楓蔦黄屋
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SNSの何もかもがイヤになるということはよくある。 時期的なものだ。
あけすけな言葉で表現して万が一知り合いにここが見られたら気まずいのでボカして表現すると ドラえもんの「1/3時計ペタンコ」と「3倍時計ペタンコ」をそれぞれ貼られる時期があるのだ。 それは1ヶ月の女性ホルモンのサイクルによるもの。
何もかもがイヤになるのは「3倍時計ペタンコ」のほうを貼られている時期だ。 脳にだけ作用するのでフィジカルが3倍になるわけではないのがまた厄介。 実際に3倍で動けたのならこんなにストレスもないと思う。
周りのすべてが1/3に感じるのに自分は3倍では動けないのだ。 ストレス爆発。
1/3時計ペタンコのほうを貼られている時期は心は穏やかだが もしかしたら今の時期よりも愚鈍になっているだけかもしれないと思うと どちらがいいのかわからない。 しかし実際は変わらないのだろうから3倍を貼られるだけ損なような気もするが しかしこのサイクルによって子を授かることができたのもまた事実なので やっぱりどっちも貼られてていいものなのかもしれない。
恩恵を受けるということは損をするということでもある。 表裏一体だ。
何をしたから幸せになれる、ということがないのと同じに 何をしたから不幸になる、ということもまたない。
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そりゃあ占いをしてもらいたいと思うこともあるよ。
誰か他の人に、自分のことを言ってもらえるのは嬉しいものだ。 そこに自分には知識のブラックボックスを挟まれたらなおのこと。
占うほうは人に今よりも少しだけ良い気分になってもらえたらと思ってやっているわけだし。
しかしながら。 言ってしまえば自分も同じようなお商売をやっているので どうしても二の足を踏んでしまう。
なぜなら私のお商売は、人に心を寄せてもらって初めて成り立つものだからだ。
私には人を幸せにすることも不幸せにすることもできない。 ただただ自分の経験と技術とを、法則性のもとに人の目に見えるように、人の脳に訴えるように具現化するだけ。 そこから先はお客さんの力だ。 心を動かすのはお客さんの持っている力によるものだ。
で。 私は占いもそうだと思ってしまっている。
少なくとも自分に作用する占い(はたまた何かこういわゆる霊的な何かとか呼ばれる類のもの)は 全部そうだと思っている。
要するに、言われたことに自分から心を寄せてしまうのだ。
そしてそれを、性分的に「悔しい」と思ってしまうのだ。 おそらく占いをしてもらったら、スッキリすると同時にたぶんすごくモヤモヤしてしまうのだ。
だから二の足を踏んでいる。 というか、おそらくやらない。 1/3ペタンコの時期なら気にしないだろうが3倍ペタンコの時期の私はきっと地団駄踏んで悔しがる。
てか前にやったことあるんだ、占いじゃなくてもっと霊的な何か的なほうのやつ。
まったく頭から「そんなもんあるわけねえだろ」と思って参加した。 ただただ施術する人の解説を楽しみたくてやってみたんだがそれも期待外れだった。 そりゃそうだよな。 たとえて言うならノンフィクションが面白い人がフィクションも面白いとは限らないもんな。 それにフィクション歴ならこっちのほうが長いし。よく考えたら。 まあこれも勉強なので別に不満はないです。
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私はオバケ屋敷は怖いし肝試しはイヤだし怖い話もイヤだし夜の学校なんて入れないが 「霊的な何か」全般に関しては「そんなもんあるわけねえだろ」と思っている。 「占い」も基本、そこに入っている。ごめんね。「統計学」とか言われてもなあ。ピンとこないし。
ただ、ややこしいが申し添えておくと 「霊的な何かを見た」「信じられない体験をした」と言う人のこと自体は疑わない。 そういうものを見たのも、そういう体験をした(とその人が思っている)のも事実だ。
ただそれは、「霊的な何か」「信じられない何か」によってもたらされたものでは決してない、と思っている。 人為的にしろ偶発的にしろ脳が見せているにしろ、必ず何か道理がある。 その道理がうまいこと飲み込めても飲み込めなくても、そこにあるのは道理だ。 こうなればああなるよな、という自然の摂理だ。
だってさあ。
小学生だか中学生だかの時に、 「どうして夏と冬があるのか」の理由が「日照時間が違うから」だと知ったときに ものすごくびっくりしたから。
その、なんつーの、夏とか冬とかそういう人間にはどうにもならないことが、 実は「陽が当たればあったかい」なんていうものすごく当たり前のことが原因で、 しかもそういう理屈って、地球規模になっても変わらないっていうことに ものすごく感銘を受けたんだもん。
四季があるのはなんかこう色々ともっと複雑な因子が絡み合ってるからだろうし、 世界の各地で寒かったり暑かったり雨降ったり振らなかったり季節が違ったりするのも 色々と理屈はあるんだろうけど、全部当たり前の道理によるものなんでしょ。
でもさ。 「霊的な何か」って多分、その当たり前の道理によるものじゃないんでしょ。 「そういうのを超越した何か」とかそういうものなんでしょ。 道理によったら存在できないわけでしょ。だから「超常現象」って呼ばれてるわけでしょ。
地球みたいなでかいものでさえ当たり前の道理で動いてるのに、 身の回りのことがそれを超えてるわけないじゃん。
「そういうのを信じる人がいる」 「そういう文化が発生している」 っていうのは当たり前の道理としてスッと「そうだね」ってなるんだけど 「そういうのを信じる人がいるのはそういうのが存在するからだ」とはならない。抵抗ある。
だから「幽霊とか信じる?」っていう質問をされるのも嫌いです。 幽霊はいないけど、何かを見てそれを幽霊だと思う人がいるっていう事実はあると思っているから。 そういうの説明すんのめんどくさいから。そんなめんどくさい質問してくる人に。
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3倍ペタンコつけてる時期はこういうことものすごく考える。
あけおめー。 誰も読んでないけどあけおめー。
YUKIちゃんのNOTEを読んで「今年の目標」の設定に気づく。 YUKIちゃんの「SLITS」を聴きながらライブを思い出す。
2024年の目標は 「もうやりたくないことはやらなくていいや」でした。 これに関しては、一歩前進したと思います。 やりたくないことをやらないことによって、やりたいことが明確に見えてきました。
仕事の話ね。
やりたくないことって言っても、イヤイヤやったことはひとつもありません。 すべてが勉強だと思っていたし、やりたいやりたくないで判断していませんでした。 まだやってもいないことを「やれない」というのがイヤだという性分なのも気づいたので そこに後悔や負の感情はない。そこだけは自信持って言える。
ただ、すべてが勉強なのはこれからもそうなんだけど、 そこにそろそろ自分の意志を入れ込むということをしないと 続けられないんじゃないかと思ったわけです。 全部やって気づいた。私にも自分の意志がある。 それがたぶん人に説明しづらいから、ないかも、っていうことにしてただけで、 ある。確かにある。
今年はそれを恐れずに出していこうと思います。
ただ、恐れずに出すならばまず自分の中でちゃんと人に説明できるように熟成させねばならない。 そうしないと伝わらない。 理路整然と相手を納得させられる言葉を選ぶのではなく、 不器用でもせめて熱意は伝わるよう、身体の中で温めねばなるまい。
てなわけで、今年は自分の内側にいろいろな感情を溜めようかと思います。 具体的に言うと、SNSで必要以上に垂れ流さない。 そして身体は健康でいるよう、ちゃんと毎日滑らかに循環するよう、家の中の生活も止まらず。 今日はこれ食べたいなと思う感覚を大切に。 家族を大事にしたいなと思う気持ちを大切に。
要するに内側をちゃんとしたいのです。 だから2025年の目標はシンプルに「inside」かな。
今年もよろしくお願いいたします。 エンピツって場所があってくれて、ネットの中でもラクに呼吸ができるな。
はい何書くか忘れたー。
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理想の自分というものを思い描いたことがない。
昔、ああ自分はカメラなんだなと思ったことがある。 きれいな景色を見てボーッとしてたら、母に 「自分が映画かドラマの主役になった気持ちなんでしょ」と 他意なく笑って言われたのだがピンとこなかった。 むしろ映画を観ているような気分だったからだ。 物語の断片を見ているような。
高校の頃、電車の窓から見る景色が好きだった。 混み具合と本数の少なさと空調の極端さは大嫌いだったが車窓だけは好きだった。 いつも乾燥しきった強風にさらされた、埃まみれの窓ガラスは 陽があたると、光がつぶれたように柔らかく拡散し 何もない風景を白く彩っていた。 岩井俊二監督の映画の画面に似ている。
今でも音楽を聴きながら車窓を観るのが好きだ。 たちまちそれはミュージックビデオになる。 風景が多めのときは何を聴いても絵になるが、 人が多めのときにはくるりが秀逸。 そこらへんを歩いているだけの人がたちまち輝いて一流の役者にすら見えてくる。
なんの話だったか。
そう、私はカメラであって、その中の物語の主人公ではない。 私は私の人生の主人公というより、 私の人生を彩る風景を撮影するカメラだ。
だから理想はいつも外に期待する。
追い求めて歩き回ったりもしない。 車窓に流れる景色と、耳に流れる音楽が 奇跡のように融合して体中を震わせる瞬間を ただただボーッと待っているのだ。
自分の中に理想を求めるのは大変だ。 常に自分の外に委ねる。 芯がない生きかたと言えばそうだ。 実際、風船のようだと例えてくれた友人もいた。
他人任せだ。 自分でどうにかできることなど、たかが知れている。
有るが儘とは、つまり我が儘だ。 我にとって我が儘とはどういう状態なのかを把握すること。
東京ダイナマイト・ハチミツ二郎さんの最新noteを全部読んだ。
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東京ダイナマイトのネタを初めてテレビで観たとき呼吸困難になるほど笑ったなあ。 金曜ロードショーの吹き替えみたいないい声の松田さんがアメリカンにボケるのを ローテンションで突っ込むハチミツさん。 天才出てきたと思った。
のちにサンドイッチマンを知って死ぬほど笑って「東京ダイナマイトみたいだな」とちょっと思ったりしてた。
その頃は若かった。 テレビを観ていれば普通にまた観られるコンビだと思ってた。 そしてこんなハイレベルのお笑い芸人さんたちの提供してくれる漫才を 当たり前に拝受しまくっていた。
何目線で何を書けばいいのかわからない。
ただただ、当たり前にまたいつか見られると思っていた東京ダイナマイトの漫才が そういうものではなくなったんだな、というか、そもそもそういうもんじゃなかったんだな、 と思って、自分の甘さをまたひとつ思い知り、そしてたださびしい。
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でもそれでも生きるんだな、と思った。 東京ダイナマイトのおふたりも、私も、この世にいる人すべてが。
それできっと明日も、面白いことを言ったりして笑うんだ。
はい痩せたー。
産後10年、いっこも戻らなかった体重と体脂肪が じわじわ減ってるー。 食う物選んでリンパマッサージしてジム行って減ったー。 食う物選ぶが1番効いたー。
ただ皮膚がだるんでるよな。たるんでるではなくだるんでる。
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「Xって頑なに言いたくない」って20代の特権みたいなこだわりだよな。 40代は「どうでもいい」。
まだついったーとは言っちゃうけど、リポストとかは慣れてきた。 単に語呂の問題もあるよな。エックスって単語、単純に発音しづらい。 セックスみたいでちょっと卑猥だし。
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アイドルファンの集いで、皆集まってんのにスマホいじってSNS更新してる場に遭遇。
老若男女問わず一斉にだったので、これは世代というよりは どっちかっつーと育ったヲタ畑の習性って感じがした。最初は。
特に嫌悪感も違和感もなく、 しかし自分までけいたいでんわをいじることもなく(そもそもいじる用事がない) ただなんとなくその光景を見てたら、「あ。」と思った。 ふだん普通に外で働いたり学校行ったりしてる人が ちょっと気心知れた集まりでこうなるのは自然なのかもしれない。
逆に俺みたいにふだん一人で仕事して、仕事内容も限りなく孤独に近いと 人に会うってことに飢えてるからけいたいでんわなんていじるのもったいないと 思ってんのかもしれない。 何なら仕事中だってネット見放題だし、それで孤独を紛らわしているとこもあるし。
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以前ネットでやった「あなたの恋愛開始と終了シミュレーション」みたいな診断。 架空のキャラクター「風間ゆうやさん(31)」と付き合った結果、彼にいろいろ言われたんだが それに対しての俺のリアクション、たぶんこれエックスに書いたら みんなちょっと引いちゃうだろうなと思ったのでここにそっと記す。 本当はゆうやさんのコメントは本人イラストつきの画像なんだけども、画像はもうupできなくなったので、文書で。
【〜つきあう前編〜】 ゆうや: 「舞浜に朝7時集合」の何がつらいんだ?ディズニーいくなら朝からでは。 俺: 一人で行けや。
ゆうや: なんか、君って昔から知り合いだった感じがするんだよな。知り合ったばかりなのに。 俺: 昔から知り合いだった感じがするから何なんだよ。
ゆうや: プライドは高くないけど、芯は強そうだな。だって人の顔色とか全然窺わないから。 俺: ちょっと何言ってるかわかんない。
ゆうや: 不思議だな。君の声を聞くだけで、すごく安心する。 俺: よーし、Cocco「カウントダウン」(*)歌います! (※最後に男を撃ち殺す歌)
ゆうや: 会うといつもいつも楽しいんだよな。だから、帰る時間になると辛い…。 ごめん、こんな雰囲気にして。好きになりすぎてるのかなぁ… 俺: 何を?
【〜つきあってる最中編〜】 ゆうや: どこが好きかなんて聞くか?でも教えてあげる。さわり心地! 俺: きめぇ。
ゆうや: 俺も君みたいに明るくいられたらいいのにな。 俺: 暗ぇ。
ゆうや: 俺にスマホを貸せないのは、浮気してるからじゃなくて、 見られたらまずい画像ばっかり保存してるからだよな。 俺: ■■■■手で人のモンに触■■■■。■■■。 (一部伏せています)
【〜恋愛末期編〜】 ゆうや: うちに遊びに来るのはいいけど、食べ散らかしたものの後片付けぐらいはしろよな。 俺: しねえしもう二度と来ねえよ。
ゆうや: え?昔はデートの帰りに寂しがってた?そうだっけ? 俺: えっ!?誰と会話してんの?急にしゃべり出してビックリしたー、妖精でもいた?
ゆうや: 傷ついたときに、SNSに俺への不満を書くのは、ルール違反だと思うんだが。 自分がやられたらどう思うんだ? 俺: あれはそもそもお前への不満ではないし、不満を抱くほどお前に期待を抱いてもいない。
ゆうや: 俺のことがそんなに嫌いなら、さっさと振ればいいだろ。 そんなに責めるなら、そんなに不満なら、振ればいいじゃないか。 俺: いや?わりと好きだよ? 髪の色とか目の形とか塗りが微妙にちょいちょい変わるとことか、 ああ複数のイラストレーター入ってんだなって感じで面白い(*)し。 まあ好きってのは嘘だけど。 (※先にも述べましたが、本来のゆうやさんコメントは本人イラストつきの画像です。)
ゆうや: お前って本当にモテるよな。付き合い始めたころは、こんな子と付き合えて嬉しくてたまらなかったけど、だんだん不安が強くなって耐えられなくなってきた。 君はまぁ男友達も周りにたくさんいるし、自分のそばに置いておける人ではないんだなと。完全に俺の自滅なんだけども。 君が俺をすごく大切に思ってくれて、気にかけてくれたのもよく分かってる。ただ君みたいな人はもっと他の誰かと幸せになったほうがいいと思ったんだよな。 俺のそばにいるのはもったいないって。 次はもっと俺が安心できるような人と付き合うことにするよ。今までありがとう。これからは自由を満喫してくれ。 俺: 長ぇよ。
【〜以上〜】
…俺の返しもまあひどいもんなんですけど、ゆうやさん(31)も大概だよな。 しょっぱな、開演前ディズニー集合を当然のように強要した時点で 恋愛どころかもう人としてなるべく関わりたくねーじゃん。
「昔から知り合いだった気がする」発言もこっちが思ってないのに言われると一発で冷めますね。 昔、友達に「俺、お前の彼氏よりもお前のことわかってやれるよ」って言われたことがあるんですが 俺はそういうことを言われるのが死ぬほど嫌いなので彼の発言は完全に外していました。
それとはちょっと逸れますが 昔、こちらにちゃんと恋人がいるのを知っているにも関わらず 頭をなでたり告白してこようとしたりしてきた男性がいて、それにも猛烈に腹が立ちました。 自分自身をではなく、恋人を軽んじられた気がしましてね、それが許せなかったわけです。 お前が今モブ扱いしてる男は俺がこの世で1番大事にしてる人間なんだよ!わかってんのかそこんとこ!
…なんかこういうことを書くと単にモテエピソードの羅列ととられる可能性もありますが、 上記のようなことを「モテ」と解釈するような輩に用はない。 ただの人格無視ですよこんなもん。
というわけでまあ、上記のゆうやさん(31)の一連の発言も、恋愛ではなくただの人格無視ですね。 世間ではこれが本当に「恋愛シミュレーション」として成立しているのでしょうか。
ときメモGSも大概っちゃ大概でしたが、あれはまだ何というかゲーム性があるから成立していた (ゲームだからね)。 あと緑川光と子安武人の偉大なる力。が9割。
楓蔦きなり
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