痺れる・・・とはを辞書で調べると 「からだの一部または全体の感覚を失って、運動の自由を失う」 「激しく興奮し、うっとりする」とある それらの意味ではないのだけれど うっとりとまどろむ感覚を時折私は感じている。 それは いつ どのような時間であるかと思い返すと 「お気に入りの喫茶店で なんでもないありきたりのコーヒーを飲むとき」と答えるであろう。 それもまた きれいな花柄のコーヒーカップで味わうときなどは 至福のひと時である 自分用にと いくつか「コーヒーカップ」を持っているが ひとつひとつに思い出や思い入れが潜んでいる。 だから それらを残したまま永いたびになどでたくはない・・が持論である いつだったか 長浜の町の古びた店の表に忘れられていた「一品」は なんでも ベトナムのカップであるらしい そのカップで飲むコーヒーは おのずとアジアの香りがするような? 慈しみをもってこの手のひらに載せ 静かに口に含むとき それが なんともいえず”痺れる感覚”なのである また 好きな香りをかいだときにも同じような感覚を覚えるものである まさに「痺れる感覚」なるものは 自分をなにより一番 自然にちかづけてくれるものではないだろうか そういう時間を より多くもてるように 私は日々仕事に励み 心を磨かなくてはなるまい 人間生活の中で微塵もなく砕かれてしまった プライドなるものも そういう時間によって またよみがえり 満たされるのだと信じる 好きなカップで 美味しいコーヒーを飲む これが いまの私の一番のご馳走になっている
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