沢の螢

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ダイエットの話のつもりが・・
2005年09月22日(木)

ブログも、政治や社会などのタイムリーな話題を扱うと、途端にアクセスが増えるようである。
やはりインターネットは生き物だなあと感じる。
時事的なことには、みな関心があるし、地球のあちこちで、今起こっている現象について、自分がどう捉えるかと言うことは、一人一人同じではないが、他人がどう見ているかと言うことも、気になるので、コンセンサスを得るには、ネットは、格好の媒体だからであろう。
私は何ごとも、自分の身に引きつけてしか物を考えられない人間なので、大上段に振りかぶったような時事問題、特に政治経済は苦手である。
だから、それをメインにしているブログは、テレビニュースを補うものとして、よく見に行き、時にコメントも、させて貰うが、自分から、先だった意見を示すことはあまりない。
だから、私のような「無党派」層が今回の選挙で、コイズミさんを大勝させた一つの要素だと評論家達が指摘し、「衆愚政治だ」と、誰かが言い、それは、私のような「愚民」が多くを占めるからだと、言われれば、そうかなと思うが、一方では、だから、アタマの良い立派な人たちが政治に参加して、ちゃんと国を治めてくれなくちゃ、困るじゃないの、と言いたくなる。
そして、ブログでも何でもいいが、インターネットがこれだけ普及してきた今の時代、政治経済が得意な人たちは、プロの政治家とは違った視点で、意見なりアイデアなりを、どんどん発信してほしい。
「愚民」に向かって、「あんた達バカね」と嘲笑するよりは、余程建設的であろう。
そして「愚民」にも五分の魂はあるし、自分のことは自分で責任を持つくらいの気持ちはある。
何でも人のせいにする風潮は、私はキライである。
それから、お金という形での報酬はなくとも、社会を支えてきた人たちが、昔から沢山居ることも、忘れてほしくない。
ブランド物のスーツを着込んで、国会の晴れ舞台に立ちはしなくとも、大きな声で、存在を主張しなくとも、その人達が居たお陰で、日本の社会は、まあまあ、健全に保たれてきたし、欧米先進国に比べれば、犯罪率も格段に少なくて済んだ。
そこには、街の、フツーのおじさん、おばさんの力があったことを、忘れてはならない。
でも、これからは、多分、そういうわけにいかなくなるだろう。
お節介と言われながら、よその鍵っ子にも、目を注ぎ、「アンタ、そんなコトしちゃダメよ」と、注意してくれる人たちが、いなくなるのだから。
うっかり言えば、その親たちから白い目を向けられ、場合によっては、逆恨みされかねない。
もうコワイ思いをして、よそのガキに、注意など、しなくなった。
その親たちは、何か起これば、親の責任など感じるよりも、社会が悪い、システムが悪いというのだから。
言ってみれば、アメリカのようになる。
すでに、犯罪や、子どもの世界で、今までの日本になかったマイナスの現象が起きている。

敗戦から立ち上がって、焼け跡から日本経済を立て直し、高度成長期の基礎を作った、私の親たちの世代。
今、80歳を超えるその世代には、文句なしに、お疲れ様でした、有り難うと言いたい。
その人達を「高齢者が増えて、負担が大きくなった」などと、邪魔者扱いしたら、罰が当たる。
まだ元気なうちに、その先達から学ぶことは、沢山あるし、残してほしいことも、少なくない。
その子どもである私の世代の夫達は、高度成長期に社会に出て、それを引き継ぎ、先進国の一員として、国際的に認められるところまで来た。
それを陰で支えてきたのは、妻達である。
専業主婦が、大半を占めていたのは、ごく自然のことであった。
他人から報酬は得ない代わりに、夫の働きを支え、子育てをし、それで、一家の生活が、成り立っていたのである。
後に、跳ね返りの女権論者達から、「社畜の男達とそれを支えた専業主婦という奴隷構造」などと、揶揄されたが、ちっともわかっちゃいないなあと、私は思った。
同性でありながら、普通の女をバカにする女達に、ろくな人間はいない。
ただ、夫達が、家庭を顧みないほどに、働き、それを支えてきた妻達が、それが一段落したところで、自分の人生に対して、懐疑を抱くようになってきたことも、現象としては出てきたし、経済成長の側面で、公害問題も生じてきた。
物が増え、生活スタイルが、欧米風になり、一見豊かになったが、昔からある日本の良い面を、損なってきたことも、事実である。
そうした功罪を、今の時点で論じることは容易い。
今、60代半ばから70代半ばくらいの世代。
急激に変化した時代のさなかで、残っている古いものと、新しい価値観との狭間で、自分自身の老いも意識しつつ、まだまだ達観しきれないところがある。

私の子どもの世代になると、女性の社会進出は当たり前になった。
専業主婦はけしからん、年金の保険料は自分で払えと言う意見が、大勢を占めるようになると、もう、今までの価値観は変わって来るであろう。
時代に伴う意識の変化。
老後に、夫の年金で、充分、安心して暮らせると思ってきた私の世代の女性達は、戸惑っている。
「私たちは、親の面倒を見てるけど、自分たちは、子どもに頼れないわね」と、みな思っている。
私は、若い頃五年間会社勤めをしたが、出産を控えて、退職するとき、厚生年金を脱退してしまった。
もう、会社づとめをすることはないでしょう、一時金を貰って、脱退した方がいいですよと言われて、従ったのだが、当時は、子どもを抱えた女性が働くことは、稀だったので、あまり疑問を持たなかったのである。
年金を貰う段になって、そんな昔のことが、響くことを知って、悔しい思いをしている。
私は、第三号被保険者として、昨年から、わずかな年金を貰うようになったが、その分、夫の年金が減らされるので、あまり喜べない。

マクラのつもりが詰まらないグチになった。
本当は、今試しつつあるダイエットの話をしたかったのに、思わぬところに、筆が滑った。


合っているようないないような・・
2005年09月18日(日)

あざらしサラダさんのところで、ニュートラ:適性・適職診断をトライしていたので、私も遊び半分でやってみました。
50の簡単な質問に、一つ10秒以内で答えるもの。
結果は下記の通りですが、半分くらいはその通りかなと思い、実際の人生はずいぶん違った道を来ているので、その意味では、ほとんど当たっていないと思います。
これから社会へ踏み出そうという若い人に向けたものなので、まあ、対象外なんでしょうけどね。
血液型と同じで、一つの話題にはなるかも知れません。
質問に、あまりマジメに応えていないし、イエスともノートも言えない項目が多かったので、ちょっと答を変えれば、全く違う結果が出ると思います。
私はこういうたぐいのテスト、好きな方なので、見つけると試してみて、面白がっています。
ついでに、「小泉さん支持層にはIQが低い」とか言うデータがあるらしく、私のところに、トラックバックしきた人がいますが、きっと、選挙に関する私の記事を見て、私のIQが低いと判断したんでしょうね。
左の脳ばかりが肥大した人に、人を侮る傾向があるのは、仕方ないかと思います。
私は、右脳人間なので・・。
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診断結果

仕事: 研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ

性格: 引っ込み思案の研究室タイプ

恋愛: 同じ価値観をもっていないと恋愛に発展しないタイプ

特に向いている職種は?
理学系の研究者、図書館員、学芸員、文献研究、調査発掘関係、翻訳、
税理士、公認会計士、執筆業、著述業、プログラマー、行政書士、メカニック系、歯科技工士など
守りでも攻めでもないタイプ。
自分がこだわっている分野では攻めのタイプ

内向性(ディフェンス型)
2■■□□□
外向性(オフェンス型)
2■■□□□

仕事・・研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ

このタイプの人は早いうちから、自分に向いているこだわりの道を発見しているはずです。
人間関係が重視される組織には向きませんが、研究開発、調査、文献研究、
歴史や遺跡の発掘などで、素晴らしい能力を発揮できるタイプです。
学術系でなくても、自然食や食材へのこだわり、環境問題などで活躍できます。
組織力を活かすのではなく、自分の価値観に基づき、一人で仕事を仕上げていきますので、
周囲があなたに何を求めるか、何をさせるかがポイントとなるでしょう。
どんな分野で自分が活きるかを発見してください。
それが見つかれば、あなたは納得いくまでチャレンジしますので、成功するでしょう。
自信をもって進んでください。

性格・・引っ込み思案の研究室タイプ

ちゃんと常識をわきまえて、物事を合理的、論理的に理解できますが、
自分の価値観や夢のなかに閉じこもってしまうタイプです。
普段はわりと引っ込み思案ですが、だからといっておとなしいタイプでもありません。
周囲に対する気配りややさしさには無頓着で、こうと自分で決めたことを忠実に実行していきます。
ただし、行動力にやや欠ける傾向がありますので、積極的に実行していくことは意外と少ないでしょう。
女性には少ないタイプですが、とくに理学系の研究者には男女ともに多いタイプです。
「好きなこと」より自分が「できること」、社会が自分に「させたいこと」を優先します。
研究や調査など、自分が決めた目標ひとすじというタイプですから、周囲からは変わっていると見られるかもしれません。
しかし、周囲の雑音をそれほど気にしないのもこのタイプ。
がんばり過ぎる傾向がありますが、本人にとっては苦になりませんのでいい成果を出すことができます。

恋愛・・同じ価値観をもっていないと恋愛に発展しないタイプ

あなたの恋愛相手には、あなたと同じ価値観、あるいは同じような研究テーマをもっていることが求められます。
これはあなたにとって「好き嫌い」ではなく、「善し悪し」の問題なのです。
お付き合いする範囲が自然に狭くなってきますので、恋愛のチャンスは限られてしまいます。
また、自分のなかで恋愛に対するイメージを作り上げてしまっていると、
あなたが考える理想的な恋愛だけを追うことになりかねません。
それは現実にはまったく存在しない物語の世界ですので、単なる夢に終わってしまう傾向があります。
自分の世界以外の異性と、最初はお友だちから始めて、あなたの視野を広げてみましょう。
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「現実にはまったく存在しない物語の世界」ということばは、恋愛に限らず、私のすべてに渡って、よく人から指摘されるところです。
インターネットも、私にとっては、そんなようなものです。


ワイドショーの見方
2005年09月15日(木)

うちは朝が遅いので、朝食時間にワイドショーを見ることが多い。
夫婦二人しかいないので、横並びに坐ってテレビを見る。
昭和58年の森田芳光監督、松田優作主演の「家族ゲーム」という映画で、家族が横に一列に並んで、食事をするところが何度も出てきたが、あれは、家庭崩壊の象徴として出てきた場面であった。
伊丹十三と由紀さおりの夫婦、それに二人の息子、家庭教師の松田優作が、全員横に並び、食事をするのだが、交わされる会話は、父親の一方的な話、それも息子の高校受験が中心。
ちっとも心の通わない家族の様子が、その場面に象徴的に現れていて、あれは、印象に残るシーンであった。
話が逸れたが、私たち夫婦は、もう子どもも独立して老後を平和に暮らしているわけで、テレビは、新聞を取っていない我が家には、重要な情報源であり、話のタネなのである。
朝のワイドショーでは、もっぱらフジテレビ小倉智昭の「トクダネ」。
なぜかというと、7,8年ほど前、「サッチー騒動」というのがあって、その時、どのテレビ局のワイドショーも、楽屋落ちにしか過ぎないような、一般視聴者と何の関係もない芸能人同士の、特定個人への怨念を話題にしたバカ番組を流していたときに、小倉さんは、「トクダネ」の新司会者でありながら、それらと一線を画して、比較的冷静な取り上げ方をしていたからである。
明けても暮れても、「サッチー」弾劾に終始したような民放テレビの、視聴者を侮ったあくどさ、くだらなさをつくづく感じたが、その頃、ブログというものがあったら、もう少し違う状況になったのではないだろうか。
ともかく、この時以来、朝のワイドショーは、小倉さんに決めている。
タイムリーな話題が主だが、割合に公正、かつ見識ある見方をしているように思う。
時々比較してみるのがテレビ朝日。
夫が好まないので、一緒にはあまり見ない。
鳥越俊太郎が出てきて、腕組みをすると、すぐチャンネルを変えてしまう。
腕組みをするというのは、相手を拒絶、あるいは見下したポーズだから、テレビで、こんなことをする人は、信用できないというのが、夫の持論である。
しかし、今朝のテレビ朝日は、ちょっと面白かった。
コイズミさんの、今回の選挙戦略と政治家としての資質を、作家の大下英治が、信長と比べて、分析しているのだが、なるほどと頷けるところがあった。
クールで、緻密な頭を持ったコイズミと言う見方、そして、信長と違うのは、明智光秀を作らないところだという。
コイズミさん自身も、自分を信長になぞらえているらしいが、何と、オカダさんの理想とする歴史上の人物も、信長だという。
片方は大勝利して、もう片方は惨敗。
同じ英雄をめざしながら、この違いはどこにあるのか。
当分は、その辺りの解釈を廻って、テレビ雀たちが、かまびすしいことであろう。


日本が熱くなった日
2005年09月12日(月)

私はどちらかというと、政治にはそれ程関心の高い方ではない。
国民の代表たる国会議員が、良い政治をしてくれれば、それでいいのであって、その為に、税金も払っており、選挙にも行く。
普通の人たちが、安心して暮らせて、世界の人たちからも、バカにされず、対等にお付き合いしていける国であれば、本当はそれが一番良いのである。
しかし、折角選んだ政治家に、安心して国政を任せられない状況が、あるとしたら、そのこと自体、大変不幸なことである。
公僕ということばがあるが、今の国会議員のなかに、それを自覚している政治家がどのくらい居るのだろうか。
以上は本文のマクラ、いやマクラの本文である。

今回の衆議院議員選挙は、今までにないホットなものだった。
小泉首相の長年の悲願である郵政民営化に向けての、解散と選挙。
その為に、法案に反対票を投じた自民党議員の当選を防ぐために、敢えて、「刺客」と言われる候補者を、自民党公認で対立候補として送り込むことさえした。
その中には、多くの新人女性候補が含まれていた。
女性を、「マドンナ」とか、「刺客」などと扱うことには、本来私は反対である。
政治家は、適性とこころざしで選ぶものであって、男か女かは関係ないのである。
国会に一人も、女性議員が居なくても、一向に構わないと思っている。
いい素材がなければ、仕方ないのだから。
今まで、マドンナなどとおだてられて、閣僚なんかになっても、実は同性が見て、ガッカリするような働きしかしていない人もいるし、いい加減にしてよと言いたいくらいであった。
しかし、今回は、「刺客」と言われた女性候補の中には、なかなかの人材も居たようであり、ただのマドンナとは、ちょっと違うのではないかと、選挙戦を通じて、あるいは、選挙の結果を受けての、インタビューの中で、感じた。
中でも佐藤ゆかり氏は、私が応援したくなるような人材である。
彼女は、選挙戦のさなかに、週刊誌に、プライバシーに関わるような、誹謗中傷記事を書かれたようだ。
私は、電車の中吊りでタイトルを見ただけだが、明らかに、選挙妨害の目的で為されたことであろう。
中身を読まなくても、どういう意図かわかる。
この種の、特に女性をターゲットにした、人を貶める記事は、書いた人の品性が問われることはあっても、対象者の人格に響くものではないことは、心ある人ならわかる。
こんなものを鵜呑みにするほど、選挙民はバカではない。
今回少ない選挙運動期間の中で、いままで縁のなかった選挙区でありながら、予想以上の票を得たことで、選挙民の健全さが伺われ、逆に、佐藤氏にとっては、追い風になったようにも思われる。
小選挙区では、野田氏に負けたものの、比例での当選を果たし、テレビのインタビューに答えている佐藤氏の様子を見ながら、エールを送りたくなった。
政治家としては未知数だが、活躍を期待したい。

先週連句の席で、今回の女性「ヒットマン」に関連して、女性議員の話題になった。
コイズミさん支持派、オカダさんに肩入れする人、いろいろである。
深刻なバトルにはならないが、結構ホットな話になった。
誰かが、「女性議員を顔で判断しちゃいけないけど、長いこと、人を攻撃したり、非難ばかりしていると、だんだん顔つきが悪くなるわね」と言った。
「はじめはみなキレイなのにね。やっぱり人のあら探しをしたり、あげつらっているうちに、心根が醜くなるのかしら」と、別の誰かが言った。
「それは男だって、同じでしょう」と私は言ったが、内心、頷ける気持ちもあった。
「たおやかに美しく、しかもラジカルに、ということは、なかなか両立しないのかも知れないわね」と、また誰かが言ったが、その場にもし、男の人が一人でも混じっていたら、どういうコメントをしたであろうか。

今回の選挙で、予想を超えた圧勝をした自民党。
そして、当選を果たした新人女性議員の人たち。
しかし、本当の戦いは、これからである。
私などがブログで、政治記事を書かずに済むように、よい政治をしてほしい。


集中豪雨
2005年09月06日(火)

台風が次々来ている。
アメリカのハリケーンは、被害の面積としては比較できないくらい大きいようだが、これには、人災もあるようなので、人々の生活が復興するには、かなり時間が掛かるだろう。
 
日本は、年がら年中台風と向かい合っている国。
それなりの対策もあるし、慣れているところもあるが、一昨日の集中豪雨には、驚いた。
数時間の間に、今までにない量の雨。
私の住む地域は、低い土地ではないし、水はけの悪いところでもないが、一時的に、家の前の道路が川のようになった。
外出していた夫が、駅前から「今からタクシーで帰る」と電話があり、その前からかなりの雨だったので、なるべく濡れずに家に入れるようにと、大型の傘を持って、玄関先に出た。
門を開けて、前の道路を見ると、何と、水深20センチくらいはありそうに、水が流れているではないか。
ビックリした。
門に接した縁石は、流れる水に隠れている。
そこから、更に20センチくらい高くなって、我が家の門に続くのだが、そこまでは、水が来ていない。
しかし、タクシーを降りるときには、足首まで水に浸かってしまう。
ケータイで、状況を知らせようとしている間に、タクシーが停まった。
ドアから降りる夫に、傘を差し掛け、足を下に着けぬよう、手助けして、家の敷石のところに飛び乗って貰った。
その間の1分足らずの間に、私の方は、服を着替えねばならぬほど、濡れてしまった。
こんなことは、ここに住んで30年あまりの間で、はじめてのこと。
かなりの雨にも、台風にも、数え切れないくらい遭遇したが、道路が川のようになったことはなかった。
下水の処理能力を超えていたのだろう。
すでに夜中近くになっていた。
近所に、半地下のガレージを造った家があり、バキューム車が来て、ポンプで水をくみ上げていた。
多分、車が浸かってしまったのだろう。
かなりの音がしていた。
それから暫くして、雨音が弱まり、川のようになっていた水の流れも、消えてしまった。
地球温暖化の影響だろうか。
台風も、雨風も、従来とは違う顔を見せ始めたような気がする。
自然の仕返しと言うことかも知れない。


ただいま工事中
2005年08月27日(土)

南側に面した家が、建て替えることになり、今、解体工事中である。
いままで、110坪の敷地に、平屋の家が建っていた。
昭和30年代に建った、昔ながらの工法による木造の家である。
私の親と同年代の、明治生まれのご夫婦が住んでいたが、この5,6年の間に亡くなり、昨年後半は空き家状態で、時々、近くに住む男夫婦が、管理しに来ていた。
私たちがここに引っ越してきたのは、昭和47年、まだ若く、世間の付き合いに疎い私たちは、何かとサポートしていただいた。
特に私は、奥さんからは、親のように、相談相手になって貰い、つかず離れずの、良いお付き合いをさせていただいた。
ご主人は、社会的地位のある人だったが、少しも偉ぶったところが無く、道で会うと、向こうから挨拶してくれるような人で、私の連れ合いとも、時々話し相手になってくれた。
隣人というのは、こちらから選べないので、難しいものがある。
近所付き合いの下手な私だが、このご夫婦にだけは、イヤな思いをしたことが一度もない。
こちらから何かをするより、お世話になったことの遙かに多い関係だったが、何もお返ししないうちに、相次いで、故人になってしまった。
長男夫婦は、親たちが要介護状態になってから、半分泊まり込みで、世話をしていた。
ヘルーパーの手を借りながらであっても、毎日のように通ってくるのは、大変だったろうと思う。
私の親たちが引っ越してきたとき、ちょうど同世代なので、良いお付き合いが出来ればと思っていたが、少し遅かったようである。
双方とも、新しい人間関係を築くには、年を取りすぎていた。
両方の親たちを見て感じるのは、人が新しい環境なり、人との付き合いなりを、抵抗なく受け入れるには、エネルギーが要ると言うことである。
お隣のご夫婦は、終生自分の家で暮らせたことは、幸せだった。
そして、私の親たちは、ケア付きマンションで、暮らしている。

無人になった家が、この先どうなるのか、気になった。
転売すれば、大きな土地だから少なくも4軒の家が建つ。
どんな人たちが引っ越してくるのか。
我が家の、真南に面する家だから、そのあとのことを、大いに心配した。
しかし、今年になって、長男夫婦から「家を建て替えて住むことにしました」と聞き、ホッとした。
今までの平屋とは行かないから、2階建てにはなるらしいが、私たちとほぼ同世代、親たちと似て、いい人達である。
「よかったね」と喜んだ。
そして、先週から、いよいよ家の解体工事が始まった。
近隣に充分気を使って、工事をしている。
こういうことにも、注文主の人柄が現れるものである。
きっと住人に相応しい、良い家が建つことだろう。
沢山あった庭木のうち、大きい物はサルスベリだけ残し、あとは、数本を庭師にあづけ、大部分は処分するとのこと。
建物と庭木が無くなって、見通しが利くようになった道路から、人の通るのがよく見える。


タテ思考のボランティア
2005年08月15日(月)

今は、女性の社会進出が、普通のことになったから、男の人だけの問題ではないかも知れないが、会社や組織で、長年働いてきた人が、地域社会や、自主的な趣味の集まりなどで、何かをするとき、時に、男上位のタテ社会の論理をそのまま持ち込んで、うまく行かないことがある。
ことに、現役時代、何かの事情で、自分の理想や夢を充分果たせなかった人に、この傾向が強いようである。
その人たちは、違った場所で、それを取り返そうとするのかも知れない。

もう一昔前のことだが、女性が多くを占める地味なボランティアグループにいたことがあった。
グループとしては、15年を超える歴史があり、メンバーはほとんどが主婦達。
勿論、長となる人はいたし、会計や行事担当など、いくつかの役割はあったが、目的は地域のボランティア活動だから、みな、自分の出来る力で自主的に参加し、うまくやっていた。
そこに定年を迎えて、参加する男の人も、ぼつぼつ出てきた。
今までの、タテ社会から、肩書きの何も通用しない世界に、入ってきたわけである。
今までとは違うのだという意識を持ち、自分をまっさらにして、とけ込む努力が出来る人はいい。
しかし中には、新しい環境に張り切って参加したものの、それまでの、会社人間的資質をそのまま持ち込み、今までの価値観から抜け出せず、グループから浮いてしまう人もいた。
女性達は、実生活でも、男の人をうまく立てて、物事を運ぶことに、慣れているので、最初は、やさしく親切に、対応する。
しかし、それを当然と思って、偉そうな態度を取れば、みな、シラケてしまう。
男だから女の上に立つのが、当たり前だという態度は、もってのほかである。
大企業で働いてきた人の目で見て、如何に、稚拙な運営の仕方であっても、グループには、それなりに築いてきた経過があるのだから、まずは謙虚に学ぶという姿勢が大事であろう。
逆に、現役時代、かなりの地位にあった人が、ボランティア活動などでは、むしろ一番地味な作業を受け持って、生き生きとしていることがある。
多分、それまでの人生で、充分に仕事をし、思い残すこともなく、人を使う煩わしさから解放されて、新たな発見をし、新鮮な気持ちになれるのかも知れない。

営利団体ではない趣味の会でも、ある程度人が多くなると、多少はタテ社会のやり方で、まとめねばならない場面も出てくる。
定期的な行事、外の会との付き合い、会の名前ですることには、全体の合意が必要だし、そのための情報交換の手段も要る。
代表者、それを補佐する人、会報を作ったり、会計を受け持ったり、いろいろな役割がある。
一人で出来ることもあれば、チームを作ってやることもある。
中高年者が多数を占める団体の場合、そうした人事にも、とかく男性中心になり、女性が補佐役に廻ってしまうのは、これまでの、社会環境からして、仕方のない面がある。
何と言っても、男の人は、組織作りがうまいし、人脈も持っているのだから。
しかし、その中での、小さいチームで果たすことについては、男女を問わず、適材適所でやっていけばいいのだが、そこにも、男上位のタテ思考を持ち込む人がいると、チーム活動はうまく行かない。
ある程度のスケジュールや、方向性があったとしても、チーム内で、合意を測りながら、ゆっくりやればいいのである。
儲け話ではないし、それで、名を売るわけでもない。
たかだか趣味の会の、本来自発的なボランティアで参加している活動である。
民主的に話し合い、試行錯誤を重ねながら、よりよい物にしていけばいいというたぐいのことである。
役割分担はあるが、会社で言うような上下関係はないのである。
そんなところに、高圧的な態度で、仕切る必要がどこにあるだろう。
子どもの集まりではない。
それなりの人生経験を持った人たちのグループである。
物の言い方もわきまえず、まるで下請け会社をやり込めるような態度を取れば、ほかの人から反発を食らうのは当然であろう。
ボランティア活動に、妙な野心を持ち、功を焦る人は、ダメである。
そういう人は、結果がよければ、自分の手柄にするだろうし、うまく行かなければ、他人のせいにする。
たまたま私が関わった、ある事例を通して、痛感した。



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