2005年06月01日(水) |
因果応報・因縁・記憶 |
『因果応報』 この言葉を実感することがよくある。 正確には、実感してきた、というのが正しい。 人に悪い事をすれば、人により自分にも悪い事が。 人に悪い事をされれば、他者によりその人に悪い事が。 精神面の話ではなくて、状況とか、いざという時。
私はアルコール依存だし、解離持ちで精神科通い。 でも、それは仕方ないと思っている。なってしまった。 そう思うしかない。少なくとも「私」は。 他の子がどう思ってるかは別として、私はそう思う。 自分のした、してしまった行いの報いなのだから。 親の心、子知らず。子の心、親知らず。 紡がれていく愚かな螺旋の一つでしかない私。
そんなのとは関係なく、他者から迫害される場合もあるけれど、 いつかきっと、その報いが訪れると信じてる、信じたい。 誰かが言ってた 「幸せと不幸は同じだけあるんだよ」と。 なら、迫害して、虐めた分、虐げた分、そっくり返して。
『因縁』 因縁、か。いる意味定められた、縛られた、 もしくは、戒められた、解すべきモノなのかもしれない。 いずれは、この役割を就かなくてはいけない運命。 複雑に絡まった因縁を、囚われた因縁を、 解き放つ為に、災いを、障りを清めていく為。
『記憶』 私は、虐げられた。人と違うという、それだけで。 身体的特徴、精神的特長、それらを挙げ連ね、虐げられた。 今となっては、何も思っていないつもりだ。つもり。 でも、本当は憤怒や殺意に満ちているのかも知れない。 私が存在したのは、小学校3年生の辺り。 その前の記憶もいくらかはあるけれど、あるだけ。 というか、関係ない。あの人の記憶など、私には関係ない。 守りたい人と守れない腕と体、憎いね、自分自身が。 これも因縁なのかな、助けられないジレンマも。 ただ、虐げられる為にきているなら、絶ってしまおうか。
もう少しだけ、様子をみていよう。この子に大切な人がいるなら。
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