のろのろ、うろうろ、じゅくじゅく。
午後3時、母の所へ。
久しぶりにアクセスしてみたら、まだ、この日記が表示されるのに感激。
昨日、所用があって、午後2時頃、市内の大学構内に在るお宅に行った。 ここは、大学関係者の家が点在する他は、自然のままに近い林である。 鳥の声もするし、今は一面落ち葉だが、先週あたりは水仙の花が咲いていたという。 「梅も4,5日前が一番満開だったんですけどね、まだ、白梅が何本か、花のままですよ」と教えられ、帰りに自転車を廻して、梅の木のある辺りに行った。 パイプオルガンのある教会堂と、図書館の間の広場に、梅林があり、白梅の木が3本ほど、まだ満開状態を保っている。 近くに寄ると、かすかに匂う。 暫く佇んで眺めていたが、急に気温が下がったらしく、軽装の体が冷えてきそうなので、自転車を走らせて、帰宅した。 この時期、気温の変化が多いので、気を付けなければ・・・・。 我が家の庭には、紅梅の木が一本在るが、まだ蕾のままだ。 さっき見た白梅の話をすると、「紅梅の方が遅いのかね」と言った。 そして今日、昼過ぎ、二回の自室に引っ込んだ夫が、「梅が一輪咲いてるよ」と内線で知らせてくれた。 「上から見た方がよく見える」というので、二階に上がり、バルコニーに出てみると、紅梅の花が2輪ほど咲いている。 夫の書斎からは、1輪しか見えなかったらしい。 この家に引っ越してきてから、35年経つが、その時は、まだ、手の届くくらいの高さだった梅が、今は、ハシゴを掛けないと、天辺には届かない。 毎年庭師が来て、剪定しているが、梅の大きさとしては、もう限界に来ていて、形が段々悪くなっている。 花の付きも、昔の方がきれいだった。 もう老木だから、その内に寿命が尽きるのかも知れないが、こうして、時期になると、一輪一輪花を咲かせるので、その健気さが、いとおしい。 「もう、毎年撮るほどではないから、パスするよ」と夫が言うので、いつの写真か忘れたが、深大寺の白梅と、我が家の紅梅も載せておく。20:04
今、ちょっと心に引っかかっている言葉がある。 それをずっと考えていて、夕べは眠れなかった。 最近、ある人から投げかけられた「博愛主義」という言葉。 言った人は、深い意味で使ったのではないと思うが、言葉に関連したことをずっと追っている人だけに、そんなことを軽々しく言うのかと、失望し、何故なのだろうと考えてしまったのだった。 たとえば、私が電車の中で、若い人に席を譲られたとする。 「有り難うございます」と私は言って、素直に、坐ることにしているが、心優しい若い人は、自分のしたことに、ちょっと気恥ずかしそうな表情を見せることがある。 だから、くどくどと礼を繰り返すよりも、さっと空いた席に坐ったほうがいい。 感謝の気持ちは、充分伝わるし、シャイな若い人は、深追いされることが、あまり好きではないからだ。 5年前までは、車内で席を譲られるなどと言うことは、ほとんどなかったが、最近は、やはり、年相応に、そうした優しさに出逢うことがある。 私の行動範囲で、電車に乗るのは、そんなに長い時間ではないから、吊革につかまったままでも、辛いとは思わないが、譲られたときには、素直に感謝して、坐ることにしている。 「いえいえ、まだ、席を譲られるほど、衰えては居ませんよ」なんて、断ったりする人(何故かジジサマが多い)を、たまに見かけるが、そんなことを言ったら、折角譲ってくれた人の厚意を損ねることになり、次ぎに、年寄りが乗ってきたとき、もう、席なんかを譲るもんかと思ってしまうかも知れない。 だから、ワタシ、そんなに年寄りに見えるのかしら、などと無駄な抵抗はせず、素直に受けることだ。 60歳過ぎたら、若者から見れば、立派なジイサンバアサンなのだから。 自分のためだけでなく、他の高齢者への厚意と思って、坐りなさいと、私は、友人、知人にも言っている。 自分より若い人たちから受ける思いやりや、気遣いには、理屈抜きに、感動し、感謝するが、それは、言葉では表現できない、人間としての何かであろう。 前置きが長くなったが、ここからが本題である。 そうやって、若い人から席を譲られ、礼を言って坐ったところに、もし関係ない第三者が、若い人の行為について、「博愛主義だね」みたいな事を言ったとしたら、どうだろう。 譲られた私も、譲った若い人も、あまりいい気持ちがしないのではないだろうか。 若い人は、主義とか何とか言うのでなく、ごく自然な、人間としての気持ちの表れでした事だし、受ける方も、「優しいね、有り難う」という気持ちなのである。 「博愛主義」という言葉には、どこか、まやかしや侮蔑の意味が籠もっている。 施しに近い匂いがあるからである。 白人優位の時代に、文明の進んだ国の白人が、密林に住む原住民に「施し」をして、「博愛」という名の優越感に浸っていた、あの思想である。 「博愛主義でもなければ、アンタみたいなバアサンに席なんか譲るもんか」と言われたような気がするだろう。 それも、譲った当事者でない、傍観者に過ぎない人に、そんなことを言われる理由があるだろうか。 年頃が同じくらいのカップルで、男が女にいろいろな気配りをしているのを、傍で見ていた私が、もし「アンタ、博愛主義ね」と言ったら、やはり、かなり失礼な言い方になるのではないだろうか。 対等な人間関係の中に、博愛主義みたいな物は存在しないだろうから。 片方が、もう片方に対して(それは必ずしも、年齢や性別、肩書などとは関係ない)さり気なく優しさを見せたことを評して、それを「博愛主義」というのであれば、言った人は、そこに、対等な人間関係でない、別の物を見ていることになる。 これは、両方の人たちに対する侮辱であると共に、その人自身の、言葉に対するデリカシイの無さでなくて、何であろう。 「博愛主義」なんて言葉を、安易に使って欲しくない。 少なくとも、自分で考え、行動し、生きている人に対して、使う言葉ではない。 (コメントを戴いたあとですが、文中の不備を一部修正しました)17:13 ------------------------------------------------------------------ 広辞苑によると 博愛:ひろく愛すること、平等に愛すること 主義:思想、学説などにおける明確な一つの立場、イズム。特定の制度・体制または態度。常々もっている御権・主張。 と、ありますね。まあ、”愛”といのは本来、心の状態であって意思的なものじゃあない。一方、主義と言うのはかなり意思的な要素が入っている。そういう言葉2つを結び付けているところに、”偽善”が感じられることがある、と言うことかもしれません。 「私は”主義”として、あんたを”愛”す」・・・・なんて言われても、余り嬉しくはないものですが、”主義”と言うのは、しばしば本人の感覚とは必ずしも一致しない行動も強いることがあるので、心中「こんにゃろー」・・・と思っていても博愛主義に基づいてにっこり笑って「あなた、いい人ねぇー、好きよ」なんて言う事もあり得るかもしれません。 ・・・・と言うわけで、博愛主義と言う言葉は”博愛”&”主義”と言う本来一致しにくい2つの言葉を無理やりくっつけたような意味分裂的なところのある言葉ですね。 ただこの言葉、効用のあることもアル? 人間が確たる根拠もなくただ習慣的、伝統的に陥っているだけの偏見・・・と言ったものを矯正するのに役に立つことはあるかもしれません。「理屈じゃないけど、xxは嫌だ」と言ったものに「お前さん、そこは”博愛主義”で行かなきゃー」と言いくるめて押し通していると、”xxは嫌だ”と言っていたのものも実際にその馬鹿さ加減に気がついたりすることもアル(・・・かもしれません)。人種差別・・・なんて言う問題にはそういう側面もあったような気がします。 それと、博愛主義と言う言葉のもう一つの効用・・・・・ >「博愛主義でもなければ、アンタみたいなバアサンに席なんか譲るもんか」 ・・・と言う雰囲気満々の御人には「あなた、ほんとに”博愛主義”ですねー」とか何とか言いながら、厚かましく譲られた席にはしっかり座っれば、まあ、お互い”博愛”の精神からは程遠いわけですが爺さん婆さんのほうも満更嘘も付かずに丸く収まる・・・・・? yk/2009年02月03日 12:07 -------------------------------------------------------- 2009年02月03日 13:23 ykさん、コメント有り難うございます。 一般論として、行きずりの「博愛」なら、仰る通りで良かったんですが、この場合は、そう言うことではなかったので・・・。 分かりにくい書き方をして済みません。(読み間違いが起こりそうなところ、一部修正しました) >「博愛主義でもなければ、アンタみたいなバアサンに席なんか譲るもんか」 ・・・と言う雰囲気満々の御人には「あなた、ほんとに”博愛主義”ですねー」とか何とか言いながら、厚かましく譲られた席にはしっかり座っれば、まあ、お互い”博愛”の精神からは程遠いわけですが爺さん婆さんのほうも満更嘘も付かずに丸く収まる・・・・・? これは、譲った当人が言うなら(言われたことはないですが)許せますし、こちらも図々しく坐るでしょう。 まあ、「敬老精神」くらいの言い方にしておいて欲しいですが、でも、実際に、そんな言い方や雰囲気を感じたことはありません。 そんなことを言うような人は、最初から譲るなんて事もしないでしょう。 席を譲ることは、私が受けた事例とは違う、ひとつの例です。 当事者同士は「博愛主義」の関係ではない(と私は思っている)のに、第三者が、評してそう言ったことに、まあ、カチンと来たと言うことですね。 (余計なこと言わないでよ、あなたも女連れだけど、そっちは博愛主義なの?」と・・・。 辞書にある意味は、その通りでしょうし、使い方によっては効用もあるでしょう。 私が感じたのは、それではなかったと言うことです。 でも、書いたことで、気持ちが晴れましたから、もう良いんです。 Clara
信州行きを、あさって31日に決めた。 毎年、7月の梅雨明けから、脱出を考えているのだが、社会の一線から身を引いたはずの私達でも、 何かと浮き世の義理があり、「暑い、暑い」と言いながら、今まで極暑の東京に 居残っていた。 親きょうだい、友人知人、参加サークル、勉強の場など、わずかな社会との接点が、みな、東京及びその周辺に集まっているため、致し方ない。 結局、一番暑い時期に、こうして居座ってしまった。 行くとすぐに8月。 8月終わり頃まで滞在したいが、間に2回ほど、帰ってこなければならない用事がある。 これも、元気で生きている証拠だから、有りがたいと思わねばならない。 先週22日。 お盆には遅れたが、実家の墓参りを1人でしてきた。 西武新宿線小平。 バスを乗り継いで行くが、家から1時間ちょっとで着いた。 夫に車で連れて行って貰っても、渋滞すればそのくらいかかる。 駅を降りると、すぐ霊園がある。 父の墓は、霊園内を徒歩で15分以上歩かねばならないが、季節の良いときには、木の下を歩くので、散歩代わりになる。 この日は暑かったので、日傘を差し、花と水桶を持ち、墓前につくまでが遠く感じられたが、お盆の終わった後の静けさで、暑さもそれほど苦痛ではなかった。 ちょうど昼時。 墓の掃除の前に、途中で買ってきたサンドイッチと、冷たい飲み物で、肌の熱気を和らげる。 元気になったところで、墓を掃除、花と線香を手向けた。 夫が一緒だと、帰りを急かされるが、1人の時は、自在に出来るのがいい。 青天井で、日差しが強いので、長居はキツイ。 線香が燃え尽きるのを待ち、片づけて霊園を後にした。 そのまま母のところに行き、その報告をした。 昨日私はヴォイストレーニング、午後から先生宅へ。 前回よりは声が出ていると言われ、気をよくした。 もう一人のソプラノが、引き続いて個人レッスンを受けるので、見学していたら、女声2重唱をやりたいという。 そこで急遽、初見で重唱に参加、二重唱も見て貰ってトクをした。 フランクの歌。 題名を忘れたが、後で、コピー楽譜を貰うことになっている。 午前中、ボランティアの会合があったのだが、午後からのヴォイス・トレーニングに神経が行っていて、そちらを忘れてしまった。 こちらの活動も、8月は休む旨、伝えてある。 連れ合いの方は、きのう健康診断。 嚢肺が増えているので、いずれCT検査が必要だという。 若い頃ヘビースモーカーだったので、それが原因らしい。 今日は、夕方から、いくつか有る「○○蕎麦の会」へ行くことになっている。 それで東京での行事は終わりだとか。 明日、私は連句会、続いて夜、合唱の練習。 見学者が二人来るらしいので、みんなで良いところを見せなければならない。 ブラジル公演以来、正指揮者は休養中で、7月、8月の4回ほどは、ほかの先生が代行している。 旅行の疲れで、声を痛めた人もいるし、通常の練習が戻るのは、旧盆明けになりそうだ。 明日の合唱で、一応、東京での用事は終わりである。 今日は、必要な物を車に詰め込み、31には、冷蔵庫を片づけて、出発である。 パソコン一台持っていけば、世の中とは繋がる。 今興行中の分、8月開始の分含め、ネット連句三つ。 夏の連句は、どうも、間延びしてしまうが、信州発信で、今度は、少し引き締まった気分で、出来そうだ。 (12:10)
毎年、大晦日から来ることになっていた息子夫婦が、年末から外国に行ってしまったので、夫と私だけの静かな正月となった。 1日は墓参り。 昨日は、12時間ドラマ「忠臣蔵」を斜め見しながら、ネットの連句や、サイトの更新などで、過ぎてしまった。 年内の掃除も中途半端のままになっているし、おせち料理も、いつも嫁さんに頼っていたので、今更、作る気力も起こらず、亭主どのも、「酒だけあればいいよ」というので、お言葉に甘えて怠けてしまった。 昔はおせちが最大のご馳走だったのだが、お餅も、年中スーパで買える時代になって、有り難みもなくなってしまった。 ひと頃までは、私もせっせとおせち料理を作っていた。 実家では、母が正月に来る客迎えに、いつも忙しくしていたので、そんなものだと思っていた。 一日は、父の職場の客が、まず年始参りに来る。 母は客の接待に追われ、私達子どもは、火鉢を囲んで、お酒の燗番をしたり、長女の私は、弟、妹の食事の面倒を見たりした。 二日、三日は、親戚が次々来る。 家族水入らずの正月というのは、まず無かった。 正月というものが、生活の中での大きな行事だった時代である。 子どもが成長し、私を筆頭に、次々親元から巣立っていくと、今度は、親の家に、みんなが集まるようになった。 父がリタイアし、お客の数も少なくなり、母も自分の家での集まりに、疲れを覚えるようになると、今度は、私の家に、集まるようになった。 暮れに、沢山の材料を買い込み、一通りの料理は作り、家の中もきれいにし、正月の準備をした。 私と夫は、長男長女なので、両方の親、きょうだい、その子どもたちまでが我が家に集まり、一時は30人くらい集まったことがあったと思う。 私の作る物だけでなく、みんなの持ち寄った料理がテーブルに並び、賑やかな笑い声が、途絶えることがなかった。 6,7年前から、正月に大勢が集まることが、だんだんむずかしくなった。 それぞれの家族があり、親族よりも、外との付き合いが増え、生活上の変化がそれぞれにあり、親の老化も進んだからである。 最近は、義弟の家族の方が人数が多くなったので、息子夫婦と共に、そちらに寄せて貰うようになった。 今年は、義弟に初孫が生まれて忙しく、息子夫婦も居ないので、正月の集まりは見送ることになった。 立春を過ぎたら、私の喪も明けるので、赤ちゃんの披露かたがた、集まることになるだろう。 11:27
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