沢の螢

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七変化
2005年06月17日(金)

6時40分起床。
こんなに早起きすることは、余り無い。
夫がリタイアしてからは、早くて7時、時には8時になる。
今朝は、夫がゴルフに行くために、早朝から物音がしていたので、目が覚めた。
6時半、ピックアップしてくれるゴルフ仲間が来て、夫を乗せていった。
夫が自分で運転するとわかっているときは、出る時間には私も起きて、ガレージのところまで送る。
なるべく、気分良く、安全に出発して貰いたいからである。
幸い、運転好きの人が沿線にいて、その人が居るときは、積極的に迎えに来てくれるので、有り難い。
ガソリン代などをワリカンして、乗せて貰うことになっている。
現役の頃は、仕事がらみのゴルフが多かったので、私も、それに合わせて早起きしたものだが、低血圧の身には、正直つらかった。
4時、5時という時間に起きて、朝食の支度をし、自分も身支度を整え、迎えの車があるときは、門の外まで出て、見送った。
ホッとして、またベッドに入っても、余り眠れず、結局、そのまま一日の始まりとなるが、余り爽やかな寝覚めとはならなかった。
ただ、悪いことばかりではなく、最初は嫌々ながら、付き合いで始めた夫のゴルフが、だんだん趣味に転じ、腕は余り上がっていないらしいが、それを通じて、交友関係が広がったのは、確かなようである。
私にとっては、早起きは三文の得という言葉の通り、時間が有効に使えたという利点もあった。
夫が、リタイアしてからは、その為に、私まで無理して早起きすることはしない。
前の晩に御飯が炊きあがる時間をセットしておき、みそ汁の下ごしらえだけしておけば、あとは、夫が自分でやる。
ぐっすり眠りこけている間に、いつの間にか夫が出かけてしまうことが多い。
玄関の鍵を開け閉めする音で、目を覚ますくらいである。
何かの加減で、自然に目が覚めたときは、朝食の相伴をすることもある。
今朝、夫が出たあとに起きてみたら、食卓には、おかずが半分、残してあった。

梅雨に入り、雨の日が続く。
庭の水撒きをしなくて済むのは有り難いが、家の中が湿っぽい。
洗濯物が、洗面所にぶら下げてあるが、すっきりとは乾かず、アイロンがけの量が増える。
きのう、天気が良ければ、家から自転車で15分くらいで行けるところに出かけたが、バスの時間が合わなかったので、歩いていった。
雨の中、足元を気にしながらなので、35分くらいかかった。
家にいるときの雨は、キライではないが、外出の時だけは、止んでほしい。

今、あじさいが満開である。
道を歩きながら、紫陽花のある家が案外と多いのに気づく。
私の家のすぐ近くにも、塀から垂れ下がらんばかりに紫陽花が咲いている家があり、見事である。
傘をかしげて、しばらく見とれてしまった。
そんな風景も、ゆっくり歩いているときでなければ、目に入らない。
我が家にも、紫陽花が三カ所程植えてあるが、少しずつ色が違う。
門の辺りはブルーのあじさい。
裏口には、赤みのある紫。
そして、居間に面した窓辺には、紫がかった額紫陽花。
七変化という別名も持つが、あじさいという花は、雨に濡れたときに、ことに映えるようだ。
4月頃、急に暑くなった時期があり、その時、クリーニングに出そうとまとめておいた冬服が、その後、また寒さが戻ったため、出せずにいた。
大分溜まってしまったので、昨日、取りに来て貰い、ひとつ懸案事項が片づいた。

艶話たまにはいいか七変化


同じ星の下に生まれて
2005年06月10日(金)

あまり触れたくないことだが、二子山親方が亡くなって以来の、その息子達の「争い」は、つらいなあ。
ワイドショーが格好の話題にしていて、だんだんエスカレートしている。
夫は「こんなもの見るな」とテレビのスイッチを切ってしまう。
どこの家でも、親子、きょうだいの関係は、一様ではないし、他人の窺い知れないことが沢山ある。
子どもの頃は仲が良くても、それぞれ配偶者を持ち、子どもが出来て、家族としての形が整って来るに連れ、きょうだいも他人の部分が多くなるのは仕方がない。
普通の人は、私生活の範囲に留まっているが、有名人であり、社会的立場のある人は、家族の問題まで、すべてさらけ出されてしまう。
そして、それを取り上げて、ああだ、こうだと、話題にする人たちは、彼らの身になって考えているわけでなく、面白がって、商売にしているだけだから、何ともいたましい。
マスコミのえじきになっているとしか思えない貴乃花の記者会見を見ていると、その話の真偽はともかく、「黙って、超然としてなさい」と言ってあげたくなる。
そして、自分たちが、カメラで追いかけ、無理矢理マイクの前に、引きずり出しておきながら、片方で「沈黙は金」だなんて言うコメントを、番組のゲストがしているのは、矛盾も甚だしいし、マスコミというのは、なんと節操のない、ご都合主義の人達かと思う。

ところで、この話題から離れて考えると、よく言う「沈黙は金」という言葉は、人間関係を良くするために、必ずしも当たっていないように思う。
私は、物事をいい加減に済ませることの出来ないタチなので、家族の間でも、友人との付き合いの中でも、何かあれば、率直に言うほうだが、当事者同士であれば、その方が、解決しやすい場合が多い。
問題は、当事者の間で、話し合いが出来ないときである。
こちらの投げかけたことに、相手が応えず、第三者に波及してしまったときは、解決から遠くなるばかりか、双方に誤解が生まれ、禍根を残してしまう。
私自身も、そんな経験が、この数年の間に、いくつかあった。
その中に悪人はひとりもいない。
一人一人は、みな、善良で、常識をわきまえた人たちであるのに、どういうわけか、些細なことでボタンの掛け違いが起こり、タイミングを逸したために、修復が難しくなってしまったことであった。
その原因の一番大きなものは、コミュニケーションの不足である。
緊張する関係であれば、人は、意思疎通に、努力するのであるが、なまじ、良くわかっていると思う間柄であるために、それに甘えて努力を怠るのである。
相手がわかっているだろうと思うのは、やはり一方的な思いこみなのであり、どんなに親しく、意思疎通が出来ているような関係であっても、まず言葉で伝え合うことは、大事なことではないかと、つくづく思う。
問題に真正面から向かい合う意志が、相手になければ、もう、諦めるしかないが、もし、その人と、今後も、ずっと良い関係を維持していきたいと思うなら、やはり、お互いに努力しなければならないだろう。
でも、それは理想であり、理屈でもある。
かくして、私の心には、真っ赤な薔薇の刺が、刺さったままである。

きょうだい、はらから、どうほう、どうし・・いくつもの表現を持つ星の下にいるのに・・。


喪の礼儀
2005年06月03日(金)

元大関貴乃花、二子山親方が亡くなり、長男花田勝氏が喪主を務めて、葬儀が終わった。
これについて、偉大な力士であった故人を、悼むことの他に、取り沙汰されていることがいろいろあり、当事者、関係者の発言を廻って、マスコミ報道がかまびすしい。
それについて、私がとやかく言うことは避ける。
ただ、思うのは、人の死を悼むというのは、どういうことかと言うことである。
故人が親しくしていた人たち、何らかの関わりのあった人たち、マイクの前で、求められての発言を聞く中で、きわめて個人的なことだが、思い出したことがあった。

夫の母は25年前、70歳になったばかりで、脳溢血のため亡くなった。
父の方は、夫が大学を卒業した年の秋に、亡くなっている。
義母は、昔気質の女性だったので、家のことは、夫と息子を立てて、切り盛りしていたが、実際には、この母が、すべてのことを仕切り、支えていたと思う。
私は、この母から、世間との付き合い方、日本人が昔から行ってきた冠婚葬祭での身の処し方、他人に家の中のことを話すときの心構えなど、自分の母よりも、多くのことを教えて貰った。
もう少し、長生きしてほしかったという思いは、今でもある。
夫は、23歳で、死んだ父の代わりに、一家を代表して、親戚や近隣のさまざまな付き合いに出ることになったが、裏では、母が、すべてを支えてくれたので、余り苦労をせずに済んだ。
母が亡くなったとき、夫は長男として、義弟と共に、喪の儀式一切を取り仕切り、母の遺したわずかばかりの遺産の処理も含めて、兄弟の間で、すべてが巧く運び、私はそれらのことを通じて、明治生まれの夫の母を、あらためて偉い人だと思った。
母の葬式には、生前ゆかりのあった人達が、来てくれたが、私たち夫婦が、初めて顔を合わせた人たちも多い。
母は、亡くなる少し前まで、都心で一人暮らしをしていた。
旅行が好きで、度々ツァーで国内旅行に出かけていたことや、茶道をたしなんでいたことくらいしか知らなかったが、葬儀の時にいろいろな人たちに、挨拶されて、あらためて母の、交友の広さを知った。
その時、母の友人だという女性が、私に言った言葉を今でも、覚えている。
その人は、焼香を済ませてから、私たちに型どおりの悔やみの挨拶をしたあとで、こう付け加えた。
「でも、お母様、お元気なうちに亡くなって、かえって良かったんじゃないでしょうか。いつも、寝たきりになって、お嫁さんの世話になるのはイヤだと言ってましたから」。
夫も、私も、葬儀に来てくれたお礼を述べて、送ったが、その人の言った言葉は、ずしんと響いた。
そして、母の友達は沢山いたが、少なくとも、その人だけは、本当の友人ではないと思った。
母が、そんな話を、自分の仲の良い人たちに言っていたかも知れないことは、想像できる。
それは、「ここだけの話」だからであり、相手を信頼しているからこそ、出てくる話題である。
だから、それを聞いて、母に対して、怒りの気持ちは、少しも沸かなかった。
それよりも、こんな人を、友達として、信頼していたのかと、母がかわいそうになった。
もし、本当の友達なら、亡くなった人の言葉は、黙って胸の中に収めておくだろう。
それが、友情であり、喪に際しての礼儀である。
葬儀に行った先で、自分自身には、何もふりかかってこない事柄について、葬式が終われば、その息子夫婦と、付き合うこともないであろう立場で、口に出すことではない。

二子山親方の葬儀で、故人の親友だったという、ある親方が、故人と貴乃花親子の確執を伺わせる言葉を、故人が生前漏らしていたと、マイクの前で喋っているのを聞いて、義母の葬儀の日のことを思いだした。


ネットの交流を廻って
2005年06月01日(水)

私は文芸創作を趣味にしているので、インターネットで、詩や連句、短歌のサイトに投稿したり、自分のサイトでも、掲示板を使った連作の場を設けている。
私の連作掲示板の参加者は、顔見知りの人と、ネットの上だけでの付き合いの人とが、いつも混じっている。
当時は、ホームページを持っていないと掲示板が借りられなかったので、その為にサイトを開設した。
もう4年になるが、参加者の出たり入ったりの変化はあっても、概ね、いいメンバーに恵まれて、深刻なトラブルもなく、過ぎているのは有り難いことだ。
今では、ブログの方が身近になってしまったが、作品の公開場所としての、サイトの役割はあるので、連作用、訪問者用掲示板と共に、機能している。
サイト管理者として、一番気を使うのが、掲示板でのメンバー間の遣り取りの中で、トラブルになったとき。
創作上の議論がきっかけになって、言葉の行き違いからバトルになることが、たまにある。
しかし、これは、あくまで「芸術論争」みたいなものだから、お互い、言葉には、気を付けて、決して相手の人格に関わるようなことを言わないようにすれば、やがて収まる。
バトルの現場に居合わせた他のメンバーも、冷静に、公平に対応するような大人の知恵が働けば、むしろ、よい結果に移行する場合もある。
ネットであっても、その向こうにいるのは紛れもなく、人間であり、人の心は、考えるより、ずっとデリケートに出来ている。
それは、年令や性別と、関係ない。
何げない言葉の言い回しや、その時の受け止め方で、思わぬ誤解が生まれたり、心ならずも相手を傷つけてしまったりする。
そして、お互いの顔を見て話す場合と違い、ネットでは、書き込まれた言葉だけが頼りだから、そこに籠められたニュアンスを、相手が、こちらの意図と違って、受け止めてしまった場合は、思わぬバトルに発展してしまうこともある。
サイトの中で、そんなことがあったときは、管理者が、中途半端に放置せず、適切に捌かないと、ちょっとしたトラブルが、大きな問題に発展してしまったり、収まっても、双方あるいはどちらかに、感情的なしこりを残すこともあるので、難しい。
私の場合は、顔の見えない相手に対しては、顔見知りの人より、何倍も気を使うようにしている。
知っている人なら、別のところで埋め合わせが出来るが、ネット上だけのご縁は、ネットの中で、解決するしかないからである。
そして、ネット以外での付き合いの気配を、ネットの中では、出来るだけ、晒さないようにする。
そうでないと、ネットだけのご縁の人は、取り残されたような気持ちになり、何かウラで遣り取りしてるのではないかと、不信を抱くことになるからである。
それは、私自身も、よその交流の場で、時々経験するので良くわかる。
参加者あるいは訪問者に、公平かつ誠実に対応するというのが、インターネットで交流する際の、管理者の心得であろう。

あるサイトの投稿欄に参加していたときのこと。
掲示板で、現代風の連歌を楽しんでいるグループだった。
10人くらいの小人数で、仲良くやっていた。
管理者は、60代の男性と思われ、メンバーも、大体中高年の人たちのようだった。
年齢が明記されているわけではないが、遣り取りしているうちに、大体わかってくる。
管理者の面識ある人もいたようだが、大体は、インターネットのみのご縁である。
私も、その一人だった。
卓越した管理者のリードで、活気のある遣り取りが展開された。
一人二人の移動はあったが、常時活動しているメンバーは大体固定していた。
そこに、新人が入ってきた。
詩を書いているという、若い女性である。
「連歌というのは初めてですが」という自己紹介に、「新しい才能を迎えて・・」と、管理者は喜んだ。
確かに、彼女の詩を見ると、なかなか感覚のすぐれた人で、ひらめくものを持っていた。
そして、早速、グループの連作に加わった。
ところが、理に勝っているというのか、頭でっかちというのか、理論から入ろうとする。
毎回、理屈をこねるし、難解な言葉を使いたがるので、出来た作品が、大変わかりにくい。
連歌は、五七五と七七を繋げて、一首の歌を作り、次々と繋げていく遊びである。
だから、次の人が、巧く受け止められないと、流れていかない。
多少のルールもある。
一人で作るものは、どんなに難解でも、独りよがりでも構わないが、連作は、共同作品だから、ほかの人に伝わらなければいけないし、全体の調和と言うことも大事である。
そこで、次の順番に当たっていた女性が、「意味がわからないので、解説して下さい」と言った。
管理者も、「こんな風に、表現を変えてみたらどうか」と助言した。
そんなことが、何度かあって、そのうちに、新人は、キレた。
わからないのは、そちらに鑑賞力がないからだ、無知を押しつけないでほしいと言い、自分は子どもの頃から、内外の古典は暗記する程読んでいる、人より言葉の知識が多いのは、いけないことなのかと、やや感情的な言い回しで、掲示板に書いた。
新人だからと言うことで、歓迎のメッセージを寄せた人もいたし、管理者が、当初から、少しチヤホヤしたせいもあって、甘えもあったのだろう。
しかし、その言い方は、明らかに無礼であり、相手の人格を侮辱したものだった。
言われた女性は、憤懣やるかたないものがあったのだろう。
直接言い返すことはしない代わりに、「ここで降ろさせていただきます」と、連作の途中で抜けてしまった。
管理者の、やや公平さを欠いた対応の仕方もまずかった。
若い才能を、何とかグループに定着させたいという気持ちが先行し、そちらに気を使うあまり、日ごろ冷静で、メンバーに気配りのある管理者が、どこかバランスを逸していたらしい。
それが発端となって、他の人たちも、だんだん、疑心暗鬼になり、明るく活発だった遣り取りが、影をひそめてしまった。
その少し後に、私も退会してしまったので、そのグループが、今でも続いているかどうかは、知らない。

実際のサークルやグループ活動でも見られることだが、男性がリーダーの場合、とかくハーレムを作りたがる傾向がある。
そして、気に入った女を特別扱いしたりする。
これは絶対ダメである。
ある程度年を重ねた女性達は、自分の品位を下げるので、絶対口には出さないが、みな、心の中で苦々しく思っている。
そうした、見えない空気を読むのが下手な管理者の場合は、悲惨な結果になることもある。
同性から見放された女性こそ、かわいそうである。
贔屓の引き倒しと言うが、ハーレムのボスに、えこひいきされたために、せっかくの才能をグループの中で生かせず、孤立してしまった人を知っている。
しっかりした女性が仕切っているグループが、比較的うまく行っているのは、女はハーレムを作らないし、公平だからである。
「どんな先生が嫌いか」と訊かれたときの、子どもの答えに「えこひいきする先生」と言うのが、一番多かったそうだ。
大人も同じである。

今、私の連句掲示板は、男の人に捌きを頼んで、進行中だが、ゆっくりと、お喋りを楽しみながらやっている。
4年間で、作品数は、50巻を超えた。


迎え梅雨
2005年05月31日(火)

昨日は結構な雨の一日。
5月というのは、本当は一年のうちで、一番良い季節の筈だが、あまりそんな気分の日を味わわないうちに、もう、終わりそうである。
はつなつと言うに相応しい日は、あまりなかった。
もう、梅雨の前触れかと思うような、雨が時々降るし、一時期、大変暑い日があって、仕舞おうと思っていた冬物も、家中に散乱している始末である。

目まぐるしく日が過ぎて、何かについて、書こうと思っているうちに、どんどん事態が変化し、追いつかない。
これは時代のせいなのか、
それとも、私が、世の中の動きに、付いて行けないくらい、衰えたと言うことなのか。
多分、その、どちらでもあり、またどちらでもない。
言えるのは、いつの時代にも、世の流れ、人の動きはあった。
ただ、それが、みんなに浸透するのに、昔は時間が掛かったということだ。
だから、ニュースで流れた事件ひとつにしても、考える時間があったし、意見を交わすことが出来た。
いまは、物事の実相が、よくわからないうちに、メディアによって、どんどん表面化し、果たして、何が事実で、どれがホンモノなのかを、見極めないうちに、気づいたときは、流れが変わってしまうと言うことだ。
インターネットに、シロウトのジャーナリストまがいが、沢山輩出したのは、いいとしても、その中で交わされる情報は、間接的な聞き書きの域を出ないので、中には、大変無責任な垂れ流しレベルの、言いたい放題があったりする。
間違っていたら訂正すればいいと思って、気軽に流された情報は、実は、個人の無責任だけで済まないことがあり、そうしたことによって、傷ついたり、被害を被った人も、実は少なくないのではないだろうか。
これは、私自身の反省でもある。
ブログを開設して、来月でちょうど1年になるが、私なりに、思ったこと、言いたいことは、ある程度、表現し、発信することも出来た。
しかし、このところ、私は、少し、「待てよ」という気持ちになっている。
シロウトブロガーが、プロのマスメディアより、先んじて情報を持つことは、難しいし、たとえ、得たとしても、その検証は、困難を伴う。
市井に生きる人間が出来ることは、それら、プロの流した情報から、何が、真実に最も近く、誰が、一番本当のことを言っているかを、見分け、生活者としての視点を失わずに、判断することしかないだろう。
そしてこのことが、実は、言うは易く、一番難しいのだと言うことを、いつも、心しなければならない。
新聞やテレビは、強力なインパクトを持っているし、まだマイナーではあるが、インターネットから窺い知るさまざまな情報も、かなりリアルに、物事の側面を伝えている。
それは尤もだと同感できる、説得力ある意見も、多く、知ることが出来る。
その中で、名もなく、力もない普通の人が、何かに与することなく、独自の考えを持って、表現するのは、ますます難しくなっている。
せめて、野次馬にならず、人を煽る妙な力の下請けになることだけはすまいと、ささやかな決意を述べて、久々のエントリーの締めくくりとする。

世が直る直るとでかい螢かな   小林一茶


ホスピタリティのある空間
2005年05月11日(水)

新宿や池袋などの繁華街で、会合の場所として大変いい役割を果たしてくれていた談話室「滝沢」が閉店してから、そこを格好の場所として使っていた私たちは、代わる場所探しに苦労している。
喫茶店の一角を陣取って、安いお金で、長時間連句を楽しもうというのだから、店にとっては、営業の足しにはならないが、「滝沢」は、そんな人たちにも、こころよく、応じてくれる、ホスピタリティの溢れた空間だった。
月に一度の10数人の会合のために、店では、「予約席」の札を置いて、場所をとっておいてくれた。
従業員も、とても感じがよく、さりげないサービス精神を心得ていて、真面目な女性達が中心のグループにとっては、お茶とサンドイッチくらいの支出で、使えることを、有り難いと思っていたのである。
4月から、別の場所を探すことになり、たまたまインターネットで、お茶の水すずらん通りに、「F」という店を見つけ、下見を兼ねて、3月終わりに行ってみた。
出版社の地下にあるその喫茶店は、周りが、本屋や、大学が近いこともあり、私たちの目的には、雰囲気が合っているように思えた。
しかし、どうも店にとっては、あまり、歓迎する客ではなかったようである。
その店は、昼食時に、サービスメニューとして、1000円前後のランチ、あとは、飲み物やケーキ、ソフトドリンク程度の物を用意してあり、夕方になると、バーに模様替えして、仕事帰りのサラリーマン達の、酒場に変身するらしかった。
私たちは、昼前の11時に集まり、ランチメニューを頼み、午後3時頃にもう一度、飲み物か何か摂って、5時前には、退散すると言うことで、利用させて貰うことになった。
3月に初めて行き、4月も利用させて貰い、そして、今日もそこに集まった。
ところが、会合が終わり、「来月も・・・」という申し出に対し、やんわりと断られてしまったのである。
「他のお客さんから、苦情があって・・」とか、「場所が狭いので、長時間塞がれるとちょっと・・」などと言っていたが、要するに、歓迎しないと言うことであろう。
それ程混んでもいないし、迷惑になるようなこともないのにと思ったが、黙って受けることにした。
代わりの店は、すぐに見つけ、来月は、そこに集まることになっている。
そこが、果たして、そんなおおらかなところかどうかは、わからないが・・。
「F」という店は、本屋の地下と言うことをうたい、文化的な雰囲気を売り物にしているので、ちょっと期待していた。
しかし、昔と違い、あまりお金を使わず、長い時間、居座る客は、困るのである。
それだけ、世知辛くなったと言うことであろう。
学生時代、珈琲一杯で、勉強部屋代わりに長時間いても、イヤな顔をしなかった新宿の「風月堂」や、先頃の「滝沢」。
もう、そんな店は、望めそうにない。


連休明けて
2005年05月10日(火)

年末年始とゴールデンウイーク、それに夏の旧盆の頃は、日本人の国民的休暇期間となっている。
多分、この時期は、何処に行っても、人、人、人、で、あまり愉快ではないだろうから、人口が一時的に減少した東京で、のんびり過ごすに限る。
もともと、私は世間に照準を合わせるのが苦手なタチなので、夫が現役時代から、何も、わざわざみんなと同じことをすることはないと、独自の道を歩んで(ナント大げさな!)来たが、夫がリタイアしてから、我が家ではゴールデンウイークも、ますます関係なくなってしまった。
休みというのは、自分の好きな時に、好きなだけとれるのが、本当だと思うのだが、日本では、会社も工場も、一斉に休んだ方が効率がいいし、管理もしやすいというのだろう。
また学校も一斉に休むので、家族が一緒に過ごすには、その期間を使うのが一番良い。
この期間しか休めない人たちには、家族連れで、故郷に帰り、自然と接する貴重な時期になるので、西へ、東へと動くことになる。
かくして、高速道路は渋滞し、飛行機も電車も、混むと言うことになる。
私の息子夫婦も、お互いの休みを調整して、ハワイに出かけた。

長い休暇が終わって、昨日から、また世間は、通常の日常を取り戻しているようである。
今、仲間内でやっている連句掲示板、メンバーの休みが少しずつずれているが、主力は、毎日が日曜日組なので、止まらずに動いている。
連休中、大きな事故や事件はなかったようだが、けさ、イラクで日本人が拘束されたらしいという未確認情報があり、行方が気になる。



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