囚われる
2016年03月10日(木)











太陽を見なくなった






起きる時間が 深夜になったのは




見る「必要性」が無くなったから





朝日に懇願する事も




懺悔をする事も




どちらもしなくなった






それは何かに「依存」をしていた





証拠で






そんなのは どうでもいい







どうでもよくなった







常識なんて






単なる人が決めた しきたり





みんながするから するの ?







そうか





みんながするから 「しなくちゃ」 いけないんだね







一から十まで「完璧」を求めると





異常な程に拘り




囚われている感覚になる事に




ようやく 気付き





拘っていた全てを




片っ端から捨てたら





必要なものなんて 最初からなかった







決め事なんて破棄すればいい





不要なものは 吐き捨てる だけ





体の排出機能だってそうでしょ ?







最終地点に残るのは





「自分自身」というモノで





それ以外は何も「残らない」





正確には





残せ「ない」のだ










崇拝したいのなら 自身をすればいい





したいような「自分」になればいい





誰かに期待するくらいなら




「自分」にすればいい







それ以上に 何かにツカワレルなんて





まっぴら ごめんだ





代わりに





誰かを使うことは もう止めよう








物質で求めていた 幸福感なんて





すぐに無くなる








彼がオーダーしてくれた




二万のケーキ




名画を描いて貰った







こんなんじゃ 幸せになれないけど






ここに二人がいることに






幸せを感じるんだ





そして この私と一緒に居たい と





言ってくれる「彼」と居て





その私を創ったのも また「自分」















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