昨日からまた山荘に戻っている。 台風の行方が気になるが、幸い、列車のダイヤに乱れはなく、予定時間に着いた。 移動の疲れもあり、夕べは早々と寝てしまい、夢も見ずに、今朝、5時前に目が覚めた。 今日は長崎に原爆が落ちた日。 広島では、母の末妹が亡くなっている。 60年以上たっても、親族の胸から記憶が失われることはない。 ブログを散見していて、いささか気になることがあった。 日本にブログが増え始めたのは2年前。 ちょっとした知識を必要とするホームページ作成に比べ、誰でも簡単に持てるブログコンテンツは、今や、当たり前のようになった。 ほんのひと昔前まで、新聞雑誌、テレビなどの媒体に、普通の人が意見を発信するなんてことは、そう易しいことではなかった。 読者投稿欄、視聴者参加のプログラムもあるが、誰にでも、道が開けているわけではない。 プロの手による選別というハードルがある。 しかし、インターネットが登場し、ホームページで、自分の作品や考えを表現できるようになってから、シロウトの物書きの出番が来た。 私も、5年前から、参入している。 それまで、段ボールの中に、いつ自費出版できるかと貯めてあった原稿も、ネットという媒体で、ただで、日の目を見させることが、出来る時代になったのである。 地味なテキスト中心の私のホームページは、宣伝もしないこともあって、訪問者は少ない。 しかし、自分の思ったこと、感じたことや、世の中に訴えたいことを、キイボードで、どんどん発信できるというのは、ページをデザイする面白さも伴い、それまで感じたことのない満足感があった。 段ボールで眠っていたむなしい原稿は、たちまちパソコン画面に変わった。 ことに、2年前から時流に乗って作ったブログ、こちらは知らぬ間に読者も増えてきて、反応が感じられるのがうれしい。 ただ私は無名の人間だから、ネットでは、ペンネームで通し、実生活とは区別している。 家族、友人、知人にも、ほとんど存在を知らせていない。 以前にも何度か書いたが、実人生の私を知ったヒトが、私の書いたことを、いちいち検証して、勝手に事実と照らし合わせたり、斟酌されるのは困るからである。 3年前、私のホームページを検索して読んでいた顔見知りが、そこに書かれたことを自分のことだと思いこみ、私の参加していないメーリングリストに、私の実名を揚げて非難する文書を、回すと言うことがあった。 私は、インターネットのルールに沿って、すでにマスメディアで報じられたこと以外には、他人の実名、特定団体、プライバシーに関わるようなことは、書かないのだが、その人は、私が触れてもいない特定グループの出来事に重ね合わせて、読んだらしい。 世の中に起こっている出来ごとや、人間関係にまつわるドラマというのは、よほど特殊なことでない限り、たいてい誰にでも思い当たることがあるのである。 それに特定の固有名詞を当てはめるのは、読み手の勝手であるが、こちらにすれば「あんたのことなんか書くかよ」と言いたいところであった。 もし、私の書いたことに意見なり、感想があるなら、ウラで怪文書を回すなどと言う卑劣なことをせず、ゲストブックに書くとか、私に直接言えばいいのである。 そんな人が見ているかと思うだけで、不愉快なので、ホームページは、別のサーバーに移し、デザインも一新して、再スタートした。 そのために失われたコンテンツ、せっかく増えつつあった読者も、また開拓することになった。 ブログが主になったのはそれから1年後だが、日々書くものはブログ、ある程度日数が経って、録っておきたい記事は編集して、ホームページに転載という、使い分けをしている。 件の不埒ものが、検索でブログにまで来ている可能性もあるが、もう、気にしないことにした。 最近、実名で発信しているブログも目につく。 著名なジャーナリストや、ライターが多い。 その人たちは、その名前でショーバイしていて、むしろ名前を売りたいのだろうから当然だが、気になるのは、記事の中で触れている人物まで、実名で登場させている例である。 たまたま、あるライターのブログに、私の関係する分野で、顔を知っている人が、実名のまま、出てくるのでびっくりした。 書かれた人は知ってるのだろうか。 別に、その人の名誉を傷つけたり、プライバシーをさらす内容ではないが、プロのライターにしては、無神経で、配慮に欠けた書き方だと思った。 「誰々さんと、夕べ食事を一緒にしました」というたぐいのことに、実名を出す必要はない。 イニシャルで済むことではないか。 それとも、その世界ではちょっとした有名人である相手と、自分が如何に親しいかと言うことを、顕示したかったのか。 いずれにしても、あまりお友達にはなりたくないなと思った。 目立ちたがり屋の人に、誰が見ているか判らないネットで、実名で登場させられるのは、ごめん被りたい。 私のネットでは、ペンネームで通し、有名人でない他人の実名、団体名は出さないと言うことを、これからも守りたい。
横浜で、一泊二日の趣味の集まりがあった。 裏方に徹して、行事がうまく行くように、気配りをしてくれた女性の力により、楽しく無事に終了した。 会計が終わって、「酒代がオーバーしたので、カンパしてください」と、封筒が回ってきた。 あれ?飲み物込みで会費が計算してあったんじゃないのと思ったが、夕食時、私も一杯だけワインを飲んだので、500円入れた。 前夜、日帰りの人の中で、かなりの量のお酒を、頼んでいた人たちが居たことは知っていたし、酒代は別に払うということになっていたような気がするが、「足りない」となると、「私お酒は飲んでないけど」といいながら、1000円入れる年配の女性もいた。 飲んだ量は自分で分かっているのだから、それに応じて払うべきなのだが、封筒の中身に集まったお金で、補えたかどうか知らない。 男女の区別無く、割り勘というのが、習慣になっているが、人よりいつも、酒量が多いくせに、絶対余分には払わないちゃっかり者もいるので、お酒を全く飲まない人は、いつも、飲み助たちの分を払わされていることになる。 最近、二次会に女性が少ないのは、そう言う理由もあるのだと思う。 タダ酒ならいくらでも、と言う人たちには、いじましいなと思うだけで、付き合わなければいいのである。 私も、お酒は好きだから、自分の飲んだ分は払うが、亭主以外の男の人の分まで、持つつもりはない。 ともかく、すべて終わってみんなと別れ、近くの近代文学館、大佛次郎記念館など、港町の、西洋風たたずまいも味わって、帰ってきた。 私の場合、現在付き合っている人たちのほとんどは、この10数年続けている趣味の世界での仲間である。 学生時代の友達、昔の仕事関係、生活圏内での付き合い、それぞれ、あるが、やはり一番時間を共有し、一緒にいて楽しいのは、志を同じくする趣味の付き合いである。 大きな会が、年に数回、そのほかに自主グループがあって、自分の行きやすい処に参加している。 何故か男が仕切っているところよりも、しっかりした女性が代表者になっているところの方が、雰囲気がいい。 男のボスというのは、縦の関係を重視し勝ちだし、得てして、美人に弱く(これはボスに限らない)、男好きする女を自分の傍に置きたがり、依怙贔屓をしたり、ヒドイ場合は、「あのふたりわけありじゃないの」と陰口をたたかれたりするようなことも、真偽のほどは分からないが、見聞きする。 最近は、中高年さえも、「秘めた恋」というような、奥ゆかしいあり方ではなくなり、衒いもなく、堂々としている。 周りももう、馴れてしまって、今更ヤボなことも言わないが、だからといって、両手をあげて、応援するわけではない。 女性は一般に、こうしたことに拒否反応があるし、何よりも、それによって、全体の人間関係が、公平でなくなることがキライなのだ。 みな、礼儀正しく、口にはあからさまに出さなくても、心の中では、ざわついた不快な思いをしている。 当人たちは、「ふたりの世界」に浸って、いい気持ちかも知れないが、そんなことが、グループの雰囲気を悪くし、特に、ボスの「寵愛」の対象になった女性が、同性の間で、阻害されていることに気が付かない。 当人にとっても、グループにとっても、不幸なことであるが、いつか、手ひどいしっぺ返しが来るだろうと、冷ややかに眺めている。 そんな連中の顔が見えるだけで、趣味の面白さが半減する。 そんな女性とうっかり席が一緒になろうものなら、こちらが引き立て役か、腰元になってしまう。 誰が、そんなバカな役回りをしたいだろう。 いい加減にしてよと言いたくなる。 利発な女性なら、同性を敵に回すようなことはしない。 男の手綱をしっかり引き締めつつ、周りの女性にも充分気を使い、いつの間にか味方にしてしまうのが、本当の頭のいい女性であろう。 私がいつも参加している三つのグループ。 いずれも、私より少し年上の、頭のいいしっかり者の女性が仕切っていて、その気配りの細やかさや、面倒見の良さには、敬服する。 誰にでも公平に接し、自分が愉しむよりも、みんなが気持ちよく過ごせることに、心を砕く。 女性ボスの良さがよく発揮されていて、長続きしている。 そこに参加している男性たちも、あまり威張った感覚の人は無く、自然に女性たちにとけ込んでいる。 過去に、どんなに立派な肩書きを持っていても、女の世界では通用しないことが、よくわかっていないと、男女一緒に愉しむと言うことは、難しい。 管理型、上下関係重視タイプの男の人と一緒に、会の仕事をしようとして、とんでもなく不快な経験をした私は、男の人が言う、口先だけの褒め言葉や煽ては、信用していない。 ボス寵愛型女性にとって、同性だけの集まりというのは、ごまかしがきかない分、窮屈に感じられるらしい。 鼻声やコケティッシュな素振りで、男は騙せても、同性は見抜く。 「女性だけの集まりなんて最低」と言い放った女性を知っているが、ナニ、彼女にとって、自分をちやほやしてくれない同性たちが、コワイだけなのである。 女の敵は女という言葉があるが、本当の味方は、女同士。 その関係を大事に出来ない人とは、あまり付き合いたくない。 信頼していて、裏切られるのは、このタイプの女である。 今日は広島に原爆が落ちた日であった。 叔母の忌のわけてもしるき蝉の声
昨日から高原の山荘に来ている。 梅雨明け宣言は出たのかどうかわからないが、急にまた暑くなり、ちょうど夫と私の予定が一致したので、やってきた。 二人とも、仕事を持っているわけではないが、それぞれ趣味や人付き合いで、忙しい。 ほとんどが自己の選択と采配によるものではあるが、仕事世代が出来ない地域のことや、家庭の行事などは、私たちシルバーの手に委ねられることが多い。 給料こそ貰わないが、ある意味では、仕事以上の役割を担っているともいえる。 毎日が日曜日のようでいて、実は月月火水木金金に近い生活をしている人も、少なくない。 そして、みな、まだ気力はあるし、体力こそ若い世代には及ばないが、知力、持続力、判断力は、まだまだ衰えていないから、結構喜んであちこちの役に立っているのである。 しかし、思うのは、若い世代は、トシヨリの使い方が下手である。 大事にしすぎるか、虐待するか、極端な付き合い方しか知らないのは不幸だ。 私は孫がいないから、聞いた話から想像するしかないが、おじいちゃん、おばあちゃんを、孫のお守り役か、金蔓にしか考えていないケースを聞く。 どうせなら、育児雑誌などに書いていない、子育ての知恵や、人生哲学を、学んだらいい。 そんな機会もないのかもしれないが・・。 さてそんなことで(この繋がりは、全く脈絡がない)、高速道に乗り、ドアツードアで2時間半という、この場所にやってきた。 海抜1000メートル。 平地とは10度くらい差がありそうである。 この地域も、雨はかなり降ったらしいが、空気は乾いていて、さわやかだ。 4年ほど前からインターネット環境も整い、ノートパソコンを持ってくれば、世間の様子もわかる。 今興行中のネット連句も、滞りなく進んでいる。
先週末くらいから、ものすごい暑さが続いていたが、ここ2,3日少し気温が下がって、涼しい。 雨天のせいでもあるが、あまり不快感がないのは、天気の割には、湿度が低いのかも知れない。。 日本の夏の暑さは、湿気が高いせいか、むしむしとして、体にこたえる。 体はだるいし、思考力は減退。 能率が落ちて、家事もはかどらない。 冷房は体にあまりよくないので、30度くらいまでは我慢するが、それを超すと、やはり、ちょっと使いたくなる。 特に、あまりに暑いと、眠れないので、寝不足にならないためには、寝入り端には欲しくなる。 冷房でなく、ドライにするだけでも、少し違う。 でも、考えてみると、私の子どもの頃は、冷房はなかった。 暑かったには違いないが、暑さ寒さも、自然のものだと心得る人たちは、その過ごし方を、みんなが工夫して、凌いでいたのだろう。 冷房機の傍から吹き出す熱風もなかったから、外気温だけが高いと言うことも、今よりはなかったに違いない。 今は、暑ければ温度を下げ、寒ければ上げるという、機械の力に頼った暮らしが、普通になってしまっている。 よその家に行って、うっかり「暑いですね」と挨拶しようものなら、「済みません」とすぐに冷房を入れてくれるので、自然の挨拶言葉も使えなくなってしまった。 涼しくて助かると思えば、その代わり、あちこちで、大雨による害が出はじめている。 今まで無かったような、土砂崩れや、洪水に見舞われるケースが増え、何か、大きな力で、自然のバランスが崩れつつあるように思える。 不気味なことだが、本来、自然には罪はないのだ。 「自然災害」というのは、人間の側から言っていること。 地球が悲鳴を上げている証拠なのかも知れない。
このところ外出が多く、それも、墓参りだの、お盆の支度だの、亡くなった人への供養や、それにまつわる親族との付き合いなどで、神経を使うことや、数日前からの暑さも加わり、今日は起きた時の調子がよくなかった。 今日は送り盆なので、母の元に行き、そこから墓参りをすることになっていた。 また、7月は私の誕生月でもあるので、例年息子夫婦が、食事に誘ってくれる。 母の日、父の日、息子夫婦の結婚記念日、5月から7月にかけてのそれらを、全部ひっくるめて、お祝いしましょうとうことになって、墓参りの後、みんなで何処か、適当なレストランに行く手はずになっていた。 「私は全部は、とても動けないわ」と言ったら、夫が、母の処と墓参りは、息子夫婦と一緒に済ませてくれるというので、私は自宅で、みんなの帰りを待つことになった。 昼前、夫が車で出かけ、私は、仏壇を掃除したり、家の中を片づけたりした。 夫と息子夫婦は、母のところで落ち合って盆詣りを済ませ、そのまま車で霊園に行き、墓参りをしたらしい。 5時前に、みんなで一緒に我が家に帰ってきた。 怠けた甲斐があって、私の気分も快復したので、イタリアンレストランを予約、あらためて、4人で出かけた。 2年ほど前に、一度行ったことにあるレストランである。 公園を見下ろす坂の上に建っている。 景色の一番いいところは、結婚披露宴のパーティが入っていて、私達は、別室に通された。 そこも、次々と予約の客が入って、満員になった。 コース料理が進んで、デザートになり、夫が「誕生祝い」と言ってあったので、私の皿だけ、特別版。 店のスタッフの唱うイタリア語の「ハッピーバースデイ」を受け、息子の妻が予め注文してあったらしい、豪華な薔薇の花束も届いた。 紅白のワインと料理で、すっかり気分をよくして、息子たちとは、駅近くで別れた。 5月に私の父が亡くなってから、法事で、2,3回顔を合わせているが、息子たちは、いつもは、仕事が忙しく、滅多に顔を合わせる機会がない。 息子の妻の誕生月が11月。 オペラに一度行きたいと言っている彼女のために、秋にオペラに誘う約束をした。 最近、趣味の連句会には、ほとんど欠席である。 昨日も、仲間の友人に「行くわよ」と言いながら、暑さと、場所がいつもと違うことで、ちょっと面倒になり、行かなかった。 暑さにも拘わらず、大勢の参加者だったとか。 明日の会も、来週の会にも欠席で届けてある。 その日が都合が悪いわけではないが、どうも気乗りがしない。 私の主催しているネット連句は、今月から、私の捌きで、新しい一巻が進行中。 顔が見えないネット連句の方が、今の私には、気が楽だ。 よそのネット連句にも、参加しているが、主催者のやり方によっては、いつも楽しいとは限らない。 書き言葉だけの交流は、時に、誤解や、過剰反応が生じる。 主催者が、メンバーを依怙贔屓したり、ちょっとした行き違いに対して、適切な処理をしないでいると、初めは小さな輪だったものが、だんだん妙な方向に流れてしまうことがある。 先日、あるグループで、それに類したことがあり、実に不快な思いをしたので、そこは当分、ROMに徹することに決めた。 私の座では、そんなことのないよう、人数も、私が捌ける範囲に留め、公平に対応するよう、気を配っているつもりである。 現在、6人のメンバーで、歌仙進行中である。
2,3日前から、ものすごい暑さになってきた。 梅雨が明けたのだろうか。 家中カビが生えそうな、むしむししした天気も困るが、これを過ぎるとひとしきり酷暑が続く。 寝る前には冷房を掛けて、ある程度部屋を涼しくしておかないと、とても眠れないが、掛けっぱなしは体によくないので、切る。 夫は夜中に1,2度目をさます習慣なので、そのとき、窓を開けておくらしい。 明け方涼しい風が入ってきて、気持ちがいいからと言う。 早朝バイクの音で目が覚めた。 新聞か牛乳の配達であろうか。 時計を見ると4時半。 まだほとんどの人が寝ている時間である。 寝苦しさで、睡眠が浅いせいか、うるさいなと感じる。 折角涼しい風が入ってきて、さあ、もう一眠りと思った時に、けたたましいバイク音である。 通り過ぎるだけなら、瞬間的な騒音で済むが、配達の音というのは、止まったりふかしたりの繰り返しなので、かえって苛立たしい。 私は短時間の熟睡型。 地震が起こっても、目が覚めないクチである。 しかし、配達のバイク音で、目がさめてしまったというのは、それだけ眠りが浅かった証拠である。 ひと頃まで、こうした配達は、自転車だったような気がする。 住民の安眠を妨げるバイクに変わったのはいつからであろう。 配達元は、なんとも思わないのであろうか。 バイクの方が速いし、効率がいいのかも知れないが、明け方、あんな大きな音を立てられるのは、本当に迷惑な話だ。 心当たりの配達元に、あとで抗議をしようか。 そんなことを考えていたら、イライラして、もう眠ることも出来ないので、水を飲みに階下に降りると、外はすっかり明るくなっている。 熱気のこもった2階の寝室と違い、下は涼しい。 窓を開け、新鮮な空気を吸い込むと、少し気持ちが収まった。 配達をしているのは、多分、学生のアルバイトか何かであろう。 ご苦労さん、早起きさせて貰って、有り難うというべきかも知れない。
5月に父が亡くなり、新盆を迎える。 昨日は、お盆の提灯を買いに行き、ついでに、スーパーとか、デパートをハシゴして、ウインドウショッピングをしてしまった。 見るだけでいいのに、半額ですと言うのに釣られて、サンダルと、ホームドレスなんか買ってしまった。 両手に、提灯と、衝動買いした私用のグッズと、食料品と、お菓子と、盆花で、結構な重さと嵩になり、よろよろと帰ってきた。 でも、最近、物を買わなくなったなあと思います。 昔は、デパートなんかで、洋服や靴やバッグを、飽きもせず見て歩いたものだが、最近は、何も欲しいと思う物がなくなり、滅多に行かない。 聞くところに拠ると、買い物の欲が無くなるというのは、老化現象なんだそうだ。 ロンドンにいた頃、セールの日に、ハロッズの階段を駆け上って、ウェッジウッドなんかを手に入れたりしたことを思い出す。 やはり、あのころは、若かったのだ。 そして今日は迎え盆の日。 珍しく早起きし、夫の運転で父の墓へ。 幸いすいていて、1時間弱で着いた。 墓石の前が、傷んでいたので、修理を依頼してあったが、完成したというので、それも、確認することになっている。 石屋で花を買い、墓前に移動。 広い霊園なので、歩いてはちょっと行けない。 墓碑には、新しく父の法名が刻まれており、墓の周りも、すっかりきれいになっていた。 石屋が来たので、納骨の状態も見せて貰った。 父の親、兄弟など、10個の骨壺が収まっている。 昼近くなので、ものすごい暑さ。 線香に火を付ける間に、夫のシャツは、汗で背中が濡れたようになった。 花を供え、手を合わせる。 子どもの頃、祖父の後ろで、毎朝お経を読まされた記憶があるが、忘れてしまっている。 経本を開き、読んだつもりで、合掌した。 そのまま母の元へ。 車の中は、亜熱帯である。 クーラーがやっと効いた頃、母のいるハウスに着いた。 そこでは火事の危険を避けるため、蝋燭や線香の火が使えない。 そこで、仏壇は親たちがいた時のまま、私の家に置いてあり、母の処には、手頃な台に、父の法名を書いた繰出位牌を置き、そのそばに親族の位牌を置いて、供養できるようにしてある。 先日、葬儀の勤行を勤めてくれたお寺の住職に聞くと、仏壇は私の処、位牌は母の処と、分かれているが、それは構わないと言う。 「遺族の事情で、いろいろな場合がありますからね。要は亡くなった方への、供養のお気持ちですから」というので、そこのお寺で、位牌に法名を書き込んで貰ったのだった。 台の傍に、持ってきた提灯をセットする。 豆電球で明かりがつくようになっている。 台には、なすで作った馬を置き、「これに乗って、お父さんが帰ってきたんだから、拝んで頂戴ね」というと、母はとても喜んで、提灯のスイッチを点けたり消したりして、具合を見ていた。 明日からは、毎日、親族が、来ることになっている。 家に帰ったのは3時半。 早起きしたおかげで、時間が有効に使えた。 それにしても、暑かった。 後で、今年最高の気温だったと知った。
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