今日、車で少し距離走った。 いつもラジオではつまらないので、ジミヘンのCD持って乗った。 やはり、このギターの音のリリカルな感じがたまらない。 若い若いジミのヴォーカルも危うくてシビレル。。。 たぶん、この人は、言われているよりも ずっとずっとメロディーが美しいのだ。 ヴォーカルもギターも息を呑むようなメロディだ。 そして、こういう音はデカイ音で聞かなければ意味がない。 車の中は、気兼ねすることないのでうってつけ。 ジミヘン聴きながら デ・スーナーズのこと思い出していた。 ほんとに上手な人達だった。 楽屋でも何処でもフレーズを口ずさんでいて、 すぐにアカペラでコーラスが始まる。いつでもだった。 わたしの記憶の中では、ジミヘンはスーナーズと同化してしまっている。 そこに彼らが大好きだった。サイモンとガーファンクルが横たわり、 ドアーズがのし掛かっていた。くくっ、苦渋の十五歳だったな。。。 つらつらと、いろんな事考えながら走っていた。 出かける前に、この日記を久しぶりに見ていた。 思えば、ウェブ上で日記を書き始めてから五年程が経ってしまった。 ここに来てからも、三年くらい経っている。早いものだ。 一向に文章も良くならないし、 表現したいことの三割位しか言えていなくてもどかしい。 ちっとも変わらない。 続けて書くこともできていないし。 変わったことと言ったら、やはり世相が変わったことだろうか。 そうやって、時代の空気が変わってきているから、 人の心も微妙にに変わってきている。 こうー、何をやっても届かないような感じ。。 ちょうど、こういった感じのことを田口ランディさんがブログで書いてらっしゃる。 丁度、ここという所を表現できるって羨ましい。田口さんってイイナ。 帰りは、暗くなって帰宅の車で混雑していた。 幹線道路から右折で抜け道に入ったら、 黒い固まりが前方少し遠くを過ぎった。 直進の車は停まっていたけど、わたしは右折で近づいていた。 その猫は身体を丸く硬くして弾丸のように横切っていった。 ライトの海の中を弾丸のように飛び出して行った。 猫が、どんなに身体を硬くしても、 走っている車にぶつかればひとたまりもない。 散歩していて、いつもより遅くなって 暗くなって混雑してきて、帰りたいのに道を渡れず しばらく、機会を窺っていたのだろう。 そんな感じの駆け込み方だった。 でも、その猫、今日は無事に渡れても、 車はいつも違う車で、猫が渡るなんて考えてもいない。 次も無事に渡れるかといえば、 限りなく渡れない確率の方が大きいだろう。 そんなことが奇跡のように思えて、 見知らぬその猫の命がなんだか愛おしくて、 ボロボロ泣きながら走って、帰ってきた。 我が家の猫たちは、退屈だろうけど、 命かけて帰宅する必要はないので、今のところ、無事。
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