心の中の空間 - 2002年09月10日(火) 最近感じていること、私はコミュニケーションが下手だ。 というより、怖い。 傷つくことが。。。 嫌われることが。。。。。怖い。 嫌いにならないで。。。 自分が、なくなってしまうほど怖い。 小学校のとき、いじめられっこだった。 中学のとき、一人ぼっちだった。 家族の中に、自分の居場所を探してた。 苦しかった。寂しかった。つらかった。怖かった。 誰か、誰か、私を受け止めて。。。。。 その叫びは、消えることはなく。小さくなることはなく。 普段は感じない。。。。 ことにしている、だけど 感じている。 いつも私がいる場所を。探していた。 人の中に、 どこかに、 未熟児で生まれた私は、保育器に2週間入っていたという。 そして、2ヶ月にならない頃から保育園生活だったらしい。 そして、望まれていた男の子ではなった。 3歳まで、子供を抱いたことがほとんどないという、父親。。。 わたし、愛を直接受けてないのかもしれない。 と、感じた。 幼いときのむやみな、「私は愛されてない!!」という 感情だけのうったえではなく、ただ、そう感じた。 愛されたいんだ。。。 いつも、今までもずっと感じてきた感情 愛されたい。 そして、愛したい。 ただ、丸ごと包んで、ただそこにいて。。。。。 安全で、何の条件もなく。。 ただそこにある愛で、包んでほしい。。。 それが、無かったのか〜 ただあって、安全で、ここにいていいんだよ。という空間。 愛。 感じれなかったんだ〜 そう感じた。 その愛されたい思いが、満たされてなくて 心の中の空間は。。 いつもあいたままで、うまらない。 子供を生んで育てて、ちょっと人間らしくなって 子供は絶対安全な、私の居場所になった。大切な大切な。。 彼にも話したことがある。ありがとうと あなたがいるから。こうして生きていると 絶対安全な、愛の場所ができて、私が、ちょっと成長した。 友達もできるようになった。 息子には、とっても大変な親かもしれないけど。。。 そして、韓国に来て 人がとっても近くにいて、驚きの毎日で、 最初は、いろんな違いがあって、それはそれは大変で でも、寂しさは無かった。 日本にいたときのようなどうしようも出来ない 寂しさは、、、 今でも、いろんなことで怒ったり泣いたり、傷ついたり でも、だんだん人間らしくなってきたように感じる。 やっと、自分のことを受け止められるようになって来た。 そう感じている。 親が大っ嫌いだった。 人間が大っ嫌いだった。 地球の叫びが、うめきが痛かった。 すべてが闇だった。 岸さんと出会い。 コミトレに参加して。 コミュニケーションを教わって、、、 たくさんの人との出会い、会話、やさしさ、愛。 そのまま、私は私でいていいと、居場所をくれる人たちとふれあい。 それをキッカケに、私の中にたくさんの触発と変化が起こって。。。 今は、 人が大好き。地球が愛しい。 親が大好き。。。。とはまだ言えないなあ。 だけど、元気かなあ。。。気にかかるようになった。 韓国に来て2年。。。 想像を絶するような、 いろんなことがあった。 本当に、信じられないくらい。 いろんなことがあった。 だけど、逃げ出さないで。向き合ってきた。 コミトレ教わったコミュニケーションののセンスがあったから いろいろな角度で、観点で、見ることのセンスを知っていたから 向き合うことが出来た。。。。。。。。 気まずいことを面と向かって話すことが、大の苦手だった。 今でも、自分から改まって話すことがとっても、苦手だ。 でも、韓国人は時間を取って話をする。 思ったことを、全部言い尽くそうとする。 そんなことが、何回もあり。。。。 そうじゃないことも、何度もあり。。。 今まで、感じたことのないような 感情を感じたこともあり。。 本当に信じられないほどの感情の波を経験して来た。 そして、私の居場所を見つけたのかもしれない。。。 ただ、ただ、今はうれしくて。。。 うれしくて。。。 ありがとう。 ただ、ありがとう。 ここにいてくれて、ありがとう。 地球に、神様に、 今まで、生かしてくれて。ありがとう。 ありがとう。 そして、これからもよろしく 人は、人によって傷つき、そして、人によって、癒され、人とのコミュニケーション がないところには、本当の癒しはないのかもしれない。 それは、別のものではなく、人によって創られたものだから、 それは、心のいろんな心模様は、コミュニケーションの断絶などによって 出来上がっていくものだから、 だから、そこを避けて、見えない力に頼ってどんなに極めても。。。。。 本来の、心の平安や安らぎはみつけられないのかもしれない。 そう感じた。 ...
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