ever green

2011年03月01日(火)    疲れるな。



京都から帰って来て、大好きな祖父母と暮らし始めた時。
これからいっぱい祖父母孝行をしようと思った。

3ヶ月後には、おじいちゃんの癌宣告。


「早く美味しい酒を飲ませてくれよ」


と、私の結婚を楽しみにしていてくれたおじいちゃん。



日に日に弱っていき、帰って来た頃は一緒に行けていた散歩も行けなくなった。
トイレにすら1人では行けなくなった。
便器に座ることも無理で、排泄を手伝った。
ヘルパーの資格を取っておいて、現場で働いておいて良かったと
つくづく思った。


食べ物を拒否し始めた。
薬を飲むのを嫌がった。
とうとう、ベッドから起き上がることもしなくなった。




仕事に行く時に「行って来ます」と声をかけると
「気をつけてな。転ぶんじゃないぞ」と。
まるで小さい子に諭すように呟いていた。



仕事から帰って来たある日、おじいちゃんは熱を出していた。

「おじいちゃん。大丈夫?」

と聞くと

「大丈夫だ」

と言って眠った。




これが。私とおじいちゃんの最期の会話。


そして。おじいちゃんにとって最期に言葉を交した相手は私になった。





いつもと呼吸のリズムが違い不安だったので、その夜は一緒の部屋で寝ることにした。
2時間毎に起きて検温をした。


早朝5時。酷い高熱と荒い呼吸。声をかけても言葉が出ない。
救急車を呼んだ。






祖父母の家の隣には、息子夫婦が住んでいる。
おばあちゃんが、これから病院へ行くと伝えに行った。





私は、意識のないおじいちゃんと救急車の中にいた。






おばあちゃんが戻って来た。
1人で戻って来た。





「なんで一緒に来ないの!?」



つい声を荒げてしまった。




「わかった。落ち着いたら連絡してといわれた」


おばあちゃんが言った。





どうして、実の息子が一緒に来ないの?
アンタの父親でしょ?余命宣告されてるでしょ?
ただの病気じゃないんだよ?



怒りと悔しさで、涙が出た。











おじいちゃんは結局、肺炎になっていた。



人工呼吸器をつけて延命するか。
つけない治療で数日持たせるか。



選択を迫られた。




おばあちゃんはすっかり意気消沈してしまい
「まみが決めて・・・・」と言った。







そんな選択は、私のする役目じゃない。


だけど。
どうしようもなかった・・・。





人工呼吸器をつけた。
もう会話をすることが出来なくなってしまった。












あれから。


私はおじいちゃんの息子であり、母の弟である彼がどうしても許せなくて。


付き合いを拒み始めた。







そして昨年の暮れ。


彼は入院した。







鬱病。









数年前から、確かに変だった。



病気のせいで、親に迫る死に立ち会いたくなかった。
そう考えれば、許せるかもしれない・・・・。














だけど無理だ。


やっぱそんなのは言い訳だ










私には理解できないし、そんなの理解したくもない。













今月。彼は退院してくる。














嫁と離婚するだの。
会社辞めるだの。
おじいちゃんが働いて建ててくれた家を売るだの・・・・





昨年末から問題が色々起きている。










おばあちゃんも、お母さんも疲れきっている。



そして何故か、彼のお嫁さんに彼の事で相談されている私も。












おじいちゃん。きっと、悲しんでるね。











この場所でしか吐き出せないくだらない愚痴。



でも、ここがあってよかった。


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