きょうは通院日だった。 道もクリニックも何故か空いていた。 診察というか面談は、10分に限られている。 ほとんどの場合、それ以上に延びてしまうことが多い。 でも、本当は入る時間を意識して、 話を10分で終えることも意識する必要がある。 こうやって時間を区切った面談をしながら 週1なり、月2なり、通うことが治療になるのだそうだ。 それで、日記を付けたり、なにかそれぞれに 必要な事を自分に課して日々を過ごす。 そういえば、昔読んだオカルティズムの本にも、 そういう、修行みたいな事について書かれたものがあった。 一定のことを(無意味なことで良いのだそうだ) 例えば、毎日決まった時間に壁に刺してあるピンを触る。 というような、実用的でないことでよい。 それを毎日、あるいは週の中で意識的に続けていく。 これが無意識に、できるようになるまで続ける。 決して、人に知らせないことも重要で これがオカルトという言葉の由縁なのだそうだ。 たった一人で黙って続けていく事が大事で、 日々流していることを、ほんの少し意識するだけの 修行というか、治療みたいな事。 その次は、例えば靴のヒモを結ぶ時も 無意識にやるのではなく、意識的にやる。 というような事を、段階的にやっていきながら 瞑想のようなことをする。 そこでの瞑想は、過去の辛かったことなどを できるだけリアルに思い出して、 心が動揺しないようにするというもので、 いわゆる瞑想とは、又少し違うものだ。 その後もう少し複雑な瞑想をする段階 というのも、あるのだけど、 そこまでになる必要も、特にある訳ではないらしい。 まあ、そういったことを続けて、 それだけのことなんだけど、 魂の中に、一定の力というか 作用が生まれてくるというもの。 それは、善からも悪からも離れていることで ただ単に、そうだというだけのことなのだそうだ。 注意しなければいけないことなんだけど たとえば予知や読心ができようと、オーラが見えようと、 ともすると、それが目的になりがちだけど それは偉いことでも、清いことでもない、という話だった。 ・・・・もちろん先生とは、そういう話はしない。 でも、今まで会ったどの先生とも違うタイプな感じがしていて、 ふと、そういうもののベースを感じる。 午後から、久しぶりに旧友に会った。 今も昔も貧乏だけど、とても能力のある人で、 わたしのMacのアドバイザーでもある。 でも、頭の回転が速いので、 彼の話の大半に、わたしは付いていけていない。 よくピテカントロプスや、ライズ・バーへ 遊びに行った仲間だ。 (知っている人は、きっと懐かしくって号泣する名前(^ヘ^)v) 友達を介して、彼と初めて会ったのもNylon100%だった。 すべてが自然に回っていた時代。 まだ、バブルも膨らんでいなかった時代。 空気がヒンヤリしていて、よく歩き回ったものだった。 きっとあの頃だったら、まだ砂漠も密林だっただろう 送っていくと言って、しゃべりながら246ずっと走っていたら けっきょく二子玉川まで行ってしまった。 それ以上行くと大変だろうと、電車で帰るからって言ってくれて ここで別れる。 帰り道、そんなに混んでいないのに眠くて困った。 大きな声で、なぜか昔のスパイダースの歌、唄いながら帰った。 帰ったらザジが、台所マットにンンチしてあった。 たぶん麦が怒って、砂掛ける真似したのか マットが丸まって山になっていた。 めくってみたら、案の定だった。 ザジ、傍で固まって見ている。 麦、「グルルル〜」といって知らんぷり決め込んでる。 あ〜〜〜、道は遠いーーー
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