くじら浜
 夢使い







台風の朝   2002年08月19日(月)













真っ赤なスイカ   2002年08月17日(土)

夏は原色だ思う

真っ青な空
真っ白い雲
透明な海
黄色いひまわり
そして夏を想う少年の心

少しずつ秋に染まっていく










夏の力   2002年07月22日(月)

そのパワーは
すべての生命の源









返し唄   2002年07月19日(金)

なんかなしゃうむいや
しおとぅなり
てぃだとぅなり
まくとぅとどきょり

あなたの島を想う愛しい恋しい気持ちは 潮となり熱い陽射しとなり
たしかに我が先祖にも未来の子たちにも届くでしょう



うたぐえはてぃきちむきゃい
ちぢんやうみちむきゃい
うどぅりばなみんたち
たちがみあてぃんうどぅりょぅり

唄声は月に向い チヂンの音色は海に溶け 
 みんなで踊れば沖の波が立ち 立神さえも踊るでしょう



なまみゅんぶるぶしや
いちゅうどぅたんかい
わきゃうじうばと
うどぅてぃたんかい

今見えるあの星達の舞は いつ頃踊ってたんでしょう
 私達のおじいやおばあと一緒に 踊ってたのでしょう



なまわきゃうどぅれぃば
てぃんつうじてぃ
うんうたあしびはとぅわに
なりょり

今わたしたちが踊れば この空をつうじて
 この唄遊びは過去から未来までずっと 続きます



かなしゃしま
かなしゃうた
かなしゃうじうば
いつまでんかわらんうむいや
いつまでんかわらんてぃんぬいりぉ

愛しい島 愛しい唄 愛しいおじいおばあ
 いちまでも変わらない想い いつまでも変わらない空の色












御風   2002年07月11日(木)

予想コースを少しずれて
東京には直撃しなかった台風6号。
それでも昨夜24時くらいは雨風とも結構強くなり、
嬉しくて外で濡れ吹かれました。

でも島の台風と比べるとやっぱりここの台風は軟弱で上品で、
荒れ狂うハイヌミカゼはここではまだ一度も体験してません。


神に選ばれし御風は
神に選ばれし人にしか吹きません










「今夜、ビートルズが街をうめつくして」・後編 /小山 薫堂    2002年07月07日(日)

奄美大島出身の彼は、とにかくいつもまっすぐに生きてきた。いい意味でヤツの人生は不器用すぎる。自分の思ったことを思った時にする。一度決めたらそこに向かって走り続ける。

あの夜、歌を聴かせてもらった僕は日大芸術学部に受かり、そして、歌を作って聴かせてくれた平田は落ちた。それでも平田は自分の落ちたことも忘れて、僕の合格を喜んでくれた。結局、平田は日大の工学部に入学。大学を卒業してからも、アルバイトをしながら自分の歌を作ってはそれを歌い続けた。プロデビューしたい、という意志は少しはあったのかもしれないが、僕から見れば『歌いたいから歌う』、、、そんな風に見えた。決して一発当ててビッグになってやる!、、、という野望に満ちたハングリーな男ではない。本当に純粋な気持で『いい歌を作りたい』と思い続けてきたんだと思う。


「ますますその歌を聴きたくなってきたね!」
モデルの女の子が言った。僕はみんなに平田の歌を聴かせることを約束して、その夜別れた。



それから、およそ1ケ月後。

1993年1月9日、東京に雪が降った。
僕はすぐに、あの夜に集まった仲間と馬場さんに電話を入れた。夜8時、新宿西口中央公園。結局、あの夜にいた10人のうち集まることができたのは7人。
たったの7人の観客は、雪の中傘をさして平田を待った。ゆっくりと舞い降りてくる粉雪が、都庁の照明に照らされてキラキラ光って見えた。

そして、少し遅刻して、アコースティックギターをかかえた平田がやってきた。
「途中で、道に迷っちゃって、、、」
と苦笑いする平田のギターケースには少し雪が積もっていた。寒さに震えている僕たちを見ると、平田はすぐにギターケースを開き、チューニングもせずに歌い始めた。白い雪をはきながら歌う平田のハードヴォイスが、真っ暗闇ではない東京の空に舞い降りてくる雪をかき分けながら突き進んでいく。


みんなの震えがピタリと止まるのがわかった。


歌が終わり、僕たちはドラマの1シーンのようなこの光景に酔いしれていた。
何も言わない。
拍手もしない。
雪が頭に落ちてくる微かな感触がよかった。
と、その時、、、
「風邪ひくから、デニーズでも行って、コーヒー飲みませんか?」
僕たちのドラマの主役は、自ら、そのシーンをぶち壊してくれた。本人は、何も分かっていない。
『らしい』と思った。

デニーズでコーヒーを飲みながら話し込んでいるうちに、「今日来れなかった3人、残念だったね!」という話になった。すると、誰かが「CD作らない?プライベートCD」平田は最初渋っていたが、僕たち10人分だけということで納得してくれた。レコーディングは仲間のディレクターがこっそり準備したあるラジオ局のスタジオで行われた。平田があらかじめ作ってきたカラオケを使って一発録りするという素人的なレコーディングだった。


それから1ケ月後、
たった10枚の『今夜、ビートルズが街をうめつくして』が完成した。もちろん、それは馬場夫妻も含める10人の手に渡り、この小さなドラマは終わった。、、、、かのように見えた。


しかし、実はこれが終わりではなく、始まりだったことに気がつくまでそう時間はかからなかった。それぞれがそれぞれの友達にそのCDを聴かせているうちに「是非、わたしも一枚欲しい、、、」という声があがりはじめたのである。急遽僕たちは平田を呼び、あと20枚だけ作らせて欲しいとお願いした。それが、30枚、40枚、、、と増え、とうとう100枚も作ってしまう結果となった。その一枚を偶然手にしたのが、音楽事務所をもつ三上さんという人である。三上さんは平田に会ってみたいと友人の友人を介して訪ねてきた。
そして、実にあっさり、平田は三上さんに自分の大切にしていた歌を預けた。僕は少し三上さんに嫉妬を覚えたが、「三上さんなんて、モロにビートルズ世代でさ、、、その世代の人が、涙流してくれたんだよ」と嬉しそうに言う平田の顔を見るとその気持も吹き飛んだ。


まっすぐに、そして自分に素直に音楽をやってきた平田がこれからどうなるかは分からない。飾らない美しさをどれだけの人が美しいと認めてくれるのか、僕はそっと見守ることしかできない。


≪ おわり ≫



この作品はAKIRALAND.COMよりの転載です。
著作権は小山薫堂氏及びAKIRALAND.COMにありますので、無断複写、転載を禁じます。


【 後説 】

あの「料理の鉄人」「ハンマープライス」「進め!電波少年」等で知られる放送作家、小山 薫堂(こやまくんどう)のオリジナル短編ストーリーです。このストーリーは実話をもとに創作され、93年12月にタイトルを原題どおり「今夜、ビートルズが街をうめつくして」でにっぽん放送でラジオドラマ化された物語でもあります。

また、ここにでてくる楽曲も93年12月に東芝EMI-TMファクトリーから同名のタイトルで発売されています。

平田アキラは現在『ネリヤ☆カナヤ』で活動中です。











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