのではないかと思いたくなるような、見当違いの反応の仕方である。 あれでは、皇太子も、物を言う気にもならないだろうと思った。 皇太子を取り巻く人たちは、見たところ、年配の男ばかり。 雅子妃の気持ちのわかる人間なんて、あそこにはひとりもいないのではないか。 せめて同世代の、しっかりした女性アドバイザーを置いてあげるべきではないか。 それも、皇太子の側に立って考え、妃が信頼して、気持ちを語れる人でないといけない。 この件について、発言しているのは、みなデリカシーのなさそうな男ばかり。 充分過ぎるほど、傷ついている妃の心情など、理解できないのではないか。 皇太子が、宮内庁の人間に対して、口頭でなく、文書で「真意」の説明をしたのは、いいことである。 口頭で言ったことは、聞いた人間のフィルターを通して語られ、やがて消えてしまい、間接的にしか伝わってこない。 充分意を尽くしていなくても、文章にしたことで、余計な付け足しも、省略も、為されないことになる。 皇太子妃のいたわしさ。 あの環境から脱して、静養を兼ねて、ひと月ほど海外に行かれたら、少し癒されるのではないだろうか。 ・・・なんて言うことを、私は夫を宮内庁の人間に見立てて、ぶちまけたのであった。
5月から月に一度、市内で夫婦をテーマにした映画を2本立てで上映する。 今日見た一本はフランス映画「まぼろし」だった。 主演はシャーロット・ランプリング。 60歳の夫と、50代前半と思える妻。子どもはいない。 ふたりが、夏のバカンスに出かけるところから話が始まる。 仲のよい夫婦であることは、ちょっとした仕草でわかる。 やがて、別荘に着いた二人。 夫は林の中で木ぎれを集めて暖炉の火を熾し、妻は、食事の支度をする。 次の日、二人は海に行く。 人気のない静かな海。 妻の背中に、日よけのクリームをすり込んでやる夫。 「泳ぎに行くか」と夫が言う。妻は、「あとで」と答える。 そして、そのまま微睡んでしまう。 夫の瞳の翳り。立ち上がる脚のショット。 しばらくして眠りから覚めた妻は、本を読みながら夫を待っている。 ところがなかなか夫が帰ってこない。 だんだん不安に駆られた妻は、波間や砂浜を探すが、夫の姿は見えない。 救いを求めて、警察に駆け込み、探して貰うが、わからない。 やがて、街に戻った妻は、大学で英文学を教える仕事を続けながら、夫の帰りを待つ。 夫の口座が凍結されて、生活を切りつめねばならなかったり、同世代の男との情事もある。 姑からは、あなたのせいで自殺したのよと責められたりもする。 夫が、鬱病の薬を飲んでいたことも、はじめて知る。 そして、時折現れる夫の幻と対話する妻。 夫のものと思われる溺死体が挙がったという知らせを受けても、すぐには、赴かない。 自分の傍から、突然いなくなってしまった夫。 その喪失感をどうすることも出来ない、妻の心の動きを、丁寧に追っていく。 やがて、夫の死体に対面した妻。 遺品もあり、夫の遺体であると、客観的に証明されても、妻は信じない。 「これは別人よ」と叫ぶ。 夫が姿を消した海辺で、砂を掘りながら号泣する妻。 視線を海に向けると、浜辺に佇む夫の姿。 それに向かって走り出す妻。 しかし、走っていく先は、夫を通り越して、更に遠くに移っていくのである。 映画はそこで終わる。 人生の秋に入って、突然訪れた心の空白を、シャーロット・ランプリングが見事に演じて秀逸だった。
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