沢の螢

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「勇気ある?」ヒト
2006年08月09日(水)

昨日からまた山荘に戻っている。
台風の行方が気になるが、幸い、列車のダイヤに乱れはなく、予定時間に着いた。
移動の疲れもあり、夕べは早々と寝てしまい、夢も見ずに、今朝、5時前に目が覚めた。
今日は長崎に原爆が落ちた日。
広島では、母の末妹が亡くなっている。
60年以上たっても、親族の胸から記憶が失われることはない。

ブログを散見していて、いささか気になることがあった。


日本にブログが増え始めたのは2年前。
ちょっとした知識を必要とするホームページ作成に比べ、誰でも簡単に持てるブログコンテンツは、今や、当たり前のようになった。
ほんのひと昔前まで、新聞雑誌、テレビなどの媒体に、普通の人が意見を発信するなんてことは、そう易しいことではなかった。
読者投稿欄、視聴者参加のプログラムもあるが、誰にでも、道が開けているわけではない。
プロの手による選別というハードルがある。
しかし、インターネットが登場し、ホームページで、自分の作品や考えを表現できるようになってから、シロウトの物書きの出番が来た。
私も、5年前から、参入している。
それまで、段ボールの中に、いつ自費出版できるかと貯めてあった原稿も、ネットという媒体で、ただで、日の目を見させることが、出来る時代になったのである。
地味なテキスト中心の私のホームページは、宣伝もしないこともあって、訪問者は少ない。
しかし、自分の思ったこと、感じたことや、世の中に訴えたいことを、キイボードで、どんどん発信できるというのは、ページをデザイする面白さも伴い、それまで感じたことのない満足感があった。
段ボールで眠っていたむなしい原稿は、たちまちパソコン画面に変わった。
ことに、2年前から時流に乗って作ったブログ、こちらは知らぬ間に読者も増えてきて、反応が感じられるのがうれしい。

ただ私は無名の人間だから、ネットでは、ペンネームで通し、実生活とは区別している。
家族、友人、知人にも、ほとんど存在を知らせていない。
以前にも何度か書いたが、実人生の私を知ったヒトが、私の書いたことを、いちいち検証して、勝手に事実と照らし合わせたり、斟酌されるのは困るからである。
3年前、私のホームページを検索して読んでいた顔見知りが、そこに書かれたことを自分のことだと思いこみ、私の参加していないメーリングリストに、私の実名を揚げて非難する文書を、回すと言うことがあった。
私は、インターネットのルールに沿って、すでにマスメディアで報じられたこと以外には、他人の実名、特定団体、プライバシーに関わるようなことは、書かないのだが、その人は、私が触れてもいない特定グループの出来事に重ね合わせて、読んだらしい。
世の中に起こっている出来ごとや、人間関係にまつわるドラマというのは、よほど特殊なことでない限り、たいてい誰にでも思い当たることがあるのである。
それに特定の固有名詞を当てはめるのは、読み手の勝手であるが、こちらにすれば「あんたのことなんか書くかよ」と言いたいところであった。
もし、私の書いたことに意見なり、感想があるなら、ウラで怪文書を回すなどと言う卑劣なことをせず、ゲストブックに書くとか、私に直接言えばいいのである。
そんな人が見ているかと思うだけで、不愉快なので、ホームページは、別のサーバーに移し、デザインも一新して、再スタートした。
そのために失われたコンテンツ、せっかく増えつつあった読者も、また開拓することになった。
ブログが主になったのはそれから1年後だが、日々書くものはブログ、ある程度日数が経って、録っておきたい記事は編集して、ホームページに転載という、使い分けをしている。
件の不埒ものが、検索でブログにまで来ている可能性もあるが、もう、気にしないことにした。

最近、実名で発信しているブログも目につく。
著名なジャーナリストや、ライターが多い。
その人たちは、その名前でショーバイしていて、むしろ名前を売りたいのだろうから当然だが、気になるのは、記事の中で触れている人物まで、実名で登場させている例である。
たまたま、あるライターのブログに、私の関係する分野で、顔を知っている人が、実名のまま、出てくるのでびっくりした。
書かれた人は知ってるのだろうか。
別に、その人の名誉を傷つけたり、プライバシーをさらす内容ではないが、プロのライターにしては、無神経で、配慮に欠けた書き方だと思った。
「誰々さんと、夕べ食事を一緒にしました」というたぐいのことに、実名を出す必要はない。
イニシャルで済むことではないか。
それとも、その世界ではちょっとした有名人である相手と、自分が如何に親しいかと言うことを、顕示したかったのか。
いずれにしても、あまりお友達にはなりたくないなと思った。
目立ちたがり屋の人に、誰が見ているか判らないネットで、実名で登場させられるのは、ごめん被りたい。
私のネットでは、ペンネームで通し、有名人でない他人の実名、団体名は出さないと言うことを、これからも守りたい。


人間曼陀羅
2006年08月06日(日)

横浜で、一泊二日の趣味の集まりがあった。
裏方に徹して、行事がうまく行くように、気配りをしてくれた女性の力により、楽しく無事に終了した。
会計が終わって、「酒代がオーバーしたので、カンパしてください」と、封筒が回ってきた。
あれ?飲み物込みで会費が計算してあったんじゃないのと思ったが、夕食時、私も一杯だけワインを飲んだので、500円入れた。
前夜、日帰りの人の中で、かなりの量のお酒を、頼んでいた人たちが居たことは知っていたし、酒代は別に払うということになっていたような気がするが、「足りない」となると、「私お酒は飲んでないけど」といいながら、1000円入れる年配の女性もいた。
飲んだ量は自分で分かっているのだから、それに応じて払うべきなのだが、封筒の中身に集まったお金で、補えたかどうか知らない。
男女の区別無く、割り勘というのが、習慣になっているが、人よりいつも、酒量が多いくせに、絶対余分には払わないちゃっかり者もいるので、お酒を全く飲まない人は、いつも、飲み助たちの分を払わされていることになる。
最近、二次会に女性が少ないのは、そう言う理由もあるのだと思う。
タダ酒ならいくらでも、と言う人たちには、いじましいなと思うだけで、付き合わなければいいのである。
私も、お酒は好きだから、自分の飲んだ分は払うが、亭主以外の男の人の分まで、持つつもりはない。
ともかく、すべて終わってみんなと別れ、近くの近代文学館、大佛次郎記念館など、港町の、西洋風たたずまいも味わって、帰ってきた。

私の場合、現在付き合っている人たちのほとんどは、この10数年続けている趣味の世界での仲間である。
学生時代の友達、昔の仕事関係、生活圏内での付き合い、それぞれ、あるが、やはり一番時間を共有し、一緒にいて楽しいのは、志を同じくする趣味の付き合いである。
大きな会が、年に数回、そのほかに自主グループがあって、自分の行きやすい処に参加している。
何故か男が仕切っているところよりも、しっかりした女性が代表者になっているところの方が、雰囲気がいい。
男のボスというのは、縦の関係を重視し勝ちだし、得てして、美人に弱く(これはボスに限らない)、男好きする女を自分の傍に置きたがり、依怙贔屓をしたり、ヒドイ場合は、「あのふたりわけありじゃないの」と陰口をたたかれたりするようなことも、真偽のほどは分からないが、見聞きする。
最近は、中高年さえも、「秘めた恋」というような、奥ゆかしいあり方ではなくなり、衒いもなく、堂々としている。
周りももう、馴れてしまって、今更ヤボなことも言わないが、だからといって、両手をあげて、応援するわけではない。
女性は一般に、こうしたことに拒否反応があるし、何よりも、それによって、全体の人間関係が、公平でなくなることがキライなのだ。
みな、礼儀正しく、口にはあからさまに出さなくても、心の中では、ざわついた不快な思いをしている。
当人たちは、「ふたりの世界」に浸って、いい気持ちかも知れないが、そんなことが、グループの雰囲気を悪くし、特に、ボスの「寵愛」の対象になった女性が、同性の間で、阻害されていることに気が付かない。
当人にとっても、グループにとっても、不幸なことであるが、いつか、手ひどいしっぺ返しが来るだろうと、冷ややかに眺めている。
そんな連中の顔が見えるだけで、趣味の面白さが半減する。
そんな女性とうっかり席が一緒になろうものなら、こちらが引き立て役か、腰元になってしまう。
誰が、そんなバカな役回りをしたいだろう。
いい加減にしてよと言いたくなる。
利発な女性なら、同性を敵に回すようなことはしない。
男の手綱をしっかり引き締めつつ、周りの女性にも充分気を使い、いつの間にか味方にしてしまうのが、本当の頭のいい女性であろう。

私がいつも参加している三つのグループ。
いずれも、私より少し年上の、頭のいいしっかり者の女性が仕切っていて、その気配りの細やかさや、面倒見の良さには、敬服する。
誰にでも公平に接し、自分が愉しむよりも、みんなが気持ちよく過ごせることに、心を砕く。
女性ボスの良さがよく発揮されていて、長続きしている。
そこに参加している男性たちも、あまり威張った感覚の人は無く、自然に女性たちにとけ込んでいる。
過去に、どんなに立派な肩書きを持っていても、女の世界では通用しないことが、よくわかっていないと、男女一緒に愉しむと言うことは、難しい。
管理型、上下関係重視タイプの男の人と一緒に、会の仕事をしようとして、とんでもなく不快な経験をした私は、男の人が言う、口先だけの褒め言葉や煽ては、信用していない。

ボス寵愛型女性にとって、同性だけの集まりというのは、ごまかしがきかない分、窮屈に感じられるらしい。
鼻声やコケティッシュな素振りで、男は騙せても、同性は見抜く。
「女性だけの集まりなんて最低」と言い放った女性を知っているが、ナニ、彼女にとって、自分をちやほやしてくれない同性たちが、コワイだけなのである。
女の敵は女という言葉があるが、本当の味方は、女同士。
その関係を大事に出来ない人とは、あまり付き合いたくない。
信頼していて、裏切られるのは、このタイプの女である。

今日は広島に原爆が落ちた日であった。

叔母の忌のわけてもしるき蝉の声


文月末日
2006年07月31日(月)

昨日から高原の山荘に来ている。
梅雨明け宣言は出たのかどうかわからないが、急にまた暑くなり、ちょうど夫と私の予定が一致したので、やってきた。
二人とも、仕事を持っているわけではないが、それぞれ趣味や人付き合いで、忙しい。
ほとんどが自己の選択と采配によるものではあるが、仕事世代が出来ない地域のことや、家庭の行事などは、私たちシルバーの手に委ねられることが多い。
給料こそ貰わないが、ある意味では、仕事以上の役割を担っているともいえる。
毎日が日曜日のようでいて、実は月月火水木金金に近い生活をしている人も、少なくない。
そして、みな、まだ気力はあるし、体力こそ若い世代には及ばないが、知力、持続力、判断力は、まだまだ衰えていないから、結構喜んであちこちの役に立っているのである。
しかし、思うのは、若い世代は、トシヨリの使い方が下手である。
大事にしすぎるか、虐待するか、極端な付き合い方しか知らないのは不幸だ。
私は孫がいないから、聞いた話から想像するしかないが、おじいちゃん、おばあちゃんを、孫のお守り役か、金蔓にしか考えていないケースを聞く。
どうせなら、育児雑誌などに書いていない、子育ての知恵や、人生哲学を、学んだらいい。
そんな機会もないのかもしれないが・・。
さてそんなことで(この繋がりは、全く脈絡がない)、高速道に乗り、ドアツードアで2時間半という、この場所にやってきた。
海抜1000メートル。
平地とは10度くらい差がありそうである。
この地域も、雨はかなり降ったらしいが、空気は乾いていて、さわやかだ。
4年ほど前からインターネット環境も整い、ノートパソコンを持ってくれば、世間の様子もわかる。
今興行中のネット連句も、滞りなく進んでいる。


地球は嘆く
2006年07月20日(木)

先週末くらいから、ものすごい暑さが続いていたが、ここ2,3日少し気温が下がって、涼しい。
雨天のせいでもあるが、あまり不快感がないのは、天気の割には、湿度が低いのかも知れない。。
日本の夏の暑さは、湿気が高いせいか、むしむしとして、体にこたえる。
体はだるいし、思考力は減退。
能率が落ちて、家事もはかどらない。
冷房は体にあまりよくないので、30度くらいまでは我慢するが、それを超すと、やはり、ちょっと使いたくなる。
特に、あまりに暑いと、眠れないので、寝不足にならないためには、寝入り端には欲しくなる。
冷房でなく、ドライにするだけでも、少し違う。
でも、考えてみると、私の子どもの頃は、冷房はなかった。
暑かったには違いないが、暑さ寒さも、自然のものだと心得る人たちは、その過ごし方を、みんなが工夫して、凌いでいたのだろう。
冷房機の傍から吹き出す熱風もなかったから、外気温だけが高いと言うことも、今よりはなかったに違いない。
今は、暑ければ温度を下げ、寒ければ上げるという、機械の力に頼った暮らしが、普通になってしまっている。
よその家に行って、うっかり「暑いですね」と挨拶しようものなら、「済みません」とすぐに冷房を入れてくれるので、自然の挨拶言葉も使えなくなってしまった。
涼しくて助かると思えば、その代わり、あちこちで、大雨による害が出はじめている。
今まで無かったような、土砂崩れや、洪水に見舞われるケースが増え、何か、大きな力で、自然のバランスが崩れつつあるように思える。
不気味なことだが、本来、自然には罪はないのだ。
「自然災害」というのは、人間の側から言っていること。
地球が悲鳴を上げている証拠なのかも知れない。


誕生日には薔薇を
2006年07月16日(日)

このところ外出が多く、それも、墓参りだの、お盆の支度だの、亡くなった人への供養や、それにまつわる親族との付き合いなどで、神経を使うことや、数日前からの暑さも加わり、今日は起きた時の調子がよくなかった。
今日は送り盆なので、母の元に行き、そこから墓参りをすることになっていた。
また、7月は私の誕生月でもあるので、例年息子夫婦が、食事に誘ってくれる。
母の日、父の日、息子夫婦の結婚記念日、5月から7月にかけてのそれらを、全部ひっくるめて、お祝いしましょうとうことになって、墓参りの後、みんなで何処か、適当なレストランに行く手はずになっていた。
「私は全部は、とても動けないわ」と言ったら、夫が、母の処と墓参りは、息子夫婦と一緒に済ませてくれるというので、私は自宅で、みんなの帰りを待つことになった。

昼前、夫が車で出かけ、私は、仏壇を掃除したり、家の中を片づけたりした。
夫と息子夫婦は、母のところで落ち合って盆詣りを済ませ、そのまま車で霊園に行き、墓参りをしたらしい。
5時前に、みんなで一緒に我が家に帰ってきた。
怠けた甲斐があって、私の気分も快復したので、イタリアンレストランを予約、あらためて、4人で出かけた。
2年ほど前に、一度行ったことにあるレストランである。
公園を見下ろす坂の上に建っている。
景色の一番いいところは、結婚披露宴のパーティが入っていて、私達は、別室に通された。
そこも、次々と予約の客が入って、満員になった。
コース料理が進んで、デザートになり、夫が「誕生祝い」と言ってあったので、私の皿だけ、特別版。
店のスタッフの唱うイタリア語の「ハッピーバースデイ」を受け、息子の妻が予め注文してあったらしい、豪華な薔薇の花束も届いた。
紅白のワインと料理で、すっかり気分をよくして、息子たちとは、駅近くで別れた。
5月に私の父が亡くなってから、法事で、2,3回顔を合わせているが、息子たちは、いつもは、仕事が忙しく、滅多に顔を合わせる機会がない。
息子の妻の誕生月が11月。
オペラに一度行きたいと言っている彼女のために、秋にオペラに誘う約束をした。

最近、趣味の連句会には、ほとんど欠席である。
昨日も、仲間の友人に「行くわよ」と言いながら、暑さと、場所がいつもと違うことで、ちょっと面倒になり、行かなかった。
暑さにも拘わらず、大勢の参加者だったとか。
明日の会も、来週の会にも欠席で届けてある。
その日が都合が悪いわけではないが、どうも気乗りがしない。
私の主催しているネット連句は、今月から、私の捌きで、新しい一巻が進行中。
顔が見えないネット連句の方が、今の私には、気が楽だ。
よそのネット連句にも、参加しているが、主催者のやり方によっては、いつも楽しいとは限らない。
書き言葉だけの交流は、時に、誤解や、過剰反応が生じる。
主催者が、メンバーを依怙贔屓したり、ちょっとした行き違いに対して、適切な処理をしないでいると、初めは小さな輪だったものが、だんだん妙な方向に流れてしまうことがある。
先日、あるグループで、それに類したことがあり、実に不快な思いをしたので、そこは当分、ROMに徹することに決めた。
私の座では、そんなことのないよう、人数も、私が捌ける範囲に留め、公平に対応するよう、気を配っているつもりである。
現在、6人のメンバーで、歌仙進行中である。


バイクで配達
2006年07月15日(土)

2,3日前から、ものすごい暑さになってきた。
梅雨が明けたのだろうか。
家中カビが生えそうな、むしむししした天気も困るが、これを過ぎるとひとしきり酷暑が続く。
寝る前には冷房を掛けて、ある程度部屋を涼しくしておかないと、とても眠れないが、掛けっぱなしは体によくないので、切る。
夫は夜中に1,2度目をさます習慣なので、そのとき、窓を開けておくらしい。
明け方涼しい風が入ってきて、気持ちがいいからと言う。

早朝バイクの音で目が覚めた。
新聞か牛乳の配達であろうか。
時計を見ると4時半。
まだほとんどの人が寝ている時間である。
寝苦しさで、睡眠が浅いせいか、うるさいなと感じる。
折角涼しい風が入ってきて、さあ、もう一眠りと思った時に、けたたましいバイク音である。
通り過ぎるだけなら、瞬間的な騒音で済むが、配達の音というのは、止まったりふかしたりの繰り返しなので、かえって苛立たしい。
私は短時間の熟睡型。
地震が起こっても、目が覚めないクチである。
しかし、配達のバイク音で、目がさめてしまったというのは、それだけ眠りが浅かった証拠である。
ひと頃まで、こうした配達は、自転車だったような気がする。
住民の安眠を妨げるバイクに変わったのはいつからであろう。
配達元は、なんとも思わないのであろうか。
バイクの方が速いし、効率がいいのかも知れないが、明け方、あんな大きな音を立てられるのは、本当に迷惑な話だ。
心当たりの配達元に、あとで抗議をしようか。
そんなことを考えていたら、イライラして、もう眠ることも出来ないので、水を飲みに階下に降りると、外はすっかり明るくなっている。
熱気のこもった2階の寝室と違い、下は涼しい。
窓を開け、新鮮な空気を吸い込むと、少し気持ちが収まった。
配達をしているのは、多分、学生のアルバイトか何かであろう。
ご苦労さん、早起きさせて貰って、有り難うというべきかも知れない。


迎え盆
2006年07月13日(木)

5月に父が亡くなり、新盆を迎える。
昨日は、お盆の提灯を買いに行き、ついでに、スーパーとか、デパートをハシゴして、ウインドウショッピングをしてしまった。
見るだけでいいのに、半額ですと言うのに釣られて、サンダルと、ホームドレスなんか買ってしまった。
両手に、提灯と、衝動買いした私用のグッズと、食料品と、お菓子と、盆花で、結構な重さと嵩になり、よろよろと帰ってきた。
でも、最近、物を買わなくなったなあと思います。
昔は、デパートなんかで、洋服や靴やバッグを、飽きもせず見て歩いたものだが、最近は、何も欲しいと思う物がなくなり、滅多に行かない。
聞くところに拠ると、買い物の欲が無くなるというのは、老化現象なんだそうだ。
ロンドンにいた頃、セールの日に、ハロッズの階段を駆け上って、ウェッジウッドなんかを手に入れたりしたことを思い出す。
やはり、あのころは、若かったのだ。

そして今日は迎え盆の日。
珍しく早起きし、夫の運転で父の墓へ。
幸いすいていて、1時間弱で着いた。
墓石の前が、傷んでいたので、修理を依頼してあったが、完成したというので、それも、確認することになっている。
石屋で花を買い、墓前に移動。
広い霊園なので、歩いてはちょっと行けない。
墓碑には、新しく父の法名が刻まれており、墓の周りも、すっかりきれいになっていた。
石屋が来たので、納骨の状態も見せて貰った。
父の親、兄弟など、10個の骨壺が収まっている。
昼近くなので、ものすごい暑さ。
線香に火を付ける間に、夫のシャツは、汗で背中が濡れたようになった。
花を供え、手を合わせる。
子どもの頃、祖父の後ろで、毎朝お経を読まされた記憶があるが、忘れてしまっている。
経本を開き、読んだつもりで、合掌した。
そのまま母の元へ。
車の中は、亜熱帯である。
クーラーがやっと効いた頃、母のいるハウスに着いた。
そこでは火事の危険を避けるため、蝋燭や線香の火が使えない。
そこで、仏壇は親たちがいた時のまま、私の家に置いてあり、母の処には、手頃な台に、父の法名を書いた繰出位牌を置き、そのそばに親族の位牌を置いて、供養できるようにしてある。
先日、葬儀の勤行を勤めてくれたお寺の住職に聞くと、仏壇は私の処、位牌は母の処と、分かれているが、それは構わないと言う。
「遺族の事情で、いろいろな場合がありますからね。要は亡くなった方への、供養のお気持ちですから」というので、そこのお寺で、位牌に法名を書き込んで貰ったのだった。
台の傍に、持ってきた提灯をセットする。
豆電球で明かりがつくようになっている。
台には、なすで作った馬を置き、「これに乗って、お父さんが帰ってきたんだから、拝んで頂戴ね」というと、母はとても喜んで、提灯のスイッチを点けたり消したりして、具合を見ていた。
明日からは、毎日、親族が、来ることになっている。
家に帰ったのは3時半。
早起きしたおかげで、時間が有効に使えた。
それにしても、暑かった。
後で、今年最高の気温だったと知った。



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