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2005年09月25日(日) 題名をいつもわすれる。

 こうやって題名つきの日記をつけているからだろう,
日常の瞬間にテーマ性を見いだして律儀に題名をつけてしまう自分がいる。
でも,いつもそれを忘れちゃってその題名を日記に付した試しがない,,。
その瞬間の映像は浮かぶだけどなー,,肝心の記憶は刹那である。


 彼とはきちんと別れることができた,私の中では。。。
想いを込めたメイルを送った。
つい2時間ほど前だから彼はきっと眠っていてまだ読んでいないはず。
すごく稚拙な文章だと思う。
読み直してみてもそう思った。
けど,そのまま送った。
ここに貼り付けようかと思ったけどいくらなんでも恥ずかしいのでやめた。
本当にきちんと離れることができたら貼りつけよう。
,,,本当に,と言っている時点ですでにダメなんだろうか。
あー。

「私の想像を超えるくらい私を好き」なはずの彼は,
きっともうこんな戯言は忘却してしまったのだと思う。
それよりも,想像の圏内へ入ってきてしまった,という事実を
信じまいと懸命だった私がバカだったのだろうか。
それとも,いまだに「想像を超えた状態」なのだろうか。
うーん,,,それはないなあ,,(と思う)。

 彼のことはとてもとても好きだった。
そしておそらく彼は,今まで私が出会った誰よりも
私を理解し,積極的に受け入れようとした人だった。
(おそらく家族よりも。家族はもちろん私を受け入れてくれるけど,
理解,というより,諦めとか慈愛と言った方がより正しいから)
ただ残念ながら,私は彼を愛しているとは言えなかった。
それは決して,彼が愛するに足らない人だから,という訳ではない。
ぜんぶぜんぶ,私のせいだ。
愛してるなんて苦しすぎて,彼に申し訳なさすぎて言えない。

頭が良くて,しっかりしていて,「大人」で,普通だったら,
今も彼と一緒にいることができたかもしれないなあー。
なんて。
そんなのは抽象的で主観的でバカバカバカバカバカしい理由だけど。
そういう,よく分からないけどどこかで聞いたことあるような理由をつけて
自分を納得させたい。

私は彼の前でどんな自分でいたかったのだろうか。
多分わたしは。
彼と一緒にいるときの自分自身に耐えられなくなったから彼と別れたかったのだ。
自分で自分を好きになれない私に「愛してる」という彼が信じられなくて不安だったのだ。
ときには軽蔑すらしていたかもしれない。
いつも彼に怒りを抱えて,イライラしてばかりいた。
全ては本来,自分自身に向けられるべき感情だった。
でも全てを彼のせいにしてしまえば私は多少,楽になった。
そんなことばかりしている私を「愛してる」という彼が信じられなくてイヤだった,不安になった。
,,,悪循環だった。


ほーらね,,,やっぱり分かってる。
ばーか,ばかばか。
ぜんぶぜーんぶ自分のせい。最後まで勝手ワガママ。

でも大丈夫,これからは強くなる。


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