2003年02月15日(土) |
interlede〜望み〜 |
高すぎる望みなら、 手にしない方がいいのだろうか。
それとも、手が届かないから欲しい?
人にとって価値がなくても欲しいものがある。 でも、今欲しがってるものは、たぶん、 人が欲しがるからわたしも欲しい・・・・・
世界中で見捨てられても、わたしがいるよ。 そう言ってあげられるけど、 それはどこまで本当のこと・・・?????
2003年02月05日(水) |
間違った?日本の家族・介護 |
うちの利用者さんは、子供や嫁、婿など家族に主な介護を受け、サービスを その補助として利用している人がほとんどだ。 しかし中には身内が近くにおらず、独居、もしくはそれに近い生活で、 かなりの部分をサービス利用で暮らしている人もいる。
大分前、関係者と意見が食い違ったことがあった。 「子供に介護を頼まない親は、本心からそう言っているのか、あるいは 無理をしてそう言っているのかどうか」ということについてである。 在宅にかかわる我々には、古くて新しい話題なのだが・・・。
ワタクシの方は、それまで、介護保険施行前のとある地域の調査結果で、 子どもの介護よりサービス利用や施設介護を選びたいと回答している 中高年者が多かったという結果も記憶にあったこともあり、 「実際に、身内の介護より他人の介護を希望する人はいる」 と、言った。
しかし、 「そんなはずはない」「それは本心ではない」「条件が整わないから 遠慮してそういう選択をするのだ」 と、それを頑として認めない人がいて、どうにも平行線のまま、その時は 話が終わった。
今もしばしば周囲の関係者や利用者さんから、そう言う意見を聞くことがあり、 「介護は家族がする『べき』である」「介護は家族が行うことが最高」 という神話の強さを感じるのである。
今も変わらない結論としては、 「あなたの介護は、あなたと、周りで行う人が納得する方法でやればいい」、 それだけである。 そしてそれは、「あくまで自分の身内の価値観である」 ということを自覚し、自分たち以外のよその家庭の人間に押付けるべきでは ない、ということである。
家族以外の介護の価値を認めない人の中には、こんなことを言った人もいる。 「日本の家庭は何かが間違ったんだわ」
何も間違ってなどいない。
地元で職を得られ、祖父母・孫まで同居でき、女は黙っていても自分の2倍以上 稼いでくれる夫の元で家事・育児・その余剰としての介護に専念でき、 寝付いた年寄りは半年程度であっさり亡くなり、あるいは親が倒れたら 仕事を辞めても若い夫婦は生活に困ることなどなかった、 そんな呑気な時代ではなくなった、ただそれだけのことだと思う。
また、親と子は必ず愛し合っているものだろうか、そうではないと思う。
子どもも自分の生活を持ち、自分の価値観を持つうちに生活観が 相容れないものとなる場合もある。実の親子なら同居がうまく行くか、 というともちろんそんなことも絶対ではない。 互いに悪感情は抱いていないのに、何か価値観や性格がかみ合わない親子だって いるのだ。 声高に「介護は子どもが行うことが絶対」「自分達の生活を優先させるのはエゴ」と叫び、 積極的にサービス利用をする人や、諸事情で介護に携わらないでいる人を 批判したりする人の中には、自身、親の介護を行っている人もいる。 ワタクシには、こうした人たちはきっと自分の介護生活に疲れ果て、ストレスを 抱えているが故の八つ当たりもあるのだろうな、と思えてならない。 親も自分の子どもには大事にしてもらいたいだろう。 でも、親自身というものは、いくら年老いても子どもは子どもだと思っている。 自分はさておいても何よりも子ども、そして孫たちの生活を精一杯生きて欲しい。
そう考えるのも、また「親心」だと思うのだが。
付け加えると、前述の「介護身内絶対主義」の人たちには、親御さんの障害が重く、しかも重度の痴呆を抱えているという共通点があった。 さらに介護者ご自身は「介護のために」(?)独身を貫いていたり、離婚してしまっていた人であった。 お父さんが、お母さんがしっかりしていたら一体何と言っただろうか。
自分のせつなさのはけ口を、大事な親の介護に求めているかの様子は、 非常に傍目にもやるせないものであった。 介護は、欠損した心の穴埋めではなく、自分も愛に溢れてありあまる愛情で行って欲しい。
・・・そこまで言っちゃうと理想すぎですけどね。
2003年01月18日(土) |
外来受診患者のキモチ |
いや〜ん、こないだちょっとしたことで「患者さん」になってきました。 そしたらやっぱり色々なことが見えますねえ。 医療サービスを受ける立場の気持ちがホント、わかります。
幸い今回は悪くない対応を受けたのだが、これがもし違ったら・・・? 例えば、応対の悪い医者。 腕が良ければどんな口を訊いても許されるのは過去の話です。
看護師や受付事務が埋め合わせるように愛想が良くてもダメ。 外来は、人が診療する意義を、「癒す」役割は医者にもあるという自覚を忘れないで。 同業者も、頼みます。
訪問看護で利用者様から期待されることは、たいがいパンフレットや 手引書にあるような「療養上の世話」「医療処置」「家族支援」なのですが。 その中で利用者さんが高齢である場合、最近は過剰な医療処置への 否定として訪問看護を、と望まれる方も多くなってきた。
その方たち、まず介護者の方の考えでは「延命措置」や「不必要な点滴」「本人の心身に負担をかける検査」「負担をかける通院」「負担をかける入院」は望まないのだと言う。「あくまで自然に逝かせたい」と口を揃えておっしゃる。 本人側の要因では(もう会話もあまりできない方も多いのだが 家族の話によると)昔から「病院が嫌い」「医療にかかるのが嫌い」 ついでに「お医者さんも大嫌い」な人だったりする場合がある。 明治、大正生まれの人だと珍しくない。
ちなみに、通院はともかく入院の何が負担かと思われる方のために 補足しますと、つまり入院のために福祉タクシーや人手を用意し、お金を 用意し、せわしなく本人の周りでばたばたと騒ぐことで本人に負担をかけるという意味合いでこう言われているのである。 入院一つとってみても、自分で動けない家族のために家族だけで 病院に赴くというのはとても大変なことなのでありますよ。救急車での搬送 入院なら、エレベーターのない上階住まいや、病人のADLに応じた自家用車を持ってない人にとって、これほど楽なことはないのだ。 その場合は生体的に緊急でありのんびりとはしていられない ということはあるが。
横道にそれたけど、そういう「余計な医療は望まないが、訪問看護は 利用したい」という方たちにインテークする場合、その中身が実はけっこう 様々なので注意が要るんだなあ。・・・ということが今日の本論でした。
まず、今普通に行われている厚生労働省で許可している看護というものは、紛れもなく西洋医療(なんつー言葉でしょう)の一員であり、日本の医師法で 定められている西洋医療の医者の指示(まあ、実情そのイニシアティブは こちらであることも多いが)の元に、やっているんだよ、ということ。
必要があれば投薬、検査(つまりは往診や病院受診ですね)の判断(あくまで判断の範疇だが)をするし、その考えの元に主治医に報告し指示を出してもらう。バルンを入れたり、採血採尿、抹消からの輸液くらいは「延命を望まない」利用者さんへも、一時的に行わせてもらいたかったりする。
そこで、相手の考える「医療処置」「余計な」「不必要な処置」 「延命処置」が一体何を指すのかを、必ず具体的に確認することが必要なのだ。 当たり前のようだけど、これはホントに大事。だから、どうかなあ、と いつも考えて悩む。古くて新しい問題の数々です。
以下。
リハは医療行為かな?経管栄養はどうかな?口から飲めなくなった人が おくすりも胃瘻から入れることになった途端、ヘルパーさんは 「私たち医療行為はできないので今度からおくすり「だけ」家族の人がやってください」
おいおい。って思います。
これはヘルパーステーションにとっては仕方ないことという 理解はできますわたしは。でも、利用している人の立場にすると もう少し何とかならないのか、って思わざるを得ません。 保清はだいたい「生活行為」と考える人が多いけど、排泄はどうかな? おむつ交換は医療じゃないけど、摘便はどうかな?ヘルパーさんにとっては「医療行為」なのでやってはだめですよね、じゃあ気管カニューレから ひっきりなしにサクションが必要な人にとって、サクションはどうかな? ここは法を緩和してくれないとホントに困りますよね! ヘルパーさんはだめだけど、家族に許されていることはたくさんあります。
わたしがいつも考えるのは、お食事を作って他人に食べさせることだって、本当は調理師免許があって、衛生の知識があってこそ、初めてお金をとって 人に安全に食べさせるという保障ができるのだと思うのですよ。 でもヘルパーさんは・・・・?今のヘルパー養成の教育内容に そこん所って・・・・ないですよね。 お年寄り、病気の人に食べさせるのですよ。健康な一般の人に食べさせる 食事よりも、衛生面、安全面ではもっともっと厳格な教育が、 必要なのではないですか?
で、わたしたち訪問看護は・・・・生活行為に深くかかわりながらも・・・西洋医学の手先なんですよ。あくまで。だから、そのことを、充分相手とすり合わせることが、大事。ざんす。
ワタクシ、もうこんな歳になって何なんですけど、 ・・・訪問での対人応対って未だに緊張するんです。
自分の一言一言で相手が喜んだり、たまに 「・・・あ、もしかしてちょっと・・・かな?」 なんて反応があったりして、うまく行っても 自分の言動の責任が重くのしかかって来ます。
だから、すごく気軽に利用者さんにタメ口をきく人の心持ちが、ある意味うらやましい。
だけど、戦略的に利用者さま本人にその対等口を使っていくこともある。
それはこちら側の自己開示の方法の一つとしてです。必要よん。
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